ある二月の出来事
それは２月に入ったある日の午後、ゆりは王の間でラクシュミに強引に休憩してもらい、虎の国のアヤコと魔法の鏡で
くっちゃべっていた。虎の国の皆は相変わらず元気そうだ。上のタロウはでかすぎるほどでかくなり、下の女の子ルル
ちゃんもだっこすると腰にずんときそうなほどでかくなっている。
「すごいよねー同じ子供でも虎の一族は発育が良すぎるよね」
ゆりはアヤコがだっこしてすぐ降ろしたルルを見て言った。ナナミの二倍はあるだろう。骨組みからしてがっしりしてい
る。
「全くよ。この子ずっとだっこしてたら腰痛になっちゃって・・・お兄ちゃんとこ行っておいで」
アヤコが下を向いて言うと「はーい」と言ってルルは部屋を出て行った。
「ラギ君元気？この前の蚊取り線香ナンバー５は結構いい感じだったわよ」
「ナンバー５までいってるんだ・・・」
「今回はちゃんとぐるぐる巻きになってたし」
「へー・・・」
蚊取り線香の開発はひそかに続いていた。試作品も５作目になったようだ。といってもラギがいそいそ作ってるわけ
でもなく研究所の人たちと一緒にやってるらしい。ラギは蚊取り線香をぐるぐる巻きにするって考えた人はすごい、と
感心していた。
「本物に近づいてるのねえ」
「その内こっちで売れるようになればいいね」
「そうね」
蚊取り線香は虎の国だけではなく、蛇の国の家畜小屋の虫除けなどにも利用しているようだった。
「今年もバレンタインデーが近いわねー」
とアヤコが言った。
「バレンタインデー・・・ああ２の月だもんね」
とゆり。こっちの世界にきてもうかなりになるのでバレンタインデーと聞いてもぴんとこない。
「こっちではあんまりイベントないからそれはつまらないなあ・・・バレンタインデーみたいなのあればいいのにね」
ゆりが続けて言った。この日は恋人に何かを贈るというイベントはこの国にはない。
「あら、こっちでは毎年やってるわよ。毎年ガットにチョコレートあげてる」
「おやまあ、熱々ね」
ゆりは笑って言った。手紙ではいつもガットの性欲がすごくてうざったいと書いてあるが、（迫ってきたら足で蹴飛ば
すらしい）毎年チョコレートをあげてるなんてかわいい。
「アヤコさんもかわいい所あるじゃない」
「それで来月の１４日には飾り物もらうの。今じゃ国のイベントになっててさ、チョコレート売りの商人までやってきて
るわよ」
「へー・・・結構定着してるのね」
「好きな女の子には絶対お返しをしなきゃならないってルールにしたから、３の月は女の子も盛り上がってるし」
「いいなあ。楽しそう」
その時ラクシュミが王の間に戻ってきた。
「あ、にょろキング戻ってきたみたいね。それじゃね」
アヤコが言った。
「うん。じゃあまたね」
にょろキングって・・・・
ゆりは鏡に布をかぶせた。
「アヤコ、結構ふけたんじゃないか？」
ラクシュミはどうやら聞いてたらしく、お返しのように言った。
「私より２０年以上も前にこっち来たんだもん。そりゃ多少はねえ。でもまだまだ若い方よ」
「ふん・・・」
ラクシュミは不機嫌そうな顔をしていたのでゆりはいそいそと王の間を出て行った。
バレンタインデーか。虎の国はそういうイベントで盛り上がってるなんていいなあ。
こっちでもそういうのやればよかった。
好きな人にチョコを・・・
となると私の場合、恋人みんなにあげなきゃいけなくなるな。やっぱりいいか。
どうせ王様はチョコレートなんて食べないし・・・
ラクシュミは甘い物が嫌いだ。今までゆりが作ったケーキもクッキーも他の物も食べたことがない。
廊下を歩いているとナナミが駆け寄ってきた。
「マーみっけた！ねー蛇ちゃんクッキー作って！食べたいよう！」
「蛇ちゃんクッキー？今から？」
「うん」
「まあいいか。」
今から作ればおやつの時間をちょっとすぎるかもしれないがまあなんとか間に合うだろう。
「じゃあ一緒に作ろう」
「わーい」
ゆりはナナミと一緒に料理場に行き、クッキーの材料を集めて材料を混ぜだした。そして材料を全部混ぜると
伸ばしてナナミと一緒に蛇の形にしていった。
その時ゆりはぴんとひらめいた。
そうだ。私が作った物は食べなくても、愛娘が作ったものなら食べるかも？
「ナナミせっかくだからお父様にもあげようか？」
「うん。とーさまとパパにあげるの」
ナナミは椅子の上に立ち上がり、ねんどのように生地をこねこねして蛇の形を作っている。
ナナミが作ったものなら食べるでしょう。きっと。
ちょっといびつな蛇クッキーは焼いて冷まされた。そしておやつに食べた後、ゆりは蛇クッキーを持って
ナナミと休憩中のラクシュミの元に行ったのだった。
休憩室ではラクシュミがミカエルと一緒に酒を飲んでいた。
「とーさま、ナナミね、蛇クッキーつくったの。食べて」
ナナミはラクシュミの元まで行き、小皿を差し出した。その上にはクッキーが５個ほど乗っている。
「クッキー？」
ナナミはにこにこしてラクシュミを見上げていた。
「そうか。上手に焼けたな。私は気持ちだけで十分だ。ハザークにあげたらどうだ？」
ラクシュミは笑顔で言った。
ミカエルの顔はちょっと引きつっている。
「パパには後であげるもん」
「そうなのか？」
「・・・王様、どうしたの？娘が作ってくれたんだから食べてよ」
ゆりがせかすように言った。
「・・・」
「おいしそうですねえ。私が食べてもいいですか？」
ミカエルがナナミに言った。
「とーさまは食べないの？」
ナナミはちょっと寂しそうにラクシュミを見上げている。
「ん？食べるぞ。後でな」
「今食べないの？」
「・・・・」
ー食べなきゃだめですよ。王
ミカエルが思念を飛ばしていた。
「食べるとも。」
ラクシュミは一つ取って口に入れた。
「あーうまいぞ。」
「本当？」
ナナミの顔がようやく笑顔になった。
「ああ、ほら、ハザークにも早くもって行ってやれ。きっと待ちわびてるぞ」
「うん。いこ。まー」
「うん。じゃあね二人とも」
ゆりとナナミが出て行くと、ラクシュミはさっと立ち上がり、「歯磨きをせねば！」と言って消えてしまった。
ミカエルは思わずぷっと噴出したのだった。
ゆりとナナミは次にハザークの元にクッキーを持っていった。ハザークはラクシュミとは違いむしゃむしゃ食べて
いる。
「おいしい？パパ」
ナナミはうれしそうに聞いた。
「ああ、お前は小さいのにこんなのが作れるなんてえらいな」
「えへへへ。パパのはね、パパクッキーにしたの。尻尾丸まってるの」
「ふーん」
ハザークは深く考えずに食べていた。
尻尾が丸まっているクッキーはナナミがハザークをイメージして作ったようだ。確かにハザークはかなり大きい蛇
なので蛇の時はとぐろを巻いていることが多い。
ゆりはなるほどと思って感心した。
ああ、王様は一個が限界だったかあ・・・なんであんなに甘い物嫌いなのかねえ。クッキーくらい食べればいいのに・・
侍女がお茶とナナミ用にジュースをもってきてくれた。
「パパまた作ってあげるね」
ナナミが言うとハザークが「そうか」と言っていた。実にほのぼのした光景だ。
実の親子の方はほのぼのしてないのに・・・・
それを思うとちょっとラクシュミにむっときたゆりだった。
夕食後、ゆりが部屋にいるとミカエルがやってきた。
ミカエルは侍女に部屋に出てもらってから言った。
「王妃、あんまり王をいじめないでくださいね。甘い物苦手なんですから」
「苦手って限度があるでしょ。クッキー100個食べろって言ってるわけじゃないのにさー」
ゆりがぶちぶち言った。
「苦手な人は一個食べるのも大変なんですよ」
「えー」
ミカエルはゆりの向い側に座った。
「砂糖アレルギーじゃあるまいに・・・小さい頃からあんな嫌いだったの？」
「いえ、実は王は小さい頃はかなり甘い物が好きだったんですよ。」
「えーじゃあ途中で嫌いになったの？」
ゆりが驚いて聞いた。
「フレイ様に聞いたんですが・・・15歳くらいまで甘い物が好きで好きで、食事よりもお菓子を食べたがるほど好き
だったそうですよ。朝侍女が布団を変えると布団の中にお菓子の包み紙が大量にあったりしてフレイ様に怒られたりした
ようなんですが・・・ある日ひどい虫歯ができてしまいましてねえ・・・それが死ぬほど痛かったようなんです。
それで甘い物を食べると虫歯になると思ったらしく、それから甘いお菓子は一切食べなくなったようですよ」
「・・・あらら・・・かわいそうに・・・」
ゆりは思わず子供のラクシュミが虫歯で頬を腫らして泣いているところを想像してしまった。
そういえば、子供らが朝の挨拶に行くと、よく「ちゃんと歯を磨いてるか？」って聞かれるって言ってたなあ。
昔の事がかなりトラウマになってるんだ・・・
「虫歯って甘い物だけでなるわけじゃないと思うけどなあ・・・」
「小さい頃のそういう痛い体験はなかなか忘れられないものですよ。」
「そうかなあ」
「王はあの後しばらく歯磨きしてたようですよ」
「ぷ・・・」
ゆりは口に手をあてて笑うのをこらえた。
その夜、ラクシュミは寝室に来てゆりを見るなり真面目な顔で言った。
「ゆり、私は甘い物が苦手なんだ。またああいう事があったら、お前がうまくとりなしてくれ」
「はーい。わかりました。ごめんなさい・・・ぷ・・・」
こらえようこらえなきゃ、と思っていたが、こらえきれず笑ってしまった。
「何がおかしいんだ」
「ううん。別に・・・」
王様にも怖い物があったのね。それは虫歯菌だったとは・・・
王様ってなんだかかわいい。
「でも私が作った辛い物も一切食べてくれないね」
「腹壊したら困る」
即答で言われてしまった。
「やっぱりかわいくない・・・今度特大蛇クッキーナナミに作らせてもって行ってやる」
「そんなことしたら次の赤い月はパスするからな」
背中を向けて寝転んだラクシュミは反撃とばかりに言った。
「あ、汚い・・・」
「いやなものはいやなんだ」
「わかりましたよー」
ゆりは寝転んで眠りについた。
「わーん、痛いよー」
夢の中でシスそっくりの子供が頬に手をあててわんわん泣いていた。
「だからあれほど言ったではないですか。寝ながらお菓子食べたりするからそういうことになるんですよ？」
その前でちょっと若いフレイが困ったように言っている。
「痛いよー治してよーフレイ！」
「うーん。これは、抜くしかないですね」
フレイは男の子の口の中をのぞいていった。
「え？やだよ！やだ！」
「これだけひどくなったらもう治りません。３本とも抜きましょう」
どうやら虫歯は３本あったようだ。
「やだー！！！」
「大丈夫ですよ。大人の歯がその内生えてきますから」
「やだやだー！！！！」
「じゃあずっと痛いままでもいいんですか？」
「やだー！」
やーんかわいそすぎる！！！
ゆりはいたたまれなくなって目を覚ましてしまった。まだ部屋の中は真っ暗だ。
かわいそうなチビ王様・・・
ゆりは思わず横にいるラクシュミの頭をなでなでしたのだった。
２の月の１４日、虎の国ではあちこちでチョコレートが飛び交っていた。女の子が愛する男性にチョコレートを
贈る日である。
「はいガット」
朝食後、アヤコはガットにチョコレートの箱を差し出した。
「わーい。ありがとう」
ガットは喜んで箱を受け取っている。そして包みをあけてぼりぼり食べていた。ちょっと溶けかかっているが暑い国
なのでしょうがない。
「おいしい？」
「うん。でも本当はアヤコちゃんを食べたいなあ・・・」
「今日はこういう日だから。チョコレートが身体の変わり」
「ふーん。来月は何がほしい？」
「平穏な夜」
「・・・去年もそうだったじゃないか」
ガットはむくれた顔をしていた。
「そうだっけ？だってもう別に欲しい物なんてないしねえ・・・」
「だから俺のありったけの愛を・・・」
「それもいらない」
「ひどい・・・発情期にはやりまくってやるから・・・・」
普段はそうその気にならないアヤコだったが、虎族の発情期の匂いには弱いらしく、その時期だけは性欲もすごくなる
のだった。ちなみに、その間盛り上がったことについてアヤコはさっぱり覚えていない。
「はいはい。じゃあ今年は赤い月もなしってことで」
「えー！だめだよ！絶対だめ！」
ガットがぎょっとして言った。
「もういいじゃない。そろそろ飛ばしても」
「だめー！！！」
赤い月も発情期とは変わらないはずなのだが、赤い月の時の虎族の匂いは微妙に成分が違うのか、なぜかアヤコは
他の発情期のようにはならないのだった。
「アヤコちゃーん。そんなこと言ったら泣くからね」
ガットはアヤコにすがるように抱きついて言った。
「やっぱだめか。ちぇ。」
「ごろごろごろごろ」
まあとりあえず今晩はチョコレートでごまかすとして・・・
虎族の性欲にははっきり言ってついていけないわ。いくら蹴飛ばしても毎晩迫ってくるんだもの。
どっかに性欲減退薬でも売ってないかしら・・・
ラギ君なら作れるかも。
真面目に頼んでみようかと思ったアヤコだった。
おしまい