第３２話
１２の月になり、例年通り、梅雨の季節がやってきた。ザーザー降りではなかったが、しとしとと雨が降ってはやんだりを繰り返している。儀式の後遺症を心配したゆりだったが、そのころには元に戻り、雨が降っても平常心だった。そのためヴィラやジュノーには
つまんないですねと言われてしまった。
今日は10日だった。午前中はハザークの侍女が竪琴を教えに来て、午後はゆりがハザークの所に行き、竪琴を披露する日だ。どれほど下手かばれてるので、ゆりももう開き直っている。城の中にはたいていあちこちに戦士がいるので、雨の日は頼んで
ハザークの塔まで瞬間移動で連れて行ってもらうのだ。
今日はゆりの手には蛇のルーが巻きついていた。
「こんにちは。ハザーク様」ゆりは侍女に部屋に入れてもらい、言った。
「ああ」
といつもの長椅子に寝そべっているハザークは答えた。
「これ、私の蛇のルーですよ」
ゆりは近づいてルーを見せた。すると、ルーはするっとゆりの手から離れて寝そべっているハザークの胸元に落ちた。
なんだかうれしそうにうねうね動いている。ハザークは気に留めない様子でルーに手を出した。するとルーはハザークの手に
ぐるぐる巻きついた。
「すごい喜んでますね。さすが、王様とは反応が違うなあ」
ゆりは感心するように言った。ハザークの部屋には、来た日によって、いろんな蛇がいる。今日は３メートルほどの蛇が部屋の
すみっこに３匹ほどいた。
「それじゃあ一曲弾きますね」ゆりは竪琴を貸してもらって、椅子にすわり、一曲奏でた。最初のころよりはかなりましにはなっている。
「どうでした？かなりうまくなったでしょう」ゆりは自信ありげに言っている。
「これってこういう曲か？」
ハザークが侍女を見て聞いた。
「途中ちょっととばされましたね」
侍女が言った。
「え？本当？」
ゆりが教えてもらう曲には楽譜がなく、ゆりは全部聞いて覚えていた。途中とんだ事も気づいてない。
「だけど、ようやく両手で弾けるようになったんですよ。」
今まで右手だけだったが、この曲は左手も使っていた。といっても、左手は同じ弦を時々つまびくくらいのものだが。
「この数ヶ月でかなり上手になられましたよ」
侍女がにこやかに言ってくれた。
「そうかな。うれしいな。でも中々曲を覚えるのが難しいなあ。」
「何度も弾いて覚えるしかないですわ」
「そうだね」
「王妃様、お茶どうぞ」
違う侍女がお茶とお菓子を出してくれた。
「ありがとう」
そのころ、ラクシュミはちょっと客が途絶えたので、休憩室で侍女に竪琴を弾かせていた。長椅子で寝そべっているラクシュミの前にアナスターシャがちょこんと座っていた。ラクシュミの侍女には５人ほど竪琴が弾ける女がいて、皆結構な腕前だった。
疲れている時にきれいな曲を聞くと、疲れが和らぐものだ。竪琴を聞くのは趣味といえばラクシュミの唯一の趣味だった。
曲が終わった後、アナスターシャが言った。「母様も早くこれだけうまくなればいいのにね」
ラクシュミはそれについては何も言わなかった。
別にゆりは竪琴を弾かせるために妻にしたわけでもないので、下手でもかまわない。ただ、聞きたくないだけだ。
ラクシュミとしては、しょっちゅうゆりの竪琴を聞いているハザークの気がしれなかった。
「それでは失礼いたします」侍女はそういって部屋を出て行った。
実はゆりの竪琴の事については、侍女たちのいいからかいネタになっていたが、それをラクシュミ本人に言うほど、侍女たちも
バカではなかった。
「でも最近はちょっとうまくなったみたいだよ。シスがあんまりピーピーいわないし」「ピーピー？」
「うん。」
「お前シスとしょっちゅう会話してるのか？」
「たまにだよ。いつ産まれるかなあ。早く一緒に遊びたいな」
「いつだろうなあ。来年か、再来年だな。そろそろ行くか。お前は私の横で結界の練習をしろ」
「はーい」
アナスターシャはラクシュミについて王の間に行った。
ゆりはハザークがいる部屋でしばらくハザーク抜きで侍女たちと会話していた。
それにしても、ハザーク様の侍女さんたちはなんて優しいんだろう。全く見分けがつかないけど。
ちょっと前には侍女たちに嫌われてるかもと思ったゆりだったが、侍女達は丁寧にゆりに竪琴を教えてくれるし、あれは全く悪気がないことだったというのがゆりにはよくわかった。
その時、扉が開いて女が入ってきた。「あら、王妃様こんにちは」
その女も、ゆりの前に座っている侍女と、同じだった。
「あれ？侍女さんって、二人じゃないの？」
「いいえ、全部で５人おりますよ」
「５人？」
「お前、区別がついてないだろう」長椅子でハザークがいい、ゆりの顔が引きつった。
「そんなことないですよ」
ゆりはハザークに顔を向けて言った。
「では、午前中、お前に竪琴を教えてのはだれだ？」
「え・・・・」
ゆりは３人を見た。３人とも同じ顔で微笑んでいた。
「・・・」
ちょっと冷や汗がでてきた。
「ハザーク様ったらそんな意地悪を。ここにはいないではないですか」
侍女の一人が言った。
「お前は目が悪そうだな」
ハザークがゆりを見て言った。
「・・・すいません。実はそうです。目がすごく悪いんです」
実は視力はかなりよかったが、侍女達に悪い気がしたので、そういった。
「よいのですよ。気にしないでくださいませ。王妃様」
「そうですよ。」
「どうもありがとう・・・」
頼むからせめて髪型変えてくれないかな・・・ゆりは切実にそう願った。
「あの・・・侍女さんたちって、ハザーク様が変身させてるんですか？それとも、侍女さんたちにそういう力があるんですか？」ゆりはちょっと疑問に思っていることを聞いてみた。
「私たちにそういう力があるんですよ。ですが半分はハザーク様のお力ですけど」
ゆりの左前に座っている侍女が言った。
「侍女さんも・・・結構な年齢？」
「まあ・・・女性に年は・・・」
「ははは、そうよね。ごめん」
確かに女性に年を聞くのは失礼なので、ゆりはそれについてはもう聞かなかった。
「他に人になれる蛇はいるんですか？」ゆりはハザークを見て聞いた。
「いいや。昔はたくさんいたがな。今はもういない」
「そうなんですか・・・」
「お前におりてくる女蛇も、人に変わる事ができた蛇だぞ。どれもかなり長い期間を生きた蛇だ。我ほどではないが」
「その蛇さんがなんで儀式で降りてくるんですか？」
「契約したからだ。ある男と」
「ある男？」
「お前は一度会ったんだったな」
「・・・もしかして、ザクート王ですか？」
「ああ」
「どういう契約ですか？」
「蛇霊神を王の子供に入れる手助けをするという契約だ。だから、ああして魂が降りてくるわけだ。」
「そうなんですか・・」
「あの男には予知能力のようなものがあったようだからな。力が衰退するのを知っていたのかもな」
「へー・・・すごいですねえ。ザクート王って。ハザーク様会ったことあります？」
「ああ」
「もう一度会いたいな。素敵な人だったもんな・・・」
ゆりは昔の事を思い出して、ちょっとぽっとなった。
「ザクート王って、どんな人でした？」
「さあな」
ハザークは、それ以上は何もゆりに教えてはくれなかった。
その夜、自分の寝室に行ったハザークは、暗闇の中、ベッドの上にいる霊体を見て眉をひそめた。それは人ではないのは一目瞭然だった。かなり薄い姿をしていたからだ。
「何しに来たんだ。お前」
その霊は寝そべったままこちらを向いた。かなり薄かったが、それでも、その姿はわかった。
ゆるやかに肩にかかる銀の髪。瞳は金色に輝き、金色の衣装を身にまとったその姿は男ながらにあまりに麗しかった。
ゆりが見ればあっと言ったに違いない。一度儀式で出会った、古の王、ザクートその人だった。
「随分な言い草ではないか。本当はうれしいくせに」男は体を起こしていった。
「うれしくない」
「ほら、お父様と言って抱きついて泣きすがってもいいんだぞ」
男は床に足をつけて、立ち上がり両手を広げていった。ハザークの頬がかなり引きつった。
「そうか・・・そんなにうれしいか。前の時はお前に会う暇もなかったからな。それでどうだ？あの腹の子供は、もう大人になったか？」
「なるわけないだろう。まだ生まれたばかりだ」
「そうなのか？てっきりあれから５０年はたってるかと思った」
「・・・・それで何しにきたんだ」
ハザークが眉をひそめたまま聞いた。
「もちろん可愛い息子に会いにきたに決まっているではないか。」
「何しにきたんだ」
ハザークの声が一段階強くなった。
「いい加減巫女を復活させろ。でないと私がつまらん」
ザクートはベッドに座り長い足を組んで言った。
「もう３千年以上あの儀式は行われていないんだぞ。ひょっとしてお前の嫌がらせじゃないのか？」
「そうではない。巫女になれる女がいなかっただけだ。今の王妃はかなりいい巫女だぞ。なにせ、お前の女をもう何人も降ろした
からな」
「そうなのか？なら、あれもできるかもな。あれ、次いつだ」
ザクートはうれしそうに聞いた。
「そんなもの知るか！」
ハザークが声を荒げて言った。
「反抗期だな」
「・・・」
「うれしいと、素直にいえない裏返しかな？ひょっとして。」
ザクートはにやりとして言った。
誰かこのばかをなんとかしてくれ・・・
「お前と話してると気が変になりそうだ」
ハザークの正体は蛇である。だが、母親は金色の蛇なのだが、父親は違っていた。人化した女蛇がザクートと交わり、卵を産んだ。それがハザークだった。蛇として産まれたが、小さいころからハザークは人になる事もできた。
ハザークを一目みたザクートは、「おお、これは私の子じゃないか♪」とあっさり認めたのだった。
ちなみに蛇が人の子供を産んだという話は大昔は結構あった話だったが今はそういうことはない。しかも、ハザークのように
長生きしている蛇はいない。
ザクート自身、人とはいってもかなり異質な存在だったが、母親の蛇もかなりの力があり、かなり長い時を生きた女蛇だった。
そのため、二つの血が混じったハザークは、かなりの魔力も持ち、なぜか一万年近くも生き続けている。
ハザークにすればいい迷惑だった。迷惑の元凶である男はたいして長い時を生きずにあっさりと亡くなっている。
「楽しみだな・・・あれ・・・」ザクートはハザークの言葉は無視していた。
「・・・お前、どうせ現れたのなら、王妃にまた護法をかけてやれ」
「護法？また子供ができたのか？」
「ああ」
「しかしあれは・・・蛇がうじゃうじゃいて呼ばれるっていう儀式だからなあ・・・それに、一番最初の子供だけっていう
決まりが・・・」
「ならもうとっとと帰れ。墓の中に」
「・・・仕方ないな。可愛い息子の頼みとあらば、聞いてやろう。王妃を連れて来い」
「待ってろ」
ハッザークはしかめっ面で言って消えた。
王の寝室で寝ていたゆりは、突然現れたハザークに理由も言われないまま移動させられた。ちなみにラクシュミもいたのだがハザークは「ちょっと王妃を借りるぞ」と言っただけだった。
ゆりはハザークの部屋に連れてこられて、ぎょっと目の前にいる男を見たのだった。「え？ザクート様？」
「ああ、変わりないな。かわいい耳の王妃」
ザクートはにこやかに言った。部屋には、灯りがひとつだけついていた。その灯りがぼんやりとあたりを照らしていた。
「え？どうしたんですか？どうして？」
ゆりはわけもわからずにハザークとザクートをきょろきょろ見た。ザクートの姿はかなり薄く、後ろが透けて見えるほどだったが
、周りはぼんやり輝いていた。だが、その顔立ちはうっとりするほど美しい。しばらく眺めていたいほどだ。
「実は、お前が二人目を孕んだと聞いて、叉護法をかけてやろうと思ったのだ」
ザクートは優しく言った。「ええ？本当ですか？」
「ああ、本当だとも」
「うれしい！」
ゆりはザクートの手を握ろうとしたが、握れなかった。
「あれ？あの時は・・・」
「私は儀式で呼ばれた時でないと、姿がはっきりとは保てないのだ」
「そうなんですか・・・」
「悩ましいお前の姿を見て心は躍っているのだが、残念だ・・・」
「え」
ゆりはドキッとして自分の体を見た。今日はラクシュミのところにいたので、ちょっときわどい透けてる寝間着を着ていた。
「・・・だって・・・ハザーク様が突然連れてくるから・・・」
ゆりはいまさら胸元を隠したが、もうかなり遅い。
「今日、ちょうどハザーク様と噂していたんですよ。ザクート様の」
ゆりは、あっそうだと思って言った。
「すごい方だって。」
ゆりの言葉にハザークはぎょっとした。
「そうか。それはそれは・・・」
ザクートは目を細めてハザークを見ている。そして意味ありげにうなずいていた。
「余計なことはいいからとっととしろ」
ハザークがせかした。
「わかったわかった。では」
ザクートは両手を胸の前で合わせて円を作り、ゆりのおなかにあてた。ゆりは再び、あの儀式の時の光輝く魔法陣のようなものを
見たのだった。
「うれしい、これでまたお外に出れるんですね」「ああ。王妃、期待しているぞ、私のー」
「そこまで、余計な事を話すんじゃない」
ハザークがさえぎった。
「いいじゃないか別に」
ザクートがハザークを見て言う。
「帰れ、どこぞの世界に」
ゆりは不思議そうに首をかしげていた。
「わかったわかった。そんなに熱くにらまなくてもいいだろう。では、達者でな。王妃」「はい、ありがとうございました」
ザクートは笑みを浮かべて消えた。
「あのー」
ゆりがハザークに話しかけた時、ザクートが叉戻ってきた。
「決めゼリフを忘れてた。わが一族に、永久の繁栄を」
ザクートはそういってまた消えた。
「・・・・」
ゆりもハザークも、しばらく沈黙していた。
「なんだか、ザクート様って前と印象が違いますね」「あいつはあの儀式の時だけは、唯一まともでいるようだな」
「唯一？」
「送ろう」
ハザークはゆりを王の寝室に戻して消えた。
「どうしたんだ？」ラクシュミはベッドの上に座って待っていた。まさかあの後グーグー寝るわけにもいかない。
「ザクート様がね、また護法してくださったの」
ゆりがうれしそうに言った。
「ザクート様が？なんできたんだ？」
思いもかけない名前を聞いてラクシュミは目を瞬いた。
「さあ、ハザーク様の所行ったらいたよ。」
「？」
「なんだか、あの二人って昔は仲がいい親友だったんじゃない？」
ゆりはそう感じていった。二人の顔立ちはそんなに似ていないので、まさか親子とは夢にも思わない。
「親友？」
「すごく仲よさそうに言い合ってたよ」
「・・・」
「明日さっそく外に出ようっと」
ゆりは楽しみにしながら眠りについた。
ラクシュミはなぜ、ザクートが現れたのか疑問だったが、後日ハザークに問いただしても知らんの一点ばりだった。もちろんラクシュミはハザークがザクート王の息子だ、などと全く知らなかったし、ハザークも、口が裂けても言うつもりは
なかったのだった。
おしまい