第９話
「実は、ハザーク様の侍女とチューしちゃった」
ヴィラの屋敷の酒飲の間に入るなり、ジュノーはこんなことを言っていた。
「チュウしちゃった？」
ヴィラが聞き返した。
「チューしちゃった。どうもあの時はへびっちに意識を乗っ取られたっぽい」
昨日ハザークに呼ばれた後、ジュノーは侍女に会ったのだった。ジュノーはその時ふらふらと侍女にキスしてしまったのだが、どうもへびっちの意識が出ていたっぽいと自分で思っていたのだった。
「へー侍女さんに殴られなかったか？」
「向こうもへびっちだって気づいてるっぽかった。すごく喜んでてさあ。他の侍女達もわらわらとやってきてさ、全員とチューした」
「そうか。へびっち、まだ人になる元気はないっぽいな」
ヴィラは、ジュノーがハザークの侍女とキスしたことについては、別になんとも思っていないようだ。
「半分私の意識はあったんだが、侍女さんかわいくなってたなあ。へびっちの前じゃあんなにかわいいんだなあと思った」
「そうか。へびっち、早く人になれればいいなあ。来年の赤い月までには。無理だったら、お前の体を乗っ取って侍女さんとしちゃいかねないな」
ヴィラは笑いながら言っている。
「恋人の他に５人となんて、死ぬわ。冗談じゃない」
ジュノーは喜ぶどころか青くなっていた。
「その時はへびっちはお前に譲る」
「無理無理」
ヴィラは両手を横に振っている。
「まあ、それまでには人になってるだろう。今もたまに外に出てるからな」
「そうなのか？」
「朝起きるとたまに外に出てるぞ。これのおかげか、メキメキ元気にはなってるっぽい」
ジュノーの胸には赤い魔石がついたネックレスがある。へびっちはこれから力をもらっているようである。
「しかし、こんなに時間がかかるなんて、過去では本当に大変だったんだなあ」
ジュノーはしみじみと思っていたのだった。
ゆりは無事儀式が終わり、とってもすごい蛇が体に入ってきた。この時代では過去のように儀式が成功したからといって花火をあげたり国中でお祝いしたりはしない。
新聞にでも出ようものなら、ゆりも男達も赤面してしまうことだろう。ゆりは何度も儀式をしているので周りの儀式に対するありがたみもかなり薄れてきているが、
過去の時代では儀式はそう成功しなかったし、一度成功すれば結構な蛇が入ってきた。昔はいい蛇霊神がたくさんいたせいだろう。
ゆりが過去に行ってした儀式では大量の蛇が女王と自分にやってきたが、あの量の蛇霊神を入れることができる巫女は、あの後も現れていないに違いない。
周りが騒いでいなかったので、ムサカもカールも儀式が成功したことはすぐに気づかなかった。
ムサカは、自分の世話をしてくれている侍女に話を聞いて知ったのだった。
「めでたいことだ。これはお祝いをいいに行かねば」
ムサカはそう思った。
ゆりは朝食を食べて後庭園を散歩して部屋にいた。天気も良く、庭園に咲き乱れる花を見て、ゆりは清々しい気分になっている。
朝になり、ムラムラ気分はかなり収まっていたのでゆりはほっとしていた。
そんな頃、ムサカが部屋にやってきた。
「王妃様、おはようございます」
「おはようございます。ムサカさん、毎日子供達の面倒を見てくださって、ありがとうございます」
ゆりはムサカに感謝の言葉を述べていた。ムサカは力の使い方のコツを子供達に教えてくれているようだ。ロイもシスもナナミも、かなりムサカを慕っている。
「いえいえ、王妃様、儀式を成功されたようですな。おめでとうございます。城の中はかわりなかったので全く気づきませんでしたぞ」
ゆりに促されて、ムサカは椅子に腰を下ろしながら言った。
「私は何度も儀式をしていますからねえ。儀式をしたからって過去の世界みたいなことにはならないです。恥ずかしいですし」
ゆりはムサカの向かい側に座った。
「この時代では蛇霊神を呼ぶことも大変でしょう。王妃様はやはり素晴らしい巫女ですぞ」
「いえいえ、あははは」
ほめられてもゆりは微妙な顔付きである。
そして、ムサカも微妙な顔付きになってきた。ゆりは全く気づいていなかったが、ゆりの気に変化が生じていた。だんだんピンク色の気が混じってきている。しかも、部屋の中に
いい匂いもしてきた。ムサカにすれば思ってもいない展開である。
（まずい、逃げねば……）
ムサカは反射的にそう思ったが、ゆりは「過去の時代の新しい巫女さんはどんな方ですか？」と話を続けていた。
「良い巫女ですぞ、ディラン達とも仲良くやってますし」
ムサカはどうにか去りたいとおしりをむずむずさせていたが、去って行くタイミングがつかめない、というか、どうにも去りたくない気持ちが出てきているのかもしれない。
ゆりが発する匂いは一族の男にとってはあまりにも甘美な匂いなのである。王や女王が発する匂いににているが、今のゆりの匂いはその匂いよりも官能的だった。
「そうですか」
ゆりはちょっとしょんぼりしていたので、「仲良くとはそういう意味ではないですぞ。ディラン達は巫女の儀式には参加しておりませんから。儀式はゆり様とだけと決めておるようで」
とムサカは付け加えた。
「そうなんですか。うれしいな」
「巫女もゆり様のことは大変尊敬しておりましたよ。無事儀式もできましてなあ。子どもが二人目の時の儀式は一人目の儀式よりも難しいという話でしたが、よかったですわい」
「そうですか。へびっちががんばって助けた王女様、いつか会ってみたいですねえ」
「そうですなあ。わしが帰る頃には大きくなってるでしょうなあ……」
ムサカの姿がぼやけてきたので、ゆりは目をごしごしこすっていた。
「どうしました？」
「なんだか目がおかしくて」
どう見てもムサカの姿がぼやけている。
「大丈夫ですか？」
「はい」
ぼやけていたムサカの姿が定まってきた。と思ったら、まったく違う顔の男が目の前に座っていたので、ゆりは目を思いっきり見開いている。
「王妃様、どうかしましたか？」
「え？ いえ……」
（やばい、目がおかしくなってきた。銀髪の大人の男の人が座っている）
「儀式もしたばかり、ゆっくり休まれた方がよいでしょう……」
ムサカは自分で言っているうちに、自分の声が違うのに気づいてはっとしていた。しわがれた声ではない。若い声である。
「あの、ムサカさんですか？」
「いえ、これは……」
「すごい、若くなることもできるんですか？」
ゆりの目がキラキラになってきた。ゆりのピンクの気は獲物を捕らえる捕食者モードになっていたが、ゆりはあまりに驚いていたので自分で気づいていなかった。
ムサカの方はゆりの気の圧力にのけぞっている。
「では、わ、わしはこれで……」
「魔法なんですか？ 魔法で若くなってるんですか？」
「何のことやらわかりませんな」
目の前のムサカはラクシュミよりも年齢はかなり上である。大きめのウエーブがかかった肩までの銀色の髪、金色の輝く瞳。聡明そうな品のある顔立ちは、やはり王族の血を思わせる。
背筋もまっすぐ伸びているし、老人姿とはまるで別人である。
ムサカは気力を振り絞り、「ではわしはこれで」と去って行こうとした。ゆりは「待ってください」と立ち上がり、慌てていたので足がもつれてすっころんでいた。
「ぎゃ！」
「王妃様！ 大丈夫ですか？」
ムサカはゆりに駆け寄った。
「大丈夫です」
ゆりはがっしりとムサカの腕をつかんでいる。
「え……あの……」
「失礼します！」
ゆりはムサカのあごに触っていた。手にもひげの感触はない。
「目の前のムサカさんがすっごく若く見えるんですけど」
「わしがですかあ？ まさか」
ムサカは半笑いでゆりから離れようとしていたが、ゆりはムサカを離さなかった。
「本当なんですよ。ほんとーに若く見えるんです！ ひげもないです。手でも触れないし」
「気のせいですぞ。離してくだされ」
「声も若く聞こえるんです！ 髪もふさふさですよ！」
「いや、あの、王妃様……」
ゆりは迫る勢いでムサカを捕まえていたので、ムサカの方は困っていた。すっかりゆりの気と匂いに包まれてしまっている。
「え？ もしかして、私のせい？ 儀式の後遺症ですか？ フレイやザメハも若く見えるとか？ でもひげの感触もないし、髪に触ることもできるし、どういうことなんですか？」
ゆりは顔を近づけてムサカの髪にまで触っていた。
「頼むから離れてくだされ。これ以上は、ちょっとキツ……」
言いながらもムサカはゆりに口づけてしまっていた。とうとう陥落してしまったらしい。
「ん？ ん……んー！？」
ゆりは迫っておきながら自分でも驚いていた。
自分がこれほどまでの誘惑の気を発しているとは自分で気づいていなかったようである。
ムサカは今はもうゆりの頬に両手をあてて口づけ、舌までからめていた。
ゆりは目を白黒させている。
（おじいちゃんにキスされた。やっぱりおじいちゃんじゃない？ やばい、どきどきする……おじいちゃんじゃないよー！！！）
ムサカはゆりから唇を離すと、かなり困った顔付きになっていた。濃厚なキスをされたゆりは真っ赤な顔で呆然としている。
「やれやれ、まさかこんなことになるとは困りましたね」
「あの、私もお願いします」
ゆりの左目が蛇の目になっていた。蛇の目のゆりは自分からムサカに抱きついて唇を覆っていた。
「母様いるー？」
その時シスがゆりの部屋にやってきて、ひっついている二人を見て扉を閉めた。そしてまた開いていた。
「あれ？ どなた？」
「ステキ、王様が年齢いったらこういう感じになるのかしら。いや、王様ならもっときつい顔付きになるのかなあ。王様より優しい顔立ちですね」
ムサカはラクシュミに比べると、目元は優しげな印象だった。
シスは近づいてきてムサカをじーと眺めている。
「王族の方がいるよ。どこからいらっしゃったの？」
「ムサカ様」
「え？ え？ ム……えー？！」
ムサカはとうとう天を仰いでいた。
ムサカは老人に戻り、ゆりは黒目のゆりに戻っていた。ムサカは部屋の隅っこに座り、ゆりから離れている。
シスはしばらく茫然自失になっていたが、やがてはっと正気に戻って部屋の窓を全開にしていた。
「母様気がまっピンクになってるよ。ものすごいよ。匂いもすごいよ」
「すいません。全く気づきませんで。これは儀式の後遺症なんです。でも、私の気でムサカさんが若返っちゃうなんてすごいじゃないですか！」
ゆりはムサカが若くなったのは自分のせいだと思っていた。
「ムサカ様、そうなんですか？」
シスが聞いた。
「いやー参りましたな。実は、先ほどの姿がわしの本当の姿でしてな。この姿の方が魔法なのです」
ムサカがとうとう白状し、ゆりもシスも目が点になっていた。
「えーなぜわざわざ老人になってるんですか？」
シスが聞いた。
「老人じゃない！？ 老人じゃない。老人じゃない」
ゆりは小声でぶつぶつ言っている。あまりに驚き過ぎているようだ。
「いろいろありましてな。しばらく外ではあの姿でおります。ハインリヒ達も知らないようなので、内密にしていただきたいんですが……」
「ハインリヒも知らないんだ。聞いたらびっくりするだろうなあ」
「もったいないですよ。せっかくステキなのに……」
ゆりは残念そうだ。
「先ほどはすっかり王妃様の気にあてられてしまいましたが、もう二度とあのようなことはいたしませんので」
「もう二度と会ってくれないつもりなんですか？ そんなのさみしいです。何もしないから会ってください」
「いや、その……」
「来てくれなかったら誘惑しにいきますからねー」
「母様ったら」
「冗談ですよ。すいませんでした」
ゆりは頭を下げている。
「儀式のせいなんです。普段の私はこうじゃないんです！」
ゆりは早口で言った。
「わかっておりますよ。ではこれにて失礼します」
ようやくムサカは部屋から出て行ったのだった。
「本当にわかってるかな。ハレンチ王妃だって思ってないかな？」
ゆりは今更気にしている。
「大丈夫だよ」
何が大丈夫なのか、シスは微笑んでいる。
「おじいちゃんにキスされたかと思ったからびっくりしちゃったけど、おじさまならいいかあ……いやよくない。何言ってるんだ私は！ 過去からの大事なお客様なのに。
私のばか！」
ゆりはちょっと自己嫌悪に陥っている。
「ねえ、なんでわざわざ老人になってるんだと思う？」
興味深げに聞いたのは蛇の目のゆりだった。
「さあ。わからないよ。ラギに言ってもいいかなあ。内緒はつらいよ」
「ラギだけならいいんじゃない？ でも二人でハインリヒに内緒にできるの？」
「うーん……できるかな？」
「あんなに完璧に老人の姿を続けられるなんて、すごいよねえ」
「うん。まるで気づかなかったもんねえ。すごいよね。あまりに変わりすぎてびっくりだよ」
「髪ふさふさのムサカさん、よかったなあ。個人的に恋人になってほしい」
「ハインリヒが寝込むかもよ」
「まだまだいけるのにもったいなーい！」
部屋の扉がノックされて、今度はカールがやってきた。
「あのー儀式が成功されたと聞きまして、お祝いに……」
部屋に入ったカールの頬は赤くなっていた。
部屋にはまだゆりの匂いが残っていたようだ。カールもムサカもゆりの淫気にはまったく免疫がない。ちょっと一緒にいただけでころっといってしまうのも仕方ないことだった。
「王妃様……」
カールはふらふらとゆりに近づいていた。カールはひざまずいてゆりの手を握っていた。
「ああ、伝説の巫女様、私は本当にあなたに会いたかった。会って直に声を聞いて、その手に触れてみたかったんです。できることならあなたの恋人になりたい。
いや、なりたいじゃなくてなる。絶対なる。どうかこの思いを受け入れてください」
カールは立ち上がり、シスの目の前でずんずんゆりに迫っている。
「まだ部屋に匂いが残ってるのかな。庭園に移動したらどう？」
シスは冷静な表情で言った。
「もったいないけど若すぎるからなあ。カール君、庭園に行こう」
蛇の目のゆりも冷静だった。ムサカほどの驚きはないようだ。
「庭園より寝室に行きたいです」
蛇の目のゆりはカールごと庭園に移動した。
外気に触れるとカールははっと我に返り、ゆりから手を離していた。
「あの、私は一体……」
「ごめんね。儀式の後遺症みたい。気にしないでね」
ゆりは消えた。カールは一体何が起ったのか、さっぱりわからない様子で首をかしげていたのだった。
夕方、ゆりはハザークの部屋にやってきた。ハザークに相談があってきたのだが、部屋にはカーライルもいた。
カーライルは、「王妃、すごい蛇霊神を入れたって？ よかったな」
とソファに寝そべって言っていた。
「ありがとうございます。あの女蛇が最高ランクってことなんですかね？ 私が歴史上一番すごい巫女だとしたら、今までの巫女は、あの女蛇を降ろせなかったってこと
ですかね？」
ゆりはハザークに聞いた。
「初めて降りたってことはないと思うぞ。昔は一族の気も強かったし、女蛇は相性が良い巫女に降りてくるもんだからな。自分と同じ男好きの巫女には降りたんじゃないか？」
「そうなの？」
「昔にだって良い巫女はいた。王妃は一番経験豊富でとても良い巫女だ。これほど儀式をした巫女はいないからな」
「女蛇でいったら、あのオパールだって力が強い蛇だぞ。金と銀のしま女はオパールよりは力は下だが、親戚の力は相当強いからな。私はあまり話したことはないが、兄貴達はプライドが高い。
よく儀式で降りたもんだ。しかも王妃に」
カーライルの言葉にゆりは頬を膨らませていた。
「王妃をばかにしたわけじゃない。生粋の一族の女ではないからって意味でいったんだ。私だって昔はプライドが高い連中に結構ばかにされてた。私には始祖の血が入ってないからな」
「そうなんですか？」
「始祖の血が入ったやつらは総じてプライドが高い。ところで、王妃は儀式をしたのに欲求不満なのか？ ものすごい気を発しているが……」
カーライルはあきれた口調で言った。
「そうなんですか？ なんだか儀式の後遺症なのか、男を見ると誘惑の気を発するみたいなんです」
ゆりはムラムラしていたがしていないふりをして言った。カーライルは鼻で笑っている。
「ばかにしてると誘惑しまくりますよ」
ゆりは横目で言った。カーライルはちょっと頬をひきつらせている。もしかしたら、その気になってるのかもしれない。
「とにかくだれかれかまわずってのは困るんで、なんとかしたいんですが……ちなみにカーライル様の娘さんが入った後は、よく雨が降るとその気になってたんですよ」
「私の娘もそこそこ強いからな。ふっ」
「収まるまで部屋にこもってたらどうだ？」
ハザークが言った。
「夜王様が困ってるんです」
「男を日替わりで呼べばいいだろう。あ、儀式でもうそんな精力はないか」
カーライルが言った。
「なんだか、夢を見た気がするんですよ。誰か男の人が現れて、儀式の後困ったらどうのこうの言ってたんです。でも思い出せないんです」
ゆりはその相談に来たのだった。
「男？ どんな男だ？」
ハザークが聞いた。
「うろ覚えなんですけど、ハザーク様みたいにすてきな人でしたよ」
「王妃に入ったしま蛇の男じゃないのか？」
カーライルが聞いた。
「そうかも。女蛇のお兄ちゃんかな。一体何を教えてくれたんでしょうかねえ」
「儀式で困ったら……昔儀式の後遺症で悩んだ女が、気づいたら自分で解決してたような。なんだったかなあ」
ハザークはさっぱり思い出せなかった。
「普通の女蛇が入ると、儀式の後は肌も綺麗になるし、精神的にも元に戻るんだが、たまに意識を引きずることがある。どうしても元に戻らなくて日常に差し障りがある場合は、荒療治をして元に戻した」
「荒療治って？」
「巫女を男に一切会わせないようにするんだ」
「やです。夢の男の人の言葉を思い出したいんです」
「そういうときは私の出番だな。催眠術で記憶を呼び起こしてやろうか？」
カーライルが得意げに言った。
「え？ そういうことできるんですか？ お願いします」
ゆりの目が輝いた。
「いいだろう。そのかわり、成功したら何かくれ」
「お酒ならいくらでもあげますよ」
「いや、酒じゃなく、王妃の……ごにょごにょ」
カーライルは小声でぼそぼそ言っていた。
「すっかり王妃の気に参ってるじゃないか」
ハザークは横目でカーライルを睨んでいる。
「しょうがないだろう。匂いがものすっごいんだから」
カーライルは開き直っている。
「今もすごいですか？」
ゆりが引きつった顔で聞いた。
「「すっごいぞ」」
二人は声を合わせて答えたのだった。
早急にカーライルがゆりに催眠術をかけてみることになった。
ハザークは部屋の窓を開けて、うちわのようなものを持ってきて窓の方向にゆりの気を逃がそうとあおいでいる。
「しかしすごいな」
ゆりは目で見えないが、部屋の中はゆりのピンクの気がすっかり充満していた。
「まずい、王妃を押し倒したくなってきた」
カーライルがうめくように言った。
「早くしろ」
「やれやれだ……王妃、３秒唱えたらお前は眠ってしまう。眠ってしまい、私の声以外聞こえなくなる。いいな。1、2、3」
ゆりは目を閉じてソファによりかかった。
「王妃、よーく思い出すんだ。金と銀のしま蛇がお腹に入ってきた夜、王妃はその蛇と出会っただろう？ そして何かを言われた。男は何を言ったんだ？」
「えーと……」
「男は儀式のことを何か言っただろう？ 何を聞いた？」
「……妹は困った子だがかわいいとかなんとか」
「それから？」
「妹は人見知りをするタイプだが、打ち解けると良いところがわかるとかなんとか」
「それから？」
「妹は本当はいい子だから好きになってほしいとかなんとか」
「妹以外のことは何か言ってなかったか？」
「儀式の後困ったら……」
「困ったら？」
「滝に打たれて精神統一すれば正常に戻る」
「滝に打たれる？」
「ゼルンダの滝が最適だ」
「他にも何か言ってなかったか？」
「他には……妹のことを嫌わないでほしいって」
「わかった。もういいぞ。３つ数えたら目が覚める。1，2，3」
ゆりは目を覚ました。
「何かわかりました？」
ゆりが聞いた。
「滝に打たれるといいらしい」
「滝？」
カーライルはゆりの真横に座っていた。
「こら、離れろ」
ハザークがあわてている。
「エルの体を借りるのは気が引ける。そうだ。ハザークの体を借りてもいいか？」
カーライルはすっかりその気のようだ。
「だめに決まってるだろう！！ 王妃、明日滝に打たれろ。今日は部屋に帰れ」
ハザークは力でゆりを移動させていた。
ゆりは気づくと自分の部屋だった。カーライルをその気にさせるのは初めてではなかったので、ゆりはさほど驚いていなかった。ムサカの件に比べれば、ささいなことである。
「うーん、やっぱり私やばいみたい。今夜はどうしよう。王様は今夜は無理かなあ……しかし、昼間のムサカさんには驚きまくったなあ。……しかも迫っちゃうなんて私ったら……」
昼間のことを思い出して、ゆりは恥ずかしいやら困惑するやらだった。ちなみにカールのことは、こちらのゆりの記憶にはなかった。
「ムサカさん、強い金の瞳がステキだったなあ……毎日でもあの顔をみたいのにもったいない！ でも嫌われちゃったかもしれない。明日滝に行こう。うん」
早急に元に戻る必要があるようだ。
その頃ムサカは、北の街にある宿に入るところを偶然ハインリヒに発見されていた。
「あれ？ ムサカ様じゃないですか。どうしたんですか？ ここに泊まるんですか？」
ハインリヒは宿の看板を見て言った。ムサカはぎくりとしている。
「ああ、ちょっと数日ここに泊まろうと思ってな」
「えー？ 城で何かありました？ もしかして、侍女が夜忍んでくるとか？」
ハインリヒが笑いながら聞くと、ムサカは「ばかな」といいつつも、ちょっと困った様子だった。
「まあとにかく、今夜はここで泊まる。ではな」
ムサカはさっさと宿に入ってしまった。
「あの様子……やっぱり侍女が？ マジか」
ハインリヒは「ひえー」といいつつ、去って行ったのだった。
ムサカ様、ハインリヒはいつ気づくんだろう？
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