梅雨の時期は終わり、暦は今年最後の月、１３の月に入っていた。
今年ももうわずか。今年は王の力が減るという事はあったものの、それ以外では大きな戦いもなく、なんとか平和なまま終わりそう
だった。
その日、雨が上がった後、西の空に大きな虹がかかっていた。
「虹の神ラーズのおでましだ！酒を捧げよう！」
それを見た街の人々は、神々の祭壇に酒を祭った。この国では各街に、大なり小なり神話の神々を祭る祭壇があり、催し物があれば
祭壇に酒が供えられるのだった。神話の神はこの世界共通の神であり、国により様々な神を崇拝している。
酒造りが盛んな蛇の国では、酒の神ジンラが最もあがめられていた。各農園ではジンラの像があり、酒造りが始まる時には、
ジンラを祭る儀式が行われる。
ジンラとは別にラクシュミが個人的に崇拝しているのは出産の神ヒルデリアだった。もちろん一族の出産率があがるようにと
の願いが込められている。最近は前よりは出産率もちょっとよくなってきていたので、ラクシュミも少しは胸をなでおろしていた。
だが、まだまだ一族の数は足りない。
一時は、一族の者達も危機感さえ感じながら交わりの月を過ごしていたものだったが、最近では少し心境の変化が起こって
いるようだった。心にゆとりがでてきたのか前ほどぎすぎすしていないのだ。
異界から来た王妃は、人々に安らぎをもたらす役目もしているようだった。
それは王妃が産んだ幼い王女も同様である。
「きれいな虹ねー母様」
「本当にねー」
ゆりはアナスターシャと一緒に、西の方にある部屋に移動して、そこの窓から空にかかる虹を見ていた。
「虹ってなんでできるのー？」
アナスターシャに聞かれて、ゆりはぎくりとした。
えーと、どうしてできるんだっけ・・・光の加減で確か・・・
「それは虹の神が通られたからですよ」
２人の後ろにいたミラが言った。
「神様？神様が通ったの？」
アナスターシャは目を丸くしている。
「そうですよ。虹の神ラーズが通られたんですよ。ですから虹がかかったんですよ」
「へーそうなんだ・・・」
アナスターシャは納得して虹を見ている。
「虹の神様なんているんだ・・・」
ゆりは神々のことについては、さらっとしか勉強していないので、あんまり覚えてなかった。
「母様知らないの？庭に像があるじゃない。翼がある神がラーズよ」
アナスターシャが言った。
「へーそうなの。そういえば、一人だけ翼があったね」
神々の像は２０体ほど並んでいた。そのうちの一人だけに翼がついていたのを思い出した。
「１３の月に虹の神が現れると、次の年はいい年になるという言い伝えがありますよ。きっと来年はいい年になりますよ」
ミラは微笑んで言った。
「へーそうなんだ。いい年かあ・・・シスが産まれるかな。来年」
ゆりは自分のおなかをなでた。
そうなれば、確かにいい年に違いない。
「早く遊びたいな。一緒に」
アナスターシャが言った。
「来年はいい年になりますように」
ゆりは消えかかっている虹に、思わず手を合わせて言ったのだった。
第34話
年が開けて、１の月の最終日の２２日、ゆりは自分のおなかがちょっと変だということに気づいた。
フレイを呼ぶと、ゆりの想像通りのことを言った。
「おなかが膨らんできましたね」
「やっぱり？じゃあ、もうまじか？」
「そうですね。残り２０日から３０日くらいでしょう」
「今回は早いね。アナスターシャの時はもっとかかったのに」
アナスターシャはおなかにできて、４年目の１月５日に産まれた。シスの場合は、丸３年くらいで産まれることになる。
「もしかしたら交わりの月にお産まれになるかもしれませんねえ」
フレイの言葉に、ゆりは微妙な顔をした。
「あの時？終わってからの方がいいなあ。どうせなら。まあ夜は無理かもしれないけど・・・」
ゆりとしては一年で10日だけの優しい優しいラクシュミとの逢瀬なので、どうせならその後に産んだ方がよかった。
「交わりの月の間の方がいいですよ。」
「どうして？」
「その間は、敵は攻めてこないですからね。交わりの月は、あちらも子作りで忙しいんです。その間に国を出て戦うなんてことは
絶対にないですから」
「なるほど・・・それなら交わりの月の間の方がいいね」
「私は王に報告してきますね」
フレイは出て行った。
フレイが王の間でゆりのことを話すと、ラクシュミはうれしそうに微笑んだ。
「そうか、ちょうどその時ならいいな。今年は・・・４日からだったか。あれは」
交わりの月は毎年始まる日にちが違う。月の神官というのが西の大陸にいて、その神官が1の月に入ると全世界に触れを出す
のだった。その触れは毎年ずれることはない。
ラクシュミはふと、未来の息子がシスが産まれる時は大きな戦いはおきないと言っていたのを思い出した。
これはそういうことだったのかもしれない。
その場にぽっとザメハが現れた。フレイが呼んだのだった。
「聞きましたぞ。なんと親孝行な王子でしょう。今日はお祝いの酒盛りですな」
「そうですな。未来の王子に乾杯と行きましょう。」
二人はうれしそうに微笑んでいた。
「まだそうとは決まっていないんだぞ。ずれるかもしれないし」
ラクシュミが言うと、二人はそれでもいいですと言った。ただ酒盛りがしたいだけのようだ。
次の日から、いろんな人がゆりの部屋に来て、ゆりのおなかをなでていった。
皆穏やかな表情で、笑みを浮かべている。
時には将軍たちもやってきた。
すると、ゆりの左目は黄色と黒に変わり、「赤ちゃんが無事産まれるおまじないをしてほしいな」などといい、将軍たちと熱い
口付けを交わしたりもしていた。
ゆりはしばらく竪琴も休み、部屋で安静にしていた。
２の月に入ったある日、ユリウスが王の間にやってきた。
「あの、王子が御産まれになる時、私も王妃に気をあげたいのですが」
ユリウスはラクシュミに言った。
ゆりはアナスターシャが産まれた時は、著しく体力も気力も消耗していた。今回も、きっと同じだろうとラクシュミは思っている。
「そうか。なら呼んでやろう。」
「ありがとうございます」
ユリウスは微笑んだ。
「ところで・・・今年も、だれとも過ごさないのか？」
ラクシュミは遠慮がちに聞いた。
「すいません。毎年」
「そうか・・・まあいい」
「失礼します」
ユリウスは王の間を去って行った。
姿形も美しく、力も女達の中では一番なだけにもったいないが・・・
こればかりは無理強いもできないしな。まあしょうがない。
どの女もラクシュミにとっては娘のようなもの。男がいやだというものを、交われというわけにもいかなかった。
その分他の女達に期待しよう・・・
そう思っていると、次の訪問者も一族の女だった。
「王・・・ヴィラ様がひどいんです。」
「ん？どうしたんだ？」
その女はヴィラの恋人のような存在の女だった。緑っぽい髪の、おとなしめの美人だ。
悲しそうな目でラクシュミを見ていた。
「今年は誰とも過ごさないと言われて・・・私はどうしても、ヴィラ様の子供がほしいのに・・・」
その女はヴィラの子供を産んだ女とは別の女だった。
「そうか、かわいそうにな。ちょっと待ってろ」
ラクシュミはすぐさまヴィラを呼び出した。
ヴィラは王の間にやってきて、女の顔を見てぎょっとした。
「ヴィラ、だめじゃないか。恋人を悲しませたら」
「え・・・その・・・今年はどうもその気になりそうにないので・・・」
ヴィラは引きつった顔で言った。まさかラクシュミに訴えられるとは思わなかったのだろう。
「一日でも二日でもいいからシルビーと過ごしてやれ。かわいそうじゃないか。」
「かわいそうって・・・・シルビーは別に私だけってわけでも・・・」
「お前、ゆりとならすぐその気になるくせに」
ヴィラはぎくりとした。
「今年はその気になりそうになかったんで子供と遊ぼうと思ったんです。本当です」
「昼間は子供と遊んで夜シルビーと過ごせばいいじゃないか、シルビーはお前の子供が欲しいとこんなにやる気になってる
んだ。二日は過ごしてやれ」
「・・・わかりました」
「よかったな。シルビー」
ラクシュミはシルビーを見て微笑んだ。
「はい、私がんばります」
シルビーはうれしそうに微笑んでいる。
ヴィラは苦い顔をして「それでは」と言って消えた。
全くその気がない、とは言っても、何度も交わりの月を経験している男ならば、横に女がいれば、それなりにその気になるものだ。
無理なことはないだろう。ゆりにはすぐその気になるくせに・・・・全く・・・
ラクシュミは女には優しかったが、男にはあまり容赦なかった。
２の月の１０日、ハザークの侍女は、ノックされた扉を開けて、そこにゆりがいたので驚いた。
「まあ、王妃様」
「ちょっと遊びにきちゃいました」
「どうぞ」
ゆりは部屋の中にいれてもらった。侍女はもう一人いた。
「あれ？ハザーク様は？」
いつもの長椅子に、ハザークの姿はなかった。
「寝室におられますよ。」
「そうなんだ」
ゆりはいすに座った。おなかはかなり大きくなっているが、前回アナスターシャを産んだ時の半分といったところだろうか。
「御自分でこられたのですか？」
「ううん。そこまで瞬間移動で送ってもらったの。」
「そうですか。だいぶ大きくなられましたねえ」
侍女がゆりのおなかを見て言った。
「うん。びっくりだよね。お願いがあるんだ。侍女さんの竪琴が聞きたくって」
「いいですよ」
侍女は竪琴をもってきて、優しい曲を奏でてくれた。
心が落ち着く曲だった。
しばらくすると、奥の部屋からハザークがやってきた。
「王妃・・・」
ハザークはゆりの顔を見ると少し驚いたような顔をした。
「こんにちは」
「・・・もうすぐだな」
ハザークは大きくなったゆりのおなかを見た。
「はい」
ハザークは長椅子に腰を下ろした。
「せっかくザクート様に護法をかけていだたいたのに、２ヶ月くらいしか外でれなかったから残念です」
「・・・子供らが大きくなれば、出してもらえるようになるだろう」
「そうですね」
「・・・王妃・・・もし・・・」
「はい？」
ゆりが首をかしげた。
「・・・いや、なんでもない、いまさら言っても仕方ないしな」
ハザークはゆりから目をそらして言った。
「？」
「部屋まで送ろう」
「本当ですか？ありがとうございます」
ハザークはゆりに触れて部屋に飛ばした。
交わりの月に入り、ラクシュミはずっとゆりの側にいて、おなかが大きくなったゆりを抱きしめていた。
３の月の９日夜に陣痛が始まり、子供が産まれたのは１０日の昼のことだった。子供が生まれた後、上位９人の男とユリウスが
集まって、半分ずつゆりに気を与え、ラクシュミ自身もゆりに気を与えた。その日はあまっていた結界石を使い、その分の力を
ゆりに与えたのだ。
産まれた子供の産声も大きく、姿も丸々としていた。銀の髪が頭にちょっとだけついていて、瞳は輝いていた。
「シスー早く大きくなってね。それで遊ぼうね」
アナスターシャは大喜びだった。
「おめでとうございます。王・・・」
「おめでとうございます・・・」
ゆりに気をやった男たちは、みな瞳を潤ませていた。ユリウスも、出産を手伝った女達も泣いていた。
まさかこんなに早く、王子の顔が見れるとは、みんな１０年前には予想もしなかった。
「ありがとう。皆のおかげだ。」
ラクシュミは微笑んでいた。
ラクシュミは、赤ん坊のことは他の者に任せて、ぐったりしているゆりをゆりの寝室に運んで寝かせ、自分もその横に寝転んだ。
産まれた子供も愛しいが、今は交わりの月、ゆりに対する愛情も増していた。今は頑張ったゆりの側にいてやりたかった。
「お前は自慢の王妃だな」
ラクシュミは愛おしげに言い、その日はずっとゆりの頭をなでてやっていた。
おしまい