第57話
「あ〜気持ちいい〜〜〜〜」
儀式部屋で悩ましい声をあげていたのは蛇の目のゆりである。ゆりは下着姿でうつ伏せで寝転び、イシュタールはゆりの腰や太ももを指で押していた。ゆりはイシュタールとようやくゆっくりした時を過ごしている。ゆりの横ではシャナーンがゆりを眺めていた。
「気持ち良さそうな王妃がかわいい」
シャナーンはゆりの顔をみるだけでうれしそうである。
イシュタールは最近、指先に意識を集中させて、温度調節をするという技を身につけたようで、ゆりに温感マッサージをしていたのだった。それがとても気持ちよくてゆりは声をあげていたのである。
「くせになりそう」
「なってもいいですよ」
「足の裏が気持ちいい」
「いっぱいしてあげますね。それにしても、王妃はかわいい足をしてますよね」
イシュタールはゆりの足の裏を指で押さえていた。
「私の足ってこっちじゃ小さめみたいだもんね」
「かわいいです」
イシュタールは足フェチが爆発しているのか、後半ゆりの足ばかり触っていた。シャナーンはゆりに顔を近づけてゆりにキスしている。
イシュタールがマッサージしている間、男二人は思念で会話をしていた。
―赤い月からミカエル様達、ちょっとおかしくないですか？
シャナーンがイシュタールに聞き、イシュタールは、
―今年は赤い月がいまいち盛り上がれなかったとか言ってたからそのせいだろう
と返していた。ミカエル達は、赤い月の間王の呼び出しを受けたことはイシュタールには内緒にしている。言ったのはハインリヒにだけだ。
「そろそろ違う所もマッサージしてほしい」
「太ももですか？」
「もうちょい上〜」
などと言いながら、蛇の目のゆりは二人と仲良くなったのだった。
そして黒目のゆりが目覚めた時には、ゆりはイシュタールとシャナーンの間に寝転んでいた。
「あ、イシュタールったらずっと時間を作ってくれないんだから」
黒目のゆりは、もう一人の自分が二人と仲良くしたとすぐ気がついたようだ。
「すいません。梅雨の間休んでいたからその分働かなきゃって思って働いてました」
イシュタールはゆりにちゅっとキスして言った。ゆりはイシュタールに抱きついて、イシュタールもゆりを抱きしめた。イシュタールの体は温かいを通り越して熱くなっている。
ゆりは「あちち」と言ってイシュタールから離れていた。
「すいません。熱かったですか？」
ゆりはシャナーンに抱きついて体を冷ましていた。
「明日はレーヌ様の誕生日ですね」
シャナーンはゆりを抱きしめて言った。
「そうだね。もう4歳かあ。早いよねえ」
レーヌは生まれる前からいろいろ事件があっただけに、感慨深い。今ではレーヌはたいていミシェイラと一緒に過ごしている。ハザークの部屋にいることも多いので、ゆりよりハザークの方がレーヌの面倒を
見ているかもしれない。子供が一杯いてもゆりは楽なものだ。なにせ一番大変なのは子供を産むことなのだ。産んでしまえば後は楽なものなのである。
「あと20年もすればアナスターシャが大人になっちゃうんだから、想像できないわ」
「そうですね。皆様本当に立派に成長してますよ。私の愛と幸運の女神がこの地に舞い降りて、来年で40年です。私は本当に神に感謝しますよ」
とシャナーン。ゆりは「愛と幸運の女神」が自分を指しているということをしばらくしてようやく気がついていた。
「40年か。王妃に出会ってからは、時が経つのもあっという間でしたよ」
イシュタールが言った。
「いろんなことがあったなあ。過去に行ったり、神様に会ったり。この先40年後はどうなってるんだろう」
「きっと王妃はかわいらしいままですよ」
シャナーンが言った。
「そうですね」
とイシュタールも同意している。
（ぽかぽか）
「ん？ 何か聞こえた？」
ゆりはきょろきょろ周りを見た。
（ぽかぽか）
「ぽかぽか？ クロスが何か言ってる？ ぽかぽかって何だろう。ひなたぼっこでもしたいのかな」
「あ、先ほどのイシュタール殿のマッサージじゃないですか？」
シャナーンが言った。
「さっきあちらの王妃が体がぽかぽかして気持ちいいっておっしゃっていたので」
「なるほど、私もしてほしいな」
「もちろんいいですよ」
イシュタールは再びゆりの体をマッサージし、ゆりはあまりに気持ちが良かったのでそのまま寝てしまった。
（ぽかぽか……グー……）
気持ち良さそうなクロスの声が聞こえてきて、二人は微笑んだのだった。
4の月21日、レーヌの誕生日の日になった。ミシェイラの10歳の誕生日の時ほどではないが、広間で誕生日のお祝いの用意がされて、午後三時くらいから誕生日が始まっている。ハザークも当然のように参加していた。
黒髪で丸い耳のレーヌは左目だけが光り輝いていて、右目は黒である。こども達の中ではただ一人、他人の気を奪うという特殊能力がレーヌにはあった。
だが、他人の気を奪わなくても、今ではある程度の一族の気質をレーヌは維持している。それも、肌にいる女王の子蛇のおかげである。凄まじい力の持ち主であった女王自らが産んだ子蛇は、ゆりの恋人達がもらった
子蛇よりも、圧倒的に強い力を秘めていた。しかもその子蛇は徐々に大きくなっている。
レーヌは「もっと大きくなあれ♪」とハザークから気をもらっていた。そのおかげかどうかは謎だが、子蛇はとにかく成長している。そしてその分レーヌの気の量も上がっているのである。
これはなかなか面白いことだ、と大人達は思っている。かつてラギも子蛇をもらったおかげで瞬間移動などができるようになった。その距離はそんなに遠くはないが、今もあるレベルの魔力は維持している。
それは元々の魔力がないために王族としては十分なレベルではない。ラギはきっと戦いに赴くこともないだろうが、レーヌの方は、ラギとは桁が違う魔力が将来宿るのではないだろうか。大人達はそう予感していた。
同じ赤い月以外でできた子供だが、ラギとレーヌでは、元々どこか違っていた。王族で赤い月以外の子供が続けて産まれた例もあまりないことから過去のことは分からないが、赤い月以外の子供が必ず魔力がないというわけではない。魔力に恵まれる場合もあれば、恵まれない場合もあるのだ。それはきっとその時々によりけりで、こどもができてみなければ、わからないものなのだろう。
レーヌはみんなから「おめでとう」と言われてうれしそうにしていた。部屋の中にある一つのテーブルの上は誕生日の贈り物でいっぱいである。
（しかし増えたもんだ……）
ハザークはでかいソファに座ったまま子供達を眺めている。
（まだ増えるんだからすごいな）
テーブルにはご馳走が並んでいたのでロイはご馳走を食べまくっている。ハザークはロイを呼んでなにやらぼそぼそつぶやいた。ロイは「わかりました」と答えてハザークから離れた。
ラギが「なんだったの？」とロイに聞いた。
「まだ内緒だってさ」とロイ。
「なんだろう？」
「へへへ。僕とハザーク様の秘密。母様ケーキうまいよ」
ロイはケーキを食べてゆりに言っていた。今日は朝からゆりは料理人に手伝ってもらい、ケーキを5個ほど作っていた。
「ロイはいっぱい食べなくていいのよー」
「まあいいじゃない」
誕生日のお祝いにハザークと男達は集まっていたのだが、そこにムサカとラクシュミもやってきた。
「おじーちゃん」
レーヌがうれしそうにムサカに近づいた。
「誕生日おめでとうございます。レーヌ様」
「ありがとう！」
レーヌはラクシュミに抱きつき、ラクシュミもレーヌの頭をなでなでしていた。
レーヌは子蛇のせいで過去の女王の気を少し発している。ムサカはレーヌをみると、女王のことを思い出してちょっとうれしい気分にもなるのだった。
「おじーちゃん、あれやってもいい？」
「おお、さっそくやりますか。ちょっとここでは、皆さん庭園に出ましょう」
ムサカが皆に声をかけた。皆はなんだろう？ と首をかしげながらも庭園に出て行った。
「王はどうしますか？」
ミカエルが聞いた。
「そうだな。少し出ようかな」
ラクシュミがなんとこう言ったので、側にいたゆりはびっくり仰天していた。
「え？ 出るの？」
「そんなにかからんだろうから。それにレーヌに絶対見てほしいと言われていたんだ。行こう」
「うん」
ラクシュミが手を出して、ゆりはその手を握った。
男達は庭園に出てきたラクシュミを見てびっくりしていた。
「あ、父様が出てる！」
とナナミが驚き、
「ほんとだ！」
「ほんとだ！」
と子供達も驚いていた。
「父様太陽が苦手なんじゃないの？ 大丈夫？」
とナナミは心配していた。
「別に苦手じゃない。バルコニーには出てるぞ」
レーヌが何かやるっぽかったが、ラクシュミが庭園に出て来たことで男達は目を潤ませ、ゆりにいたっては号泣してもう何も見えないほどだった。
「そんなに泣かなくても……」
とラクシュミ。
「だって、王様が、王様が外に……産まれて初めて外に……」
「いや違う。王になって初めてな。それでレーヌ、何を見せてくれるんだ？」
ラクシュミがレーヌに聞いた。
「うん。みんなちゃんとみててね」
ムサカは「ハインリヒ、ちょっと来い」とハインリヒを呼んだ。
「今から何があっても、何もせずにそこに立っているように」
「うーん、猛烈に嫌な予感」
とハインリヒ。
「ではまずはレーヌ様」
「はい！」
レーヌはハインリヒに何かの魔法をかけた。
「続いてミシェイラ様」
「はい！ フレイム」
ハインリヒの体を炎の渦が取り巻き、男達も他の子供達もびっくりしていた。炎はすぐに消えたが、ハインリヒの体にはやけど一つなかった。ハインリヒは青い顔で自分の心臓のあたりを押さえている。
「ほんと心臓に悪いですって」
ハインリヒはムサカに文句を言っていた。
「あ、レーヌが防御魔法をかけていたんだな」
ラクシュミがそれに気がついた。
「トーさますごいでしょ！？」
「ああ、すごいじゃないか。お前はもうこんなことができるようになったのか」
ラクシュミは側にきたレーヌの頭をなでた。ラクシュミもかなり驚いた様子である。
「えへへ」
「おー」
「すごい！」
「すごい！」
男達から拍手が起こった。あまりのことに男達の反応はちょっと遅れていた。
「ミーもすごいでしょ。ね、ね」
ミシェイラも得意げである。
「ああ、すごかった。二人ともすごいじゃないか」
「すごーい。いつの間に練習したの？」
ナナミが聞いた。
「えへへ、秘密でトックンしたんだよーね。おじーちゃん」
レーヌがうれしそうに言い、ムサカも微笑んでいる。
「レーヌ様の防御魔法は結界とはまた違う魔法です。女王の力の欠片がレーヌ様には宿っておりますので、もしやと思い、練習してみたのですよ。今はわずかな時間ですが、いずれはもっと長時間魔法が持続するようになりますぞ」
「うん」
「このコンビは……すごいや」
ラギは涙目でレーヌとミシェイラを見、シスも目を潤ませてうなずいていた。
「カー様、大丈夫？」
ロイがゆりの顔を見ている。ゆりは泣きすぎるほどに泣いていた。せっかく化粧したのに化粧は全部落ちている。
「大丈夫」
（ごめん、レーヌとミシェイラが何かしてたっぽいけど、泣きすぎて前が見えない）
せっかくの娘達の大事な場面だったが、ラクシュミが外に出たことの衝撃が強すぎて、ゆりの目には真っ赤なものしか見えなかった。
「王、このために我は一杯気を取られたんだからな」
ハザークがラクシュミに言っていた。
「ははは、そうか。ありがとう。じゃあ戻るか」
ラクシュミはレーヌと手をつないで城の中に戻った。ムサカと子供達も続いた。
「王妃、戻りましょう」
フリットがゆりに手を出した。
「私はちょっとここにいる。行ってていいよ」
とゆり。
「まさか王がいきなり外に出られるとは驚きましたね」
ジュノーが言った。
「本当に。外に出ないのは願掛けのようなものだとおっしゃっていたが、王の心が随分楽になっている証拠ですよ」
フリットが言った。ミルキダスはゆり同様号泣している。
「そのうちに庭園デートもできますね」
ヴィラが言った。
「うん。うん。うれしい。レーヌありがとう。私この日を一生忘れない」
「王妃のおかげじゃないですか」
ミカエルが言った。
「そうですよ。王妃が今まで頑張ったからですよ」
とイシュタール。シャナーンはうなずき、カールは微笑ましげにゆりを見ていた。
「本当にすごくうれしい」
ゆりは喜びのあまりにこれだけ泣いたのは初めてだった。ようやくハンカチで自分の顔を拭いて、ついでにミルキダスの顔も拭いていた。そしてさらに二人で抱きしめ合って泣いていた。
男達はそれを見てもらい泣きしている。
「さっきよくじっとしていたな」
ミカエルがハインリヒに言った。
「ああ、もーびっくりした。すごく熱かった」
「魔法がかかっても熱いのか」
「熱かった。だがレーヌ様もすごいな。ヴィラルージュ様の王族の力は防御に特化しているからなあ、ムサカ様はそこに目をつけたのか。さすが王族の教育係。力を引き出すベテランだな。来てくれて助かった」
ハインリヒはレーヌにも感心していたが、ムサカのことも見直していた。
「カール、ムサカ様の実験要員、次からはお前がやれ」
ハインリヒはカールの肩に手をあてて言った。
「え」
とカール。
「でも、ムサカ様のご指名ですから」
とカールはやんわりと言っている。
「毎回私がやるのおかしいだろ」
「ムサカ様に言っていただかないと……」
カールもさすがにいやなのか、遠回しに断っていた。
レーヌの4歳の誕生日は、ゆりにとっては忘れられない日になった。一年ほどの涙を今日で流したかのようである。ゆりはもしかしたらと翌日ラクシュミを庭に誘ってみたが、ラクシュミは外には出なかった。
「そうだな。次は来年だな。来年のお前の記念日には出てもいいかな」
「来年？ うん！ 今から晴れるようにお祈りするね」
「今からか」
「うん。今から」
来年の10の月5日は、ゆりがこの世界にやってきて40年目になる。その時には庭園デートができるかもしれない。
「来年の10の月5日晴れろ〜」
とゆりは言いながら陽気に王の間を出て行った。
ラクシュミは王になって75年が経っていた。王になってすぐの時と今では心の中は比べものにならないほど違う。こんなにも穏やかで毎日が過ごせるとは、あの時は想像もしなかった。
（あの時は将来に楽しみなどなかったが、今はこんなにも先が楽しみだ。子供達の成長が楽しみでしょうがない）
ラクシュミはそう思いつつ、穏やかな表情で微笑んでいた。王の間の扉付近にいた番兵たちは王の心情を察したのか、かなりうるっと来て目元に手を当てていたのだった。
5の月になった。ここは聖地である。聖地も場所によって天気や気温にばらつきがあるが、聖地の中央部から南部にかけては花が咲き乱れ、景色は今から6の月にかけてが美しい時期である。
花の妖精や光の妖精なども、この時期にはよく聖地に現われている。聖地の南部にある小高い山々は5の月の間だけ一面ピンク色に変わる。山に生えている大木にピンク色の花がつくせいである。
聖地の風景画を描くならばこの時期がいいので、天気が良い日などは、画家達が外でキャンバスに筆を滑らせている。
そんなある日の夕暮れ時、スペードは聖地の住宅街付近にある商店街にやってきている。食料品店で物色していたのは子供が好きそうなお菓子だった。
自分が食べるものではなく、子供達にあげるための物だ。妖精仲間のハートは子供好きでよく飴などのお菓子を子供に配っているのだが、今そのハートは神の国に行っているために、代わりにスペードが子供にお菓子をあげてくれと頼まれていた。そのためスペードは、ハロルド神殿に子供達がくれば飴をあげたりしている。そのお菓子の追加分を買いに来ていたのである。聖地には神官や職人達、聖地で働いている者達の居住区があって、その者達の子供達も聖地に住んでいる。そのため子供のための学校もあるのだった。男の子達にはハロルド神殿は人気である。女の子達はダーナの神殿によく行っている。子供の数はそう多くはないので、神官達にとっては皆顔なじみである。
「たまには飴以外の物でもあげたいが、手頃なものったらやっぱり飴か」
売っている物は飴かクッキー、ナッツのお菓子、果物の砂糖漬けのようなものである。
「キャラメルにしようかな。でも大量に入ってるったらやっぱり飴かあ」
キャラメルがあったが、袋に入っている数が少なかったので、スペードは飴の袋を5個ほど買っていた。
「まいどあり〜」
スペードが店から出ると、ちょうど店に入ってくるクーガに出会った。スペードは黒の上着にズボンという黒揃えだが、クーガはいつもの白に金の刺繍が入った神官服である。
「あ、こんばんは。クーガ様も自分で買い物とかするんですか？」
「どうも」
クーガはそれだけ言って店に入って行った。
（クーガ様、意外に甘い物が好きだったりして……）
スペードはクーガが一体何を買うかに興味を惹かれて、つい店に戻っていた。クーガは店主にいろいろ話していた。そして話だけして店を出ようとして、店内にいたスペードに気づいていた。
「何か？」
「いやークーガ様が何を買うのかちょっと気になっちゃって」
「今度子供達が神殿に来るので、その時あげるお菓子を頼んだんですよ」
「買い物はおつきの人がするんじゃないんですか？」
「そうなんですが今日は近くに用事があったので。知り合いの方がちょっと寝込んでいたので、様子を見に来たんです」
「そうなんですか。ところで、ちょっと話でもしません？」
スペードはあわてて言っていた。先に言わないとさっさと瞬間移動されそうだからだ。クーガはじろりとスペードを見ている。
「お友達じゃないですか」
スペードは笑みを浮かべて言った。
「だれがお友達ですか」
「拳を合わせたらお友達ですよ」
「やめてくださいそういう暑苦しいの」
クーガはぷいとスペードの横を通り過ぎたのだが、スペードはクーガの横に並んでいた。
「そう言わずに。ここじゃなんですからちょっと海岸の方にでも行きましょうよ」
通りには買い物帰りの女性達などがいて、クーガを見て「きゃあ」などと声をあげていた。どこにいてもクーガは目立つ。
「……まあいいですよ。どこで話すんですか？」
クーガはちょっと考えて、了承していた。
「じゃあ、私がつれて行きます」
スペードはクーガの腕に触れて瞬間移動した。
スペードがクーガを連れてきたのは、聖地の西にある波止めのために作られた堤防である。こちら側にも船着き場があるが、ここに泊まる船は主に漁船である。ちょうど海面に夕日が沈もうとしていた。
「私ここ好きなんですよ。よく釣りとかしてるんですが、今度一緒にしません？」
スペードが誘ったが、「しません」とすぐにクーガは返していた。
「つれないですねえ」
「何か話があったのでは」
「そうなんですけどねえ。どうしようかな」
スペードは言おうか言うまいか迷っているようだ。
（ゆり様のことを聞こうかどうしようか……）
スペードもゆりのことばかり考えていたわけではないのだが、ちょうどクーガに出会ったので、蛇の目のゆりの方だけに手紙を出すことが可能かどうか、クーガに聞いてみようかなという気になったのだった。
だが、聞けば理由を聞かれるだろう。それも面倒である。
一方クーガの方も、スペードの手首についていたつぼみがなぜなくなったのか、聞いてみたかったので誘いに応じたのだった。
しばし沈黙があった。
「あなた、ちょっと前まで手首につぼみがついてましたよね」
クーガの方がしびれを切らして先に聞いていた。
「え？ あれ見えてました？」
とスペード。
「あなたは見えてなかったでしょう」
「実は見えてなかったです」
「なぜなくなったんですか」
「うーん、それが……」
スペードが（ちょっと言いにくいな……）などと思っていると、少し離れた所で「ぎゃあああ！」という男の悲鳴があがり、二人ははっとそちらを見た。
「ひえええええ」
二人はすぐに声の主の側に瞬間移動していた。中年の男は腰を抜かして石の上に座り込んでいるようだ。側に釣り竿が落ちていた。釣り人のようだ。
「どうしました？」
スペードは男に聞き、クーガはすぐに海に目を向けていた。堤防から少し離れた海面に、太くて黒っぽいものが浮かんでいる。海面に浮いているのはその一部のようで、直径１メートルほどもの太くて長いものが海の中でうねうね動いているようだった。上からでは長さの全容はわからない。
「ん？ なんだあれは」
スペードもそれに気がついた。
「あれはよくない」
クーガは厳しい視線を向けている。それからはまがまがしい気を感じた。普段海にいる生き物ではないものである。
「クーガ様、なにか、でかいウツボか何か、よくわからねえが、変な顔があるのを見たんだ。とにかくありゃなんです？ とてつもなく長くて……」
男はクーガにすがるように近づいた。
「大丈夫ですよ。ちょっと寝ていてくださいね」
クーガは男の額に手をあてた。男は目を閉じて、その場にごろんと寝転んだ。クーガはすぐに臨戦態勢に入った。
「武器を取ってきます。ちょっと頼みます」
スペードは消えた。
海面から堤防までは４メートルほどの高さがある。日が沈み辺りは薄暗くなってきたが、上からでも巨大な黒い塊が見えた。海にいる生き物へ攻撃するというのはなかなか難しい。海の底深くに潜られたら、攻撃も困難になってしまう。まさか海に潜って相手をするわけにもいかない。
（し損じたら逃げられるかもしれん。そうなればやっかい。とりあえずは）
クーガはその生き物の周り3メートルほどの所に光の杭を次々に放ち、その生き物が逃げられないようにした。海の中に杭を打つというのも難しい。海底まで打つことはできないので光の杭は水面を漂ったが、なんとか杭同士で光の筋がつながった。その筋はカーテンのように海の底にも広がっている。
光の柵ができると、その生き物はあきらかに苦しんでいるかのようにのたうち回っていた。光の筋には触れないようで真ん中でうねうねしている。
「反応している、ということは、やはりよくない物だな」
普通の海の生き物ならば光の柵に反応することはないのである。
「お待たせしました」
スペードが戻ってきた。手には長い銛を三本ほど持っている。二本は下に置き、スペードは一本を右手にかまえた。
「出て来たところを狙います」
「あ、ちょっと待って」
クーガはその銛に光の魔法をかけた。
「柵を縮めます。出た所を狙ってください」
「分かりました」
クーガは黒い生き物の周りに次々と金の杭を放った。その生き物はうねり、ついには顔をあげた。その生き物は巨大なウツボのような顔をしていたが、ぎょろっとした目で開けた口には尖った大きな歯がたくさんついていた。
スペードは一瞬で力を解放し、銛をその生き物の顔めがけて放っていた。光り輝く銛は目にも止まらぬ速さでその生き物の口から後頭部を貫通した。
同時に「ぐぎゃああ」というなんともいえない断末魔のようなものが聞こえてきた。謎の生き物は銛と一緒に海の中へと沈んでいった。
光はその生き物の体の中を巡り、やがて海面へ光の筋がぱあっと上がった。
「死にましたかね？」
スペードが聞いた。
「多分、いや、死にましたよ。確実に」
光の筋は海の中にも広がり、同時に辺りが浄化された。
「…………」
二人は海面を見下ろしたまましばし沈黙した。
「あんなものがなぜここにいるんでしょうか」
クーガがスペードに聞いた。
「さあ、私にも分かりません。海の中というのは珍しいですね。陸地に出たという話は聞きますが」
とスペードが答えた。
「どこから来たんだろう。問題は、どこが向こうとつながったのかですが」
とクーガは海面を見た。波は穏やかで、他に怪しいものがいる気配は感じられない。だがあれ一匹だという保証はない。
「場所の特定は困難でしょう。あちらに海があるという話は聞いたことはないですが、こういうのもいるのかな」
スペードは首をかしげている。
「川や湖はあるでしょうがね」
「とりあえず、私は仲間とここらを見回ります。ありがとうございました。クーガ様がいてくれて助かりましたよ」
スペードは早口でお礼を言った。
「いえ」
「では」
スペードは残りの銛を拾って消えた。
「あ、そうだ」
クーガは眠らせていた男を起こした。
「あ、クーガ様、あの……」
クーガは男の頭に両手を当てた。
「あなたは釣りに来て、石につまずいて転んで頭を打ったんです。大丈夫でしたか？」
男は一瞬きょとんとした顔して、「あ、そ、そうでしたか？ いや、お恥ずかしい」と頭をかいていた。
「帰って休んでください」
「はいそうします」
男は釣り道具を持って足早に去って行った。
クーガは怪しい生き物がいたあたりを再び上から見下ろした。光の杭もすでに消えている。
「他にはいないといいが」
クーガはアシュランの言葉を思い出していた。
『数年の内に良くないことが起こる』
（これはそれの前触れか？ 不気味な……）
クーガはもう一度辺りを見回して何もないのを確認し、報告のために神殿に戻ったのだった。
１２部完
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