それは満月の夜だった。降るような星空に大きな丸い月がぽっかり浮いていた。
ベランダの扉は開け放たれて、カーテンが風で揺れていた。
広い王の寝室に金色の人影が舞い降りたのは、真夜中の事だった。
ベッドで眠る男はすぐに目を覚まして、その人物を見てあわててベッドから降りた。
「・・・今まで一体どうしていたのだ・・・」
部屋に入ってきたのは背が高い女性だった。流れるような金色の髪。切れ長の金色の瞳、すらりとした長い足、神々しいまで
に美しい女性なのだが、以前とは少し違って見えた。前よりもやせているような気がすると男は思った。
女は両腕に大事そうに何かを抱えていた。そして男にそれを差し出したのだった。
「！」
布にくるまれていたのは金色の小さな蛇だった。産まれて２、３年は経っているだろうか。
蛇ではあったが、どこか異質な蛇だと男は感じた。
「あなたの子供」
「本当なのか？」
男の目が見開いた。
「ええ。この子は普通の蛇ではない。これからはあなたが育ててちょうだい」
女は微笑んでいった。
「なぜもっと早く言ってくれなかったのだ。私がどれほど会いたかったか・・・」
男はなじるように言った。
女が最後に姿を見せたのは、もう６年も前のことだ。心配して探したものの、「探さないでほしい」という伝言が届いた。
「まさか出産していたとは・・・なぜ一人で・・・」
「どういう子が産まれるかわからなかったし、別に不自由はしてなかったから。」
「ひどいな・・・私の気も知らずに・・・」
「でも、私にはもう無理そうだから・・・」
「・・・」
男は悲痛な表情を浮かべて目を細めた。
女の気は極端に減っている。
「出産で無理をしたのだな」
男は悲しげにいった。
「だけど楽しかったわ。まさかあなたの子供が産めるとは思わなかったから・・・長い生の終わりにこんな事があるなんて」
「ディラネイラ・・・」
「泣かないで・・・ザクート坊や。今晩だけは一緒にいてあげるから」
ベッドの上で二人は座り寄り添った。男の腕には布に巻かれた金色の蛇がいた。
「男の子だな。名前は決めたのか？」
「ええ、ハザークと決めたわ」
「ハザークか。いい名前だな」
「元気に育ってほしい」
「そうだな・・・」
二人はしばらく寄り添っていたが、朝になり、女は行ってしまった。
男はしばらくそのままたたずんでいた。おそらくはこれが永久の別れになるのだろうという予感があった。
「おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ」
「む？」
腕にずんと重みが増した。金色の蛇は３歳ほどの人間の幼児の姿に変わっていた。金色の短い髪、瞳は金色だった。
白い肌の所々に金色の模様のようなものがあった。それは、女の肌にもあった物と同じだった。
「・・・ディラネイラに良く似ているな。今日からは私の息子としてここで育つんだぞ」
男は幼児を揺らして言った。
「おぎゃあ、おぎゃあ・・・」
「悲しいか・・・私も悲しい」
女の正体は金色の大きな美しい蛇だった。人に変化できる蛇で、気まぐれにやってきては愛を交し合った。
まさかその証を授かることになろうとは男も夢にも思っていなかった。
「お前は今日から私の３番目の息子だ。」
男は我が子を抱きしめて言った。
女蛇が産んだこの子供がどのような生をたどるのか、男にもまだわかりはしなかった。
金色の蛇 1
「ハザーク、ハザークちゃんどこにいるの？」
広い城の中を一人の女性があちこち瞬間移動していた。
「ハザークちゃ〜ん」
部屋に入っては誰かを探し、いないとなればまた違う部屋へと移動している。
「あなたたち、ハザークちゃん知らない？」
女性が召使達に聞くと、召使達は言いにくそうな顔をして、横の部屋に視線を移した。女性はにんまり笑って部屋に入って
行き、やがて奥の寝室のベッドの下をのぞきこみ、目あての子供を発見したのだった。
「ハザークちゃんったらほんとかくれんぼが好きなんだから。さあいらっしゃい。一緒にお菓子を食べましょうね」
女性はそういうとうずくまっていた子供を引っ張り出して手をつないで連れていった。ハザークは８歳になる。金色の髪と
瞳をした美しい子供だった。女の子と間違えられてもおかしくない。ハザークはむっとした表情で廊下にいた召使を見た。
「すいません。ハザーク様」
召使は申し訳なさそうにいった。相手はこの城の女主人、彼女らとしては逆らうわけにもいかなかった。
「さあいきましょうね」
そういって女性はハザークと一緒に移動したのだった。
やがて、城の中のある部屋ではけたたましい竪琴の音が鳴り響いた。それを聞いた者は、またはじまった・・・と耳を押さ
えつつ移動した。竪琴というものは、優雅なもので元来こういう楽器ではないはずなのだが、なぜかその女性の手にかかる
と、恐ろしく耳障りな楽器へと変わってしまう。
習いたてだから仕方がないという問題でもないだろう。
一方竪琴を弾いている女性は真剣そのものだ。必死で指を動かしている。同じ部屋では、ハザークがちょこんと椅子に座り、
その竪琴を聴かされていた。目の前にはおいしそうなお菓子がおいてあったが、せめてもの罪滅ぼしなのかどうかはわからな
い。
「うーん。今日はいまいちだったわね」
女性は一曲終わってからいった。
「今日は？」
とハザーク。
「その内上手になるわよ。さあ、お菓子を食べなさい」
女性は微笑んでいった。そういい続けてもう３月になる。ハザークは白いクリームがたっぷりのっかったケーキをフォークで
すくって食べだした。幼いハザークとて下手糞な竪琴を聴きたくはないのだが、なぜか、いつも全く上達しない竪琴を聴かさ
れていた。
女性の名前はヒューリアという。齢は２００になろうとしていたが、外見ではそんな年をとっているようには到底見えな
かった。50はサバをよめるほどだ。この城の中では最も高位にある女性といって間違いはない。なぜなら、今現在の王の
母親であるからだ。薄い水色の髪は後ろで綺麗に一つにまとめられて額や胸元や手首には高価な金の飾り物をしていた。
髪と同じ水色の瞳。衣服は青系統の色でまとめられている。長いドレスはそんなに派手なものではなかったが、胸元やすそに
は綺麗な花の模様があった。
温和な顔立ちをした女性ではあるが、目を奪われるほどの美女というわけでもなく、笑うとそこそこかわいいくらいの顔立ち
だった。先代の王には王妃は５人いた。他の４人はいずれも選び抜かれた美女であったが、ヒューリアだけは違っていた。
顔立ちは他の４人にはどう見ても劣っているのだが、その代わり、ヒューリアは世にも稀な特異体質の持ち主だった。それを
王が面白がり、妻にしたのだった。その特異体質とは、赤い月が近づくと、体から特殊な匂いを発してしまうというものだっ
た。その匂いは一種のフェロモンのようなものだろう。今はさほどではないのだが、若い頃には城中にその匂いが撒き散ら
されて、男という男が皆ヒューリアを抱きたがったほどだった。人間の男だけではなく、蛇達でさえ部屋の外に群がったほど
だから凄まじい。
その匂いはあまりにものすごく、王は自分が抱いた後、ヒューリアを他の男にも抱かせる事にしたのだった。
赤い月の最中はヒューリア自身も完全に我を忘れてしまい、男を求めてどうしようもなくなってしまうからだ。
しかし普段のヒューリアはというと、全くそんなことはなく、王以外の男とそうなることは一切なかった。
こうしてヒューリアが王妃になって15年後に産まれたのが今の王、ザクートだった。ザクートを身ごもった年の赤い月の
ヒューリアはさらに凄まじく、寝室にはおびただしいほどのオス蛇が入り込んでいた。そしてあくる年の赤い月ではおびただ
しい幻の蛇が城の周りを飛び回っていた。それは何かの天啓だったのか。
ザクートは産まれた時から凄まじい気の持ち主であった。また早熟で、何を教えても教師らが舌を巻くほどの上達ぶりだっ
た。わずか２０歳にしてザクートの気の力は父王と同レベルになった。
常識では考えられない事だったが、それに気づいた王はさっさと隠居して息子に次の王の座を譲ってしまったのだった。
遠い未来では最も偉大なる王とどの書物にも記録されるザクート王の御世は、わずか２０歳で王位についた時からはじまった
のだった。そして王になってわずか半年後、子供の王を侮った龍の国は国境を侵してきた。当時蛇の国には優れた力を持った
騎士達が大勢いたのだが、ザクート王の指揮の元、戦いはわずか一時ほどで決着がついてしまった。蛇の国の圧勝で終わった
のである。こうしてザクート王の名は近隣諸国に恐れられることになったのだった。
「おや、母上、またハザークに竪琴を聴かせていたのですか」
部屋にきらびやかな王の衣装を着たザクートが入ってきて、テーブルの上の竪琴を見ていったのだった。
ザクートはこの時135歳。もう若い王ではなく立派な大人の男だ。だが美しい顔立ちは80の時からあまり変わってはいない。
いつまでも若いままだった。
「だって、侍女らに聞かせても面白くないし、家臣らもすぐ逃げるし・・・」
ザクートはヒューリアに近づいて頬に口付けた。
「竪琴も完璧なあなたに披露するのもいやですしね」
ザクートは剣術、魔術もすごい腕であったが、楽器でさえも少し練習すれば完璧に弾きこなした。さすがに
そのザクートに自分の竪琴を披露するのもいやらしい。
「その内に上達しますよ。私のようにすぐ上手になったらつまらないですよ。逆に」
「そんなものかしらねー。全くハザークちゃんだけよ。ちゃんと真面目に聴いてくれるのは。他の二人の孫はすぐ逃げるんだ
から。かわいくないわ」
「ははは」
ハザークとて別に聴きたくて聴いているわけではなかった。まだ瞬間移動が使えないので隠れていたら発見されて連れて
いかれているだけだ。
「父上が新しい絵ができたから見せたいようだ。ハザーク一緒に行こう」
ザクートはハザークを見ていった。
「私は今朝見せていただいたわ。中々素晴らしいものだったわよ」
ヒューリアがいった。
「そうですか。それでは母上」
ザクートはハザークの手を握って移動した。
「お、きたな」
部屋に入ると中にいた先代の王はうれしそうな顔をした。こちらは年相応の顔立ちで頬や目尻には皺が見える。年は
ヒューリアよりも20ほど上220歳だった。それでも気品漂う顔立ちで、若い頃の美しい顔立ちの名残があった。
ザクートは伝説的な美貌の持ち主だったが、ヒューリアには全く似ていない。どちらかというと父親似だろう。だが
若い頃の二人の顔を見比べると、やはりザクートの方がダントツに美しい顔立ちをしていた。この国では７不思議の一つ
にされているほどだ。先代の王はあまりに優れた息子のおかげで悠々自適な隠居生活を楽しんでいた。
「新しい絵が描きあがったようですね」
ザクートが言うと、「そうなんだ。まあ見ておくれ」といって先代の王はイーゼルに立てかけてあった１メートル四方ほどの
絵を示したのだった。
「今回はなかなか良い出来だ。」
「・・・・」
ザクートとハザークは同じように首を大きく右に傾けていた。
「これ、こうじゃないんですか？」
ザクートが絵を左に回転した。
「いいや、これであってる」
先代の王は絵を元に戻した。
景色というには奇妙なものだった。木は横にはえているし、丘らしきものが縦に描かれいる。それらは立体感のない色彩で
、左の方には人の顔らしきものがあったり、右下には蛇がいたりと、よくわからない。
「ちなみに題名は？」
「我が心だ」
「はあ・・・」
一体どういう心なのだろう？？？
先代の王の絵は斬新すぎて、天才のザクートにも、ましてや子供のハザークにもわかりはしなかった。
ザクートの父親は隠居して何をしているかといえば、絵を描いていたのだった。芸術家になるのが小さい頃の夢だったらしい
。ザクートにさっさと王位を譲ったのも、そういう生活に憧れがあったからだ。
城の中には絵画の保存庫があって時々展覧会も開かれているのだが、みな首をかしげるばかりだった。
まさか先代の王に「ひどい絵だ」と言う者もなく、「斬新な絵画ですね」でいつもすまされている。
ーほら、ほめろハザーク
ザクートがハザークに思念を送った。
ーえ、なんで僕が・・・・
ー私が言ったらなんだか嘘っぽいじゃないか・・・
「おじい様の絵はいつもすごいですね。僕この辺が好きだな」
ハザークは左下の方を指さした。そこには花だかなんだかわからない植物らしきものが描いてあった。
「お、ハザークは小さいのにちゃんとわかってるな。この絵画ではそこが重要な所なのだ。」
ハザークは適当にいっただけだったが、先代の王は喜んでハザークの頭をなでたのだった。
絵画の方がヒューリアの竪琴よりは害がないといえる。
先代の王と王妃のカップルは、お互いに良く似てるな、と子供ながらに思ったハザークだった。
どちらもおかしなところはあるのだが、おっとりしていて人の良い性格だった。そんな二人がハザークは嫌いではない。
ザクートの元に一つの訃報が飛び込んできたのはそんな頃だった。
「あの姫が亡くなった？自ら命を絶ったというのか？」
驚くザクートに家臣がうなずいた。
「はい。結婚を拒んでの自殺だと・・・もちろん、表向きは病で急になくなったということになっておりますが・・・」
「まさか私のせいなのか？」
「・・・」
家臣は表情をゆがませただけだった。ザクートはため息をついて上を向いた。
「龍族の王はさぞかし怒っているだろうな・・・」
龍の一族の姫が外交目的でこの国を訪問してきたのはおよそ一年ほど前のことだった。最初の戦でこっぴどい目にあった
龍の国はそれ以来逆に責められることを恐れて、和平条約を結ぼうといってきたのだった。そのため時々互いの使者が
相手の国を行き来していたのだった。龍の一族の姫はまだ大人になったばかりのかわいらしい姫だった。
ザクートは女性を見ると親切にしたくなる性分だったので、自ら城の中や庭園を案内したりとサービスしたのだったが、
それがいけなかったようだ。姫はすっかりザクートに恋心を抱いてしまっていた。日に日にその様子を感じ取ったザクート
だったが、もちろんそれ以上親密になることはなかった。やがて姫は国に帰っていったのだが、こっそりと商人の手を介して
ザクートの元に熱烈な恋文が届いたこともあった。かといって姫をもらうというわけにもいかない。ザクートに妻はいないが
恋人は大勢いた。
「なんともかわいそうなことをしてしまったな・・・」
ザクートは姫の死を悼んでつぶやいた。
この事件が蛇の国と龍の国の長い争いのきっかけの一つとなってしまうことになるのである。
ザクート王の御世の時代、蛇の国はあまりに平和すぎるほど平和だった。王は結界など張ってはいなかったのだが、それでも
城内に敵が侵入することはなかった。大勢の騎士達は腕がなまらないようにザクートが率先して競わせた。
しかし、こんな平和な時代が永遠に続くわけはない。ザクートは優れた力の持ち主であったが、その子供は、ザクートほどの
力をもっていたわけではなかった。
ある日の夜明け前、ザクートははっと目を覚ました。
恋人達と過ごした後は自分の寝室に移動して一人眠るのが常だった。
夢に見たのは争いの場面だった。出てきた人物はどれも知らない者ばかり。どうやら未来の事のようだとザクートは感じていた。
ザクートはよく未来の事を夢でよく見ていた。予知夢というものだろう。といっても、どういう未来がみたいと自分で
指定はできないし、見た未来もいつの事やらよくわからない。夢に年号が入っているわけではないからだ。
明らかに城の形が変わっていたりすると、かなり遠い未来かもしれないと予想できるくらいだった。
笑い話として家臣に聞かせられる夢もあれば、笑えない夢もあった。
そして一つ気になることがあり、そのことがずっとザクートの脳裏をよぎっていた。
夢の中に時たま登場する金色の長い髪の男。男の顔にはかつて自分が愛した女蛇の面影があった。
城の姿がいくら変わっても、変わらずその男はいたのだ。
まさかハザーク？ディラネイラは確か１５００年ほど生きた蛇だったが、その性質を受け継いだのだろうか。
全ての蛇が長命なわけではない。普通の蛇が長い時を生きてその内に魔力を持ち、人に代わる力を得るのだ。
ザクートの元に来る人化した女蛇達はみなそうだった。ザクートの子供を産んだ女蛇はディラネイラだけだが、時々人化
した女蛇が人間の男の子供を産むことがあるのだ。現に今の騎士の中にもそういう者が二人ほどいるくらいだ。
私も人の中ではかなり特殊な存在だしな・・・上の二人の子供は普通だが、
ハザークは一体どのくらい生きることになるのだろうか・・・
自分の死後も延々と行き続ける息子の事を思うと、かなり気がかりなザクートだった。
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