それは１の月の５日のことだった。アナスターシャが５歳になったお祝いのさなか、その日は城の広間に楽団がやってきて、明るい曲が演奏されていた。ラクシュミは王の間にいていなかったが、ゆりとアナスターシャ、シス、それから数人の侍女がいた。
シスはまだ赤ん坊なのでゆりかごに入れられている。
警護にフリットとジュノーも同席していた。
そのさなか、ゆりは突然気分が悪くなり、席を立った。
「どうしました？」
ゆりの侍女がつきそうようにゆりの側にきた。
「気分が悪くて・・・」
ゆりは口元を押さえながら部屋の外に出て、トイレにかけこんだ。フリットとジュノーが目を合わせて、アナスターシャも
ゆりを気に留めたが、そのままその場にいた。
「王妃、大丈夫ですか？」「うん・・・」
ゆりは気分が悪くなり、トイレでもどしてしまったのだった。
「最近たまに気分が悪くなるんだよね。フレイに見てもらったほうがいいかな」
「今日にも診てもらいましょう」
「今日は悪いけどなあ。とりあえず戻ろうよ。みんな心配しているから」
「大丈夫ですか？」
「うん。今日はお祝いだから」
ゆりは笑みを作って広間に戻った。
「大丈夫ですか？王妃」
フリットが心配して小声で声をかけてくれた。
「ありがとう。大丈夫だよ」
そういったものの、どうも体の調子がおかしい。とゆりは感じていた。最近、たまに、気分が悪くなってもどしそうになる。
変なものでも食べたわけでもないし・・・何かの病気だったらいやだな・・・
明るい曲はまだ続き、一杯フリルがついた可愛い服を着た二人の少女が歌いだした。
今日はアナスターシャの誕生日。国中がお祝いしていた。お城にも、多くのお祝いの客が訪れていた。
今日ばかりはラクシュミもにこやかに対応していた。
そして全ての客が帰り、夜の闇が訪れてようやく城の中を静寂が覆った時、客の相手で疲れて休憩室にいたラクシュミの元に、神妙な面持ちのフレイが現れたのだった。
ダークファンタジア第３部 第1話
「王妃は妊娠されています」フレイの言葉に、ラクシュミは目を見開いた。
「何？確かなのか？」
「はい。夕方、体を診ました」
「・・・・」
ラクシュミの瞳があたりをさまよった。ひどく、動揺している仕草だった。
今は１の月、交わりの月にできた子供ではないのは明白だった。
「確かなのか？」
もう一度聞いた。
「はい・・・・おそらくは、今回のお子様に、力は・・・」
フレイは悲しげに言った。が、最後までは言い切れなかった。
「・・・・どれくらいで産まれる？」
ラクシュミが聞いた。
「おそらくは、２年弱ほどで産まれるのではないかと思いますが・・・王妃にはまだ言っておりませんが・・・・どういたしますか」
「・・・ずっと言わないわけにはいかないだろう。私から言う」
「わかりました。それでは」
フレイは部屋を出て行った。
ラクシュミはため息をついた。「子供にかわいそうなことをしてしまった・・・」
小さな声で、そうつぶやいた。
思いあたる節が、あるといえばあった。去年の１１の月ごろ、久しぶりにゆりを抱いた。
うかつだったな・・・・
子供は赤い月の間に孕むのがいいとされている。それは、他の時にできた子供には、力がない場合が多いからだ。王族の、赤い月以外の子供は喜ばれない。力が全てのようなこの世界では、力のない王族の子供が歓迎されるわけもなかった。
ゆりにどう言おうか・・・
ラクシュミは思案した。妊娠中にうかつなことを言って動揺させるのはよくないだろう。
ラクシュミは額に指をあててしばらくその場で考え込んだ。
寝室に行ってみると、ゆりはいなかった。ゆりの部屋の寝室に行くと、ゆりはアナスターシャと一緒に寝ていた。ゆりの顔は見えるがアナスターシャの顔は見えない。二本の小さな足が枕元ににょっきりはえていた。
いつの間にか逆になっているのだ。アナスターシャは最近寝相が悪い。時々王の寝室に寝に来ることもあるが、いつのまにか
体が反対になっている。
ゆりはぐっすり寝ているようだし、今日はもういいか、そう思っていたら、「王様？」という声が聞こえてきた。
ゆりは目を開けていた。
「・・・ゆり。少し、話があるのだが・・・向こうに連れて行ってもいいか？」
「うん。あれ？この子どうやって寝てるの？」
ゆりは自分の横に足の感触があってびっくりした。
「アナスターシャはほっといていい。いいか？」
「うん」
ラクシュミはゆりに触れて、王の寝室の方へと瞬間移動させた。そしてベッドに座らせて、横に座った。
ゆりはラクシュミを見上げていた。
「どうやらお前は妊娠したらしい」
ラクシュミが告げた。
「え？」
ゆりはさすがにぎょっとした。
「本当に？もうできたの？」
「そうらしいとフレイが言っていた。」
「そうなんだ・・・でも、なんで今回は前と違うの？気も欲しくないし、もしかして・・・あれつわり？」
「今回は赤い月の子供ではないから、かってが違うのだろう。おなかがだんだん膨れて妊娠することもあるんだ。今回はそうなる
かもしれない」
「そうなの？」
「ああ。あまり心配しないで、お前は体を安静にしているんだぞ」
「はい」
ラクシュミはゆりの頭をなでた。
赤ん坊が気を欲していない、というのも、力がない証拠といえるだろう。赤い月以外の子供は、おなかがじょじょに膨れて子供を産む事が多いという。上の二人の子供とは明らかに違う。
だが、それをゆりに今説明するのも気が引けた。
次の日の朝、ゆりの部屋にフレイがやってきた。「ご気分はどうですか？」
「今日は大丈夫よ。気分悪くない」
「そうですか」
フレイはにこやかに言った。
「私妊娠したの？」
「そのようですよ」
「上の二人の時と、かなり違うね」
「そうですね。別の時にできたお子様ですからね」
「・・・」
ゆりはフレイをじーと見つめた。
「なんですか？王妃」
「ううん。なんでもないよ。」
「今回は、上のお二人よりは早めに産まれるかもしれませんよ」
「そうなんだ」
どうも変だな。なぜこの子は、気を欲していないんだろう・・・
侍女たちも、子供ができた、と知っても有頂天になって喜ぶってほどじゃなかったし。朝、おめでとうございます、と微笑んで言われたが、すでに３人目のせいか、わーうれしーすごーい！みたいなノリではなかった。
ゆりは午後シスの部屋にいた。シスはもう大きな一人部屋があり、アナスターシャの部屋の横にある。二人の部屋はゆりの部屋と同じ３階にあるが、隣あってはいない。少し離れたところにあった。
シスは昨年の3の月に産まれて、11ヶ月が経過している。産まれた時よりもだいぶ大きくなった。
「マーマー」
「なあに？シス」
「マー」
シスは小さなベッドに寝かされて、笑っていた。今のところ、勝手に瞬間移動で散歩するようなことはない。
部屋の扉がノックされて、ミカエルが入ってきた。
「おや、王妃もいらしたんですか」
「うん」
「トー・・・」
シスはまだミカエルを見てトーと言っていた。
「よしよし」
ミカエルはシスをベッドから抱き上げた。
「トーぺたぺた」
「ぺたぺたしてほしいんですか？でもここではちょっと無理ですよ。若君」
ミカエルが微笑んでいい、ゆりがぎょっとした。
ミカエルはひとしきりシスをダッコしてベッドにおろした。
「王妃、気をあげましょうか？」
「うん」
ミカエルはゆりに触れて部屋に移動した。
「ねえ、ミカエル、妊娠のこと、聞いた？」「聞きましたよ。おめでとうございます」
ミカエルは微笑んで言った。ゆりは横目でミカエルを見た。
「なんですか？」
「なんか変だな。みんな」
「どこがですか？」
ミカエルは長椅子に腰を下ろした。
「だって、前の時はみんなオメデトーって感じだったけど、今回はしんとしてる。アナスターシャやシスの侍女たちも何も
言ってこないし」
「まだみんな知らないからでしょう」
「前みたいに大量の気もほしくないみたいだし」
「ここにいらっしゃい。王妃」
ミカエルは自分の横をさした。ゆりは腰をおろした。
「あなたは何も心配しなくていいんですよ。今は、丈夫なお子様を産むことだけを考えてください」
「・・・・」
ミカエルは優しく慈しむようにゆりの頭をなでた。
なんだか・・・・昨日の王様と同じ・・・
みんな、何か隠してる？
それから10日たっても食事にメメントも出てこなかった。ゆりは時々気分は悪くなることはあったが、他は普通にすごしていた。
どうもおかしい。誰なら教えてくれるだろう・・・
ゆりは思いついてハザークの元を訪れた。シスが産まれる前からしばらく竪琴はやめていたので、もうハザークに披露はしてない。
それでもたまにここに遊びにきていた。
「こんにちは、ハザーク様」
「ああ」
ハザークはいつもの通り、長椅子に寝そべっていた。
「あの・・・私、子供ができたみたいなんです」
ゆりはハザークに近づいてそういった。ハザークはちらりとゆりのおなかをみた。
「そうか」
「・・・ハザーク様」
「なんだ？」
「教えてください。赤い月以外でできた子供には、何があるんですか？」
ゆりはじっとハザークを見下ろして聞いた。
「何とは？」
「何か秘密があるんじゃないんですか？みんな何か隠してるんです。王様もいいにくそうだし、だからハザーク様教えてください」
「・・・・」
ハザークは金色の瞳でゆりを見上げていた。
「お願いします」
「・・・別に秘密はない」
ハザークは視線を下げた。
「でも何かあるでしょう？」
「我は知らん」
「嘘」
「・・・・」
ハザークは起き上がった。
「座れ」
ゆりはハザークの横に腰を下ろした。
「私何聞いてもびっくりして倒れたりしないから」
「・・・・」
ハザークはゆりのおなかにもう一度視線を落とした。
「赤い月以外で生まれた子供は月には左右されない。親の魔力も引き継がれない場合が多い」
「え？ってことは・・・」
「その子供は、多分余り力がないだろうな」
「・・・・」
ゆりの顔がこわばった
「ってことは、私と同じってこと？」
「まるっきり何の力もないとはわからないが・・・」
「だからみんな喜んでないんだ」
「・・・・」
「みんな、顔は普通に笑ってるけどちょっとおかしいもん」
ゆりはうなだれた。
「王妃・・・泣くんじゃないぞ」ハザークは優しい口調で言った。
「泣きません。私は別に、この子に何の力がなくてもいい。丈夫に生まれたら、それでいい」
ゆりはおなかをなでた。
ゆりには元々魔力もなかったし、子供がそうでもなんてことはなかった。何の力はなくても自分の子供にはかわりはない。だが、もう一人のゆりにとっては・・・・
その夜、ラクシュミが寝室に行くと、ゆりはベッドの上で座っていた。左目は黄色と黒に変わっていた。
「王様、この子何の力もないって本当なの？」
ゆりはじっとラクシュミを見てそう聞いた。
「・・・わからんが、あまり力はないとは思う」
ラクシュミは仕方なく言った。ハザークから思念を受け取っていたのだ。
ゆりの両方の瞳から、ぼろぼろ涙が流れてきた。
「かわいそうだよ。王様の子供なのに力がないなんて。どうにかできないの！？」
「私にはどうしようもない」
ラクシュミは目を細めて言った。
「嘘よー」
ゆりはわんわん泣き出してしまった。こちらのゆりは力の重要性についてよく知っていた。
この子に何の力もなければ、上の二人の子供のように周りに扱われることもないだろうということも、予想もついていた。
同じ子供でもぐんと差がついてしまうのだ。子供が余りにかわいそうだった。
ラクシュミがこの子を上の子らと同じように愛してくれるかどうかもわからない。
「ゆり、体に悪い。あまり泣くな」
ラクシュミはゆりに近づいて背中をなでた。
「何かないの？何か」
「・・・」
「王様！」
ゆりは必死の表情でラクシュミを見た。
「・・・ハザークなら・・・もしかしたら多少はなんとかできるかもしれないが・・・」
「ハザーク様が？」
「そのためにはハザークに抱かれなきゃならないぞ？ハザークは、抱いた女の子供に愛情を感じるたちなんだ」
「今から行ってくる」
「え！ゆり！」
ゆりはすぐ消えてしまった。
ゆりはハザークの塔に移動して、寝室に移動した。ベッドの上には、大きな金色に輝く蛇がのっかっていた。
「ハザーク様！起きて！人になって！」ゆりは強引にハザークの胴体をゆすってハザークを起こした。金色の蛇は人型を取った。
「一体なんだ。王妃」
ハザークは迷惑そうにゆりを見た。
「私を抱いて」
「？！」
ハザークは目を見開いた。
「私を抱いてこの子なんとかして！」
ゆりは訴えるようにハザークに言ったのだった。
「・・・・」ゆりは服を脱ぎだした。
「ちょっと待て王妃」
「やだ、待たない」
ゆりは全部脱いでハザークに抱きついた。
「・・・無理だ」
「何が？」
「その子供には我は力を貸せない」
「どうして？」
ゆりの瞳に涙があふれてきた。
「ある程度魔力がある子供でないと、魔力を引き上げることはできないのだ。」
「この子はやっぱり何の力もないの？」
「わからないが、さほどはないだろう。」
「ひっく・・・・ひっく・・」
ゆりはハザークから離れてしゃくりあげて泣き出した。
「別に王族でなくても生きる道はある」
「そんなのやだ！」
ー王、引き取りにきてくれハザークはラクシュミに思念を送った。
ーすまなかったな。ハザーク
ラクシュミは寝室に現れて、ゆりを抱き上げて消えた。
ゆりはずっと泣いていて、ラクシュミはそんなゆりをしばらく抱きしめていた。
ゆりは、白い空間に自分がしゃがみこんでいるのを見つけた。それは、たまに会う自分とよく似た女性だった。左目だけが黄色と黒の蛇の目なのだ。他は自分と変わらない。
もう一人の自分は、何が悲しいのか、ずっと泣いていた。
「泣かないで」
ゆりは横に座って言った。
「大丈夫だから泣かないで」
なぜか、そう励ました。
「・・・」
「大丈夫だよ」
「うん・・・」
ゆりはしばらくそのまま横にいた。もう一人のゆりは泣きじゃくっていたが、やがて、泣き止んだ。そして言った。
「私達が愛してあげれば大丈夫だよね」
「うん」
ゆりは意味がわかって言ったわけではなかったが、とりあえずそう言った。
そして、しばらく考えて、ああ、この人は子供のことで泣いていたんだと気づいた。
自分の中で、悲しがってる自分がいるのかな。
力がない子供。私は愛せるけれど、王様は、二人の子供と同じようにこの子を愛してくれるだろうか。
そういう不安はある。
大丈夫よね。だって、愛し合ってできた子供だもの。
「大丈夫大丈夫」ゆりは自分に言い聞かせるように言った。
「だから頑張ろう」
「うん」
もう一人のゆりも答えた。
次の日、ハザークの部屋にまたゆりが来ていた。「ねえ、ハザークさま〜ん」
えらく甘えた声でハザークに擦り寄っていたのは、左目が蛇の目のほうのゆりだった。
「・・・・」
ハザークはけむたげな目を向けていた。部屋の中に侍女はいたが、全然気にしていない様子で椅子に座っている。
ゆりは寝そべっているハザークの前に、強引に腰を下ろしていた。
「ねえ、私ハザーク様のことが前から」
「無理だと言っただろう。お前しつこいぞ」
ハザークがゆりの言葉をさえぎって言った。ゆりは口を尖らせたが、やがてにっこり微笑んだ。
「でも、万一ってことも・・・」
「無理だ」
「でも〜ためしにさー」
「本当にしつこいな」
「そう言わずに・・・」
「大体何なんだお前は、今まで全然出てこなかったくせに」
「ぐ・・・・それは、私って恥ずかしがりやさんだから」
ゆりはかわいらしく言ったが、ハザークは冷たい目で見ていた。
確かに、こちらのゆりはハザークの前に今まで現れたことがなかった。昨日初めて現れたくらいだ。なぜなら、ハザークは苦手なタイプだったからだ。だから今まで姿を見せなかった。
こういう、自分に全く興味がなさそうな男は苦手なのだ。ハザークには王妃様という言葉も通用しないし、ミルキダスにしたようにはいかない。だが、母親として、子供の将来がかかっているとなれば、なんとかしてやりたかった。
「・・・・そんなに熱く見つめられると恥ずかしい」ゆりが頬に手を当てて言うと、ハザークははーっと大きなため息をついた。
部屋の扉がノックされた。侍女が出ると、フリットが外に立っていた。「王妃、行きましょう」
フリットはゆりを見て言った。
「え・・・もしかして、ハザーク様王様に何か言った？」
ゆりがハザークを見るとハザークは無言でそっぽ向いた。
「さあ、王妃」
「もーハザーク様のいけず！」
フリットはちょっと強引にゆりの体を抱き上げ「失礼します」とハザークに言って消えた。
「やれやれ・・・」ハザークはようやく静かになったとばかりに言った。
「・・・３人目のお子様は、本当に何のお力もないのですか？」
侍女がハザークに聞いた。少し表情を翳らせていた。
「さあな、銀の髪ならば、多少は何かの力はあるかもしれないが・・・まあ今の王は随分人がよいから、前のようなことには
ならないだろう」
「・・・・」
長い歴史の中では、赤い月以外で王妃が身ごもった王の子供というのも何人かいた。しかしその子らは、力がなかったために
城では育てられずに、家臣の誰かが養子として引き取り、王族としては認知されなかった。その子らがどういう人生を送ったのか
ハザークも知らない。
「向こうの王妃が来たらもう入れるんじゃないぞ」「・・・ハザーク様は、あちらの王妃様がお嫌いなのですか？」
侍女が聞いた。
「なれなれしい女は嫌いだ。いつもの王妃の方がいい」
「まあ、ほほほ」
といっても、二人は同じ体。黒目のゆりの方がやってきても、途中でぽっともう一人のゆりに変わってはハザークに迫る始末。ハザークもそれが３度目になった時には、ゆりの左目が変わるなり
「無理なものは無理だといってるだろう。何度も」
とすぐさま怒りだす始末だった。
「まだ何もしてないのに・・」
ゆりは唇を尖らせてハザークを横目で見た。
「帰れ帰れ」
「ひどい。あっちの私には優しいくせに」
「お前がうるさいからだ」
「ぷんだ」
結局こちらのゆりの色仕掛けは全く成功せずに、ゆりもしまいにはあきらめたのだった。
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