第3話

早朝、ラギが城の廊下を歩いていると、階段の下の方から怒っているような女性の声が聞こえてきた。

ちらりと階段の下をのぞいてみると、2階あたりで一人のメイドが大蛇にからまれている。

メイドは最近入ったマリカである。マリカは階段を掃除していたのだろうが、大蛇に威嚇されて、モップで応戦していた。

「なんでいっつも邪魔するのよ。どきなさいってば」

「シャー」

茶色と深い緑色のまだらの蛇だった。階段の真ん中に陣取り、マリカに口を開けている。でかい胴体はくねって階段をまたがっていた。

「そこにいたら邪魔なの。あっちにいきなさいって」

大蛇はするりとマリカに近づいてモップにかみついていた。

「もーこらー」

モップをふるうが蛇は離れない。

「離しなさい！」

「ぷっ……はははは」

そのやりとりを上でこっそり見ていたラギは、つい笑っていた。

その笑い声でマリカがラギに気づいて、悪いところを見られたと頬を染めていた。ラギは下に降りて行った。

「お、おはようございます」

蛇はモップから離れてマリカの足の間をすりぬけていた。

「おはよう。ごめんね。この蛇、メイドをからかうのが好きでね。邪魔しちゃだめだよ」

ラギは蛇に言ったが、蛇はマリカの足の間を回ってまたモップにかみついていた。ラギの言葉を聞く気もないようだ。

「しょうがないなあ。まあ、適当にあしらえばいいから」

「はあ……」

ボキッと音がした。なんと蛇がモップの柄をかみきってしまったのだ。

「ちょっと、何するのよ」

マリカはラギの前だがつい口に出していた。

「シャー」

「シャーじゃないわよ。折れちゃったじゃないのよー折っちゃだめでしょ」

大蛇は反省する風でもなく、階段を上がって真ん中あたりに再び陣取った。マリカは口をへの字にしている。

ラギは笑いながら去って行った。

城の中にはこういう風にメイドをからかって遊んでいる蛇がいる。だが、ベテランメイドになると相手をしてくれないので、新人だけが狙われるのだった。

マリカはからかいがいのある相手のようだ。

「遊んでもらえてよかったね」

ラギはマリカから離れてこっそりつぶやいていた。


太陽はまだ昇ったばかりである。今は夏なので一日が始まるのが早い。

お城から出たラギは、軽く空に向かって頭を下げていた。太陽の神はこの空を飛んでいったのかどうかはわからない。いつかは空を賭けていく馬車を

この目でみたいものだ。

「さーて、軽く走るかなあ……」

ラギは屈伸運動をしてから走り出した。実はしばらくランニングはやめていたのだが、久しぶりにタロウから手紙が来たと思ったら、

「身体はちゃんと鍛えてるか？」と書かれていたのだった。実はやめていたとは言いにくいので、久々に再開したというわけである。

ラギ自身頭だけではだめだ、とわかっているのだが、つい身体の鍛錬の方はなまけ気味だった。


やっぱりシス兄さんと一緒に剣の鍛錬受けようかな、でも恥ずかしいから別の方が……


などと思いつつ走っていると、横をばたばたと天馬が通り過ぎて行った。プリモである。

「走ってるの？　歩いてるの？　どっち？」

プリモに乗っているアナスターシャは、小憎たらしいセリフをはいていた。

「うるさいよ。そっちこそ走ってるのか飛んでるのかどっち？」

プリモは地上からそんなに高くない距離を飛んでいたのでラギはそう返した。しかも翼の使い方が下手なのか、やけにばたついている。

「いいんだもーん」

アナスターシャは気にすることもなくラギを抜かして行った。プリモが空高く舞い上がる日はなかなかやってこないようである。


こんな感じで城の朝は始まっていた。昼頃になるとぐんと気温は上がり、蛇たちも日陰でじっとしている。

ラクシュミはミシェイラが結界を作って以来ちょっと機嫌が良い状態が続き、アナスターシャ達もあまり怒られないので喜んでいた。

ハザークもミシェイラの一件には「すごい子だ……」などとかなり感心しまくったようである。いずれにしても将来が楽しみなことである。


今日も暑かったので、ゆりは城の浴室で水浴をしていた。今は蛇の目のゆりが出ていて、横にジュノーもいた。

「これ、まだ消えないですね」

ジュノーはゆりのお腹の横にあるあざをなでていた。

「そうね」

突然できた小さなあざである。星の形にも見えるが、なぜできたのか、どちらのゆりにも謎だった。

「ま、かわいいですけど」

「ありがとう」

二人は軽く唇を合わせていた。どちらも裸だったが、そうからみあったりもせずに、寄り添っている。

「そうだ、あのセリアちゃん、昨日から入院してるんですよ」

「え？　入院？」

ゆりは目を丸くしていた。

「なんでも最近食べ過ぎで体重がかなり増えちゃったみたいで、それで入院させられたようです」

「えーまだ食欲あるんだ……」

前回会った時、セリアはちょっとふっくらとはしていたがあれ以上に太ったのだろうか。

「でも妊婦なんだからしょうがないんじゃない？」

「甘い物ばっかり食べたがってるようなんですよ。それで、食生活を改善しなきゃだめだってことらしいです」

「かわいそうにねえ……」

ゆりはかつてラギを妊娠中にかなり太っていたことを懐かしく思い出していた。

「まあ、私が太ったくらいにはならないでしょうけどね。ジュノーの彼女はどうなの？　順調？」

ジュノーの彼女は今妊娠中だった。とうとう二人目の子供ができるのである。

「今のところは順調ですよ。セリアちゃんとは逆に食欲はないようですけどね」

「そうなの」

次の子供は男か女か、ゆりだって楽しみにしているが、この関係に慣れていると思っていてもちらっと寂しい気持ちになる時もある。

だがそれは、口には出して言ってはいけないものなのだ。

「ジュノーは次は女の子が欲しい？」

「そうですね。女の子が見てみたいですね。私よりもクリスの方がはしゃいでますよ」

「そうだろうね」

ゆりは想像してほほえんだ。

ゆりの頭がジュノーの肩にあてられた。ジュノーがじっとしていると、ゆりの頭ががくりと前に倒れたのでジュノーはあわててゆりの頭を元に

戻していた。

「王妃？」

ゆりは目を閉じている。

「あれ？」

どうやら息はしているようだ。すると、ゆりの身体から白いもやっぽい塊が出てきたのでジュノーは「うわっ」と驚いていた。

「おおおお、赤ちゃんだ！」

それはちゃんと人の形をしていた。ジュノーは初めて目の当たりにして喜んでいたが、場所が場所だけに、だれにも言うことができなかった。

「うわっこれは感動するなあ……」

ジュノーがちょっと手で触れようとすると、思念が聞こえてきた。


―トー？

「え？　そうですよ。トーですよ」

状況も状況なので、ジュノーはそう返した。

―トーウタ

「え？」

―ウタ　ウタ

「え？　歌ですか……うーん……」

ジュノーは首をひねり、やがて、歌い出した。

「あ〜かいへび〜あ〜おいへ〜び〜きいろ〜いへび〜♪」

その歌は、この国では結構有名な子供に聞かせる歌である。

白い塊はちょっとうれしそうに手をたたいていたので、ジュノーは気をよくして最後まで歌っていた。


―きゃは

「喜んでいただけましたか」

―トーウタヘタネ

「え……」

赤ん坊の容赦ない一言にジュノーの顔は引きつっていた。白い塊はそのまますっとゆりの身体に消えてしまった。

蛇の目のゆりが目覚めると、ジュノーはちょっと落ち込んだ表情をしていた。

「あれ？　寝てた？　どうかしたの？」

「王妃、今、今すごくショックなことがありましたー」

ジュノーはゆりを抱きしめながら言っていた。

「一体どうしたの？」

「緊張してたから音程が狂っていたんだ！　ああ、悔しい！」

「？？？」


その後もゆりが恋人と二人きりでいると、赤ん坊が出てきて男に歌をせがむことがあった。男達は赤ん坊の要望通り歌を聴かせたが、

ジュノーに続き、ミルキダスやヴィラ、イシュタールも「ヘタネ」と言われていた。

その話を聞いたラクシュミは、（私だけが言われたんじゃなかった）とちょっとほっとしていた。

まだ歌っていない男達は、次は自分の番かとひそかに屋敷で練習したりもしていた。

そして、フリットがゆりといた日にも赤ん坊が現れた。


その後フリットの元にさっそくミカエルから「どうだった？」と思念が届いた。

―歌を歌った。そしてふつうね、と言われた

―へたじゃなくてよかったな。私はうまいと言われて見せるぞ！

ミカエルは張り切って歌の練習をしていた。


次の日、ミカエルは歌う気満々でゆりの部屋にやってきたので、ゆりはちょっとおかしかった。

「そういえば、私ミカエルの歌は聞いたことないなあ。ミカエルって歌は上手なの？」

「上手ですよ。王妃、寝ていいですよ」

「え、いや、まだ眠くないし」

「ハインリヒとシャナーンには負けたくない！」

「燃えてるね……私もみんなの歌、聞きたかったなあ……」

と言ってる間にゆりは長椅子で目を閉じた。ミカエルがどきどきしていると白いもやっぽい塊が出てきた。

―トー？

「そうですよ。私が一番のトーですよ」

ミカエルはそう答えていた。

―トーウタ

「いいですとも。なかないで〜わらって〜かわいい〜わたしの〜赤ちゃん♪」

ミカエルは心を込めて歌い出した。


やがて目覚めたゆりは、横でうなだれているミカエルを見た。

「あれ？　へたって言われたの？」

「ふつうねって言われました」

「よかったじゃない」

「よくないですよ。あんなに練習したのにー！！」

ミカエルは本気で悔しがっていた。

「私にも聞かせて」

「悔しいから歌いません」

「なによーだれも歌ってくれないんだから」

ゆりはむくれていた。


その後シャナーンも赤ん坊に歌を歌い、「ふつうね」と言われていた。シャナーンも妹のミーシャ相手に相当練習したようだ。

「ヘタ」と言われなかったのでミカエルとは違い、ちょっとほっとしていた。

そして最後はハインリヒの番になった。やはり音楽的センスのあるハインリヒの歌は、赤ん坊には違って聞こえたようである。

はじめて「ちょっとうまいね」と赤ん坊に言われたのだった。


「はっはっは、私はうまいねって言われたぞ」

うれしかったハインリヒはミカエルに何度も言って「うるさい」と言われていた。

「うまいねとは言われてないだろう。ちょっとだけってのがついてたろ」

「うまいねって言われたのは確かだからいいんだ」

「くそー悔しい！」


男達の歌対決は、子供達の笑いをさそっていた。食堂でもその話題で盛り上がっている。

「やっぱりハインリヒが一番なのかあ。赤ちゃんって、歌のセンスがあるのかな。すごいね」

ラギは感心していた。

「ハザーク様は歌ったのかな？」

アナスターシャが聞いた。

「ううん。ハザーク様は歌ってって言われたけど、拒否したって」

「赤ちゃんは泣かなかった？」

「その代わり生まれてから遊んでやるって言ったら大丈夫だったみたい」

「そうなんだ。もう遊ぶ約束してるんだ。ふふふ」

子供達はにやにやしていた。

「私の方がパパに遊んでもらうもん」

言ったのはナナミである。子供が生まれるほど、パパを独占できる時間は減りそうである。

「父様には言ったのかな？」

シスが聞いた。

「どうだろうね。聞いてないけど、後で聞いてみようっと」


夜、ラクシュミが寝室に来たときにそのことを聞いてみたゆりだったが、ラクシュミは「いや、歌を歌えとは言われてない」

と言い張っていた。

「本当？」

「本当だ」

「お父さんの歌は聞きたくないのかなあ？」

「さあな」

ラクシュミは「ヘタネ」と言われたことは、決してだれにも言う気はなかったのだった。


真夜中、ラクシュミもゆりもすっかり寝入った頃、ゆりの身体から白い塊が出てきた。その塊はふらふらと飛んでいきゆりの寝室へと移動した。

ベッドの上には蛇のルーがいたが、ルーはとぐろを巻いたまま眠っていた。枕の横には大きなピンクの巻き貝がある。


―ヤッパリ、トーガイチバンウマイネ


赤ん坊はだれにともなく言って、巻き貝の横でじっとしていた。赤ん坊は巻き貝の歌を聴きながらすっかり眠ってしまっていたのだが、しばらくすると

身体はひとりでに飛んでいき、ゆりのからだへと戻ったのだった。


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