第54話
赤い月が終わり、国の中はまったりムードが漂っていた。
やりとげた感がある者、がっくりしている者、今年も人それぞれである。
「１、２、今年で３年目になるのかあ。うーむ」
指折り数えていたのはセリアだった。赤い月があけて、今日は北の砦で書類の整理を手伝っていた。
仕事しながらもきになるのはお腹の中にいる子供のことである。
相変わらず、子供がいる、と感じるのは食欲が増したり精神的にいらついたりすることくらいでお腹が膨らんだりといった
変化はいまだなかった。いつ産まれるのか、さっぱりわからない。
「はーい、セリア、書類追加よーん」
同期の友人がセリアの机に紙の束をどさっと置いていた。
「あーもーやる気ない」
赤い月の後は、全体的に皆やる気がない空気が漂うものでもある。
「妊婦には赤い月は関係ないでしょ。それとも今年もエルバートさんと過ごしたの？」
友人がにやにやしながら聞いてきた。
「えーさあねー」
セリアは首をかしげている。
「妊婦中なんだから他の女の子と過ごせばいいのにねえ。ミカエル様なら『戦士としての自覚が足りん』とか言いそう。それとも
セリアが離さないんじゃないのー？」
「違うわよ。もうそういう話はいいからしっし」
セリアは友人を手で追い払っていた。
実際にエルバートは他の女の子に誘われたらしいが、断ったようだ。
セリアも「他の女の子と過ごしてもいいですよ」とは言っているのだが、あまり言うと赤い月のエルバートはすぐ
いじけてしまうのだった。そしてなんだかんだと一緒に過ごしてしまうのである。
エルバートの豹変振りは相変わらずなので、セリアとしては、そういうエルバートを他の女性に見せるというのもちょっと
微妙ではあった。赤い月の男については、他の男性との経験がないので友人の話を聞く以外に比べる方法はないのだが、
性格が変わる男もよくいるそうだ。だがエルバートほど変わるという男の話はまだ聞かない。
（しかし妊婦なのに男としちゃう私って……やっぱり性欲が強いのかも）
ぼんやりしてたら「手が止まってるわよ」と怒られて、あわてて現実に戻ったセリアだった。
城のゆりの部屋には、ハインリヒが幼いドルイドを連れてやってきていた。アナスターシャ、シス、ラギもいる。
ドルイドの身体に蛇が現れたという話を聞き、皆見たがったからだった。ちょっと前には王の間で、ラクシュミがドルイドの蛇を
見て喜んだ所だ。一匹の蛇が身体にいるというのは実に喜ばしいことなのだ。
「わーほんとだ。すごいね」
「かっこいい蛇が出てきたねー」
「すごい！」
ドルイドのお腹を見て子供達は感嘆の声をあげていた。
「本当だわ。すごい！」
ゆりも子供達と一緒に喜んでいる。
「いきなりこんな蛇が出てくるのね」
とゆり。
「親と同じような色のが出てくるんだ」
「ちょっと青みがかってるね」
皆にお腹を見られて、ドルイドはびっくりした様子だった。
「20歳くらいで蛇が現れるのが多いんでしょ？ 随分早いんだね」
ラギが言った。
「そうですね。早いですよ。私の時はじょじょに現れたような気がするんですけどね。この子は一気に出ましたからね」
ハインリヒがゆりにドルイドを渡した。
「おなかずっと出してると風邪引いちゃうね」
ゆりはドルイドを抱っこして、ドルイドのお腹を服で覆っていた。
「なんかドルイド、すごい目見開いてるね」
シスが言った。確かにドルイドは目をまん丸にしてゆりを見上げている。
「本当だ。どうしたのかしら。ばあ！」
ゆりの左目が突然変わり、ドルイドはさらにびっくりした顔をしていた。
「お母さんったら脅かしちゃだめだよ」
「そうよー」
子供達は笑っている。
「ごめんね。驚いちゃった？」
蛇の目のゆりはドルイドの頬にちゅっとキスしていた。
ゆりは赤い月の間の寝不足を取り戻すべく、その夜は貝殻の歌を聞いてぐっすり眠っていた。
今夜からはしばらく一人だが、以前のように寂しくはない。
その夜、ゆりは久しぶりに夢の中で神の国へと飛び、うれしさのあまり草原を「きゃっほー」と叫びつつ走り回っていた。
「久しぶりだわーこの姿は久しぶり〜私は綺麗なガーベラちゃーん♪」
前回神の国に行ったのは、アシュランに会いに行った時だった。
自然に神の国に飛んだの本当に久しぶりのような気がする。
「る〜るる〜♪」
くるくる回っていると、草原の一角に人だかりができているのが見えた。
「なんだろう。行ってみようっと」
足取りも軽やかに行ってみると、楽器の音色と共に男性の歌が聞こえてきた。周りを取り囲んでいたのは女の妖精達である。
妖精達の間からのぞいてみると、緑の長い髪の男がリュートを弾きながら歌を歌っていた。背が高く体格も良い神で、
きりっとした眉のいい男である。
あっ！ この前出会った神様だ。緑の神だっけ、名前は……えーと……ジ……ジェ？ ジュ？ 忘れた
ゆりは緑の神がいい男だったということは覚えていたのだが、名前は忘れていた。結構重要な神で、城の庭園にも石像が
あるというのに名前を覚えていないとは、困ったことである。緑の神は結構いい声をしている。
ゆりは妖精達に混じってうっとりして聞いてしまった。
この神様ステキな声してるわ〜もしやあの巻貝の？ いや、違うかな。巻貝の歌はもっと低かったような……
うっとりして聞いていると歌が終わり、「ジュライ様ステキ！」という妖精の声が聞こえてきた。
そうそう、ジュライ様よ！
ゆりはようやく名前を思い出していた。
「ガーベラじゃないか、たまには一緒に歌うか？」
ジュライがこちらに気付き、妖精達が一斉に自分に注目した。
「え？ 私？ いえいえ。邪魔しちゃ悪いわ」
ゆりは後ろに下がっていた。
「ジュライ様、今日は私達と遊んでくださる約束ですよ」
「そうですよー」
妖精達がぶーぶーいっている。
「わかってる。わかってる。じゃあ次はみんなで歌おう」
ジュライの歌がまた始まって、ゆりはこっそりその場を離れた。
緑の神……確かダーナの恋人だったかな？ なかなか印象深い神様だわ
ジュライと女の妖精達の歌を聴きながら草原を歩いていると、もう一人ダーナの恋人ウィルが通りがかった。
「やあガーベラ」
「こんにちはウィル、ジュライって妖精達に人気があるわね」
ゆりは人だかりを示していた。ウィルはそちらを眺めて、笑っていた。
「そりゃあね、ジュライは女の妖精の人気投票では二位だからな」
「人気投票？」
いつの間にそういうのをやったのだろうかとゆりは思った。
「一位はアシュラン？ 三位はだれだっけ？」
「三位はない。ジュライとアリアスが同点二位さ。次にやったら自分が勝つと二人とも思ってるけどね」
「ダーナも鼻が高いわね」
「あの二人は奉仕精神が旺盛だからね」
ウィルがにやっとしていった。
「奉仕精神。それって、ちょっと浮気性ってこと？」
ゆりは小声で聞いた。
「まあね。だけどジュライみたいなのもいなきゃ妖精達もつまんないからね。まあいいんじゃない？ それじゃな」
ウィルは風に乗って飛んでいった。
「なるほど……妖精だって神様にかまってほしいもんね。優しくて人当たりのいい神様が人気があるのかな」
四位以降は誰が入っているのか、誰かに聞いてみたいものである。
ハロルドやサラディンは上位にランクインしそうにないなあ、と思いつつ、ゆりはサラディンの元に飛んでいた。
神の国にきたらしたいことはたくさんがあるが、まずは、あの時がんばってくれたルティアナと遊んであげたい、
そう思ったからだった。
一方、真夜中の蛇の国、シスの寝室では、当然、シスが布団に包まってぐっすり眠っていた。
その横に、誰かがやってきていた。
その人物は立ったままシスを見下ろしている。
どうしようかと思案しているような感じであった。
しばらくシスを眺めていたその人物は、出そうとした手を引っ込めて、去って行こうとした。
「ん？ 誰かいる？」
声がかかり、その人物は驚いたように振り向いた。シスが目を開けている。気配を察したようだ。
「誰？」
シスはもう一度聞いた。今度はぼんやりした声ではなかった。
「よく見えないや。誰かな？」
身体に布のようなものをかぶった人物だが、髪が長かった。同族、というのは分かるが、誰なのかさっぱりわからない。
頭が眠りから醒めたシスは目を凝らしてその人物を見た。背の高さからいって男のようだ。
男はじーとシスを眺めている。なぜか戸惑ったような表情をしているようだ。
「……ごめん。誰かな？」
男の顔を見ても、シスにはさっぱり誰なのかわからなかった。
神の国、火の神殿の入り口あたりにやってきたゆりは「はーい、こっちにおいでー」という女の子の声を聞き、神殿の外を見た。
外にいたのはルティアナである。女の火の妖精二人と、地面に座っているのは小さい子供だった。
「あ、お母さん」
「ルティアナ、何してるの？」
男の子は真っ赤な服を着ていた。床に座って手をぶんぶん振っている。
「バーナードのはいはいの練習してるの」
「バーナード」
この男の子のことのようだ。ゆりはこんな小さい妖精を見るのは初めてだった。赤い髪は燃える火のように逆立っている。
赤い瞳の男の子だ。
「ずっと練習してるけど、なかなかやんないんだよ」
「そうなの。かわいいね」
ゆりはしゃがんで男の子を眺めた。男の子はこちらを見てにこっと笑った。
「だっこしていい？」
「だめよ。髪が燃えちゃうわよ」
「え？」
「この前も言ったでしょ。この子火を吐くんだから。お母さんはだっこしちゃだめよ」
「そ、そうだったわね。つい忘れちゃって。だってかわいいんだもん」
男の子がぼっと火を吐いて、ゆりはあわてて後ろに下がっていた。
「すごい」
確かにだっこするのは危険すぎるようだ。
「ぼぼぼ」
男の子が吐いた火が蛇のような形をしていたので、ゆりは「おー」と手をたたいていた。
「かーわいい」
「かわいいでしょ。この子お父さんが一番好きなんだよ」
「へえ」
「お父さんは火吐かれるのやみたいだけどね」
「そりゃそうだろうね」
（もしかしてガーベラが生んだのかも？）
ゆりはそう思ったので子供について詳しくは聞かず、しばらくルティアナ達と過ごし、ジンラの元へと飛んだ。
ジンラは大きな酒蔵の中にいた。ゆりはジンラを見るやいなや、ジンラの手を握り締めて、
心の中で（あんなにお酒をいっぱいありがとう）とお礼を言った。
おかげでみんな泣くほど喜んだよ。ありがとう！
ジンラのお酒が飲めた感激のあまり、実際に泣いた者も大勢いたのである。
女神にじーと見つめられて、ジンラは不思議そうな顔をしていた。
「どうしたんだ？」
「今日出会えてよかった。それじゃまたね」
「あ？ ああ」
ゆりは酒蔵から出て息を吐いた。酒蔵の中はお酒の匂いが充満しているので、中にいるだけでよいそうである。
「えーと、次は……」
ゆりにはもう一人お礼を言いたい神がいた。それはハロルドだったが、あの醜態の後である。今はちょっと顔を合わせずらい。
なぜあそこにいたのか説明するのも嫌だった。だが神の国に来たのだからお礼くらいは言わなければ、
そう思いながら歩いていたら、目の前をアマンザが通りかかった。その時ゆりはピンとひらめいた。
「アマンザ」
「やあお母さん、あれ？ 久しぶりだね」
「そうだっけ？」
ゆりはにこにこしてアマンザの側に寄っていった。
「アマンザ、あのね、伝言貝ってここにあるかしら？」
ゆりは笑顔で聞いた。
「伝言貝？ あるよ」
「一つもらってもいい？」
「いいよ。もってくる」
「私も行くわ」
ゆりはアマンザについて神殿に行った。
そうよ。ここには便利なものがあるじゃない。ハロルドには伝言しよっと。そうしましょう！
面と向かって話す勇気がなかったので、ゆりはそう決心したのだった。
神殿の入り口で待っていると、アマンザが戻ってきて大きな巻貝を一つくれた。
「ありがとう。あのーこれってどうやって録音するんだっけ？」
「ろくおん？」
「声をこの中にどうやって入れるの？」
「ああ。伝言したい相手を思い浮かべて、貝を口元に当てて話すんだよ。一体誰に伝言するの？」
「ハロルド。暇な時でいいからハロルドの神殿にもって行ってくれる？」
「いいよ」
「ありがとう」
ゆりは巻貝を両手でもって、誰にも聞かれたくなかったので神殿の裏に回った。
アマンザはそんなゆりの背中を見送り、酒蔵に向かった。酒蔵の中に入ると、ジンラのほかにもう一人神がいた。
二人は会話中のようだ。
「瓶の方がいいのか？」
「そうだな。２０本ほどもらおうか。いや２５本」
「わかった。夕方には持っていこう」
「頼む」
ジンラと話していたのはハロルドだったので、アマンザは驚いた。
「夕方雲の上の神殿で宴会だそうだ」
ジンラがアマンザに説明していた。
「アマンザ、お前も神なのだから雲の上の神殿に来てもいいんだぞ」
ハロルドがいった。アマンザは雲の上で催される宴会などには行ったことはない。雲の上の神殿に行くこともめったになかった。
「いえ、僕は……遠慮します」
アマンザは首をすくめていた。
「それより、ガーベラ母さんがハロルド様に用があるみたいでしたよ。まだそこらにいるんじゃないかな」
「ガーベラが？」
「神殿の裏の方に行きましたけど」
「行ってみよう」
ハロルドは酒蔵を出て行った。
ハロルドが神殿の裏手に回ってみると、女神は背中を丸めてぶつぶつつぶやいていた。
「ガーベラ？ 何をしているんだ？」
はっと振り向いたゆりは、ハロルドの顔を見てぎょぎょっとのけぞっていた。
「あっ……お前……」
ハロルドも驚いている。どうやら今ゆりだと気付いたようだ。
「……以上、ガーベラでした」
ゆりは両手で持っていた巻貝に話して、その巻貝を、ハロルドに「はい」と渡した。
「あの、その、それじゃ私は……」
去って行こうとしたゆりの髪を、ハロルドはさっと握って引っ張っていた。
「いたたた、何するの」
「何するのじゃない。これは何だ」
「伝言でございます」
「直接言えばいいだろ」
「だって、面と向かってなんて言いづらいし……」
ハロルドは女神の髪を握り締めたまま、巻貝を耳にあてていた。
「今聞かないで！」
「黙ってろ」
ハロルドは巻貝を聞きながらゆりを睨んでいたので、ゆりはそろそろと視線をずらしていた。
まさかハロルドに会ってしまうなんて……恥ずかしすぎる……
「なんだこれ」
ハロルドは巻貝を耳から離してゆりにきいた。
「え？ だから、伝言です」
「あのーそのーえーと、この前はありがとう、本当にありがとう。本当に本当にありがとう……なんだこりゃ」
「え？ 私ありがとうしか言ってなかった？ ちょっと緊張してたから……」
ゆりは恥ずかしげだった。いろいろ言おうと思ったが、もし万が一他の誰かに聴かれたらまずいので、詳しいことも何も言わず、
当たり障りのない内容を録音することにしたのだが、緊張していたのでしどろもどろになってしまっていた。
「これくらい本人に言いに来い」
「お仕事中だと悪いと思って〜うふ」
「うふじゃない。この前どれだけ驚いたと思ってるんだ」
「あれはその、いろいろ理由があって……詳しくはいえないけど……」
「どうせしょうもない理由なんだろ？」
ハロルドに図星をさされて、ゆりは顔を引きつられていた。
「お礼なら行動で示して欲しいもんだ。４人目をがんばるとか」
「４人目って？」
「子供に決まってるだろ」
思いがけない言葉に、ゆりはがーんと口を開けていた。
「な、何言ってるの。ばかっハロルドのエッチ」
なんと女神の顔が真っ赤になっていたので、ハロルドは女神の髪から手を離していた。
「もう知らない」
ゆりはぷんと走り去ってしまった。
「おーいガーベラ……今更あんなに照れることないだろう……」
残されたハロルドはゆりの反応が意外だったのか、ぼんやりつぶやいていた。
い、今の私はハロルドとあんなことなんてできないわよーだ！
むちゃくちゃ動揺していたゆりは、酒蔵の外にいたアマンザを見つけるやそちらに走っていた。
「あ、お母さん、さっき」
「ハロルドには直接渡したから、ありがと。それじゃ」
ゆりは再び大きな胸を揺らしながら走っていった。アマンザはぽかんとして見送っている。
「あ、ハロルドのことばかって言っちゃった。ま、まあいいか」
ゆりは疲れた所で立ち止まってぜいぜい言っていた。
な、なんか、私だってわかってて言われてるのがむちゃくちゃ恥ずかしい
いちゃいちゃなんてぜえったいに無理！
「おーい、ガーベラ、どうしたんだ？ そんなに息を切らして」
空を飛んできたのはラーズだった。
「ちょっと、走ってたの」
「なんで？」
「運動してたのよ。なんとなく、そういう気分で」
「そうか。暇なら今から神殿に来ないか？」
「え？」
「仲良くしよう」
地上に降りて顔を寄せてきたラーズに微笑んで言われて、女神の顔がまた真っ赤になっていた。
「どうしたんだ？」
ラーズも驚いている。
「え？ その……ラーズったら昼間っからやだあ。私、まだ運動しなきゃ、だから、さよなら〜」
ゆりはそろそろと離れてまた走っていった。
「ガーベラ？」
ラーズは追ってはこなかった。
ど、どうしよう。私だとわかってなくても、なんかすごく恥ずかしくなってきた。こんなに恥ずかしがってちゃ、
ガーベラになれないよー
「ハロルドがあんなこと言うからよ。もう！」
ゆりは走って疲れ果ててから人間界に帰ったので、本物のガーベラはなぜ自分がこんなにも疲れているのか、
理由はさっぱり分からなかったのだった。
そして人間界のシスは、真夜中の訪問者のせいで朝まで一睡もできず、一人きりになってからずっと、
ベッドでぼんやりしていたのだった。
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