第15章
神の世界、炎が灯る夜の神殿に黒衣の訪問者があった。夜の神オルガである。闇にまぎれる黒く長い髪に、闇のような衣を身にまとったオルガの
口元は、ちょっと緩んでいた。その顔を見るなり部屋でお酒を飲んでいたサラディンの瞳が細まった。
「聞いたぞ。ガーベラと別れたそうじゃないか」
やはりその話題かとサラディンは一度ため息をついた。そしてテーブルの上のお酒を空いている杯に注ぎ、向かい側に置いた。
「まあどうだ、一杯」
「ああ」
オルガが椅子に座ってよく見ると、杯からはメラメラと青白い炎があがっていた。サラディンの杯にも同じように火がついている。
だがサラディンは唇に火があたっても平気のようだ。平気で杯を傾けていた。
「ぐっと飲め」
とサラディンがオルガに言った。
「飲めるわけないだろう。なんだこれは冗談なのか？それとも真面目なのか？」
「さあなあ」
杯からぱっと火は消えた。だがオルガは燃えたお酒を飲む気にはとうていなれなかった。
「お前がこんな冗談をするようになったとは・・・ガーベラの影響だな」
サラディンの頬が引きつった。
「まあいい傾向だ。今まではまるっきり面白みのない男だったからな」
「悪かったな、面白みのない男で。ところで私は別にガーベラと別れたわけではない。しばらく男女の仲をひかえようといっただけだ」
「それって別れたってことじゃないのか？」
「違うぞ。会って話をするのは別にどうということはない」
「人間的に言うとお友達ってことか？」
「お友達？さあ・・・・お前だってあの姿を見ると考えてしまうかもしれんぞ。ライオネルの背中に抱きついて右に左にぐるぐる回ってるガーベラの姿は
なんというか・・・とうてい女神とは思えない姿でー」
「言うな。想像してしまうじゃないか」
オルガはサラディンの言葉を遮った。ガーベラの恋人達は皆その事については知っている。その場面を見てみたかった派と見たくなかった派、
どっちでもいい派に別れている。見たかった派はラーズとサントス、ラクアの３人、見たくなかった派はオルガ、どっちでもいい派はジンラだ。
「右に左にぐるぐると」
「止めろというに」
オルガは両手で耳を覆っていた。
「とにかくちょっと興ざめしてしまったのだ。ガーベラが嫌いになったわけではないが」
「そうか。まあ私としてはどうでもいいことだが」
「じゃあなんで聞きに来たんだ？」
サラディンはちょっと目を見開いて聞いた。てっきり仲を取り持つために来たと思ったようだ。
「暇だったから」
「・・・・・」
「冗談だ。さっきのお返しだ。お前は真面目な男だから後悔して悩んでいるのかもと思ってきただけだ」
「悩みといえば・・・ルティアナには『そんな事くらいで別れるなんてひどい！』といわれたな。娘にあんな事言われると少々悩む」
ルティアナはガーベラのことをかなり好いているので今回の事はかなりショックだったようだ。
「まあいいじゃないか。しばらく一万年ほど距離を置くのも」
「一万年も距離置く気はないが・・・実は別れさせたいのか？」
言葉からはそういうニュアンスが伺えた。
「別に」
「・・・右に左にぐるぐると」
「やめろ！もう行く。お前絶対性格変わったぞ」
オルガはさっさと神殿を出て行き、夜の散歩に戻って行った。
「・・・・」
やっぱり暇だったから来ただけだな・・・
サラディンはしばらく目を閉じていた。そして杯を見つめてふと思った。
確かに私があんないたずらをするとは・・・ガーベラのせいで性格変わったかも？
そういえば妖精達からも『サラディン様は前とかなり変わられましたね』と言われるな・・・・
サラディン自身そういう自覚はなかったのだが、よく考えると思い当たる節もある。
湯浴みをしている時もついつい変な歌を鼻歌で歌ってしまいはっとする。なんだか変なフレーズがすっかり脳裏に焼きついているのだ。
このままガーベラと付き合っていたらもっと変わってしまうのだろうか？
それも怖いな、と思ったサラディンだった。
暦は７の月に入っていた。陽気な昼下がり、ゆりはラクシュミに呼ばれて休憩室に向かった。今日は爽やかな薄紫色のドレスでレース状の
大きな袖がひらひらゆれていた。部屋に入るとラクシュミは長椅子に、ミカエルは手前側の椅子に座っていた。
テーブルの上にはお酒の瓶と杯、チーズや生ハムの盛り合わせの皿とぶどうが置かれている皿が置いてあった。
「王様何か御用？」
「ああ、ちょっと座れ」
「はーい」
ゆりはミカエルの横の椅子に座るなりぶどうに手を伸ばし口に入れていた。ぶどうはこの時期はまだ出始めだ。そんなに甘くもなかった。
「そのドレスに会ってますよ」
とミカエルがゆりの姿を眺めて言った。
「どうもありがとう」
「一つ言えば胸元はもっと開いていた方がいいと思いますが・・・」
ゆりはあまり胸の谷間が見えるドレスは着ない。今日も鎖骨の下あたりまで布で覆われている。
「これでいいの。ぶどうまだちょっとすっぱいね」
「私はこっちの方が好きだが」
とラクシュミ。
「王様は甘いの嫌いだもんね。それで何のお話？」
ゆりはテーブルの上のおしぼりで手を拭いた。
「セリアあれからきました？」
と聞いたのはミカエルだった。
「セリア？ううん、皆で来て以来見てないよ」
ゆりもミカエルのかわいいいとこの事は何度か聞いている。力が強い女の子ということでラクシュミが期待しているというのも知っていた。
誰の恋人になるのかがゆりとしても気になる所だ。なぜなら力が強い男というと、かなりの確率で自分の恋人だからだ。
「実はセリアすっごく王妃と話をしたがっているんですが、近いうちに呼んであげてくれませんか？」
「いいけど、別に自由に来てくれればいいのに」
ゆりの人気は結構なものだが、庭園で偶然出会う以外はそうそう珍しい顔の訪問者もいない。男は恋人達やエルバート、ジェナサイトくらいのものだし、
女性も長い付き合いの女性達くらいだ。若い男女は誰かが連れてきて会うくらいのものだった。なのでゆりは自分が人気者だとあまり自覚してはいない。
「セリアは私に似て奥ゆかしいのか、大人になりたてで王妃を訪ねるのは気がとがめるようなんです」
ミカエルはさらりと言った。
「そうなんだ。ミカエルに似てないんだね。そういうところは」
ゆりはするりと受け流した。
セリアといえば、前に来た時は涙で化粧が取れてしまい顔を黒くしていたことが思い出される。
ミカエル系のできる女って感じの子かと思ったら、ちょっとおっちょこちょいなのかもしれない。そつがない人よりも、たまにどじるくらいの方が
人間的に親しみを感じる。
ゆりとしてもセリアとじっくり話をしたい気はあるのだが、あまり親しくなると後々困ったことになるかもしれないと思うと、なかなか呼べないのだった。
「エルが性格の良いいい子だってほめてたよ。ミカエルに似なくてほんとよかったね」
ゆりは笑顔で言った。
「何言ってるんですか。私は性格良い、いい子じゃないですか。所でエルってだれですか？」
ミカエルは黒い眉をひそめて聞いた。
「エルバート。この前来たときにセリアのこと聞いてみたの。あれからなかなか会えないから」
ゆりがセリアのことを聞くと、エルバートは『ちょっと面白い感じで優しいいい子ですよ』と言っていたのだった。『王妃と気が合いますよ。きっと』
とも言われていた。それは面白い者同士だからという意味なのかどうかは不明だ。
「親しげにエルなんて呼んでるんですか？ちぇっ」
ミカエルは口を尖らせていた。
「あの時ちょうどシャナーンも来てさ、シャナーンもいい子だって言ってたよ」
「そうなのか。シャナーンはセリアのこと気にしてるのか？」
ラクシュミが先に反応した。
「さあ、『彼女王妃の事すごく好きみたいですよ』って言ってた」
「ふーん・・・」
どうやらシャナーンは王妃の事を好きなセリアに好感を抱いているということのようだ。
シャナーンは相変わらずだな、とラクシュミは思った。
「ところで、彼女誰と引っ付くか決めた？」
ゆりは一番気になる所を聞いてみた。
「いや」
「本人がまだその気がないんですよ」
とミカエル。
「そう・・・」
「・・・お前、男に興味が出るようにちょっとそういう話でもしてくれないか？」
ラクシュミの冷静な言葉にゆりは固まった。
「えー」
「それも王妃の務めだぞ」
「やだよーだって恋人の誰かとくっつくかもしれないんでしょ？」
「かなりの確率でそうかもな」
「・・・男でその気になってるのはいるの？」
「誰も」
「誰も？なんで？」
「シャナーン以外は子供ができたからな。ハインリヒはまだ生まれてないが、そのせいで皆子作り精神に欠けてるのかもな」
ラクシュミはちょっと残念そうに言った。
「子作り精神・・・」
「それに若くてかわいい黒髪の女を恋人にするとお前が絶対妬くしな」
「ぶー！しょうがないでしょ。それは」
「あの時は悲しかったなあ・・・」
ぼそりとミカエルのつぶやきが聞こえてきた。どうやらいまだに根に持っているようだ。
「あの時の王妃冷たかったなあ・・・」
「ごめんって」
ゆりはちょっと面倒そうに言った。今思えばあの時の自分は確かにちょっとひどかったかな、と思わないでもない。
「そういえばあの女の子どうなった？」
ゆりはとっさにその時の彼女の名前が出てこなかった。
「クロエですか、今年めでたく妊娠してましたよ」
ミカエルがすぐに答えた。
「え！そうなんだ。よかったね。相手だれ」
「相手は恋人だった下級戦士ですよ」
「へー・・・」
「もう一人のゆり、ちょっと出てこい」
ラクシュミが言うとゆりの左目がぱっと蛇の目に変わった。
「赤い月の楽しさをせつせつとセリアに説いてくれ」
「やーよ！なんでせつせつと説かなきゃならないのよ」
蛇の目のゆりも同じようにぶーたれていた。
「こういうことは本人に任せるのが一番いいんじゃない？」
「ユリウスだってその気にさせたお前じゃないか」
「ユリウスは別よ。セリアはまだ大人になって間もないんだからさーそっとしてあげなよー」
「うーん」
「まあとにかく仲良くしてあげてくださいよ」
ミカエルに言われて「それはいいけど・・・」とゆりは口を尖らせていた。
こちらのゆりとしてもラクシュミに変な期待をされるのは嫌だ。
「いとこじゃなかったらミカエルが恋人にしたいんじゃない？」
ゆりはちらりとミカエルを見て言った。
「それはそうですよ。強い女に子供を産ませたいと思うのは当然ですよ」
ミカエルは真面目な顔で言い切った。
「セリアもうそんなに強いの？」
「今はまだ中級の下ですが、もっと上にいけるかもしれないですよ」
「へー」
「強い女が一杯子供を産んでくれないと、お前だけが子供をわんさか産んでもしょうがないからな」
ラクシュミが王の顔でいった。
「そりゃそうだろうけどね」
『一族の将来のためには』とういう意見もわかるのだが、ゆりとしては、女の子達にももっと恋愛感情を持って男と楽しく赤い月を過ごしてもらいたいものだ。
そうなるにはまだまだ一族的余裕がないようだ。
「ついでにエルバートもその気にさせてくれ」
ラクシュミに言われて蛇の目のゆりはあっかんべーをして消えた。
まあ一番大変なのは本人なんだろうなあ・・・・
そう思いつつ黒目のゆりは部屋を出て行った。
子孫を残さねばならない。そのプレッシャーはやはり力が強い者ほど感じることなのだろう。セリアも周りにいろいろ言われて内心面倒くさく
思っているのかもしれない。
話を聞いているとセリアは「強い男をゲットするぞー！」とういう気持ちに欠けるようだ。その内女として目覚めればそういう気持ちも出てくるのだろうか。
それとも誰にするのか選んでる所なのかもしれない。
上級の男は皆恋人がいるし、相手を選ぶにしても大変だろう。
こういうことは口出したくないなあ・・・後でややこしい事になっちゃいそうだもんね
でも力強いなら気ももらえそうだし、親しくはなりたいなあ・・・でも後々どうなるかわからないしなあ・・・
廊下を曲がった所でゆりははっと立ち止まった。宙に１匹の大きな蛇が浮いている。
うげっ蛇霊神じゃない！
ゆりはささっと廊下を戻り、壁ごしにこっそり蛇を見た。
蛇はゆらりと宙を漂っている。黒というよりは紫がかった蛇だった。３メートルほどはあるだろうか。目標もなくぶらぶらしているようだ。
違う所から行こう
ゆりは後ろを警戒しながらささっと横に移動して何かにぶつかった。
「いてっ」
ゆりはぶつかった鼻をなでながら上を向いた。ぶつかられた方はびくとも動いてない。
「大丈夫ですか？」
「あ、イシュタール」
そこにはイシュタールの顔があった。
「王妃、どうしたんですか？変な走り方でしたが」
「あっちの廊下に蛇霊神がいるの」
「蛇霊神？」
イシュタールが瞬いた。
「まだいるかどうかのぞいてみて」
ゆりが促すと、イシュタールは廊下の曲がり角から向こうをのぞいた。
「いないですよ」
「え？本当？」
「ええ、普通の蛇はいますが、蛇霊神は見えませんよ」
ゆりもイシュタールの後ろからこっそりのぞいてみた。確かに宙に蛇は浮かんでいない。
「どっかいったんだ。よかったー、イシュタール、ついでにこのまま私の部屋まで行って」
ゆりは背中にひっついたまま言った。
「はあ、このままですか」
「うん」
「いいですが」
ゆりはイシュタールの背中に隠れたまま一緒に歩いて行った。ゆりとしてはこれで隠れているつもりらしい。
瞬間移動すればいいのに、と思ったが、ゆりはその事には気づいていないようだ。こういう時々分けの分からない所が面白い所だと
イシュタールは思いつつ歩いていた。
廊下の端まで歩き、イシュタールはちらりと後ろを見て「あ」と言った。
「あのー王妃・・・」
「何？」
ゆりはイシュタールの背中の服を握り締めている。
「後ろに蛇霊神が」
「え？」
ゆりはばっと後ろを見た。だが何もいなかった。
「もーイシュタールったら」
ゆりはイシュタールが冗談を言ったと思い、笑ってひじで軽くこづいていた。
「いえ、今度は上に」
「え？」
ゆりが上を見ると、蛇霊神がさっとイシュタールの背中に移動するのが見えた。
「・・・」
蛇はイシュタールの後ろに隠れているつもりのようだが、尻尾が肩からちょっと見えている。
「さよならイシュタール！」
ゆりはダッシュで逃げて行った。
「あ、王妃・・・・」
イシュタールの背中にいた蛇もふわりと飛んで行った。
ゆりは自分の部屋に入り鍵を閉めた。
「全くそうそう蛇にとりつかれちゃたまらないっての！」
しばらく部屋の中をうろうろ動き回っていたが蛇霊神が来る様子もなかった。てっきり部屋までついてくるかと思ったのだがどこかに行ってしまった
のかもしれない。
ゆりはほっとし、ミシェイラの顔を見に行ってから夕方食堂に行った。
そして食堂の中を見て口を開けた。なんと蛇霊神が自分の椅子の上にとぐろを巻いているではないか。
ナナミは面白そうに蛇の口に肉をあてがっていた。だが蛇霊神は霊体なので肉は食わない。
「・・・・」
上の３人の子供達は皆にやにやしていた。この状況を楽しんでいるようだ。
「この蛇母様のでしょ？」
とアナスターシャが言った。
「え？違うよ。なんで私のよ」
「だって蛇霊神は母様に会いにきたんじゃないの？」
「違うよー」
「でも母様を見てるよ」
蛇霊神がこっちを見ていたのでゆりは目をそらせた。
「母様また頭に乗せてよ」
とロイが言った。
「絶対いや。今日の夕食は部屋に運んでね」
ゆりは侍女に言いさっさと部屋を出て行った。
なんなのあの蛇は！？
ひっつく気なのかただ遊びにきただけなのか？？
どうやら今までの蛇霊神とタイプが違うようだ。蛇にもいろいろいるのだろう。
ノックの音がしてミラが部屋に入ってきた。夕食を乗せたワゴンを引いている。
「夕食お持ちしましたよー」
「ありが・・・・とう・・・」
ゆりの視線は二段になったワゴンの下の段に注がれていた。そこにはなぜか蛇霊神が丸まって乗っている。蛇の胴体がワゴンからはみでていた。
「すいません。勝手に乗ってしまって」
ミラが申し訳なさそうに言ったが口元は笑っていた。
「一体どういうつもりなの？」
ゆりはミラにではなく蛇に聞いてみた。
蛇はワゴンの下から出てきてテーブルの上にふわりと乗っかった。
「まあいいや。もう」
ゆりはかまわずにテーブルに夕食を乗せてもらい、食べることにした。ミラは近くでじーと蛇霊神を眺めている。そして蛇霊神の方はじーと
ゆりを見つめていた。こんなに見つめられるとなんとも食べにくい。蛇霊神は黄色に黒の縦長の瞳だった。ちなみにルーは部屋のすみっこで
食事中だった。
「触っても怒らないでしょうかね？」
ミラが蛇霊神をしげしげと見つめて聴いた。
「触れないから怒らないんじゃない？」
ミラが触ってみるとやはり指は蛇の体をすり抜けた。何の感触もない。
「紫っぽい色してますね」
「そうね、よし、決まった。この蛇はミカエルにしよう」
ゆりは勝手に蛇霊神に名前をつけていた。
「ミカエルですか」
「ミカエル」
夕食が終わり、ゆりが部屋を出るとミカエル（蛇）もふわふわついてきた。だが今までの蛇のように体にぐるぐる
巻きにはされてはいない。ちょっと離れた所をついてきている。
うーん、私にひっつきたいのかそうじゃないのか・・・そうだ、ハザーク様なら分かるかも？
ゆりはミカエル（蛇）を連れたまま塔に歩いて行った。そしてハザークに蛇霊神がなぜ引っ付いてくるのか聞いたのだった。
「さあなあ・・・・ん？『カワイコチャン』って言ってるぞ」
「え？カワイコちゃん？言ってる？？」
「思念っぽいのが聞こえた。かわいいって言ってる」
「まあ・・・・」
まさか６人も子供ができてカワイコちゃんと言われるとは。相手が蛇でもうれしいものだ。
その言葉でゆりは一気にいい気分になっていた。
ゆりは蛇霊神を手招きした。蛇がするする寄ってくる。
「カワイコちゃんだなんて・・・かわいい蛇♪」
ゆりは笑顔で蛇の頭をなでていた。
「よく見るとハンサムね」
「そうか？」
とハザークが素早く反応したので「もちろんハザーク様の次ですけど」とゆりは付け加えた。
「それでなんで出てきたんですか？」
「さあな、蛇霊神も自分の意思で出てくるとは限らないからなあ。たまたまやってきただけかもな」
「そうなの。じゃあ今まで通り誰かといちゃいちゃしたらどっかいくのかな？」
「試すか？」
ハザークは普通の顔で聞いた。
「・・・せっかくだから様子みます。だってカワイコちゃんって言われちゃったし。それじゃさようなら」
ゆりはルンルンで蛇霊神を連れて出て行った。
どうやら相当うれしい言葉だったようだとハザークは気づいた。
「カワイコちゃん・・・なぜうれしいのかわからん」
ハザークはしばらく首をひねっていた。
蛇霊神のミカエルはその後もしばらくゆりの側をうろうろしていた。カワイコちゃんと言われたゆりは嫌がることなく蛇を側においていた。
城の中を一緒に歩いていると蛇霊神を散歩させているようだ。
ゆりの変わりようにアナスターシャやラギは不思議そうな顔をしている。
ゆりは子供達にミカエル（蛇）を紹介していた。
「ミシェイラ、これ蛇霊神って言うのよ。かわいいでしょ」
「あーあーあーあーあーきゃはは」
最近座れるようになったミシェイラは座ってぶんぶん両手を振っていた。ご機嫌だ。
ーまー？まー？まー？まー？
ー・・・カワイコちゃん
ーまー？まー？
ーカワイコちゃん
「きゃはは」
「うれしいみたいね」
ミシェイラはミカエル（蛇）となにやら思念でやりとりしていたが、ゆりにはさっぱり気づかないことだった。
次の朝になっても蛇霊神のミカエルはゆりの周りを漂っていた。
ゆりもそんなミカエルにうっとおしがる様子もない。なんだかんだいっても蛇霊神との付き合いも長い。慣れもあるのだろう。
「ねえまーミカエルいつまでいるの？」
とナナミが朝食の時間に聞いてきた。
「さあねえ、わかんない」
「どうしてご機嫌になっちゃったの？」
アナスターシャが聞いた。
「この子がね私のことかわいいねって言ったんだもん。だから」
「かわいい？そんだけ？」
「うん」
アナスターシャは小首をかしげていた。
「母様はかわいいよ」
とシスが言ってくれた。
「ありがとう。女って何歳になってもかわいいって言われるとうれしいものなのよねーそうだ、後で竪琴聴かせてあげるね。ミカエル」
ゆりは蛇霊神と共に食堂を出て行った。
「あーあー名前までつけちゃって・・・あんなに思い入れちゃったら別れが辛くならないのかなあ・・」
ゆりが出て行った後ラギがぼそりと言っていた。
ゆりが部屋で竪琴の練習をしている時も、ミカエル（蛇）はゆりの周りをゆらゆらしていた。うっとりして聴いているように見えなくもない。
べったりまとわりつくわけでもなし、今までの蛇霊神とは本当にタイプが違うようだ。
「そんなに私の竪琴気に入ったの。そう」
勝手に解釈して竪琴を奏でているとノックの音が聞こえた。扉を開けるとミカエルがいた。
「おはようございます。王妃」
「おはよーミカエル」
「あのー後でセリア連れてきていいですか？」
「セリア？」
「だって王妃全然呼んでくれそうになかったから。あれ？」
ミカエルはゆりの後ろにいた蛇霊神に気づいた。
「またなつかれてるんですか？」
「うん、この子かわいいの」
「はあ」
「名前ミカエル」
「はっ！？」
「でもミカエルよりかわいい」
「何言ってるんですか？」
ミカエルの顔は引きつっていた。
「それでセリアなんですけど、王妃の方が呼んでるっていうことにしましたんでそういうことにしといてください」
「・・・まあいいけど」
どうせ今日は予定もないし、とゆりは了承した。
ほどなくしてセリアを連れたミカエルがやってきた。
「王妃様！おはようございます！」
「おはよう」
セリアはうれしそうな顔で頬をピンク色に染めていた。ゆりよりも背は高く、もちろん足も長い。
近くで見ると、結構な美人だった。かわいいというよりは美人系だ。その上凛とした印象を受ける。セリアは青系統の体にフィットした上着にミニスカート姿だった。
長いドレスよりはミニが似合いそうだ。ミカエルと並ぶとどこか似た感じがした。
「それでは私はこれで」とミカエルは去って行った。
「とってもうれしいです。まさか王妃様から呼んでいただけるなんて！」
セリアは両手をあわせてもじもじしていた。
「セリアとお話がしたくって。さあ座って」
「はい！」
ああ、若さあふれる女の子！いいなあ・・・
ゆりはまぶしそうにセリアを見つめていた。自分もまだ若い、と思っていても、大人に成り立ての女の子を見るとやっぱり自分とどこか違うと感じてしまう。
しかもセリアからは若いオーラのようなものが輝いていた。
セリアはゆりの後ろで尻尾をゆらしている蛇霊神に目を留めた。最初から気づいてはいたのだが、王妃様に会えた喜びのほうが大きかったので後回しに
なっていたのだ。
「あ、この子蛇霊神のミカエルっていうの」
ゆりはまるで自分のペットを紹介するようにセリアに紹介した。
「蛇霊神のミカエル・・・様ですか？」
セリアは大きな目をぱちくりさせている。
「昨日からいるの」
「そうなんですか。日常的に蛇霊神と親しくされているなんて・・・・さすがは王妃様！」
新聞には出ない情報にセリアは興奮気味だった。
「いや、別に日常的に親しくはしてないけど・・・」
「私蛇霊神をこんなに近くで見たの初めてです」
「そうなの。まあそうだよね」
「紫色してますね」
「だからミカエルにしたの。でも性格はミカエルよりいいけど」
「まあ、うふふふ」
セリアが思わず笑った時、ゆりの背後からするりと蛇霊神が出てきてセリアの体の周りをぐるりと回った。
「え？」
「あ・・・」
ゆりは驚いた。ミカエル（蛇）はセリアの腰の周りに胴体を巻きつけている。セリアはどうしたらいいのかわからないといった表情だった。
「蛇霊神って人懐っこいんですねえ」
「そうだね。ははは」
ゆりは内心ショックだった。自分の腰には巻きつけられていなかったからだ。
「あっ！何か聞こえました！」
とセリアが言い出した。
「え？何かって？」
「もっとカワイコちゃん・・・どういう意味でしょうか？」
「え？」
もっとカワイコちゃん？もっと？もっとって・・・・それって私よりもってこと！？ガーン！
ミカエル（蛇）はセリアの腰にまとわりついてセリアを見つめている。
ひどいよミカエル・・・・私よりも若いセリアの方がいいんかい！
「あの、どうかなさいましたか？王妃様？」
セリアが暗くなってしまったゆりに伺うように聞いた。
「え？ううん、なんでもないよ。ふふふ、ミカエルったらセリアのこと気に入ったみたい」
ゆりは笑みを浮かべて言った。
「はあ・・・」
ミカエルのばか！
ゆりは内心蛇霊神に悪態をついていた。
セリアはテーブルの上の竪琴に目を留めた。
「竪琴ですね。王妃様はすごくお上手だって伺いました」
「そんなに上手じゃないよ。最初よりはましになったけど」
セリアは竪琴を聞きたそうにしていたが、ゆりはさっさと後ろの壁に竪琴を立てかけた。
「セリアって今どういうお仕事してるの？」
「私は・・・」
ゆりは内心ミカエル（蛇）にむかつきながらも笑顔でセリアと話をしていた。セリアもゆりに気に入られようと笑顔で応対している。
ミカエル（蛇）はセリアの腰周りから全く動こうとしなかった。そしてしばらく話をし、セリアが「そろそろ失礼しなければ」と言い出した。
「そう、今日はありがとう。またきてね」
「はい、あの・・・この子どうしましょう・・・」
「多分勝手にどっか行くと思うよ。ひっついていても害はないはずだから」
「そうですか。では失礼します」
「うん」
セリアは仕方なく蛇霊神を引っ付けたまま部屋を出て行った。念願の王妃様とのお話を終えたわりにはセリアの表情はさえない。
廊下を歩いていたらラギとシスに出くわした。セリアは丁寧に頭を下げた。
「あ、あれ？ミカエルがくっついてる、どうしたの？」
とラギが聞いた。
「それが・・・王妃様の部屋に行ったらこの子がくっついてきてしまって・・・」
「そうなの？」
「はい・・・」
「どうしたの？母さんに何か言われたの？」
ラギが伺うように聞いた。
「いいえ、王妃様は本当に優しい方でしたよ」
セリアはにこっと笑っていい、とぼとぼと去って行った。ラギとシスは目を合わせて首をかしげた。
二人はこっそりゆりの部屋をのぞいてみた。するとゆりは椅子に座ったままうなだれていた。
「・・・・」
ーもしかして、ミカエルとられてしょげてるのかな？
シスがラギに思念を送った。
ーそうみたいだね。お母さんって子供みたいなんだから・・・
二人はこっそり姿を消した。
セリアはうなだれて階段を下りていた。すれ違った人がぎょぎょっと腰周りの蛇霊神を見ている。
蛇霊神が自分の所に来てしまって王妃様は内心面白くなかったのではないだろうか。セリアは鋭くそう感じたのだった。
なんだか王妃様の笑みがひきつってらしたもの・・・全くもう・・・
「ミカエル様のばか！」
城から出た所でセリアはつい蛇霊神に悪態をついた。様をつけたのは癖だ。すると蛇霊神は体を離れてどこかに行ってしまった。
昼食時もゆりの顔色はさえなかった。
「あれ？ミカエルはー？」
無邪気に聞くナナミにラギは「しー」っと口元に指を立てていた。
「ミカエルは他の女の子にくっついていっちゃったよ」
ゆりがそっけなく言った。
「たかだか蛇霊神じゃない。そんなに落ち込まなくたって・・・・」
ラギが言うとゆりがきっと睨んだ。
「別に落ち込んでないよ！」
「落ち込んでるじゃないか」
ゆりは「ご馳走様」といってさっさと食堂を出た。
「母さんってほんと時々子供みたいなんだから」
「それにしても結局はよくわからない蛇霊神だね」
とシス。
「結局何しに来たのかな？」
「さあねえ」
とラギも首をかしげた。
あーもう私ってばばかばか！
ゆりは部屋で自己嫌悪に陥っていた。蛇がセリアの方に行ってしまったのはショックだったが、そのせいでセリアに大人気ない態度をとってしまった
ことをゆりは悔やんでいたのだった。
今思うと言葉の受け答えもちょっとそっけなかった。竪琴を一曲披露くらいはしてあげればよかったのに。
聴きたそうにしてたのになあ・・・私ってほんと大人気ない。若くて綺麗な子につい嫉妬しちゃったんだよねえ・・・
心狭すぎる！これで王妃様だなんて！
ノックの音がして出てみるとシスが立っていた。
「母様、暇ができたからバラクでもしようよ」
シスが笑顔で言った。
「うん」
しかも子供にえらく気遣われてるし・・・・
「蛇霊神のことはもう気にしてないよ。ありがとう。シス」
「僕は母様とバラクがしたかっただけだよ」
シスの気遣いにゆりは涙が出そうになった。
「あ、そうだ。ミカエル（蛇）まだセリアに引っ付いてるのかな？」
「セリアが城から出た時にどっか行ったみたいだよ」
先ほどセリアに思念で聞いてみるとそういう返答が帰ってきたのだった。
「そうなんだよかった。わたしったらその事も気にしてあげないで・・・初めてで驚いただろうになあ。結局なんだったんだ。あの蛇は」
「本当だねえ」
バラクをしながらそんな話をしていたら、窓からすっと紫色っぽい蛇霊神が入り込んできたのだった。
「あっミカエル！」
シスの言葉にゆりは振り向いた。蛇霊神は部屋の中をゆらゆらしてゆりの側によってきた。
「だめだめあんたさっきセリアのところ行ったじゃない。もう可愛がってあげないから」
ゆりは冷たく言った。
ミカエル（蛇）はゆりの周りをうろうろ回っている。
「だめ。しっしっ！」
ゆりは犬を追い払うように手で追っていた。
「カワイコちゃんって言ってるよ」
「セリアにはもっとカワイコちゃんって言ったじゃないのさ！」
その言葉にシスはゆりが落ち込んでいた理由がわかったのだった。
「カワイコちゃん、いい匂いってさ」
「あっかんべー！」
先ほどは大人気ないと悔いていたにもかかわらず、やはりゆりは大人気なく蛇霊神に本気で怒っていたのだった。
夕方、ミカエルがゆりの元を訪ねてきた。その頃まだ蛇霊神のミカエルはゆりの側を漂っていたが、ゆりはもう蛇は無視していた。
「セリアいい子だったでしょ？」
ミカエルが笑顔で聞いてきた。
「うん、いい子だね」
セリアの印象はとてもよかった。だけど自分の印象は悪いかも、とゆりは思った。
「今度竪琴を聴きに来てって言っておいてよ。あまりうまくないけどよかったら」
「はい」
「それからごめんって言っておいて」
「何かあったんですか？」
「別に」
「何があったんです？」とミカエルはしつこく聞いてきた。
「何もないよ。いいでしょ」
「じゃあなんで謝るんです？」
「いいの。深く追求しないで」
「はあ・・・」
ゆりはミカエルと別れてラクシュミに会いに行った。蛇のミカエルもふらふら飛んできている。王の間の近くで王の侍女とすれ違った。お辞儀をされてすれ違った
時、ミカエルはゆりの側から離れて侍女の元に飛んでいった。侍女がぎょっと立ち止まった。
「その子あげる」
ゆりはにやりとして言った。
「え？困ります！」
「じゃあねー」
ゆりは逃げるように小走りに去っていった。
「王妃様ー！！」
侍女が遠慮がちに声をあげていたがゆりはかまわずに行ってしまった。舌も出している。
どうやらただの女好き蛇霊神だったようだ。
深夜、ぐっすり寝ているミシェイラの横で寝転んでいると、ベッドの上に蛇霊神が現れた。ミカエルだ。
「なんだ帰ってきたの」
やっぱり離れてもらうにはあれしかないかな？
ラクシュミがやってきてベッドの上の蛇霊神に目を留めた。
「まだいたのか」
「うん。やっぱりあれしかないみたい」
「あれか・・・」
「がんばってくれる？」
「うん、まあ・・・いいが・・・」
ミシェイラがいたので遠慮がちに二人はひっついた。やがてゆりの体から妖しい匂いが放たれると、蛇霊神のミカエルはぐるぐると回りだし、
どこかに行ってしまったのだった。
「さようならミカエル」
ゆりは蛇霊神を見送った。
「ミカエル？」
「女好きで変な蛇霊神だったなあ・・・」
ゆりはちょっとだけ名残惜しそうにつぶやいたのだった。
一方あの後セリアに伝言を伝えたミカエルは、セリアにも「何かあったのか？」と何度も聞いて、しまいには「しつこいです」といわれてしまっていたのだった。
「心配しているだけなのに・・・」
ミカエルはぶつぶつ言いながら去って行った。
私なんかにごめんだなんて・・・
今度竪琴を聴かせてくださるのね。また会ってくださるんだ。よかった
セリアは安堵して、その夜眠る事ができたのだった。
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