朝、身支度をして屋敷の外にでたミルキダスは、ブーツの紐がほどけているのに気づいてしゃがんで結ぼうとした。
すると両手で紐を持った瞬間、ぶちっと紐が切れてしまった。
不吉な・・・
このブーツはそんなに古い物ではない。それなのに紐が切れてしまうなんて。
屋敷にブーツの紐のストックなどない。街の靴屋に行って紐を取り替えよう。そうミルキダスが思って瞬間移動しようと
した時、「ゲロゲロッ、ゲロゲロッ」と不気味な声が聞こえて、ついそのままとどまってしまった。
地面を見ると灰色のでかいカエルがいる。カエルはピョンと近くに飛んできた。するとそれを見た大きな蛇がするりと
近づいてきた。蛇が大きな口を開けてがぶりとカエルを飲み込もうとした時、カエルはピョンと飛んで行き、勢い
あまった蛇の口はミルキダスのブーツにかぶりついていた。
蛇はそのまま視線を上にあげた。そしてミルキダスと目があった。
１人と一匹は３秒ほど見つめあい、蛇はちょっときまずそうな顔をして牙を抜き、去って行った。
「・・・・」
皮製のブーツには穴が二つ開いてしまった。
・・・・不吉な・・・
蛇の一族の彼らが仲間である蛇に噛み付かれるなど、めったにない事だ。ミルキダスも初めての経験と言ってもいい。
ブーツも買い換えよう。
ミルキダスが足元を眺めてそう思ったとき、背中にどすんと何かがあたった。
「あれ？お父さんまだいたの？」
ぶつかってきたのはミルキダスの娘、クララだった。瞬間移動で外に出たらしい。２人は普段母親達の方で寝泊り
しているのだが、たまたま昨晩はこちらで泊まっていたのだった。
「危ないじゃないか」
ミルキダスが娘に注意した。
「ゴメンナサーイ。じゃあねー」
クララはまた飛んで行った。といってもまだそんなに長い距離は飛べない。そこらをちょろちょろ飛べるくらいだ。
「あれ？リリーは・・・」
どうしたんだ？と思ったとき、今度は胸にどすんと何かがぶつかってきた。
見るとリリーだった。
「あ、ごめんなさい」
「気をつけなきゃだめだぞ」
「はーい。行ってきまーす」
そう言ってリリーもぽんぽん飛んで行った。ちょうど瞬間移動が楽しくて仕方ない年頃だ。ミルキダスにも覚えがある。
瞬間移動が楽にできるようになってから、暇さえあれば飛びまくって疲れ果て、親に注意された。
今日は変な日だ。
ようやくミルキダスは街へと移動したのだった。
第２２話
その日はどんよりとした曇り空だった。雨がいつ降ってもおかしくない。こんな日は気分も滅入る。
ブーツを新調したミルキダスは城にいた。開店すると同時に店に入りブーツを買ったのだ。黒いブーツはぴかぴかに
光っていた。王の間の前まで来るとふっと近くに誰かが飛んできた。
「あ。悪い！」
飛んできたのはミカエルだった。ミカエルはミルキダスにぶつかりはしなかったのだが、身体は密着する一歩手前だっ
た。しかしミカエルの右足はミルキダスの左足の上に乗っていた。
「すまん」
ミカエルはあわてて足をどけて飛んで行った。
買ったばかりなのに・・・
新しいブーツの上には、くっきりとミカエルのブーツの底の模様の跡がついていた。そんなに体重をかけられたわけでは
ないのでちょっと汚れた程度だ。拭けば綺麗になるだろう。
今日は全く変な日だ。よく誰かにぶつかられるし・・・
汚れたブーツでラクシュミに会うのは嫌だったので、ミルキダスはハンカチでささっとブーツを拭いて綺麗にした。
「入っていいか？」
ミルキダスが番兵を見て聞いた。
「いいですよ。あ、そうだ。ハザーク様の侍女から伝言があります」
番兵の言葉にミルキダスは目を見開いたまま固まってしまった。
それがあまりに長い間だったので番兵２人は目を合わせた。
「あのーミルキダス様？」
まるで石像のようになってしまったミルキダスに番兵は首をかしげた。
「今何か幻聴が聞こえた」
「はい？」
「ハザーク様の侍女がどうとか」
「幻聴じゃないですよ。手が空いたら塔に来てほしいって言ってました」
ガーン・・・
「ミルキダス様ってハザーク様と親しくされてるんですか？誰かを呼ばれるなんて珍しいですね」
番兵はにこやかに言った。
「はあ・・・」
ミルキダスは大きなため息をついて王の間に入って行った。
「どうしたんだろう？」
「さあな」
２人の番兵は不思議そうに首をかしげたのだった。
今度は一体何のお呼びなんだろう・・・
毎度ハザークに呼び出されるたびに自分の恥ずかしい話をさせられるミルキダスなだけに、番兵の言葉に一気に
気分が沈んだミルキダスだった。
「赤い蛇の男、今日は一緒に茶でもどうか」などという誘いではないのは目に見えている。
この間の儀式の事だろうか。また恥ずかしい話をさせられるのか・・・なんて言おう。
皆裸で朝まで寝ていた。いや、のびていた、という話は、城では結構な笑い話として広まっていた。
将軍らには、一体何をしたんだ？と問い詰められる始末だ。
ヴィクターには「何も」の一言でいい逃れるミルキダスだったが、ハザーク相手にそれはできない。
うーん、うーん、なんて言おう。
あまりに暗い顔だったのでラクシュミが「何かあったのか？」と聞いてきた。ミルキダスはすでにラクシュミの前に
いたので、ハザークのことはとりあえず横においておいた。
「いえ、何もありません」
「午前中はナナミを見てやってくれないか？シンシアが都合が悪くなったんでな」
「分かりました。」
シンシアというのは下級戦士の女性だ。ナナミの授業の相手だったのだろう。
「それだけだ」
「はい」
ミルキダスは王の間を出て行った。そのくらい思念ですむが、ラクシュミの顔をしばらく見ないと精神的にどうも
落ち着かない。ラクシュミの方もそこらは察しているようだ。
双子の部屋に行くと、ナナミと侍女が２人いた。
「あ、ミルキダスだー」
ナナミはミルキダスの顔を見ると近づいてきて抱きついてきた。
「おはようございます。今日は私と遊びましょう」
「うん！」
２人は綺麗なじゅうたんを引いてその上に向かい合わせて座り、10センチほどのボールを二つもってきて宙に浮かせた。
ミルキダスがボールを移動させて、ナナミがそれをもう一つのボールで追いかけるのだ。
子供にとっては遊びだが、力のコントロールの訓練の授業だった。ポンとボールを力で飛ばすのは簡単だが、長い間宙に
浮かせるというのは、同じ年のほかの子供にはできない事だ。ボールは部屋中あちこち移動している。
しばらくボールを使って遊び、２人は休憩した。侍女が飲み物を持ってきてくれた。
「疲れましたか？」
「うん。でも平気だよ」
「そうですか」
「ムニャムニャグニャリ」
「はい？」
「なんかね。色んな言葉が頭の中にぱっと浮かぶけど、すぐ忘れるの」
「そうなんですか？」
「ナムナムナム？」
ちょっと首をかしげて言っている。その仕草が可愛かったのでミルキダスは微笑んだ。
休憩した後、再びボールで遊んだ。さすがにナナミの気が５分の１ほど減っている。王族だけあってナナミは気の力も
強いし回復も早い。午後力を使わなければ明日には元通りになっているだろう。
「今日はこのくらいにしましょう」
「うん。ねえ、ミルキダス、一緒にパパのところにいこ」
ナナミが目を輝かせて言った。
「え？パパ？」
その時、ミルキダスの脳裏にハザークの顔が浮かんだ。
「いこーいこー一緒にお話しようよ」
ナナミはミルキダスの手をぶらぶらゆすっている。。
「私はパパのところには・・・いえ、パパ様・・・じゃないハザーク様のところにはちょっと・・・」
ミルキダスはかなり動揺しているようだ。
「えーどうしてえ？」
「すいません・・・」
いや、待てよ。ナナミ様が一緒なら、まさか儀式の話は聞かれないだろう。
はっとミルキダスは考え直し、「やっぱり一緒に行きましょう」と言った。
「うん。じゃあいこー連れてって」
「はい」
２人は塔の方に移動した。
「パパーおはよー！」
ナナミは長椅子に座っているハザークの所に駆け寄って行った。ハザークはナナミを見てミルキダスを見た。
「おはようございます」
ミルキダスは頭を下げた。
「・・・」
ハザークが何か言おうとした時、ナナミはハザークの横に座り、「一緒にお話しよーパパ」と言った。
「ミルキダスはねーナナミのトーだったんだよ。でも今は違うみたい」
「ふーん」
「そんでねー」
ナナミがいろいろ話してハザークは「ふーん」とか「へー」とか言って答えている。
いい感じだ・・・このままうやむやで帰れそうだな。
ミルキダスは内心微笑んだ。
「お茶をどうぞ」
ハザークの侍女がテーブルの上にお茶を用意してくれた。
「どうも」
ミルキダスが侍女を見て、再びハザークに視線を戻してえっと目を見開いた。ナナミはなんと、ハザークのひざに頭を
のっけて目を閉じている。
「ぐー・・」
まさか寝てる！いつの間に！
その素早さにミルキダスの顔が引きつった。
「実はお前に話があるんだ」
ハザークはミルキダスを見て言った。
「はい・・・」
どうやらうやむやには終わりそうになかった。
「王妃はあの水色の蛇の男と親しいのか？」
「はい？」
ミルキダスは首をかしげた。
「あの水色の蛇の男とは誰でしょうか」
「・・・・名前は知らん」
「・・・・」
ミルキダスが誰のことだろうと首をひねった時、「エルバート様です」と侍女が助け船を出した。
「そいつだ」
「エルバート？さあ、よく知りませんが・・・」
「恋人じゃないのか？」
「違うと思いますが・・・」
ミルキダスはミカエルほどゆりの情報をチェックしていないので詳しくは分からなかった。だがこの前の儀式に
参加してもいなかったし、恋人が増えたという噂も聞いていないので多分違うと思っていた。
「王妃がそいつの事をどう思っているか探ってこい」
ハザークは思ってもいなかったことを言い出した。
「探る？あのー・・・恋人が増えるのが嫌なんですか？」
「そいつが恋人になるのが嫌だ」
「はあ・・・」
しょっちゅう会ってるんだから自分で聞けばいいのに。当然ミルキダスはそう思ったが本人に言えなかった。
「言っておくが・・・我は別に嫉妬してるわけじゃないぞ」
ハザークはさらりと言った。
「分かってます」
世間ではそれを嫉妬と言うんです。この言葉も、ミルキダスは胸の内に秘めておいた。
うーん、そういう事はヴィラとかに言ってほしい。あっちが得意そうなのに・・・
ミルキダスはそれとなくゆりにエルバートをどう思っているか、なんて聞く自信がなかった。遠まわしに相手の感情を
探るというのは苦手だ。
まあいい、夕方王妃の顔を見に行ってみよう。
ミルキダスは午後は別の仕事をして、夕暮れ時、ゆりの部屋を訪問した。部屋にはジュノーがいた。引っ付いていた
わけではないようだ。そういう雰囲気はないし、二人は椅子に向かい合って座っていた。
「あら、ミルキダス、ミルキダスはもう大丈夫？」
両方黒目のゆりは微笑んで聞いた。
「はい、すっかり大丈夫です。お邪魔ですか？」
「ううん。ジュノーにこの前の儀式の後のこと聞いてたの。皆に冷やかされたんだってね」
「はい・・」
「それほど疲れるまで何をやったんだって散々な言われようでしたよ。全く」
ジュノーがため息交じりにいった。
「王妃の侍女には顔を見るたびににやりとされるし・・・」
「ぷぷぷ。」
ゆりは喜んでいる。
「たまに皆をぎゃふんとさせると楽しいなあ。でも結局なんであんなに気を奪ったのか謎だけど」
それについてはラクシュミもヴィラもこちらのゆりには話していない。なのでこちらのゆりには謎のままだった。
そうだ！
ミルキダスはジュノーの横に座りながらジュノーに思念を送った。エルバートのことをどう思っているのかそれとなく
王妃に聞いてほしいといったのだ。
ーエルバート？なんで？
ジュノーが思念を返してきた。
ー恋人になりそうなのか知りたいんだ。それとなく聞いてくれないかな
ーふーん。いいよ。
「王妃」
「ん？」
ジュノーがゆりを見つめた。
「エルバート恋人にするんですか？」
「え？」
ミルキダスの顔が引きつった。全然それとなくじゃない。
「恋人になんてしないよ。何よ突然」
「ミルキダスが知りたがってるもんで」
「「え！？」」
今度はゆりとミルキダスが同時に発していた。ゆりがミルキダスを見た。ミルキダスの顔は硬直している。
「あのー・・・・そのー・・・」
ーひどいジュノー・・・
ーいいじゃないか。たまには嫉妬するのも。
ーそういうわけじゃないんだが・・・
「エルバートが恋人候補かも、っていう噂ありましたね。そういえば。エルバートはシャナーン並に顔いいし」
とジュノーがお茶を飲みつついった。
「これ以上若いのは恋人にしないよ。エルバートにはただ時々気をもらうだけよ。エルバートの方もさっぱりその気
ないし」
「そうなんですか。よかったね。ミルキダス」
ジュノーがミルキダスの肩にぽんと手を乗せた。
「え・・・私は別に・・・」
「エルバートはいい子なんだけどあの性格悪い蛇が・・・」
「え？」
「こっちの事」
ゆりはそれ以上何も語らなかった。
その頃話題のエルバートはラギの部屋に来て、カーライルのことをいろいろ語っていた。
「どうもかなり女性が好きな方のようで、女性の素晴らしさをえんえんと語ってくださるんです」
カーライルはまだあまり女性に興味がないエルバートを心配したのかどうかよくわからないが、夢の中で会えば
話題は女性の事だった。
「それは迷惑、いやありがたいね」
ラギが言った。
「人間の女性との間に結構御子様がいらしたようですよ」
「へーそうなんだ。ハザーク様にはいないのにね。」
「皆力が強くて、一族の中ではかなり重要な地位にいたようですよ。」
「そうなんだ。そういえば自分でも魔力が高いって言ってたもんね」
とラギはこの前カーライルが言っていたことを思い出した。
「当時の様子を水面に映して見せてくださいました。昔のお城や、風景などを」
「へーいいなあ。僕も見たいなあ」
ラギはうらやましく思い目を輝かせた。
「結構良い方みたいだね」
２人の関係はまあ良好といえるものらしい。
「はい。ただ時々私のことをカールって呼ばれるんですが・・・」
「え。カール？」
「どうもそのカール様の若い頃と私の顔が似てたらしくて」
「そうなんだ」
ラギはぷっと笑った。カーライルにとっては昔亡くなった息子といるような心境らしい。
「その上来年の赤い月は替わっていいかとおっしゃられて・・・どうしたものかと・・」
「ははは。エルバートの代わりに子供できちゃったりして」
ラギが冗談交じりに言った。
「それはありがたい事ですが・・・ちょっと複雑な気分なんですが・・・」
エルバートはぽりぽりと頬をかいた。
ゆりと別れたミルキダスは、そのままハザークの塔を再び訪れていた。
「王妃に全くその気はないようです」
ミルキダスはハザークにそう報告していた。
「本当か？」
「はい」
「他にその男の事を何か言ってなかったか？」
「別に何も」
「もう一人の王妃には聞いたか？」
「いえ、外には出られませんでしたので」
「・・・」
ハザークは何か考えるように上を向いた。
「あのー・・・それでは私はこれで・・・」
ミルキダスがさっさと去って行こうとした時、
「とりあえずしばらく様子を探ってくれ」
とハザークが言い出した。
「え？しばらくですか？」
「ああ、今そう言っていても、その内どうなるやらわからないだろう。ただでさえ王妃はいい男に弱いし」
「はあ・・・」
「だからしばらく様子を見ろ」
「はい。わかりました」
そう言ってミルキダスは部屋を出て行った。
しかし・・・もし恋人になってしまったら一体どうするんだろう？ハザーク様が邪魔するとか？
それは謎だったが、仲が良いんだから「エルバートを恋人にするな」って言えばいいのに。
そう思ったミルキダスだった。
ミルキダスが出て行った後、ハザークはせわしなく椅子を指でとんとんたたいていた。
どうも心配だ。あいつが王妃の面白さに目をつけたら・・・・なにせ王妃はあのヒューリア並に面白いからな・・・
「あのハザーク様・・・」
部屋にいた侍女が口を開いた。
「ん？」
「あの方を恋人にしないでほしいと直接王妃におっしゃったらいかがですか？」
ミルキダスがいたら思わず拍手をしたに違いないセリフだった。
「直接？直接言うと、まるで我が王妃をすごく好きで嫉妬してるようだから嫌だ。」
そうハザークは返した。
「我は別に嫉妬してるんじゃない。」
「はあ・・・」
「嫌なだけだ」