第17話

イシュタールの肌にいた子蛇が戻ってきた。それだけでも結構な事件だったが、その蛇が肌から出てくるというのだから、周りの驚きは

大きかった。しかも子蛇はかなり大きくなっていたので、これがあの子蛇だと言われても皆ピンと来ないのも無理はない。

「世の中にこんな蛇がいるとはなあ」

とラクシュミはあっけにとられ、ゆりや子供達も驚くやら喜ぶやらだった。王の間にはラクシュミとゆり、アナスターシャにシス、ラギ、

ジュノーとヴィラ、ハインリヒがいる。

「この蛇を研究したい！」といったのはもちろんラギである。

「まさか、帰ってくるなんて！　レイアス殿も喜びますよ」

兄弟蛇を持つジュノーは、レイアスのことを思って思って目を潤ませていた。今度夢で出会うことがあるならば、真っ先に伝えたい吉報である。

「そうだな。本当によかった。早く伝えることができればいいなあ」

ヴィラもレイアスに会っていただけに、自分のことのように喜んでいた。

「へびっち、おいで〜」

アナスターシャが呼んでみたが、蛇は反応しなかった。王の間の隅っこにいるメス蛇の側にいる。


その時、ミカエルとフリットが王の間にやってきた。

「よかったなあ。蛇が戻ったって？」

二人は簡単に説明を受けて、ミカエルは蛇の帰還を喜び、フリットは蛇よりも先にイシュタールの頭が元に戻ったことを「よかった」と喜んでいた。

「でも、大きくなったわねー」

ゆりはしげしげと蛇を眺めながらつぶやいた。

「親蛇と同じくらいじゃない？　いや、親蛇よりも大きいなあ？　どうだろう」

「兄弟なのに大きさではだいぶ差がついちゃったなあ」

ジュノーはちょっと悔しそうだった。

「我々の蛇もこうやって出てきたらおもしろいのになあ」

ハインリヒが言っていた。

「本当に肌に戻れるのか？」

ラクシュミが聞いた。

「はあ、たぶん」

とイシュタール。

「戻してみてくれ」

「はい。へびっち、肌に戻ってくれ」

イシュタールは、自分でもできるのか半信半疑でへびっちの側に膝をついて手を出した。みんな固唾をのんで見守っていたが、蛇は動かなかった。

「すいません。本人の気が向かないようで」

イシュタールが頭をかいて立ち上がると、ラクシュミ他、子供達も笑っていた。

「じゃあ帰る時はどうするの？　抱いて帰るの？」

シスが聞いた。

「はあ、どうしましょうか。素直に抱かれてくれますかねえ」

「この蛇、神様に育ててもらったから自分の方が上だと思っているのかもね」

ラギが苦笑交じりに言った。

「いえ、私の中ではすでに上ですが……」

イシュタールがイシュタールらしい発言を返していた。いまや子蛇は、イシュタールにとっては「様」づけで呼んでもいいくらいの位置になっている。

「イシュタールったら。でもすごいよね。キュリアが育てたなんてね。そのせいでこんなことになるなんて！」

ゆりはキュリアのかわいらしい顔を想像しながら言っていた。蛇を育ててくれてありがとうと本人に言いたいくらいである。

「本当に立派になりましたよね」

「いいなあ」

こうなったのはパティウスが魔法の実を食べさせたせいらしいが、イシュタールはうまく説明する自信がなかったので黙っていた。

「すごいよねー」

「本当にすごいすごい」

アナスターシャとゆりはへびっちの胴体をなでていた。

「イシュタール、あのことはちゃんと言ったのか？」

フリットは小声でイシュタールに聞いていた。

「あ、ああ、実はアシュラン様が赤い月の間5日間だけ人間に近くしてくださるそうだ」

「そうなのか？　よかった！」

「ええ？！」

男達が一斉に注目し、イシュタールはちょっと恥ずかしげに皆に説明した。

「よかったですね」

「よかった！」

「ありがたい！」

といったのはもちろんラクシュミである。


王の間を出る時になると、へびっちはイシュタールの身体に入っていき、イシュタールは皆に肌についた子蛇を披露した。

「おおう！」

皆が感嘆の声をあげた。緑の蛇は肌に移るとやはり赤くなっている。

「色が変わってる」

「火の妖精だから赤じゃないとだめなのかしらねえ？」

蛇の目のゆりが首をかしげていた。

「でもかっこいい！」

「でかいなー」

「でかい分力も増すかもな」

「では失礼します」

イシュタールは服を着た。


こうして、イシュタールの肌にいる蛇の話は広まって、この蛇は一族の間ではハザークの次くらいに有名な蛇になってしまった。

ゆりから話を聞いたハザークもその蛇を見たがり、イシュタールはハザークにも見せに行った。

ハザークはしげしげと緑の蛇を見つめて、

「確かにおもしろい蛇だ。長生きしたら人化できるかも」

などと言っていた。

へびっちはハザークをしばらく見ていたが、やがて侍女にすり寄っていった。

「レイアスの影響で女好きなのかもね」

とゆりは笑っている。

「じゃあそろそろいこうか。へびっち」

イシュタールが声をかけたが、蛇は侍女にくっついたままだった。

「あの、私はこれから仕事なので、おいていってもいいですか？」

イシュタールはすんなりつれて行くのをあきらめた。

「すごく離れても平気なの？」

ゆりが聞いた。

「わからないですが、たぶん大丈夫でしょう。へびっち、私はいくぞ」

イシュタールが声をかけると、へびっちは舌を出していた。了解の意味らしい。

「それでは私はこれで」

イシュタールは本当に出て行ってしまった。

「一緒に行かなくていいんですか？」

侍女がへびっちに聞いてみたが、へびっちは焦る様子もなく、ハザークの部屋の中をうろついていた。

「本当に変な蛇だ。これが王妃の蛇紋の息子とはなあ……」

「そうですよね。そう言われると不思議ですね。こうしてると全然実感がわかないですよ」

ハザークは珍しげに、部屋の中をうろついている緑の蛇を眺めていた。



さてその頃神の国では、長い間お世話していた蛇がいなくなったので、キュリアはちょっと寂しく思っていた。

「へびっち、人間の世界でも元気にしてるのかなあ」

別れてすぐなのについこんなことを言っている。

「おーい、またカエルをもってきたよー」

パティウスが空から飛んできた。手に持っている布袋が動いている。

「もうへびっちはいないのよ。だからカエルはいらないの」

側に降りてきたパティウスにキュリアが説明すると、パティウスは「なんだ」といってでかいカエルを袋から出した。

カエルはキュリアの横をぴょんと飛び跳ねていった。

「どこにいったの？」

「人間界に行ったの」

「ふーん」

「それよりも、前にパティウスがへびっちに食べさせたの魔法の実だって、アシュラン様が言ってらしたわよ」

「そうだった？　まあ大きくなったから成長の実でもあるからいいじゃん」

パティウスは気楽に言っていた。

「まあいいけど、パティウス怒られない？」

「怒られても平気だけど？」

パティウスは全く気にしていないようである。

地上を馬に乗ってかけてくるジェイクの姿が見えた。ジェイクが馬から下りると、馬はドロンと一匹の犬に変わり、キュリアの元にかけてきた。

「いぬっち」

「わんわん」

金色の毛並みの長い犬である。例の子犬が大きくなったのがこの犬だった。「いぬっち」と命名したのはもちろんキュリアである。

「いぬっちはすっかり大きくなったね」

「馬の時は『うまっち』なの？」

とパティウスが聞いた。

「馬でもいぬっちよ。だって変身してるだけだし、名前は変わらないの」

「そうなの。ちなみにこの犬が食べたのも魔法の実だよ。だからいろいろ変身できるんだ」

とパティウスが言った。

「え？　そうなの？」

キュリアは初めて聞いたのか驚いていた。

「魔法の実は食べた動物によっていろいろ作用が違うんだよね。あの蛇はでかくなったけどね」

「へー」

「何の話？」

ジェイクが側にやってきた。

キュリアがへびっちのことを説明すると、ジェイクは「そうなんだ。かわいい蛇だったのにね」と言った。

「いぬっちに魔法の実をあげたのもパティウスなの？」

キュリアが聞いた。

「違うよ。ハロルドだよ」

「へびっちも馬とかに変身したりしてね」

ジェイクが言った。

「そりゃおもしろいね。今度見に行ってみようかなあ」

うきうき顔で言うパティウスに「だめー」とキュリアが制していた。

「もうそっとしておいてあげて」

「はーい、それじゃね」

パティウスは空を飛んでいった。

「へびっち、もし変身してもかわいがってもらえるのかな？」

キュリアはちょっと不安そうだった。

「大丈夫だよ。かわいがってもらえるよ」

「そうよね」

二人の横で、犬は後ろ足でかりかり耳をかいていた。



へびっちが人間界にやってきて5日になった。へびっちはイシュタールから離れても今の所迷子になることはなく、

夜にはイシュタールの肌に収まり屋敷に戻ってきて、娘メリッサの遊び相手になったりしていた。

一族の子供達からも、顔を見れば「蛇を見せて」と言われている。

だがへびっちは昼間はイシュタールの肌にはいなかった。どうもハザークの部屋がお気に入りらしく、そこに行きたがるのである。

なのでイシュタールはへびっちを朝預けて夕方迎えに行っていた。

「あら、今日もへびっち来てるの？」

蛇の目のゆりがハザークの部屋にやってきたときも、へびっちはハザークの部屋にいた。

「美人が多いからここが気に入ったんじゃない？」

目当ては部屋の中にいるメス蛇かとゆりは思っていた。

「でも、へびっちさんはハザーク様にもひっついているときがあるんですよ。ハザーク様が好きになったんじゃないでしょうか」

侍女が言った。

「ハザーク様が？　すごい蛇様だってのを感じてるのかしらん？」

ゆりはハザークを見たが、ハザークは「さあ？」とばかりに首をかしげていた。

「そういえば、セリアさんはもう出産されたんですか？」

侍女が紅茶を出して聞いた。

「まだなの。今日か明日か明後日か、私も落ち着かなくてうろうろしてるの」

ゆりは立ったまま説明していた。

「そうですか」

「他人の出産でもどきどきしちゃうわよねーじっとしていられなくて」

ゆりは紅茶を飲むと部屋を出て行った。やはり落ち着かないらしい。


「王妃のお子様はいつごろになるんでしょうねえ」

侍女がハザークに話しかけた。

「さあなあ。ん？」

へびっちがハザークの長いすの側までやってきて鎌首をもたげていた。

じーとハザークを見ている。

「何か我に言いたいことでもあるのか？」

ハザークが聞いてみると、なんとへびっちはうなずいていた。

「何だ？」

「…………」

へびっちは話せるわけではないので黙っていた。

「そのうち話せるようになりますかねえ？」

侍女が聞いた。

「さあなあ。なるかもな」

へびっちは何かを訴えるのをあきらめたのか、長いすの側でとぐろをまいていた。


自分の部屋に戻ったゆりの元に、侍女がやってきた。

「セリア様に陣痛らしきものがおこったそうです」

「ええ？　ついにきたー！」

ゆりはラクシュミに移動の許可をもらいに部屋を飛び出して行ったのだった。


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つづく