第26話
その年の梅雨が明けたある日、ゆりは結界の外に出してもらっていた。連れて行ってもらったのは、城から南東にある
礼拝堂のような巨大な建物の中だった。建物はどっしりした石造りで、かなり古びていた。中に入ると、壁にはずらりと
ろうそくの火が灯されている。まんなかの通路を挟んで両方に椅子が並べられて、正面には台座。
ゆりは教会のようなところだと感じた。
「ここは王のお墓なんですよ」
横にいたフリットが言った。
「お墓？」
「この地下に、代々の王の御霊が眠っているんですよ」
「へー・・・・お墓っていえば、私今まで普通のお墓見たことないなあ。一族の人のお墓ってどこにあるの？」
ゆりは疑問に思って聞いた。結構あちこち連れて行ってもらったような気がするが、お墓にはまだ行ったことがない。
「一族のお墓はないんですよ。お墓があるのは王と王妃だけなんです」
「え？じゃあ、死んだらどうするの？」
「遺体は焼いて、骨を砕いてまくんですよ」
「え。どこに？」
「どこでも、死んだ者が好きだった場所でもいいし、この国のどこにでもまかれていますよ。もう一度、生まれ変わってこの地に
戻れるようにと、家族の者が、願いながら骨をまくんです。」
「・・・」
そういうフリットの横顔ひどくさびしそうに見えたので、ゆりはそっとフリットの手を握り締めた。
そのころ、ラクシュミは城の地下にある霊堂にきていた。きれいなガラスが壁のあちこちにあり、ろうそくに照らされている。
ラクシュミは立ったまま、ぼんやりと正面を見つめていた。
今日、12月19日は、先代の王が亡くなった日だった。そしてラクシュミが王位を継いだ日でもある。
その時、ラクシュミはまだ大人にはなっていなかった。そのため先代の王はひどく心残りのままこの世を去った。
そして同時に、大きな戦いが起こった日でもあったのだ。先代の王が亡くなるとすぐ、龍族の者は国境を越えてきた。
そして戦闘になったわけだが、ラクシュミの力はまだまだ不安定で、一族の者を守る力がまだ十分ではなかったために、
多くの犠牲がでた。夕方敵が引いた時には、全くひどい有様だった。一族の数がもっと多ければ、こんなことには
ならなかったのだが、それを言っても仕方がない事だった。
そのまま戦闘を続ければ、蛇の一族も滅んでしまったかもしれないが、この世界では国同士の戦闘は、たいてい、一日か
二日で終わってしまう。それは、この世界の特性によるものだった。どの国でも、代々の一族の強い守りのようなものが
働いているため、多種族の者が違う国で戦う時は、力の消費も激しいのだ。瞬間移動さえ、自分の国でやるようには
いかない。そのため、龍族の者は、たびたび攻めてはすぐ帰ることを繰り返し、そのつど、蛇の一族の数は減らされて
いたのだった。
「王」
声をかけられてラクシュミが振り向くと、ミカエルが立っていた。
「お一人で泣かれているのかと思って心配しましたよ」
ミカエルが微笑んで言った。
「泣いてはいない」
「ならいいですが・・・」
「・・・私が王になったあの夜、ハザークが私になんと言ったと思う？」
「ハザーク様が？さあ・・・」
「たとえ滅んでもお前のせいではない、そういったんだ」
「ハザーク様がそんなことを？」
ミカエルがちょっとあきれるように言った。
「ハザークはあれでも私を慰めてるつもりだったようだが・・・あいつの慰め方はいつもどこかずれてる」
ミカエルは苦笑した。
「ところでお前、ゆりとあれからいちゃついてるのか？」
ラクシュミが普通の表情で聞いた。
「いいえ。もう一人の王妃とはたまにですが。」
蛇霊神の儀式はあれから行われてはいない。
「王妃は他の男とあっち行ってないですよね」
ミカエルがはっとして聞いた。
「さあな」
「さあなって・・・王は私に冷たい。あの役もヴィラにやらせたし・・・」
ミカエルがラクシュミをにらんでいった。
「お前なら絶対抱くと思ったからヴィラにやらせたんだ。お前は自己主張が激しいから無理だ」
「そんな事ないと思いますけど・・・」
「そんな事ある・・・ゆりが帰ってきたな」
フリットからラクシュミに思念がきたのだ。
「遊びに行っちゃおうかな」
「フリットが気をやるみたいだからお前邪魔じゃないのか？」
ラクシュミがにっと笑って言うと、ミカエルはむっとした顔をした。
自分の部屋の横に隠し部屋があった、ということに驚いたゆりだったが、あれ以来たまに男たちと過ごしている。
といっても、ゆりはぐーぐー昼寝しながら男から気をもらってるだけだった。相手がフリットやミルキダスなら
全然不安になることなく、即眠っている。
「フリットも寝ていいからね」
ゆりはそういって抱きついたまま眠った。最近昼間も眠くなることが多いため、こうして気をもらうのが楽なのだ。
男たちもそんなゆりを微笑ましく思っているので、別に側にいるだけで何もしない。
ただ、ゆりはミカエルのことは警戒しているのか、ミカエルから気をもらう時は、ずっと起きていて寝転んでもいない。
フリットはゆりの寝顔を見て微笑み、目を閉じた。
ゆりの暖かい体を抱いていると、無性に眠くなってくる。なんだか平和で穏やかな夢が見れそうな気までしてくる。
うとうとしていると思念が来た。
ーお前どっちの王妃とそっちいる
ミカエルだった。フリットはうるさそうに眉をひそめた。
ーうるさいな。人がいい気分でいる時になんで邪魔するんだ。
ーいい気分ってなどういうことだ！
ミカエルはすっかり誤解していた。
馬鹿なやつだ・・・なんであいつはああ、自分を基準にするんだ・・・
フリットはあきれた顔をした。
ー別に何もしてない。王妃はお昼寝中だ。
ー本当か？
ー本当だ
「だれと話してるの？」
ゆりが聞いた。フリットが見ると、ゆりの左目は黄色と黒になっている。
「ミカエルが妬いてうるさいんですよ」
フリットが言うと、ゆりは体をごそごそと動かしてフリットにキスした。
「もっと気持ちよくなりたいな♪」
ゆりはフリットを見つめて言いながら、ミカエルにも思念で言っていた。
「・・・」
ー嘘つきめ・・・
「だめですよ。王妃、ミカエルをあおったら」
フリットが微笑んでゆりに言った。
「だって、ミカエルってあからさまに嫉妬して面白いんだもん」
とゆり。
「ミカエルって普段もあんなになったりするの？」
ゆりはフリットに引っ付いたまま聞いた。
「あまりならないですね。自分の彼女らに妬いたりってこともないですし・・・」
「そうなの」
一族の数が絶対的に少ない蛇の一族の男たちにとっては、子作りは、重要な使命だった。力がある者ほどその思いは強く
いくら美しい女がいようと、力がなければ、普段抱くことはあっても、交わりの月には相手にしない。女たちが交わりの
月に男を選ぶ時もそうである。あの男を愛してるから抱かれたい、ではなく、あの強い男の血が入った子供を産みたい、
そう思い、交わりの月を過ごすのだ。複数の女と過ごす男もいれば、複数の男と過ごす女だっている。
もちろんこれがこの世界共通の考え方というわけでもない。中には一生一人の相手としか交わらない種族だっているし、
男女恋愛の価値観が、ゆりの世界と一緒の一族だってある。種族によっていろいろ違うのだ。
「ミカエルってなんでああ妬くのかしらね。みんなの手前、一番になりたいのかしら」
「ミカエルはミカエルなりに、王妃を愛してるんですよ。だから妬くんですよ。最初は違ってましたけど、最近はそうですよ」
「私たちってそんなに魅力的？」
「魅力的ですよ。私は一族の女に愛してる？って聞かれたことも、愛してるって言ったこともないですよ。それなのに
儀式のたびに愛してるって言ってるんですから。あれは魔法みたいなものですよ。我々はみんな、自分で魔法をかけてしまった
ようなものですよ。」
「愛の魔法かあ・・・王様も魔法にかかればいいのに」
「かかってるじゃないですか。王は交わりの月のことは一切覚えていないんでしょう？覚えていないってことは、よっぽど
愛していたんですよ。あなたたちのことを」
「そうかな」
「そうですよ」
フリットは微笑んで言った。
夕方、王の休憩室からは竪琴の音色が聞こえていた。
美しい楽師のセレーンが久しぶりにこの国にやってきたのだった。
「王は表情が変わられましたね」
セレーンは曲を奏でた後言った。
「そうか？」
ラクシュミは長椅子に寝そべったまま聞いた。
「ええ、とても穏やかな表情をされていますわ。以前とは違います」
「そんなに怖い顔をしていたか？以前は」
「ふふふ・・・」
セレーンが優雅に微笑んだ。
その時ラクシュミはぎょっとして扉の方を見た。ちょっと扉を開けて、ゆりがじっとのぞいていたからだった。
「・・・何やってるんだお前・・・」
「だってえ・・・」
ゆりは口を尖らせて中に入ってきた。
「お久しぶりです。王妃様」
セレーンが顔を下げてお辞儀した。前にあったときと変わらない、美しい女性である。
「こんにちは」
「そこに座れ、前みたいに途中ででていくんじゃないぞ」
「わかってます」
ゆりはちょこんといすに座った。セレーンは微笑んで竪琴を奏でた。
美しい旋律を、ゆりはぼんやりして聞いていた。やがてゆりの首がかくんと前のめりになった。
ラクシュミがやれやれ、と思ってゆりを見ると、ゆりのひざの上にまたもや白い塊が現れた。
ラクシュミは目を見開いて、セレーンは指をとめた。
その白い塊は、赤ん坊の形をしていた。赤ん坊はじっとセレーンのほうを見ている。
「どうやらお前の竪琴が聞きたいらしいぞ」
ラクシュミが言った。セレーンは微笑んで曲を続けた。
ラクシュミは赤ん坊を見て目を細めていた。
こうして月日は流れていった。蛇霊神の儀式はあれ以来行われることもなく、ゆりは男たちとはほどほどの仲を続けていた。
国境付近では絶えず小競り合いが続いてはいたが、城の中は平和で、ゆりも穏やかに過ごしていた。
子供を孕んで3度の交わりの月が過ぎて、その年の最後の月になるころ、ゆりのおなかはとうとう大きくなり始めた。
そして年が変わり、ゆりはおなかを抱えて苦しみだした。
とうとう、出産の時がやってきたのだ。
そのころ、北の国境付近では、その時を待ち構えていた龍族の軍勢が、迫っていたのだった。