第4話

その日の午後、羊の国の中央部では一時間ほど雨が降り、雨がやんだ後には空に7色の半円がかかった。

しかも今日の虹ははっきりとした色彩で、美しかった。

虹というものは不思議なもので、人々の心に一時安らぎを与えるようである。

怒りや悲しみといった感情も、虹がぬぐい去ってくれるかのように。

どこにでも美しい景色はあるが、この虹は今一時だけのもの、だからこそ、人々は特別な気分になるのだろう。

空を見上げていた人々が虹とは違う7色の輝きに気づき、「あっ」と声をあげていた。

「ラーズ様だ！」

「ラーズ様ー！」

空に現れていたのは虹の神ラーズだったのだ。だから今日の虹はさらに美しかったのか、と人々は納得していた。

「ラーズ様ー！」

突然の神の到来も、人々にとってはうれしいものである。

空にいたラーズは虹を眺めてご満悦だった。

「きれいにかかったな。それじゃいこうか。サーラ、あれ？」

横にいたサーラがいつの間にかいなくなっている。ラーズがきょろきょろと周りを見ると、サーラはラーズから離れて飛んで行っていた。

「おーい、どこにいくんだい？」

ラーズがサーラに追いついて聞いた。

「あっちに行くの」

サーラは北を目指して、小さい翼で飛んでいったのだった。


暦は９の月である。蛇の国は全体的に快晴だったが、日差しは和らぎ、秋の到来を告げていた。

町の人々は秋といえば酒なので、ちょっとうきうき気分になっていたが、国で一番大きな病院の一室では、不穏な空気が流れていた。

この病院は主に一族の妊婦が通う病院であるのだが、ある病室では看護婦達が部屋の中の棚やベッドの下をのぞいたりして何かを捜索中だった。

「先生、何もありません」

「ないですねえ」

「ですから、何度もないって言ってるじゃないですか」

この病室に入院しているのはセリアだった。

「セリアさん、白状しなさい。食べ物を隠してることはわかってるんですよ！」

見るからに真面目そうな中年の医師は、腕を組んでセリアに詰め寄っていた。椅子に座っているセリアは「だから何もありませんってば」とさっきから

繰り返している。

「ではなぜ、体重が前よりも増加しているんですか！　おかしいでしょ！」

セリアはぽりぽりと頬をかいていた。セリアは妊娠中であるのだが、夏バテするどころか食べ物の欲求が止まらず、体重が増えすぎたために

ついには強制入院させられていたのだった。

入院して一月になるものの、セリアの体重は減るどころか増えていた。これは病院の食べ物以外の物を食べているに違いないと医師が思うのも

無理はない。というわけで今日は部屋の中を探されていたのだった。

「赤ちゃんが大きくなってるんじゃないですか？」

一緒に病室にいたエルバートがちょっと遠慮がちに聞いた。

「まだ赤ちゃんは大きくなってないですよ。さては許可なく病院を抜け出して食べてるんですか？」

「そんなことしてないです」

とセリア。

医師は後ろにいたカーラを見た。カーラはちょっとぎくりとした表情をしている。

「何か差し入れをしてるんじゃないですか？」

「してないですよ。ちょっとしか」

「ちょっと？」

医師の眉が潜まった。

「本当にちょっとだけよ。あまりにセリアがうるさいから、本当に本当にちょっとだけよ」

カーラはちょっとを強調して言った。

「お菓子は持ってきてないわよ。果物をちょっとよ」

「本当にちょっとなんですかあ？　やっぱりセリアさんが買い食いしてるんですね？」

医師はそれしかないとばかりに決めつけていた。

「先生、セリアはやっぱり仕事をしてた方がいいんじゃないかしら。このままここにいても鬱屈するだけだし」

カーラが言った。

「そうですよ。外にいた方が運動になりますし」

とセリアも目を輝かせている。

「だけどここにいないとまた余計なものばかり食べるでしょ」

医師はぐさっと言った。セリアは仕事の合間にちょっと抜け出してはいろいろ食べてしまっていたのだった。

止められていてもつい欲求に負けてしまうのである。

「食べる量が多すぎたんですから、病院のものだけ食べて昼間運動してたらやせるはずなんですがねえ」

「妊娠中だからやせにくいんじゃないかしら？」

「うーむ……」

「もー早く産んじゃいたい。でも産むのが怖い！　とか思ってると何か食べたくなっちゃうんです！」

セリアは真剣に訴えていた。

「そして、死にたいほど甘い物が食べたくなるんですう！」

「セリアさん、かわいそうに……」

エルバートはもらい泣きしている。カーラは元はといえばセリアの妊娠は自分のせいなので、あまりセリアに強く言えないようである。

医師の後ろで困った表情をしていた。

そんな時、部屋にキースがやってきた。キースは微妙な雰囲気を察して、「先生、いつもご苦労様、セリア、前よりちょっとやせたんじゃないか？」

などとセリアを見て言っていた。

「やせてないですよ」

医師がすぐ突っ込んでいた。

「そうか？　やせてみえたんだが……」

「むしろ太ってますよ」

「そ、そうかな？」

「私もむしろやせてみえますけど」

エルバートも言い出して、医師の頬が引きつっていた。

「まあ、それはいいとして、将軍、それはなんですか？」

医師はキースが手に持っていた紙袋に注目していた。

「え？　いや、これは、その……」

「渡してください」

医師は紙袋をひったくって開けていた。

「あ！」

中に入っていたのは、なんとマドレーヌだった。

「しょうぐん〜〜！　もしや差し入れ犯はあなたですね！」

医師がぴしっというとキースは「うっ」とのけぞっていた。

「差し入れ犯って……差し入れは犯罪なのか？」

「犯罪です。私があれほどだめだって言ったじゃないですか」

「すまない。セリアがあまりに不憫で……もとはといえば私のせいだし……」

キースは申し訳なさそうに言った。

「先生ひどいですよ。私は今や、どこの店に行っても食べ物の持ち帰り禁止なんですよ！」

エルバートは医師に詰め寄っている。町のレストランやお菓子屋などにはどこにも「エルバートには食べ物を持ち帰らせないように」との

お達しが渡っていたのだった。それもエルバートがセリアの頼みを断れず、すぐに甘い物を差し入れてしまうからである。

エルバートだけではない。セリアの友人連中にも、差し入れ禁止のお達しが出ているのだ。

もちろんセリア本人が行くのもだめだった。無事に赤ん坊を産ませるために、周りも必死なのである。

「何もそこまでしなくても……」と言う者もいるが、平気でケーキを丸ごとだのパンを一斤だの食べるセリアを見れば、納得するだろう。

なにせ、際限なく食べてしまうのである。

「私だって差し入れしたいのにー」

「だから禁止してるんですよ。くそう。キース将軍の頼みはさすがに断れなかったか……」

将軍に頭を下げられれば、店の主人もつい売ってしまうだろう。

「先生大丈夫だ。これは、砂糖控えめで作ってもらったから」

キースが言った。

「控えめでも10個も入ってるじゃないですか。だめです！　没収です」

医師は紙袋を取り上げてしまい、セリアは「せめて一個だけください！　お願いします！」とかなり必死で懇願していた。

しまいには泣いている。

その必死ぶりに医師は一つだけセリアにマドレーヌを渡していた。

「ありがとうございます！」

セリアはうれしそうにマドレーヌを食べて、エルバートとキース、カーラは同情気味にセリアを見ていたのだった。

「セリア、ここまで甘い物が好きじゃなかったのにねえ」

カーラはセリアのかわりように驚くばかりである。

「セルジュの影響に違いない。あいつは甘い物ばっかり食べてたからな。お菓子をつまみながら酒を飲むようなやつだった」

キースがため息交じりに言った。

「ああ、もっとセリアさんに食べさせてあげたい！」

「困ったものだ……」

医師は遠い目をしていた。どうにも周りが甘すぎて困ったものである。

セリアの出産まで後どのくらいなのか。医師の戦いもまだまだ続きそうである。



一方、飛んでいったサーラは蛇の国の城までやってきていた。

「サーラはここが好きだなあ」

「うん」

「ん？」

城の上にいたラーズは、城の南の庭園に目を向けた。

「サーラ、あっちに誰かいるぞ」

「だれ？」

庭園の東屋の近くにある大木に、半分身体を隠すように立っていたのはハロルドだった。完全に神の気配を消していたが、ラーズには

見えている。ハロルドは大きく襟があいた半袖のチュニックにズボン姿だった。腰に剣もさしていない。

「何をやってるんだ？」

その声でハロルドが近づいてくるラーズに気づいた。

「別に」

ラーズはハロルドの視線の先を見たが、庭園には今誰もいなかった。

「単なる通りすがりだ。そっちこそ、雨もないのになんでここにいるんだ？」

ハロルドがラーズに聞いた。

「こっちも通りすがりさ」

城の庭園に3人の神がそろっていると知ったら、教会の神父は説教の途中でもすっ飛んでくるに違いない。残念ながら、ハロルドがやってきたのを

知っているのは、ちょっと前になでられてご機嫌になっている天馬のプリモくらいだった。

「ガーベラをさがそっと」

ラーズにくっついていたサーラは、そういうと飛んでいった。

「え？　ガーベラ？　ガーベラって？　ガーベラも一緒に来たのか？」　」

ハロルドはきょとんとしてラーズを見た。

「いや、癒やしの泉にいた女性のことだろう。サーラはなぜか彼女のことをガーベラと呼んでいるんだよな」

「ええ？」

ハロルドは目を見開いている。それは一体どういうことなのか。ハロルドの脳裏には様々な思考が行き交っていた。

そしてラーズの様子をうかがうように「どうしてだ？」と聞いた。

「さあ」

「全然似てないだろ。ちらっとも似てないぞ。それともサーラは目が悪いのか？」

「そんなことはないと思うが……ま、どこか似てるんだろ？」

「どこが？」

「うーん、なんかおもしろそうなところとか」

ハロルドはじーとラーズを見ている。

「なんだ？」

「別に……」

「あ、そういえば」

とラーズが言いかけたとき、庭園に小さな子供がぱっと現れた。子供はこちらに気づいて、瞬間移動でハロルドの目の前にやってきた。

「あ！　あの時のおっちゃん、こんにちは」

子供はミシェイラだった。ミシェイラはハロルドに見覚えがあったようだ。ハロルドの前で元気に挨拶をしてぺこりと頭を下げていた。

ゆりに散々「おっちゃんはだめだ」と言われたミシェイラだったが、すっかり忘れているようである。

「…………」

ハロルドはちょっと引きつったまま固まっていた。

「ぷっ……」

笑ったのはラーズである。

「おっちゃん……おっちゃん……くくくく」

ラーズは笑いながら言っていたので、ハロルドは「うるさい」とちょっと赤い顔で言っていた。

「私がおっちゃんなら、お前だってそうだろ」

「私はハロルドよりは若い。生まれたのはずいぶん後だし」

「たいしてかわらんだろう」

「おっちゃん、クーは？」

ミシェイラはラーズを見上げて言った。

ミシェイラはあっさりラーズをおっちゃん呼ばわりしていたので、ラーズの肩が下がっていた。

「ねえ、クーは？　クーは？」

「クー？　クーリーフンのことかな？」

ラーズは頭をかいている。

「クーどこ？」

「クーリーフンは一緒じゃないんだよ」

ラーズは人間の言葉で言ってみたが、ミシェイラは「クー！」とクーリーフンを探しに行ってしまった。

「あらら……うーん、おっちゃんと言われたのははじめてだ……ちょっとショックだな」

ラーズがつぶやいていると、ハロルドが「ふっ」と鼻で笑っていた。

「クーリーフンに負けたか。あ、そうだ。ハロルド、ガーベラと別れたんだろ？」

突然ラーズが話題を変えた。

「私が？　いや、別れてないぞ」

「なんでだよ。ルーシアとよりを戻すって聞いたぞ」

「戻してない」

「最近二人の妖精ができたんだろ？」

「あれは、その……あーもう帰る！」

ハロルドは逃げるように消えてしまった。

「逃げたな……全く……」

ラーズがサーラを探しに行こうかどうしようかと思っていると、サーラが戻ってきた。

「ガーベラ、ねてた」

「そうか。じゃあ帰るか」

「クーリーフ〜ン！」

遠くで子供の声が聞こえてきた。まだクーリーフンを探しているようである。

「ごめんな。今度会えるといいなあ」

ラーズは相手が小さい子供なだけに、ちょっと申し訳なさそうに飛んでいったのだった。


城では夕食時、子供達は「城の中でサーラが現れたみたい」という噂で持ちきりだった。サーラを見たのは城のメイドや戦士だけで、

子供達はだれもサーラに会わなかったようである。

「何しに来たんだろうね」

「会いたかったねえ」

「母様は会わなかったの？」

アナスターシャに聞かれて、ゆりは「残念ながら会ってないのよ」とちょっと引きつった顔で答えていた。

実は別室でハインリヒと裸でいる時にサーラがぬっと現れたのだった。驚いたゆりはそのまま寝たふりをしてしまった。

「ガーベラ〜」

サーラはゆりをつんつんつついていたが、ゆりは目を開けなかった。

「すいません。寝てしまったようですね」

ハインリヒは引きつり笑いを浮かべてそう言っていた。

「バイバーイ」

サーラはしつこく起こそうとはせずに、そのまま去って行ったのだった。

こんな話を子供達に聞かせられるわけもなく、ゆりは「サーラは一人で来たのかしらねえ」などと言っていたのだった。


ちなみにミシェイラは「クーに会いたい」と言っていたが、他の神がいたことは口にしなかったために、庭園にハロルドとラーズが

いたことを、皆が知ることはなかったのだった。


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