その日、それを見かけたのは全くの偶然だった。
ある森の中の開けた場所で、一人の女神が切り株に座り、歌を歌っていた。その美しい歌声に森の動物達は集まって
きていたし、少し遠巻きに妖精達もいた。歌もさるものながら、女神の美しい容姿に皆うっとりしている。
そして、彼もいた。
彼がいたのは妖精達よりも離れた場所だった。歌がかすかに聴き取れるほどの距離で、彼は木の枝に腰を下ろして
歌を聴いていたのだった。女神に自分の存在を知られたくなかったからだ。
用もない時はいつもこんな距離だった。その女神と親しげに会話をする関係ではなかったし、話しかけてどうこうしよう
とも思っていなかった。
時折その女神の姿を遠くから眺めたり、こうして歌を聴いたりするのが、楽しみといえば、彼のひそやかな楽しみだっ
た。最も、そう思っているのは彼だけではなかっただろう。その女神に憧れている男神は大勢いたし、神にも
上下関係というものがあった。下位に位置する神達にとっては、上位に位置するその女神は、高嶺の花であった。
彼もまた、かろうじて神と呼べる存在に過ぎなかったのだ。
その日は歌は途中で中断されてしまった。
彼が目を開けて高い所に移動してみると、女神がいる辺りが金色のオーラで覆われているのが見えた。
彼にはすぐ状況が理解できた。その金色のオーラは彼の主が作り出したものだった。
彼の主アシュランが地上に降りてきたのだ。
一人でいた女神をたまたま見つけてやってきたに違いない。
彼はどうしたものかと思案した。アリアスやハロルドならばそのオーラに入る事もできただろうが、彼にはそんな
力もなかった。しかも、主の機嫌を損ねることはできなかった。
二人が話をしているだけならよいのだが、もしも女神がアシュランの子供を産むようなことにでもなれば、ヒルデリアの
凄まじい怒りを受けることになってしまう。
そうなればしばらく女神の姿が見れなくなってしまうかもしれない。
悩んでいる暇はなかった。
彼が取った行動はー
金色のオーラの中には二人の神がいた。
「離れてってばアシュラン！」
「そういうなガーベラ。私はお前を初めて見た時から、ずっとお前に恋焦がれていた」
アシュランはじりじりとガーベラに迫りながら言った。
「皆に言ってるじゃないよ」
「そんなことはない。お前と私の子供ならさぞかし美しい子供が・・・」
「冗談じゃないわよ！」
ガーベラは光のオーラの中を逃げ惑っていた。
「想いを遂げさせておくれ。ガーベラ！」
アシュランがガーベラの腕を捕らえて抱き寄せる。
「嫌！」
その時だった。
「何をしているのです！アシュラン！」
二人の目の前に現れたのはアシュランの妻ヒルデリアだった。
「げ！」
ガーベラはあわててアシュランから離れた。
「違うのよ。これは・・・その・・・」
「ガーベラと歌を歌っていただけだ。そうだな。ガーベラ」
「そうよ。仲良く歌を歌っていたのよ！他には何にもしてないから！」
二人は取り繕うように言ったが、それで納得するわけもなく、ヒルデリアは腰に両手をあてて二人を睨んでいた。
「まさか私がガーベラに何かするわけもないじゃないか。こんな所で」
アシュランが引きつった笑みを浮かべて言った。
「・・・ガーベラは見かけだけではなく歌声でも男を魅了するから困ったもの。いっそ声をなくしてしまいましょう」
「え」
ヒルデリアが片手をふっとあげた。ガーベラは口を開いたものの、口からはうめき声すら出なかった。
「ヒルデリア、それはあんまりではないか」
とアシュラン。
「あんまり？口がきけなくともガーベラの仕事に支障はないでしょう。歌を歌う女神ではないのだから。あなたも少し
頭を冷やしてください。ガーベラの恋人達から反感を買ってもよいのですか？」
「う・・・」
「上位の女神には手を出さないようにと、他の男神達と約束していたではありませんか。戻りましょう。」
「分かった。先に行っていてくれ、すぐに行く」
ヒルデリアは二人の前から消えた。
「すまなかった。ガーベラ。その内に元に戻るようにするからな。堪えてくれ」
アシュランは申し訳なさそうにガーベラに言って消えた。
こうしてガーベラはアシュランに何もされずにすんだものの、美しい声を失ってしまったのだった。
ガーベラはしょんぼりした顔で自分ののどをなでていた。
その様子を、少し離れた所から彼が見つめていた。
第46話
その日、またまたガーベラになったゆりは小川のせせらぎを眺めながら川にそって軽快にスキップしていた。川には
魚が泳ぎ、川辺にカモのような水鳥がいるのが見える。そんなに深い川ではなさそうだ。
「魚釣りとかしたら楽しいだろうなあ。この川ってどこまで続いてるんだろう？」
川の先の方を見ると森に通じている。
「あっちに行ってみようっと」
今日は一人で散歩気分だったので、ゆりは一人ぶらぶら歩いて行った。結界も気にせずにあちこち歩きまわれるというの
は楽しいものだ。
「ガーベラ〜」
その時子供の声が聞こえてきてゆりは周りを見た。だが誰もいない。
「こっちだよ」
上を見ると少年が飛んでいた。頭に白い小さな翼が二つついたわっかをはめている。少年はゆりの側まで降りてきた。
「今日も綺麗だね」
少年が微笑んで言った。
「ありがとう。」
かわいい男の子ね。誰だろう。この子も神かな？
そう思っていると、少年はニコニコ微笑んで言った。
「ガーベラに贈り物があるんだ。受け取ってくれる？」
「まあ何かしら」
「これ」
少年が手に持っていた皮袋をゆりに見せた。15センチほどの袋だ。
「何？」
ゆりは皮袋を受け取って中を開けてみた。すると、中から無数の緑のカエルがぴょんぴょん飛び出してきたのだった。
その一匹はゆりの額にぺたっと引っ付いた。
「ぎええええええええ！」
ゆりは初めて神の国で女神に不似合いな悲鳴をあげたのだった。
「あはは、あはははは！」
少年は腹を抱えて笑い出し、空に飛んで行った。もちろん、少年の名前はパティウス。いたずら好きの神だ。
「ぎえええ！ぎゃあああああ！」
ゆりはぎゃあぎゃあ言いながら両手を振っている。カエルはあたりをぴょんぴょん飛んでいた。
「パティウス！」
「げ、やべ！」
パティウスは空を飛んできたグレンの姿を見つけてさっささと逃げて行った。グレンはパティウスを追って行こうかと
思ったのだが、地上ではガーベラ姿のゆりが悲鳴をあげていたので地上に降りた。
「大丈夫ですか？ガーベラ様」
「取って、取って取って！」
見ると豊満な胸の谷間に一匹のカエルが挟まっていた。
「え・・・私がですか？」
グレンが思わず聞いた。
「取って！お願いだから！」
ゆりはもう涙目になっている。蛇を平気で首に巻けるゆりも、カエルは今まで触ったことがない。
グレンは戸惑いつつもなるべく肌に触れないように胸の間に指を差し入れた。
「う、動かないでください。ガーベラ様」
「気持ち悪いー！！！！」
肌に触れないようにと気をつけていたグレンだったが、ゆりが動くものだから嫌でも胸に触れてしまう。
ようやくカエルが出されてゆりは息を吐いた。
「もう、なんなのあの子！」
ゆりは胸元をなでた。
「すいませんね。いたずらがすごくて手に負えないんです」
「あなたの子供？」
ゆりはグレンが謝ったのでてっきりそうかと思った。
「違いますよ。何言ってるんです。パティウスはアシュラン様の・・・」
そこでグレンははっとゆりを見つめた。
「私カエル大っ嫌い」
「・・・・」
グレンがやけに真面目な目で見ていたのでゆりは首をかしげた。
「何？」
「いえ・・・別に・・・」
グレンは目をそらした。
「水浴がしたい。肌洗いたい」
「連れて行ってあげますよ」
グレンが言って手を伸ばした。ゆりがその手を握り締めると急に身体が浮いたので、ゆりはあわててグレンに抱きついた
。驚いたのはグレンだ。
「な、何するんです！」
「何って、落ちるじゃない！」
「落ちないですよ。手だけ握ってればいいです！」
「怖い！」
「怖くないですよ」
「だっこして」
「はあ・・・」
グレンは仕方なくゆりをだっこして飛んで行った。すると、ゆりは髪の間から自分の肩に何かがのそっと出てきたのが
見えた。それは一匹のカエルだった。髪の間にいたらしい。
「ぎゃあああああ！」
ゆりはグレンに力の限り抱きついて悲鳴をあげた。
「ガ、ガーベラ様・・・」
「取って取って取ってー！！！！」
グレンはこれ以上飛んでられなかったので地上に降りて肩をはらってカエルを落とした。
「もう大丈夫ですよ」
「やだあ。髪の間にまだいるかも。怖いー怖いー！」
ゆりはグレンに抱きついたままだ。
「見てあげますからちょっと降りてください」
「うん」
グレンが黄金の髪を持ち上げて調べた。ゆりは思わず髪に大量のカエルが貼り付いているところを想像して、
背筋がぞっと寒くなった。
「いないようですよ」
「本当？」
「何してるんだ？」
その時別の男の声がしてゆりは顔をあげた。見ると虹の神ラーズが宙に浮いていた。
「ラーズ、カエルが私を襲うの！」
「へ？」
「パティウスにいたずらされたんです」
グレンがラーズに説明した。
「あらら、そりゃ災難だったな」
「ちょうどよかった。ラーズ様に水浴場まで連れて行ってもらってください」
「うん。ありがとう」
ゆりはラーズにダッコしてもらい、飛んでいった。
どうも変だな。あのガーベラ様は・・・パティウスのことは知らなかったし私に抱きついてきたりと・・・
この前も私のサンダルを貸してくれなどと変だったし・・・
グレンは少し首をかしげたのだった。
水浴ができる泉へと連れて行ってもらったゆりは、急いでサンダルと服を脱いで水の中に入って行った。
「あーもう気持ち悪かったー！！！」
「あ、カエル」
ラーズに言われてゆりはぎゃあと飛びのいた。
「はははは、嘘だ」
近くに来たラーズは笑っている。ゆりはむっとした顔で手で水をかけた。
「あっち行ってラーズ」
「いいじゃないか別に。他の女神もいないしな」
ラーズは飛んでいく気配もなく、近くに浮いている。
「もーじゃあ虹作って」
「ほらよっ」
ラーズが軽く右手をあげると、泉の端から端まで大きな虹の橋がかかった。
「綺麗」
ナナミにも見せてあげたい・・・
それにしてもあのクソガキ。今度会ったら覚えてろ。
しばらくカエルは見たくないと思ったゆりだった。
それからしばらくしてゆりは帰っていき、ガーベラ自身が雲の上の神殿にやってきていた。西の空は赤く染まっている。
もうすぐ陽が暮れる。
どこかからぎゃあぎゃあと悲鳴が聞こえてきた。ガーベラは神殿の横に回ってみた。すると縄にくくられて雲から
吊るされているパティウスがいた。
「おーや、今度は何をしたの？パティウス」
ガーベラはにまにましながらそれを見下ろした。
「綺麗なガーベラ助けてよう」
「いやよ。どーせしょうもないことでもしたんでしょ？」
そこにグレンが飛んでくるのが見えた。
「ねえ、この子今度は何したの？」
ガーベラはグレンに聞いた。
「ヒルデリア様の寝室に無数のカエルをぶちまいたんです」
「おやおや・・・怖い物知らずね。相変わらず・・・」
「ガーベラ様はもう怒ってないんですか？」
グレンがガーベラを見つめて聞いた。
「何を？」
「・・・パティウスにいたずらされたじゃないですか。」
「ああ、まあこのお仕置きで勘弁してあげるわ。もう行かなきゃ。演奏会が始まっちゃう」
ガーベラはそう言って去って行った。
今日は夕方から女神達が集まって楽器の演奏会があるのだ。
・・・まるで知らないようなそぶりだな・・・おかしな事だ。
ますますガーベラに対するグレンの疑問は深まったのだった。
夕食後、部屋でまったりしていたゆりの元にロイがやってきた。
「まーこれあげる」
ロイは両手で何かを隠してもっていた。
「何かな？」
ゆりがしゃがんでその手を見ると、ロイはにっこり笑って手を開いた。そこには一匹の結構でかい緑のカエルがいて、
ゆりはそのまま失神して横にごろんと横になってしまった。
「まー？どしたの？まー？」
ロイは首をかしげてゆりをつついた。
カエルは部屋の中をぴょんぴょん飛んで行き、捕まえられるまでしばらくゲロゲロ鳴いていたのだった。
すすむ