番外編 2 神の国編
穏やかな光が降り注ぐ神の国にて、一頭のユニコーンが女神を乗せてパカパカ歩いていた。歩調はのんびりしたものだった。
女神は鼻歌交じりで、ユニコーンも急ぐ様子もない。やがてユニコーンはある神殿の近くに止まった。女神はユニコーンの背から降りて
純白のたてがみを優しくなでた。純白の毛で覆われて額には一本の角があるこの生き物と女神の取り合わせは、見る者の言葉を
失わせるほどの美しさだった。
「どうもありがとう」
女神が優しい声でそう礼を言うと、ユニコーンはヒヒーンといなないて去って行った。女神ガーベラは去っていくユニコーンを見送り、
神殿の中へと入っていったのだった。ここは自分の神殿ではなかった。恋人達の神殿でもない。自分の神殿の二倍はありそうなほど
大きい神殿だった。
神殿に入ろうとすると中から女の妖精が出てきた。
「ラメーンはいるかしら？」
「はい」
聞くまでもないが一応聞いたガーベラだった、ラメーンが神殿の中にいるであろうことはすでに分かっている。神殿の外に楽器の音色が
もれていたからだ。ガーベラは音楽に対する才能もそれなりにあった。誰の演奏かくらいは見当がつく。
その音は悲哀に満ちていた。
胸がきゅーんと締め付けられてなんだか涙がこぼれてきそうだ。
何か悲しいことでもあったのかしら？そう思いつつ一番広い部屋をのぞくと、ラメーンは部屋の真ん中あたりに座ってリュートを奏でていた。
ガーベラは部屋の入り口の所でこっそり立って曲を聴いていた。やがてその頬に涙が流れた。曲を聴いているだけで悲しくなってしまった
のだ。もし中身がゆりだったなら号泣していたかもしれない。ラメーンの表情には悲哀の色は出てはいない。伏せ目がちに弦をつまびいて
いる。
曲が終わり、ラメーンがガーベラに顔を向けた。
「ガーベラじゃないか。また踊りに来たのかね？」
「違うわよ」
ガーベラは指で涙を拭いて部屋の中に入って行った。
「ねえ、何かあったの？あんなに悲しい曲を弾くなんて。失恋？」
恋を失った悲しみのようなものが曲から伝わってきたからだった。
「いや別に」
「好きだった女が死んだんだとよ」
太い男の声が聞こえてきた。ラメーンの声ではない。見ると横の壁際に寝そべっている者がいる。それは男だとしたらかなり毛深すぎる
男だった。しかも顔が人間の顔をしてはいない。獣だ。
「あら、ライオネルじゃないの。珍しい所で合うわねえ」
ガーベラはその男に言った。その神の名前はライオネルという。口は前に大きくせり出して顔の周りには長いたてがみがあった。身体中
びっしりと毛に覆われている。毛は金色だった。虎よりも大きい。だが瞳は空のような青い色をしていた。
ライオネルはちゃんと肩に布をかけて腰から膝までも茶色い服を身につけていた。服にはちゃんと尻尾の穴があるようで、
先に房のような毛がついた尻尾は上下にぶらぶら動いている。ライオネルはヒルデリアとアシュランの息子である。
ライオネルを産んだ時、ヒルデリアはショックのあまり倒れ掛かったそうだが、何か意味があることなのだろうとすぐに持ち直したらしい。
一人だけ獣の姿の神で本人は肩身が狭いかといえばそうでもなく、大人になってからのライオネルは人の姿に変わる事もできる。
どっから見ても獣の姿なのだが、寝そべっている姿は獣らしくはない。ライオネルは床にひじをついて顔を支えていた。獣はこんなしぐさは
しないだろう。
「そんな事ないぜ。俺は結構ここに来るぜ」
ライオネルが答えてガーベラは意外そうな顔をした。ライオネルはあまり音楽に興味がありそうな感じではないからだ。
「仕事の後の禊（みそぎ）みたいなもんだ」
「へー」
ライオネルは神の国ではハロルドと同じような仕事をしている。神の世界はどこもかしこも平和で安全というわけではない。
外れの方には魔物という穢れた物が現れることがあるのだ。それの駆除をしているのだ。
「君はたいていすぐ寝てるじゃないか」
ラメーンはちょっと迷惑そうだった。顔立ちが上品で繊細そうなラメーンとこのライオネルの組み合わせは、はたから見るとかなり奇妙だ。
猛獣と猛獣使いに見えなくもない。
「ライオネル、演奏会に来たことないくせに」
「空の神殿には行きたくねーな。母ちゃんは俺の顔みりゃあーだこーだと愚痴るからな」
「母ちゃん？ああ、ヒルデリアのことね？」
「君は一万年以上経っても母親に怒られてるのか。まあ怒りたくなる気持ちも分からないではないな。人間界に降りては悪さばっかりしてる
んだからな」
ラメーンが呆れたように言った。
「悪さなんてしてねえよ。俺は人間の女が好きなだけよ。妖精だの女神だのは美女過ぎていけねえ」
ライオネルは片手を挙げて言った。手には大きな爪と茶色い肉球が見える。
「ごめんなさいね。美女過ぎて」
ガーベラはにっこり笑って言った。
「ところで好きだった女が死んだってどういうこと？」
ガーベラは思い出して聞いた。
「ラメーンが好きだった人間の女が死んだんだ」
ライオネルがあっさり言ってしまい、ラメーンの顔は微妙にゆがんでいた。
「ええっ！？そうなの？」
「いや・・・私の感情はそういう『好き』とかいう単純なものではないのだ」
「だからよー好きになったらすぐ押し倒さなきゃだめなんだぜ。死んでから後悔しても遅いぞ」
「そんな事、後悔してない」
ライオネルの言葉にラメーンは力を込めて反論していた。
「そうよ。ラメーンはあなたとは違うんだから。女を押し倒したりしないわよ」
ガーベラも加勢している。
「人間の女好きってのは同じだろ？」
「「違う！」」
ラメーンとガーベラの声は一緒だった。
「そうかあ？」
ライオネルはぼりぼりと胸の辺りをかいていた。
「それよりも聞かせてよ。あなたの恋のお話」
ガーベラは言いながらライオネルの横に腰を下ろした。するとラメーンは冷静な表情で言った。
「ガーベラ、あんまり近寄るとノミが移るぞ」
「ええっ！？嘘！」
ガーベラはあわてて飛びのいた。
「神なのにノミがいるの！？」
「いねーよ。いるわけねーだろ！」
「しょっちゅうぼりぼりかいているからいるのかと思った」
ラメーンは意地悪げに笑っていた。
「いるかよ。あ、何か飛んだ」
ライオネルが何もない宙を見つめ、ガーベラはささっと移動して離れた所の椅子に腰を下ろしたのだった。
「冗談だよ。冗談」
ライオネルは大きな口を開けてがははと笑っている。
「あやしい・・・・」
「それで君はここに何をしにきたんだね？」
ラメーンがガーベラに聞いた。
「新しい楽器でももらおうかと思って。この前仲良くなったことだし」
ガーベラはそもそもそういう用事できたのだった。
「なんだよ。やっちまったのかよ」
ライオネルが寝そべったまま言っている。
「ちょっと誤解しないでよ！やっちまってないわよ！」
ガーベラは即座に反応していた。
「仲良くなったんだろ？他に何があるんだよ」
「あんたと一緒にしないでちょうだい。仲良くなるってそれだけじゃないでしょ」
「そんなことねえだろ。なんといってもガーベラは性欲の女神なんだし」
「だれが性欲の女神よ！」
ガーベラは思わず近くにおいてあった竪琴を手に持った。
「こらこら、君それをどうする気だ」
「え」
麗しいガーベラは両手に竪琴を抱えあげていた。ライオネルは「うひゃひゃ」と笑っている。ガーベラは竪琴を降ろした。これをぶんなげたら
ここは出入り禁止になってしまうだろう。ガーベラは「くっ」と悔しそうにライオネルを睨んだ。
「その顔人間にも見せてやりてー」
「あんたねー」
「君ら二人とも出て行きたまえ」
ガーベラもライオネルも結局神殿を追い出されてしまったのだった。
「もーライオネルのせいよ！」
ガーベラはぷんぷん頬を膨らませていた。獣姿のライオネルは二足歩行していた。普通の人間に比べると足が短いし蟹股になっている。
４つんばいでもいいような気がするが彼なりのこだわりがあるらしい。
「悪かったな。よし、おわびに今日は俺様が相手してやろう！ガーベラは好みじゃねえんだけど特別にー」
「結構よ！」
「俺はこう見えて結構優しいんだぜ」
ライオネルはささっとガーベラに近づいてきていた。
ガーベラはぷにっと胸に柔らかい感触を感じた。見ると豊満な胸にライオネルの手があたっていた。ぷにっとした感触はライオネルの
肉球の感触だった。ガーベラの顔は引きつり、「何すんのよ！」という声と共に次の瞬間パンチが飛んでいた。
拳はライオネルの左頬の下にヒットした。ちょっと届かなかったのだ。
ちょうどその現場を見てしまった風の妖精達は、驚いたあまりに木に激突していた。
まさかあの麗しいガーベラが拳を振り上げるとは！人間には見せられない姿だ。
「おお、元気いいねー俺は元気のいい女好きさ」
ライオネルはうれしそうに笑っている。
「ぷん！」
ガーベラはぷんと顔を背けてすたすた歩いて行った。
にやにやしてガーベラの後ろ姿を見送っていたライオネルは首をかしげてやがて言った。
「だけど力はダーナの方が上だったかな？」
どうやらダーナにも殴られたらしい。
一方静かになった神殿では、ラメーンは楽器を変えてギターを爪弾いていた。先ほどとは違い、重厚な音が出るリズムの早い曲を
弾いている。ギターは自分で作ったものだった。
『好きな女』・・・・か
脳裏に浮かんできたのは、長い黒髪の女性だった。
お世辞にも美女と呼べるほどの美しい女ではなかった。うねった腰までの黒髪で大きな口が印象的だった。そして意思が強そうな目を
していた。年齢は花盛りを過ぎた頃、つまり、そんなに若くはなかった。
何よりラメーンが心惹かれたのはその声だった。女性の名前はイルマといった。
イルマは旅回りの楽団の一員だった。酒場や祭りなどで歌や踊り、曲を披露するのを生業としていた。
ラメーンはちょくちょく人間界にも降りている。上品で優雅な社交的な音楽よりも、庶民が好む音楽の方が好きだった。その方が人間臭い
からだ。
ラメーンは音楽の神であり、生まれつき音楽の才能というものは持っていた。多くの作曲家にインスピレーションも与えてきた。
だが、人を魅了する音楽の根本は、その人物からあふれ出る悲哀や歓喜、愛などの感情ではないか。楽器を奏でる技術よりも、思いが人を
感動させる事の方が多いのだ。
神であるがゆえに理解できない感情がある。実際にラメーンが今まで感動した音楽に神々が奏でたものはない。いずれも人間が
奏でた音だった。ラメーンは実際に人間として暮らしてみたいと考えて、人間界で暮らしたこともあった。それこそ旅回りの楽団に入り
一緒に旅をした事もある。それは遠い昔の話だ。
最近でもちょくちょく人間界に降りていたのだが、たまたま入った酒場でイルマの声を聴いたのだった。
圧倒的な声量で、酔っ払った男達も聞きほれていた。女神のような愛らしい声ではなく、低いが力強くよく通る声をしていた。
イルマが所属する楽団は大陸の北にある麒麟の国の中を主に旅して巡っているという。
その後も何度かイルマの声が聴きたくなれば人間界に降りて楽団がある街を探したのだった。
別にイルマの声がその時世界で一番の歌姫といえるほど素晴らしいものだったわけではないのだが、なんとなくまた聞いてみたくなる
気にさせられたのだった。
ある時、酒場の外に出るとイルマが追いかけてきた事があった。その日はイルマは胸元の大きく開いた真っ赤なドレスを着ていた。唇も
真っ赤で、目のふちは青いシャドウ。舞台にはえるように濃い目の化粧をしている。
「ねえあなた、二年前にも会ったでしょ？」
イルマはラメーンの顔を見るなりそう言った。
「その前も何度か会ったわよね。違う街で」
「ああ、よく覚えているな」
ラメーンはいつも茶色いフードですっぱり頭から上半身まで隠している。一応目立たないようにとの配慮だったのだがさすがに顔までは
隠しきれてはいない。全て隠したらそれこそあやしすぎる。
「分かるわよう。あなた目立つもん。仲間とも噂してたんだよ。どっかの貴族様がまた来てるって」
「貴族様？」
「だって、その顔庶民の顔じゃないもん」
イルマは大きな口を開けて笑っていた。
「あなた麒麟の一族の人？」
「うら若い女性がそのように男を見つめてはいけないぞ」
じろじろ見られていたのでさすがに言うと、イルマは「もう私若くないもーん」と開き直ったように言っていた。
「ねえ、ちょっと話をしましょうよ。おごってあげるからさ」
イルマはラメーンの手を引っ張り酒場の中に連れて行ったのだった。
ガヤガヤした酒場の隅のテーブルに二人は腰を降ろした。
「あなた何飲む？」
「私はいい。実は飲めない」
「え？じゃあなんで酒場に来てるの？」
「別にいいだろう」
まさかお前の歌を聴きに来たともラメーンもいえなかった。人間界での飲食はできないが、酒場ではちゃんと酒は注文している。
そうでなければ座れない。
「ふーん。まあいいけど」
イルマは適当に酒を頼み、ラメーンの前にも杯がおかれた。
「ねえ、あなたって本当に麒麟の人？旅人にしては上品過ぎるし、金持ち貴族っぽいもの」
この世界では、純粋の一族の方が位が高い。庶民からすれば貴族のようなものだ。だが麒麟の一族の男には先が分かれた２本の角がある。
「まあ・・・そのようなものだ」
ラメーンはあいまいに答えた。
「ふーん、やっぱりそうなの・・・」
「君はいつから楽団にいるんだ？」
今度はラメーンが聞いてみた。
「子供の頃からよ。楽団長がお父さんなの」
「そうなのか」
「いつかもっとすごい所にスカウトされないかなーと思いつつ100年以上・・・・まあ、今じゃこういうのも気楽でいいかなーとは思ってるけどね」
イルマはぽつりとつぶやくように言った。楽団と一口に言っても様々で、それこそ大都市に根を下ろしている大きな楽団もあれば、
イルマのような旅回りの者達までいる。この世界は国と国とが結構離れているため、世界を巡る楽団というのはそんなにはいない。
「でもね、去年王様の前で歌ったのよ。あれは緊張したなーすっごく緊張した！王様結構いい男だったし！」
イルマははしゃいだ様子で言っていた。
「そうか。それはすごい」
「しかもよかったぞって言ってくださったの」
「そうか・・・」
その夜はほとんどイルマが話をし、ラメーンはそれを聴いて時々相槌を打つといった感じだった。30年ほど前のこと、イルマは新しく入った
楽団仲間と恋仲になり子供を授かったのだが、男は逃げてしまった上に子供も幼くして病気で亡くなったという。
歌っている時はその辛さを忘れることができた。だからずっと歌っているのだとも話してくれた。
ラメーンが再びイルマに出会ったのはそれから人間界では5年ほど経過してからのことだった。
雪がちらつく冬の時期、通りを行きかう人々も寒そうにコートの襟を立たせて歩いていた。
麒麟の国では冬は酒を温めて飲むのが主流だ。ラメーンも飲まないながらも暖かいお酒を注文してテーブルについていた。
この日イルマの楽団が出るということは酒場の外の張り紙に書いてある。大きな酒場に行けば、大体どの楽団がどこらにいるという情報
は分かるのだ。
近くのテーブルの男達のぼそぼそ声が聞こえてきた。
「楽団の連中が食べ物にあたっちまったんだってよ」
「えーそうなのか？じゃあ今夜の演奏はなしか」
「俺はイルマのファンなのによー」
「俺もよ。残念だよなあ・・・」
なんと、冬だというのに楽団の団員達が食あたりで病院に運ばれたらしい。ラメーンは近くを通りかかった給仕の女性にその事を聞いてみた。
「そうなんですよ。皆腹痛起こしてしまったようなんですよ。イルマさんだけは無事だったらしいんですがね」
「そうなのか」
「ですが演奏できる人が急には見当たらないとかで・・・」
「この際イルマが歌だけ歌ったらどうかね？」
酒場の裏にある部屋で酒場のマスターがイルマに言っていた。
「歌だけ？それでお客さん納得するかしら」
イルマが困った様子で返した。
「ミンファ達のかわいい踊りもないのよ？」
歌を歌うのはイルマだけではなかった。他の若い子の歌や踊りもあったのだ。それを目当てにしている客だっている。
「お前さんのファンだっているんだぞ？」
「そうかもしれないけど・・・」
「演奏なら私ができる」
その時部屋に入っていったのがラメーンだった。イルマはラメーンを見てぎょっとしていた。
「あ、あなたは・・・え？演奏ができるですって？」
「ああ、何か楽器を」
ラメーンはフードを取り手を出した。見るからに上品な風貌にマスターもぎょっとしていた。
「な、何が弾けるの？ギターとか弾ける？」
「なんでも」
「本当？」
「ああ」
イルマはちょっと待っててといって部屋を出て行き、やがて弦がついたギターを持って戻ってきた。胴体の真ん中は少しへこんでいる。
リュートよりは大きな弦楽器だった。
「これ弾ける？上品な人はたいていリュートでしょ？」
「大丈夫だ」
ラメーンはギターを受け取り、弦を順に爪弾いた。そして弦の調節をした。
「よし、いいだろう」
「ええ！？ほんと！？何弾けるの！？」
「何でも」
「何でもって！？」
「何でも弾ける。君は好きに歌いたまえ」
「ええー！？」
イルマは半信半疑のまま、打ち合わせもなくステージに上がることになった。やがてマスターから急遽演奏者が変わったことが告げられて
イルマとギターを持ったラメーンはステージに立った。ラメーンは冷静な表情で椅子に腰を下ろしている。
イルマは本当に大丈夫かしら、とちょっと不安げにラメーンを見ていた。観客の拍手が起こった。ラメーンが「どうぞ」とばかりに
目で合図をした。イルマが曲名を言って歌いだすと、間髪いれずに弦楽器の音色もそれに続いたのだった。
歌っていたイルマ自身が一番驚いたことだろう。自分は何を歌うとも言ってはいなかったのに、歌にあわせて正確にギターの音色は
続いていた。しかもその腕前は、上手いなんてものではなかった。ステージの横手にいたマスターの目からは涙があふれていた。
観客の目からも。酒場で給仕をしている女達もぼけーと突っ立って曲を聴いていたのだった。客は誰一人酒を飲もうともしなかった。
ギターの音色は素晴らしかったが、歌がそれに劣っているということはなかった。上手く調和され、一つの素晴らしい音楽になっていたの
だった。
一つの曲が終わった後、酒場はしーんと静まり返っていた。まるで魔法でもかかったかのように、皆ぴくりとも動かなかった。
「み、皆さん大丈夫？」
イルマが伺うように聞くと、ようやく客達ははっと我に帰り、やがて大きな拍手が起こったのだった。イルマは続いてテンポのゆっくりとした
歌を歌いだした。すると優しいギターの音色がそれにのったのだった。ラメーンの演奏はどのようにも変化した。
まるで長年連れ添った夫婦のように、二人の呼吸はぴったりだった。
その夜は何度もアンコールが起きて、二人はなかなかステージから下がることはできなかった。
愛の歌になり、イルマはラメーンのすぐ横で歌いだした。それは切ない片思いの歌だった。
時折二人の視線が交わったが、ラメーンはイルマの視線を避けることなく、見つめ返していた。
一年分の涙を流しつくし、客達は満足しきって酒場を後にした。
「あなた一体何者なの？」
ステージの裏に移動して、イルマがようやくラメーンに聞いた。歌い疲れていたが、興奮の絶頂にあるかのように頬は上気している。
「プロの演奏家？」
「まあそんなものだ」
ラメーンはそういって楽器を返してフードを頭にかぶった。かなりの曲を演奏したにもかかわらず、ラメーンは疲れている様子もなく、
それもイルマが驚いたところだった。
「あなたみたいにすごい人初めてよ。私にぴったり合わせてくれて」
「いや、君の歌もとてもよかった」
ラメーンが言うとイルマの目はぱっと輝いた。
「本当？」
「ああ」
「あなたに負けじといつもよりも思いを込めて歌ったの。今日はすごく楽しかった。それに気持ちよかった。あれ以上によかった」
「あれ？」
「あれ」
イルマはウインクしていた。
「私も楽しかった。では」
「待って、今日の演奏料は？」
「いやいい」
「そうなの？また会えるわよね？」
イルマの瞳は少し切なげにラメーンを見つめていた。
「ああまた」
「絶対よ。さようなら！」
イルマは大きく手を振っていた。ラメーンは興奮気味のイルマの笑顔を見てからその場を離れた。
だが再び人間界に降りたものの、二度とラメーンがイルマに出会うことはなかった。あれから三年後に病気になり、
息を引き取ってしまったそうだとあの時演奏した酒場のマスターが教えてくれた。それがつい昨日の事だったのだ。
「イルマまたあんたの演奏で歌いたいって言ってたぜ」
マスターは目を細めてそう言った。
「そうか・・・」
私もだ・・・・
ラメーンはそっと目を閉じた。
女性にしては低いが力強い歌声。心に響くあの歌が再び聴けないのは残念だった。
限りがあるからこそ人は美しい。人が作り出す物も。
イルマがいなくなった今も、彼女の歌は心によみがえってくる。
人生の悲哀も歓喜も歌に昇華させた彼女自身に自分が惹かれていたのかどうか、それはよくわからない。
だが彼女の歌に曲を合わせたあの時の心地よさは、今も心に残る。
『好き』という言葉で単純に言い表せる感情ではないのだが、これも一種の恋といえるものだったのかもしれない。
イルマ、私は君の歌がとても好きだった。君自身の事も、好きだったのかもしれない・・・
ラメーンはギターを弾く手を止めて、しばらくぼんやりと宙を見つめていたのだった。
一方ガーベラはといえば、あの後他の女神達と歓談して、ジンラの元へと飛んでいた。ジンラは酒蔵の外にいた。
「あ、ちょうどよかった。のどかわいちゃった。お酒飲ませて」
「ああいいぞ」
ガーベラはジンラと一緒に酒蔵の中に入り、ずべっとすっころびかけた。中には毛むくじゃらの男が座って酒を飲んでいた。
ライオネルだ。
「なんだガーベラじゃねーか。俺を追いかけてきたのか？」
「違うわよ！そんなわけないでしょ！」
ガーベラは思いっきり否定した。中にはアマンザもいて二人を交互に見ていた。
「またまた。さては俺に気があるな」
「ぜーんぜんない！」
ガーベラはそのまま回れ右して出て行った。
「酒はいいのか？」
ジンラに聞かれて「神殿で飲ませて！」といってガーベラは近くにあるジンラの神殿に歩いて行った。
「アマンザよ、お前女できたのか？」
酒蔵の中ではライオネルがアマンザに聞いていた。
「えー僕はまだそういうのは・・・」
「奥手だな。俺が女の口説き方教えてやろうか？」
青い瞳が輝いている。
「え？別にいいですよー」
「ライオネル、変な事教えるなよ」
ジンラが横で言っているにも関わらず、ライオネルはアマンザにあれやこれやと女の話をしだして、アマンザの顔はまっかっかになって
いたのだった。
おわり
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