第7話

ある朝、ゆりの部屋にジュノーがやってきたのだが、なんだかとても奇妙そうな顔つきだったのでゆりは顔を見るなり「どうしたの？」

と聞いた。

「はあ、先ほどロイ様の部屋をのぞいてみたんですが・・・」

ジュノーはゆりの向い側に腰を下ろした。

虎の国で事件があったというのはジュノーも聞いていた。部屋の扉がちょっと開いていたのでジュノーはこそっと部屋の中をのぞいて

みたのだが、その中の光景を見てこんな顔になってしまったのだ。

「なんとロイ様がおとなしく座って勉強してたんです」

ゆりはぷっと笑っていた。

「夢か幻かと思って何度も目をこすったんですが、確かにロイ様だったんですよ」

「いやーあれ以来すっかり人が変わっちゃって。長続きするといいんだけどね」

ゆりは苦笑していた。あれとは虎の国に行った時のことだ。ちなみにゆりの部屋の白い棚の上にはライオネル人形が飾られていた。

「ライオネル様って恐ろしい神様ですね。あのロイ様を変えてしまうとは・・・」

「そうだね。イシュタールとフリットも興奮したって言ってたよ。ライオネルってヒーロー物に出てくるヒーローみたいな神様だね」

そういうと分からなかったのかジュノーは首をかしげていた。

「こっちのこと」

子供に受けそうな神様だ。ハロルドはあそこまで親しみのある神ではないので子供に受けないのかもしれない。

「ハロルドの立場ないけど、まあ力封印されてよかったかもね」

「ちゃんと戻してくださるといいんですがね」

その時テーブルの上に突然ばっと赤ん坊が現れて二人は驚いた。

「ミシェイラじゃない」

「あーあー」

ミシェイラは上を向いたまま両手両足をばたばたさせていた。7ヶ月が過ぎるころだが、まだそんなに動けない。上の子らと比べると

成長はゆっくりのようだ。それでも瞬間移動する力はある。

「抱っこしてあげますよー」

ジュノーが微笑んでミシェイラをだっこした。

「あ〜♪」

にこにこしているからご機嫌のようだ。

ミシェイラの髪が揺れると頭の両方に金色の髪がきらりと輝いて見えた。

「かわいいですね」

ミシェイラが足をぶんぶん振るってぽんと靴下を飛ばした。

「あらあら」

ゆりがそれを拾い、足にかぶせようとした時ジュノーがミシェイラの足の裏を見ておや？と言った。

「これは・・・・」

「そうそう、最近出てきたんだ。これ」

ゆりがミシェイラの足の裏をなでた。金色の蛇のうろこのような模様が足の下の方にちょこっとついていた。生まれた時はなかったはずだ。

ミシェイラをお風呂に入れていた侍女が最初に気づいたのだが、ラクシュミはたいして驚かなかった。

「その内蛇に変わったりして」

なんと返答していいやらわからなかったのでジュノーは無言だった。ミシェイラが蛇に変身できたらハザークの侍女らは喜ぶかもしれない。

その時扉がノックされて、ミシェイラの侍女が顔をのぞかせた。

「ああ、やはりいらしてましたか」

侍女はジュノーにだっこされているミシェイラを見てほっとした顔をした。

「しばらくここにいるから」

「わかりました。ハザーク様の侍女らにも言っておきます」

「うん」

しばらくすると蛇のぬいぐるみを手にした侍女らが二人やってきた。そのあまりにうれしそうな顔に、ジュノーは苦笑してミシェイラを

渡したのだった。


その頃ハザークの塔ではナナミがやってきていた。長椅子にちょこんと座り、本を見ながら言葉を発している。

「グイー・・・テュイー・・・テェイルー・・・・」

「テェイルゥーだ」

横でハザークが発音を訂正するとナナミは同じように発音していた。古代語のお勉強なのだ。教師に教えてもらうよりもナナミは

ハザークに教えてもらいたかったのでここに来ていたのだった。ナナミとロイの勉強は別になっている。それはロイがさぼりまくって

いたためナナミと勉強のレベルに差がついていたためだ。

「ちょっと違うな」

「テェイルウー、テェイルゥー」

「いいぞ」

そういうとナナミはにこっと微笑んだ。

「古代語って難しいね」

「まあそうだなあ」

「パパはペラペラなんでしょう？」

「そうだったが、話してないと忘れるな。古い古代語になるとさっぱり覚えていない」

古代語はその一族独特の言語で、一族によって違う。そのため大昔には他の一族との意思の疎通はかなり困難だったようだ。通訳

のような者もいただろうが、ちょっとした行き違いで争いが起こったりする事もよくあった。

共通の言語があった方がいいな、と思ったのが神々の長アシュランだった。アシュランは知恵の神カサンドラに人間の言葉を作らせた。

各国が栄えて産業が興り、国の間を移動する商人達が出てきた頃からその言葉が爆発的に広まった。

それが一万３から４千年前のことである。

特にこの世界で一番大きな大陸ではその言語がよく使われるようになった。言語はいつの間にか共通の言語に移行し、元々あった難解な

言葉は廃れていったのである。


「侍女らと話して忘れないようにはしてるがな」

「やっぱり覚えた方がいいんだよね？」

「ザクートがそういうのならそうなんだろうな」

ハザーク自身、古代語には力が秘められている！と断言できるほど思っていたわけではなかった。古代語が完璧ならばとてつもない

力がみなぎるとかそういうことでもない。魔法というものの原点が古代語の中にあり、古代魔法を探るには古代語を知っておいた方がよい

ということなのだろう。一族の力の衰退の原因が言葉のせいだけとは思えない。これだけ人口が減れば、それも仕方のないことだ。


「がんばっておぼえようっと」

「そうか、がんばれ。時に・・・あの子元気か？」

ハザークは思いついたように聞いた。

「あの子？」

「ミがつく・・・」

「ミシェイラのこと？」

「ああ」

「元気よ」

「そうか」

ナナミはちょっと口を尖らせていた。ハザークはナナミがここに来る度に同じことを聞いていた。ナナミはそれでちょっとむっとしているのだ。

しかもハザークはミシェイラと全く会っていないわけでもない。昨日も会っている。それをナナミは知っていた。

ナナミがなぜか怒っていたので、ハザークは「別に名前を忘れてはいないぞ」と言い訳していた。

「我がつけたんだから忘れてない」

それならばミシェイラは、と聞けばよいものだが、どうやら照れ隠しらしい。

「パパって私の名前知ってる？」

ナナミは微妙に怒ったまま聞いた。

「知ってるぞ。ナナミだろ？」

「ならいいけどーパパ私のこと好き？」

「ああ、お前は我が愛し子だ」

「じゃあミシェイラは？」

「あっちも愛し子だから好きだ」

「じゃあどっちの方が好き？」

ハザークの表情が固まった。だがやがて言った。

「どっちも好きだ」

「本当？」

ナナミはじーと見ている。

「ああ」

「本当に？侍女さんらはミシェイラの方が好きみたいだけど・・・」

「我は別に・・・」

ハザークがそれとなく視線をそらせた。珍しくちょっとうろたえているようだ。

ナナミはぷんと横を向き、「さようなら」と言って消えた。子供というものは時々びっくりするほど鋭いものだ。

ハザークの心の動きをどうやら読み取ったらしい。ハザークとしてもナナミよりもミシェイラの方を愛してると断言できるほど

思っているわけではないのだが、自分の血が混じっているとなると、ちょっと話は別なのだろう。


なにさなにさ！とー様もパパもパパの侍女さんらもミシェイラの方がいいんだ・・・


ナナミはふくれっつらで自分の部屋にぱっと戻った。

ナナミはアナスターシャと一緒の部屋になったので、その部屋に移動したのだ。部屋には誰もいなかった。


妹なんて全然楽しくない！みんなミシェイラの方ばっかりかわいがって！

「バカー！！！」

叫ぶと同時に部屋の中にあった本や置物などが宙に浮いてぐるりと回った。

その時扉を開けてアナスターシャが部屋に入ってきた。宙を浮いていた便箋を押さえる蛇の置物がアナスターシャの身体にぶつかってきた。

「いたっ！何やってるの！？」

その声でナナミははっと力を抑えた。物が下に落下した。気づくと部屋の中は物が散乱して荒れていた。

「もー一体何やってるのよ！」

「ごめんなさい」

ナナミはしょぼくれた顔で謝りつつ本を拾って本棚に納めた。

「どうしたの？」

アナスターシャも同じように物を拾いながら聞いた。ロイならともかくナナミがこんな事をするとは珍しい。

「ねーは私とミシェイラどっちが好き？」

ナナミは手を動かしつつアナスターシャを見つめた。

「別にどっちも好きだよ」

「ミシェイラの方をかわいく思ってない？」

「別にい。あっちはまだ赤ちゃんじゃない」

「パパがひどいんだよ。一緒にいてもミシェイラのこと気にするんだもん」

「ふーん」

「ミシェイラいるとすっごくうれしそうだし」

「まあいいじゃない」

「よくない！」

アナスターシャは元々ハザークにかわいがられていないので、ハザークがミシェイラをかわいがっていても別になんとも思っていなかった。

「ナナミはそんなにハザーク様のこと好きなの？」

「好き！」

ナナミは即効で答えた。

「そんじゃ将来結婚すればいいじゃない」

「結婚？」

ナナミは金色の瞳で瞬いた。

「ミシェイラはハザーク様と結婚できないけどナナミだったらできるよ」

アナスターシャは深く考えずに言った。

「え？ほんと？なんでミシェイラはだめでナナミならいいの？」

「なんででもそうなの」

「ふーん、そうなんだ。パパに聞いてこよう！」

ナナミはぱっと消えてしまった。

「あっちょっと！」

アナスターシャは散らかった部屋を見てため息をつき、侍女らを呼びに行った。



夕食の時間、ゆりはナナミがやけにうきうきしているのに気づいて聞いた。

「どうしたの？何かいいことでもあったの？」

「うん。あのね、私ね、大きくなったらパパと結婚するの！」

ナナミはうれしそうに言った。

「へーそう。よかったわね」

シャナーンの次はハザークと夫婦ごっこを始める気らしいとゆりは思い、お酒のグラスを手に取った。

ナナミはうれしそうな顔で続けた。

「パパがね、まーが老婆になったら結婚してもいいって！だから早く老婆になってね！」

「ぶっ！」

ゆりは思わず飲んでいたお酒を噴出していた。

「老婆！？」

テーブルの真ん中あたりのテーブルクロスは紫色の染みがついていた。

「ぷ・・・・」

「ぷぷ・・・」

子供らは笑うのを堪えていたが、堪えきれてなかった。

「ローバって何？」

ロイが聞いていた。

「ねえ、ラギにーローバって何？」

「老婆ってのは・・・」

「説明せんでよろしい！」

ゆりがぴしゃっと遮り、ラギはびくっと肩を震わせた。ゆりは眉間に皺を寄せて顔を強張らせたまま部屋を出て行った。

「ねえ、まーは何歳くらいになったら老婆になるの？」

ナナミが無邪気に聞き、姉と兄は返答に困っていたのだった。


食堂から出たゆりはすたすた歩いていき、ハザークの塔までやってきていた。

「ハザーク様なんてだいっっっっっ嫌い！！」

ゆりはハザークの部屋に入るなりハザークにそう言い放ち、そのまま回れ右して部屋を出て行った。

その時ハザークはお茶を飲んでいた。お茶のカップを持ったままハザークは固まっていた。

「ハザーク様何をされたんですか？」

側にいた侍女が聞いた。

「いや何も？」

ハザークは考えてみたが分からなかった。


「お母さんったら、ハザーク様は冗談で言っただけだよ」

ゆりが自分の部屋に帰るとラギがいた。

「いや、全然冗談には聞こえない。私が老婆になったらなんて現実的な話じゃない！」

「大丈夫だよ。お母さんなら老婆になってもかわいいよ。モテモテだよ」

「うるさい！」

ラギはゆりの剣幕にすごすごと退散して行った。


何が老婆になったらよ！ぷんだ！



夜中、ラクシュミが寝室に行くとゆりはまだ起きていた。今日はミシェイラはいなかった。

「ミシェイラは？」

「今日はね、侍女さんらと寝てねって言い聞かせたの。そうしたらわかってくれたみたい」

ゆりはにこやかな顔で告げた。

「ふーん？」

ラクシュミがベッドにあがるとゆりはにじりより、ラクシュミにべったり引っ付いた。ゆりはスケスケでセクシーな寝間着を着ていたので

ラクシュミは見て見ぬ振りをした。

「久しぶりに二人きりね。王様」

「そうだなあ・・・」

「今日は満月よ。王様」

「・・・お前はほんと元気だな。うらやましいくらいだ」

妊娠して一年にもならないうちにその気になる女性は蛇の一族ではあまりいない。というよりもゆりくらいだ。

「さすがガーベラになるだけあるぞ」

「じゃあ今夜はたっぷりと」

「一回だけならな」

ラクシュミはすぐに釘をさした。

「一回でもいい」

ゆりはぱっと服を脱いでラクシュミに引っ付いた。

「ねえ王様私まだまだ若いよね？」

ゆりは伺うように聞いた。

「ああ、若いぞ」

ラクシュミがそういうとゆりはにっこり笑い、ラクシュミに抱きついた。

まあいいか、と思いラクシュミはゆりを抱いた。神様のザクロのおかげか、ゆりの身体はなんら出産前と変わることもなく、ゆりは久々に

夫との交わりを楽しんだのだった。

「ねえ王様、私がおばあちゃんになっても愛してくれるよね？」

ゆりは上気した頬で聞いた。

「え？おばあちゃん？」

「若い女の子に入れあげたりしないよね？」

「その頃には・・・私はそんな体力ないかもな」

ラクシュミは美しい顔であっさり言った。

「情けないこと言っちゃいや」

ゆりはラクシュミの手を軽くつねった。

「真面目な話そうだろう。というよりもお前そんな年になってもやる気なのか？」

「うん」

ゆりが真面目な顔でうなずいたのでラクシュミは何も言えなかった。


他の女に手を出すと、なんだかとてつもなくひどいしっぺ返しをされそうな気がする・・・


ラクシュミは真面目にそう思っていた。

ゆりを恐れるあまり他の女に手を出さなかったというわけでもないが、ゆりのおかげで自分は幸せになれたし、最高の美女神ガーベラ

を抱く事もできたので、他の女に対する欲というものをラクシュミはもっていなかった。死ぬまでゆり一人でも全くかまわない。

心の平穏が破られることの方が嫌なのだ。


快楽の余韻に浸っているとゆりの左目がぱっと変わった。

「わたしもー」

こちらのゆりもラクシュミに引っ付き、ラクシュミは仕方なく二戦目に挑んだのだった。



次の日、ラギがハザークの部屋を訪れていた。

「お母さんカンカンでしたよ。だめですよ。老婆なんて言葉使ったら」

「ん？老婆？」

ハザークは瞬いた。

「ナナミに言ったでしょう。おかあさんが老婆になったら結婚してもいいって」

「ああ、それで怒っていたのか。別に本気で言ったわけじゃないぞ。王妃が老婆になったら考えてもいいかなーと軽く言っただけだぞ」

「本気にしてましたよ」

「そうなのか？うーんそりゃ困ったな。まあもう一人の王妃なら言えば分かるだろう。ちょっと呼んできてくれ」

「はあ・・・」



しばらくして蛇の目のゆりがやってきた。

こちらのゆりもなんだかむくれている。

「王妃、あれはただの冗談だ。王妃は後200年くらいは老婆にならないぞ。200年も経ってればあの子の気持ちも変わってるだろう」

ハザークの真面目な言葉にゆりの頬はぷるぷる震えていた。

「ハザーク様なんてだいっきらい！」

ゆりはそう言い放ってぱっと消えてしまった。

ハザークは目を見開いたまま固まっていた。

「はて？何が悪かったんだろう？？？」

ハザークにはゆりが怒ったわけがさっぱりわかっていなかった。


こうしてどちらのゆりもしばらくハザークの部屋を訪れることはなく、寂しくなったハザークは仕方なく子供らにとりなしを頼んだものの

ゆりはぷんと膨れたままだった。一月ほど経った頃、ミルキダスがハザークの部屋に呼ばれていた。ミルキダスはハザークにゆりとの

とりなしを頼まれたのだが、そういうことはもっともミルキダスの苦手とするところだった。困ったミルキダスはヴィラに相談し、

ヴィラがゆりを説得してようやくゆりとハザークの仲は収まったのだった。

だがまだどこかむっとしている部分があるのか、ハザークが誘っても蛇の目のゆりでさえベッドに行くことはしばらくなかったのであった。


すすむ


戻る