第82話

早朝、シャナーンは何かのいい匂いをかいで目を覚ましていた。顔の横に置いてあるのは一輪の大きな花である。

黄色い、複数の花びらが折り重なった大きな花だった。

シャナーンは起き上がってその花を手に取っていた。

「３度目か……いい匂いだな……」

シャナーンは視線を感じた気がして窓に目を向けた。ベランダに出る大きな窓を開けて外を眺めたが、誰もいなかった。

はるか上空に、一人の妖精が浮いていた。

一時ゆりの中に入っていた妖精だったが、この妖精はシャナーンがすっかり気に入ってしまったらしい。

「シャナーン、今日も素敵よ。がんばっ！」

妖精はその場を去って行き、シャナーンが目にすることはなかったのだった。


神の国では昼間、ハロルドが雲の上の神殿にやってきていた。ヒルデリアや、他の女神や妖精達もいまだにピカピカ輝いている。神殿の中のムードも明るい。

前回もこうだったのか、とハロルドは前回のことを思いだそうとしたが、さっぱり思いだせなかった。なにせ、その時の彼女がだれかも覚えていないのである。

ヒルデリアはアシュランとの間に妖精を生んでいた。しかも以前いなくなった妖精を再び生んだのである。妖精の転生は初めてのことである。

その妖精にハロルドは、

「お兄様はすっかり穏やかになられましたね」

と言われていた。以前はもっと荒々しかったと言いたいようである。

「すっかり丸ーくなられましたわ」

「そんなことないだろう」

とハロルドは返したが、妖精は笑っていた。

「丸くなった」と言われてもハロルドには自分のことはわからなかった。

確かに、昔はもっと粗暴だったかもしれない。今は分別がついただけのような気もする。

ハロルドはグレンとすれ違った。グレンだけは相変わらず元のままである。

（ガーベラとのこと、どう思ってるのやら？）

グレンはガーベラの恋人になりがたるわけでもないようだ。

（ガーベラを抱いても好きにならないなんて、記憶がないせいかな？）

グレンのことは、ハロルドにとっても謎である。


ハロルドはアシュランの広間から出て行く妖精達とすれ違った。広間の中には他に客はいなかったので、ハロルドはアシュランの側に近づいて行った。

「いやー相変わらず女たちは皆美しいな。手を出したくなって困ってしまうな。ははは」

アシュランは陽気に笑っていた。

「当分はやめてくれ。せっかくヒルデリアの機嫌がいいんだからな」

「はっはっは」

「なあ、グレンに何か嫌がらせでもしてるんだろ」

ハロルドはこっそり聞いてみた。

「嫌がらせ？　いや、何もしてないぞ」

「じゃあなんであいつはあんないつも通りの暗い顔つきなんだ？」

「え、いや、私はあの事については何もいってないぞ。責めてもいないし」

「本当かあ？」

「本当だ。儀式に参加したらどうだ、と勧めたくらいだからな」

「そうか？　まあアシュランに遠慮してるのかもしれんが……ところで、あっちのガーベラに神石をやっただろう。一体どんな効果があるんだ？　教えろ」

ハロルドは小声でささやくように聞いた。

「ああ、あれか？　なんだ、夜這いにいったのか？」

「行ってないわ！」

「秘密だ。おしえなーい」

「なんでだ」

「想像させる方が楽しいから」

アシュランはにやにやして言っていた。

「まったく……」

「女のことをそんなに気にするなんて……確かにお前、変わったな」

「うるさい」

ハロルドはふんと横を向いていた。


さて人間界神の国では、ゆりはまったりと夏日を過ごしている。ハロルドと男たちが鉢合わせする事件があり、他の男たちはみな「ハロルドに会ったのが自分じゃなくてよかった」と思っていた。

ゆりはこの日、アシュランにもらった宝石をつけていた。

「ハロルドは何かあるかもって言ってたけど、なんだろう？　まあ何もない方がいいけど……」

何かあった方が怖かったゆりはそう思っていた。

神様から何かをもらいすぎるのも困るのではないだろうか。世の中、「ただより高いものはない」のである。

（褒美で石をもらうってのが気楽でいいわ。石は結構増えたし、もっと増えればいいなあ）

ミシェイラには「今日は何個増えた？」と毎日聞かれていた。再びミシェイラを驚かせたいものである。

ゆりはベビーベッドの中で寝ているレーヌに気づいた。

「あ、レーヌ、起きて、また夜眠らないつもりなんでしょ。だめ、おきなさーい」

ゆりはレーヌの頬をつついたり、抱っこしたりしたが、レーヌはがんとして起きなかった。すやすや眠っている。

「うう、夜型になっちゃう。でも気持ちよさそうに寝てるからいいかなあ……」

ぶつぶつ言っていたら扉をノックする音がして、シャナーンの姿が見えた。扉は蛇のためにちょっと開いているのである。

「いらっしゃい」

「こんにちは、王妃」

シャナーンは、手に大きな花を一本持っていた。

「あら、綺麗ね」

「実は不思議なことがあって、話を聞いていただきたいと思ってきたんですよ」

「なになに？」

シャナーンは、朝枕元に時々置いてある花のことをゆりに話したのだった。


「朝、枕元にお花が置いてあるなんて、ロマンチックねー」

ゆりはレーヌを起こすことはすっかりあきらめて、シャナーンの話に聞き入っていた。

ゆりは大きな黄色い花のにおいをかいでいた。とてもいい匂いの花である。シャナーンが調べたところ、どの花も、町の市場ではあまりみかけない花らしい。

「そうなんだ。確かに、シャナーンに気づかれずに側にやってくるなんて普通の人間じゃないっぽいけど、実はヴィクター将軍だったらびっくりだけど」

「父には一応聞きました。やっぱり違うようで」

「よかった。やっぱりこういうことするのは、女性なのかな？　まあ、相手の素性がわかるまで、そっとしておくのがいいのかもね」

「女性ですかね……彼女達でもないようなんですが……」

「まあ、世の中不思議なことがいろいろあるからね」

ゆりが言うと、シャナーンは笑っていた。

「部屋に飾ってあげたらいいんじゃないかな。きっと、これを置いた人は、シャナーンを元気にさせたいと思っておいたんだと思うよ」

「そうでしょうか……」

「うん」

ゆりは花をシャナーンに返した。

「王妃、あの……」

「何？」

「いえ……」

シャナーンは言いにくそうだった。

「今回の儀式のことなんですが……私は、本当にうれしいです。覚えてなくても、考えただけで泣けてくるほど、うれしいです」

「シャナーン……私の恋人でいてくれてありがとう」

ゆりはお礼を言いたい気分になった。

「いえ、私の方が、私を恋人にしてくださって、本当に感謝しています」

二人は手を握り合っていた。

「ところで、また儀式があったとして、元のような儀式ができると思う？」

自信がなかったゆりはちょっと聞いてみた。

「大丈夫ですよ。たぶん」

「たぶん……」

「何かあったら、阻止します。全力で」

「その時はお願いね」

「はい」

「ふふ」

ゆりはおかしくなって笑ってしまった。

（今回は子供ができたらどうしようと思ったけど、今のところは大丈夫みたい？　さすがに父親が１０分の１の確率ってのもなあ……まあ、できたらできたでいいけど……）

身体の変調はなかった。しばらくは、妊娠しない状態を満喫したい気もしないでもない。

「そうだ。せっかくだから、竪琴でも聞いて。最近練習してないけど」

「いいんですか？　レーヌ様はぐっすりですけど……」

「むしろ起こした方がいいくらいよ。最近夜起きてて大変なんだから」

「そうなんですか」

ゆりは穏やかな曲を一曲奏でた。練習をさぼっていても、なんとか弾けた。

レーヌはまったく起きない。

「私の竪琴で眠っていられるなんて……」

「お上手でしたよ？」

「もう一曲」

今度はちょっとテンポの速い曲を奏でたが、レーヌは起きなかった。

「また夜寝ない気ね。そうだ。シャナーン、今晩来る？」

うれしそうな顔をしたシャナーンだったが、

「いえ、夜は遠慮します」

と断っていた。

「ハロルドもそう続けてこないと思うけど」

「はあ、でも、もしもということもありますんで……」

「そう？」

「ハロルド様にお会いしたいとは思っているんですが・・・・・・」

「そんなしょっちゅう来てないのよ。この前がたまたまよ」

「わかってますが」

シャナーンはどうしても来る気はないらしい。ゆりはその後会ったヴィラに聞いてみたが、「夜は遠慮します」と言われた。

皆ハロルドと鉢合わせるのが相当怖いらしい。

しかしその代わりに、話を聞いた子供たちが入れ替わり立ち代わりゆりの部屋で寝るようになってしまった。

そしてハロルドが来ないとぶーぶー文句を言っている。

「毎晩来るわけないでしょ？」

「じゃあ呼んでよ」

「呼べないわよ」

「母様、お願い〜」

アナスターシャはゆりの服をつかんで引っ張っていた。

「クー、クー来る？　いつ来る？」

ミシェイラは別のことを期待している。

「僕はライオネル様でもいい」

とロイは言っていた。


面倒になってきたから王様のところで寝ようかなー


とゆりは思ったが、夜になるとレーヌの目はらんらんと輝き、ゆりの側を離れると不機嫌になり泣いたりするので、離せなかった。


「ハロルド様〜いらして〜」

「クーこい、クーこい！」

「私は誰でもいいから会いたい」

ゆりの寝室では子供たちが神様を呼ぶ夜が続いたのだった。



終わり

あとがきに続く

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