３の月に入り、今年も交わりの月がやってきた。 愛に満ちた一夜が明けた次の日、ラクシュミは城の大広間で
アナスターシャとシスに結界の特訓をしていた。ゆりはそんなラクシュミに毎度の事ながらべったりくっついている。
この時ばかりは、いくらくっつこうがすりすりしようが、ラクシュミは何も言わないし、嫌な顔もしない。
「母様も赤い月の時は父様にべったりだねー」
シスがニコニコ笑いながら言った。シスは髪も長めなので見るからに可愛い女の子って感じだ。
「あなたたちも王様にべたべたしなさい。今の内に」
ゆりが言うと、
「じゃあ夜寝室にいっちゃおうかなー」
アナスターシャが言った。アナスターシャはシスとは４歳違うので、シスよりは背も高く、かなりお姉さんだ。
二人ともラクシュミの遺伝子がばっちり入り、整った顔立ちをしている。だがアナスターシャは最近ゆりに似てきたと
言われるようだ。どこが似てるのかゆりにはわからないが。
「それはだめ」
ゆりは力を込めて言った。
「やっぱり月終わってからべたべたしてね」
「だめだよーペタペタ邪魔したら」
シスがアナスターシャに言った。赤い月の間はペタペタの日だとシスはどうもわかってるようだ。
「冗談よー。」
二人はじゅうたんの上に丸いクッションを置いて、その上に座っていた。二人の体は薄い水色の膜のようなもので
覆われている。自分の体の回りに結界を作っているのだ。
「アナスターシャ、お前はゆりの体の回りにも作ってみろ」
ラクシュミがいった。
「はい」
アナスターシャがゆりを見た。念じるように見つめると、ゆりの体の回りに水色の薄い膜ができた。
「すごいね」
ゆりが自分の腕を見て言う。
「だが自分の方がおろそかになってるな」
ラクシュミが指摘した。
アナスターシャ自身の結界が消えかかっていたのだ。
「ありゃ」
というアナスターシャの声と共に完全に消えてしまった。
「それじゃだめだ」
「両方は難しいな」
「がんばってアナスターシャ」
「姉様がんばれ」
ゆりとシスが声援を送った。
「むうう」
アナスターシャは口を尖らせて集中した。
第１０話
そのころ末っ子のラギはといえば、お城の外の表門の所で、だれかを待っていた。赤い月の間でも、昼間は一応
門番はいる。ラギの髪は、青く染められていた。手には大きな布袋を下げている。知らない者が見れば、なぜ子供が
こんな所に？と思うかもしれない。
やがて、ラギの目の前に一人の少年が現れた。銀色かかった少し長めの水色の髪。優しそうな顔だちの、とてもきれいな
少年だった。上下薄い緑色の服を着ている。ズボンをはいていなければ、女の子と勘違いするだろう。
「はじめまして。ラギ様、シャナーンです」
少年はそう言って微笑んだ。
ラギはぎょっとした顔で、少し背中をのけぞらせていた。
「ラギ様？どうしたんですか？」
シャナーンが身をかがめて聞いた。ラギは不思議そうにシャナーンを見ていた。
シャナーンも不思議そうに首をかしげている。
門番も同様に首を傾げてみていた。
「ラギ様？大丈夫ですか？」
「シャナーンって、不思議な人だね」
ラギはシャナーンを見上げて言った。
「そうですか？」
「外と中身が違う人？」
「？」
「シャナーンの顔と気が全然あってないからびっくりした」
ラギの言葉に、シャナーンは目を見開いた。そして微笑んだ。
「確かにラギ様は目が抜群にいいですね。そういうことを言うのは、上の連中だけですよ」
シャナーンの顔立ちは優しく性格も穏やかそうなのに、シャナーンの気質は、かなり攻撃的なものだった。
だからラギは驚いたのだった。シャナーンは将軍ヴィクターの息子だが、精悍な顔立ちのヴィクターとはあまり
顔立ちは似ていない。だが、気の質は、ヴィクターに似ていた。気の質というのは、その人の性質に似ていて、
フリットやジュノーは強くても比較的穏やかそうな気が漂っているが、ミカエルやイシュタールは、相手を威圧するような
攻撃的な気が漂っている。こういう気質を持っているからといて乱暴者というわけではなく、ラギが見る限り、
たいていの人は、自分の外見に似通ったような気をまとっているものだった。
だから、外見と気質があまりに違う少年を見て、びっくりしたのだった。
「さて、どちらにいかれたいんですか？」
シャナーンが聞いて、ラギはズボンのポケットから地図を出した。
「丸ついてるところにいきたいな」
シャナーンは地図を受け取り、眺めた。丸は４つついていた。
「いいですよ。まずはこのお城から遠い所から行きましょうか。それもってあげますよ」
シャナーンはラギが持っている大きな袋を受け取って、ラギの体に触れた。
それは10日ほど前、ラギがラクシュミに、赤い月の間、結界の外に出ていろんな所に行きたいと言ったのが
始まりだった。この前大手柄を立てたことだし、ラクシュミとしてもラギの願いを聞いてやろうという気になった。
どっちみちラギに結界を作る力は全くないので、他の二人と同じように修行もできない。赤い月の間は一番
外に出るのも安全だ。この時期はそうそう強敵も国境を渡ってはこない。
交わりの月の間、大人の男に付き添わせるのも気が引けたラクシュミは、シャナーンに頼むことにしたのだった。
シャナーンは、後数年で大人になる年齢だが、すでにかなりの力を持っている。しかも瞬間移動の速さも、すでに
中級戦士クラス。スタミナも中々だった。攻撃力はまだまだだったが、逃げ足が速ければ、なんとかなるものだ。
数人で戦士が護衛するよりも、シャナーン一人の方がやりやすいとシャナーンの父親ヴィクターが言ったので、
シャナーンだけにラギの護衛をまかしたのだった。ヴィクターは息子にかなりの信頼を寄せているようだし、ラクシュミは
ヴィクターのことを信用していた。
何回か瞬間移動して、ラギは南の森の中に連れてきてもらった。
「この森の中で何を採るんですか？」
シャナーンが聞いた。
「赤い月の間にしか咲かないお花だよ。」
ラギが言った。
「そうなんですか。王子は植物にいろいろお詳しいんですか？」
「いろいろ研究してるんだよ」
「すごいですねえ・・・」
シャナーンは感心して言った。
「王様が、シャナーンは本が好きだからお前と話があうっていったよ」
「はい。図書館には結構いってますよ。私も王子と同じで古代語好きなんですよ」
「エー本当？」
「はい」
ラギは自分の同士に会えた気がしたのか、うれしそうにシャナーンと手をつないで歩いた。
「あ。あれだ！」
大木に巻きついてるつるに、青い大きな花がいくつも咲いていた。その下には数匹の大きな蛇がいた。
「本当に蛇が好きなんだね。集まってる」
花からは蜜のようなものがぽたぽた落ちていた。近づくと、かぐわしい匂いがした。
「ダルネ・ルドーゥラですね」
シャナーンが言った。古代語では「惑わす花」という意味である。赤い月の間にしか咲かないといわれるこの花の香りは
一族の者がその気になりやすい香りとされていて、女性の香水になどによく使われる。交わりの月に女性が肌につけるのだ。
ラギはシャナーンから袋を受け取って、中から小瓶を取り出して、花をいくつか採って入れた。そして蓋をした。
「ここはもういいよー次の場所」
「はいはい」
シャナーンは先ほどの地図を取り出して、場所を確認した。
夕方、食堂に皆が座っているとラギが入ってきた。
「ただいま」
「お帰りーラギ」
「お帰りー」
皆がそれぞれラギに言った。
「よかった。無事で」
ゆりは自分の横にきたラギの頭をなでた。
「シャナーンと仲良くなったんだよ」
「シャナーン？」
ゆりはなんだか聞いたことがある名前だと思った。
「シャナーンという少年にラギに付き合ってもらったんだ。子供だが、かなり頼りになる子だから」
ラクシュミがいった。
「危ないことはなかったか？」
「何もなかったです」
ラギが元気一杯に答えた。
「・・・すごくきれいな子？前に一度会った。そういえば」
ゆりはようやく思い出した。
「きれいな男の子だよ。あさっても遊んでくれるって」
「よかったねえ」
「うん。シャナーン何でも詳しいんだよ。古代語も勉強してるって、」
「へー」
「物好きね」
とアナスターシャが言った。
その夜、ゆりはにやにやしながらベッドの上でラクシュミを見ていた。
「なんだ？」
「うれしいの。王様が、ラギのことも可愛がってくれるから。あの子今日すごくうれしそうだった」
「ラギは本当に賢い。自分がやりたい事をやらせる方がいいだろう。」
「うん。」
「にやけてないで服を脱げ。」
「うん。王様愛してる」
ゆりは服を脱いでラクシュミに抱きついた。
毎日アナスターシャとシスはラクシュミがつきっきりで力の特訓をした。
ラギは部屋にこもったり、シャナーンにあちこち連れて行ってもらったりしていろいろ充実した日々を過ごしたようだ。
二人はすっかり意気投合していた。
シャナーンはかなり知識も豊富で、古代語にも詳しかったので、ラギはすっかりシャナーンが気に入ってしまい、
シャナーンも好奇心が旺盛で何にでも興味を持つラギに、かなりの好意を抱いたのだった。
そして10日目の昼間、ラギはシャナーンに古代語の研究所に連れてきてもらった。ここに来るのは初めてだった。
古代語の教師が、そのうちに連れて行ってあげますね、とラギに言っていたところだった。外観は、珍しい六角形の建物
だった。角のところには円柱の柱がくっついている。そんなに大きくはないが、どっしりした頑丈な作りに見えた。
シャナーンはここに何度もきているのか中にいた女性は顔を見るなりすぐ入れてくれた。
一階の壁沿いに本がびっしり並べられていて、ラギの目が輝いた。
「すごーい。すごいねー」
ラギはたったと走っていって、本棚を眺めた。かなりの高さの本棚だ。天井部分に本棚はくっついていた。部屋の真ん中
には長い机と椅子が置かれて、今日は受付の女性以外は見えない。
「これは研究者たちが古代語の本を書き直したものなんですよ。」
シャナーンが言った。
「へー。上はどうなってるの？」
ラギは奥の階段を見て言った。
「行きましょう」
「うん」
二階部分に行くと、見知った顔があった。古代語の教師がいたのだ。
「おや、ラギ様じゃないですか」
「こんにちは先生」
数人の男たちが大きな丸い机の回りに座って、何か作業をしていた。この部屋にはそんなに大量の本はない。
横に扉があり、部屋が他にあるようだった。
壁には大きな世界地図がかけられている。
他の男たちも二人に挨拶して、二人も挨拶を返した。
「シャナーンに連れてきてもらったんですね」
「はい。先生は何をしてるんですか？」
「古代語の本の翻訳をしているんですよ。シャナーン、王子は面白いでしょう」
「はい。すっかり仲良くなりました。ね」
「うん」
ラギがうなずいた。
「先生、王子にあれを見せたいんですけど」
「いいですよ。」
教師は立ち上がり、横の部屋に入って行った。
ラギは、他の男が書いているものを背伸びをしてじーと眺めた。
「先生たちは女の人と過ごさないんですか？」
ラギは聞いた。
「私たちは女性よりも古代語が好きなものでして・・・」
男が照れたように言った。
やがて、教師が大事そうに腕にかかえて何かをもってきて、机の上に並べた。それは、動物の皮に書かれた文字だった。
所々色あせていて、穴も開いている。全部で１０枚ほどあった。
シャナーンはラギを椅子の上に立たせてあげた。
「わーすごい古そうですね。なんですか。これ」
「これは詩なんですよ。古代叙事詩というものです。」
「こだいじょじし」
「初代の王ヴァルメルク様が書かれた詩なのですよ。王子もご存知のように、この世界は、元は様々な動物と神々だけが
暮らす世界でした。神々の主アシュランは自分たちと似通った人を作ることにして、主な動物達を集めて
姿を人に変えたのです。そしてそれぞれに場所を与えて住まわせた。しだいに人々は国というものをつくり、様々な一族が
滅びていき、今のような状態になったわけです。最初の王になられたヴァルメルク様は、大変詩の才能がある方で、
しょっちゅう詩を書かれていたようです。その詩は神々のことについて書かれていたり、様々な情景、愛について
書かれたもので、およそ100篇ほどあったようです。その詩が代々受け継がれて、古代叙事詩といわれたのですよ。」
「えーこれは、最初の王様が書いたんですか？」
ラギはびっくりしてテーブルの上にある物をみた。
「いえいえ。それはさすがにもう残ってません。ヴァルメルク様の時代の古代語は、第一期のものでして、これは
新しい古代語で直されたものなんですよ」
「・・・でも、読めないですよ。全然」
ラギは皮に書かれた文字を眺めて言った。自分が知っている古代語とはちょっと違っているようだった。
「そうなんですよ。この古代叙事詩は、第二期と第三期の古代語が複雑にあわさってまして・・・本当に暗号のように
なってるんです。訳本も失われてありません。ちょうど５千年ほど前に地震があったり病気が流行ったりした時期が
ありまして、そのごたごたですっかり重要な本もなくなってしまったようで。ちょうど古代語も軽んじられた時代
でしたからねえ・・・そのまま捨て置かれたんでしょう。全く口惜しい話ですよ」
教師は心底残念そうに言った。
「どんな事が書かれているんでしょうね。僕知りたいな」
ラギはわくわくして言った。
「ここにある詩は一応翻訳されているんですが・・それがあってるのかどうかは謎です。発音も謎が多いですし・・・
昔はよく古代叙事詩を口ずさんでいたと言いますから、何か魔力をあげるような効果があるんじゃないかと思うんですが
ねえ・・・」
詩の全てが残っているわけではなく、残っているのは５０編ほどのようだ。
ラギは詩の写しと、訳したものをもらって、研究所を後にしてシャナーンに城に送ってもらった。
「面白かったですか？王子」
城のすぐ目の前についた後、シャナーンがラギに聞いた。
「うん。すごく面白かったよ」
「よかったです」
シャナーンが微笑んだ。
「王子、もっと大きくなったら、一緒に古代叙事詩の研究しましょう」
「うん！また会ってね。シャナーン」
「はい、私が大人になれば、お城にもこれますから」
「がんばって大人になってね」
「はい」
二人は握手をして別れた。
最初の王様って一体どんな人だったんだろう・・・
考えただけでわくわくだ。
その時代、神々はすぐ側にいて、あたりを平気で妖精が飛んでいたようだ。だが、人の世に争いが絶えず、嘆いた神々は
違う世界へと行ってしまったという。今では、西の聖地と呼ばれる大陸にのみ、神々の息吹が残っている。
世の中には面白いことがたくさんあるなあ。
いろいろやる事が一杯だ。がんばろう。
ラギはその夜は大興奮して眠れなかった。
一方ゆりは、交わりの月が終わり、５日たっても１０日たっても、気が欲しくてたまらない状態にはならなかった。
どうやら子供はできなかったようだ。
あんなに熱々だったのになー残念。
「短期間で３人も産まれたことのほうが奇跡に近いですよ」
と侍女には慰められた。
まあいいか。そのうちにできるかな。
気を取り直して竪琴の練習をしていたらミカエルがやってきた。
「楽しかったですか？交わりの月」
「うん。でも子供できなかったみたい」
「そうですか・・・まあ、気にしないことですよ。まだ一人も産んでない女だってたくさんいるんですからね」
ミカエルはゆりの横に座った。
「うん。気にしてないよ。ラギね、ずっとシャナーンに遊んでもらったんだよ。すっかり気に入っちゃったみたい」
「シャナーン？」
「うん。私は会わなかったけど、あれからもっと大きくなった？」
「さあ・・・」
ミカエルが面白くなさそうな顔をした。
「どうしたの？」
「いえ、別に」
あのガキ、私の顔を見れば指南指南とうるさいし・・・また会うたびに力を増しているのだから腹が立つ。
なぜかシャナーンに目の敵にされているミカエルは面白くなかった。他の者に対する目つきと、自分に対する目つきが
明らかに違うのだ。フリットやイシュタールはそんなシャナーンを可愛がり、頼もしいやつだと逆に喜んでいる。
「王妃は年下の男は好きなんですか？」
ミカエルがゆりをじっと見て聞いた。
「え？年下？」
「だめですよ。年下の男をかわいがったりしたら」
「そんな犯罪みたいなことしないわよ。何いってるのよ！」
ゆりが真っ赤な顔でいった。
「心配だな。王妃はちょっととぼけた所があるから、知らない間に恋人が増えてそうで」
「これ以上増やさないわよ。」
「絶対ですよ？」
「多分」
「多分？」
「冗談だよ。冗談」
ゆりはひらひら手を振った。ミカエルは横目でゆりをにらんだ。
これだけ良い男にこういう理由で睨まれるってのも、たまにはいいもんだ。
ゆりはのんきに思っていた。
そのころ、ラギは医学研究所のほうでほれ薬ならぬほれ香水の試作品を作ったところだった。
「わーい。できたぞ。いろんな蛇で試してみよう。その前にみんなにみせようっと」
ラギは目を輝かせて職員らに見せに行ったのだった。
すすむ