第１３話
交わりの月が終わり、しばらく我慢していたゆりだったが、１０日も過ぎると我慢できなくなり、王の寝室に行った。
ラクシュミはゆりの姿を見てもとがめることはなかったが、離れて横になった。
あの時みたいに愛されたいな・・・なんだか無理っぽいけど。
体が元気になると、とたんにそんな気持ちになったゆりだった。
交わりの月の後は、たいてい性欲がうせるらしいが、ゆりには月は関係ないので、あの時の喜びをもう一度味わいたくて
仕方がなくなってきている。
あの時はずっと抱きしめて寝てくれたのになあ。それも無理なのかな。
なんだか悲しいな。
そう思うと、本当にとても悲しくなってきて、ゆりは泣き出した。
その気配を感じてラクシュミが顔を向けた。
「どうしたんだ？」
「え？・・・・」
ゆりは涙をふいた。
「なぜ泣いてる」
「・・王様が冷たい」
「冷たい？今はお前とひっつくのは辛いんだ」
「ごめんなさい」
ラクシュミはゆりに背中をむけた。
すると、ゆりはとたんにさびしくなった。
「・・・・」
意味もなくぼろぼろ涙があふれてくる。
「なんで背中向けるの？」
ゆりが泣きながら聞いた。
「ゆり・・・」
「私のこと嫌いなの？」
「なんでそうなる」
ゆりは泣いている。
「・・・・」
ゆりは強引にラクシュミに抱きついた。
「ゆり、辛いといっただろう」
「いや」
「・・・」
ラクシュミは軽く息を吐いた。
なんなんだ。わがままだな・・・
無理やり離すのも気がとがめて、ラクシュミはじっとしていた。
「ごめんなさい」
しばらくしてゆりはラクシュミから体を離した。
なんだか別人みたい。赤い月の時の王様と、まるっきり別人みたいでさみしいな・・・
「ゆり、お前大丈夫か？」
ゆりがずっと泣いているので、ラクシュミは気になって聞いた。
「うん。大丈夫。」
「じゃないだろう。側にこい」
ラクシュミは優しく言った。
「いいの？」
「ああ」
ゆりは側によった。
優しくしてくれたので、ゆりは安心した。そしてぎゅっと抱きついたまま眠りについた。
それから2.3時間たってから、
「ゆり、もう勘弁してくれ」
ラクシュミは悲鳴をあげるように言った。
「え？どうしたの？」
ゆりが目を覚ました。
「お前、私の気をかなり奪ったぞ」
「え？そうなの？」
「これ以上奪われたら、私はしんどい。」
「ごめんなさい」
ゆりはからだを離した。ラクシュミはその時、ゆりのブレスレットに目を留めた。
ブレスレットから、全く気が感じられない。ゆりが全部吸収してしまったようだった。
まさか・・・
「怒った？ごめんね」
ゆりはしょんぼりしていった。
まさか・・・こんなに早く？
次の日の朝、フレイはゆりの体を診察した。
そして王の間に直行した。
「まだわかりません」
「そうか・・・」
「王はそう思われるので？」
「わからんが、えらく気をほしがってるのが気になる。」
「王、王妃の侍女が面会を望んでいますが」
番兵が言った。
「かまわん、いれろ」
ミラではない、別の侍女がラクシュミに近づいてきた。
「どうした？」
「あの・・・」
侍女はフレイを気にしてるようだ。
「かまわん。言ってみろ」
「王妃様が、部屋の右にある隠し部屋を使いたいそうなのですが・・・」
「何？」
ラクシュミが目を見開いた。
「ゆりはあの部屋のことは知らないはずだぞ？」
「知っておられました」
その隠し部屋とは、王妃が恋人と過ごすための部屋である。ゆりはそういう気はなさそうだったので、教えてはいないのだ。
「相手の男はだれだ」
「男性と交わるわけではなく、そこで気をもらうからだと言っておられました」
「ゆりがそんなことを言うとはおかしいな。ゆりをつれて来い」
「はい」
侍女は出て行った。
「おかしいですな」
フレイも言う。
しばらくし、ラクシュミの横にぱっと現れたゆりに、ラクシュミはぎょっとし、フレイも目を見開いた。
「ゆり・・」
「王妃・・・」
ゆりはにっこり笑った。その左目の眼球は黄色と黒の、蛇の目になっていた。
「お呼びですか？王様」
「・・・・」
「どうしたの？奇妙な顔をして」
「お前・・・ゆりなのか？」
「ゆりよ。他の名前はないもの。」
ゆりの顔つきが変わっている。いつもよりも、少し表情が違っていた。目つきが鋭いというか、いつもののほほんとした
顔ではない。それに声のトーンもちょっと違っていた。
「一族の女としての人格が出られましたか」
フレイが言った。
「そうみたいね」
「いつものゆりはどうした？」
「ちゃんといるわよ？あの部屋使っていいでしょ？」
「何するんだ。」
「気もらうの。加減が難しいから、いつも王様からもらうようにゆっくりもらうの。フリットを呼んで。王様」
「・・・・」
「王妃、あなた、もしかして妊娠されたのでは？」
フレイが聞いた。
「そうみたいよ。だから気がいっぱいいるの」
ラクシュミの前にフリットが現れた。
「あれ、王妃」
フリットはいつもと違うゆりに少し首をかしげた。
「フリット、しばらく私に付き合ってね」
「はあ・・・」
「部屋にいきましょ」
ゆりはフリットの腕を組み、二人は消えた。
「・・・おかしくないか？あのゆりは」
「いえ、そうともいえませんよ。それより、おめでたいことです。安定期までは安心できませんが」
「・・・・まだよくわからん・・・まさかこんなに早く・・・」
「早いのはよいことですよ。」
「だがそれにしても早すぎる」
喜ぶよりも戸惑うばかりのラクシュミだった。
一方、ゆりはフリットと隠し部屋に行き、抱き合っている。ゆりが一方的に抱きついていたのだが。
大きめのベッドと、たんす、鏡台、テーブルといすが置かれた狭い部屋である。
「王妃、なんだか様子がいつもと違いますね」
「うん。まあ、あんまり気にしないで。ねえ、フリット気ちょうだい」
「いいですよ。」
「じゃあ服脱いで」
「脱ぐんですか？」
「肌通してもらいたいんだもの。上だけでいいから」
「まあいいですが」
フリットは上を全部脱いだ。胸の辺りに、薄く青い蛇の模様が見えた。
「わー蛇がいる」
ゆりは初めて見たので驚いた。
「一族の者はたいてい、蛇か、蛇の模様がどこかにあるんですよ。」
「そうなの。王様にないから気づかなかった」
「ベッドに寝るんですか？」
「うん」
フリットがベッドにあがり、結んでいた髪をほどいた。
ゆりもベッドにあがった。そして大胆に目の前で服を脱いでいる。
「・・・」
フリットは目が点だった。
ゆりも上半身裸になり、フリットに体を寄せた。
「王妃・・・」
「何？」
「複雑な心境なんですが・・・」
フリットはゆりの体から、王と同じ匂いを感じた。女がこの匂いをもっていると、欲情してしまいそうになる。
「寝転んで」
「はあ」
フリットが寝転んでゆりは胸に体を寄せた。胸の感触もしっかり伝わってくる。
「あの・・・その気になりそうなんですが・・・」
「交わりの月終わってまだ間もないのに？」
「あなたの匂いをかいでると、その気になりそうですよ。あなたの肌も、すごく柔らかいし・・・」
こちらの女の肌はもう少し硬めである。
「だめよ。その気になっちゃ」
「はあ、すいません・・・」
ゆりはふふっと笑った。
「フリットって面白い人」
「からかわないでくださいよ。王妃」
「からかいたいんだもの」
ゆりは誘惑するような目で見ている。
「・・・・その目かわいいですね」
一族の中には、ゆりの左目のように蛇と同じような眼球をした者もいるので、それ自体はおかしなことではない。
やがてフリットはほほえんでゆりの髪をなでた。
「もうフリットってばつまんない」
ゆりがちょっと頬を膨らませる。
「え？なんでですか？」
「いろいろされたいのに〜」
「いろいろ？」
「ちゅーとか」
「ちゅーってなんです？」
「キス、口付けよう」
「私から王妃にはそういうことできないですよ？」
「どうして？」
「私の方が身分下ですから」
「そんなのどうでもいい」
「どうでもよくないんですよ？口で命じてくださらないと」
「や・・・」
「かわいいですね」
フリットの手がゆりの背中をなでた。
「いろいろされたいんですか？」
フリットがゆりをじっと見て聞いた。
「いっぱい口付けされたいな」
フリットが体を動かしてゆりに口付けようとした時、ゆりは避けるように体をそらせた。
フリットが首をかしげる。
「あれ？」
ゆりも首をかしげた。
「もしかして向こうが抵抗してるかも」
「え？」
「ごめんね。無理みたい。気だけちょうだいね」
「はあ・・・」
ゆりはフリットの胸に肌を寄せてしばらくいた。フリットも別に怒ることなくじっとしていた。
その夜、ゆりは自分の部屋のベッドにいた。
すると、ベッドの横にラクシュミが突然現れた。
「ゆり」
その声でゆりは目を開けた。
「王様・・」
ゆりの両方の目は黒かった。
ゆりが普通に戻っていたので、ラクシュミは少しほっとした。
「こっちにこないのか？」
「昨日迷惑かけたから・・・」
「来い」
ラクシュミが優しく言った。
ゆりが起き上がって手を伸ばす。ラクシュミはその手を握り、王の寝室に移動した。ラクシュミはゆりの頭をなでた。
子供ができた、そういう感じはまだしない。
まさかこんなに早くできるとは・・・驚いた。
先代の王妃がラクシュミを孕んだのは、王と結婚してかなり経ってからのことだった。
アヤコがガットの子供を孕んだのが20年ほどたってからだったので、それくらいを目安にしていたのだ。
まさか最初の交わりの月で孕むとは夢にも思ってはいない。
喜びよりもまだ戸惑いの方が大きかった。
「ゆり、体調はどうだ？」
「普通よ。もうすっかり元気よ」
「今日はだれか男と会ったか？」
「フレイに会ったよ。」
「他には？」
「午後は寝てたの。だからだれにもあってない」
「そうか。もう寝ろ」
「うん」
ゆりは寝転んだ。
どうやら、フリットとあの部屋に行った事は知らないようだ、とラクシュミは感じた。
全く別の人格ができてしまったのだろうか。
それは悪いことではない、とフレイは言ったが・・・
次の日の朝、王の間には、ゆりの侍女全員とフレイやザメハ、それから年配の女性が一人いた。
侍女たちは何事かと緊張している様子である。
「実は、ゆりが妊娠したらしい」
ラクシュミが言うと、侍女たちは驚きの表情を浮かべた。その表情はやがて喜びに変わった。
「本当ですか？」
ミラがうれしそうに聞く。
「そうらしいとしかまだいえないがな。それで、お前たち全員に集まってもらったわけだ。とりあえず、お前たちには
そのまま王妃の侍女を続けてもらうからな。」
「はい」
と侍女たちが返事をした。
「とりあえず、安定期に入るまでは油断はできません。先代の第一王妃も、妊娠されたものの80日ほどで流れてしまい、
そのショックでなくなられてしまいましたから。」
フレイが言った。
ラクシュミの母親は二番目の王妃だったのだ。
「これからは、ここにいるロアンナに王妃の相談役になっていただきます」
そういうと女性はにこりと微笑んだ。長い髪は後ろできっちり束ねられている。品のある一族の女性だった。
「ロアンナはラクシュミ様の母君とも仲がよく、当時のことも良く知っているから、あなたたちも聞きたいことがあったら
何でも相談しなさい。王妃によってそれぞれ症状は違うようですが、妊娠した王妃は、時々感情の起伏が激しくなるようで
す。今王妃の心には蛇の一族としての人格が形成されているようですから、うまく対処してください。」
「では行きましょう。私から王妃に妊娠について話をしますから」
ロアンナがいい、侍女と一緒に出て行った。
女性達が出て行った後、ザメハがラクシュミを見た。
「王、王も気をつけてください。王妃にあまり冷たくしないように」
「ああ」
「実は、先の第一王妃が流産された原因は、先の王が他の女を召したのが原因だったのです」
「え？そうなのか？」
ラクシュミは目を見開いた。
「その時の王妃は普通の状態ではなかったので、大変傷つかれてしまって・・・普段の時ならなんでもないことも、妊娠中は
別の感情が芽生えることがあるようです。そのことで先の王もかなり、参ったことも・・・時折ひどく感情が不安定になっ
たりしますから」
「これも子供が産まれるための試練とお考えください」
フレイが言った。
「そうか・・・なにやら大変なのだな」
「ですが、お子様ができるための苦労ですから」
とザメハがにこやかに言う。
「そうです。先のことを考えると、非常に楽しみですな」
フレイも微笑んだ。
一方、ロアンナは、ゆりの部屋にきて向かい合って座り、ゆりに妊娠のことを告げたのだった。
「本当？本当に赤ちゃんできたの？」
ゆりがうれしそうに聞いた。
「そういう兆候が出ております。」
ゆりは自分のおなかをなでた。
「ロアンナって、だれかに似てるわね」
「私はフリットの母ですから」
「え？フリットのお母さん？」
「はい、ちょうど先の王妃と同時期に妊娠していたのですよ。フリットと王は同じ年に産まれたんです」
「そうなんだ・・・そういえば、フリットに似てる」
品のありそうで優しそうな女性で、ゆりはロアンナに好感をもった。髪の色も、フリットと同じで少し紫がかっている。
「妊娠された、といっても、特別何かをしなければいけないこともありませんので、王妃はいつも通り過ごして
いただいてかまいませんから。」
「はい。」
「気がほしくなったら侍女にすぐ言ってくださいね。誰かよこしますから」
「気？やっぱり王様からいっぱいもらったら辛いのかな」
「そうですね。王は結界をつくるのだけで大変ですから。たまにならよいでしょうが」
「わかったわ」
「何か不安なことがあったら、言ってくださいね。いつでもいいですから、遠慮しないでください」
「ありがとう」
ロアンナは出て行った。ミラは、にこにこしてゆりを見ている。
「なーに。」
「いいえ。何にも」
「楽しみ。ちゃんと育てばいいな。どれくらいで産まれるのかなあ」
「大体３年から４年くらいかかるみたいですよ」
「そうなの？結構長いんだね。とりあえず、お茶とお菓子もってきて、お茶で乾杯しよう」
「はーい」
ミラは出て行った。
本当にできたのかなあ・・・
ゆりは自分のおなかを見た。
よくわからないけど・・・
王様喜んでくれたかな？
その夜、王の寝室に行くと、ラクシュミは結構早めにやってきた。
「ゆり、ロアンナに聞いたか？」
「うん」
「そうか」
ラクシュミは優しくゆりの頭をなでて、頬にキスした。ラクシュミは温和な笑みを浮かべていたが、どこか引きつってる
ようにもみえた。
「どうしたの？」
「ん？どうもしないぞ？」
「なんか、無理に笑ってるみたいよ？」
「・・・そんなことはない。うれしさのあまり緊張している」
ラクシュミはよくわからないことを言った。
ゆりは首をかしげた。
「ゆり、何かあったらちゃんと言うんだぞ？」
「うん」
ゆりはラクシュミの横に寝転んだ。
抱かれたいなあ・・・
そう思ったが、そういう雰囲気でもないので言わなかった。
その夜は、ラクシュミに抱かれる夢を見て、すごく興奮してしまったゆりだった。
私ってやらしい・・・
朝になり、ゆりはちょっと自己嫌悪に陥ってしまった。
なんだか王様にねだってしまいそうでいやだな。ちょっと別で寝ようかな。
ゆりはしばらく自分の寝室で寝ることにした。
そんな頃、ラクシュミはハザークの塔に来ていた。
「ゆりが妊娠したらしい」
ラクシュミが部屋に入り言うと、ハザークはからだを起こしてラクシュミを見た。
「もうか？」
「ああ」
「随分早かったな」
ハザークは大して興味もなさそうに言った。
「そうだな。とりあえず、酒を飲まないか？」
「ああ」
二人はいすに座り、酒を飲んだ。
「子ができたのならニエがいるな」
ハザークが言った。
「すまないな」
ラクシュミがぽつりと言った。
「謝ることはない。そういう決まりだ。」
「・・・」
それから数日後、ゆりは非常に胸騒ぎを感じてはっと目を覚ました。
なんだかいやな感じだった。
原因はわからないがいやな予感がする。
その時何かを感じて、ゆりの体が移動した。
着いた所は調理場だった。ゆりは蛇の首を切り落とそうとしてる料理人を見てぎょっとした。
「やめて！」
料理人のほうも、ゆりを見て驚いた顔をした。
「王妃・・」
「やめて！なんでこんなことするの！？」
ゆりは料理人の腕から蛇を奪い取った。
「ゆりにばれた？」
報告を聞いたラクシュミは驚愕の表情を浮かべた。まだ朝早い。ラクシュミは着替えの途中だった。
「なぜばれた」
「それが・・・急に王妃が調理場に現れまして・・・なんと説明したらいいか料理人も困ったようで」
「・・・ゆりに会おう」
ラクシュミは着替えをすませてゆりの部屋に行った。ゆりは茶色い蛇をもって座っていた。
ゆりはラクシュミに顔を向けた。暗い表情だった。
「ゆり・・・・」
「なんであんなことするの？」
「・・・妊娠した王妃は、蛇を食べる慣わしなのだ」
ラクシュミが仕方なく言うと、ゆりは目を見開いた。
ゆりが嫌がることはわかっていた。だから、ばれないようにしようとしていたのだが。
「私食べないわよ」
「ゆり、今までみんなそうやってきたんだぞ」
「でも私は食べない」
「・・・」
「絶対食べない。だからもうやめて。知らない内に混ぜたりしないでね。そんなことしたら私もう、自分が作ったものしか
食べないから」
「・・・わかった。もうしない」
「絶対よ」
「ああ。すまなかったな。もう安心して朝食を食べろ」
「うん」
ゆりは部屋の中に茶色い蛇を逃がした。
困ったな・・・まさか気づかれるとは・・・
蛇を食べるという慣わしは、一族の中でも王妃にしかない慣わしだった。普通に妊娠した女が食べることはない。
なぜか、昔からそうなっていて、いわば儀式のように王妃は妊娠初期に蛇を食べてきたのだ。
「食べなかったらどうなる？」
王の間でラクシュミはフレイに聞いた。
「わかりません。前例がないのです」
フレイが言う。
「あれだけ嫌がるものを、強引に食べさせることはできないぞ？」
「しばらく様子を見ましょう。何もなければそのままで良いのではないですか？」
だが、ゆりの様子に変化が現れてきた。
ちゃんと普通に食事をしているのに関わらず、やせていったのだった、
ロアンナがやってきて優しくゆりを諭したが、ゆりはがんとして受け入れなかった。ラクシュミが言っても、だれが言っても
ゆりは泣くばかりでどうにもならなかった。
蛇が食べたくない。その心情は、一族にとってはうれしいものであるが、ゆりの体が弱っていったのでは困る。
「王妃・・・」
その日はミカエルがゆりに会いにきていた。ゆりの体がひどくやせていて、ミカエルの心は痛んだ。
「なんでやせるのかな。ちゃんとご飯食べてるのに」
ゆりはルーをひざにのせている。
ミカエルは何も言えずに、ゆりの頭をなでた。
ゆりはルーをじっと見ていてはっと何かがひらめいた。
「そーだ。ハザーク様に相談してみよう」
「え？ハザーク様？」
「ハザーク様の所連れて行って」
「はい」
ゆりはルーを置いて、ミカエルに移動させてもらい、ハザークの塔に行った。
ハザークは蛇の姿をしていたが、ゆりの顔を見ると、人に変化した。
「何か用か？」
「ハザーク様って、かなり長生きされてるんですよね」
ゆりが聞いた。
「ああ」
「私本でいろいろ調べたんですけど、王妃がその種族の生物を食べるなんて習慣があるのは、蛇の一族だけです。
どうしてなんですか。何か別の食べ物で代用できないんですか」
ゆりは必死の表情をしていた。
「さあな。」
「誰か一人くらい食べなかった王妃いるんじゃないですか？」
「いないな」
「私、蛇食べるのいやなんです」
ハザークはちらりとゆりの体を見た。
「そのままでは子供は死ぬぞ？」
ハザークがあっさりいい、ゆりの後ろにいたミカエルは青ざめた。
「ハザーク様、そういう言い方はやめてください」
ミカエルが思わず言う。
「本当のことだ。子供のためだと思って食べろ。お前に食べられたからといって、蛇がお前を恨むことはない」
ゆりの頬に涙が流れた。
蛇はちゃんとゆりの言葉を理解している。そんな生き物を口に入れることは、どうしてもできなかった。
「王妃・・・」
ミカエルがゆりの背中をさすった。
その様子を見ていたハザークの侍女が、口を開いた。
「ハザーク様、大蛇が卵を産む前に、好んで食するメメントはいかがでしょうか」
「メメント？」
ハザークより前にゆりが反応した。
「・・・あれは人が食うものじゃないだろう」
ハザークが言う。
「ですが・・」
「それどこにいるの？」
ゆりの目が輝いてきた。
「今の時期なら、東の森にいますよ。」
と侍女。
「ミカエル、とってきて」
ゆりはミカエルを見て言った。
「はい」
ゆりが部屋で待っていると、ミカエルが現れた。手に大きな袋を持っている。ゆりがのぞくと、巨大で黒い、
オオサンショウウオのような形の生き物が二匹いてぎゃうぎゃう鳴いていた。
「調理場にいきましょ」
ゆりが言う。
「これ、本当に食べるんですか？」
ミカエルが聞いた。
「うん」
ゆりはすっかりその気である。
やがて、調理場のまな板の上で、メメントはきれいに解体された。ゆりは鼻歌交じりで包丁を握っている。
料理人とミカエルは、その横で目をあわせた。
二人にとっては、あれを食べる、ということは全く考えられない。それほどグロテスクに見えている。
「まずはステーキにしてみようっと」
ゆりはそれを焼き始めた。
「・・・あれ食べても大丈夫なんでしょうか」
思わず料理人が言った。
「うーん。わからんが・・王妃はすっかりその気だし・・・」
蛇を食べたくない一心なので、何もいえない。
ゆりはよく焼いた肉を食べてみた。
ちょっと臭みがあり、あんまりおいしくない。
「うーん。ちょっと工夫しなきゃだめね」
そういいながらも全部食べて、次の料理に取り掛かった。
「本当にあれを食べたのか？」
王の間では、ラクシュミがあきれた顔をしている。
「しばらく食べてみるようです」
ミカエルがそういうと、ラクシュミはため息をついた。
「・・・まあ、様子を見ましょう」
フレイが言う。
「そうですな。王妃をとがめるのも、かわいそうですし・・・」
とザメハ。
「それでだめならあきらめて蛇を食べるでしょう」
だが、３日ほど食べると、ゆりの顔は元に戻っていった。
「うわー、みてー普通になった！」
ゆりが喜んで鏡を眺めた。
「本当ですね。よかったですわ」
ゆりの侍女たちも喜んだ。
メメントが蛇の代わりになったのだ。
フレイが診察しても、ゆりの体は元気に戻っていた。しかも、なにやらゆりの体の中に、別の生命を感じるように
なってきたのだ。フレイやザメハは大喜びで、もちろんラクシュミも喜んだのだが、どこか喜べない部分もあった。
自分の妻があんな生き物を食べたということが、受け入れられなかったのだ。しかも体の中には自分の子供がいるのに。
だが、ラクシュミは平静を装ってゆりに接していた。
そして妊娠して５ヶ月ほどが経過したある夜、ゆりがついに言ったのだった。
「抱いてほしいな。王様」
「・・・」
「交わりの月が終わって全然だから」
あれから二人は口付けさえ交わしてはいない。
ラクシュミは到底そういう気にはなれなかった。
「お前は妊娠しているのだし、当分そうする必要もないだろう？」
ラクシュミはそういった。
「・・・」
「もう休め、な」
ラクシュミは、これでも気を遣って言ったつもりだった。
だが、ゆりにはそう聞こえなかった。
子供ができたから抱かないということは、今まで子供のためにだけ抱いていたということになる。
そうとったのだ。
私のこと、愛してないの？
それから数日、ゆりはどこか沈んだ様子だったので、ゆりの侍女たちは心配していた。
だがゆりは理由を言わなかった。ロアンナが聞いても言わなかった。
そしてある日、ゆりは姿を消した。昼食の時間になっても帰ってこないので、侍女たちは城の中や外を探したり、
他の者に聞いたりしたのだが、一向に行方が知れなかった。
それはラクシュミの知るところとなり、ラクシュミが一族の戦士たちに緊急の思念を送ろうとした時、
北の砦の将軍、ヴィクターから思念が届いた。
ー王・・・王妃が・・・王妃がお亡くなりに・・・
嘆きと共にもたらされたその思念に、ラクシュミは絶句した。
「嘘だろう？」
「王？どうかしたんですか？」
横にいたミカエルはラクシュミの様子に驚いて聞いた。
「ヴィクターが、ゆりが死んだといっている」
「え？」
やがてその凶報は、事実としてラクシュミの目の前にさらされた。ゆりの体が運ばれてきたのだ。
そのあまりの悲惨な有様に、ラクシュミもほかの者も、だれ一人として声を発することができなかった。