あなたを一目見ただけで、私の心は奪われてしまった。
どんな花よりも美しいその微笑。
太陽のように暖かい眼差し。
陶器のように美しい白い肌。
その微笑が私だけのものになるならば、他には何もいらない。
どうか今日こそは色よい返事を聞かせてください。
私の心はもう張り裂けんばかりなのですから。
私の想いを受け入れてください。
赤い月の下、私が見つめるのは永遠にあなただけでありたいのですから。
庭園で花を見つめながら小さな声で歌を歌っていたシャナーンは、ふいに人影に気づいて後ろを向いた。
「王妃」
「シャナーン、歌歌ってたの？」
横に並んだゆりの左目は、蛇の目だった。
「はい・・・」
シャナーンはちょっと照れたように頭をかいた。
「古代叙事詩をちょっと・・・」
「シャナーンもがんばって覚えてるんだってね。今のところラギと並んでるみたいじゃない。暗記」
「はい、面白いんですよ。いろいろ昔の情景とかが浮かんできたりして。今歌ってたのは、恋の歌なんですよ。
赤い月に女性を誘う歌のようです。昔は、一人の女性にもっと情熱を注いでいたんでしょうね。今のようではなく」
「そうなの。古代叙事詩って全部初代の王様が創ったんでしょう？」
「それが、そうでもないようですよ。初代の王の詩もかなりあるようですが、同じ時代のいろんな人の詩が
組み合わさってできたものじゃないかって研究者の人も言ってましたよ。きっと王が詩を集めてまとめたんだと
思います。恋の歌も様々で、一人の女性を詠ってるようには思えないので」
「そうなんだ。いいね。詩でくどかれるって。ただ好きって言われるよりも心に響いてきそう」
「そうですか？」
「ねえ、歌ってみて。恋の歌」
「いいですよ」
シャナーンは歌を歌いだした。男性的太い声ではなく、優しい歌声だった。
シャナーンはゆりを見つめたまま優しい眼差しで歌っていた。
うーん。なんだか、くどかれてるようでどきどき。
歌は古代語なので意味はわからなかったが、妙に心が高まるのを感じながら、ゆりはしばらく歌を聞いていたのだった。
第32話
「だいぶ結界を作るのがうまくなったな」
王の間で、自分の横にいたシスにラクシュミが言った。シスの顔がぱっと輝いた。
「本当ですか？」
「ああ」
ラクシュミにほめられたのがシスは本当にうれしそうだった。
今では、２時間ほどの間なら、シスは２割ほど結界の負担をしても大丈夫になっていた。
たかが２割といっても、ラクシュミにとってはかなりありがたいことだ。わずかな時間でも、力を抑えられる
ので、かなり精神的にも負担が減っている。
今では古代流の特訓方法でシスはかなり力を付けてきている。結界を作る力はアナスターシャにはシスほどはないが
それでも普通の子供に比べればかなりの魔力をもっている。力が強い者がいるということは皆の心の支えにも
なるのだ。
子供らがもっと大きくなれば、もっと楽になるな。ありがたいことだ。
ラクシュミは子供らの成長が楽しみでならなかった。
「あれ？」
シスが王の間の隅に何かが横切ったのを見た。
「ん？」
ささっと白い物が移動している。
「わっ！」
王の間の中にいた番兵がぎょっと足を浮かせた。横にちょこんと白っぼい赤ん坊が座っていたからだ。
「またでてきたんだな。お前たちはよくでるな」
もう一人はぱっとラクシュミの膝に乗ってきた。男の子の方だ。番兵は女の子を抱き上げてラクシュミの側に
連れて行った。
「早く産まれたくてしょうがないのかなあ？」
シスが笑っていい、女の子を腕に抱いた。
ーにーあそあそ、ぼ
「遊ぶのかい？また追いかけっこ？」
シスがちょっと困ったように言った。
ーあそぼあそぼ
男の子も言っている。
「ふふ、産まれてもこの子らは侍女の手に負えそうにないな」
ラクシュミは笑っていた。
「遊ぶのはいいけど、結界の外に出ちゃだめだよ？」
ーあそあそ〜ぼ〜
ーあそぼあそぼ
赤ん坊は二人とも消えてしまった。
「・・・どこ行きました？」
「南西の方だな」
「僕一人の手には負えないよ〜」
シスは泣き言を言うように消えた。
ーとーとー
ーとーとー
「ん？」
突然白い物が二つふっと現れて体の上に乗ってきて、ハザークは驚いた。
「なんだこれ」
「あらまあ・・・」
侍女も驚いて近づいてきた。
「赤ん坊ですわ。王妃様のおなかからでてきたのですねえ」
ーとーあそあそ、ぼ
ーとーとー
「・・・・」
ハザークはからだを起こして二つの塊をダッコした。
「王妃と同じ黒い髪だな」
肌は白っぽいが、頭の上の方は黒かった。全体的にぼんやりしている。体の感触はまるでなかった。
その時部屋の扉がノックされて、侍女が出るとシスがいた。
「赤ん坊みなかったですか？」
「おりますよ」
「あ！見つけた」
シスがハザークがダッコしてる二人を見て言う。
ーきゃはは
そう言って二人は消えた。
「・・・どこ行きました？」
シスはハザークに聞いた。
「北の方だな。」
「やれやれ〜失礼します」
赤ん坊らは草むらにいた大蛇に乗って遊んでいた。
ーきゃははは
ーへび、へーび
ー姉様手伝ってよー僕一人じゃ見つからないよ！
シスはアナスターシャに思念を送った。
ーえー・・・私今お勉強中だしー
ーにーこっちこっち
ーこっちってどこなんだい？
ーこっち
全くわからないよ。
産まれてもいないのだから、赤ん坊たちの気も探れなかった。シスにはまだ二人が移動する方向も探れない。
シスは小さく移動を繰り返しながらあちこち探していた。
「あっ！みっけた！」
ーきゃは！
草むらで見つけたと思ったらまた移動されてしまった。
どこ行ったか全くわからない・・・
こうなったら人海戦術しかない。
シスは城の中にある戦士らの休憩所に行った。
「あ！ミルキダスー助けておくれよー！」
ちょうどそこにいたミルキダスにシスはすがるように言った。
「一体どうしたんですか？」
ミルキダスが驚いて聞いた。
「双子がまた追いかけっこせがんでるんだよ。僕だけじゃ手に負えないよ。助けてー」
「いいですよ」
休憩所にいたほかの3人の戦士らも協力して、結界の中の双子探しが始まった。
ーにーまだ？
ーまだ？
「どこにいるんだい。全く！」
ーほら、ミルキダスとーがいるよ。とーのところ行ってごらん。
ーとー
ーとー
ミルキダスは双子が突然おなかにべたっとついてきたのでびっくりした。
ーとーあそあそ〜ぼ
ーシス様、捕まえましたよ！
ミルキダスはそのまま二人をダッコした。
ーそのまま母様のおなかに帰りなさい
シスが思念を送ると
ーや
ーべー
ミルキダスの腕から赤ん坊は消えた。
「あらら・・・逃げられた・・」
一時間ほど経ってから、アナスターシャから思念が来た。
ー終わった？
ーまだだよ！
ーわかったよ。手伝うよー
赤ん坊たちはそれから2時間ほども逃げ回り、ようやくゆりのおなかに帰って行った。
「あら。どうしたの？二人ともやけに疲れた顔してるわね」
夕食の時間、ゆりはシスとアナスターシャを見て言った。二人とも瞬間移動しまくってぐったりしていた。
ーもしかして、子供が産まれたら毎日こうじゃないよね？
アナスターシャが恐ろしくなって思念で聞いた。
ーさあ・・・
横でラギがぷぷっと笑っていた。
そんなこんなで年が明けて、1の月の5日、この日はアナスターシャとシスの、合同誕生日お祝いの日である。
その日の夕方、ラクシュミも交えての夕食の後に、ラギが「見てて」と言って部屋の隅から隅まで瞬間移動
して見せたのだった。ゆりは何がおこったのか分からずにぽかんとしていた。ラクシュミも同様だったが、
やがて微笑んだ。
「そうか、移動できるようになったのか」
「はい・・・まだ少しですけど・・・」
ラギがちょっと恥ずかしそうに言った。
「えー？今瞬間移動したの？ラギできたの？」
「子蛇もらってちょっと力ついたみたい」
「そうなんだ。よかったねえ」
ゆりは思わず泣いてしまった。
シスとアナスターシャは目を合わせて微笑んだ。
年が明ければ、ゆりにとっては待ちに待った愛する人との逢瀬の日々がまじかである。
最近のラクシュミも優しくて、最初の時ほど落差はないのだが、それでもやっぱり赤い月の間のラクシュミは
全く別人のように違う。
赤ん坊はちょくちょく出てきてみんなを困らせているようだったが、ゆり自身は寝ているので全然困ってない。
ただ、「ラクシュミ父様だけは困らせちゃだめよ」と言い聞かせていた。赤ん坊達はその言いつけを守ってるのか
ラクシュミにはあまり迷惑もかけず、シスやアナスターシャや他のとーのところに出没していた。
みんなとーとー言われるのもまんざらでもないようで、特にミカエルやハインリヒは大喜びの様子だ。
つくづく人見知りしない赤ん坊たちである。
虎の国のアヤコはもうすぐ二人目が生まれそうだった。こっちの双子はいつ産まれるのやら、楽しみな反面、
アナスターシャやシスはびくびくしている。産まれる前からあれだけ元気なのだから産まれたらさらに元気に
なるに違いないからだ。アナスターシャも相当元気だったが、二人はさらに上を行きそうだ。
「上ににーとねーがいてよかったねー」
と思うゆりだった。
「ああ、今年は赤い月は何日からかなあ」
年が明けてから、ゆりの頭はもうそれだけだった。ご飯を食べながらもぼんやりしている。
「今年は3日からだよ」
とラギが言った。
「え？もう月の神官とやらの使者来たの？」
「こなくたってわかるよ」
とラギ。
「なんで？」
「月の満ち欠けを毎年追っていけばわかるよ」
ラギはあっさり言った。
「え？そうなの？あれって神官が予言するわけじゃないの？」
「違うよ。まあ、皆あえて口に出して言ってないだけだよ。神様への貢物だと思ってみんなお金だしてんだよ」
「そうなんだ・・・」
その数日後月の神官の使者がやってきて、ラギが言ったとおり月の始まりは３の月の３日だった。
今年は早いんだねーうきうき〜
その夜、ラクシュミが寝室に行くと、ゆりは灯りをつけたままベッドに布を一杯広げていた。
「何やってるんだ？」
「ねえ王様、どれが一番好きかな。あの時の王様は」
よく見ると、ゆりの寝間着のようだった。紫やら赤やら青やら、いろんな色のがあり、全部すけすけ生地だった。
「どれでもいいじゃないか。どうせすぐ脱ぐんだろ？」
「そうだけど・・・」
「裸で待ってりゃいいじゃないか」
「ええーこういう服で誘惑したい」
「まあ好きにしてくれ」
ラクシュミは服を横によけて寝転んだ。
「もーいけずー」
ゆりも服を横によけて寝転んだ。
ああどうしようかなあ・・・水色がいいかピンクがいいかオレンジがいいか・・・それとも花がついたやつ？
ゆりはそんなことを、毎晩考えている。他人が聞けばなんともくだらない事だったが、ゆりにとっては重要な
事だった。赤い月前のこのどきどきも楽しい。
こうしていよいよ３の月に入り、最初の赤い月の夜、ゆりはピンク色のすけすけ寝間着を着てベッドで
待っていた。やがて真っ黒な部屋に、人の気配がした。
「ゆり・・・」
「王様・・・・」
ああ・・ゆりって言われるだけでうっとりする・・・
「お前泣いてるのか？」
ラクシュミが近づいてきて言った。
「だって、久しぶりだからうれしくて・・・」
「お前は相変わらずだな・・・かわいいぞ・・」
どうしよう・・・うれしすぎて倒れそう・・・
ラクシュミはゆりを抱きしめてベッドに寝転んだ。
「久しぶりだからしばらくはこうしてるか」
「王様・・・愛してる・・・」
「私もお前を愛してる」
期待通りの熱々な夜に、ゆりは失神しそうなほど幸福感を感じて、朝までひっついていたのだった。