第２話
暦は３の月に入っていた。10日になれば、空には赤い月が出て、男と女は愛の時を過ごす。
ゆりは妙にうきうきしてきて、ラクシュミはため息をつくばかりだった。
ロアンナにそれとなく諭させようとしたが、全く無駄で、ロアンナもゆりの考えに首をかしげるばかりだった。
ラクシュミとしては、別に浮気したいというわけではなく、ただゆりの体が心配だったから、一緒に過ごすのがいやだったのだが、ゆりには全く通じない。
そして交わりの月、ゆりはどうしてもラクシュミと過ごしたいと聞かず、ラクシュミも仕方なくそれを聞き入れた。
そのはずだったのだが。
その夜、ラクシュミを待っていたゆりはいつの間にか眠ってしまい、きづいた時には・・・・朝だった。朝起きた時、横にいたラクシュミは、普段通りの瞳をゆりに向けて言った。
「すまないが、１０日の間お前を眠らせた」
「え？」
ゆりはきょとんとした。言われた意味がわからなかったからだ。
「お前の体を思ってしたことだ。だから怒らないでくれ」
「・・・・」
「いいな？」
ラクシュミはそう言って出て行った。
しばらくゆりはぼんやりしていた。
１０日眠らせた？それってどういうこと？
ゆりはぼんやりした顔で、自分の部屋に戻った。
「王妃様、おはようございます」侍女が微笑んでいった。
「ねえ、今日って何日？」
「２０日でございます」
２０日・・・・じゃあもう交わりの月は終わったの？なんでそんなことしたの？
なんで私をだましたの？
ゆりは怒って王の間に行くものの、中には入れなかった。ラクシュミは瞑想に入ってしまったからだ。そうなると、だれも会う事はできないのだ。
ひどい・・・・ひどいよ・・・・
ゆりはその日、部屋に閉じこもって泣いていた。心配した侍女たちはアナスターシャを連れてきた。だがゆりはアナスターシャには会わなかった。
ゆりはその夜、自分の部屋のベランダから月を眺めた。
月はすでに欠けている。
その時、薄暗い部屋に、銀色のものが見えた。ラクシュミが部屋にきたのだ。ラクシュミはベランダの方にやってきた。
「私に何か言いたいことがあるだろう。」ラクシュミが言った。ゆりはラクシュミの顔を見た。悪びれる様子もない。交わりの月が過ぎ去った後の、冷たい印象がする
ラクシュミがそこにいた。
「お前のためを思ってしたことだ。だから怒るな」
「・・・」
「ではな」
ラクシュミは消えた。
「うそつき・・・」ゆりはラクシュミが消えた空間に言った。
ゆりは侍女たちの前では不機嫌になる事はなかったが、一人になるとどこか落ち込んだ様子だった。アナスターシャにも
会おうとはせずに、部屋を訪ねてきた男たちにも会わなかった。２月ほどたった或晩、ゆりが自分の寝室に行くと、
アナスターシャを抱いたラクシュミがそこにいた。
「そろそろこちらの寝室に来てもいいぞ」
ラクシュミがゆりの顔を見て言った。
「行きたくありません」
ゆりが目をそらして言う。
「まだ怒っているのか」
ラクシュミがあきれたように言った。
「お前のためを思ってした事だと言っただろう。お前をまだ抱きたくなかった」
「なら口で言えばいいじゃない。あんな方法で騙すなんて」
「言ったってお前は聞かなかっただろう」
「だから眠らせて、自分は他の人と過ごしたの？」
ゆりはあきれたように言った。目には涙がたまっている。
「私はずっとお前とアナスターシャといた。他の女とは過ごしていない」
ゆりは全く信じていなかった。あの時のラクシュミは普通ではないのだ。女を抱かずに過ごしたなど、考えられない。
「本当のことだ」
ゆりの表情は変わらない。
それを証明する事なんてできない。アナスターシャはしゃべれないのだから。ラクシュミも、たとえ女を抱いた
としても、認めるわけがないのだ。
「いい加減機嫌を直せ。来年はお前の思うようにする」「・・・・信じられない・・・」
「ゆり？」
「子供を産んだとたん、こんな風に裏切られるなんて」
ゆりはぼろぼろ泣いていた。
「・・・ゆり・・・私は裏切ってなどいない」
「でも嘘をついたじゃない！ちゃんと私と過ごすと言ったのに！」
「お前が聞かなかったからだ。しょうがないだろう。私はお前のことを思ってやったんだぞ？」
「嘘よ！」
「わあーわー！」
アナスターシャが泣き出した。
「ゆり・・・お前はもう子供じゃないんだ。母親なんだぞ。一度月が飛んだくらいでそんなに怒ることないだろう」
ラクシュミは呆れ果てた顔をした。
「あなたが嘘つくから悪いのよ。本当は私のことなんて愛してないんだ。ただ子供を産ませるために愛してる振りした
だけなんだ！子供産んだらもういいんだ！」
「なぜそこまで話が飛ぶんだ」
「嘘つき・・・絶対来年も一緒だって、そう約束したのに！」
ゆりは泣き崩れてしまった。
アナスターシャはわーわー泣いていたし、ラクシュミもこれ以上何を言っていいやらわからず、その場から移動した。
だれかなんとかしてくれ・・・
ゆりのために思ってしたことなのに、なぜそんな風に思われるのか。ラクシュミは頭が痛かった。
次の日の午後、女戦士のジュメがゆりの部屋を訪れた。ゆりの左の瞳は黄色と黒に変わっていて、もう一人のゆりになっていた。
ゆりは長椅子に座り、昼間から酒を飲んでいた。
「王妃様、王が心配されてましたよ？」ジュメが言うと、ゆりはしらけた表情でジュメを見上げた。
「しょうがないじゃない。自業自得だもん」
「王妃・・・」
「しょうがないよ」
ゆりはそれ以上何も言おうとはしなかったので、全くジュメは諭すこともできなかった。
深夜、ゆりは城の屋根の部分に座り、月を眺めていた。
風がゆりの髪を揺らしている。
「何をしているんです？」
横にきたのはミカエルだった。
「こんなところで危ないですよ？」
一歩間違えてそこから落ちれば、確実に死ぬだろう。
「月を見てるだけよ」
ゆりが答えた。
「大丈夫ですか？しばらくお加減が優れなかったようですが。」
ゆりはしばらく男たちがきても、気分が悪いといってあわなかったのだ。
「当分優れないよ。今は誰にも会いたくない」
「はあ・・・」
「一人にしておいて」
ミカエルは去って行った。
その5日後、ゆりの侍女が夕方王の間にやってきた。
「王・・・王妃のご様子が・・・」
「まだ機嫌が悪いのか？」
「ここ5日ほど、普段のゆり様が出られておりません。こんなことは今まで初めてです」
「・・・そうなのか？」
ラクシュミは、あれからゆりにはあっていない。何を言っても無駄なので、ほとぼりが冷めるまで待っていようと思っていたのだが。
「ゆりは昼間何をしている？」
「部屋に閉じこもりっきりです。アナスターシャ様にも、全く会おうとしないのです」
「・・・夜会ってみる」
「お願いします」
ラクシュミは夜、ゆりの部屋に行った。だが、ゆりの姿はない。
―ゆり、どこにいる。部屋に戻れ
ラクシュミは思念を飛ばした。ゆりの応答はない。
―ゆり！
「全く・・・・」
―ミカエル、すまないが、ゆりが城の中にいない。探して連れて来てくれラクシュミはミカエルに思念を飛ばした。
―かしこまりました
ミカエルは、前と同じ城の屋根の上にゆりを発見した。
「王妃、王が探してますよ？」
「・・・」
ゆりはじっと月を見上げている。
「王妃、行きましょう」
「邪魔しないで」
ゆりはうるさそうに言った。
「王妃、王が部屋でお待ちなんですよ？」
「・・・」
ミカエルはゆりの腕を握り、瞬間移動させた。
「ゆり・・・私の思念には必ず答えろ！」
ラクシュミはひどく不機嫌に言った。ゆりは下を向いている。
「お前までいい加減にしろ。何を怒ってるんだ」
ゆりはラクシュミを見ようとはしない。
「ゆり！」
「王、そのように怒られては・・・」ミカエルがかばうように言った。
ゆりはラクシュミを見上げたが、ひどく反抗的な目つきだった。
「お前・・・なんだその目は・・・」
王たる自分に一族の者がしていい目つきではない。
「別にいいでしょう。結界の中なんだから」
「夜中に外を出歩くな」
「私はあなたの子供を産んだ女なんだから、好きにさせて！」
ゆりはラクシュミをにらむように言ったのだった。
ミカエルは驚いたように目を見開いた。今までゆりがこのように反抗したことはないのだ。
ゆりはそのまま姿を消してしまった。
「・・・王、何があったんですか？」ミカエルがラクシュミに聞いた。今のゆりの様子は普通ではない。
「この前の交わりの月の時、あまりに一緒に過ごすときかなかったので、眠らせておいたのだ。子供が産まれて間もなかったし、まだ抱きたくなかった。だが、ゆりはそれを根にもってるようだ。」
ラクシュミはため息をついていった。
「・・その間、他の女と過ごしたんですか？」
「ゆりには絶対そんなことはないといったが、疑ってるようだな」
「本当のところどうなんです？」
「他の女とは過ごしてない」
「本当ですか？」
「ああ・・・まあいい、しばらくほっておこう」
「いいんですか？優しく愛してあげたほうがいいのではないですか？」
「不機嫌な女の相手は疲れる。それでなくても、今まで散々気を使ってきたんだからな」
ラクシュミは姿を消した。
それから5日ほどして、侍女がゆりに言った。「王妃様、そろそろあちらの寝室に戻られてはどうかと、王がおっしゃっておられましたが・・・」
「んー・・・まだいいわ」
ゆりはそっけなく答えた。
「あの・・・いつものゆり様がしばらくお出になっておられないようですが・・・」
気になった侍女はとうとう切り出した。ゆりの左目はずっと蛇の目のままだ。
「長期休暇に入ったみたい。しばらく出てこないわよ」
「どうしてですか？」
「さあ。」
その夜、ゆりは南の庭園の方の、短い草の上に寝転がっていた。今日は空は真っ暗で、月も星も見えない。ゆりはそんな空を眺めていた。
どんなに待ったって、来年にならなければ月が赤くなることはない。愛しい男に会うことも、問いただすこともできはしないのだ。
「何やってるんですか？」近づいてきたのはヴィラだった。
「別に」
「・・・最近機嫌が優れないようですね。王が困ってましたよ」
「どうせそんなに困ってないわよ」
「交わりの月の話は聞きましたが、王はあなたのことを思ってしたんですよ？」
「何も１０日全部眠らせることないじゃない。昼間会うことだってできたのに」
「昼間だって、抱いてしまうかもしれないじゃないですか」
「何言ったって無駄だよ。もうあっちはだまされたって思い込んでるし、私だってどうにかしてほしいよ。ずっと出てるの
疲れるんだから。王様が悪いんだよ。約束したこと全部忘れてるから。もし子供が生まれたら、ちゃんとほめてくれるって
言ったんだよ。それなのに・・・忘れるから悪いんだよ。ただ抱きしめて、頭をなでてくれるだけでもよかったのに」
ゆりはぼろぼろ泣き出してしまい、ヴィラはそんなゆりにかける言葉が見当たらなかった。
次の日、王の間には、ため息まじりのラクシュミと、フレイとヴィラ、ミカエルがいた。「王、こうなったら、変化して王妃に会うしかありません」
フレイの言葉に、ラクシュミの頬が引きつった。
「普段変化するのは辛いんだぞ・・・」
ラクシュミは、他の皆とは違いかなり交わりの月に変わってしまうために、非常に疲れるし、今まで普段に変化など
したこともない。
「王、お願いですからそうしてください」
ミカエルが言った。
「このままでは、王妃があまりにかわいそうです」
「大体、王が交わりの月の時にした約束をすっかり忘れてるから悪いんですよ」
ヴィラが続けて言った。
「そうですよ。子供ができたらほめてあげるって約束したのなら、そうしてあげないと、王妃が傷つくのは当然ですよ」
とミカエル。
すっかりラクシュミは悪者にされている。
「・・・・」ラクシュミは大きくため息をついた。
「王、王妃はもうすでに、危険な状況ですよ。このままでは・・・姫君の機嫌もこの所悪いですし・・・」フレイが目を細めて言う。
ゆりが全くアナスターシャに会おうとしないため、アナスターシャは泣いてばかりいた。
「王妃は子供を産むためだけに抱かれたとそう思い込まれてるのではないですか？ですからアナスターシャ様を避けてるんです」
「変化して愛していると言ってあげてください。王」
「お願いですから」
三人とも、訴えるようにラクシュミを見ている。というかほぼにらんでる。
「わかったわかった。変化すればいいんだろう。今夜変化してゆりに会う。お前たちはゆりが外に出たら部屋に戻せ」「はい！」
ミカエルとヴィラは微笑んで言った。
夜、ミカエルは城の上の方の出っ張り部分に座っているゆりを発見した。ゆりはぼんやり月を見ている。「王妃、あの時の王がお待ちですよ」
ミカエルはそっと近づいて言った。
「え？」
ゆりは顔を向けた。
「あの時の王ですよ。お部屋に行ってみてください」
「・・・」
ゆりは瞬間移動して部屋に戻った。すると、ベッドの上に、ラクシュミが腰を下ろして座っていた。
全身がいろんな色のうろこに覆われた、交わりの月の夜の、変化したラクシュミがそこにいたのだった。「ゆり・・・・」
その時、ゆりの左目が、普通の黒い瞳に戻った。そして、ゆりの両方の瞳からぼろぼろと涙が零れ落ちた。
「王様・・・どうして・・・・どうして子供ができたらもう会ってくれないの？」
ゆりが震えるような声で言った。
「子供のために抱いただけなの？」
ラクシュミは立ち上がり、ゆりを抱き寄せた。
「それは誤解というものだ。私はお前を傷つけたくなかったんだぞ」
「だって、約束したのに・・・」
「そうだな。私が悪かった。お前は死ぬほどがんばったのにな」
ラクシュミはゆりの体を抱き上げて、ベッドに乗せて、抱き寄せて頭をなでた。
「お前はよくがんばったな。」
「王様・・・」
ゆりはぽろぽろ泣きながらラクシュミに抱きついた。
「私が悪かった。すまなかったな。ゆり。もう泣かないでくれ。お前に泣かれると、私は辛い」
「うん・・・」
「私はお前を愛してる。本当なんだぞ。他の女を抱いてもいないんだぞ」
ラクシュミは優しくゆりの頭をなでて言った。
「じゃああの約束も守って」
ゆりの言葉にラクシュミはぎょっとした。
あの約束って・・・どの約束だ？
今のラクシュミは、外見は違っても中身は普段のラクシュミだったので、交わりの月のことを覚えてはいなかった。
「それは何のことだったかな？」ラクシュミは恐る恐る聞いた。
「もし子供が生まれて抱けなかったら、一杯キスしてくれるっていったよ」
ゆりが言う。
「そうだったな。」
ラクシュミは微笑んでゆりに口付けた。
なんでそんな約束したんだ。ばかめ
自分で自分に罵倒してもしょうがないが、思わずにはいられない。
何度もキスしていると、ゆりは非常に落ち着いてきた。「ゆり、私はお前がとても好きなんだぞ。それは誤解しないでくれ。な」
ゆりはうなずいた。
ずっと抱きしめて頭をなでているうちに、ゆりは安心したように眠りについた。
今度から、交わりの月のことは詳しく聞きだしておこう。そう心に誓ったラクシュミだった。
その次の日、ゆりは笑顔でアナスターシャをだっこして、アナスターシャもきゃっきゃと微笑んでいた。ゆりの侍女たちも、アナスターシャの侍女たちも、ほっと胸をなでおろした。
ラクシュミや他の者たちも同様である。ラクシュミは、普段しない変化をしたために、非常に疲れていた。だが、精神的に疲れるよりはかなりましだった。
ゆりがニコニコ明るくないと、どうも城の中の空気が悪い。
ラクシュミにはもう一人のゆりに反抗された、というのも衝撃だった。もう一人のゆりは一族の女としての価値観も理解しているはずだと思っていたが、二人のゆりは全く別人というわけでも
なく、普段のゆりが落ち込むと、もう一人の方もその感情にひきづられてしまうようだ。
交わりの月イコール子作りという意識しかもっていなかったが、どちらのゆりにとってもかなり違う思いがある、というのを、ようやくラクシュミは少し理解していた。
ミカエルがニコニコ顔で王の間に入ってきた。「王妃は笑顔でしたよ♪」
「そうか。あーやれやれ」
ラクシュミはいすの手置き部分に肘をついて顔を支えた。
「ところで、本当に交わりの月の時は女抱いていないんですか？」ミカエルはこっそり聞いてきた。
「抱いてない」
「本当ですか？」
「本当だ。」
「ならいいですけど」
ラクシュミはむっとした顔をした。
王妃が恋人をもってもいいように、別に私が側室をもったってかまわないはずなのだが・・・それを誰かが責める方がおかしいだろう
「なんでお前たちはそうゆりの味方なんだ」「だって、王妃が泣いたら悲しくなるんです。みんなそうです。だからいつもにこにこしていてほしいんです。そのためには、
王が王妃だけを可愛がってくれないと・・・」
「・・・・・」
実はラクシュミも、交わりの月にその気にならなかったわけでもなかった。普段自分の侍女に何もしないために、たまには侍女の相手でもしてやろうか、くらいの気にはなったのだが、なぜかアナスターシャがべったり引っ付いて離れなかったために、
そうはしなかったのだ。どうやら子供まで母親の味方らしい。
どいつもこいつもゆりの味方ばかりして気に食わん・・・
ラクシュミはだれかに愚痴りたかったが、誰も自分の味方をしそうにないので黙っていたのだった。
おしまい
進む
次からはちょっと明るくなりますぞ♪