今年も夜空にはぽっかりと赤い月が浮かんでいた。その赤い月の下では、男と女のそれぞれの思いと欲望が交錯し、
多くの男女が慈しみあい、もしくは愛を語り合っているのだろう。それはこの世界のどの国でも同様で、この時期
ばかりは人々は争いを避けて、いつもはにぎわう町の酒場でさえ、休業中の看板がかかっていたり、閑散としている
のだった。
「あー助かった、ようやく開いてる店があった」
その夜酒場に入ってきたのは、まだ若そうな男だった。男は頭にかかっていたフードを取り、カウンターの椅子に
座った。頭には二本の少し後ろにそった短い角があった。鼻の上にはそばかすがあり、肩までの茶色い髪と茶色い瞳の持ち主だった。
「いらっしゃい」
酒場の主人が男を見て言った。
「参ったね、この時期夜はどこも閉まってて」
「そりゃそうさ、兄さんも一緒に過ごす女はいないのかい？」
「いやー僕は旅の途中でねえ・・・女性には縁遠くて・・」
「若いのに情けないこったなあ・・・」
違う客が言った。
「兄さんは純血じゃないのかい？」
「違いますよ。いろんな血が混じってます。鹿の一族の血が一番濃いんですけどね」
「そうかい」
「旅が好きでしてねえ、ずっと旅して暮らしてるんですよ」
主人は男が示す酒を一本と杯をテーブルにおいた。店の主人はかなりの老齢だった。赤い月ももう関係
ないから店を開けていたというわけだ。店には他に二人の客がいたが、いずれも結構な年だった。
男はフードの中から竪琴を出して自分の横に置き、酒を飲みだした。
「兄さんが弾きなさるのかい？」
「そうですよ。僕は吟遊詩人なんですよ」
男が酒を飲みつつ言った。
「へえ、優雅な職業だなあ・・・」
「いやあ、聞こえはいいですが、そう優雅なものではないですよ・・・」
「せっかくだ、聞かせてくれないか？酒はただにしてやるから」
主人が言った。
「え？いいんですか？」
「いいとも、どうせ今日は商売って気分じゃないしな。」
「いいですよ。僕は即興で詩を作るんです。どんな詩がいいですか？」
男が竪琴を取って言った。
「そうだなあ・・・」
主人が考えこんでいると、
「そりゃ、王妃様の詩がいいなあ」
と客の一人が言った。
「この国の王妃様ですか？」
「ああ、昨年御子様を二人も産みなさって、お子様達も５人になる。今では王妃様が孕まれても我々もそう驚かなく
なっちまったが、考えるとすごいことだ・・・元気で体が丈夫で、いい王妃様だ」
「噂には聞いていますよ。この国では大変人気のある方のようですね」
「そりゃあ、王妃様を嫌う奴はいないさ。しばらく国も落ち着いているし、何よりも将来が楽しみになったんだか
らなあ。お子様達が大人になるまで生きていたいもんだ」
主人が言った。他の二人もうなずいている。
「いいですよ。王妃様のことをもっと詳しく聞かせてください」
男がいい、主人や客が、この国の王妃様のことを詳しく男に話して聞かせたのだった。
男は竪琴を奏でて詩をのせて行った。
それは優しい王妃と美しい王の恋の歌で、産まれた子供たちの明るい未来を予感させるような、将来の希望に
あふれた、そんな詩であった。
第５部 第１話
昨年の12の月に見事双子を出産したゆりは、赤い月の夜、ただラクシュミに寄り添っていた。もう4月経ったとは
いっても、体はまだまだ本調子ではなく、ラクシュミも変化もせず優しくゆりをなでてキスする程度だった。
ゆりにとってはこの上ない至福の時だった。
「赤ん坊は成長するのが早いな・・・産まれた頃よりもだいぶ重くなった」
ラクシュミが言った。
「そうだね、もう結構重くなったね、成長早いね」
とゆり。
ゆりは出産後、しばらくベッドでの生活を送り、ようやく最近自分で外に出るようになったくらいだった。
体力も結構落ちている。そのため、双子の養育には今のところ全然関与してはいない。
ラクシュミにいたっては全然だ。
まあ、子供の養育は、６人もいる侍女がやるし、他に子供らもいるし、他のトーも一杯いるので手は足りてるの
だが、この双子、とにかく侍女泣かせだった。3の月になるころから、勝手に瞬間移動しまくり、侍女らもそれを
見越して瞬間移動のできる一族の女性を集めたのだが、それでも全然後を追えない。結界の中だけ移動しているの
でまだいいのだが、ちょっと目を離すともういない。じっと見ててもいなくなるわで侍女らは悲鳴の毎日だった。
そんな侍女らの嘆きを聞くたびに、ラクシュミは「そうか」と言いつつにやりと笑っている。
力がある子供の証拠のようなものだからだ。
その頃、布団を蹴飛ばしてぐーぐー眠っていたアナスターシャは、突然おなかの上に何かが乗ってきて
「ぐへ」と王女様らしくない声をだした。
目を開けるとおなかの上にべったり双子が並んで横になって乗っている。
「もーまた来たの？」
「あ。あ。あ。」
「あぶあぶ」
どうも誰かの体の上に乗って寝るのが好きらしく、しょっちゅうアナスターシャやシス、ラギのおなかの
上に乗ってくるのだった。ラクシュミのおなかも好きらしいのだが、ゆりが、「父様はお疲れだからだめよ。
他の人のおなかにしなさいね」と言い聞かせてからは、兄や姉、ハインリヒのおなかに乗っていた。
たまにハザークのところにも行っている。ゆりのおなかはゆりがまだ出産疲れがあるので遠慮してるらしい。
ーねー好き好き
ー好き
言葉はまだ全然しゃべらないが、思念のほうはいろいろ言っている。
双子に好かれるのはアナスターシャとしてもうれしいのだが、最近体重が増えてきて、上に二人乗られると、
かなり重かった。せめて一人にしてほしいのだが、双子は一緒に行動したがるもんなのか、たいてい一緒に
移動していた。
やれやれ・・・
「前みたいにおねしょしちゃだめよー」
これじゃあ寝れないよ、と思ったアナスターシャだったが、案外すぐにぐーと寝てしまった。
朝起きると双子はいなくて、その変わりにおなかの上の寝間着がべったり濡れていたのだった。
アナスターシャとシスは戦士らの訓練場で、ハインリヒに力の指導を受けて、傍らの方でラギが見学していた。
例年ならば赤い月の間はラクシュミが二人を指導するのだが、二人が母様と一緒にいてあげて、と言ったのだった。
ゆりが結構長くベッドにいたので、二人ともゆりを気遣ったのだ。
「ハインリヒは女の人と過ごさないの？」
アナスターシャが準備運動しながら聞いた。
「今回は夜だけ女性と過ごしてますよ。まあ昼は別に」
「そうなんだ」
「ハインリヒもてるから女性選ぶの大変だったんじゃない？」
とシスが聞いた。
「ふふふ」
ハインリヒは笑っただけだった。ハインリヒには新たな目標ができていた。
それは、自分の子供を作ってゆりの子供とひっつけようというものだった。このままだと将来ミカエルの
子供らがゆりの子供らとひっつくのでは、と思うと、ちょっとしゃくにさわったのだ。
自分の子供も参戦させたいと思いだしたのだ。
アナスターシャとシスの二人はハインリヒと力で攻撃しあったりして、ラギはそれを見学していた。
練習のおかげで瞬間移動の距離がちょっと長くなったラギだったが、力で攻撃したりといったことはできない。
二人とも結構力あがったねえ、すごいなあ・・・
ラギは成長した姉と兄を、微笑ましく思いつつ見つめていた。
力がある上の二人に嫉妬する、ということはラギはあんまりなかった。力がなくてもそう城の中で肩身の狭い思いを
していないせいもあるだろう。ラクシュミも、お前は賢いからいろいろ勉強をがんばれと言っているし、世の中の
事に興味も尽きない。将来は他の国にもいろいろ行ってみたいという夢もある。それは他の力がある兄弟
にはできない事だろう。
その時、ひざの上に二つの塊が乗ってきてぎょっとした。良く見ると双子だ。
「こら、だめじゃないか。結界の外にきたら」
ラギがびっくりして言った。
「あぶぶ」
「きゃは・・・」
二人ともご機嫌で笑っている。
それに気づいた３人がラギに近づいた。
「城に戻って侍女らに行ってきてくれる？戻してもまた出てきちゃうだろうし・・・」
ラギが二人の顔を見て言った。
「僕行ってくるよ」
シスが移動した。
「結構城から距離あるのに、移動しちゃったんですね。」
ハインリヒが女の子のナナミを抱いて、アナスターシャが男の子のロイをだっこした。ナナミのほうは女の子
らしい優しい顔つきになってきている。
ーたかいたかい・・・トー
「ん？たかいたかーい」
ハインリヒが赤ん坊をかかげた。ナナミはぷっと頬を膨らませた。
「ん？どうしたのかな？」
なんだか不機嫌そうだ。
「違うんだよね。ナナミ、高い高いが」
ラギが笑って言った。
「どう違うんですか？」
「ハザーク様が変な遊び教えちゃってさあ」
「高いたかーい」
アナスターシャは言いながら赤ん坊をぴゅんと上にあげた。天井近いところでロイはぐるぐる回されて、
ひゅんと落ちてきてアナスターシャの腕におさまった。
「・・・」
ハインリヒの顔が引きつった。
「これが高い高い」
「きゃは、きゃはきゃは」
ロイはかなりご機嫌になっている。
「いやー王女様と王子様にそこまではできないですよ・・・」
「貸して」
アナスターシャは赤ん坊を交換してまたびゅんと上にあげてぐるぐる回した。落ちてきたナナミはご機嫌に
なっている。
「かなり激しい遊びですねえ・・・」
「いやー、ハザーク様のところでいろいろ覚えちゃってさあ・・・」
「元々ラギがハザーク様に双子預けるからじゃない」
「いいじゃない。ハザーク様喜んでるし」
ーパパ、パパ
ーへびパパ
「へびパパ！？」
ハインリヒがぎょっとした。
「パパのところに行ってしばらく遊んでおいで」
ラギが微笑んで言った。
ーパパ
ーパパ〜
二人は消えてしまった。
「いいんですか？ハザーク様を子守りに利用して・・・」
一族皆に尊敬されているハザークに子守りをさせるなんて、ハインリヒにとっては、考えられない世界だった。
「いいんだよ。だって本当に喜んでるし、ハザーク様」
ラギは全然気にしてない。
「それにハザーク様に遊んでもらうと二人ともぐっすり寝るんだよね」
「・・・」
「ラギが一番人使うのうまいよねー」
とアナスターシャが言った。
性格的にはラギ様が一番怖いな、と思ったハインリヒだった。
それにしても・・・ハザーク様って長い時を生きてる内に性格丸くなったな・・・
ハインリヒは過去の世界でもハザークに会ったことがあるが、この時代のハザークとはかなり印象が違っていた
ような気がしていた。どこか冷めた印象があり、あまり他人のことに興味を示すようでもなく、何か聞けば答えて
下さる程度で、やはり話しかけるだけで恐れ多いような所があったのだが、この時代のハザークは見かけは同じでも
たまに子供らと一緒に行っても面倒くさがりながらもちゃんと子供らの相手もしているし（子供らが何を言われても
めげずに居座ってるせいもあるのだが・・・）何より赤ん坊が来ても文句を言わずに相手をしているのがすごい。
ハザーク様が子守してる所みたいなあ・・・
それにしてもへびパパって・・・
思わずおかしくなったハインリヒだった。
その頃双子はちゃんとハザークの元に移動していた。その時ハザークは蛇のままベッドで丸くなっていたのだが、
ーパパ
ーパパあそあそ
双子はべたりとハザークの体の上にひっついた。ハザークは人の姿に変わった。
「遊びたいのか？」
「あう・・・」
「あー・・・あー・・」
「そうか」
ハザークは力で双子を宙に浮かばせてぐるぐる回したり逆さにしたりしてやった。瞬間移動はできるが、まだ宙に
浮いたりはできないようだ。
「きゃは」
「きゃはは」
二人とも大喜びだ。ハザークは優しげな眼差しで双子を見上げていた。
自分が力をやったせいもあり、上の３人よりは格段にこの２人の方がかわいいと感じていた。
懐かれて悪い気はしてない。
しかしなんで我の事をパパと呼ぶんだろう・・・王のことはトーなのに・・・
実はパパと呼ばせたのはラギだったのだがハザークはそんなことは知らない。
「きゃははは」
「あいあい〜」
しばらく部屋の中に赤ん坊の笑い声が響いていたが。その内静かになった。
侍女がそろりと寝室をのぞいてみると、蛇になったハザークの丸まった胴体部分に、双子はあおむけになって
眠っていた。
あらまあ・・・
微笑ましい光景に思わず笑みがこぼれた侍女だった。
夕方、双子はゆりとラクシュミの元にいた。
「今日は何したの？どうせ部屋でじっとしてなかったんでしょ」
ゆりがナナミをだっこしたまま聞いた。ロイのほうはラクシュミがだっこしている。
ーパパ、あそあそ
「パパに遊んでもらったの？なんでハザーク様のことパパって言ってるのかな？」
ゆりが不思議に思ってラクシュミに聞いた。他の人はとーなのに、ハザークだけはなぜかパパだ。
「さあ、ハザークが言わせたんじゃないのか？」
「え！？」
ハザーク様が？！パパだよ〜とか言って！？
その場面を想像して、思わずぷっと笑ってしまった。
ーへびパパ
「へびパパ？へびパパって呼んでるの？」
ラクシュミは横でくっくと笑っていた。
「へびパパはよかったなあ。ははは」
「はははって・・・いいのかなあ・・・」
「お前たちは遊んでくれる者が一杯いていいな」
その時、何か異臭が漂ってきた。赤ちゃんがやっちゃったようだ。
「おむつ替えてあげなきゃ」
「私が連れて行こう。お前は座ってろ」
ラクシュミは二人を連れて移動した。
ハザーク様、迷惑じゃないのかなあ・・・それにしてもへびパパって・・・せめてハザークパパって呼ばせないと
・・・・
赤ん坊を置いて戻ってきたラクシュミは、再びゆりの横に座ってゆりはまたラクシュミにひっついた。
子供らと周りのおかげで、ゆりにとっては結構な出産のご褒美になった10日間だった。
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