早朝、あたりは白い霧で包まれていた。遠くの景色も見えないほど、濃い霧がかかっている。その中を、

ゆっくりと移動する物が見えた。よくみると、それはあちこちにいた。長くて細い、それは蛇のような形状の

ものだったが、うっすらと色がついた半透明状のもので、宙をふらふらと浮かんでいるようだった。小さくて

短いもの、太くて長いもの、様々な長さのものがゆっくりと辺りを移動しては消える事を繰り返していた。



「蛇霊神？」

早朝、寝室のバルコニーから外を眺めていたラクシュミは、幻のような蛇を見ながらつぶやくように言った。

なにげに外を眺めただけだったが、まさかこんなものがお目にかかれるとは思ってもいなかった。

宙をふらふらと飛んでいる蛇達は意思があるのかないのかまるでわからなかった。

ふらりと現れては消えて、また違う場所に現れている。移動する方向もばらばらだった。

前に見た蛇霊神よりは薄いような気がするな。



そうラクシュミは思った。



今日は１０の月の５日である。子供達が楽しみにしていた夜の祭りがあるのが今日なのだ。太陽が月に隠されて、

昼間なのに世界が真っ暗になってしまうという。文献によれば、その日はいろいろと不思議な事が起こるらしい

が、確かに朝っぱらから不思議な事が起こっているようだ。

ラクシュミ自身、日蝕を経験するのは始めてのことだった。



一体どんな日になることやら？



ラクシュミはそう思いつつ部屋の中に入って行った。


そして同じころ、北東の方角にある大きな湖のほとりで同じように幻の蛇を眺めていた１人の戦士がいた。

銀色がかった水色の長い髪、優しげな風貌、エルバートだった。

「これはすごい・・・」

エルバートは辺りを眺めつついった。いつもの朝の散歩の途中だったが、城の周りと同じように、この辺りも白い霧で

覆われている。時々幻の蛇のようなものがふらふらと浮いては消えて、また違う場所に現れていた。


エルバートはしばらく、この不思議な現象を眺めていた。

やがて、とても大きくて長い蛇が湖の上に現れた。胴体は水色がかっている。

蛇は長い胴体をくねらせながら宙を浮いていた。



美しい・・・



うっすらながらも、水色の鱗が見える。これだけ巨大な蛇はめったに見ることもないだろう。

それほど巨大で長い蛇だったのだ。

やがてその蛇の顔がこちらを向いた。水色の瞳が自分を見ているような気がしてエルバートは瞬いた。



もしかして、意思があるのだろうか？

次の瞬間、蛇がエルバートのほうに移動してきた。

蛇は同族、エルバートに恐怖の感情はなかったし、逃げようという思いもなかったのだが、その蛇は止まらずに

エルバートに突進してきて、エルバートは思わず「うわっ！」と声をあげて目を閉じた。


蛇がぶつかった？！


体には何の衝撃もなかったが、そう思った瞬間、エルバートは意識を失ってしまった。そして白い霧の中、水色の幻の

巨大な蛇も、姿を消していたのだった。



第15話


「おーい、エルバート、どうしたんだ？大丈夫か？」

頬をぺちぺちとたたかれつつ、「うーん」といううなり声をあげて、エルバートは目を覚ました。

「エルバート！大丈夫か？」

目の前には見知った戦士の顔があった。そして青い空も見える。どう見ても外だった。

「はい、あれ？私こんな所で何してるんでしょうか？」

「それはこっちが聞きたいぞ。死んでるかと思って驚いたじゃないか。怪我はないのか？」

「はい。どこも痛くはありません」

エルバートがあたりを見回すと、どうやら湖のほとりのようだった。横に大きな湖が見える。

白い霧はすっかり晴れていて幻の蛇の姿も見えない。

「無事でよかった。だめだぞ。こんな物騒な所で寝ちゃ」

戦士がほっとしたようにいった。敵に攻撃でもされたと思ったようだ。

「寝ていたわけではないと思いますが・・・」

自分がなぜ倒れていたのか、エルバートは自分でも謎だった。

どうも記憶がすっきりしないが何があったんだっけ？


「そうそう、大きな水色の蛇がいたような・・・あれって蛇霊神だったんでしょうか？」

「ああ、朝早くいたようだな。蛇霊神のようなものが一杯。俺が起きた時にはすっかり霧が晴れていたので

見えなかったんだが」

「え、今何時ですか？」

「９時くらいだぞ」

「大変だ！仕事に行かなければ！　それでは！」

エルバートはあわてて言うなり移動した。

「あ、大丈夫かー無理すんなよー」

戦士の言葉はもうすでにエルバートの耳には入っていなかった。




今日は１０の月の５日である。まちにまったお祭りの日で、子供達はそわそわしているし、特にラギは朝早くから

目を輝かせて「すごいすごい」を連発していた。蛇霊神のようなものは霧が消えるとともにいなくなっていた。

今は普段の日と変わらず太陽が顔を出している。

ゆりが部屋にいると、にこやかな顔のミカエルが部屋にやってきた。紫系統の上等の戦士服にマントをつけている。

相変わらず映画の中から出てきたような二枚目俳優ぶりのいい男だ。

「おはようございます。王妃」

「おはよう、ミカエル。なんだか久しぶり？」

「そうですね。会いたかったでしょう」

「別に」

「今朝蛇霊神のようなものが一杯飛んでましたよ。これはもう今日は儀式かなーと思ったんですが」

ミカエルはゆりの返答は無視していった。

「そんな兆候は全然ないよーだ」

ゆりが起きた時には霧がちょうど消えてなくなるころで、その頃にはもう蛇霊神の姿は見えなかった。

「蛇霊神とはちょっと違うかもしれないってラギはいってたけど」

「似たようなものですよ。この際やりましょうよー」

「や」

ゆりは一言で否定した。

「つれないなあ・・・」

ミカエルはゆりの向いに座り長い脚を組んだ。

「そうだ、事件は解決したの？呪の紙が一杯あったとかいうやつ」

「解決しましたよ。大量にあったんで全部回収するのに参りましたよ」

「ご苦労様でした」

「ですからねぎらいの儀式を」

「嫌。お祭りでもいってきたら？子供ら楽しみにしてたよ」

「祭りではしゃぐ年じゃないですからね」

「はしゃげばいいじゃない。次はいつあるかわからないんだから」

ゆりは横目で言った。自分は外に出れないのでいわばやつあたりだ。

「そうむくれないで、祭りといっても、別に町でやることは普通の祭りと変わらないですよ。子供らは楽しみにして

ましたがね」

「ぶー」

町のあちこちにちょうちんのようなもので飾りつけがされて、辺りが暗くなると一斉に火が灯されるそうだ。

一度でいいから祭りでおおはしゃぎしてみたいとゆりは思った。

「今度は勝手に移動しちゃだめですよ。人が多い所は危険ですからね」

ミカエルに笑顔でたしなめられて、ゆりは低い声で「はーい」といった。またラクシュミに笑って説教されるのも

さすがにいやだ。

その時扉がノックされて、ジュノーが中に入ってきた。

「王妃、今朝蛇霊神が飛んでましたよ。儀式しましょう」

「・・・」

ゆりは朝から爽やかな顔で微笑んでいるジュノーを横目で睨んだのだった。


「だめだめ、今日は儀式なんて絶対やらないからね」

ゆりの左目がぱっと蛇の目に変わった。

「王妃はいつでも儀式やらないじゃないですか」

とジュノーがつっこんだ。

「だめよー。今日はザクート様がやってくるかもしれないんだから儀式して失神してる場合じゃないんだから」

「え！？」

ゆりの言葉にミカエルの顔が引きつった。

「ザクート様が？なんでまた」

ジュノーが聞いた。

「日蝕の日って亡くなった人の魂が現れることがあるそうじゃない」

「そういう事があるみたいですね」

「ザクート様が・・・また？！」

ミカエルが声を荒げた。

「伝説の王の割には気軽に出すぎなんじゃないですか？」

「また、なんて失礼ですよ」

とジュノー。

「いいじゃない。いい男なんだから気軽に出てきても」

「えーってことは・・・また私の体が・・・」

「うらやましいですね。伝説の王に気に入られて」

ジュノーが笑ってミカエルに言った。

「冗談じゃない！大変なんだぞ！知らない内にあれこれされるわ、出て行った後は体はだるいわで」

「まあいいじゃない。名誉な事なんだし、ってわけでミカエルは城の周りでうろうろしててね」

「嫌ですよ。やっぱり祭りではしゃぐ事にします。それでは」

ミカエルはそう言って瞬間移動で出て行ってしまった。


「名誉な事なのにねえ」

「ですよね。一応良い男だから入られてるんだろうし」

「そうよね。１０人並な顔だったら絶対入られないよね」

ザクート王にもプライドがあるだろうし、ミカエルが平凡な顔だったなら、そう何度も身体を借りることはない

だろう。

「ジュノーだったらザクート王に入られてうれしい？」

ゆりはジュノーに聞いてみた。するとジュノーは「あんまり・・・うれしくはないですねえ」

と遠慮がちにいったのだった。



「もうすぐかなあ、後どのくらいかな。ああ、楽しみだなあ」

部屋の中ではラギがそわそわうろうろと行ったりきたりしていた。

「ちょっとは落ち着きなさいよー」

同じ部屋にいたアナスターシャが言った。

「そうだよ。こっちが落ち着かないよ」

同じく部屋にいたシスがいった。

「だって楽しみじゃない。次はずっと後だし僕らが生きている内にはもう二度とないかもしれないんだからさ」

日蝕は100年から200年くらいごとに起きているらしい。前回起こったのは180年ほど前のことだった。

「朝もすごかったんだよーこれから何があるかな。楽しみ楽しみ」

「案外何もないかもしれないけどね」

アナスターシャが冷静な顔でいった。

「昼間が夜になるってことだけで面白いよ」

「あ、そ」

「そろそろ外に行こうっと」

ラギは部屋を飛び出して行き二人もやれやれという顔でついて行った。


太陽がその姿を隠しはじめたのは、昼を回ってからのことだった。一時間ほど経つとじょじょに辺りが暗くなってきた。

太陽が月の後ろに隠れ始めたのだ。


「わあ、すごいなあ！」

庭園でそれを見ていたラギが歓声をあげた。

「本当、すごいねえ、時間をかけて夜になっちゃうんだね」

子供達と一緒にいたゆりがいった。

庭園にハインリヒが現れた。両手にロイとナナミを抱いている。

「そろそろ行きますか？」

ハインリヒが子供達にいった。今日はハインリヒがお目付け役で子供達とお祭りに行くらしい。

「ロイ、１人でうろちょろしないでね」

ゆりがロイにいうと、ロイは「はーい」と返事をした。シスがハインリヒからナナミを受け取りだっこした。

シスとアナスターシャで念のために周りに結界をはるようだ。


「それでは行ってきますよ。王妃」

ハインリヒがゆりにいった。

「いってらっしゃい。きをつけてね」

「いってきまーす」

「いってきまーす」

子供らはそれぞれゆりに挨拶し、ラギはハインリヒにひっついて皆一緒に瞬間移動で消えてしまった。１人残されて

寂しいゆりだったが、前回の時ほど行きたい衝動はわかなかった。



まあいいや、私はここで日蝕を堪能しますかねえ。



ゆりは東屋に座って消えていく太陽を眺めることにしたのだった。



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