「ああ、そろそろ始まりそうねえ。どうなるのかしら」
ここ神の国のある神殿では、豪華な金髪の女神がそわそわしながら丸い水面を見つめていた。
女神の名前はガーベラ。
テーブルの上には底の浅い、直径３０センチくらいの丸くて平べったい銀の入れ物が置かれていた。入れ物にはなみなみと水が注がれて、
そこには大勢の人間が映し出されていた。ガーベラは椅子に座ってそれを見つめていたのだった。長椅子の横には大きいクーリーフンも
座っている。
「ねえ、本当に見てるつもり？」
クーリーフンが聞いた。
「だって気になるじゃない」
「見ない方がいいと思うけどなあ・・・・お母さん絶対こっちに情持ってるし」
水面に映し出されているのは蛇の国での戦いだった。
「それはしょうがないでしょ。別に何もしやしないわよ。ただ見てるだけ」
「絶対だよ」
「多分」
「多分って・・・・女神様は平等じゃないと」
地上に降りていたクーリーフンが戦いの事を知り、ガーベラに告げたのだった。それを知ったガーベラは戦いの行方が気になって仕方ない
ようだ。
「ああ！始まるわよ！」
あーあ、争いが起こりそう、なんて言うんじゃなかったなあ・・・
クーリーフンは頭をかきながらため息をついたのだった。
第34話
「パンパン、パンパンパンパーン！パラッパーパパーン！」
高らかにトランペットの音が鳴り響いた。
10時を回る頃、敵勢はずらりと丘に勢ぞろいした。離れた所で蛇の一族は向かい合っている。こちら側の方が少し高い。
トランペットの音が響いて敵の指揮官が進み出でてきた。蛇の一族の方もヴィクターが前に出ている。
大きな戦いでは、その前に双方の最高指揮官が挨拶するのが礼儀だった。
「遠い所をわざわざご苦労さん」
ヴィクターが言った。敵の男も年配の男だった。頭には龍族の角が見える。一番派手な鎧を着けていた。龍の一隊は軍勢の後ろにいる。
これだけの龍を目にするのはヴィクターも久しぶりだった。
「ふっ国境ではなにやら小細工をしていたようだが、てっきり逃げて出てこないかと思っていたぞ。」
敵の指揮官が言った。
「あれはちょっとした挨拶だ」
「そうだろうとも。王は元気か？直接ご挨拶申し上げたいがな。この空を、龍が自由に飛びまわる日も近いであろうからなあ」
指揮官は右手を空に掲げた。
「そんな日は永遠にきやしない」
「いいや。間近さ。所で、なぜお前達がそこにいるのだ？いつから蛇なんぞの下僕に成り下がったのだ」
敵指揮官が左方にいる虎の一族の方を見ながら言った。
ガットはきょろきょろと周りを見て言った。
「それ俺達のことか？」
「お前達のことに決まってるだろう、他に誰がいるのだ！なぜ虎の一族が加勢している！」
「それはな、熊公がお前らと一緒に来たからだ」
「何！？」
「俺達は龍の一族はどうでもいい。熊公らと戦いたい！」
ガットは敵指揮官に言った。
すると龍の一族をかきわけて男が一人でてきた。体格の良い男で黒々とした太い眉毛、ぼさぼさの黒髪、見かけは荒々しい男だった。
茶色い皮の服には袖はなく、腕の筋肉は隆々と盛り上がっていた。身体のあちこちに黒い毛の飾りがついている。男の瞳は金色に輝いていた。
王族なのかもしれない。
「望む所だ！」
前に出てきた男が言った。熊の一族の男だった。
「貴様出てくるな！相手の挑発に乗るんじゃない！」
敵指揮官があわてて言っている。
「情けないぜ！すっかり龍の一族の奴隷になりくさって」
ガットが熊の一族の男を指さした。
「奴隷になどなっていない。我等はあくまで平等だ」
「どーだかな」
「ひっこんでろ！虎の一族なんぞほっておけ。お前達は蛇のやつらを殺すために来たんだぞ」
龍族の者達が二人で熊の男を止めようとした。すると熊の一族の男は二人を振り払った。
「俺に触るんじゃねえ！俺達はバカ虎族と戦う！野郎共、出てきやがれ！」
右手をあげてそういうと後ろの方にいた熊の一族の者達が「うおー」と雄たけびをあげながら前に出てきた。
「バカ虎？バカ虎って言ったな？」
ガットの頬に虎じまが浮きでていた。
「言ったとも、ちょうどいい、どちらが強いか今日こそ決着をつけてやる！」
「望む所だ！」
熊の一族の者達は虎の一族の前まで移動した。
「イシュー様、どういたします？」
龍族の者が指揮官に聞いた。
「言う事を聞け！お前達に一体いくらだしたと思ってるんだ！こちらの命令に従う決まりだろうが！」
「金返しゃいいんだろ！全部返してやらあ！」
熊の一族は全く従う様子はないようだ。
「これだから連れてくるのいやだったんだ・・・」
指揮官はぶつぶつ言っていた。
「おい、内輪もめは終わったか？」
ヴィクターが聞いた。蛇の一族の戦士達はぽかんとしている。
「うおー！！！」
「いくぞー！！！」
虎の一族と熊の一族の争いはすでに始まっていた。双方激突して互いの武器で攻撃しあっている。虎の一族は大きな剣、熊の一族は大きな
金槌のような形をした武器だった。
「まあいい、ばかはほっておいて始めよう。まずはほんの小手調べ」
指揮官は軍勢の後ろに移動した。
龍族の者が数人で呪文を唱えていた。蛇の一族の戦士達の上に、光の粒が降り注いだ。すぐさま戦士達の上にシールドが張られて
それは防がれた。ラクシュミが張ったのだ。
「どうやら王なお元気なようだな。さていつまで持つかな？お前達に面白い物を見せてやろう！」
「！？」
敵軍の後ろの空に、何かがゆらめいた。それは一つの形となって現れた。天を突き刺すような巨大な一本の剣であった。刃の先は上を向いている。
「何だあれは？」
戦士達がざわめいた。
「あれは何ですか？」
北の砦の塔にいたラギの目にもその剣は見えた。城の高さほどの剣だった。刀身は光り輝いて見える。
「さあ、わしも初めてみます・・・」
横でフレイが眉をひそめ首をかしげていた。
なんだあれは・・・
王の間のラクシュミもその剣を見ていた。空に浮かぶ巨大な一本の剣。神々しいまでに輝くその剣は、蛇の一族の戦士達にとってはあまりに
不気味に見えた。
「突撃！」
敵指揮官の号令と共に、龍に乗った騎士隊が左翼から、向かってきた。弓隊が地面に固定してあった弓の角度を調節し、一斉に空に向けた。
「放てー！」
キース将軍の号令と共に鉄の矢が空に向かって放たれた。
「メラドピア！」
龍族の魔術師が空に向かって呪文を唱えると、半分以上の弓矢は空に飛んだものの龍にあたる前にぼたぼたと落ちてしまった。
「くそっ！もう一度放てー！」
すぐさま弓に矢が差し込まれて再び矢が飛んでいった。それらもむなしく地面に落ちていく。
「ブランドームラズリルーム！ジュラジュラジュラ！」
ハインリヒが呪文を唱えた。
雷撃が放たれて近くに迫った2頭の龍の角に直撃した。
「グエー！！！」
龍はもんどりうって地面に倒れた。
再び大量の矢が放たれた。今度は半数以上が龍に向かっていった。だがほとんどは命中していない。寸前ではじかれていた。
龍に乗っている騎士が個別にシールドを張っているようだった。
「第一隊は龍騎士を殺せ！」
「了解！」
ハインリヒは腰の剣を抜いた。剣にはうっすらと幻の蛇の姿が見えた。聖剣イレイザ、アナスターシャがたくした剣だった。
シスが持っていた聖剣ダ・ムーはミカエルが持っていた。100人近くが空に舞った。
龍騎士隊は龍を操りながらも自身が攻撃呪文を放っている。
戦士達はそれを避け、もしくはシールドを張りながら龍騎士に攻撃を加え、別の戦士は同時に龍の足に狙いを定めて攻撃していた。
「グワー！」
「グエー！！！」
龍の鳴き声が響き渡る中、他の敵の魔術師は丘にいる残りの軍に次々と呪文を放ってきていた。大きな魔法のすべてはラクシュミが
食い止めている。
龍の他の部隊が攻撃を開始した。
ーエル、あれ試してみよう。
ーうん。わかった。
シャナーンがエルバートに思念を送っていた。
二人は同時に呪文を唱えた。古代語のその呪文が唱えられた時、目前に迫っていた１００人近くの軍勢の目の前が真っ暗になった。
「成功した！」
「今です！」
「第２隊突撃！」
およそ100人の蛇の一族の戦士達が向かっていった。
この魔法はカーライルが教えてくれたものだった。個別にかける目くらましの魔法は今の時代はあったが、確実に集団にかける魔法は
なかった。敵が集団でいる時だけ使える魔法だった。「ただし、お前はあまり魔力がないから長時間は効かないぞ」とカーライルは言っていた。
蛇の一族の戦士達が魔法や武器で攻撃を加えて、魔法をかけられた戦士達は闇雲に武器で攻撃していた。
「後ろにひけー！！！！」
他の龍族の一隊が援護に向かい、魔法をかけられた一隊は後ろに下がっていった。
「ふーん、なかなか味なまねをするじゃないか。」
敵指揮官は戦いの様子を見ながら感心するように言っていた。
「なんともけなげなことよ。だがいつまでもつかな？」
空では龍が火を吐き、地上でも火柱が上がっていた。どちらもいまだ半分以上の隊は待機している。
「第５隊、右翼から攻撃しろ！」
「第３隊、魔法準備」
ヴィクターの声で前面にいた魔力のある者達が両手を掲げた。
全員が同時に魔法を唱えて、敵の頭上に火の塊が降り注ぎ、それは敵にあたった時に爆発するようにはじけた。
空を舞う龍は５頭ほど落下していた。
ーおかしい・・・おかしいぞ。これは・・・
ナザニエルがヴィクターに思念を送っていた。
ーああ、闇雲に魔法をかけてきている。それも尋常の量ではない。
ヴィクターの顔色も変わっていた。ラクシュミがすべて防いではいたが、今までの戦いでは考えられない数の魔法だった。
ーしかも蛇毒が全く効いてないぞ
キースの思念にヴィクターは「あっ！」と声を出した。
ー本当だ。なぜだ。まだ抗体は他国には出ていないはずなのに。
すべての武器には蛇の毒が塗られていた。それで少しでも傷がつけば、敵はばたばた倒れるはずなのだが、傷ついた敵は、まだ戦っている。
しかもこちらの魔法があまり効いてないようだ。火の攻撃を受けた敵は、かまわず向かってきていた。
ーあの剣がどうも怪しいぞ。
とロナウドが思念を送った。敵の後方にいまだ巨大な剣は出現したままだ。
あの剣は一体・・・・
王の間ではラクシュミもおかしいと感じていた。
敵が強すぎる。魔法の力も以前よりも増している。なぜだ・・・・なぜ他国でこれだけの魔法が使える？
ラクシュミの前で座っているアナスターシャとシスが不安そうに目を合わせた。
「グエー！！！！！」
北の大地では龍の鳴き声が不気味に響いていた。
「・・・・ずるい・・・」
神の国でそれを見ていたガーベラは思わず言った。
「ずるいじゃない。あんなのありなの！？ハロルドが味方してる！」
ガーベラは責めるようにクーリーフンに言った。
龍の軍勢にハロルドの加護が与えられていた。そのため攻撃力、守備力はおろか、魔法力、怪我の治癒力、すべての力が上がっていたの
だった。あの巨大な剣こそがその印であった。ハロルドの加護のせいか、蛇の毒も全く効いてはいないのだ。
龍の一族が復活させた古の魔法こそが、これだったのだ。
「ずるいずるい！ずるーい！」
ガーベラはクーリーフンの服をつかんでゆすっていた。
「僕に怒られても・・・ハロルドはあの国では一番崇拝されてるからなあ」
「だからって・・・神様がえこひいきしちゃだめじゃない」
「僕に言われたって知らないよ・・・」
「ああ！怪我人が一杯いる！」
北の砦にはぞくぞくとけが人が運ばれてきていた。医師達はてきぱきと怪我の処置にあたっている。龍の爪にやられた者もいれば、
敵の武器にやられた者もいた。
龍にあたっていた第一隊は他の部隊と入れ替わっていた。
「話に聞いてたよりは随分強いですね」
戻ってきたハインリヒがヴィクターに言った。魔法を使いすぎてへとへとになっている。龍に乗っている者50人はかなりの実力者達
だった。これでは下級戦士には荷が重い。
「多分あの剣のせいだ。強いといってもここまで強くはなかったはずだ。多分敵が言っていた魔法はあれのことだ」
「・・・・私の時代にもあんな魔法は見たことはないのだが・・・」
「ハインリヒ、剣を交換しろ！これには気力の回復効果もあるようだ。」
戻ってきたミカエルが言った。
「それはありがたい」
ハインリヒはミカエルと聖剣を取り替えた。剣を持つとハインリヒの身体の周りが淡く光り輝いた。
「行きます」
ハインリヒは再び龍の軍隊に向かって行った。
「何匹落ちました？」
ミカエルがヴィクターに聞いた。髪は乱れていたが、聖剣を持っていたせいか、気力はまだ残っていた。
「12頭」
「龍なんざ匹で十分ですよ。それじゃ私も行きます」
ミカエルは聖剣イレイザを手に戻っていった。
救護隊により、次々と怪我人が運ばれていた。
くそっ明らかにこちらの方が怪我人が多くなっている。
みんな死ぬな。死ぬんじゃない。
代々の王よ、亡くなった同胞達よ。どうか力を貸してください！！！
ヴィクターはそう祈りつつ指令を飛ばしていた。
「わーんわーん怖いよー怖いよー！！」
ハザークの元にいたナナミがわんわん泣き出して、つられてロイまで泣き出した。
「怖いよー怖いよー！！！」
その二人を白い髪の侍女達が抱きしめた。
「大丈夫ですよ。大丈夫大丈夫」
「怖いよー怖いよー！！！」
二人には戦の様子は見えていないはずだった。だが気配は感じているのだろう。
「しばらく眠っていろ」
ハザークは二人を眠らせてベッドで寝かせたのだった。
北の砦の塔から戦いの様子を見ていたラギは、塔を降りて砦の中に入っていった。中には大勢の怪我人が運ばれてきていた。50人ほどは
いるだろうか。あちこちからうめき声が聞こえてくる。すでに亡くなった戦士もいた。
「みんな、みんながんばって！」
ラギは泣きそうになるのをこらえて言った。
「僕も何か手伝う！」
「大丈夫ですよ。王子」
近くにいた医師が言った。
「手伝いたいんだよ。手伝わせて！」
自分にできることなら何かしたい、そう思った時、ユリウスに抱えられるように入ってきた戦士を見てラギはぎょっとした。
「ヴィラ！大丈夫！？」
それはヴィラだった。ユリウスはヴィラを布団の上に乗せて「お願いします」と言って唇をかみしめて砦を出て行った。
「ヴィラ、ヴィラしっかりして！」
傍らで名を呼ぶとヴィラが目をあけた。
「大丈夫・・・かすり傷ですよ・・・」
ヴィラの顔色はひどく悪かった。すぐに飛んできたフレイと他の医師がヴィラの胸当てをはずして服を脱がし、上半身を裸にした。
フレイの顔色がさっと変わった。上半身は血に染まっていた。胸当てがない横っぱらに敵の剣をくらったようだ。
すでに大量の血が流れているようだった。
「ヴィラ、しっかりして！」
ラギはヴィラの手をぎゅっと握り締めた。医師はヴィラの傷のあたりに手をそっとおいた。力で止血するためだった。
だが傷を治す力はない。その力があるのは今はラクシュミだけだった。
「・・・王子・・・もし死んだら、王妃に、楽しかったって伝えてください・・・」
ヴィラがうっすらと目を開けて言った。
「何言ってるんだよ。死なないよ！絶対死なないよ！」
ラギは目に涙を浮かべて言った。
ヴィラの目はうつろだった。
身体の感覚がない・・・・
もう・・・だめかもしれない・・・
王・・・役に立てなくてすいません・・・・
ジュノーお前は死ぬなよ・・・
ヴィンセント・・・・・強くなってくれ・・・・
・・・王妃・・・あなたに会えてよかった・・・・
ヴィラは目を閉じた。
ーわーん！お母さん！お母さん！ヴィラが！ヴィラがー！！！！
ラギは泣きながら思念を飛ばしていた。
城にいたゆりの目がぱっと蛇の目に変わり、ゆりは北の砦に現れたのだった。
「ヴィラ！！」
ゆりは血に染まったヴィラを見て目を見開いた。
「王妃！」
「ヴィラ、しっかりして！！！」
ラギが横によけて、ゆりはヴィラの手を握り締めた。ヴィラはまだ生きてはいたが、気力は限りなく薄くなっていた。
「王妃、すいません。傷が深すぎます」
医師が申し訳なさそうに言った。
「ヴィラ、ヴィラ、しっかりして！！！」
その時ゆりの左目は蛇の目になっていたが、両方のゆりが表に出ていた。どちらも泣いていた。
「ヴィラ、ヴィラ！」
ゆりの呼びかけにもヴィラは反応しなかった。
「王妃・・・」
周りを見ると、怪我を負った戦士達も、皆悲しげな表情をしていた。横たわったまま動かない者もいる。
みんな・・・・ヴィラ・・・死なないで！！
ゆりはぎゅっと目を閉じて祈った。
その時部屋の中に虹のようにさまざまな色に光り輝く蛇が現れた。巨大な蛇は天井近くに現れて、ぱっとはじけたように消えた。
きらきらと部屋の中に光の粒が降りそそいだ。
「おおっ！」
「あれはっ！？」
ざわめきが起こった。一人が「あれっ？」と言った。
「折れた腕が治ってる！」
「何？」
「俺もだ」
「私もだわ」
戦士達が次々と声をあげた。
「先ほどのは治癒の魔法？もしや王妃が？」
フレイがゆりを見て言った。
「え？！治癒？本当？ヴィラ、ヴィラも治った？！ヴィラ、ヴィラ！」
ゆりは喜んでヴィラの身体をゆすった。どちらのゆりにもそんな力はない。お腹の子供が助けてくれたようだ。
だが、ヴィラは目を覚まさなかった。
「ヴィラ、ヴィラ！起きてよ！ヴィラ！ヴィラ！」
何度呼びかけても返答はない。身体もぴくりとも動かなかった。
「ヴィラ・・・」
ゆりの瞳から再び涙があふれだした。
「お母さん・・・ヴィラはもう・・・」
ラギが泣きながら言った。一足遅かったのか、ヴィラの気は完全に失われていた。
「なんでよ！どうして！どうして・・・・」
ゆりの身体がずるりと横に倒れた。
「お母さん！」
ラギがあわてて両手を出してゆりを支えた。
「王妃！」
「先ほどの魔法のせいでしょう。気力がかなり減っておられる」
「我々の気を使ってください！」
怪我が治った戦士達が集まってきた。
「お父さん・・・お父さん・・・お父さん・・・」
一族の子供達は学校の講堂に集まっていた。ヴィラの子供ヴィンセントは、ヴィラから最後の思念を受け取り、泣いていた。
「ヴィンセント・・・ヴィラ様・・・」
横にいたジュノーの子供クリスも泣いていた。皆、悲しみと悔しさで顔をゆがめていた。
そして王の間でも、アナスターシャとシスの目は涙で潤んでいた。戦の様子はラクシュミを通して見えていた。
一族の者達が傷ついているのが我慢できなくなっていたのだ。
「ひっく・・・ひっく・・・」
「泣くな。王族の者は、いかなる時も冷静でいなければならない」
ラクシュミが冷静な声で子供達に告げた。
あの剣さえなければ・・・・
敵の大きな魔法攻撃はやんでいた。だが、敵の魔術師のような者達は５人ほど敵勢の後方でずっと口を動かしている。
あの剣の効果を得るために呪文を唱え続けているのかもしれないと、ラクシュミはにらんでいた。
そのため一族の者達は、敵の魔術師を殺すことにやっきになっていた。龍は残り25頭、龍達は軍勢の後ろに今は引いていた。
人間同士の総力戦が行われていたのだった。
ミカエルやハインリヒ、フリット、イシュタールら上の方の戦士達は戦い通しだった。
ジュノーもヴィラからの思念を受けて悲痛な顔で戦っていた。
神の国では、ガーベラがすっと立ち上がり言った。
「ちょっと出てくる」
「え？どこへ？」
クーリーフンが聞く間にガーベラはだっと走って神殿を出て行った。
「ああ、やっぱり何かする気だ」
クーリーフンはため息をついた。
ーキュリア、ジェイク、お願い、お母さんに力を貸して！
神殿から出たガーベラは心の中で祈った。
ーお母さんどうしたの？
ー母様？
少しすると子供達の返答があった。
ー人間界に降りてほしいの。今あそこでは一族同士の争いが起こってるの。蛇の国の人間に力を貸して。相手の方にはハロルドが
力を与えてるのよ
ーえ？父さんが？
ーハロルドの力を相殺して、お願い！
ー・・・・
ーお願いよ。ジェイク。
ガーベラが今までこのように子供達にお願いしたことはなかった。
ー・・・わかった。いいよ。でも相殺ってのは無理だよ。僕の力は父さんにはかなわないから。姉さんと行って来る
ージェイク、ありがとう。ハロルドに何か言われたら私が頼んだって言っていいからね
これで・・・少しはなんとかなるかも・・・・
人間界では敵味方入り混じり、激しい戦闘が続けられていた。敵の魔術師は敵の分厚い守護にあい、なかなか倒せなかった。
後方にいた救護隊はおろおろしながら状況を見守っていた。
ーイシュタール様！ひどい怪我じゃないですか！そろそろ引いてください！
ーミュルツ、デルバ！それ以上やったら死ぬぞ！
怪我がひどい仲間に思念を送っているものの一向に返答もないし引く気配もない。
「くそっ死んだら何もならないのに！」
倒れた味方を見つけてはさっと近寄り移動させているのだが、こう混戦してきては助けるのも一苦労だった。皆怪我を負っても戦っている
ので、倒れた時には手遅れということもあった。
「ユリウス様あんまり前に出ないでください！危険ですよ！」
倒れた仲間を見つけては、助けにいくユリウスに仲間が言った。
「ああ、わかってる」
といいつつまた移動している。
「全然わかってねえ！」
「ああ！シャナーン様！シャナーン様が！」
救護隊の中にはシャナーンの彼女も加わっていた。シャナーンはかなり前方で戦っていた。顔半分が血に濡れていた。
「シャナーン様！」
「ばかっ！あんな所まで行くんじゃない！逆に邪魔になる！」
仲間が女戦士の腕を持って引き止めた。
「でもっ！」
「あっ！何あれ！」
その時だった。救護隊の一人が自分達の後方の空が揺らめいているのに気づいた。それは一つの巨大な盾となって現れた。
「盾？！」
その盾は、５角形で表面には綺麗な植物の装飾がほどこされており、銀色に輝いていた。そしてその盾の前には小さな銀の剣がくるくると
回っていた。
「何だあれは！」
「盾！」
「盾だ！」
敵もいち早くそれに気づいていた。
突如現れた盾にラクシュミはぎょっとしていたが、すぐに全員に思念を送った。
ー引け！全軍引くんだ！
その思念で全軍が一時撤退した。
くるくると回る剣からは、放射状に銀色の光の粒が降り注いでいた。その光を浴びた戦士達は、皆、傷がじょじょに癒えていった。
「傷が・・・・なくなってる・・・」
「身体に力を感じる！！」
「あれは王の魔法ですか？」
ハインリヒがヴィクターに聞いた。
「いや、違うが・・・・何にせよ。助かった・・・」
ヴィクターがほっと息をはき、髪をかきあげた。 大勢の戦士達の傷が回復していた。
「これでまた戦える」
イシュタールはうれしそうに言った。皆携帯していた気の回復を早める薬を飲んでいた。味方の陣には大量の酒瓶も置かれていた。
酒でのどを潤している者もいる。
「ああよかった。シャナーン様のお顔の傷が治った・・・」
シャナーンの彼女はほっとしていた。
「シャナーン様の心配しかしてねえな」
と横にいた戦士がつっこんだ。
ーユリウス、お前戦場をうろちょろしてたろ！
ジェナサイトはユリウスに思念を飛ばしていた。
ー気のせいだ
ー北の砦にいろ！
ーうるさい。戦には参加してないんだからいいだろ！
ー全くお前ってやつは・・・
「守護の盾、癒しの剣・・・」
王の間でラクシュミはつぶやいた。
「あれは父様の魔法？」
アナスターシャが聞いた。どうせならもっと早く唱えてくれればよかったのに、と思っている。
「いいや。私の魔法じゃない。もしやゆりが何かしたのか？」
「母様が？」
「不思議なことはゆりの仕業と決まっているからな。まあいい、疲れただろう。お前達は休んでいいぞ」
ラクシュミは二人を見て言った。すでに戦いが始まって４時間以上は経過している。ずっと慣れない力を使いっぱなしの子供達だった。
「大丈夫です」
「僕も」
「そうか。これで仕切りなおしだな」
敵のしつこい魔法攻撃を食い止め、その上に結界も作っていたために、ラクシュミはかなりの力を消耗していた。だがここで泣き言はいえない。
前方では仲間達が戦っているのだから。泣いても笑っても、今日一日で戦は終わりそうだった。
その頃、北の砦ではゆりは布団に寝かされていた。怪我が治った者達がゆりに気を与えて、ゆりの気の力は若干回復していた。だが先ほどの
力で使った力はかなりのものだったのだろう、まだ意識は戻らない。城につれて行きたかったが、行けるものがいなかった。
ゆりに気を与えた者達は気を回復する薬を飲んでいる。医師達は、怪我人が減ったので戦死者を綺麗に清めていた。
ヴィラの血を拭いていた医師が何かに気づいてフレイを呼んだ。フレイはヴィラを見て「あっ！」と言った。
「どうしたんですか？」
ゆりの横にいたラギがそれに気づいて近づいた。
「見てください。ヴィラの傷はなくなってます」
「あ、本当だ！」
赤い血を拭いてみると、ヴィラの身体に全く傷はなくなっていた。
「どういうことなんですか？死んでいたら傷は治らなかったですよね？」
フレイがヴィラの心臓に耳を寄せた。
「あ、弱く動いてますぞ。まだ生きてる」
「え！本当！？」
ラギの目が輝いた。
「ですが気は全く感じませんよ。どういうことでしょう」
と医師。
「そうか、心が離れてしまっているんでしょう。だから気はゼロなんですよ。このまま戻ってこないと本当に死んでしまいますな」
とフレイ。
「ええ！じゃあどうすればいいんですか？」
「呼びかけましょう。それしか思いつきません」
「ヴィラ！どこ行っちゃったんだよ！戻ってきてよ！ヴィラ！」
ラギは必死に呼びかけた。
「我々も呼びかけよう！ヴィラ様！戻ってきてください！」
「ヴィラ様！」
砦にいた皆がヴィラを呼んでいた。
蛇の一族と離れた敵陣では、敵も小休憩を取りながら隊列を整えていた。そして二つの陣とは全く別の場所で、いまだ虎と熊の一族は
やりあっていた。
「おい、ちょっと休憩しねえか」
ガットと戦っていた熊の一族の男が言った。
「よし、しよう」
とガットがいい、「休憩ー！」という声で皆争いをやめた。もはや龍も蛇も全く関係ない所での争いになっている。
実は休憩も2度目だ。虎の一族は100人、熊の一族は１５０人いた。一対一で戦い、あまった者達は何をしていたかというと、離れた所で
座って見ていたのだった。金は返す、と言ってしまったので、龍の一族のために戦う気は完全になくなってしまったようだ。
お互い顔や腕にあちこち傷はあったものの、致命傷には至っていなかった。死者もいない。どうやら力に大差はないようだった。
一度目の休憩の後はどうせなら素手で、ということで素手で戦いあっていた両者だった。
皆疲れて草の上にどっと座り込んだ。
「わっ今度は盾が浮かんでら。いつの間に戦いは終わったんだ？」
ガットが蛇の一族の方を見て言った。どちらも離れた所にいたので戦いが終わったと思ったようだ。
「多分休憩してるんじゃないんですか？」
他の虎の男が手で額の汗をぬぐって言った。
「なんだそうか。あー腹減った。昼はとっくに過ぎてら」
ガットはおなかをなでつつ熊の男達を見た。すると、皆何かを手に持ってむしゃむしゃ食べていた。
「あっ！何食ってんだよ！」
「干し肉だ」
「俺にもくれ！」
「嫌だ」
「ケチ！」
「うるせえ！」
「くそー」
ガットは熊の男を横目で睨んだ。
「まだ結構龍は残ってるなあ。やっぱり龍に苦戦してるようですね」
虎の男は生きている龍の数を数えたが、面倒になって途中でやめた。
「龍と戦いたくなってきたなあ・・・」
一人が言った。熊との戦いに飽きたようだ。
「俺も。だけど熊と戦いに来たんだからまずいよなあ・・・」
「ちょっくら加勢してやるか？」
とガットが言った。
「俺らとの戦いはどうすんだ？」
と熊の男が聞いた。
「いいじゃないか。もう俺達の勝ちで」
とガット。
「どこをどうしたらそうなるんだ！傷はお前達の方が多いじゃねえかよ！」
熊の男が立ち上がり言った。
「そんなことはないだろ」
「いやある！」
「じゃあ数えるか？」
「ちっまあいいだろう」
両者は自分達の傷を数えだした。
「ヴィラ！帰ってきてヴィラ！」
「ヴィラ様ー！」
北の砦にて、ラギや他の者達の必死の呼びかけは続いていたが、ヴィラは目を覚ます気配はなかった。
「どこに行っちゃったんだよーヴィラー！！」
その頃ヴィラの魂は、皆の声の届かない所にいた。
それはあの世とこの世の狭間なのだろうか。暗い空間をぼんやり漂っていると、光が見えてきた。
どうやらあちらに何かあるようだ。
ヴィラは光の方へ行こうとした。
すると右手の方からするりと蛇が抜け出てきた。
「あっ！」
ヴィラはとっさにその蛇の胴体をつかんだ。それは自分の肌にいた緑の子蛇だったのだ。
子蛇は勝手に飛んで行き、ヴィラはそのまま引っ付いて行った。
ヴィラに握られたまま、子蛇は光とは別の方向に移動して行った。
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