「ねえねえ、夜のお祭りの時にザクート様が現れるって本当なの？」
8の月に入ったその日、蛇目のゆりはハザークの塔にいた。といってもいつものハザークの部屋ではなく、その下の
侍女らの部屋の方にいる。
「毎回ではなかったですが、たいていいらっしゃってましたよ」
白い髪の侍女が微笑みつついった。侍女はゆりの向い側に2人座っている。テーブルにはお茶とパウンドケーキが置か
れていた。ゆりはおいしそうにむしゃむしゃケーキを食べている。
「今回もいらっしゃるといいなあ・・・」
「そうですねえ。所でどうしてこちらなんですか？」
侍女が不思議そうに聞いた。
「だってこんな話題ハザーク様の前でしたらまた不機嫌になっちゃうじゃない」
とゆり。ハザークはどうもザクートにだけは嫉妬の感情がわくらしい。嫉妬するハザークはそれはそれでかわいいのだが
、また天井にひっつけられちゃかなわないので侍女らの部屋で話を聞いていたのだった。
どちらのゆりもザクートと交わったのは一度きりだ。ラクシュミやハザークには言えないが、とても幸せな体験だった。
「ああ、あの儀式、10年に一度くらいあればいいのになあ・・・」
ゆりはつぶやいて紅茶を飲んだ。
次の儀式となると自分は結構な年だ。その頃には他の若い巫女がやるかもしれない。
「まあザクート様は亡くなった方ですから。そんなに頻繁に出現されてはありがたみが薄れますわ」
「最近はこれでも多くおいでになられてる方ですよ。500年以上もお顔が見れなかった時もありましたから」
「そうなんだ・・・」
「夜のお祭りの時流れ星を見ることができたなら、その星が消えるまでに願い事をすれば、願いがかなうという言い伝え
があるんですよ」
ゆりの右前にいた侍女が言った。
「へえ、そうなの。ちなみに侍女さんらの願いってどんなの？ハザーク様の健康とか？」
侍女らはハザーク命のようなので願いといえばハザークがらみのことだろうとゆりは思った。
「ふふふ、内緒です。前回は残念ながら見えなかったんです」
「今回は流れ星が見えるとよいのですが・・・」
「なんだろう。気になるなあ・・・」
ゆりは首をかしげた。
まさか今さらいい男との出会いでもないだろうしなあ・・・
ハザーク様の美貌が衰えませんように、とかだろうな。きっと。
「願いが叶うといいね」
ゆりは微笑んで言った。
「はい、本当に」
侍女らも優しげに微笑んだ。
第10話
「あら、いつの間にか雨降ってる・・・」
ハザークの塔から出ようとしたゆりは、細かい霧雨状の雨が降っているのに気づいた。ザーザー降りならばこのまま
城の中に瞬間移動してしまう所だが、それほどの雨ではない。
東屋にでも行こうかな。
ゆりはそう思いたち、南の庭園にある東屋に移動した。こういう雨の庭園も風情があっていいものだ。
東屋には先客がいた。きらきらした水色の長い髪の若い戦士、エルバートだった。エルバートはゆりに気づくと席を立った。
「これは王妃・・・こんにちは」
「こんにちは」
ゆりは微笑んだ。
エルバートは初々しい所がいいなあ・・・・
まだ男臭くない所が新鮮でいいなあとゆりは感じていた。
「では私はこれで・・・」
「まあまあせっかくだからちょっとお話しない？」
「はあ・・・」
「じゃあ座って座って」
「はい」
エルバートは木製のベンチに腰を下ろした。ゆりはテーブルを挟んで向い側に座った。
「もしかして今日もロイのお守りだったの？」
「はい、先ほどお部屋にお連れした所です」
「そう。ご苦労様」
「いえ。ロイ様といると楽しいです。本当に」
エルバートは中性的な笑みを浮かべている。体格がそんなにいいほうではなく背もほどほどの高さなので、余計に
中性的に見えてしまうのだろう。ユリウスのように魔力で戦うタイプなんだろうな、とゆりは感じた。
霧雨状の雨は普通の雨へと変わっていた。ザーと雨音が聞こえる。
「実は私は、雨の日が好きなんです」
エルバートは雨で濡れる木々を見つめながらいった。
「そうなの」
「なんとなく心が高揚するんです。子供の頃からですが・・・」
「もしかして・・・エルバートの肌にいる蛇って水蛇ちゃんなの？」
ゆりがもしやと思って聞くと、エルバートはちょっと恥ずかしそうな顔をゆりにむけた。
「薄い水色の蛇なので・・・そうかもしれません・・・」
「そうなんだ・・・」
水色の蛇かあ・・・どんなんだろう。み・・・みたい！
熱烈にそう思ったゆりだったが、いたいけな若者にそう言うわけにもいかなかった。ちなみに水色の蛇なら水蛇という
わけでもない。湖や大きな池には茶色っぽい水蛇だっている。
見たいなあ・・肌の蛇だけじゃなくて、蛇紋も・・・
でもシャナーンの手前もあるしなあ・・・
「王妃、あのう・・・」
「ん？」
ぶつぶつ考えているとエルバートが伺うような目を向けていた。
「あの・・・」
「はい？」
「実はそのう・・・王妃に私の気を差し上げたいのですが・・・」
「気？」
「はい、王に申し上げたんですが・・・なんだかあいまいなお返事で・・・一度だけでいいですから・・・」
「いいよ。じゃあ今から部屋行ってもらおうか？」
ゆりが言うとエルバートがうれしそうな顔をした。
「よいのですか？」
「うん。じゃあいきましょ」
「はい」
ゆりはエルバートと一緒に部屋に移動した。部屋の中にいた侍女はゆりの顔を見るとお辞儀をして出て行った。
「ねえ、どうして私に気あげたいの？」
ゆりはエルバートに聞いた。
「御子様のために何かしたくて・・・他の皆もそう思ってるんですが・・・なかなか・・・」
「ふーん・・・」
ゆりはミカエルらが反対してるんだろうなとピンときた。
「じゃあここ座って」
ゆりは長椅子にエルバートを座らせて横に座り、腕を組んだ。エルバートはちょっと恥ずかしそうにしていたが、
うれしそうだった。ゆりに興味があるというよりは、気を与えるという事ができてうれしいといった感じのようだ。
私にあんまり性的な興味はないみたいだなあ・・・そうゆりは感じた。
「エルバートって恋人いるの？」
「え、いいえ・・・まだいないです」
「そうなの。モテモテなんだろうね」
「いえ・・・私はまだ完全な男ってわけではないので・・・女性達に悪くて・・・」
エルバートは恥ずかしそうにいって頭をかいた。その意味するところにゆりは気づいた。
「そうなんだ・・・まああせらないでね」
「はい・・・」
そうか、まだなんだ・・・まあ、せっかくだからゆっくりその気になってほしい気がするなあ・・・
「所でどう？気を与えるのって、楽しい？」
「はい、楽しいというか、うれしいです」
エルバートはにこりと微笑んだ。
かわいいエルバートに、まあこういう関係もいいかな、と思った蛇目のゆりだった。
ゆりが部屋でエルバートから気をもらっていた頃、ラギはラクシュミに呼ばれて王の間の前に瞬間移動した。
鈍らないように時々は瞬間移動で城の中を移動している。
「あ、王子」
「お父さんに呼ばれたんだけど」
「どうぞ」
番兵が扉を開けて、ラギは中に入って行った。すると、王の間にはラクシュミのほかに金髪の体格のいい男がいて
ラギは目を見開いた。
「あータロウさん！」
「あ、ラギ！」
そこにいたのは虎族でガットとアヤコの息子、タロウだった。ラギはタロウの近くに瞬間移動した。
「どうしたの？いつ来たの？」
「ついさっきだよ。お前は全然大きくなってないなあ。はははは」
タロウはそう言って子供を抱き上げるようにラギの脇の下に両手を入れて上にあげた。タロウの身長はラクシュミと
そう変わらないくらいだ。体格も良すぎるほどいい。金色の瞳がうれしそうに細くなっていた。
ラギがタロウに会ったのは久しぶりだった。虎の国に遊びに行ってから魔法の鏡では顔を見せ合ったりしていたのだが、
久々の出会いだった。
下に降ろされたラギはタロウの横にいる侍女らしき猫族の女性に目を向けた。女性はぺこりとラギに頭を下げた。
ラギはその女性に見覚えがあった。
「一月か二月滞在したいそうだ。ラギ、お前が面倒みてやれ」
とラクシュミが言った。
「え？そうなの？」
「うん。よろしくな」
タロウはラギに笑って言った。
ーラギちょっと・・・
ーはい？
ラクシュミは思念でぼそぼそとラギにつぶやいたのだった。
「突然ですいません。よろしくお願いしますね。ラギ様」
王の間を出て猫族の女性が言った。女性の名前はラミア、タロウの侍女のようだ。ミラと同じように茶色い耳と尻尾があ
り、茶色い髪は肩までのストレートだった。大きな瞳は緑がかっている。若い女性だ。
「びっくりしたよ。手紙でもくれればいいのに。タロウさんてば僕が手紙書いても全然返事くれないんだから」
「悪い悪い、僕は手紙とかいうのが苦手で。ちょっと探検してもいいか？」
「いいけどー外雨だよ？」
「じゃあ城の中探検！」
タロウはひょいとラギの腰に手を回して、まるで荷物をわきにかかえるかのようにたったと廊下を走って行った。
「お気をつけてー」
ラミアの声が聞こえた。
黒目のゆりが目覚めた時にはすっかり日は翳っていた。
「あら、もう夕方かあ。よく寝た・・・」
こちらのゆりは午後ずっと長椅子で昼寝をしていた事になっている。もう一人のゆりがエルバートと爽やかな時を過ごし
たことなど全然知らない。
ゆりが部屋から出て行くとちょうどミラに出くわした。
「お目覚めですか。実は・・・」
「・・・え？タロウ君が来た？」
ミラにそのことを聞いたゆりはびっくりしてタロウに会いに行った。タロウはラギの部屋に一緒にいた。
タロウを初めて目の当たりにしたゆりは、
「まあタロウ君、すっかり立派な青年になって・・・」
と言ったのだった。タロウは目をぱちくりさせていたのでラギがフォローした。
「お母さん、タロウさんはこれでもまだ子供だから」
「ええ？！そうなの？」
ゆりはまじまじとタロウを見た。タロウは何かの皮をなめしたような茶色い半袖の皮の服にズボンをはいていた。
腕や胸の筋肉もすごいし背も高い。良く見ると顔はまだあどけないが後ろから見れば立派な大人の男だ。
「こんにちは。しばらくお世話になります」
座っていたタロウは立ち上がりゆりに言った。
「いやー虎族の子供は発育いいねえ・・・」
タロウを魔法の鏡でしか見たことなかったゆりは、感心するようにタロウを見上げたのだった。
「タロウ君はガットさんにそっくりね」
金髪の髪は肩につく程度の剛毛で軽く飛び跳ねていて、金色の瞳は時々猫のように縦に細長くなっている。アナスターシャに自分の面影
があんまりないようにタロウにもアヤコの面影はあまり見えない。
これで子供ってことは・・・大人になると楽に２メートル越えそうね・・・
ゆりはガットや他の虎族の男達のことを思い出した。虎族には２メートルを越えた男が一杯いる。タロウも大人に
なればもっと背が高くなり筋肉隆々になるのだろう。
「これどうぞ」
タロウは荷物らしき袋の中から一つ袋を取ってゆりに渡した。
中を見ると化粧品が入っていた。
「あら、ありがとう」
化粧品と一緒に手紙が入っていたのでゆりはさっそく封を開けて読んだ。
『ゆりちゃんへ、悪いけど、このバカをしばらく預かってくれる？ほんと迷惑かけてごめんね。アヤコ』
手紙には簡潔にこう書かれていた。
このバカをって・・・・
タロウはじゅうたんの上に座り、胡坐をかいた。
横にラギも座っているが、まるで親子のような年の開きすら感じる。
「あっちで何かあったの？」
ゆりはタロウに聞いた。
「実は・・・最近お母さんが怖いんです」
タロウはちょっとしょんぼりした顔で言った。
「え？お母さんが怖い？」
「はい・・・」
「・・・・」
お母さんというのは当然アヤコのことだろう。でかい図体でお母さんが怖いといわれてもなかなかピンとこない。
アヤコはゆりよりも少し背が高い程度。別に怪力でもない。ゆりにすれば逆にタロウの方が怖いくらいだ。
「アヤコさんがどうかしたの？」
「はあ・・・」
タロウがぽつりぽつりと話し出した。それは簡単に言えばこういう話だった。
タロウは虎族の子供が通う学校に行っているのだが、あまり勉強ができない方らしい、というか勉強が大嫌いで
テストでも悪い点数ばかり取っていたらしい。それでアヤコがいつも怒るのでしばらくテストでは横に座った者に
解答を見せてもらったりしてなんとか怒りをしのいでいたのだが、最近カンニングしてるのがアヤコにばれて、
それで大目玉をくらったというのだ。それからしばらくアヤコの勉強の特訓が続いたのだが、自分の息子のあまりの
頭の悪さにアヤコが切れまくっている毎日だという。それでそれをなだめたガットまでとばっちりを受けているという
のだ。それで逃げてきたらしい。
「あらら・・・そういえばアヤコさんって結構いい大学出てたもんねえ」
とゆりは思い出した。
「最近はルルにまでばかにされるし・・・」
「ルルちゃんに？」
ルルはタロウの妹で５歳ほどだ。タロウがあんまりふがいないのでアヤコはルルには小さい時から自分の手でいろいろ
教えているらしい。「ルルは私に似て賢いわよ」と前にアヤコから来た手紙に書いてあったのをゆりは思い出した。
「この前なんて『おにいちゃまは本当にオバカさんですねー』なんていわれるし・・・」
タロウは口を尖らせてぶつぶつ言っていた。
「というわけでラギ、勉強教えてくれ」
タロウが横のラギを見て言った。
「僕？いいけど・・・」
「がんばってね。タロウ君」
ゆりはとりあえずタロウに声援を送った。
「夕飯の準備ができたよ」
その時部屋がノックされてシスとアナスターシャが部屋に入ってきた。
アナスターシャは珍しくズボンをはいていた。二人を見たタロウは
「やっぱりあっちの可愛い子に勉強教えてほしいなあ」
と言ったのだった。
「え・・・僕？」
どう見てもタロウはシスを見ている。
「すごいかわいいなあ。人形みたいだ」
タロウは近づいてシスをしげしげと見つめていた。
「僕男だよ」
シスが言うとタロウがぎょっとした。
「え？じゃあこっちは？」
タロウがアナスターシャを見た。
「私も男」
「え？あれ？お姉さんがいるって言ってなかったっけ？」
タロウは首をかしげてラギを見た。
「僕そんなこといったっけ？妹ならいるよ。上は2人とも兄だよ」
ラギが笑って言った。
「そうだっけ？こっちの子供の性別はほんとわかんないなあ・・・」
タロウは首をかしげつつ2人を眺めたのだった。
ゆりはきょとんとしてラギを見ている。
「お父さんが面倒な事にならないようにしばらくそうしてろって」
ラギは小声でゆりに言った。
「へー。そうなの」
「じゃあご飯食べに行こうよ」
ラギがいい、一同は食堂に向った。そこでのタロウの食いっぷりに、皆呆然としてしばらく眺めていたのだった。
「いやー久しぶりにみたなあ。虎族の食欲はすごい・・・」
部屋に戻ったゆりは何度も感心するように言っていた。鳥の丸焼きを3個平らげて、しかも骨まで全てバリバリ
食べていた。骨格も良くなるはずだ。
「あれでも足りなさそうだったね」
「そうですね。」
ミラが笑って言った。
「しかしラギもちゃんとタロウ君に勉強教えられるのかな。誰か家庭教師呼んだ方がいいんじゃない？」
「大丈夫ですよ。ラギ様のほうが勉強のレベルかなり高いですから。」
ミラはあっさり言った。
「タロウ様は戦闘系ですから。虎族では戦いに優れた者は別に勉強ができなくてもたいして誰も何も言わないんですよね。
なにせ学校でも昼寝の時間があるくらいですからねえ。のんびりしてますよ」
「へー・・・でも、ほとんど戦闘系じゃないの？虎族って。みんなあんまり勉強しないの？」
「体格的に戦闘に向かない者は別の学校に通うんですよ。そこではレベルが高い授業を受けますよ。といっても虎族は
あまり学者やなんかには向かない者が多いので、そこは他の一族から補ってるんですよ。戦いに長けているだけでは
国は成り立ちませんからね。経済的な事や国同士の駆け引きなどは猫の一族の知能の高い者がいろいろやってたり
するんですよ」
「なるほどねえ・・・」
もちつもたれつの関係という事らしい。
その頃、子供らの横の部屋にしばらく滞在する事になったタロウは、机に向ってうんうんうなっていた。
「さっそくお勉強かよー。明日からにしようよ。もう眠いし」
「だめだよ。ちょっとだけでもやろうよ。」
「うーうー」
さっそくラギの個人授業がはじまったようだった。
「がんばろうよ。はい、算数から。11たす25は？」
ラギが言うとタロウは両手を広げてなにやら数えだした。
「指が足りない」
「え？指って・・・・」
二桁の足し算もだめなの？一月や二月でどうしろっていうんだ・・・・
気が遠くなってきたラギだった。これではアヤコが切れるのも無理はない。ちなみにタロウと同じ位の年の
アナスターシャは、二桁の足し算なんかはとっくの昔に勉強している。
「あーあ、いいなあラギの母さんは優しそうで。殴ることなんてないんだろ？僕なんか最近じゃしょっちゅう
お母さんに殴られる」
「殴られるって・・・アヤコさんが殴るの？」
ラギは驚いた。ラギにはアヤコだって優しそうな印象を抱いている。タロウを殴る所が想像できない。
「この前なんか殴った拍子にお母さん指をいためちゃって・・・なぜかお父さんに怒られた。」
「・・・・」
「それでお父さんもひどいんだぞ。殴るなら手を使わずに木の棒かなんかで殴れってお母さんに言ってるんだ。
ひどいと思わないか？」
タロウは頬を膨らませている。
「そりゃあ、ひどいかも・・・」
といいつつも、アヤコさんが木の棒で殴ったくらいじゃびくともしそうにないなあ、と思ったラギだった。