第７話
この日は珍しく、ゆりの姿は城の北にある街の教会にあった。アナスターシャ、ラギ、シス、ナナミが「教会にお祈りに行く」、というので同行させてもらったのである。
神父のありがたい話を聞いて、皆一様に祈っていた。
ゆりも同じように祈っていたが、内容は違っていた。
（ハロルドに何もされないように……また何かに変えられないように……）
ゆりはあれから毎日びくびくしながら過ごしていたのだった。
ガーベラになると自分でもびっくりするほど大胆になってしまうのだから恐ろしい。
（皆があがめるありがたい神様にとんでもないことをしちゃったなあ）、と今更ながらに思いながら、（どうか何もしないでね）と祈っていたのだった。
神の国では、ハロルドは別に、ゆりに何かしようと考えてはいなかったが、ただ数日脱力した日々を過ごしている。
ハロルドにとってはゆりにあんなことをされたのが結構な衝撃であったようだ。
相手が人間ならば行動の予想はつくが、ゆりの行動はさっぱり読めないのだから恐ろしい。
ハロルドは一部の人間にはかなり恐れられている神であるし、それこそ姿を現しただけで龍の国の人間などはひれ伏すほどなのだ。
人間の女を夢中にさせるだけの魅力はある、とハロルドは自分では思っていたが、ゆりにとってはハロルドも人間の男となんら変わらないようである。
一番ショックなのはそこなのかもしれない。
全く変な女だ……そういえばサーラのことを言うの忘れてた
サーラがゆりのことを「ガーベラ」だと言ったことである。
まあ、中身が人間だなどと、気づく者もそうはいないだろうが……サーラがもっと話すようになったらまずいかな
ばれると困ると思うのは、やはり予測不能な行動をするガーベラに、また会いたいと思っているからだろう。
ちびちびと酒を飲んでいたらジンラがやってきた。
「来てたのか」
「ああ、アマンザに出してもらった」
ここはジンラの神殿である。明るいうちからハロルドはジンラの神殿にやってきて酒を飲んでいたのだった。
「妖精が生まれたんだってな。おめでとう」
「ああ、まあ私にはあまり関係はない妖精だが」
ジンラは新しい酒の瓶をテーブルにおいてくれた。
「なあジンラ、ジンラはガーベラとつきあってから他の女を抱いたことはないのか？」
ハロルドは突然きわどいことを聞いていた。
「え？ 突然なんだ？ 酔ってるのか？」
ジンラは目を丸くしている。
「酔ってない。ちょっと疑問に思ったんだ。ガーベラの身体は見事だとは思うが、ジンラはかなり長い間つきあってるだろう。たまには……とか考えないのか？」
アリアスとダーナのようにガーベラが恋人たちともめたという噂はあまり聞かなかったので、ハロルドは酒の勢いで聞いてみた。
「極上の酒だって、ずっと飲んでりゃ飽きるものだと思うがなあ」
ハロルドも今はガーベラだけでいいと思っているが、この先一万年もガーベラだけという自信はない。千年でもあやしい。
人間ほどではないが神だって飽きるのだ。時には違う刺激が欲しい、そう思うのはハロルドだけではないだろう。
（温和なジンラでも怒るかな？）と思ったが、ジンラは眉をつり上げることはなく、ハロルドの向かい側に座っていた。
「私自身、そう性欲があるほうじゃないからな。だが、ガーベラと離れて他の女性とそうなろうかと思ったことはある」
ジンラははぐらかすどころか真面目に答え出して、ハロルドは興味を引かれて「ほお」と言っていた。
「別にガーベラが嫌いになったわけじゃなかったんだが、神である自分に、ちょっと飽きていた。そんな感じだな。
ハロルドの仕事は変化に富んでいるだろうが、私の仕事は結構同じことの繰り返しだからな。酒造りの意欲も薄れだしていて、このままでは
いけないと思った。何かを変えたかった。それで、ガーベラとも離れようかと思ったんだ」
「へー……」
「だがあの日、ガーベラに現場を見られてしまった。それでガーベラがすごく泣いて、あの時はかなり驚いたな。ガーベラはまだ私のことを想ってくれているのに、と
思うと申し訳なくて、その時ガーベラに対する愛を改めて感じたんだ。それで新鮮な気分でガーベラを抱いたら、アマンザができたというわけだ。
私の心はすっかり変わった。子供ってのは変化にとんでいて実に素晴らしい」
ジンラは最後にはにこにこしていた。
「それって最近のことじゃないか」
「ああ、最近だ。アマンザができて、私も新鮮な気分で酒を造ることができた。毎日楽しいんだ」
「ジンラの浮気を見たガーベラが泣いた？」
「ああ、かわいそうなくらい泣いてた。ガーベラがあんなに悲しむとはその時は思わなかったな」
「なんか、その時のガーベラはおかしくなかったか？」
ハロルドは何かに引っかかって聞いた。
「ん？」
「変なこと言ってなかったか？」
「あの時ガーベラは口がきけなかったからな」
「ああ、そうだっけか」
「だが、抱くときはかなり驚いてたな。すごく恥ずかしがって頬が真っ赤になってたなあ。そういえば」
あの女だ……
ハロルドはそうに違いないと感じていた。
私だけじゃなくジンラともそうなっていたとは……
「ハロルドは子供が一気に４人もできたんだから、かなり自分でも変わったんじゃないか？」
今度はジンラが聞いていた。
「ああ、まあな。確かに子供ってのはおもしろい存在だ。ジンラは子供ができてから他の女に興味はなくなったのか？」
「ないな。女性とどうこうよりも、アマンザと酒の話をしていた方がおもしろい」
ジンラは心底そう思っているようだ。
ジェイク、キュリア、バリアス、アマンザ……今まで考えたこともなかったが、他の男たちの子供ももしやあっちが生んだのか？
なんという出産率だ。すごすぎる……
初めて知ったその事実に、ハロルドはかなり驚いていた。こうなると、ゆりはかなり神の世界に変化をもたらしていることになる。
「ラーズやオルガやラクアはどうなんだ？ なんか話を聞いたことあるか？」
「ラーズはガーベラにいまだにぞっこんだから浮気したりはしないんじゃないか？ オルガもそういう話は聞かないな。ラクアは娘がかわいくて仕方ないようだ」
「そうか」
ガーベラは男たちとのマンネリ化解消のためにもあっちに身体貸してるんだな。きっとそうに違いない
ハロルドはそうも思っていた。
「どちらも大胆すぎだ」
「ん？」
「いや、こっちの話だ」
ハロルドははぐらかして酒を飲んでいた。
人間界では、セリアは城に滞在するようになってから、精神的にもちょっと安定してきていた。昼間は仕事で外に出ることになったが、城にいるせいおかげで
食欲も抑えられている。王や王妃にこれ以上太った姿を見せたくない、と緊張しているせいでもあるだろう。
夕方ゆりに竪琴を教えてもらったすると、落ち着いた気分にもなれるのだった。
「やっぱり王妃様はすごい。側にいるだけですっごく安心できるんだもの」
とセリアは改めてゆりを尊敬していた。
そしてゆりも、「この私が竪琴の先生になるなんて！」と今までのことを思い、感動していた。自分の竪琴の練習にも身が入るというものである。
何事も、続けていればいいことがあるものだ。セリアが落ち着いてきたとカーラやキースからも感謝されて、ゆりは王妃様らしいことで褒められたのでそれも
うれしかった。
11の月に入り、酒祭りが近づいた頃、朝早くクーリーフンがゆりの元にやってきた。ゆりは自分の部屋の寝室で眠っていて、
再び化粧もしないままにクーリーフンに会う羽目になってしまった。
「おはよう。今日はまたハロルドにお使いを頼まれちゃってさ」
「え？」
ゆりはどきりとしていた。
「はい、これあげる」
クーリーフンは右手に木でできた箱を乗せていた。箱はクーリーフンの手と同じくらいの大きさで、５センチほどの高さがあった。
ゆりは引きつった顔で箱を見て、
「いりません」
と答えていた。
「えーそれじゃ困るよ。もらってくれないと」
「いや、いいです。いりませんって。第一なんでハロルドが突然贈り物なんてするのよ」
「神の国に貢献したから褒美だって言ってたよ。よかったね」
「褒美？」
前回会った時、ゆりはハロルドの手を縛ってとんずらしている。あれから神の国には行っていない。
それなのに褒美をくれるわけはない。もらうととんでもないことになるに違いないとゆりでなくても思うだろう。
「あげるっていうからもらえば？
「え？ いらないいらない。いらないって！」
ゆりはぶるぶると手を振っていた。
「気持ちだけで十分ですってハロルドにいっておいて」
「それじゃ困るよ。もらってよ」
クーリーフンは箱を押しつけようとしてきたので、ゆりは手で押していた。
「そんな怪しい物受け取れないわよ！」
ゆりは天下の軍神ハロルドからの贈り物を、「怪しい」と決めつけていた。
「もしかしたら、いいものかもよ？」
クーリーフンがほほえんで言った。
「クーリーフンは中身を知ってるの？」
「知らない」
「いいものだと思う？」
「……さあ」
クーリーフンは首をかしげている。
「それなのにすすめないでよ」
「ハロルドも神なんだから、そうそう危ない物は贈らないと思うけど？ せめて、中身を見たらどう？」
「中身を見たら……煙がもくもく出てきておばあさんに変わるんじゃないの？」
「ははは、まさかあ」
「半分の確率でそうに決まってる」
世の中そうそうおいしい話はないのである。おとぎ話は教訓だとゆりは思っていた。
「……ハロルドに何かしたの？」
ゆりが何か恐れている風だったので、クーリーフンが聞いた。
「実は……前回行った時、ハロルドを裸にして両手を後ろで結んで放置したの」
「ええ！？」
クーリーフンはハロルドが素っ裸で縛られるところを想像していた。
「あ、下は履いてたのよ。だって、浮気しようとしたから、つい……」
「ついって……」
浮気しようとしただけでその仕打ちとは、ちょっとハロルドが気の毒だと思ったクーリーフンだった。
「だからね、それを開けたら私はきっとおばあさんになってしまうわ」
ゆりは真面目な目で言った。
「そうとは決まってないと思うけど」
「７割がたそうだと思う」
先ほどよりも確率が増えていた。
「だから、もって返ってね」
ゆりは頑として箱を受け取らなかったので、クーリーフンは箱を持ったまま神の国に戻った。
そしてハロルドの元に戻ったのだった。ハロルドは自分の神殿にいた。
「これいらないってさ。気持ちだけで十分だって言ってたよ」
「なんだいらないのか」
ハロルドは箱を受け取っていた。
「遠慮深いな」
（怪しい物だと思っただけだけど……）
クーリーフンは目の前のハロルドが縛られているところをつい想像してしまった。
「彼女はハロルドが怒ってるはずだって言ってたよ」
「別に怒ってない。せっかくやろうと思ったのに」
「一体何が入ってるの？」
クーリーフンが聞くと、ハロルドは箱を開けて中身を取り出して見せた。それは金色にぴかぴか輝いていて輪っかになっていた。
表面にはつたのような模様がある。
「あれ？ それって……」
「黄金の腕輪だ」
「えー」
黄金の腕輪、それはハロルドが持っていた神器である。かつて花の女神のファティマがそれを持ち去ってしまい、大騒動になったのだ。
「……ということはつまり、ハロルドは彼女を一番の美女だと認めたということかな？」
ハロルドはかつて、「一番美しい女神に黄金の腕輪を渡す」と宣言していたのだ。
「いや」
ハロルドはあっさり否定していた。
「一番美しい女神にやるとはいっていたが、相手は人間だからまあ、無効でいいんじゃないか？ 実は昔ガーベラに近づこうと思ってこれを作らせたんだが、ガーベラには
なかなか近づけないで、仲良くなったらすっかりこれのことを忘れていた。だからもう一人のガーベラにやるのもいいかなあと」
「人間に神器を渡すのはまずいんじゃないのかな？」
「実はこれは複製品なんだ。だからただの腕輪だ」
「そうなんだ。じゃあ全くの好意だったんだ」
「ああ、だがあっちはそうは思わないだろうなとは思ったがな」
ハロルドはにやりとしていた。
「自分で普通に渡せばいいじゃない。手のこんだことをするから疑われるんだよ」
「純金の腕輪を拒否したと知ったら悔しがるだろうな」
ハロルドは腕輪を眺めながら言っていた。
「悔しがるところが見たかったとか？」
「実はそうだ」
「…………」
好意なのか悪意なのか、こうなるとよくわからない。
「さて、これをどうしようかなあ……」
ハロルドは腕輪を指でくるくる回していた。
その数日後の朝、部屋で化粧をしていたゆりの元に、ジュノーがあわてた様子でやってきた。
「王妃！ 大変です。王妃の石像が！」
「え？ 石像がおばあさんになったの！？ ひー！」
ゆりは勝手に想像して悲鳴を上げていたので、一緒にいた侍女達も「えー！ そんな！」と驚いていた。
「いえ、違いますよ。王妃の石像が、今度は腕輪をしてるんですよ！」
「腕輪？」
「かなり高価な腕輪ですよ」
ゆりはラクシュミに頼み込み、上の３人の子供達とジュノーと共に、博物館に飛んだのだった。
確かに、ゆりの石像の鳥を乗せていない左手首には、金色の腕輪が輝いていた。
「本当だー」
「綺麗な腕輪ね」
「一体だれがつけたんだろう？」
アナスターシャ、シス、ラギの３人はしげしげと腕輪を眺めている。
「金でできた腕輪なんですよ」
ジュノーが言った。
「へー高価な贈り物をもらってよかったね」
ゆりは自分そっくりな石像に言っていた。
「これ母様にってことじゃないの？」
「もらったら？」
「だめよ。石像がもらったんだからとったらかわいそうでしょ」
「かわいそうって……石像はそんなこと思わないよ」
「とれないなあ」
ラギは腕輪を取ろうとしてみたが、どうにも外せなかった。
「取るには腕を切らなきゃだめかも？」
「絶対だめ！」
ゆりが叫んでいた。
たとえ石像だろうが、そんなことはできない。
「でもさあ」
「だめだめ。私はラーズにもらった腕輪があるからいいもんね。あーよかった。石像になにもなくてよかった」
ゆりは安心して城に戻って行った。一体だれが腕輪をつけたのか、ゆりにもさっぱりわからず、まさかクーリーフンが持ってきたものがそれだったとまでは、
ゆりは思わなかった。
ゆりは悔しがるどころか喜んでいたので、それを魔法の鏡で見ていたハロルドはかなりがっかりしていた。
「なんという物欲のなさだ」
ハロルドは腕輪に魔法をかけておいた。石像を壊して手に入れようとすると、腕輪が石にかわってしまうという魔法である。
ゆりの石像に対する愛情までは計算外だった。しかもハロルドの仕業とは全然気づいていなかったので、ハロルドはまたクーリーフンを
お使いに行かせていた。
クーリーフンは面倒臭がりながらゆりに、「あの腕輪はあの時の腕輪なんだよ」と説明していた。
「え？ そうなの？ どうしてハロルドがそんな高価なものをくれたの？」
ゆりは不思議そうだった。
「それは、あなたが好きだからじゃないの？」
「はめたら何か起こるんじゃない？ 石像だから何も起らないんでしょ？」
「さあどうかな。あれ、欲しくないの？ 純金製だよ」
「私にはラーズがくれた腕輪があるからいいの」
ゆりはラーズからの贈り物を結構大事にしていた。これをラーズが作っているところを想像するだけで幸せな気分になれる。
「ラーズも喜ぶよ」
結局、真実を知ってもゆりは悔しがることはなかった。ここにきても腕輪をはめたら何か起こるはずだと思っている。それも今までのハロルドとの
やりとりのせいだろう。
「あの人はあれがいいところだよ。物欲がありすぎると神の国にはこれないよ」
神の国に帰ったクーリーフンは、おもしろくなさそうなハロルドにそう言っていた。
「なんかすごくつまらないことをしてしまった気分だ。それはいいとして、石像がなぜか変わってた。アシュランがしたに違いない」
「え？」
「うーん……アシュランは何か気づいてるんじゃないだろうな」
「たまたまじゃない？」
「だといいんだがなあ……」
アシュランに聞くこともできずに、悶々としたままその件は終わったのだった。
「王妃の石像が今度は腕輪をはめている」この一件は再び国中の話題となった。
「知らない間に腕輪が盗まれたりしないかなあ」
ラギはそっちを心配していた。
「大丈夫じゃない？」
ゆりはのほほんとして答えた。
「お母さんってば、純金の価値ってものをわかってないね。あれだけの金はこの時代とっても貴重なんだよ」
「はいはい」
ゆりの部屋で話していると、ミカエルとハインリヒがやってきた。
「王妃の石像なんですが、次は何がくると思います？ 私は耳飾りだと思うんですよね」
ミカエルが言って、ハインリヒが「私は首飾りだと思います」と言っていた。
「そうそう飾り物はこないんじゃない？」
ゆりは引きつった顔で答えた。
「お母さんよりも石像の方が豪華になっちゃうね」
ラギは笑って言っていた。
「いいの。街のみなさんが石像を見て、『ああ、これが王妃様かあ』と思えばいいの」
「結局、贈り主に心当たりはないんですか？」
ハインリヒに聞かれたゆりは、「わからないのよねえ」と答えていた。ハロルドがつけたらしいとは、あまり言いたくなかった。
「もしかして、ハロルド様がくれたんじゃない？」
ラギはゆりが何も言ってないのにずばりあてていた。
「え？ 違うわよ」
「お母さんまたハロルド様の子供を産んだんじゃないの？」
「え？子供？」
ミカエルとハインリヒの目が丸くなった。
「え？ 違う違う」
ゆりはあわてて否定していた。
「王妃、またハロルド様と仲良くしたんですかあ？」
「違うって」
「あやしい」
「そんなことしてないよー！」
「何もしてないのにあんな高価なものをくれないでしょ」
「違う違う」
と否定しながらゆりは、（もしかして、縛られてうれしかったからまたしてほしいとかいうんじゃないでしょうね）などと勘ぐっていたのだった。
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