第35話
その夜、ヴィクターの屋敷にはナザニエルがたずねて一緒に酒を飲んでいた。
「オルバは元気か？じいじ」
「・・・・」
ナザニエルには３歳ほどになる孫がいる。娘がフリットの子供を産んだのだ。孫にじいじと呼ばれて目尻を下げている
ナザニエルだったが、さすがにヴィクターには言われたくない。
「お前もすぐにじいじと呼ばれるようになるんだぞ」
「今はまだお父さんだからな」
ヴィクターはにやにやして言った。ヴィクターは子供が生まれたばかり。まだ心も身体も若いつもりだ。
その時扉がノックされて、シャナーンが顔を出した。
「こんばんは。将軍」
「おお、シャナーン、たまには一緒に飲まないか？」
ナザニエルが微笑んで言う。
「はあ、では少しだけ」
そう言ってシャナーンは席についた。
「うーん。しかしシャナーンはいい男になったなあ」
ナザニエルがまじまじとシャナーンを眺めて言った。
「私の若い頃に良く似てるだろう」
とヴィクター。
「いや、あんまり・・・」
「そうか？瓜二つだと思うが」
「最近のシャナーンを見てるとたまにミハエルを思い出す」
ナザニエルが酒を飲みながら言った。
「ミハエル？ああ、ミカエル様のお父様ですか」
「ミハエルもどっちかというと美しい男だったからなあ・・・今のシャナーンのような髪型だったし。
性格は全然違うが。もちろん」
ミハエルはラクシュミが王位に就いた時の敵との大きな戦で命を落としてしまい、シャナーンは顔を見たことは
なかった。ただ噂を聞いただけだ。かなり強い男で、ヴィクターといろいろ張り合っていたそうだ。
「そういえば・・・お前あの時坊主にしてたっけな」
ナザニエルがぷっと笑って言った。
「坊主？」
シャナーンが聞くとヴィクターが苦い表情をした。
「そんな過去の事をいつまでも覚えてるな！」
「ふふふ、若い頃、ヴィクターとミハエルが王妃のお気に入りの座をかけて争っていた事があってなあ。負けた
ヴィクターが坊主にしたんだぞ。あれはおかしかったな」
「・・・」
シャナーンは思わずヴィクターの頭を見て坊主頭を想像してしまった。
「それでも王妃には受けたぞ。「まあ可愛い頭」といってなでてもらったし。私は髪が無くてもいい男だったからな」
ヴィクターは負け惜しみのように言っていた。
「当時はもっと暗い感じだったのかと思いましたが・・・」
とシャナーン。
王の子供が中々生まれずに国中がかなり逼迫した状況だったのではないかとシャナーンは推測していた。
「ばかだな。国中が暗くなってるときにこそ、若い私らが和やかにしようとがんばってたんじゃないか。いわば
坊主にしたのはわざとだ」
「それは違うだろ」
とナザニエルが突っ込んだ。
「ミハエルにはいろいろしてやられたからなあ。負けたまま死なれたのが悔しい。お前には是非ミカエルをこてんぱんに
してもらいたいもんだが」
「はあ・・・」
将来はミカエル以上になるんだぞ、と子供の頃幾度となく言われてきた言葉だったが、ヴィクターの個人的な感情も
かなり入っていたようだ。
「シャナーンには欲があまりないからなあ。それがよいところではあるが」
ナザニエルが言った。
「そんなことはないですよ」
「そうかな。もっと押しが強くないとミカエルには勝てないぞ」
「押し・・・・ですか・・・」
「そうだぞ、もっと王妃を押し倒す気でいかないと・・・」
ヴィクターの言葉に「馬鹿なこといわないでくださいよ」とシャナーンが言った。
「時に儀式では本当に交わらないのか？」
ナザニエルが真面目な顔で聞いてきた。
「誰に聞いても交わってないの一点張りだ。」
「交わってないですよ」
「私らの時は蛇呼ぶのも大変だったけどなあ。なにせ王妃がかわいそうでかわいそうで・・・」
ヴィクターが当時の事を思い出してはあとため息をついた。
「女蛇が降りてくるまでがなあ・・・王妃もかなり緊張していたし、中々その気になれないでかわいそうだったな。
ほんと・・・」
先代の王妃の時儀式は二度行われた。蛇霊神をいれる儀式とザクート王を呼び出す儀式だ。
普段中々その気になれない上に、儀式という事でさらに王妃も緊張して、その気になりやすい香などをたいていた
ものの、中々その気にはなれなかった。王妃の周りにいた男達も、そんな王妃がかわいそうでならなかったのだ。
「交わらないでどうやって儀式をしてるのか気になる・・・お前が参加したら教えてもらおうと思ったのに」
「絶対教えませんよ」
シャナーンが眉をひそめて言った。
シャナーンは機嫌が良さそうな二人を置いて部屋を出て行った。
普段は明るいヴィクターだったが、シャナーンが小さい頃は、よく陰鬱な表情で一人酒を飲んでいたものだった。
時々目に涙を浮かべて、ぶつぶつと亡くなった仲間の名前をつぶやいていた。
誰か相手がいる時はそうではないのだが、一人で酒を飲んでいると、どうしても亡くなった仲間の事を思い出してしまう
ようだ。ラクシュミが王座についた時の大戦の時、シャナーンはまだ産まれてはいなかったが、その20年後にもそれより
も小さい戦いが起こり、その時にも10人以上の戦士がなくなった。
外では明るく振舞っているヴィクターも、家にいるときは、時々がらりと表情を変えて暗くなり、シャナーンでさえ
近づきがたい時さえあった。
父が感じていたのは恐怖だったのではないか、とシャナーンは大人になって感じていた。
それは死に対する恐怖だ。
もし自分までもが亡くなってしまったら・・・
大戦が終わり、ヴィクターらの4人が将軍になった時に、4人は強い戦士が育つまで絶対に生き残ろうと誓い合ったと
言う。王を残して死ぬわけにはいかないと。いくらラクシュミがいても強い戦士がいなくなれば、国の存続は難しくなる。
しかし嫌でも戦は起きる。
ラクシュミが８５歳になった時の戦いの後、ヴィクターは上機嫌で屋敷に帰ってきた。その時の戦いでは、
戦士はあまり死ななかった。不思議な二人が加勢してくれたとシャナーンはすでに聞いていた。その時シャナーンは
30歳だった。
「王がご結婚なさる事になったんだぞ」
ヴィクターはシャナーンを見て言った。
「結婚。どなたとですか？」
「違う世界からいらした女の子だ。まだ子供だが、すぐ結婚してしまうらしい」
「そうなんですか」
「ああ、この先目出たい事がありそうだぞ。いろいろと」
ヴィクターは楽しそうに言った。
それから、ヴィクターはいろいろ王妃様のことをシャナーンに話して聞かせるようになったのだった。
シャナーンも、異界から来た女性とはどういう方なのだろうと、興味津々だった。
そしてまもなく、今まで以上の上機嫌で帰ってきたヴィクターは、シャナーンに酒の相手をしろと言って上等な酒を
数本あけたのだった。
「すごくうれしそうですね。何があったんですか？」
「王妃が身篭られたんだぞ」
「え？本当ですか？」
あんまり早かったのでシャナーンもびっくりした。
「ああ。あの方は、この国を救うためにやってきた女神様かもしれないなあ・・・」
ヴィクターはうれしさのあまり泣いていた。
どんな方なのだろう・・・お会いしたいな・・・きっととても素敵な方なのだろうな・・・
思いもかけず王妃様との出会いが訪れたのは、シャナーンが40歳になった時だった。ゆりが学校を訪問してきて、
それで出会ったのだ。その時ゆりはシスをおなかに宿していた。
ああ、なんてかわいらしい方なんだろう・・・
大人になって早く役に立つようになりたい。
本物のゆりに出会ったことで、シャナーンのゆりに対する憧れはますます増していた。その思いは大人になってからも
あせることはなく、儀式に参加した後も同様だった。だが、そのせいでゆりに欲望を感じるようになってしまった
ともいえる。
ああ。あの時儀式に参加しない方がよかったのだろうか。王妃は嫌がっていたのに・・・あの時はどうしても
王妃に近づきたくてしょうがなかった。だが、自分が抑えられなくなるのなら、参加しない方がよかったのかも
しれない。
王妃が望まない男にはなりたくないな。
この際、王妃に私のことどう思っているのか聞いてみようか・・・恋人にはしたくなさそうなら、そういう風に
接しなければ・・・
そう思って眠りについたものの、やはりなかなか寝付くことはできなかった。
すすむ