真夜中、暗く静まり返った寝室で、大きなベッドの上でぴょんぴょん飛び跳ねている物体があった。それは白くぼんやりしていて、顔に手足まで

ある。そう、人間の赤ん坊なのだ。正解には生まれて来る前の人間の赤ん坊だ。


ーとーとー


赤ん坊はラクシュミの身体の上でぴょんぴょんはねていた。ラクシュミの横ではゆりはすっかり寝入っている。


ーきゃっきゃっ


おぼろげながら顔の表情もわかる。前回よりも姿もはっきりしていた。性別も分かる。やはり女の子のようだった。

赤ん坊からは濃い力を感じた。側にいると安心するような力だ。


やはりハザークの血が入ってるな、とラクシュミは感じていた。ゆりのおなかの中にいる時は分からないが、別になるとよくわかる。

なら自分の子じゃないのか？というとそれはどうもよくわからない。自分の子ではないとは思えない。それは自分の願望がそう思わせているのか

どうかラクシュミ自身にも謎だった。この赤ん坊からは自分の力の質も感じるような気がする。

赤ん坊の髪は銀色っぽいものがちょこんとついていた。銀髪がラクシュミ譲りのようにも思うが、考えてみればハザークの父ザクート王譲りという

可能性もある。


赤ん坊はラクシュミの身体の上でごろごろ横になっていた。赤ん坊はラクシュミのことを完全に父親だと認識しているようだ。

ちらりと見えた右足の裏には、やはり金色の模様のようなものが見えた。



私＋ハザーク＋ゆりがこの子なのだろうか？ゆりがいくら器用だといってもなあ・・・・



ハザークの子供はあの侍女達だけだった。父親は人間とはいっても、人間の女との間に子はできにくかったのか、人間の女がハザークの子供を

産んだことはないらしい。ゆりが赤い月にはラクシュミ以外とは交わっていないといっても、その前後にハザークとそうなっていれば、そういう

可能性もあるのだろうか。



ハザークだけの子供ならできなかったがその時なんらかの作用が起こって私の血と混じりこうなったのだろうか？

うーん。謎だ



頭をひねっても良く分からない。だが今までゆりがしてきた事を思えば、これくらいありそうにも思えてくる。

随分不思議な事に慣れてしまったことに苦笑するラクシュミだった。


まあいいか、どうでも


最初は驚きうろたえたラクシュミだったが、今は冷静そのものだった。

他の一族の王には理解できないことだろうが、この子供がたとえハザークだけの子供だとしても、ラクシュミには愛することができる。

それほど強い子供が生まれることを望んでいたし、この子供は自分の助けにもなる存在だからだ。

ゆりへの愛情もちゃんと感じている。ハザークとの仲を認めたのも自分なのだ。今更どうこう思いもしない。ただ赤い月の自分がどう思うかは

不明だが。



ハザークはいつになったら気づくだろうな



ラクシュミは自分から言うつもりはないようだった。


ーとーすきすき


ー私もお前が好きだぞ


そう返すと赤ん坊はにこーっと微笑んだ。



そうなるとザクート王の血はどの程度入っているんだろうな？



つい考えてしまったラクシュミだった。



第56話

現実世界では赤ん坊が出ていることも知らず、ゆりは神の国にやってきていた。今日は久々に温泉に入ろう。そう思いサラディンの元に

飛んだゆりだったが、なんと浴室にはお湯がまったくなかった。美しすぎるピンク色の花びらのような唇は大きく開かれている。妖精の顔を見たゆりは

あわてて口を閉じた。女神がこんな大口を開けてはいけない。

「すいません。お湯入れる所だったんです」

火の妖精に申し訳なさそうに言われてしまった。

「いいのよ。ふふふ」

ゆりは内心がっかりしながらもとぼとぼと廊下を歩いていき、神殿の外に出て行こうとした。

「あの、ガーベラ様、サラディン様にはお会いにならないのですか？」

妖精に聞かれてゆりははっとした。


そうだ、ここってサラディンの神殿だっけ。つい忘れてた。


ゆりは回れ右してサラディンの元に向かった。サラディンは温泉の番頭ではなく、ありがたい火の神様だ。ここまで来て挨拶せずに帰るのは

人の道に外れている。ガーベラらしく挨拶して行こう。ゆりはそう思った。



廊下に赤い蛇がいたのでゆりしゃがんでなでなでした。すると蛇はぽっと火を吐いた。


こんな蛇が城にいたら火事になっちゃうだろうなあ・・・・


そんな事を思いつつ、サラディンがいつもいる広間に行き、ゆりはぎょぎょっと入り口で足を止めたのだった。宙に10匹ほどの蝶が

ひらひら飛んでいた。

赤い炎のような蝶だ。

「うわー綺麗・・・」

ゆりは広間に入って思わず手を伸ばし、「ガーベラ、触るな」とのサラディンの声で手を引っ込めた。

「何してるの？」

ゆりは椅子に座っているサラディンに聞いた。その横にはルティアナが立っていた。

「いわゆる力の調節の修行だ」

「へーこの蝶ルティアナがしてるの？」

「ああ」

この蝶はやはり火が形作ったものらしい。触れば大やけどするだろう。


なんて綺麗なんだろう・・・・


幻想的な光景にゆりはしばしみとれた。元々火というものは美しいものだ。火に魅せられた者が時々バカな行為に走る事もあるが、

扱いに気をつけさえすれば火は人間に様々な恩恵を与えてくれる。


蝶はひらひらと飛んで行き、どれも部屋の中央にあるつぼの中に入っていった。

「ふー疲れた」

蝶が全部消えて、ルティアナが声をあげた。

「すごーい。綺麗だった」

ゆりは手をぱちぱちたたきながら２人に近寄った。

「お母さんどうしたの？」

ルティアナが火のような赤い瞳を向けて聞いた。ルティアナは最初見た時からさっぱり変わってはいない。目の大きなかわいい女の子だ。

「２人に会いに来たのよ」

ゆりはにっこり笑って言った。嘘も方便、ではないが、この状況でお風呂に入りにきたのよ、とも言いたくない。

「ルティアナ修行がんばってね。邪魔しちゃ悪いから行こうかな」

「もう行くの？」

「うん、またお風呂に入って歌歌おうね」

「はい！」

ルティアナは元気に気持ちの良い返事をしてくれた。するとサラディンはゆりをじろりと睨んだ。サラディンの目つきの鋭さはハロルドとはれるかも

しれない。いや、ゆりがガーベラに入ってるのがばれた時のハロルドの瞳の鋭さといったらこれの比ではなかった。やはりハロルドの方が上だろう。

「あんまり変な歌ばっかり歌わないでくれ」

サラディンが言った。

「えー今度三人でお風呂で輪唱しようよ」

とゆり。別にサラディンをばかにしているわけではない。お風呂で親子三人で輪唱というのもほほえましいと思ってのことだ。

現実世界では子供達は誰も付き合ってはくれない。サラディンは外見は怖そうだが優しい所があるのでもしかしたら付き合ってくれるかも、と

思ったのだった。

「輪唱！？」

「かーえーるーのーうーたーがー、はい」

といいつつゆりはサラディンに向けて両手を出した。

「歌うか！」

「もう、恥・ず・か・し・が・り・屋さん♪」

ゆりが笑って言うとサラディンは右手をさっとあげた。するとゆりの姿はぱっと消えてしまった。移動させたのだ。

「かーえーるーのーうーたーがー♪」

だが横ではルティアナが歌っていた。

「だからその歌は嫌だと言ってるだろう」

サラディンは顔をしかめて言っていたが、頭の中では、やはりカエルがゲロゲロ鳴いていたのだった。


「あれ？」

ゆりは視界が突然変わったので驚いた。目の前には白い円柱の柱が並ぶ長い廊下がある。後ろを見ると、火が燃えてある真っ白なつぼがあった。

どうやら他の火があるところに移動させられたらしい。まあいいやと思いゆりは廊下を歩いて行った。

女神達の笑い声が聞こえてきてゆりは入り口に垂れ下がっている布をめくりその部屋をのぞいた。広い部屋で女神達がゆったりと座って

どうやら世間話でもしているようだ。

ここは雲の上の神殿のようだった。女神達がいるのはサロンだ。知った顔の女神はいなかったので、ゆりはそのまま廊下を歩いて行った。


ああ、これからどうしようかな。

そうだ。この際私の野望実現のために、ラーメンのところに行ってみようかな。違ったラメーンだ。


ラメーンはこの前ゆりが出会った音楽の神様だ。下手な横笛を披露してそれをほめた神だった。野望といってもそんなに大それたものではない。

竪琴のコツでも教えてもらおうかと思っただけだ。もちろん今回は竪琴も笛も披露する気はない。



いっつも遊んでばかりでラギにばかにされるからね。たまにはお勉強でもしよう。有意義だわ

ラメーンの神殿にはどうやって行こうかなあ



神殿の場所はさっぱり分からない。廊下を曲がって神殿の正面から外に出た。

まぶしい光が降り注ぎ、ゆりは思わず手をかざして目を細めた。


神様は紫外線の心配しなくていいなあ


目の前を見ると、４頭のペガサスに牽かれた黄金の馬車が見えた。そしてオレンジ色の長い髪をした男が馬車に乗っている。

アリアスの馬車だ。


チャンス！乗せてもらおう


ゆりはだっと走って行った。

「待って！私も乗せて！ぎゃっ！？」

その時片足が何かにとられ、ゆりはそのままバランスを崩して前にすっころんでしまった。それはあまりに見事な転びっぷりだった。

弾みでひらひらしたスカートがおしりあたりまでめくれてしまった。黄金の馬車はそれには気づかずに飛んでいってしまった。

ゆりはあわてて身体を起こしてスカートを下に降ろした。雲で顔を打ったものの、ふわんとした感触で痛くはなかった。

これが地面だったなら顔面を強打していただろう。


あれ？何もなかったのになんで転んだの？誰かにつかまれたような・・・・


雲の下からにょきっと誰かがでてきてゆりは驚いた。そこにいたのはいたずら小僧のパティウスだった。

「あっ！まさかあんたが！」

「へへっガーベラ、綺麗なお尻だったよ〜」

「はあ？」

「じゃあね〜」

パティウスは笑いながら舌を出して飛んでいった。相変わらず悪がきは悪がきのままのようだ。

「まてーこら〜！！」

捕まえようとジャンプしたが届かなかった。

「もう！くそがきめー！」

ぷんと膨れて腕を大きく振った。後ろから「おーい大丈夫かー」という男の声が聞こえて振り向くと、そこには宙に浮いたまま

倒れている男の頬をぱちぱちたたいている神がいた。水色の髪だがラクアではない。後ろの方の髪は斜め上に流れていた。まるで強い風を

あてられているかのように。身体には水色系の服を着ているが服に袖はなく腰から下は膝までのズボンをはいていた。

ダーナの恋人、風の神ウィルだった。ウィルは身体を横にしているが、足首についている水色の飾りは重力に逆らいふわふわ浮いている。

「しっかりしろー」

倒れているのは神ではなく妖精のようだ。

「どうしたの？」

ゆりは２人に近づいた。倒れている男は目を見開いたままぴくりとも動かなかった。

「どうしたのって・・・・ガーベラの綺麗なおしりを見て倒れちゃったんだよ」

ウィルが微笑んで説明した。

「え？」

「いやーいいもの見せてもらったよ」

「はあ！？」

ゆりは真っ赤な顔をしてお尻を押さえた。だが今更遅い。

「あなたも見たの？おしり」

「だって目の前ですっころんだんだぜー。見ないやつは男じゃないだろう」

ウィルは当然だろ？とばかりに言った。

「すけべ！」

「イヤーそういわれても・・・・俺がスカートめくったわけじゃないし・・・」

ウィルはニヤニヤ笑っている。この顔よっぽどばっちり見えたに違いない。


もーいや！なんで女神って下着はかないんだ・・・・


その時神殿の中からグレンが出てきてこちらに気づいた。

「どうしたんですか？」

「ちょっと事故があって・・・あ、そうだ、グレン時間あったらラ、ラメーンの神殿に連れて行ってくれない？」

ゆりは名前を間違えないように強調していた。

「俺が連れて行ってあげようか？」

とウィルが聞いた。

「ウィルはスケベだから嫌」

ゆりは即効で断った。

「ひどいなあ」

「ウィルはこの妖精さん介抱してあげてちょうだい」

ゆりはウィルを睨んでいる。

「はいはい。まあいいさ、目の保養できたし」

ウィルは妖精をかついで神殿の中に入って行った。

「じゃあいきましょ。グレン」

ゆりはグレンの予定も聞かずにグレンの腕を引いた。

「はあ・・・まあいいですが」

こうしてゆりは強引にグレンにラメーンの神殿まで連れて行ってもらうことにしたのだった。



「あの・・・顔が赤いですが何かあったんですか？」

ゆりを抱いて飛びながらグレンが聞いた。実はおしり見られちゃって・・・とはさすがに告白できなかった。

「いたずら小僧にいたずらされたの」

「そうでしたか。一時収まってたんですが・・・」

グレンはため息をついた。収まっていたというよりもいたずらが減っていただけで全然何もしてなかったわけではない。

「あの子って本当に知恵の神様なの？悪がきの神様じゃない？」

「悪がきの神様はいいですね」

グレンは苦笑していた。

「おまけにウィルはすけべだし・・・・」

まさか公衆の面前でおしりをさらけ出してしまうとは・・・・いくら美しいおしりでも恥ずかしい。

水浴をのぞかれる方がましだ。裸を見られるよりもおしりだけ見られる方がなぜか恥ずかしい。

「あの方は言う事は時々軽いですが、ずっとダーナ様一筋ですからね」

女と見れば手を出すようなタイプではないと言いたいようだ。

「そうなんだ。じゃあ浮気性のアリアスらよりはいいかも？」

「アリアス様は浮気性ですが神格は第３位ですから。それに浮気性といってもアシュラン様ほどではないですし・・・」

「あーアシュランのことそんな風に言っちゃっていいの？悪口になるんじゃない？」

ゆりはにんまり笑って聞いた。アシュランは神の国では最高位の神様だ。アシュランを最も尊敬しているはずのグレンが

こんな事を言うとは思わなかった。

「悪口ではなく事実ですよ」

グレンは冷静な顔でそう返してきた。

「なるほど」

事実を指摘しただけなら確かに悪口にはあたらない。



神様の順ではアシュラン、ヒルデリア、アリアスの順なのか。あれ？ハロルドって何位なのかな？結構上の方だって聞いたけど


「神格第４位ってハロルド？」

ゆりはつい聞いてしまっていた。

「そうですよ」

とグレン。

「あ、やっぱり」

といいつつゆりははっとした。神様としてはそんな事は常識だろう。聞いてしまうなんておかしなことだ。

ゆりはちょっと気まずそうな顔でグレンを見た。抱き上げられているのだから顔はすぐ近くにある。

グレンはたいして驚きもしていない。何を考えているのかよくわからない。

２人の目があった。グレンの青い瞳が微妙に揺らいだ事にゆりが気づいたのかどうか。

「あのー・・・」

「第５位はどなただかご存知ですか？」

グレンがゆりに聞いた。

「え？５位！？」

ゆりの心臓が跳ね上がった。女神に心臓があるかどうかは謎だが。

神々の順位は人間界では国によって違う。蛇の国では第３位がジンラになっている。

「もちろん知ってるわよ。そんな事知らない神様がいるかしら？」

ゆりは無理に笑みを作って言った。

「ではどなたです？」

グレンが意地悪く突っ込んだ。

ゆりの脳裏では神々の名前がぐるぐる回っていた。


オルガ、サラディン？意外とラクアだったりして・・・・それともえーと・・・カサンドラかも？


「ラメーンの神殿ってそろそろじゃない？」

ゆりは地上をきょろきょろ見回してごまかした。神殿らしき建物が３つばかり見える。

「そうですね。あちらがラメーン様の神殿ですよ」

グレンは３つの中で一番大きな神殿の手前でゆりを下ろした。


「第５位は海の神ですよ」

「言おうと思ってたの。連れてきてくれてどうもありがとう」

ゆりは自分では極上の笑みを浮かべてお礼を言った。

「いいえ、楽しかったですよ。歌が下手なガーベラ様」

グレンは薄く微笑んで飛んでいった。

「え？」


歌が下手な？それって・・・


ゆりはグレンが飛んでいく方を見上げていた。


もしかしてすっかりばれてる？


ようやくその事に気づいたゆりだった。


一方飛んでいたグレンは、いつもの表情を少し崩していた。微妙に笑っている。普段のガーベラの前ではいつもの通り表情のない

冷静そのものの顔を浮かべているグレンだったが、もう一人のガーベラの前では、つい素直になってしまう。それは、こちらのガーベラが

グレンに対してなんのわだかまりも持ってはいないからだ。

ガーベラがいつもと違うことは、連れて行く時に腕にだっこした時点で気づいていた。普段のガーベラだったなら、いつもよりもゆっくりめに

飛んでいる事にも気づいただろう。最近になり時々現れるもう一人のガーベラの存在をグレンは気にしてはいたが、正体を突き止めようとまでは

思ってはいない。知ってしまえばそれでもう出会えなくなるかもしれない。ああして気軽に話しかけられることもなくなってしまうかもしれないのだ。

もう一人の存在が神の国を揺るがすほどの一大事に発展しそうならそれこそアシュランに報告する義務も発生するのだが、ガーベラが

時々世間知らずになる事くらいは神の国にとってどうという事もない。


他の神にばれないように、とそう願うだけだった。



大きな神殿の前でぼんやりたたずんでいたゆりだったが、グレンの後を追うべきかどうか悩んでいた。後を追うにも飛んでいってしまったので

ペガサスにでも乗らない限り追えないのだが。


どうしましょ。でもグレンっていい神様っぽいから誰にも言わないかも


ゆりはいい方に考えた。この事をハロルドにでも言おうものなら、こっちでは何もしゃべるな、とまで言われかねない。


うーんうーん・・・・


うろうろ歩き回っていたゆりだったが、グレンにさっきのことを問おうにも、逆にどつぼにはまってしまう可能性の方が高い。



まあいいか。たとえグレンが誰か他の神様に話したとしても、グレンの方がおかしいと思うでしょう。きっと。私はたまーに来るだけだしね



ゆりはグレンのことはあきらめて神殿の中に入っていった。四角い神殿は雲の上の神殿ほど大きくはないが、ガーベラの神殿の二倍はありそう

だった。神殿の中に入り、ゆりは足を止めた。


あれ？私何しに来たんだっけ？あ、そうそうラメーンに竪琴のご教授を受けに来たんだった


ゆりはようやく思い出し、入ってすぐの広間の入り口にかかっている布をかきあげた。

「こんにちはー」

かなり広い部屋だった。中には誰もいない。真ん中の空間は空いていて何もない。部屋の奥側にはギターのようなものや竪琴のようなもの、

様々な楽器が並べられていた。木の丸い椅子なども多数置かれている。この部屋で演奏会でもするのだろうか。


いないのかなあ。ラメーン


その時奥側の入り口からラメーンが現れた。ラメーンはこちらを見て「ガーベラ」と言った。

「こんにちは」といって近づいて行ったゆりは突然ぱたりと床に倒れてしまった。

「ガーベラ！？」

ラメーンは当然何事かと近づいた。目を覚ましたのはゆりではなくガーベラだった。ゆりは現実世界での目覚めの時間が訪れたのだ。

ガーベラは目の前にいる男に支えられて立ち上がった。

「ラメーン」

ガーベラは男の顔を見て驚いた。

「突然どうしたのだ？」

「転んじゃったみたい」

ガーベラは無邪気に言ったが内心どきどきだった。


あら、なんでここにいるのかしら。もしやラメーンと何かあったのかしら。何かって何？どきどき


「驚かせないでくれ」

ラメーンはガーベラから手を離した。別段頬を染めている様子もない。２人で何かあったようでもなさそうだった。元々ラメーンは女にあまり興味を

示す男ではない。

「それで何の用だ？」

「え？」

「用があってきたのだろう？」

来たとたんに人間界に帰ってしまったようだ。なんとも迷惑な話だが、ガーベラは楽しんでやってるので迷惑とは思っていない。

「用っていうかなんというか・・・竪琴でも聞かせてくれないかなーと思って」

ゆりの用事などガーベラが知るわけもない。適当な理由を言ったのだった。

「今はそういう気分ではない」

ラーメンはつれなく言った。

「ちょっとくらいいいじゃない。美女の頼みくらい聞いてよ」

「気分ではないのだ」

ガーベラの中ではラメーンの女への興味のなさはグレン級だった。たまにでれでれするくらいが男はかわいい。


「そうだ、この前の気の抜けたへんてこりんな笛、もう一度吹いてみてくれないか？」

ラメーンがとんでもない事を言い出した。

「え？」

「今思えばよくもああいう音が出せたものだと思ってな」

ラメーンは大真面目だった。笛の話はクーリーフンから聴いていた。ガーベラもゆりの肝の太さに感心したものだ。だがそれをガーベラが再現する

事はできない。クーリーフンいわく「とてつもなくひどい笛の音」というのが想像できないからだ。

「あれはあの時限りよ。もう無理よ」

「なぜだ」

「無理は無理なの」

「そうか、残念だな。まあいい、笛なら聞かせよう」

「え？本当？」

ガーベラはうれしそうな顔をして椅子に腰を下ろした。ラメーンは楽器が並んでいる所に行き、白い棚の引き出しの一番上を開けて

一本の黒い笛を持ってきた。楽器用の棚らしい。

「客が私だけなんてなんだか贅沢ねえ」

ラメーンは気難しいたちなので頼んでもなかなか楽器を演奏してくれないのだ。クーリーフンにも聞かせたかった。


ラメーンは部屋の真ん中で立ったまま横笛を吹き出した。

それは明るいテンポの速い曲で心がうきうきして躍りだしたくなるような曲だった。と思ったらガーベラは立ち上がって踊っていた。

スカートの端を持ってステップを踏み、時々くるくる回りだした。勝手に身体が動いてしまう。笛が素晴らしすぎて踊らずにはいられないのだ。

最初は余裕で笑顔さえ浮かべて踊っていたガーベラだったが、笛は一向に止む気配はなく、さらにテンポが速くなっていった。


ひー！！足がー足がー！！！


曲にあわせてステップを踏むのも速くなっていく。一方では笛に感動している自分がいたので、逃げることもできなかった。

何これ嫌がらせ！？と思ったが、ちらりとラメーンを見ると、目を閉じて悦に浸っているような感じだ。もしかしたらガーベラがいる事すら

忘れているのかもしれない。


誰か助けてー！！足がもうだめー！


女神なだけに無様には踊れない。しっかり足はラメーンの笛についていっていた。


結局ガーベラは延々と踊り続け、終わった頃には夕方になっていた。足が棒になる。この感触を神になって初めて知ったガーベラだった。

その夜ラーズの神殿では、ラーズがぐったりしたガーベラの足をもんでマッサージしていた。

「こんなにパンパンになるなんて一体どれだけ踊ったんだ？随分仲が良いじゃないか」

ラーズは勘違いしていた。

「違うわよーそんなんじゃないから」

ガーベラはぐったり寝転んだまま言った。

「本当か？そのうちラメーンが恋人になってるんじゃないだろうな」

とのラーズの言葉に、「それは永遠にありえません」と断言したガーベラだった。


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