今年も無事、梅雨がやってきた。毎年来る梅雨の雨は、降りすぎれば災害にもなりかねないのだが、農作物や動物に
とってはなくてはならない天の恵みだった。だから人々は毎年梅雨が来ればほっとするのだ。昼間は大通りを歩く
人々もまばらだが、夜になれば、町の酒屋にはそこそこ人々が集まっていた。
「どうだい？王妃様はお元気にしてらっしゃるかい？」
酒場の親父が酒を飲みに来ていた戦士に聞いた。この戦士は城の表門の門番である。
「ああ。元気にしてらっしゃるよ。やっぱり時々お顔を見るとほっとするよ」
門番の男は酒を飲みながらしみじみと言った。ゆりとシスが帰ってきてもうだいぶ時が経っていた。町の人々は
王妃がいないことには全く気づいてはいなかったので、なんだか知らないが王妃が過去の世界に行って力の強い
騎士を一人連れ帰ったという話には、大騒ぎだったし、どういういきさつでそうなったのかかなりの妄想が膨らんで
いた。きっと王妃の魅力にめろめろになってしまった騎士が引っ付いて来たに違いないと皆そう思っている。
しかもその騎士様は力が強いだけではなく、かなりの美男と評判だった。
さすがは王妃様・・・女としての魅力にあふれてらっしゃるのね。・・・・私もあやかりたい。
と、町の女の子達にもゆりは憧れの対象として見られていた。
「案外王妃様をめぐっての奪い合いはなかったんだなあ。決闘でもあるのかと思ったが・・・」
親父がお気楽な表情で言った。騎士様と恋人たちの間で何かあると勝手に期待していたようだ。
決闘といっても一族間の殺生はご法度。たとえ何があろうと深く相手を傷つけるのも禁止されている。
「この前イシュタール様とやってたのはそんな感じじゃなかったし」
「まあ、いくらハインリヒ様が強くていい男でも、元からいた恋人たちは皆長い付き合いだから、王妃様も
そう簡単に捨てたりしないよ。」
「そんなものかね・・・まあ、王妃様は情深い方だから、そりゃそうだろうなあ、今まで恋人を捨てたって話、聞いた
ことないもんな」
「ミカエル様なんて、案外余裕でいらっしゃるんじゃないのかな？」
と門番の男は言った。
「そうかい。そりゃ安心したよ。王妃様が騎士様にぞっこんじゃないかと、ちょっと心配だったが」
酒屋の親父としては、元からいる男達にがんばってもらいたいようだ。
「大丈夫さ」
この場合、王妃がぞっこんなのは王では？という突っ込みはだれもいれなかった。そんな事は分かりきっているからだ。
相変わらず、ゆりの話は酒場では格好のネタにされているようだった。
第31話
外は今日も雨がザーザー降りだった。ミカエルは王の間から歩いてゆりの部屋へと向っていた。
酒場でも、戦士らからも、好き放題噂されているミカエルだったが、本人の心境はと言うと、そう余裕でいたわけではな
い。確かに、ゆりとは長い付き合いではあったのだが、女心というものはどうにでも変わるものだと思っている。
現に、ミカエルと長い付き合いの女達の中にも、ハインリヒに興味を示している者もいる。
お互いに深い愛情を感じて結ばれてる仲でもないのでそれはしょうがないが、ゆりまでそうなってしまうとかなり
面白くはない。
ゆりの部屋の前にヴィラが立っていた。扉を眺めている。
「何してるんだ？」
ミカエルが聞くと、ヴィラが扉を指差した。そこには紙が一枚貼られている。
『安産祈願中につき、梅雨の間男性の立ち入りを禁止します。ゆり』
紙にはそう書かれていた。
「安全祈願？何で今頃・・・・」
今までこんなのは聞いた事がない。
「もしかして、雨でかなりその気になってるのかもしれないですねー」
ヴィラが鋭く気づいて言った。
「え・・・」
「だから梅雨の前気もらいまくってたのか・・・」
ゆりは梅雨前、男たちにひっつきまくって気をもらいまくっていた。
具合は悪くなさそうだったので、ヴィラはちょっと不思議に思っていたのだ。
「誰か特定の男といるってことはないだろうな」
ミカエルがむっとして言った。
「それはないでしょ。今、あっちにはいないようだし・・・王妃ってこういうところが面白いですよね。
いつまで続くかな？」
ヴィラはふふふと笑って消えた。
確かに別室の方で男の気は感じないし、部屋の中にもそれらしい気はない。安産祈願と書かれたら、無理やり入るわけ
にもいかず、ミカエルもその場を去ったのだった。
その時ゆりは部屋で侍女らといた。梅雨になってから部屋の中にこもり、赤ちゃんらに絵本を聞かせたり、
大蛇と遊んだり、昼寝をしたり竪琴を奏でたりと、とにかく適当に毎日を過ごして気を紛らわせている。
アナスターシャからは、昼間赤ちゃんを寝させないようにと言われて、ゆりが飽きれば侍女らがゆりのおなかに
話しかけている。といっても赤ん坊達もいつもいつもしゃべるわけではなく、起きてるのやら起きてないのやら
わからないのだが。最近は夜はおとなしくしているようだ。
その時、侍女がワゴンを引いて部屋に入ってきた。
「そこでミカエル様にお会いしましたよ？」
「そう、ミカエル何か言ってた？」
ゆりが聞いた。
「王妃はお元気かって言ってました」
「そう・・・」
「それから、ハインリヒ様はよく部屋にくるかって。たまにですよって言っておきました」
「気にしてるんだねーやっぱり」
「それはそうですよ。気にしないとミカエル様らしくありません」
「そりゃそうかも」
ゆりは椅子に座り、侍女がもってきたお茶を飲んだ。
男達を避けているのは、ただ、梅雨で雨が降ってその気になりやすいような気がしたからだ。その予防策としてそうした
だけの事だった。毎度毎度流されるのもしゃくに障るので、その気にならないように努めようとしていた。
その気になったって誰もゆりを責めないし、男たちは喜ぶだけなのだが、しょっちゅう喜ばせたくもない。
「ハザーク様のところ行ってくれた？」
「はい、侍女さん、残念そうでしたよ」
「まあ、梅雨が明けたら行くよ」
この間はハザークに会いに行くのも控えていた。行けば絶対その気になりそうだからだ。
ここは自制心を保たねば・・・
昼間はそう思っていたが、夜になればやっぱり押さえていた気持ちが爆発してラクシュミがたじたじになっていた。
「ゆり、どうしたんだ？3日前からえらい激しいな」
「え？気のせいじゃない？」
「気のせいじゃないだろ。どう見ても・・・」
ゆりは裸のままぴったりラクシュミにだっこちゃんのようにへばりついていた。
「これも王様への愛ゆえだよー、というわけでもう一回」
「そういえば、お前部屋に何か変な貼り紙してるって誰か言ってたぞ」
ラクシュミが気をそらすように言った。
「梅雨が明けるまで昼間は禁欲生活してるの」
「なんでだ？」
「王様とのラブラブ強化月間だから」
「なんだそりゃ」
「ああ、来年の3月が待ち遠しいなあ・・・想像しただけで興奮してくる」
「それ以上興奮しないでくれ」
ラクシュミにボソッと言われてしまった。
黒目のゆりは部屋にこもっていたが、蛇の目のゆりの方は暇を見つけてはジュノーらとくっついたりしていた。
ハザークの元にゆりは行かなくても子供らがたまに遊びに行っている。
この日もアナスターシャがやってきていた。
「お前また来たのか」
ハザークがアナスターシャの顔を見て言った。
「またって、そんなに来てないですよ」
「そうか？」
「新しく覚えたんですー聞いてくださいね」
といってアナスターシャは勝手に古代叙事詩を歌いだした。最近結構覚えてきたのがうれしくて、アナスターシャは
一人で歌うのも寂しいので、だれかひっ捕まえては歌を聴かせていた。
おかげでアナスターシャの侍女らまで古代叙事詩を思わず口づさんでしまうほどだ。
ちょっと前にここに来て初めて歌った時に、ハザークが「お前はいい声をしてるな」とつい言ったものだから、
それに気を良くしたアナスターシャは歌を覚えると、ここで披露していた。
確かにアナスターシャは綺麗な歌声をしていたし、ハザークとしては別に嫌ではないのだが、子供にあんまりなつかれる
のも妙な気分だ。最近ではゆりと同じで、何か嫌味を言っても全然へこたれない。
この強引さはもう一人の王妃に似たんだな。
ハザークはそう思った。
部屋の中にいた侍女が、アナスターシャの声にあわせて竪琴を奏でだした。
すると結構心地よい音楽になった。
「本当に、随分たくさん覚えられましたねえ」
歌が終わったあと、侍女が感心したように言った。
「そうでしょー？えへへへ」
アナスターシャはうれしそうだ。
「歌を覚えるのはいいが、お前ちゃんと意味わかって歌ってるのか？」
ハザークが聞いた。
「意味はわかってますよ。だけど、内容は良く分からない物も一杯ありますけど」
「それはしょうがないですわ。古代叙事詩とは、恋愛の歌などもたくさん入ってるようですから、姫様に理解するのは
まだ無理ですわ」
侍女が言った。子供らは訳はわかっても、その歌の内容を詳しく理解するという理解力に欠けている。それは人生経験が
乏しいのだから致し方ない。
「『空を行きかう金の蛇と銀の蛇』ってとこの金の蛇ってハザーク様？」
アナスターシャが不意に聞いた。
「我はそんな大昔には生きてないぞ」
「なんだ。てっきりそうかと思った。今度飛んでるところ見せてもらおうと思ったのに」
「蛇のまま空も飛べないぞ」
「乗せてもらおうと思ったのに」
「・・・」
すっかりハザークに慣れたアナスターシャだった。
12日もの間雨が降り続け、13日目の朝は、ようやくカラっと晴れていた。
「梅雨があけたようですね」
と侍女が言った。
「ようやくだーもー長かったー」
今年は特に長く感じた。昼もんもんとしていたせいだ。
あーよかったー乗り切ったー最近王様も相手してくれないからどうしようかと思ったよ。
空の青々とした天気と同じで、ゆりの心もからっとしていた。
正常に戻った所で誰かから気もらっちゃおうかな。
「誰がいいかねー赤ちゃんたち」
ゆりはおなかをなでなでした。
ーとー
ーとーとー
「とーだれか呼ぼうね。今日誰が暇かなあ」
そう思ってるとちょうどミカエルがやってきた。
「安産祈願とやらは終わったんですか？」
「うん。終わったよ」
貼り紙はもうはがされている。
「一体何してたんです？」
ミカエルがゆりに近づいて聞いた。
「いろいろ。赤ちゃんらと遊んだり、一人瞑想したり・・・」
「あやしいなあ・・・」
ミカエルは横目でゆりを見ながら長椅子に座った。
「本当だよ。気ちょうだいね。ミカエル」
ゆりはそう言ってミカエルの横に座ってひっついた。ミカエルはゆりの髪をなでた。
「ねえ、王妃、こっちに帰ってきてから、ハインリヒと何回あっち行ったんです？」
「え？何突然」
「王妃はどの程度彼を気に入ってるんです？」
「どの程度って、普通に気に入ってるよ？特別気に入ってるわけじゃないよ」
「じゃあ私と比べたら？」
ミカエルはしつこく聞いてきた。
「ミカエルのほうがお気に入りに決まってるでしょ？」
「本当に？」
「本当」
ゆりは微笑んで言った。否定したら面倒な事になるというのもあるが、やはり長い年月かかって築かれた信頼関係や
情は、ミカエルのほうが上だ。
ハインリヒって時々危ないし・・・ミカエル以上に手に負えないしなあ・・・
向こうの世界でなら、ホストにしたいくらいだよ。金持ちマダムに車とか買ってもらえそう。
「よかった」
ミカエルはゆりの体を抱きしめた。
「じゃあ向こう連れて行っていいです？」
「だめ」
ゆりはあっさり言った。
「えー？どうしてです？」
「こんな天気いい日にそんな気分になっちゃだめよ。大好きなミカエル」
「・・・」
ミカエルは口を尖らせている。
「なんだか言ってることと態度が逆のような気が・・・」
「そんなことないよ。こうやって引っ付いてるだけですごく楽しい」
「全くもう・・・王妃ってば・・」
ゆりはミカエルの右手を見た。そこに、小さい黒い蛇がいる。
「あれ？蛇ちょっと大きくなった？」
「そのようですよ。成長してるみたいです」
「そうなんだ。どこまで大きくなるんだろうね。わくわく」
「紫の蛇の方が、最近王妃が可愛がってくれないって泣いてますよ？」
「紫の蛇ちゃんも好きよ。」
「じかになでてほしいな」
「変な所もなでる羽目になるからいや」
「変な所って・・・おや、雨ですね」
ミカエルが窓の方に目を向けて言った。
「え？」
ゆりも窓を見た。すると、ぽつぽつと雨が当たっている。
「エー朝あんなに晴れてたのに」
いつの間にか空には黒い雲が出現していた。
「王妃って、雨の方がその気になりやすいんですよね？」
ミカエルがにっと笑って言った。
「え？気のせいよ。そんなの」
「向こういきましょうよ」
ミカエルがゆりの首筋をなでて、ゆりはぞくっとした。
「まだ朝だし」
あ・・・だめだ・・・なんか胸がどきどきしてきた。
「私午後はお仕事なんで、今じゃないとだめなんですよ。行きましょうねー王妃」
ミカエルはゆりごと移動した。
「せっかく我慢してたのにー・・・」
「だめですよ。夜あんまり王を困らせちゃ。」
「え・・・なぜそれを・・・」
「最近ゆりが元気すぎて困るって言ってましたよ」
「うー・・・」
「愛してますよ。王妃」
ミカエルはゆりに口付けてベッドに押し倒した。
もうだめだ。誘惑に勝てないー・・・
くそー来年こそは梅雨にまけるもんかー
結局ゆりは興奮しまくってしまい、ミカエルはおおいに喜んだのだった。
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