第80話 イシュタール、神の国へ
「メリッサ、誕生日おめでとう」
「ありがとう！」
この日、イシュタールの屋敷で、娘メリッサの誕生日会が開かれた。メリッサは今年二十歳になる。メリッサは同じ年の他の子よりも大きめで、緑が混じった黒髪は肩にかかる長さ。魔力もそこそこはあるようだった。ここまで大病もなく元気に育ってくれた。本当の誕生日は八の月なのだが、イシュタールが神の国に行く前に誕生日会をしたいと言ったのである。誕生日会といっても、イシュタールとメリッサ、ジュメの三人だけだ。テーブルの上にはケーキやご馳走が並び、たくさんの贈り物もあった。服や鞄、文具、ぬいぐるみ、さらには子供はつけないような宝石などもあった。
「すごい。今年はどうしてこんなにたくさんあるの？」
当然メリッサは驚いている。ここ最近、イシュタールはよくメリッサと出かけていた。去年生まれたイーサンも一緒の時もある。イーサンは母親の屋敷で一緒に暮らしているので、お互いに行ったり来たりしていた。ジュメはほぼイシュタールの屋敷で生活している。
「私はまた出かける予定だから、今回はついたくさん買ったんだ」
「そうなの？ また出かけるんだ」
イシュタールはジュメと、イーサンの母親である彼女には、自分が次に神の国に行く時は帰ることができないかもしれない、ということは伝えていた。もう二度とメリッサの誕生日を祝うことができないかもしれないと思うと、つい贈り物もたくさんになっていた。ジュメはそんなイシュタールの心情を思い心を痛めていたが、当のイシュタールは、さっぱりした顔付きだった。もう思い残すことはないといった感じである。自分がもし死んでしまった場合の手続きも、すでに済ませている。
四十年前、イシュタールは子供を作ることもあきらめていた。戦場で仲間の代わりに死ぬことが自分の役目だとさえ思っていた。今は、なんて幸せなんだろう、と思っている。
子供が三人もできた。メリッサにイーサン、そして火の妖精が生んでくれたバーナードである。自分の運命は思いもがけない方向に変わり続けた。
神々と共に戦うという名誉まで。これだけは誰に言われても諦めるわけにはいかない。たとえ無様に死んだとしても。
屋敷に客人がやってきたことを使用人が知らせてくれた。その客は、勝手に部屋に入ってきた。
「あ、へびっちだ！」
部屋にきたのは人になっているへびっちで、メリッサは近寄って抱きついていた。へびっちもメリッサの頭をなでなでしている。
「お誕生日会に来てくれたのか。ありがとう」
イシュタールがお礼を言った。
（へびっちが肌から出る蛇でよかった）
イシュタールは心底そう思っていた。
「へびっちもずっと元気でいてくれ。クロス様を頼むな」
というと、へびっちはうんうんうなずいていた。
その翌日、イシュタールは城に最後の別れに行った。仲間たちへの別れはすでにすんでいる。
「イシュタール、元気で戻ってくるんだぞ」
「絶対だからね」
王の間で、ゆりの左目はひっきりなしに変わりながら、イシュタールに別れを言っていた。ゆりの横にはクロスもいて、クロスはイシュタールに最後に抱っこされていた。
「クロス様は結構重くなりましたね」
クロスはにこにこ笑っていた。クロスは将来シス系になるのかロイ系になるのか、まだわからない。背中の二匹の蛇は、生まれた時は大きさが違っていたが、今は、小さい方が大きくなってきていた。誰かの説得が効いたのかもしれない。へびっちがよくクロスのことを気にしてくれていた。夜一緒に寝ることも多いようだ。
イシュタールはクロスを下ろした。ほかの子供たちも王の間に集まってきて、イシュタールは子供たちとそれぞれに言葉を交わし、握手をして城から去って行った。
子供たちは戦いがあると聞いてはいなかったが、それぞれに何かあるのかな、と感じていた。三日の修行が終わったロイは戻ってきていたが、ほかの兄弟たちにあまり余計なことは言わなかった。
ロイは随分成長したとゆりは感じている。
イシュタールはその後自分の屋敷に戻り、家族に使用人たち、ロナウド将軍に見送られて、ろうそくの火から神の国に渡った。
城のミシェイラの部屋ではミシェイラとレーヌに、双頭の蛇ジャッツーがある指令を与えていた。
「さあ、子供たち、うまく頼むんだぞ」
「わかった！」
「まかせて」
城の庭園にて、二人は知り合いの風の精霊を呼んでいた。
「とうめいくーん」
「とうめいくーん！」
二人が呼びかけて一時間ほどして、うっすらとしか見えない子供の精霊がやってきた。
「僕に何か用かな」
「そうなの。実はとうめい君にお願いがあるの。私たちのお兄ちゃんが、今度敵と戦うんだって」
「その敵は強いんだって。とうめい君、ロイにーが戦うの手伝ってくれない？」
「敵ってなんだろう？」
「人じゃないみたいよ」
「へーそっかあ。ふーん」
「お願いとうめい君がたよりなの」
「お願いします」
二人は必至に手を合わせて頼んでいる。
「いいよ。その時が来たら協力するよ」
「やったあ」
「とうめい君ありがとう！」
二人は大喜びだった。
「どうせジャッツーの入れ知恵だろ？」
「え？ 先生は何も言ってないよ？ ね」
「うんうん」
二人は明らかに挙動不審だったので丸わかりだった。
その後、二人は部屋に戻り、ジャッツーに報告した。
「聞いてくれたか。そうかよかった」
「人じゃない敵ってなあに？」
レーヌがジャッツーに聞いた。
「獣さ。でかい熊みたいなの」
「熊がくるんだ」
その後ジャッツーはゆりに呼ばれていたので、ゆりの部屋に行った。話は思っていた通り、神の国であるという戦のことである。
ジャッツーは前回の戦の時も生きていたので、それがあったことも知っている。それはハザークもそうなのだが、ハザークはその頃の記憶があいまいだった。
ゆりの想像では、アシュランの力が働いたのではないかと思っている。
「俺は精霊の国にいたから、アシュランの記憶操作の対象にはなっていなかったが、神の国でのことは知らない。やつらが人間界にやってきたらしいことは聞いた。やつらは人間の精神を混乱させることができるらしい。城の中の人間が混乱して、書庫に火を放ってしまったらしい。やつらが数匹現れただけでも国の中は大混乱だったろう。助けたかったが何もできなかった」
「当時のほうが国の力もあっただろうに」
「初めてのことだったからな。今回は二度目だから、対処もできるだろう。光の力がついた武器もあるし」
「そうですよね」
「前回は、もしかしたら、奴らが現れて人間たちは混乱して、神々への信仰が薄れたのかもしれない。人間の信仰と神々の力はつながっているようだ。戦で低下した神々の力がなかなか復活できず、アシュラン様は人間の記憶をいじったのかもな。歴史書にもその頃のことはあまり書かれていないからな」
「なるほど。信仰は大事ですよね、そうだ。急ですけど、今月いっぱい博物館をタダにしましょう」
神々の力が弱まると、男ガーベラも出てこられなくなるかもしれない。美容液の一度目の販売はすべて完了したが、次の問い合わせは多い。今は肌荒れの軟膏などの開発もしていた。国の研究所の職員を二人借りることができて、そこでいろいろ作ってもらっている。ジュメがパイプになって、ゆりの意見を伝えてもらったりしていた。
「私のここでの仕事は、人々の神への信仰を持続させることだわ」
人の信仰は神への力になり、ハロルドの力にもなる。それはイシュタールを助けることにもなるのだ。
「信仰強化月間として、博物館はタダ、教会での集まりも増やしてもらおう。王様にも言ってきます」
「うん」
ゆりは部屋を飛び出して行った。
「ゆりさんはいつも元気だな」
ゆりの発案で、急遽博物館は一か月タダ、学校、職場、各砦では、神様へのお祈りをしてから仕事をしましょうということになった。食事の時間、ゆりは子供たちと一緒に神様へお祈りしている。
「王妃、お手紙ですよ」
ミカエルがゆりに手紙を持ってきた。羊の国の王女、サンデリカからである。
「お二人、聖地から戻ってきたようですよ」
「そうなんだ」
手紙を読んでみると、聖地ではとても素晴らしい体験ができたこと、ゆりに感謝していることが書かれていた。
「サンデリカちゃんに才能があったからだと思うけど」
「ところで、博物館すごく人が並んでますよ。どうして突然タダにしたんですか？」
「急遽信仰強化月間にしたから。私たちの信仰を神の国に送る。それがイシュタールの力にもなるから」
「なるほど、じゃあ私もいっぱい神様にお祈りしますね」
「うん。みんなで祈ろう」
（イシュタールもスペード様もねぼすけ君も、絶対また会いたいから）
神の国ではある朝、ハロルドは体をトントンと叩かれて目を覚ました。目を開けると、そこにいたのは見たこともない少年だった。
「ん？ クーリーフン？ じゃないか」
背中に翼はなかったし、クーリーフンよりも幼いが、似た感じの美少年である。その美少年は手に持っていたものをハロルドに見せた。それは黄金のラッパである。
「お前ヴァルか？ 成長したんだな！？」
ハロルドは飛び起きた。横にいた猫のクロも目を覚ましている。ヴァルは何度もうなずいて、ラッパを口にあてていた。
「プー、プププー」
「おおおー」
あのうるさかったラッパの音が、ずいぶんましになっている。でもうるさかったのか、クロはさっさと部屋を去って行った。
「すごいぞー」
「プププープププー♪」
その音にキュリアとジェイクもやってきた。
「えーヴァル？ すごくでかくなってる！」
「僕と同じくらいじゃない？」
二人が身長を比べてみると、ジェイクのほうが背は高かった。でもあまり変わらない。
「すごい！」
「すごいよ！」
「ププ♪」
ヴァルはラッパを吹いて答えていた。
（戦が近づいてきたからヴァルも成長したのかな？ なんだかすごくうれしいぞ）
ヴァルは成長したのがうれしいのかラッパを吹きまくっていた。
二人は手をたたいている。
（素晴らしい音色にはまだまだという気がするが……まだ成長するのかも）
「がんばれ、ヴァル」
「プププー♪」
神の国のはずれに、花も咲かない荒涼たる大地が現れた。どこからともなく、弱い魔物たちが姿を現すようになった。
一万を超える魔物との戦いの時が、とうとう迫っていたのだった。
１４部おわり
１４部
目次