赤い月後にシャナーンが元に戻り一月以上が経過していた。暦は５の月に入っている。あの時の宴会では少し笑顔を見せてくれた
シャナーンだったが、あれからまだゆりの元にはやってきていなかった。シャナーンの性格からして、すぐ何もなかったように元通りと
いうわけにはいかないのだろう。だが以前のように仕事には精を出しているようだ。
もう少し時間が経てば、自分の元にやってきて元通りの笑顔を見せてくれるに違いない。
そうどちらのゆりも思っている。王妃の部屋は以前の明るさを取り戻していた。
「そっかー元気にやってるのね。シャナーン」
別室の方で蛇目のゆりがうれしそうに言った。
その横で、横向きで手で顔を支えて寝転んでいたのはミカエルだった。２人とも服は脱いではいない。ただ並んで寝転んでいるだけだ。
ゆりはシャナーンのことをミカエルにいろいろ聞いていたのだった。今年はいまだ恋人達といちゃいちゃモードには入っていない。
ゆりはラクシュミ以外ではあの後ハザークとひっついただけだ。
「でもすっごく意外だったなーミカエルがあんなにシャナーンのことを気にしてあげるなんて。案外いい先輩なのね」
「案外？まあ私は前の借りを返したかっただけですよ。王妃が暗いのもいやですしね」
ミカエルはシャナーンがゆりの恋人である事を歓迎しているわけではなかったが、憎憎しく思っていたわけでもない。これを機会に
シャナーンを蹴落とそうという発想はミカエルでさえ持っていない。大体この蛇の一族の気質からして、「自分だけが」とか「他の者を
陥れてでも」というような発想を持つ者は少ないと言える。一族の数が少ないだけに仲間意識が強く、皆仲良く手を取り合って
がんばろうという発想が心の底にあるせいだ。かといってこれ以上恋人を増やされるのも困りものだが。
「あの事ね。そういえばあんな事あったねえ・・・」
ミカエルが言う「前の借り」を、ゆりはすぐ思い当たった。クロエとの事でミカエルとぎくしゃくしてしまった時のことだ。
「そういえばあれから彼女増やしたの？噂聞かないけど」
「いいえ、もててしょうがないのは相変わらずですが、増えてないですよ」
ミカエルは自慢したかったのかちょっと笑みを浮かべて言った。
「ふーん、もててしょうがないのに増やしてないの」
何十年たってもミカエルはいい男だ。若い子にもててもおかしなことではない。ただもて度は今はハインリヒの方が上のようだが。
ミカエルもハインリヒも性欲はわりと強い方だが、女が好きで仕方ないというわけではない。ハインリヒなどは王の侍女の色目にも
にこやかな笑みを返して通り過ぎているようだ。それについてはゆりは内心「ざまあみろ」と思っている。今でもゆりと王の侍女の仲は
悪い。
「それって私らに遠慮してのことなの？もう若い子恋人にしても大丈夫かもよ？」
ゆりも前よりは大人になった。以前のようにはならないだろう。
「目標がちょっと変わったんですよ。子供が２人できたし、どうせなら残り２人の彼女らも妊娠させてあげたいんですよね」
ミカエルはうっすらと微笑んだ。
「それに女性はどうしても足りないし、まあ他の男にも機会をあげないとね」
余裕の言葉も飛び出している。確かに男より女の方が少ない。強い男が数人女を独占するので、あぶれた男は一族の女と過ごせない
という事になるのだ。
「そうなんだ。がんばって皆孕ませてあげて」
ゆりはぽんぽんとミカエルの肩をたたいた。
「愛欲の女神が側にいれば夢じゃないですよ。性欲がいっつも満ちているように王妃もたまには協力してくださいね」
ミカエルが蛇目のゆりに言うと、ゆりは「てへっ」と同意だか拒否なのかなんだかわからない返答を返したのだった。
第60話
この日は穏やかな日差しが降り注いでいた。城の外の庭園ではいろんな蛇が日向ぼっこしている。羽がついている蛇もパタパタ飛んでいた。
しばらく曇りやら雨が続いたので、蛇たちも今日はぽかぽか日差しでまったりしていた。ナナミは侍女に付き添われ蛇を指しながら
数を数えている。数が100まで数えられるようになったのでうれしくて数えていたのだ。ナナミとロイは６歳。ここ２年ほどたいして
外見は変わってはいない。ナナミは肩にかかるくらいの黒髪を今日はおさげにしてピンクのリボンで結んでいる。
「52、53、54」
「何してるんだい？」
ラギが蛇をよけながらやってきた。ラギはもう少しで16歳になる。こちらは長めのショートヘアだ。知的好奇心に満ちた瞳は相変わらずだ。
「数数えてるの、えーと・・・・あーラギにーのせいで忘れちゃったじゃない」
ナナミがぷんと頬を膨らませた。
「次は55ですよ」
と侍女が教えてくれた。
「55・・・・あれ？」
蛇がうねうね動いて移動していたので、どの蛇だったかわからなくなってしまった。
「まあいいや」
「すごいねー55まで数えるなんて」
「うん。すごいの。今度は古代語も習うもんね。がんばってラギにーみたいになるもんね」
ナナミは自信満々に言った。
「もう習うの。すごいすごい」
「パパに教えてもらうんだもーん」
「そう」
ハザークがどのようにナナミに古代語を教えるのか、ラギはそっと部屋をのぞいてみたい気がした。
「ところでロイはどこ行ったの？」
「しらなーい」
「どうやら湖に行かれたようですよ」と侍女がいい、ラギは「またか」とつぶやいたのだった。晴れの日にロイが遊びに行かないわけがない。
その頃城の南にある小さめの湖では、バシャンバシャンと激しい水の音が何度もしていた。ロイが宙に浮いては水に飛び込むという事を
繰り返していたからだった。最近は飛び込みがお気に入りのようだ。
「きゃはー！」
歓声と共にバシャーンと再び水音が響いた。湖にいる魚や蛇は迷惑な事だろう。
近くではジュノーが仰向けで頭の後ろに両手をあてて宙に浮いていた。こちらは眠そうにふわーと大あくびしている。
今日はたまたまジュノーがお目付け役だった。
「あ！パンツ脱げた」
ロイの声が聞こえてジュノーが顔を向けた。宙に浮いているロイは真っ裸になっている。ロイの今の髪形は短いショートだった。
長いと髪を洗うのに時間がかかるので嫌らしい。ナナミよりはちょっと背も高くなっているが相変わらずのいたずら坊主だ。
「まあいいや、裸でも」
「だめですよ。ちゃんと履かないと、何かに刺されたら困るでしょう。水の中にはいろんな生き物がいるんですから」
「刺されたらどうなるの？痛い？」
「痛いですよ。それに腫れるかもしれないですよ。大事な所が十倍くらいに腫れてしまったら困るでしょう」
「十倍かあ、父様よりでかくなっちゃうかな」
ロイはなんだかうれしそうだった。
「そこだけでかくなってもしょうがないですよ。歩きにくいじゃないですか」
「それもそうだね。探しにいこうっと」
ロイは水の中にもぐっていった。こういう下ネタも男同士ならではだ。
ロイはすっかり泳ぎが上手になってしまった。泳ぎ方を誰が教えたわけでもないのだが。
ジュノーは一応上からロイを見つめていた。
「やあ、ジュノー」
その時声がかかった。横を見るとフリットだった。フリットはようやく髪が伸びてきたので今日は後ろで一つに結んでいた。光沢のある
薄紫色の紐で結ばれている。上品な感じだ。
「こんにちは、フリット殿」
「ああ、ロイ様はまた泳ぎか。元気だなー」
フリットは水面の上から見えるロイの姿らしきものを見て言った。陽は照っているが水温はそんなに高くはないだろうと思ってのことだ。
「今日は仕事ですか？」
「ああ、南の砦で用事を済ませてきた所だよ」
「そうですか。実は面白い物発見したんですよ、フリット殿にも是非見せたかったんです」
「ん？」
「わーい！ザリガニみっけた！」
ロイが水面からジャバンと顔を出した。右手には赤い殻に覆われて大きなハサミがついているエビのような生き物を持っていた。
15センチほどの大きさのものだ。
「ハサミエビじゃないですか」
とフリットが言った。
「母様がザリガニって言ったよ」
とロイ。
「母様が今度見つけたら一杯採ってきてっていったよ」
ゆりが言うザリガニに似たハサミエビはしきりに両手のハサミを動かしていた。
「王妃が？どうするんですか？」
「食べてみたいんだって」
「ハサミエビをですか？」
フリットが聞くと、ジュノーが「この辺の町では食べる人いますよ」と教えてくれた。ザリガニに良く似た生き物だったが湖の底で生息
しているのでちょっと違う生き物だろう。ロイはいたずら心でそれをゆりに見せたのだったが、ゆりは悲鳴をあげたものの意外にも喜んだ。
そして今度見つけたら大きいの一杯採ってきてねと言ったのだ。もちろん食べてみたかったからだ。
ロイが持ってきたのは小さすぎた。
「それよりロイ様パンツは？」
ロイはまだ裸だった。
「見当たらなかった」
「だめですよ。パンツが先ですよ。あ、そうだ、フリット殿これ見てくださいよ」
ジュノーははっと思い出し、ロイの身体を上に抱き上げて右腕を見せた。
「さっき気づいたんですよ。フリット殿これ知ってました？」
フリットは「ん？」と顔を寄せてロイの右腕を見た。腕の上の方に黒いあざがある。それも剣のような形をしている。
「初めてみた。前からこんなのあったかな？」
「なかったですよねえ。ロイ様に聞いてもいつできたか知らないっていうんですよ」
「へー」
フリットがじっとアザを見つめていると、ロイがばれないようにそろそろとハサミエビのハサミをフリットの腕に近づけていた。
フリットがそれに気づいて「これ」と言って眉をひそめた。ハサミエビのハサミはとてもでかい。皮膚を挟まれたら痛いだけではすまないだろう。
「フリットって勘がいいなあ」
「またおしりつねりますよ？」
そういうとロイは口を尖らせている。おしりをたたいても全然こたえないので最近は悪さをしたらつねることにしていた。つねり攻撃には
弱いようだ。フリットは自分の子供のお尻をぶった事もないのだが、なぜか王子様にはお尻をたたくはつねるはしている。ゆりなどは
怒るどころかもっとやってやってと言う始末だ。ジュノーやハインリヒなどはいくらロイにいたずらをされてもそこまでつねれない。
一番優しそうに見えるフリットが一番ロイに容赦ない。
「ロイ様の力は神様かなにかがからんでるんじゃないんですか？だから王も王妃も言いにくいんじゃないのかな？」
それがジュノーが出した結論だった。
「王妃が神の国でハロルドにばれたとか言ってた頃とロイ様が強くなったのが一緒くらいですからね。強くなったのはこれが原因
かと」
「なるほど、なんだか納得だな。ありがたいが、どうせなら大人になってからにしてほしかったな・・・」
「そうですね。今は迷惑にしかなってないですもんね」
フリットの言葉に同意したジュノーだった。ロイはしつこくフリットの体にハサミエビのハサミを近づけて、やっぱりフリットにおしりを
つねられたのだった。
外は陽気だったが、アナスターシャとシスは城の中の王の間にいた。ラクシュミの横に椅子を持ってきて座っている。結界の修行だ。
最近ではアナスターシャとシスは背丈に差がなくなってきていた。勝ち気そうなアナスターシャに比べシスはおっとりおとなしめの印象
がある。２人とも髪は背中まで伸ばしているので姉妹でもいいくらいだ。
客がいる間はおとなしくしていた２人だったが、客がいなくなり、アナスターシャが口を開いた。
「ねえ父様、赤ちゃんの名前まだ決まらないのかなあ？」
「さあなあ、ハザークちゃんと考えてるのかな？」
ラクシュミが言った。決めたという話は聞いてはいない。
「もう妹で間違いはないんですよね？」
シスが聞いた。
「ああ、女の子だろう」
あれから二度ほど赤ん坊は夜中に現れていた。トートー言いつつラクシュミになついている。最近子供らの前には現れてはいない。だが
朝「おはよう」と言って子供らがおなかをなでると「きゃっきゃ」言っている。性別がはっきりしたのなら、名前で呼んであげたい所だ。
「ハザーク様に聞いてこようかなーちょっと行ってきてもいい？」
アナスターシャはちらりとラクシュミを見て聞いた。
「結界の力はそのままならな」
「はーい」
アナスターシャは低い声で返事をして消えた。
「女の子かあ、次は男の子がいいなあ」
シスはうれしそうに言っている。
「まだ生まれてもいないんだぞ」
ラクシュミが苦笑した。
「そうですね。だけど、まだまだ母様産んでくれそうな気がするから」
シスでなくてもつい思ってしまうことだ。ゆりは最終的に何人子供を生むのか、それも気になる所だ。
「早く会いたいなあ・・・」
６人目か。ゆりも何度もがんばったものだなあ・・・・
ラクシュミは今までの出産時のことを思い出していた。
私も何度もがんばったもんだ
そして赤い月をゆりと過ごし続けている自分にも感心していたのだった。
今日のハザークはというと、天気がよかったので午前中は蛇の姿で庭園の奥の草むらで一時間ほど過ごし、午後は部屋にいた。
いつも通り長椅子に寝そべっていると２時ごろ訪問者があった。その訪問者はかしこまった様子でハザークの侍女と話をしていた。
短髪ですその方だけ少し長くしていてしばっている黒髪の男はミルキダスだった。ハザークは普通に２人の話を聞き、時々侍女から
話をふられると適当に受け答えしている。
ミルキダスは今日はハザークからおよびがかかったわけではなかった。数日前ハザークの侍女に会い、「またお話をしにいらしてください」
といわれたので「はい」と社交辞令的に答えたのだが、「それでは・・」と次の休みにくる約束をさせられてしまったのだった。
というわけで、ミルキダスは今日ここに来ていたのだ。
ミルキダスの顔を見たハザークは「王妃に何かあったのか？」と聞いた。今回は自分が呼んだのではなかったからだ。すると侍女が
「私が呼んだのですよ、ミルキダス様とお話がしたくて」と言ったのだった。そうして今まで一時間ばかり、ミルキダスは自分のことを
侍女にしゃべらされていたのだった。王妃との馴れ初めから３人の子供ができるまでを。ハザークは２人の馴れ初めには興味津々で
「あっちの王妃は時々ムキになるからな」と小声で言っていたりもした。
侍女はミルキダスと話をするハザークが楽しそうに見えたので呼んだだけだった。ミルキダスの方はなぜこんな事になってるのか
さっぱり分かってはいない。お茶を飲みながらも体は硬直している。時々浮かべる笑みもぎこちない。だが最初の頃よりはだいぶ
慣れていた。
そんな頃アナスターシャが現れたのだった。
「ハザーク様子供の名前考えました？」
アナスターシャは挨拶をするより先にハザークに聞いていた。そしてはっと思い「こんにちは」と付け加えた。
「ん？名前？」
ハザークは寝そべったまま視線をあちこちに動かしていた。
「まさか忘れてたんじゃないですよね？」
「忘れてはいない。だがなかなかこれってのが思いつかない。そうだ、お前考えろ」
ハザークがお前といったのはアナスターシャではなかった。少し離れた椅子に座っている黒髪の男だった。
「ミルキダス、何してるの？」
ハザークとミルキダスのくみ合わせがあまりに意外だったため、アナスターシャは疑問に思った。
「あーえーとその・・・お茶を飲みに来てました」
ミルキダスはかしこまったまま答えた。かなり居心地が悪そうな感じだ。
「２人仲良いの？今ミルキダスに考えろって言いました？」
アナスターシャは２人を交互に見た。
「ああ」
「とんでもない。私は無理です」
ミルキダスは恐縮している。
「いいじゃないか。３人の子供の名前考えたんだろ？」
「え、子供の名前は私が考えたのではないので・・・・」
「なんでもいいから考えろ」
「そ、そういうわけには・・・」
アナスターシャは不思議そうに２人のやり取りを見て最後にハザークを見た。
「だめですよ自分で考えなきゃ。いつまでも名前ないのかわいそうじゃないですか」
「うーん・・・」
「今日中に考えてください」
「え？今日中？」
ハザークの目が真ん丸くなった。
「締め切りがあったほうがいいでしょ？だから今日」
「そんないきなり言われても・・・」
ハザークが目をさまよわせた。
「いきなりじゃないですよ。父様が頼んだの随分前ですよ。それじゃ失礼しました」
アナスターシャは出て行く時だけ丁寧に言って消えた。
「それじゃ私もそろそろ失礼します！」
ミルキダスはこれがチャンスとばかりに切り出した。
「そうですか。では御子様達にケーキを持っていってあげてください。今包んできますから」
侍女はにこやかに言って席を立った。
「ありがとうございます」
ミルキダスは侍女が戻ってくるのを待っていた。ハザークを見ると、眉をひそめて考え込んでいる。
「あの・・・ぱっと思いついた名前でよいのではないですか？考え出すときりがないですから・・・」
ミルキダスは遠慮がちに言ってみた。随分ハザークになれた証拠だろう。
「思いついた名前は全て昔生きていた者の名前なんだ」
「それでいいのではないですか？昔の人にあやかった名前でも。アナスターシャ様のお名前もそうですし」
「うーん・・・」
ハザークはうなっていた。逆にハザークが初めて聞く名前を探す方が大変なような気がする。
侍女がケーキを持ってきてくれたので、ミルキダスは「がんばってください」と言って塔を後にした。
「よし、じゃあ決めた」
ハザークが決断するように言った。
「本当ですか？どんな名前ですか？」
侍女が目を輝かせて聞いた。
「お、名前が決まったようだぞ。ミシェイラだそうだ」
王の間でラクシュミが子供達に言った。
「ミシェイラ？かわいいじゃない。なんだ、実は決めてたのね」
とアナスターシャ。結構すぐ決まったのでそう思ったのだった。
「昔の女王様にいたよね。綺麗な名前だね」
シスも喜んでいた。
「そうだっけ？女王様にいたっけ？」
「いたよ。すっかり忘れちゃって・・・」
「ミシェイラという女王はとても綺麗で素晴らしい女王だったらしいぞ」
ラクシュミが説明した。
「そうなの。でも女王様になるのは私だからね」
とアナスターシャが主張した。
「ゆりとラギに教えてやったらどうだ？」
「そうですね。教えてあげよう」
「私も行く！」
２人は消えた。
「ミシェイラか・・・・かわいい名前じゃないか」
ラクシュミは一人うなずいた。
「へーかわいいわね。いい名前じゃない！」
部屋で話を聞いたゆりは侍女らと喜んだ。
「ミシェイラよ。あなたの名前ミシェイラよ」
アナスターシャはゆりのおなかに語りかけていた。シスも同じように名前で呼んでいる。
「ハザーク様なかなかやるわね」
ゆりは満足げだった。ラギとナナミも部屋にやってきた。皆に名前を呼ばれて、赤ん坊は喜んでいるのか「きゃっきゃ」言っていた。
皆で喜んでいたら丸い木の桶を持ったロイがやってきた。
「母様贈り物！」
ロイはゆりに桶を差し出した。
「わー！ありがとう！」
ゆりは目を輝かせた。中には赤いハサミエビが一杯入っていた。子供達は大量の赤い生き物を見て首をかしげている。
「何これ？」
アナスターシャが聞いた。
「ザリガニよ。私の世界では食べてる人がいたからきっと食べれるよ」
とゆり。エビに似た食感に違いないとゆりは思っていた。海が近くにないのでなかなかエビは食べられないのだ。
「へー？どこ食べるの？ハサミ？」
「身の部分よ。さっそくゆでてみよう！」
ゆりはうきうきで桶を手に出て行った。
「良くあんなに採れたね」
ラギがロイに感心して言った。
「えっへん。実は他の人もちょっと手伝ってくれた」
「そうなんだ」
フリットが王妃が喜ぶかもと思い、大きな子供達を集めて湖でハサミエビを採らせたのだった。子供達も王妃様のために張り切って
採ってくれたのだった。
こうして夕食には真っ赤にゆであがった大量のハサミエビが加わった。
ゆりはあちあち言いながらハサミエビを割り、身の部分を出して食べてみた。
「うまっ！！」
ゆりは思わず叫んでいた。久しぶりにエビを食べた気分だった。想像通りまさに味はエビだ。身もプリプリしている。
なんてこと、今頃気づくなんて・・・・私のばかばか、もっと早くこれに出会っていれば・・・
まるで長年恋をしていた恋人に久しぶりに再会した気分だった。
「僕も食べたい」
ゆりがあんまりおいしそうに食べるのでロイが言った。侍女らが殻を取って身を出してくれた。
「本当だ。うまっ！」
ロイがハサミエビを食べて声をあげた。
「うまっ！」
ナナミも言っている。
「うまっ！へーお酒にも合うんじゃない？」
とアナスターシャ。
「あのさあ、仮にも王族なんだから、『うまっ』はないと思うけど・・・・」
ラギがぼそっと言った。だがハサミエビを食べまくっているゆりにはその言葉は聞こえていない。ゆりはうまうま言いながら食べていた。
「結構おいしいよ。ラギも食べてごらんよ」
シスがいい、ラギも身を食べてみた。確かに悪くはない。お酒のつまみにもなりそうだ。
ゆりのお皿の上にはハサミエビの殻でてんこもりになっていたので侍女が皿を取り替えた。他の食べ物には目もくれず、ひたすら
ハサミエビばかり食べている。
「次はてんぷらにしよう。フライもいいなあ・・・」
想像していたゆりだったが、ふいに子供達の動きが止まった。シスはぽとんとスプーンを下におとしている。
「お母さん！」
「母様どうしたのそれ！」
ほぼ同時にラギとアナスターシャが声をあげた。
「え？何が？」
「顔が変だよ」
とロイが言った。
「顔？うわっ！」
ゆりは自分の手を見て驚いた。両手に赤い湿疹が出ている。侍女があわてて出て行った。
「何これ！どうしたの！？」
「顔もすごいよ。もしかしてハサミエビ食べたせいじゃないの？」
ラギが言った。
「え！？嘘！？」
「ハサミエビのせいですな」
食堂にやってきたフレイはゆりを見て言った。
「たまにいるんですよ。ハサミエビでこうなる者が」
「それってアレルギーってこと？」
ゆりが聞いた。
「アレルギー？王妃の世界ではそういうんですか？とにかく二度と食べない方がいいですな」
「ガーン・・・そんな・・・」
ゆりはフレイにもらった薬を飲んだ。薬は苦かったがそのせいで目が潤んでいたのではない。
「久しぶりにエビらしきもの食べれたのにーそんな殺生な。ちょっとだけならいいでしょ？」
「だめです」
「たまに一個なら」
「だめですよ。顔が腫れることもあるんですよ」
フレイは非情にも言った。医者として適切な言葉だったが、ゆりには非情に聞こえたのだった。
「なんでよーなんで異世界でアレルギーなんてものがあるのよーあっちでもなったことないのにー」
ゆりは真面目に泣いていた。
久しぶりに会えた愛しい男が、一度の逢瀬で再び去っていったような気分だった。しかも一生出会う事はないのだ。
「母様かわいそう・・・」
「かわいそうにね・・・」
「元気だして。まー」
そういいつつ子供らはハサミエビを平らげていた。
その夜は湿疹は治まったもののがっくりきたゆりだったが、ハサミエビのことは仕方なくあきらめた。だがその３日後アヤコから小さな
小包が届き、あけてみると中に大量の乾燥したエビが入っていた。手紙を見ると他国から仕入れたと書いてあった。
我慢できなくなったゆりは種類が違うから大丈夫だろうとそのエビを食べてみた。だがまたしても湿疹が出てしまい、乾燥エビは
フレイに没収されてしまった。こうしてこちらの世界ではエビはゆりにとっては幻の食べ物になってしまったのだった。
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