第9話
空にかかる小さな虹を目指して飛んでいくと、やがて白い翼が生えた二人の神の姿が見えてきた。
「ラーズ！サーラ〜！」ゆりが思いっきり名を呼びながら手を振っていると、その二人はこちらに気づいて近づいてきた。
派手な7色の髪の虹の神ラーズと、ガーベラとラーズの子供サーラだ。
「おや、珍しい物つけてるな」
とラーズがゆりの足元を見て言った。ここは神の国、ゆりは今ガーベラの身体の中に入っている。普段のガーベラは空を飛ぶことはできない
のだが、今女神は空をふわふわ飛んでいる。
「似合う〜？」
ゆりは宙に浮いたままくるりと回った。足には白い小さな翼の付いたサンダルを履いていた。これは空が飛べるサンダルなのだ。
「かわいいね」
と小さな女神サーラがゆりの腕に腕を回して言ってくれた。3人とも宙に浮いているのでラーズは翼をばさばさ動かしたままだ。サーラは
ゆりの腕にくっついているので翼はそのまま止まっている。
「かわいい！」
とサーラが言った。
「そう？ありがとう」
「どうしたんだ？」
「ちょっと借りたの」
「グレンにか？」
「そうよ」
眠りに落ちて気づいたらゆりは空の神殿にいた。神殿をうろうろ見学していたら伝令神グレンに出くわしたので、ゆりは「ちょっとだけ
サンダル貸してくれないかな〜？」と頼んでみたのだった。グレンは相変わらず神経質そうな目をした一見近寄りがたい男なのだが、
ガーベラに入ったゆりはなにせ超美女。怖い物などない。グレンは「少しならいいですよ」と快く貸してくれたのでゆりは空の神殿の外の
雲の上をふわふわ飛び回っていた。すると虹が見えたので、もしやラーズがいるのかな？と思いやってきてみたというわけだ。
真っ青な空には時折妖精らしき者達の姿も見えるし、綺麗な鳥も飛んでいる。ペガサスには出くわさないように、とゆりはそれだけを
気をつけていた。ハロルドでも乗っていようものなら何やってんだと怒られそうだ。
「空を飛ぶって気持ちいいねー」
真っ青な空を飛んでいると気分爽快になってくる。そういえば前に飛んじゃったなあ・・・とミシェイラに飛ばされたことを思い出して
しまった。あの時はいきなりだったので空の散歩を楽しむことなんでできはしなかった。
しかもあの時はえらいスピードで飛ばされたし
「ガーベラ、ガーベラ」
サーラが言っていた。
「名前呼べるようになったのね。他の子みたいにお母さんって言わないんだ」
「ラーズ、クーリープン」
「クーリープン、じゃなくてクーリーフンよ」
「クーリープン、クーリープン、ハロルロ、アリアリ」
「アリアリって・・・・ぷっ」
ゆりは思わず笑ってしまった。アリアリとはアリアスのことだろうか。
「サーラってほんとかわいいわね」
その時びゅっと下から風が巻き起こり、顔に何かがぱさっとかかった。突然の事にゆりは身動きもできなかったのだが、やがて
ひらひらと顔から下に落ちていったのは、自分のスカートだった。
あれ？何が起こったんだろう？
目の前にいるラーズと目があった。ラーズは目を真ん丸くしている。
あれ？スカートが上に上がったということは・・・・
「もしかして見えた？」
そう聞くとラーズはうなずいた。他の女神は知らないが、ガーベラは下着はつけていない。ゆりは恥ずかしさのあまり顔から火が出そう
だった。
「なっなんで突然風が！？」
「ガーベラ、今日もかわいいおしりだったよ〜」
後ろから子供の明るい声が聞こえてゆりはきっと振り向いた。やはりそこには、悪がきパティウスがいるではないか。
「今のあんた！？待ちなさい！このクソガキー！！！」
「へへ〜ん♪」
「待てー！」
ゆりは怒りのあまりパティウスを追いかけた。サーラはゆりから離れてラーズの元に飛んで行った。
「くそがきー！！！」
ゆりの絶叫を聞いたサーラは、「くそがきー」と復唱していた。
「くそがきーくそがきーラーズくそがきー」
「パティウスがくそがきなだけで私は違うんだぞ」
ラーズは落ち着いた声で訂正していた。
「ガーベラくそがきー」
「それも違うなあ・・・」
困ったものだと思いつつラーズはサーラを連れて飛んでいった。サーラはまだまだ言葉の意味はよくわかっていないようだ。
ゆりはパティウスを追いかけて行ったのだが、飛行初心者のゆりには猛スピードで逃げるパティウスを捕まえる事はできずに、
苦い表情で空の神殿に戻って行った。神殿の外の横手にグレンが待っていた。
「遅れてごめんねー」
ゆりは雲の上に下りてサンダルを脱いだ。グレンがゆりのサンダルを渡してくれた。ゆりはそれに履き替えた。
「パティウスってほんと会うたびにろくなことしないね。さっき私のスカートめくったのよ！」
「そうですか・・・相変わらず困ったもので・・・」
「全く腹が立つったら！」
グレンは翼のついたサンダルを履いて立ち上がった。
あ、そうだ、グレンにこの前変な事言われたんだよね。『歌が下手なガーベラ様って・・・』なんだか私のことちょっと気づいてる
感じだったのよね・・・
その事を思い出しじーとグレンの顔を見ているとグレンが「何ですか？」と聞いてきた。その顔には何かを怪しんでいる気配はない。
「あ、あれ何？」
ゆりが右の方を指さして、グレンは何も疑わずにそちらに顔を向けた。ゆりはさっと近づいてグレンの頬にちゅっと口付けたのだった。
こちらに顔を向けたグレンは、どう反応したらいいやらわからないといった表情だった。
「今の御礼、ありがとうね〜」
ゆりはにこやかに言って去って行った。グレンはぽかんと口を開けていた。彼にすれば、こんな間が抜けた顔は珍しい。
ふふふ、あれだけすれば何も言わないに違いない・・・・
ゆりは勝手にそう思い込んでいた。
さて、どうしようかな。もうそろそろ時間かもなあ・・・
ゆりは神殿の表側に来ていた。地上に降りずに神殿の中にいようかな、と思っていると、大きな馬車が雲の上に降り立った。
二頭のペガサスが牽いていたのは大きめの馬車で、4人の女性がそこから降りて神殿の方に向かっていった。
皆それほどキンキラキンではないので妖精なのだろう。ゆりはその中の一人に目を留めた。
あれ？どこかで見たかな？
妙な感覚を感じたがわからなかった。長いストレートの金髪の女性だ。その顔に見覚えがあるような気がしたのだがわからない。
顔も個性的というわけでもなかった。妖精ではよくある、整った美人顔だ。
まあいろんな妖精さんに会ったしなあ・・・・
ゆりは気に留めず、馬車を牽いていた綺麗なペガサスをなでなでしにいった。
そんな感じで神の国から帰ってきたゆりだったが、目覚めるとラクシュミはベッドに座っていた。ベッドの真ん中ではミシェイラが
大の字で眠っている。カーテンの間からは陽の光が差し込んでいた。
「おはよう、王様」
ゆりは目をこすりながら言った。
「おはよう。ゆり、あのな、ミッケルが亡くなってしまった」
ラクシュミはゆりに顔を向けて言った。
ミッケル？
「ミッケル、ミッケル・・・誰だっけ？」
起きてすぐなのでゆりの頭はさっぱり働いていなかった。
「庭園の神の像を頼んでいたミッケルだ」
「ああ、ええ？亡くなった！？」
「ああ、一月ほど前に亡くなったんだと、昨日知らせが来たんだ」
「ええー！」
ゆりはびっくりして起き上がった。
ミッケルは神の像を作らせたらこの世界で右に出るほどはいない、というほどの芸術家だった。自分の技を磨く事に熱心だったミッケルは、
なんと神の国に呼ばれてそこで技の神ジェラルドの元で修行したという稀な体験をした男だった。庭園の神の像を作り変える時、せっかくだから
とミッケルに頼んだのだが、さすがに注文が殺到しており、10年ほど待たねば無理だという事だった。そのミッケルは数年前に蛇の国に
ちょっとやってきた事があり、ゆりも顔は知っている。人が良さそうなおじいちゃんだった。
「ミッケルさん、なんで亡くなったの？」
「病気らしい。まああれで結構な年だったようだからなあ、聖地の工房から知らせが来たんだ。二番目の芸術家に頼むかどうするかと。その
二番目もさらに何年か待たねばならないようだし・・・どうする？この際、この国の石屋に彫らせるか？それならすぐだが」
「石屋？一気にランクが下がるなあ」
ゆりは不服げだった。神様の像はアシュラン像ならたいていどこの町にも大なり小なり一体は置いてある。この蛇の国でも石像を彫る者も
もちろんいる。だが、芸術的センスはやはりかなり落ちるのだ。
「今ある石像は聖地の工房の職人が作ったものなんだぞ。まああのままでもいいし、お前が好きに決めたらいい」
「うーん・・・・」
「石像といえばロイがライオネルの像を置いてくれとうるさいんだがなあ・・・」
ラクシュミはぶつぶつ言いながらベッドから降りて寝室を出て行った。
「ミッケルさん死んじゃったのかあ・・・」
ゆりはぽつりとつぶやいた。脳裏に鷲鼻で丸い眼鏡をかけた優しそうな初老の男の顔が浮かんでいた。そして同時に奥方の顔も浮かんだ。
「あ！あの奥さん・・・・」
ミッケルの奥方は貫禄のある体格をした女性だった。だがその正体は、神の国にいる時にミッケルのことが気に入って人間界に降りた
妖精だった。
ミッケルさんが亡くなってしまったのだから奥さんは神の国に帰ったに違いない。そういえば空の神殿で気になった妖精は・・・
あの時の奥さんだったような気がするなあ・・・・
ゆりはその事に気づいたのだった。確信はもてないが、9割方そうに違いない。
かわいそうな奥さん・・・悲しかったろうなあ・・・
しんみりしてしまい、ゆりは思わず涙を流していた。
もし王様が先に亡くなってしまったら・・・・
そう考えたらとてつもなく悲しい。
服を引っ張られて横を見ると、ミシェイラが目を覚ましていた。
「あー」
「ごめんごめん。なんでもないよ」
ゆりは涙をぬぐってミシェイラを抱き上げた。
きっと奥さんは後悔していないに違いない。あの時とっても幸せそうだったもの。あんまり落ち込んでいないといいんだけど・・・・
「まあいいか、石像はあのまんまでも。その内また考えよう」
ミッケルに彫ってもらうと思い込んでいたため、他の人に彫ってもらうというのもなんだか気が乗らない。
結局庭園の石像はあのまんまということになったのだった。
一方神の国では、ガーベラが雲の神殿で目覚めた所だった。はっと目覚めると場所は女神達が過ごすサロンだった。ゆりが来る前と
ちっとも場所が移動していないが、その時話していた女神達はテーブルから姿を消していた。
あらら、どこにも行かなかったのかしら？最近恋人達といちゃいちゃがないからつまんないわねー
ガーベラはそんな事を思いつつサロンを出て行った。ゆりが男達と仲良くするのも一種の愛の刺激だと考えているのだから困ったものだ。
ガーベラがもし人間だったならば、恋人を他の女性となどと考えることはなかっただろう。不老不死の身ならば、どうしても恋人達との関係も
マンネリ化してしまうものだ。刺激が欲しいといっても、ダーナの恋人アリアスのように他の女性に浮気されるよりも、ゆりが自分の身体に入って
何かある方がいいと思っていたのだった。
廊下には赤い光が差し込んでいた。どうやら夕暮れ時のようだ。
神殿に帰ろうかな、それとも誰かの所に行こうかな？と考えながら神殿の大きな出入り口まで来ると、神殿から出てくる女の妖精達と出くわした。
妖精達は皆ガーベラに頭を下げた。
「あら？ルシェルじゃない、帰ってきたのね」
ガーベラはその中の一人に目を留めた。ルシェルと呼ばれた妖精は「はい」と返事をした。腰くらいまでの金色のストレートの髪の妖精だった。
すらりとした体型で、派手ではなく、ひっそりと咲く野花のような妖精である。
「ということは彼は亡くなってしまったのね・・・」
「はい、ついこの間に・・・」
ルシェルは寂しげに微笑んだ。この妖精こそが、ミッケルに寄り添っていた奥方だったのだ。.
人間の男を追いかけて人間界に降りた妖精の話はガーベラも知っていた。
ミッケルは美男子という外見ではない。背もさほど高くもないのだが、ルシェルはミッケルの芸術に対するひたむきさに心惹かれたのだ。
アシュランはルシェルの人間として暮らしたいという思いを受け入れたのだが、その際ある条件を出した。
そのままの綺麗な姿ではなく、中年のどっしりした体格の女性へと姿を変えたのだ。
「もし男がお前を愛さなくても、男が死ぬまではお前は神の国には帰れないぞ」アシュランの言葉にルシェルは了承し、
人間の世界へと降りて行った。
美しい外見ではなかったが、ルシェルの想いはかない、ミッケルと夫婦となり、地上でしばらく過ごすことができたのだった。
ガーベラもルシェルの恋が上手く行くように、と当時は願っていた。
「そう・・・残念だったわね」
相手が人間ならば、いつかは死に別れる運命にある。ガーベラの表情も少し悲しげだった。
「ですが幸せでした。結婚する事もできましたから。人間になって全然後悔していません。悲しいですが、あの人との思い出は大切な宝物
のように思っていますから」
「そう。そうね。あなた前よりも綺麗になったみたい。これからもがんばって」
「はい」
彼が亡くなった時にはきっと泣いただろうに、妖精は気丈にも微笑んで去って行った。
空を飛んで行く馬車を、ガーベラは見送った。
彼がいなくなっても愛が無くなるわけではないのね
夕焼け空の中雲の上でぼんやり立っていたら、「ガーベラ様」とぶっきらぼうに名前を呼ばれてガーベラは振り向いた。
後ろからグレンが近づいてきた。
「何か用？」
「・・・・」
グレンは微妙に眉の両端をつりあげて、なんだかむっとしていた。
「何よ」
同時にガーベラもむっとしている。
「なんでもないです」
グレンは横を向いて飛んで行った。
なんなのよ、一体・・・
今のガーベラはグレンの頬にちゅっとキスしたことはさっぱり覚えてなさそうだったので、グレンはそれが癪に障ったのだった。
人間の男に恋をして地上に降りた妖精は、男の死により神の国に帰ってきたのだが、その話にはとんだ後日談があった。
人間の男ミッケルは、なんと死後妖精になりこの神の国にいたのである。ルシェルもガーベラもその事は知らなかった。
人間が妖精になる、ということはたまにあることで、アシュランだけができる事だった。アシュランはミッケルの芸術的センスと技を認めて
妖精にならないかと打診したのだ。神の国で好きなだけ芸術品を作らせてやろうと。
ミッケルはありがたいことだとそれを受け入れた。こうして今度は妖精となり、ミッケルはジェラルド工房で他の妖精達と共に
家具や彫刻などを作ることになったのだった。
ミッケルが神の国に来た頃、奥方であった妖精は、ミッケルの亡骸を火葬にして西の聖域まで灰を持ち帰っていた。そして全ての手続きを
済ませてから神の国に戻っていた。まさか夫が妖精に転じているなど夢にも思ってはいない。そしてミッケルも、まさか妻が妖精だったなど
思ってもいなかったのである。
陽がくれかかる頃、薄暗い工房の中、ミッケルは一人椅子に腰を下ろして座っていた。中には作りかけの家具や、楽器などが所せましと
並べられている。他の妖精達はすでに仕事を終えていた。
ミッケルは亡くなった時の姿ではなく、かなり若返っていた。髪も真っ黒だし顔の皺もなくなっている。かつて神の国に修行に来た時のまま
だった。そのミッケルに近づく姿があった。口ひげを生やした小太りの男、技の神ジェラルドだった。
「それは何の像だね？」
声をかけられてミッケルはジェラルドに気づいた。ミッケルは小さな木像を手に持っていたのだった。
「はあ・・・これは・・・」
躊躇しているとジェラルドがその木像を強引に手に取ってしげしげと眺めた。
女神の像ではなかった。ちょっと太めの女性だ。
「私の妻でして・・・」
仕方なくミッケルは説明した。
「そうか、君の奥方はこういう人だったのかね」
「はあ・・・」
「幸せそうな女性だね」
そう言ってジェラルドはミッケルに木像を返した。木像の女性はまさに幸せそうに笑っていたのでそう言ったのだ。
「料理は上手かったかね？」
「料理ですか・・・まあ最初は惨憺たる有様でしたが慣れればなんとかましになってましたかね」
ミッケルが苦笑ぎみに言い、ジェラルドははははと笑っていた。
「奥さんの事が気になるかね」
「はい、それは・・・」
「あなたの世話がしたいから置いてほしい」一方的にやってきて強引に自分の世話を始めたものの、その家庭的そうな外見とは裏腹にさっぱり
何もできない女性だった。最初に食べた料理のまずさには思わず何の嫌がらせだろうと思ったものだ。聞けば料理も洗濯も掃除も、
まるでやったことがないという。それで世話がしたいもないものだ。頼むから帰ってくれというと、「行く所がないんです」そう言われた。
「あなたの石像を見て感動したんです。是非置いてくださいまし。お願いします。この通り！」そう拝まれて最初は仕方なく置いていたのだが、
その内に料理も上手くなり、かいがいしく世話をされる内に情がわいたというわけだった。そうなるまでは五年の歳月を要したのだが。
夫婦となって100年ほど、その間二人で様々な国を回ったものだ。ある日風邪を引いてしまった。無理に作業を続けたのがいけなかった。
他の病気を併発してしまったようだ。ベッドの傍らで、妻は泣き叫んでいた。そうして亡くなり、気づいたら目の前にアシュランがいたという
わけだった。
私がいなくなった後妻はどうなったか・・・一人ぼっちになってしまったものなあ・・・
二人には子供はいない。生活に困ることはないと思うが、寂しい生活を送ることになってしまうだろう。
「今日はそろそろ休んだらいい」
ジェラルドがそういうとミッケルはうなずいた。
「では失礼します」
ミッケルの姿はすっと消えて、椅子の上に木像が残されていた。神はベッドで休むのだが、たいていの妖精は休む時は姿が消える。そして
あくる朝になると再び現れる。神がかわいがっている特定の妖精などはベッドで休む事もあるのだが、大体の妖精はそうだった。
「うーん、どうしたものかな・・・」
ジェラルドは木像を眺めつつ口ひげをなでていた。
アシュランはルシェルが神の国に戻ってから、すぐ懐かしがってジェラルドの工房を見に行くだろうと思っていた。
「すぐ感動の再会だぞ。ははは」
ジェラルドもそうなると思っていた。
だが、ルシェルは工房に行かなかった。だから二人はいまだ出会ってはいないのだ。
周りの者は皆アシュランに口止めされているからミッケルに言うこともできなかった。
あれから10日ほど経っている。
「うーむ・・・・」
アシュラン様のお言葉には逆らえないのだが・・・・
翌朝、妖精達が湖で水浴していると、湖のほとりに一頭のユニコーンが近づいてきた。水を飲みにきたのだろう、そう妖精達は
思っていたが、ユニコーンは口に何かをくわえていた。それに気づいた一人の妖精が何をくわえているのかとユニコーンに近づいた。
口にそっと手をあててそれをはずすと、ユニコーンはたったと走って行ってしまった。
「何くわえていたの？」
他の妖精が聞いた。
「面白い木像だわ。うーん、誰かしら。神じゃないわねえ」
女の妖精は木像を上にかかげてしげしげと眺めた。小さな木像なのだが、一人の女性だということはよくわかる。だが体格の良い女性で
女神の像ではない。
「体格も面白いわ」
「どれどれ」
他の妖精達が集まってきた。皆首をかしげつつ木像を眺めている。
近くにはルシェルもいたのだが、水の中にいてその輪には加わっていなかった。
「どう見ても人間よね。これ」
「そうね、人間よ。なぜユニコーンが持っていたのかしら？」
「もしかしたら有名な人間なのかもよ」
「ねえルシェルも見て御覧なさいよ」
「最近まで人間界にいたんだから知ってる人間かもよ？」
その声にルシェルは大きな布で身体を巻いて湖から上がっていった。
「この女性人間で有名なんじゃないの？」
木像を見たルシェルの目が驚愕のあまり見開かれた。その姿は、人間であった時の自分ではないか。ルシェルはばっと木像を奪い取った。
「これ・・・・どうしたの？」
「ユニコーンがくわえていたのよ」
「どうして！？なんで！？」
「さあ？？？」
「まさか・・・・」
ルシェルは服も着ないまま走って行ってしまった。
どうしてこれがここに？まさか・・・・まさか・・・
ルシェルは近くにいた白馬を呼んでそれにまたがり、一直線にジェラルドの神殿めがけて走って行った。
「どうか・・・・想像するままでありますように！」
一方工房にいたミッケルは、朝来ると妻の木像が消えていたが、たいして気に留めなかった。
テーブルに彫刻をほどこしていると、工房の中がざわめいてきた。ミッケルが顔を向けると工房の入り口に一人の妖精が立っていた。
その妖精は大きな布を身体に巻きつけたまま、なぜか泣いていた。しかも自分を見つめている。
「？」
妖精はよろめくようにミッケルに近づいてきた。
「旦那様・・・・」
「は？」
「旦那様ー！！」
妖精はだっと走りよってきてミッケルに飛びついた。その瞬間大きな布がひらりと外れて妖精は真っ裸になっていた。
「うわっ！」
「旦那様ー！！！」
抱きつかれた衝撃でミッケルの丸眼鏡はずれていた。
「おー！！！おめでとう！」
「やったー！」
というような仲間達の声が聞こえてきた。
なんだなんだ？何事だ？
ミッケルはパニックになっていた。なぜ裸の妖精に抱きつれているのかさっぱりわけがわからない。
「旦那様！旦那様！」
妖精はミッケルを抱きしめたまま額にちゅっちゅとキスしていた。女性の方が背が高いので上からキスの雨が降っているかのようだ。
「あ、あなたは一体・・・」
ミッケルはどぎまぎしつつようやく聞いた。
「私ですう、ルシェルですう。旦那様！」
「ルシェル？はああああ？」
ルシェルというのは自分の妻の名前だった。体格に似合わずかわいらしい名前だったのだ。
「まさか妖精になられていたなんて！」
「？？？？」
ミッケルは妖精に泣きながらキスされまくっていた。
仲間達は気をきかせて出て行った。工房の入り口ではジェラルドも微笑ましくその様子を眺めていた。ユニコーンに木像をくわえさせたのは
やはりジェラルドだったのだ。それくらいならアシュラン様の言葉に逆らったことにはならないだろうと思ったのだ。
「あーよかったですね。いつ来るかと待ちわびましたよ」
「全くですよ」
「今日は二人の再会を祝って宴会といこうじゃないか。二人抜きでな」
ジェラルドがいい、妖精達は笑いながら工房を後にした。
工房の中では、首をひねっているミッケルに布を巻きつけたルシェルが懸命に説明していた。ミッケルが納得するまで時間がかかるかも
しれないが、いくらかかってもかまいはしないだろう。これから二人の時は、たっぷりとあるのだから。
「そうか、ようやく会ったのか、思ったよりも時間がかかったな」
空の神殿ではジェラルドに報告を受けたアシュランがにやりと笑っていた。
「それでどうだ？私のことを称えていただろう？」
「はい、さすがアシュラン様は偉大なお方だと言っておりましたよ」
とジェラルドは言った。二人の会話にアシュランのアの字も出ていなかったが、まあ心の内では感謝しているに違いない。
アシュランは「そうだろうそうだろう」とうなずいていた。
「ミッケルの作ったアシュラン像はなかなかだったからな、あの才能をなくすのは惜しいからな」
「そうですね。わしがアシュラン様の像を作るといつも動いてしまいますからなあ・・・」
人間界では西の聖地にジェラルドが彫ったアシュラン像が何体かあるのだが、その像は時々台座から移動して散歩するという
やっかいなものだった。
他の神の像はおとなしく台座に立っているのに、なぜかアシュラン像だけ動くのだ。聖地の不思議といえばまずそれが最初に言われる
ほどだ。
「石像だって一つの所にいるのは退屈だろうからな。まあ新しい恋人達に乾杯といこう」
「私はもうすでにしこたま飲んできましたので・・・」
ジェラルドの顔は真っ赤だった。
「誰もお前と飲むとは言ってない。おーい、誰か、そこらにいる女神達を呼んでこい」
アシュランは後ろのカーテンの方に向かって叫んでいた。その裏には使用人達が控えているのだ。こうして空の神殿でも宴会が催される
ことになったのだった。
やがて、ルシェルの話はガーベラの耳にも届いた。ガーベラは新しい恋人達を祝福し、その後神の国にやってきたゆりも
自分のことのように喜んだのだった。
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