第19話
セリアが出産して5日が過ぎていた。セリアはまだ病院で安静にしている。
産後の身体の状態はなかなか良好のようで、母親のカーラは喜んでいた。
自分が出産した時はしばらく身体が辛かったため、心配していたようだ。
赤ん坊のセルジュは、よく眠り、よくミルクを飲んでいる。毎日ひっきりなしに訪問者が訪れているようだ。
一族の皆も、今回の出産は、王族が生まれたかのような喜びようだった。
ゆりもセリアのことがどうにも気になって、病院に何度か訪れている。
この日はミシェイラ以外の子供達も一緒に病院にやってきていた。
セリアはゆりの顔を見ると喜んで、「王妃様のおかげで、無事出産できました」と再び感謝していたので、ゆりとしてもうれしかった。
ついでに他の妊婦達にも顔を見せている。子供達は張り切ってるゆりを見てほほえんでいた。
「母様ったらすごく楽しそう」
「みんなに喜ばれてうれしいみたい」
シスに続きアナスターシャが言った。
「でも元気そうでよかったね」
シスがベッドに座っているセリアに言った。
「はい、結構安産だったようです。やはり王妃様の力です」
「ははは、そうかもね。いつ退院するの？」
ラギが聞いた。
「後5日ほどはいなさいって言われました。どっちみち、3ヶ月は仕事しちゃだめって言われてるんですよ。
この後なにしようか困ってるんですよ」
セリアは少々困った様子だった。身体を休めるためとはいえ、3ヶ月も家でじっとしているというのは退屈すぎる。
「まあいいじゃない。3月なんてすぐよ。今まで苦労したんだから休んだら？」
アナスターシャが言った。
「苦労だなんて……」
「セルジュのお世話はだれがするの？」
ナナミが聞いた。
「お母さんがするんじゃないんですか？ とりあえずうちの屋敷であずかるみたいですよ」
「毎日キース将軍が来そうだね」
「噂では生まれてからも落ち着かないらしいからね。でもうれしそうだからよかったよ」
ラギとシスは笑って言った。キースは赤ん坊が無事生まれるのかという緊張感からは解放されていたが、
まだ仕事をしてても気がそぞろらしい。
「ふふ。セルジュってさすがキース将軍の子供よね。さっき側に行った時、なんと私の思念に反応したのよ」
アナスターシャが言い出して、みな驚いていた。
「赤ちゃんは思念がわかるの？」
ナナミが聞いた。
「他の赤ちゃんはなかなか反応しないの。セルジュはすごく反応がよかったよ。将来強くなるからかな？」
「へーそうなんだ」
「さすがセルジュさん、すごいですね」
シスに続いてセリアも感心していた。赤ん坊なのについ「さん」づけで呼んでいる。
「どう反応したの？」
ラギが聞いた。
「こっち向いてって言ったらすぐ向いたの」
「たまたまじゃない？」
「私の顔を見てたもんね。まあ美人だから見てたのかもしれないけど」
アナスターシャは自分で言っていた。
「ちなみにラギが思念を使えるのは私のおかげなの。だから感謝してよね」
アナスターシャがラギの肩をつんつんたたいていた。
「恩着せがましいなー」
「私のおかげだもんね」
「私が思念使えるのもアー姉のおかげ？」
ナナミが聞いた。
「ナナミは元々力あったから自分のおかげよ」
「そうなんだ」
「ラギだけは私のおかげ」
「もーうるさいよ」
シスはやれやれといった表情である。
セリアは子供達のやりとりを見て、楽しそうにほほえんでいた。
その頃一緒に来ていたロイは、病院の中を一人でうろついていた。途中まではゆりと一緒に他の妊婦に会ったりしていたのだが、
飽きて別行動をしている。
ロイは病院の受付までやってきて、受付の横の待合室をちらりと見た。そこには診察待ちの患者が10人ほど座っていたのだが、
ロイはその一人に目をとめて側によっていった。
「あれー？マリカじゃない、何してるの？」
そこに座っていたのは、城のメイドのマリカだった。
「ロイ様じゃないですか。こんにちは」
マリカは青のワンピース姿で、全くの普段着だったが、金色の髪は仕事の時と同じように頭の後ろで綺麗に束ねられていた。
「あれ？ もしかして、赤ちゃんできたの？」
ロイがにやっとして聞いた。
「できてないですよ。ちょっと具合が悪くて、来てただけです」
「どこが具合悪いの？ どこ？」
ロイはしつこく聞いてマリカの様子をうかがっていた。
「どこでもいいじゃないですか。ロイ様こそどうしてここにいらっしゃるんですか？」
「僕？ 僕は将軍の赤ちゃんを見に来たんだよ。マリカ、具合が悪かったら仕事休みなよ。じゃあね」
ロイは最後には優しい言葉をかけてマリカから離れた。
「どうもありがとうございます」
マリカは去って行くロイに言った。
ロイがセリアの部屋に戻るとゆりは帰ってきていた。一同は城に戻り、その頃には待合室にいたマリカの姿も消えていたのだった。
ハザークの部屋には今日もへびっちがやってきていた。朝ここにへびっちを連れてくるのがもうイシュタールの日課になっている。
へびっちは人の言葉によく反応するので、ミシェイラが気に入ってよく遊んでいた。ミシェイラは今年もう6歳になるが、普通の子供よりは
外見も中身もゆっくりめに成長している。会話もまだすらすらとはできないが、ハザークや侍女達にとっては、
それでも成長が早いと感じるようである。
「もうこんなに言葉を知ってるなんてすごい」
と相変わらず親ばかぶりを発揮している。ミシェイラの銀色の髪は肩まで伸びていた。金色の髪も左右にちょんちょんとある。
アナスターシャの小さい時にそっくりだ、と最近よく言われていた。かわいい盛りである。前ほどラクシュミにべったりすることは
なくなった。一人で勝手に行動することも増えている。
「へびっちもたべる？」
ミシェイラはへびっちにクッキーを出していたが、へびっちは口を開けなかった。
「人間になればたべる？ 人間になって」
ミシェイラが言ってみたが、へびっちはちょっと胴体をうねらせただけだった。
「パパ、へびっち、人にして」
ミシェイラはハザークに懇願していた。
「うーん、残念だが我には無理だなあ。この蛇は素質があるから、まあ後100、いや200年くらい生きればどうにかなるかも
しれないが……」
ハザークはちょっと申し訳なさそうに答えていた。
「なんで？」
「人になるには魔力ってのが必要で……」
「なんでなんで？」
「だからな、魔力がないと人になれないんだ」
「なんで？」
難しいことを言われてもミシェイラにはさっぱり理解できない。侍女が近づいてきて、
「へびっちさんは、まだ蛇のままいたいんですよ。きっと」
と言った。
「そうなの？ なんで？」
ミシェイラはへびっちに首をかしげていた。
「みんな人になればいーのにね」
「そうだなー」
クッキーを食べ終わると、ミシェイラは床に座り込んだ。
「あっちむいてホイ」
ミシェイラはへびっちの目の前で指を上に向けたり下に向けたりしていた。
「ホイってなんだ？」
ハザークが聞いた。
「ホイって、しらない。マーがおしえたの。マーにきいて。あっちむいて……ホイ！」
へびっちはミシェイラにつきあって顔を上に向けたり横に向けたりしていた。やはりそこらの蛇よりは賢いようである。
「もうへやにいく」
ミシェイラはすたっと立ち上がった。へびっちと遊ぶのに飽きたようだ。子供はきまぐれである。興味の対象もころころ変わるのだった。
「それでは一緒に行きましょう」
侍女が言った。
「いーの。ひとりでかえるの」
「え？」
「だめだ。一人は危ないぞ。階段が多いし、転んだらどうするんだ？」
ハザークは人並みの父親のように心配していた。
「へいきだもん。きちゃだめ。だめよ」
「ですが……」
侍女は心配顔である。
「だめだ。だめだ。我が部屋まで送ってやる」
ハザークは問答無用でミシェイラを移動させた。
「あーもー」
移動させられたミシェイラは口をとがらせていた。下を見ると緑の蛇がいた。
「あ、へびっちがいる」
へびっちは移動するときにミシェイラの足の上に顔を乗せていたので一緒にきたようだった。
「ミシェイラ様、おかえりなさいませ」
部屋で待っていた二人の侍女が近づいてきた。
「マーは？ かえったのー？」
「もうお帰りですよ」
「マーのとこにいこうっと」
ミシェイラは部屋を出て行き、へびっちもついていった。
その頃、ゆりは部屋で長椅子に座り、横にいたジュノーにセリアのことを話していた。
興奮した様子でひとしきり話し終わると、
「本当に無事生まれてよかったですよ」
とジュノーがうれしそうに返した。
「我々も本当にうれしくて、未だに祝い酒を飲んでるくらいですよ」
「フフ、そうなの」
「マー」
扉を開けて、ミシェイラがやってきた。
「あら、ミシェイラ」
ミシェイラはゆりの膝の上に乗ってゆりに抱きついた。
その後ろからへびっちも入ってきていた。
「へびっちも一緒なの？」
「うん、パパがびゅんっておくったの。ひどいの」
「ふーん、なんでひどいの？」
「だってねーあるいてかえるのにね、びゅんって」
「そうなの。ミシェイラは歩いて帰りたかったんだ」
「うん」
ミシェイラはゆりの膝の上に乗ったまま大きくうなずいていた。
「かわいらしいですね。だいぶ言葉が増えましたね」
ジュノーがほほえんで言った。
「かしこいの」
ミシェイラは自慢げである。
「賢いですよ。この頃のアナスターシャ様と本当にそっくりで」
「よく言われるの。まあ似てるかな。私の遺伝子が薄い……」
「いでんしって？」
「こっちのことよー。今日はパパの所で何をしたの？」
ゆりが聞いた。
「あのねークッキーたべてねーそれでホイってした。ホイってなに？」
「ホイ？」
「あっちむいてー」
「あーあのホイね。ホイに、別に意味はないなあ。ただのかけ声で」
ジュノーは袖をめくり、へびっちに自分の右腕にいる蛇を見せていた。
「へびっち、お前の兄弟だよ。私の蛇も出てきたらおもしろいのになあ」
今や大きさではだいぶへびっちの方がでかくなってしまった。元が同じでかさとは信じられないほどである。
へびっちは鎌首をもたげてジュノーの右腕を見ている。
「兄弟だってわかるかな？ へびっちをレイアス殿に見せてあげたいなあ」
右腕をジーとみていたへびっちだったが、思いもかけない行動にでた。なんとそのままジュノーの腕にするりと入ってしまったのである。
それは一瞬の出来事で、ジュノーは手を引っ込めることもできず、ただ「ああ！」と驚きの声をあげただけだった。
ミシェイラに気を取られていたゆりは全くその場を見ていなかった。
「どうしたの？」
「へびっちが……」
「あれ？ へびっちはどこに行ったの？」
床にはへびっちの姿はなかった。
「ここです。腕の中に入ってしまいました」
「ええ？」
ジュノーは上着を脱いでシャツのボタンも外してみた。すると、ジュノーの右腕から肩を周り、胸にへびっちの頭があるではないか。
「うわっすごい！」
ゆりはあっけにとられていた。
「へびっち、どうしてそこにいるの？」
ミシェイラは不思議そうだった。
「ジュノーの肌にいるときは緑のままなんだ」
ゆりはそこに気づいた。イシュタールの肌だと赤く変わっていたからだ。
「すごいなーすごく鮮やかな蛇だな。イシュタール殿に怒られますかね？」
ジュノーがシャツのボタンを閉めながら聞いた。
「別に怒らないんじゃない？ そのうちまた出てくるでしょ」
ゆりは気楽だった。
「いやーイシュタール殿には悪いけど、なんかうれしいな」
鮮やかな蛇は強い男の印である。へびっちはでかくて鮮やかなだけに、ジュノーはかなりうれしそうだった。
ジュノーはイシュタールにへびっちが自分の肌に入ってしまったと思念を送ってみた。すると、イシュタールからはあっさり、
「そうか。しばらく頼む」と返ってきた。
「しばらく頼むって言われました」
ジュノーはゆりに言った。
「ちょっとの間あずかっておいたら？」
ゆりの左目は蛇の目に変わっていた。
「ですよね。まあいいか。肌にいるうちにクリスに見せてきます」
「そう。じゃあまたね」
「また来ます」
ジュノーはうれしそうに去って行った。
「別にイシュタールじゃなくてもいいんだ？ だれの肌でも行っちゃうのかな？」
ゆりは首をかしげていた。
「ねえ、マー、へびっち、人にして」
膝の上に乗ったままのミシェイラが言った。
「それはマーには無理だなあ」
「ちぇーもっとあそびたいのに」
「ねーとにーに遊んでもらったら？」
「うん」
ミシェイラは膝から降りて部屋を出て行った。
「あ、みんな勉強中かな？ まあいいか」
ゆりはしまったと思ったが、もうミシェイラは行ってしまったのでそのまま何もしなかった。
案の定ロイは不在で他の子供達は修行中、だれも遊んでくれなかったためにミシェイラは怒ってしまい、
力で子供達の部屋の中をぐしゃぐしゃにしてしまった。
蛇の目のゆりは子供達からぶーぶー文句を言われながら、侍女と一緒に部屋の片付けをしたのだったが、ラクシュミだけは、
「おーたいした力だ」と一人喜んでいたのだった。
屋敷に帰り、ジュノーは得意げに自分の肌を息子のクリスに見せていた。
クリスは大興奮して、ヴィラの息子のヴィンセントまで呼んでいた。
「スゲーかっこいい！」
「すごいすごい！」
二人とも何度もすごいを繰り返している。
「ははは、いいだろー」
まだ裸になるには寒いので、ジュノーはすぐ服を着ていた。
「イシュタール様から奪ったの？」
ヴィンセントに言われてジュノーの肩がずるりと下がった。
「違うよ。ちょっと借りただけだよ」
「ええーどうやって借りたの？」
「さあ」
「僕にも貸して」
「僕も僕も」
二人とも手を出している。ジュノーはその手をぺちぺちたたいた。
「子供のくせに何をいってるんだよ」
「ちょっとでいいからすごい蛇が欲しい！ そしてみんなに自慢する」
「僕だって！」
「貸して−」
「貸してー」
「貸して貸して貸して！」
子供達から貸してコールが始まって、ジュノーは服を着て逃げたのだった。
夜になってもへびっちは出て行かなかった。一体いつまでいるつもりなのか、さっぱり不明である。
ジュノーの肌を見に来たヴィラは、「ほー」と感心していた。
「こうやってみるとすごいな」
ヴィラはまじまじとジュノーの肌にいるへびっちを眺めていた。でかいだけにかなりの迫力を感じるのである。
「強くなった気分だ」
ジュノーは腰に腕をあてていた。
「イシュタール殿、怒ってるんじゃないのか？」
ヴィラが笑いながら聞いた。
「いや、私も心配になって、さっきも聞いてみたが、別に怒ってないって。まさかイシュタール殿がいやで私の所にきたわけでは
ないだろうし」
「私の肌にも来るかな？ おいで」
ヴィラが手をジュノーの胸にひっつけてみたが、へびっちはちらりとも動かなかった。
「兄弟で一緒にいたいのさ」
ジュノーは服を着て蛇をしまった。
「兄弟でねえ」
「きっと明日の朝には出て行くんだろうなあ。まあ、つかの間の喜びってところだろうなあ」
ジュノーは本気でそう思っていたのだが、次の朝になってもへびっちは肌にいたままだった。
ジュノーはどうしても誰かに話がしたくて、起きて支度をしてすぐヴィラの屋敷に移動していた。
そして一緒に朝食を食べながら話をしたのだった。
「まだいるのか」
「どうやったら、へびっちが出て行くんだろう？」
「まあいいじゃないか。好きなだけいてもらったら？」
ヴィラは気楽に言って紅茶を飲んでいる。ちょっと眠そうな顔つきだった。
「それだけじゃないんだ。なんか変な夢を見た。へびっちが何か言いたそうにじーと私を見てるんだよ」
ジュノーは真剣な表情で言った。
「ふーん？」
「だが、何が言いたいのかさっぱりわからない。言いたいことがあるなら、なんでイシュタール殿に言わないんだろう？」
「イシュタール殿に聞いてみたら？」
「それだけじゃないんだ。朝見たら、元からいた子蛇の、顔が動いてた」
「え？」
ジュノーは上着を脱いで、シャツの袖のボタンを外してめくった。確かに子蛇の顔がちょっと横に移動している。
「本当だ。まあ、子蛇は動くようだし、ジェナサイトの子蛇なんかしょっちゅう移動してるし……」
食堂にヴィンセントがやってきた。ヴィンセントはジュノーを見るなり目を輝かせた。
「ジュノー様、まだへびっちはいるの？」
「ああ、まだいる」
「いいなあ。僕ほしいなあ」
ヴィンセントはジュノーにすりすりしていた。
「とにかく、ちょっとイシュタール殿の所に行ってみたら？」
ヴィラが言った。
「うーん……イシュタール殿、本当に怒ってないだろうか。それが心配で」
「殴られるんじゃない？」
ヴィンセントが言った。
「え……まさか」
「きっとカンカンだと思うけどな」
「余計なことを言うんじゃない。イシュタール殿はそういう性格じゃないから怒ってないだろう」
ヴィラはヴィンセントを手で払っていた。ヴィンセントは名残惜しげにジュノーから離れた。
「そうだよなあ……」
ジュノーはちょっぴり心配げだった。
「僕、殴られてもいいからへびっちが欲しい！」
ヴィンセントはしつこく言っていたが、二人はもう無視して朝食を食べた。
ジュノーは意を決して、その後イシュタールの屋敷を訪ねてみた。
「あー、ジュノーおはよう」
イシュタールは笑みを浮かべてジュノーを屋敷の中に入れた。
「あの、一つ聞きますけど、イシュタール殿、怒ってないですね？」
ジュノーは確認するように聞いた。
「何を怒るんだ？」
「へびっちがまだ肌にいるんですよ。それで怒ってないかと思って」
「へびっちが勝手に行ったんだろ？ ちょっと見てもいいか？」
「はい」
ジュノーは客間で前をはだけでイシュタールにへびっちを見せていた。
「あ、ジュノーの肌にいるときは緑なんだ」
イシュタールもそこに気づいていた。
「ありがとう。緑のままでいたかったのかもなあ」
イシュタールは真面目に言っていた。
「のんきですねえ。子蛇が返ってこなかったらどうしようとか思わないんですか？」
ジュノーは服を着ながら聞いた。
「別に。まあ自由な蛇だし。それに今は正直他のことで頭がいっぱいで」
イシュタールは頭をかいていた。
「なんですか？」
「来月のことだよ。今年は大丈夫そうだと言ったら、彼女達がすごく張り切ってしまって……なんだか不安になってきた。
失望させたらどうしよう」
「アシュラン様がしてくださったんだから、大丈夫でしょう」
「だといいが……私はそっちで頭がいっぱいなんで、へびっちは好きなだけ預かってくれ。私はへびっちが元気で生きてるなら、
細かいことはいいんだ」
「はあ、そうですか」
どうやらイシュタールは本気でそう思っているらしい。ジュノーは釈然としないまま屋敷を後にした。
私ならば、子蛇がいなくなったりして別の男の蛇に行ったりしたら、眠れないほど悔しいと思うが……
イシュタール殿はいろいろありすぎてそう思わないのかもしれないな
一時は亡くなったと思ってたんだもんな。生きているだけでいいと思うものなのかも……
「なあ、へびっち、今日はハザーク様の所には行かないのかな？」
ジュノーは胸元を見ながら聞いてみたが、へびっちが答えるわけもなかった。
「このまま仕事に行ってもいいかな？」
ジュノーはそのまま仕事に行き、夕方まで仕事をしてこの日は早めに寝た。
するとまた夢にへびっちが出てきた。
やはり何かを訴えるようにじっとジュノーを見上げている。
「何かして欲しいとか？」
ジュノーがしゃがんで聞いてみると、へびっちはうなずいていた。
「そうなんだ。何をして欲しいんだ？」
そう聞くと、顔を横に揺らしている。
「何をして欲しいのかなー？」
へびっちは胴体を移動させて、頭と胴体で円を描いた。
「……円？ 丸？ 丸いもの？ ボールで遊んでほしいわけでもないし……なんだ？」
へびっちは今度は鎌首をもたげたり胴体を上下にうならせたりしていたが、ジュノーにその思いはさっぱり伝わらなかった。
ジュノーは悩みまくったがさっぱりわからず、夢は終わったのだった。
目覚めてもジュノーはそのことが気になってしょうがなかった。
「うーん。へびっちもイシュタール殿に訴えればいいのに……いや、きっとイシュタール殿は悩みが多いからかわいそうだと
思ったんだろうな……それとも鈍くて気づいてくれなかったとか」
ジュノーはぶつぶついいながら寝間着を脱いで、元にいた子蛇の頭がまたちょっと動いているのに気づいた。
「また動いた。へびっちに触発されてるのかね？」
そうとしか思えない。
3日目ともなると、へびっちの話はかなり広まっていて、戦士達からは「いいなー」とうらやましがられ、子供達からは「僕の肌にちょっと
移動させてください」などと言われていた。
昼間ジュノーが南の砦の食堂にいると、たまたま出会ったミカエルからは肌を見せろと言われ、ジュノーは「やですよ」と答えていた。
「なんでだよ」
「儀式でもないのに男の前で裸になりたくないですよ」
その時ジュノーはちらりと、このままで儀式をしている様子を想像してしまった。他の男達からちょっと変な目でみられそうである。
「本当にいるのかー？」
「いますよ。へびっちが勝手に来たんですよ」
「イシュタールの肌が居心地が悪くなったのかな」
ミカエルはあごに手をあてて言っていた。
「そういうわけではないと思いますけど……」
「実は、お前の彼女とイシュタールの彼女がちょっとやりあったらしいぞ」
ミカエルは小声でささやくように言った。ジュノーは仰天していた。
「いつですか？」
「今朝、街で会ってちょっと言い合いになったらしい。イシュタールの彼女は今年は待ちに待った時だと燃えてるからな。
蛇が消えたとあっては、ちょっと嫌みも言いたくなったんだろう」
ジュノーは渋い表情をしていた。確かに、イシュタールの彼女の心理は理解できる。
肌の蛇は性欲を駆り立てるものでもあるからだ。
「返したいのはやまやまなんですがどうやったら出て行くのかさっぱり……蛇のことはやはりハザーク様に聞いてみようかな」
ジュノーは真剣に蛇を返したいと思うようになっていた。
「カーライル様ならあそこにいらっしゃるけどな」
ミカエルが食堂の反対方向を差していた。
見ると、横の女戦士に親しげに話しかけているエルバートがいる。確かに顔つきからいってカーライルだった。
「いいところに。聞いてみます」
ジュノーはすぐに移動した。
「カーライル様、ちょっと相談に乗って欲しいんですが」
ジュノーが強引に話しかけると、カーライルは「今は忙しい」とにべもなく断っていた。
「本当に君の瞳は美しい。君のその瞳を眺めながら酒が飲めたら……」
カーライルはかまわず、横にいる青いロングヘアを束ねた女性に話しかけていた。
「カーライル様ったらお願いしますよ」
ジュノーは負けずにカーライルをつついていた。
「忙しいっていってるだろう」
「彼女をくどいてるだけじゃないですか。病院の受付の女性はもうやめたんですか？」
ジュノーがずばり聞くと、カーライルはジュノーをにらんでいた。
「彼女は今妊娠中だ」
「振られたんですね」
「あっちに行け」
「お願いしますよ」
ジュノーも必死である。すると女性が、「へびっちはまだいるんですか？」と聞いてきた。
「そのへびっちのことで相談があるんです。お願いしますよ」
ジュノーは強引にカーライルの腕を取って移動させてしまった。
「あーこらーまったく」
ジュノーは移動したのは、砦の中の別の部屋だった。
「一体何の用なんだ？」
カーライルはにらみながら聞いていた。
「へびっちが夢の中で私に訴えてくるんですよ。それが何かさっぱりわからないんですよ。お願いですから相談に乗ってください」
ジュノーは必死に頼んでいる。カーライルは仕方なしにという表情でイスに座り、足を組んだ。
「噂は聞いたが、なぜイシュタールの肌がお前のところにきたんだ？」
「私だって理由を知りたいですよ。たぶん、イシュタール殿がさっぱりだめだったので、私に訴えることにしたんじゃないかと」
「そうか。あの男は鈍そうだからな」
カーライルはずばり言っていた。
「蛇がして欲しいことってなんですか？」
「してほしいこと？ うーん……欲しいものといえば、エサくらいしか思いつかないが……エサなら大量にあるだろうしなあ」
城の中でも街の中でも、蛇がエサに困ることはまずない。
「へびっちは、丸くなったり、うねったりするんですよ」
「卵は？」
「卵ならうちの屋敷にありますけど別になんとも」
「…………」
カーライルはかなり頭をひねっていたが、やっぱり分らなかった。
蛇同士でもよくわからないようである。ジュノーはやはりハザークに聞こうと、夕方ゆりに一緒に行ってもらい、ハザークにも
聞いたのだった。ハザークもカーライル同様かなり頭をひねっていたが、最後には「わからん」と言っていた。
「もしかして、へびっちは神の国に帰りたくなったのかしら？ それでイシュタールには言えなくてジュノーに訴えてるとか？」
ゆりは皆が思いつかないことを言っていた。
「はあ、そうでしょうかねえ？」
「キュリアに会いたいのかな？」
ジュノーはこの場では服を着ていたので、へびっちの反応は見えなかった。
「その場合、私にはどうにもできませんが」
とジュノー。
「そういえば、我にもなんか訴えてるようだったがなあ」
ハザークがそのことを思いだした。
「へびっちとは会話はできなかったんですか？」
ゆりが聞いた。
「会話をするにはもうちょっと大きくないとなあ……」
「魔法で人にするのはどうでしょう？」
ゆりは閃いて聞いた。人になれば、ジェスチャーでも伝えられるはずである。
「うーん、人にするにはかなり小さいな。もしかしたら子供くらいにはなるかもしれないが……どうかな？ 無理そうだが」
ハザークも自信がなさそうだった。
「今度へびっちが出てきたら教えてよ。もし魔法がかけられたらかけてもらいましょ。無理なら一緒に考えるから」
「わかりました」
二人はハザークの部屋を後にした。
「へびっちったら何をして欲しいのかしらね？」
「本当に、何をして欲しいんでしょうね」
ジュノーとゆりは城の中で別れた。
夕食時、子供達もゆりもへびっちの話題で持ちきりだった。子供達はいろいろ言っていたが、最後には
「神の国に帰りたいんじゃない？」という意見になっていた。その場合、だれに訴えても願いをかなえることはできないだろう。
「私が一緒に寝れば、あっちに行けることもあるかもしれないけど、でもこっちにいてほしいしねえ」
ゆりだってへびっちと別れたくはない。
「ねえ、マー いつへびうむの？」
ミシェイラが突然会話に割って入った。
「マーは人間の赤ちゃんを産むのよ。蛇は産まないのよ」
ゆりは優しく説明した。
「パパのこどもでしょ？」
「え……？」
その時「また？」とロイが言っていた。
「違うのよ。王様、トーの子供よ」
「トーとパパのこども？」
ミシェイラは無垢な瞳を向けて聞いた。
「え……いや……」
そこら辺の説明は、どうにもミシェイラにはしにくい。なぜならミシェイラは、パパとトーの子供だからだ。
他の子供は違うと言っていいものかどうか、そこは難しい。アナスターシャとラギは、困っているゆりを見てにやっとしていた。
「そうだよ。トーとパパのこどもだよ」
シスがあっさり肯定してゆりはあせっていた。
「ちょっと、そんなこと言っちゃだめよ」
「まあいいじゃない」
「いや、よくないでしょ」
「え？ またなの？」
しつこく言うロイを、ゆりはにらんでいた。
「それよりもミシェイラは、この子男だと思う？ 女だと思う？」
ゆりは笑顔で話をすりかえた。
「メスよ」
「メス？ 女の子ってこと？」
「へびっちみたいなメスがいいな」
「蛇は産まないって言ってるのに……」
「私も女の子に一票。最近女だと思ってきたの」
アナスターシャが言った。
「へーアナスターシャの予感はあたるからねえ」
「やだ。男じゃなきゃやだ」
ロイが口をとがらせて言っていた。
「一緒に悪いことするんだ」
「しなくていいの。他のみんなはどう思う？」
「僕は男の子希望だけどね。でも女の子でもいいよ」
シスが言い、ラギは「僕も男の子みたいな。でも女の子でもいい」と言っていた。
「私は男がいい」
最後にナナミが言った。
「どうして？ 前は女の子だって言ってなかった？」
ゆりが聞くと、「女の子はパパがかわいがりすぎるからもういいや」と言っていた。
ナナミはまだミシェイラに焼き餅を焼いているようである。
さてその晩、ジュノーの夢にはまたへびっちが現れていた。ジュノーはへびっちを観察して、
「丸い食べ物が欲しいとか？」
と言ってみた。するとへびっちはなんとうなずいた。
夢はそこで終わったので、朝起きてからジュノーは、蛇が好きな丸い食べ物についてクリスと考えた。
「卵はありきたりだし、わかった。まるまる太った鳥だよ。お父さん！」
「そうかもなあ。よし、後で買ってこよう」
この日は休みだったので、この際、ジュノーはへびっちのことをとことん考えることにした。
朝市場が開き、ジュノーはまるまる太った鶏を買ってきて、部屋の中に離した。そして裸になった。
鶏は「コケッコー」と鳴きながら部屋の中を走り回っていたが、へびっちは全く反応しなかった。
ジュノーは学校に行っている息子のクリスに「鶏はだめだった」と思念を送った。
するとクリスからは「ヒヨコじゃない？」と思念が帰ってきた。
「ヒヨコかもな」
ジュノーは再び市場に行って、ヒヨコを買ってきた。部屋に離して脱いだものの、へびっちの反応はなかった。代わりに
部屋にいた他の蛇がヒヨコを食べていた。
―ヒヨコもだめだ
ジュノーはクリスにまた思念を送った。
―ジュノー様、丸っこいウサギじゃないですか？
話を聞いたのか、ヴィンセントから思念がきた。
―ウサギいいかも！
クリスも賛成している。
「うさぎか」
ジュノーは再び市場に行き太ったうさぎを買ってきたのだが、へびっちの反応はなかった。
「うーん、違うか。他に何があるかな？」
裸のまま市場に行けばてっとり早いだろうが、それだけは避けたい所である。
「野生の鳥ってこともあるかなあ。それを捕るのは大変だし……」
ジュノーは卵が入ったカゴをおいてみたりもしたのだが、へびっちは反応しない。
―わかった。死んだ鳥がいいんじゃない？
―切ったお肉はどう？
―やっぱりねずみかな？
―いやいや、ねずみは丸くないよ！
―死んだうさぎは？
―カエルは？
―今カエルっているの？
子供たちから何だかんだ思念が飛んできてかなりうるさい状態になっていたので、ジュノーは「うるさいよ」と思念を閉じてしまった。
考えてみれば、特殊な蛇なので、蛇が食べるものを好むとも限らない。
ジュノーは今度は丸い果物などを買ってきたが、へびっちの反応はなく、やけになったのか丸いケーキやどの甘い食べ物
を買ってきたが、やはり反応はなかった。
「あーもう、疲れた」
市場を行ったりきたりしたジュノーは疲れて、午後は昼寝をしてしまったのだった。
つづく
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