６の月に入ったある昼下がり、城の南にある庭園からは一筋の真っ白な煙が立ち昇っていた。空は曇り空。気温は
低くもないし寒くもない。ここ蛇の国の城があるあたりは、一年を通して気温の差が少なく、わりと温暖な気候だった。
年の初めごろは気温が低く、それから穏やかな気候の日々が続き、たまに気温があがる月もあり、12の月になると梅雨
がやってくるくらいだ。
もちろんその年によっては寒い年もあり暖かい年もある。国の場所によっても気温の差はあるが、国の北の方でも雪が
降るほど冷え込むことはなかった。
蛇の一族も蛇達も、寒すぎるのは苦手のようだ。四季折々の風情を楽しむ日本育ちのゆりにとっては、こういう季候は
ちょっと物足りない。過ごしやすいのは良いことなのだが。
今日はゆりは何をしているのかといえば、庭園で落ち葉や小枝を集めて燃やしていたのだった。煙はその煙だったのだ。
庭師の人たちが掃除をしているのを見て、むしょうにそういう事がしたくなったのだった。ゆりはパチパチと炎を燃えて
いるのを見つめながら、小さな枝を火の中に突っ込んでいた。横には念のため樽に入れた水も用意されている。ゆりの後
ろでは、ゆりの侍女が、また奇妙な事をなさっているわね、というような顔でゆりを見つめていた。
「あー早くできないかなあ・・・」
ゆりはしゃがんだままぶつぶつつぶやいた。燃えている焚き火の中には芋が３個ほど入っていた。むしょうにやりたかっ
たのは焚き火ではなく、ただ焼き芋を食べたくなっただけだ。
「なると金時が食べたい・・・」
この世界に芋は数種類あるが、なると金時のような焼いたら甘くなる芋はなかった。それでも今焼かれている芋は形も
色もサツマイモっぽいものだ。
こちらの食べ物ではさほど不自由はしていないが、時々向こうの食べ物が食べたくなってしまうのもしょうがない事だ。
火を見つめていたらお腹がぐーとなった。
「さっきお昼食べたばっかりなのになあ・・・」
妊娠のせいか再び食欲が増しているようだ。最近になり、ようやく昼間に気が欲しいと感じるようになったので、恋人達
との夜は終わっていた。結構何度か盛り上がってしまったのでゆりとしてはちょっとほっとしている。やはりラクシュミ
と一緒なのが一番落ち着く。
「お母さん持ってきたよ」
ラギがお盆を手にやってきた。
「どうもありがとう」
お盆には皿と長い菜ばしとフォークにハチミツの瓶が乗っていた。
「ところでさあ、何で外で芋焼くの？」
ラギとしては疑問だった。わざわざ外で焼いてるわけがわかってない。
「この方が風情があるでしょ？」
「風情？」
ラギは首をかしげた。
「まだかなー」
ゆりは菜ばしで芋をちょっと突き刺してみた。まだまだ真ん中まで貫通はしない。
だけど芋が焼けるいい匂いは漂ってきている。
ゆりは楽しそうに火を見つめていた。
「そうやってぼんやり芋が焼けるのを待ってるのが風情なの？」
ラギが聞いて、ゆりが「そう」といった。
「まあいいけど・・・お母さんって時々変な事やりたがるね」
「そうかなあ。」
「庭に死んだ魚吊るしてたし・・・」
「あれは干物ってものよ。魚の干物。アヤコさんにあげたら喜んだ」
「みんな変な顔してたよ」
「だって食べたかったんだもん。干物・・・おいしい川魚が食べたくなったなあ。鮎みたいなのいないかな。今度
捕ってきてもらおうかな」
ゆりがぶつぶつ言い出したとき、目の前の炎がぼっと二倍ほどに燃え上がり、ゆりはびっくりしてしりもちをついた。
「わ、大丈夫？」
ラギと侍女があわててゆりの身体を起こした。
「うん。平気」
「危ないから消した方が・・・」
ラギが水をかけようとした時、ゆりが「待って」とラギの手を止めた。突然燃え上がった炎の中に、可愛い女の子の
姿が見えたからだった。それは赤い髪と瞳の火の女神ルティアナだった。ルティアナの後ろには男の火の妖精もいる。
ゆりにはその２人が見えていたが、ラギにも侍女にも見えてはいなかった。突然炎がぼっと燃え上がったのでびっくり
している。
「あれえ？おかしいなあ」
ルティアナは周りをきょろきょろ見ていた。
「どうなさったんですか？ルティアナ様」
妖精が聞いた。
「なんだかお母さんの気配を感じたんだけどなあ？？？」
ゆりはぎくりとしたが、声も発せずに黙っていた。
「どこにもいらっしゃいませんよ」
と妖精。
「本当ねえ。変だなあ。まあいいや。いきましょ」
「はい」
２人の姿は消えてしまい、火は元の大きさに戻った。
「？？？？今のなんだったんだろ？」
ラギが首をかしげた。
「ふふふ・・・」
ゆりは１人笑っている。
「ラギにも分からない事があるなんておかしい〜」
「えー？」
「お母さんには分かったもんね」
ゆりがにやりと笑っていった。
「どういうこと？」
「内緒」
「なんだよーわけわかんないよ」
しばらくし芋に箸を突き刺してみると、今度はすんなり貫通した。
「おいも食べましょ」
ゆりは菜ばしで芋をつまんで皿に乗せて、火を消してから東屋でラギと芋を食べたのだった。
第５話
ゆりは東屋で「あちっ」といいながらハチミツをつけた芋を食べていた。ラギは目の前でそれを見つめている。
「食べないの？おいしいよ」
「さっきご飯食べたばかりだからさー」
「あんたってほんと少食なんだから」
ゆりは口を動かしながらも芋を食べ続けている。すでに二個目だった。
「お母さんは最近良く食べるね」
「だって妊娠中だから」
妊娠中の女性っていうのは面白いもんだなあ、とラギはしげしげと観察するようにゆりを見つめていた。
最近のゆりの食に対する欲求は目を見張るものがある。この前などまた羊が食べたいと言い出してミカエルを困らして
いた。
「ユリウスは最近食欲がないって言ってたけど、大丈夫かなあ・・・」
妊娠中のユリウスは、ここの所食欲がないようだった。それでも赤ん坊は順調に育っているようだ。ジェナサイトが
まるで母親のように小言を言うとユリウスが愚痴っていた。仲が良くて結構な事だ。
「いい匂いがしますね」
そう言って１人の男が東屋に近づいてきた。見るとシャナーンが爽やかな顔で微笑んでいた。
「お芋焼いてたから・・・」
ゆりがちょっと恥ずかしそうにいった。
「お芋？」
シャナーンは皿の上の芋に目を留めてすぐ笑顔を作った。
「向こうじゃ焼き芋が結構人気なの。屋台で焼いた芋を売り歩く人がいるくらいなんだよ」
とゆりが説明した。
「そうなんですか」
「この芋よりももっと甘味がある芋なんだけどね。２０年経っても向こうの食べ物が恋しくなるんだー・・」
「それはそうでしょうね。」
「あっても食べられない物もあるけど・・・」
再び羊の事を思い出していた。同盟国の動物は食べないという決まりらしい。この世界に牛も牛の一族もいないが、
もしいたら、ガットが絶対アヤコのために牛をかっぱらってくるに違いない、とゆりは思った。
シャナーンは相変わらず品のいい王子様のような感じで微笑んでいる。
ゆりもさすがにシャナーンの前では芋を大きな口でほおばらずにかわいげに食べていたのだが、その内にゆりの身体を
まとう気に変化が現れてきた。
あ・・・・
目ざとく見つけたのはやはり目がいいラギだったのだが、シャナーンもそれに気づいた。ゆりの周りにぽっぽっと
小さな花が咲いたようにピンク色の気が混じってきたのだ。
その時ゆりが何を考えていたのかと思えば、ついシャナーンと燃え上がった夜のことを思い出していたのだった。
恋人達との最後の夜がシャナーンとイシュタールだった。昼間ではめったにない二人のコンビに優しくされて、つい
３人で盛り上がってしまったのだった。
シャナーンがラギを見ると、ラギはじっとゆりを見つめていた。どんどんピンク色が多くなってきている。
「王妃、そろそろお部屋に戻りましょう」
さすがにまずいと感じたシャナーンは笑顔でそういった。
「え？うん」
「では王子、お先に」
シャナーンはゆりだけ連れて瞬間移動で消えた。
「お母さんってほんと興味が尽きないよね」
ラギは横に立っていたゆりの侍女にいった。
「はあ・・・」
侍女には気は見えないので意味は通じてない。
「面白いよねーさっき食べてたと思ったらあんなになるなんて・・・」
ラギは１人ぶつぶつ言っていた。
ラギはゆりの気がピンクになったことについてはあんまり気にしていなかった。突然そうなったから面白かったのだ。
分かりやすくいえば母親が父親以外の男に突然欲情した、ということなのだが、人々の性欲増強が重要課題のこの国で
は、性欲があるというのは悪いことではない。この先儀式がまっているゆりにとっては、むしろ性欲がない方が困る
だろう。
お母さんに性欲がまるでなかったら、この国の歴史は変わっていたかもなあ・・・
子供が立て続けにできることもなかっただろうし、儀式だってそう頻繁には起きなかったに違いない。
母さんが今みたいな母さんでよかったな、と真面目にそう思ったラギだった。
「どうしたの？シャナーンったら突然」
部屋に連れてこられたゆりは笑顔でシャナーンに聞いた。
「え・・・あの・・・」
ミカエルやヴィラなら、ピンクになってますと指摘する所だが、シャナーンはそうは言わずに、「王妃と早く２人きりに
なりたくて・・・」とうつむきがちにいった。
「まあシャナーンったら」
ゆりは素直に信じてシャナーンの腕に自分の腕をからめた。近くにいると芋のいい匂いが漂ってきて、その平和な匂いに
シャナーンは思わずくすりと微笑んだのだった。
ゆりの頭の中はいつも春のように平和だったが、アナスターシャとシスは赤い月からずっと毎日王の間で結界作りの
練習の日々だった。結界作りは今までもやっていた事だったが、ここの所毎日３時間は王の間でラクシュミの横に座り
、じっと結界作りの手伝いをしている。じっと座っていることが苦手なアナスターシャにとっては退屈この上ない事だ
った。しかもアナスターシャは結界を作るのが苦手だ。今ではその力はシスのほうが確実に上になっている。
思わずふわわとあくびをしたら、ラクシュミに睨まれてアナスターシャは口を閉じた。
結界作りの力を高める時間が増えたのは、次の戦の準備のためだった。アナスターシャとシスはまだ子供なので
最前線で戦う事はできないが、ラクシュミの力をもっと補佐する事ができれば、それだけラクシュミも皆に力を送る
ことができるからだ。まだほんの子供でも、自分の血を引いた子供がいるという事はありがたいことだ、とラクシュミ
はしみじみと感じていた。今はさほどの力ではないが、将来大人になれば、確実に自分を支える存在になってくれるの
だ。
ロイが大人になるころには、きっとこの国は今よりももっと安心できる国になっているに違いない。そう思うと戦が控え
ているとはいっても少しだけ心が楽になってくるラクシュミだった。
王になった頃は、毎日が不安で眠れなかった。自分自身でさえそうだったのだから、一族の者達もそうだったろう。
王たる自分が弱音を吐くことなどできなかったが、「滅び」という言葉がいつも頭の中をめぐっていた。
この世界では今まで様々な一族が滅んできた。大きな戦で敗れて悲惨な最期をたどった一族もあれば、一族の数が激減
して散り散りになった者達もいる。自分の一族がそうなるのかもしれないと思うと、とてつもなく不安で悲しくなるの
だった。
疲れた、もういやだ、と自分も子供心に何度逃げ出したいと思ったかしれない。だが自分の代わりはどこにもいはしな
かったし、悩みを分かち合える兄弟もいなかった。
それを思えば、子供達は恵まれている。
「王は以前とはだいぶ変わられましたね。」
３０年ぶりに面会した他国の使者が先日ラクシュミにそういった。
「３０年も経てばそれは違うだろう」
そうラクシュミが言うと、
「そういう事ではなく、だいぶ穏やかな顔をなさっておいでなのでそう思ったのですよ。」
と使者はそういった。以前は話をするのもはばかられるほど、険しい表情をしていたというのだ。
自分でそういう自覚はなかったが、久しぶりに会った者には良く指摘されることだった。
「国の様子も同様に変わりましたね」
使者は続けてそういった。
「この城の中も、だいぶ賑やかそうで・・・」
使者が城にやってきた時、ちょうどロイがお守りの者から逃げ回ってぎゃあぎゃあ言っていたのだった。
確かに以前にはなかった賑やかさだ。
最近は、「滅び」という言葉が全く浮かんでこなくなったな。
ラクシュミはそのことに気づいた。
今はこの国が滅ぶなど考えられない。
その夜、酒を飲んで寝室に行ったラクシュミは、ゆりを抱き寄せて寝間着を脱がせたのだった。
「あら、珍しい・・」
満月でもなかったのでゆりはそういった。
「今日はそういう気分なんだ」
「うれしいな」
ゆりはるんるんでラクシュミに抱かれた。
妻になって２０年以上が経ち、ゆりの体はすっかりラクシュミに抱かれると思うだけでその気になるようになっていた。
少し触られるだけで体は受け入れる準備ができている。口付けされながら抱かれていると、ゆりはなんともいえないほ
ど幸せな気分になっていくのだった。
赤い月の王様は最高にいいけど・・・普段は普段でいいな。
抱き方は赤い月よりかなりそっけないのだが、抱いてかまってくれるということが、ゆりにとってはうれしい事だった。
体が離されて、ゆりはうつ伏せになり寝転がった。
「あ〜気持ちいい〜・・・」
思わず声に出してしまい、ラクシュミが苦笑してゆりを見た。そしてはっとした。
ゆりの背中に一匹の蛇がいたからだ。
蛇紋・・・
ゆりの肌にくねっている蛇は、前に見た蛇と似ていた。いろんな色が綺麗に合わさった蛇である。
ラクシュミが思わずその蛇をなでて、ゆりは「くすぐったい」と背中を震わせた。
「蛇紋が出てる」
「え？ほんと？もう？」
「今回は金色ではなくいろんな色の蛇のようだ」
ゆりは後ろを見ようとしたが、自分の背中は見えなかった。
「へーそうなんだ。どんなの？」
「前にお前がこっちの人間になったときに出たいろんな色の蛇紋、あれに似てる。」
「そうなんだ・・・金蛇ちゃんじゃないんだ・・・なんでだろ」
「さあな。とても綺麗だ・・・蛇の中ではガーベラ級だな」
「ガーベラ級？じゃあガーベラちゃんって呼ぼうかな」
ゆりは冗談交じりにいった。
「こんな蛇紋を見てしまったら、男達の愛も更に燃え上がるだろうな。お前の恋人になりたい男は多いのに、だれも
交代する気にならないんだから・・・」
「え・・・」
ラクシュミのつぶやきにゆりは顔を向けた。
「こ、交代って・・・」
「皆恋人を増やすのも嫌らしいぞ。」
「私だってやだよ。これ以上はいいよ」
「そうか？若くていい男がまだまだいるんだがなあ・・・フリット並の美形で髪が長いのもいるぞ」
「え・・・」
「お前と相性のいい水蛇が喜ぶかもな」
「・・・」
ゆりはついちょっと興味を引かれてしまった。
「何なら一度会うか？」
ラクシュミににんまりして聞かれ、ゆりはぶるぶると首を横に振った。
「これ以上はもう無理！王様も変な事言わないでよ」
「そうか、残念だな・・・」
なんで残念がるのよ・・・さっきまでいい雰囲気だったのに・・・
ゆりは唇を尖らせたが、だがそれだけいい男ならちょっと顔を見てみたいな・・・とふと思ってしまい、自分の考えを
打ち消した。
「だめだめ、顔も見ない。変な事になったら困るし８人で儀式するのも大変なんだから」
「そうなのか？まだまだ余裕なんじゃないのか？」
ラクシュミに真顔で言われてゆりは横目でにらんだ。
「まさか・・・儀式のぞいてないよね・・・」
「そんなことはしない。大変なら全員呼ばなくてもいいじゃないか」
「ぐ・・・」
最もな事をいわれてゆりは返答に困った。
「後２人ほどはいけるんじゃないのか？」
「嫌よ。若いのはシャナーンでやめとく」
「そうか。」
「何よ。王様ったら・・・」
「私は人気のある王妃を持てて幸せだ・・・」
ラクシュミはごろりと横になった。
「べーだ！」
ゆりは舌を出していそいそと寝間着を身にまとった。
「普段の王様ってどうも感情が一定しないんだから。やっぱりあの時の王様がいいや」
「今の私はどうも他の男の事まで考えてしまうんだ。そして自慢のお前を他の男にも見せびらかしてやりたくなって
しまうんだ。」
「はいはい」
「なにせお前の蛇紋だけはいつも不思議なほど美しいからな・・」
だけは余計よ。そう思ったゆりだったが、ガーベラ級の蛇紋なら、来年の赤い月の王様はさらに私にめろ
めろになるに違いない、ともうすでに来年の事を考えてにんまり微笑んだのだった。
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