第29話
「テュレル〜ラチュレチュルラル〜アル〜♪」
早朝、銀色の長い髪の少女アナスターシャが歌を口ずさみつ天馬プリモに乗っていた。
お城の周りをあがったり下がったりしながらのんびりぐるぐる周っていたのだ。
すっかり大人のプリモは白と茶色が混じった大きな翼をばさばさ動かしていたが、見かけが見かけだけに相変わらず
どうも優雅には見えない。飛んでいるのも地上から１メートルから２メートルほどの高さだった。
神の国からやってきたプリモは、いまだ空を自由に飛びまわってはいなかったが、それが別に不幸というわけでもないので、
今ではアナスターシャもたいして気にしてなかった。普通の馬はこれだけ飛べないのだから、多少でも飛べるだけいいだろうと
思っている。
アナスターシャがとても美しい少女なだけに、天馬が真っ白な姿だったなら、さぞかし美しい組み合わせに見えたに違いない。
「デュレデルゴーラルゴ〜ん？ラル〜ゴゥ〜だったかな？」
歌っていたのは古代叙事詩である。今では全ての詩を勉強していたが、歌っていると時々わからなくなるのだった。
それでも結構覚えたので自分としてはほめてやりたいくらいだ。ちなみに古代叙事詩をしょっちゅう聞かされているアナスターシャの
侍女達の方はほぼマスターしていた。日々勉強と修行におわれるアナスターシャにとっては、プリモとのひと時は息抜きなのだろう。
「ラララ〜ラララ〜うわっ」
歌が鼻歌に変わった時、プリモが急にスピードを上げたのでアナスターシャは体をがくんと後ろにそらせた。
プリモは必死になって裏庭の方に向かっている。
「突然どうしたのー？」
「ヒヒーン」
プリモは裏庭の花壇の所で立ち止まった。
「ヒヒーン、ヒヒーン」
そして何かに喜んでいなないている。
「？？」
裏庭には誰もいなかった。だが、プリモには何かが見えているようだ。しきりに鼻先を揺らしている。
「うーん・・・・ん？」
宙にうっすらと金色の輝きのようなものがみえた。
もしかしたら神様でもいるのかも？
アナスターシャはそう思った。今のアナスターシャにとっては、神様もそう珍しい存在ではない。
ゆりならば見ることができるだろうが、今はまだ眠っているだろう。
「ヒヒーンヒヒーン」
プリモはうれしそうにいなないて足をばたつかせていた。明らかに誰かいそうだ。
もしかしてうわさのハロルドかも？いや、呼び捨てはまずいかも。ハロルド様がいるのかも？
そこでアナスターシャはぴーんとひらめいた。
「ハロルド様って、とっても素敵な神様よねー。アシュラン様の次に美形らしいし、威厳もあって、風格もあって、体の筋肉も
すごそうだし・・とにかくすごい神様よねー」
アナスターシャは周りに聞こえるほどの声で独り言をはじめた。
「私はいつもハロルド様を尊敬してます。本当に。龍の国に良くしていることにはむかついてますが、そのほかのことでは
尊敬してるんです。なにせ、勇気と力を人間に与えてくれる神様ですしね、私達の知らない所でいろいろと尽力されているんでしょうね。
本当に素晴らしい神様ですね」
「ヒヒーン」
「それからえっと・・・・神様の中で一番男らしくて・・・それから・・・」
「一人で何ぶつぶつ言ってるの？」
と声がかかった。
横をみるとシスが立っていた。
「しー、今そこにね、ハロルド様がいたかもしれないの。だからほめたたえてたの」
「ハロルド様？」
シスは周りをきょろきょろみたが、何も見えなかった。
「あんたもほめなさい。もしかしたら力上げてくれるかもよ」
アナスターシャは真剣な顔でこっそりと言った。
「それでほめてたの？」
「そうよ。一目でいいから素敵なハロルド様の姿が見たいですわ〜ほらあんたもほめなさい」
「誰もいないと思うけどなあ」
プリモはすでに興味なさげに顔を下に向けていた。そしてくるりと向きを変えてとことこ歩いていった。
「あれ？もういいのー？ハロルド様は行っちゃったのー？」
プリモに乗ったままアナスターシャも行ってしまった。
「・・・・」
ほめたたえたくらいで神様が力を上げてくれるとは思えないけど・・・姉様って時々面白いこと考えるんだから・・・
シスは苦笑していた。アナスターシャのああいう性格は100パーセント母親譲りともいえる。
「それにしても・・・あーあ・・・」
シスは地面を見てつぶやいた。
ゆりの小さな花壇はプリモにすっかり踏み荒らされてしまっていたからだった。
天気は曇り空だった。肌寒い朝、見上げれば空は真っ白だ。
「ヒュー」という鳥の鳴き声がどこからか響いていた。
暦は２の月に入っていた。一族の者達は来月の赤い月の話題で持ちきりの頃だろう。
ゆりは庭師のおじさんに自分の花壇の花植えを替えてもらっていた。今の時期はあまり華やかな花もないようで、
小ぶりの小さなピンクと白い花が花壇に並べられた。その周りにはハートの形をしたかわいい葉っぱがついた草を並べてくれた。
朝食の時間、シスから花壇の話を聞いたアナスターシャはしきりに謝まっていた。まあプリモがしたことなのでしょうがないことだ。
花壇はすっかり元通りになった。
「本当にハロルド様がいらしたんでしょうかね？」
横にいた侍女のミラが聞いた。
「さあねえ、違うことを祈ろう」
ゆりが言うとミラは笑っていた。
「笑い事じゃないよ。これ以上何かされたらたまったもんじゃないって」
ゆり自身アナスターシャにその話を聞いた時はどきりとしたものだ。だがこの所ハロルドに恨まれる覚えもない。
まさか知らない内に何かされてるってことはないでしょうね、とゆりはちょっと疑っていた。
その時、少し離れた所に水色の髪の人物が見えた。エルバートだ。
エルバートはゆりに気づくと近づいてきた。
「こんにちは、いえ、おはようございます。王妃」
「おはよう、エル」
「で、では」
エルバートは挨拶もそこそこにゆりから離れて行った。
「うわっ」
そして地面の石にけつまづいて転びそうになっていた。
ゆりが顔を向けるとエルバートはよろけながらも歩いて行った。
「なんか普通じゃないっぽかった？」
ゆりがミラに聞いた。
「そうですねえ。お顔の色も悪かったですし・・・美男なだけにこちらの方が心が痛みますわー」
「悩みでもあるのかな？」
エルバートはもう城の方に行ってしまったので、問いただすということまではしなかった。
「ヒューヒョロロ」という泣き声と共に近くを鳩くらいの茶色い鳥が飛んでいった。
「まあおいしそう」とミラが目を輝かせていた。
「時々野生の鳥を採りたくなるんです」
「猫の本能かも？」
「さあ、どうでしょうか。そろそろお部屋に戻りましょうか」
「そうねえ・・・」
「王妃」
軽快な声に振り向くとシャナーンが立っていた。
「少し時間が空いたので来てしまいました」
「そうなの」
「花壇のお花変えたんですね」
シャナーンがそのことに気づいて言った。
「そうなの。プリモに荒らされちゃって」
「そうなんですか」
「これかわいい葉っぱでしょ。ハートなの」
「かわいいですね」
ミラは邪魔をしないようにさっと離れて行った。
「寒くないですか？」
「うん、平気」
ちょっと寒い日だったが、シャナーンの笑顔を見るだけで温度が２度ほどあがったようだ。ゆりはしばらくシャナーンと庭を
眺めながら話をしていたのだった。
ついでにゆりはシャナーンにエルバートのことを聞いてみた。エルバートの様子がおかしいのはシャナーンも気づいていたようだ。
「赤い月のことで悩んでいるでしょう」
「そうなの」
「こればっかりは本人次第ですからね。まあエルもそのうちにその気になると思うんですが」
「そうよね。まだ若いんだから今からやっきになってがんばらなくてもね」
あの純粋そうなエルバートに恋人ができるというのも、ゆりにとってはちょっとショックだが、こればかりはどうしようもない。
このシャナーンにだって恋人がいる。そしていつかは子供ができるのだ。子供ができたら、ゆりは喜ばなければならない。
それもショックだけど・・・まあしょうがないんだよね・・・シャナーンだって物語の王子様じゃないんだから・・・
ここであっているとつい忘れがちだが、恋人達には皆別の顔があるのだ。皆恋人がいるからこそ、ゆりとの仲が成り立っている
ともいえる。複雑な関係だが、それを望んでいるのは自分なので文句は言えない。
「どうしたんですか？」
ゆりがうなだれていたのでシャナーンが気にしたようだ。
「ううん。シャナーンといつまで恋人でいれるかなーって考えてた」
「私はいつまでも、王妃が嫌だと言わない限りは」
「本当？おばあちゃんになっても恋人でいてくれる？」
「はい」
「おばあちゃんになっても恋人がいるっていいね」
ゆりが笑って言うとシャナーンは微笑んでいた。
一方神の国では、虹の神ラーズがペガサス牧場に飛んできていた。ラーズを見るなり牧場にいたペガサス達が
「ヒヒーン」といなないて寄ってきた。
「こらこらじゃれるな。私は仲間じゃないぞ」
同じような翼があるので仲間だと思ったのだろうか。ペガサス達は顔をこすりつけたり服を口で引っ張ったりしていた。
「ひっぱるなって」
ラーズがたまらんとばかりに宙に浮くと、ペガサス達も翼をばさばささせていた。
「ここにいるのは白いのだけだなあ・・・」
今牧場の外に出ているペガサスは２０頭ほどだった。皆真っ白で美しい鬣をもっている。
牧場の厩舎のような建物から太陽の神アリアスが出てくるのが見えた。後ろからダーナも続いている。
ラーズは２人の側に飛んで行った。ペガサスは誰が乗ってもいいことになっているが、牧場はハロルドとアリアスが一応
管理している。
「なあなあ、ここって真っ白じゃないペガサスっているのか？」
ラーズはアリアスにそう聞いた。
「ん？真っ白じゃないペガサス？」
アリアスはきょとんとしている。
「人間界でペガサスを見たんだが、ここにいるような綺麗なのじゃなかったんだ。でも、どうも神の国で生まれたような感じだったんで
どうしてかなーと思ったのさ」
ラーズはそう説明した。綺麗じゃないペガサス、とはプリモのことだった。アナスターシャとプリモが出会ったのは、ラーズとサーラ
だったのだ。なのでいくらアナスターシャがハロルドを褒め称えても無駄だった。
「たとえば茶色いペガサスとか」
「ああ、馬との合いの子か。たまに生まれるぞ。いつの間にやらいなくなってるからハロルドがどっかにやってるんだろう」
「そうなのか？」
「神が乗るペガサスは真っ白なものだと決まってるからな」
「そうか・・・」
「なんだてっきり消したのかと思ってた」
「アリアスったら・・・」
ダーナが非難の瞳を向けた。
「だってなあ、前に聞いた時、不細工なのはいらんだろう、としか言わなかったんだぞ。消したんだな、と思うだろう普通は」
「ハロルドは案外動物には優しいわよ。じゃあ神の国においておけないから人間界に降ろしたのね」
「そうか、謎が解けた。ありがとさん」
ラーズはそう言って飛んで行った。
やっぱりあのペガサスは神の国で生まれたものだったのか
だがもう一つ疑問が残る。
サーラはなんで蛇の国の城に行きたがるんだ？？
その朝も、人間界に降りるとサーラが蛇の国に行きたがったのでラーズも行っただけだったのだ。
そういえば前に城で不思議な女性に出会ったが、今日はいなかったな・・・まあ気にしてもしょうがないからいいか・・・
気軽な性格のラーズは、その日はそれ以上気にしなかった。
「だが、一度でいいからあのおかしな模様のペガサスに乗ったハロルドが見たいものだが・・・」
ラーズは想像するだけでおかしくなり、やがてはははと笑い出してしまった。
そして再び人間界、夕食の時間、食堂にはゆりと子供達がそろっていたが、ナナミ一人だけ不機嫌な顔をしていた。
「どうかしたの？」とゆりが聞いた。
「ゴショクが鳥食べちゃってむくれてるの」
とアナスターシャが説明した。
「ゴショクが鳥食べた？」
シスの説明によると、昼間庭園でナナミが傷ついている小鳥を見つけて部屋に連れて返ったようだ。タオルにくるんで
テーブルに置いた所、みんなが目を離した隙にゴショクが食べてしまったらしい。その証拠もちゃんとあった。ゴショクの腹が
一部だけ膨らんでいたのだ。それでナナミがかんかんに怒ったらしい。
「それはしょうがないわよ。ゴショクは蛇なんだから、つい食べちゃったのよ。ナナミだって鳥食べるでしょ？同じことよ」
「生きてるのは食べないもん」
ナナミはぷんと横を向いていた。
「いくら言ってもきかないんだよ」
ラギもシスも困り顔だ。
「もうゴショクなんてだいっきらい！絶交したもん」
「絶交なんて言葉よく知ってるわね」
ゆりは変なことに感心していた。
「あんなことくらいで怒ったらゴショクかわいそうよ」
「鳥の方がかわいそうだもん！」
アナスターシャの言葉にナナミはそう返した。
「そりゃそうだよね」
とラギ。
「かわいい鳥だったのに、ゴショクひどいよ！」
「でも蛇は小さい動物を食べちゃうからね、しょうがないんだよ」
シスが優しく諭していた。
「まあまあ、しばらくすればナナミもわかるわよ」
どっちの言い分も最もだが、ゆりにはナナミの傷ついた心もよくわかる。ゆり自身、小学生の頃傷ついたスズメを家に連れて
返ったことがあった。
そのスズメは元気になり空を飛んで行ったが、もし飼い犬がそのスズメを食べたとしたら、飼い犬に激怒しただろう。
「ナナミは優しいわね。小鳥を治してあげようと思ったんだよね」
ゆりが優しく言うとナナミは口を尖らせたままうなずいた。
「僕は鳥の丸焼き好きだ」
突然ロイが言い出した。
「虎の国では一杯食べたよ。虎は鳥どころかかわいいウサギだって食べちゃうんだぞーでかウサギ食べる所見ちゃった。
でかい口でばくっとねー」
「あんたは黙ってなさい」
とゆりがロイを制した。
食後、ゆりはしばらくゴショクを預かろうとナナミの部屋に行ったが、ゴショクはいなかった。侍女らも知らないという。
ゆりはアナスターシャに聞いてみた。
「ナナミに怒られて家出したんじゃない？」
「蛇も家出するの？」
「さあ、するかもよ」
ゆりはお城にいた他の人たちにもゴショクを見かけなかったか聞いてみたが、誰も知らないと答えた。
ゴショクは色が鮮やかな蛇なだけに目立つし、見ればすぐにわかる。
だがまだそんなにでかい蛇ではないので、どこかの隅っこにでも隠れればわからないこともあるだろう。
ナナミに怒られて隠れちゃったのかな？
「そのうち出てくればいいけど、ねえルーや」
ゆりの部屋にいたルーはまったく気にしない様子でとぐろを巻いていた。
空を闇が覆う頃、シャナーンはエルバートを呼んで屋敷で一緒に酒を飲んでいた。２人は親しいといえる仲だったが、そうしょっちゅう
酒を酌み交わすこともない。シャナーンは誰かと飲むよりは、一人で酒を飲む方が多いからだ。
「今日はヴィクター将軍は？」
「出かけてるよ。誰かと飲んでるんだろう」
「そう」
テーブルの上にはお酒の瓶と食べ物が置かれていた。お皿に乗っているのは、どうも魚のフライのようだ。
「君も魚食べたっけ？」
エルバートが聞いた。
「最近ね。王妃が好きだから」
「そう」
蛇の一族は海に面していないせいか、あまり魚を食することはないようだ。珍味としてつまみで食べることはあるのだが、
いわゆる高級な食べ物ではないので、位が高い連中はあまり食べる機会がない。
「何がおかしいんだい？」
エルバートが笑っていたのでシャナーンが聞いた。
「別に。変わったソースだね。あ、おいしい」
「そうだろう。このタルタルソースとかいうのも王妃に教えてもらったんで作ってもらったんだ」
「へー」
エルバートは卵とマヨネーズをからめたようなソースに魚のフライをつけて食べていた。
「・・・・エル・・・」
「ん？」
「いつになったら話す気だい？その蛇のこと」
シャナーンの視線はエルバートの首に注がれていた。
「ああ、やっぱり気づいたかな？」
「最初から気づいていたよ。君から話すのを待ってるんだが・・・」
エルバートの首には細い蛇がぶらさがっていた。そこらでは見かけない、色鮮やかな蛇だ。宝石のようなこの蛇は今は
お城に一匹いるだけだった。ゴショクだ。
「おとなしい子で自分から逃げていかないんだよ」
「どうして君が連れてるんだい？」
シャナーンがせかすように聞いた。
「シス様に明日まで預かってほしいと頼まれてしまって・・・それで僕が連れているんだよ」
エルバートはナナミがゴショクに怒ったことをシャナーンに話してきかせた。たまたまシスの訓練に付き合ったエルバートが
現場に居合わせたのだ。その時はナナミが大声で泣いていてシスがかけつけたのだった。
シスはしばらくゴショクをナナミから離した方がいいと考えて、エルバートに渡したのだった。
「そうか・・・ナナミ様は優しいなあ。そういう所は王妃にそっくりなんだな・・・」
シャナーンはナナミの優しさに感じ入ったようだ。
「大事な蛇だから緊張してしまうよ。まだ小さいから草むらに逃げられると困るからね」
「本当に王妃の優しさといったら・・・」
シャナーンはまだ独り言のようにぶつぶつ言っていた。
「君は２の月に入っても王妃のことで頭がいっぱいだね。それでよく恋人達が文句言わないもんだね」
エルバートはちょっと嫌味のように言った。するとシャナーンは君に言われたくないとばかりに睨んでいた。
「私にはわからないが、君はすごいよ。私なら君のように器用にはできないだろうなあ・・・」
エルバートには、４人もの恋人達を平等に扱っているシャナーンが器用にみえて仕方ないようだ。
「私の苦労は君にはわからないだろう。少年の頃から恋人は皆決まってた。いつの間にやら４人も」
「それが嫌だったの？」
エルバートは目をぱちくりさせていた。シャナーンからそういう話を聞くのは初めてだった。
「嫌というか、４人もの相手は無理だと言ったら父に『じゃあ自分の好みで２人選んだらいい』そう言われて・・・女性の好みなんて
別になかったから選びようがなかった」
「そうなんだ・・・シャナーンも女性には冷たいと言われてるけど本当は優しいんだね。選べなかったなんて」
「優しさとは違うような気がするけど・・・」
『私は、恋人ができても優しくできるかどうかわからない』
そう言ったのに、当時彼女らはそれでもいいと言ったのだった。
『シャナーン様のことが全部好きなんです！』と４人から潤んだ瞳でそう言われて、
私が王妃を想う気持ちと、彼女らが自分を想う気持ちは同じかもしれない・・・
そう思ったシャナーンは２人に絞る事ができなかったのだった。
「結局は４人とも大事にしてるじゃないか、優しいよ」
「４人もの女性を平等にってのは大変なんだよ。会話するときも平等にしなければならないし・・・贈り物一つにもかなりの気を使うし・・・
別にこんな話をするために君を呼んだんじゃなかった。君が何か悩んでいるようなので呼んでみたんだよ」
「そうだったの？」
エルバートはお酒をぐびぐび飲んでいた。
「王妃が気にしていたよ」
「そうか・・・私って奴は大人になってもなかなか感情を制御するってことができないなあ・・・シス様にも聞かれてしまったよ」
エルバートはため息をついていた。
「赤い月のことで悩んでいるんだろう？」
「うん」
「今年もその気になりそうにないのかい？」
「その事にも困ったものだが別のことで困ったことがおきてしまって・・・」
「別？」
「カーライル様がその内にいなくなってしまわれるっていうんだ」
「カーライル様が？」
「いなくなる前にお前の子供がみたいなあ・・・と言われてしまった」
「何でいなくなるんだい？」
「さあ、霊体だからいついなくなっても不思議じゃないと言われて・・・」
「はあ・・・」
「なんというか・・・自分でも気づいていなかったが、私は結構カーライル様を頼りに思っていたようだよ。いなくなってしまうと
思ったらとたんに不安になってしまった。今までいろいろしていただいたからせめて望みをかなえて差し上げたいと思うんだが、
子供を作る前に女性といい仲にならねばならないし、いろいろなことを考えていたら暗くなってしまうんだよ」
「ふーん・・・まあ子供はそう簡単には生まれないだろうからね、後数年はいてくださるんじゃないのかな？」
「そうかな・・・だといいけれど・・・」
「女性で気に入ってる人はまったくいないの？」
「うん、別に・・・」
「そうか・・・エルと過ごしたいという女性と思い切って過ごしてみるのも手だと思うけどね」
「一度そうしようとして失敗しかけたからなあ・・・女性をがっかりさせるのがほんと申し訳ないよ」
エルバートはため息交じりに言った。
「エルはまだそういう時期じゃないのかもね。自然に赤い月に反応するまで待った方がいいかもしれないよ」
「カーライル様がそれまでいてくださればいいんだけど・・・」
「そうだね」
気になる人か・・・・
気になる人は？と聞かれて実は浮かんだ女性の顔があった。その女性はセリアだった。気になるというか側にいるとなんだか
気にかけてしまう女性ではあるが、赤い月に誘おうとまでは思ってはいない。セリアはハインリヒとひっつくという噂が飛んでいた。
ハインリヒの彼女は一人妊娠したし、セリアにとってはハインリヒはこの上ない相手だろう。
『恋は奪い合いだ』とカーライルなどは言うのだが、エルバートにはまだそういう情熱もない。
逆にがんばってくださいと応援しかねない。
「シャナーン、一つ聞きたい事があるんだけど」
エルバートがシャナーンを見据えて言った。
「何？」
シャナーンは酒を飲みながら聞いた。
「君って、女性を抱くの失敗したことないの？」
「ぶっ」
シャナーンは酒を噴出していた。
「な、いきなり何聞くんだよ」
「だってさー君ってなんでも卒なくこなすからほんと面白くないよ」
「そんなことないよ」
シャナーンは手の甲で口を拭いている。
「じゃあ赤い月でその気にならなかったことも実はあったりする？」
「さあ」
「ずるーい私なんて自分の失敗を赤裸々に語ってるのに」
「そんなことないだろう。もうこの話はやめよう」
「ずるいな.〜」
エルバートは横目で睨んでいた。
「ずるくない」
「王妃には言わないから教えてよ。最初はどうだったのさ」
「エル！」
結局シャナーンの失敗談を聞くことはできなかったエルバートだった。
その頃、違う屋敷ではー
ポロンポロンと竪琴をつまびく音が部屋に響いていた。
「ポン、ポン、ポロロン・・・えっとララララ〜だから・・・」
「おーい、いつまでやるんだ」
と長い足を組んで座っている男が聞いた。
「そうそうポンボンボロロロン〜♪」
「セリアー」
「何か言いました？」
とようやくセリアは顔を向けた。斜め前に座っているのはミカエルだった。
「ちょっと待ってといわれてだいぶ経ってるんだが・・・」
「すぐ練習しないと忘れちゃうんですもん。それで今日は何か御用ですか？」
「御用だからいるんじゃないか。なんで突然竪琴なんてはじめたんだ」
「音楽に目覚めたんです」
「こんな夜に弾くもんじゃないぞ」
「それでなんですか？」
セリアは口を尖らせて竪琴をテーブルにおいた。
「赤い月のことなんだが・・・」
「はー」
とため息交じりの声が聞こえた。
「私だってやいのやいの言いたくないが兄のような存在として心配してるんだ」
「別に心配されるようなことは何も・・・」
「最近ずっと沈んでいたから赤い月の心配でもしてるのかと思ってた」
「あれは別に・・・」
セリアは王妃の竪琴の演奏会が終わってから眠りこけてしまったため、しばらくその事で自己嫌悪に陥っていただけだった。
最近そうだ、竪琴を習ってみようと思い立ち、今日も休みだったので昼間街で教えてもらった所だ。竪琴を習っている女性は
結構いるようだ。街の教室は結構繁盛しているようだった。
「あせらない方がいいってユリウス様も言ってましたし、まあそんなにあせらなくてもその内その気になるんじゃないでしょうか」
「お前はのんびり屋だな・・・」
「みんなに噂されるだけでうんざりですよ」
「そうか・・・まあいいが・・・他の女性達からすればうらやましいことなんだぞ。男を選べるってのは」
「わかってますよー」
「じゃあ行く。何かあったら相談してくれ」
「はいはい」
ミカエルは去って行った。
「早く赤い月が過ぎればいいのになあ・・・」
赤い月が終わるまで、周りの噂話も消えそうにはない。口で言うほどセリアも気楽に思っているわけではない。
結局のところ自分は臆病なのかもしれない。その内その内といってごまかしていれば今はなんとかなるのだから。
それともその内に本能が目覚めて「あの人の子供がほしい！」と熱烈に思う日が来るのだろうか。
「今は竪琴だけが私の心を癒してくれるんだわ。がんばろっと。いつかは王妃様と竪琴のお話でもできたらいいなあ・・・」
セリアはまた真夜中だというのに竪琴の練習を始めたのだった。到底眠る気にはなれなかったのだ。
次の朝、城ではナナミが目を覚ましたものの、当然ながら同じベッドにゴショクはいなかった。ゴショクはいつもはナナミと同じ
ベッドで寝ているのだ。
どこに行ったのかちょっと気になったナナミだったが、口には出さなかった。
だが食後お城の中をうろうろしているナナミを見てアナスターシャが聞いた。
「ゴショク探してるの？」
「別にー」
「じゃあ何してるの？」
「なんにもしてない！」
苦笑するアナスターシャの前をナナミはかけて行った。
ナナミは王の間に向かった。
「ねえ、とー様ゴショク知らない？」とラクシュミに聞いてみた。
「知らないぞ」
ラクシュミはあっさり答えた。
「ゴショクどうかしたんですか？」
王の間にいたフリットが聞いた。
「勝手に出て行ったの。悪い子」
「おや・・・・」
「お前が追い出したんじゃなかったか？」
昨日の話を聞いていたラクシュミが言った。
「絶交って言ったけど出て行けって言ってないもん」
「絶交ってのは顔も見たくないってことじゃないのか？」
「顔見せなくても尻尾みせりゃいいのに」
「どういう理屈だ・・・」
ナナミは膨れたまま王の間を出て行った。
王の間を出ると外にシスが立っていた。
「ナナミ、ゴショク探してたんだって？」
「探してないよ」
「本当かな？」
「本当！」
ナナミはムキになって言い張っている。
「なんだ・・・じゃあゴショクほしいって子がいたからあげてもいいね」
「え・・・」
「だってナナミはもうゴショク嫌いなんだろう？」
「・・・・」
「その子もきっと喜ぶよ」
「・・・・・うう・・・・わーん・・・・」
ナナミは顔をゆがめて泣き出してしまった。
「ばかだなあ。嫌なら嫌だって言えばいいのに」
シスはナナミを抱き上げた。
「わーん、シスにーのばかばか！」
「嘘だよ。ゴショクは部屋に戻ってるよ。部屋に行こう」
「本当？」
シスが瞬間移動でナナミを部屋に運んだ。ベッドの上にくるんと丸まっているゴショクがいた。
ナナミは一瞬うれしそうな顔をしたが、やがてむっと怒って言った。
「まだ怒ってるんだからね」
「もう許してあげてよ」
とシス。
「やだ。許さないもん。昨日のことはちゃんと反省しなさい。いいですね。ゴショク」
ナナミは母親のようにゴショクに言い聞かせていた。
ゴショクが反省しているのかどうかは謎だが、とりあえずナナミとゴショクの仲は元に戻ったようだ。
シスから思念でその事を聞いたエルバートはほっと胸をなでおろしたのだった。
こちらもどうにかならないものだろうか・・・
『カーライル様お願いがあります！』
エルバートは意を決してカーライルに話しかけた。
『後10年ほど猶予を下さい。10年あればなんとか恋人もできるかと・・・』
『10年・・・・いやもうだめだ。今にも飛んで行きそうだ』
『そんな冷たいことをおっしゃらずに・・・カーライル様が今いなくなってしまったら・・・・私がふがいないせいだと思って
しまうじゃないですか』
『・・・・』
『え？本当はそうなんですか？私がふがいないからもういたくないんですか？』
『そうではない。このままお前に小言を言い続けても迷惑だろうと思って・・・』
『そんなことはないです。体を使われるのももう慣れましたし、人生の師として慕っているんです。もう少しゆっくりしてください』
『困った奴だ・・・』
ラギに会ってみたカーライルだったが、目新しい薬や媚薬もなかったために、情に訴える作戦に出てみたのだった。
だがエルバートは恋人を見つける努力をするどころか落ち込んでしまった。
私が手を貸さなかったら10年経っても恋人ができないんじゃないか？
と思ってしまうカーライルだった。困った奴だ・・・と思いつつも、そこがまたほっておけない所だった。
カーライルが憑いたのがシャナーンだったなら、とっくにどこかに行ってしまっているかもしれない。
『保障はできないがまあ努力はしよう。がんばれ』
『はい！』
エルバートからは元気な返事が返ってきたが、意味がわかっているのかどうかは謎のカーライルだった。
ある日の午後、城の廊下を歩いていたヴィラの背中がとんとんとたたかれた。振り向くとラギが立っていた。
「うわっびっくりした！」
ヴィラは過剰に反応していた。
「やあヴィラ、お母さんとこいくの？今日はミカエルが来てるみたいだよ」
「そうですか。なら邪魔しない方がいいですね」
ラギはにこにこしているだけだったのでヴィラがそろりと聞いた。
「今日は薬試せって言わないんですか？」
「うん、もうやめたよ。研究はしてるけど」
「おや、何かあったんですか？」
「カーライル様に怒られちゃった。中毒になったら困るから困ってない人に強制したらだめだって。まったく興奮できない人なら
ともかく、たまに興奮できないくらいの人はそういうの使わない方がいいんだって。自然でいる方がいいって」
「そうですか。カーライル様の言い分も最もかもしれませんね」
「男女の仲は義務になったら面白くない。この時代はほんと情緒がないってぶつぶつ言ってたよ」
「ははは、ハインリヒ殿もたまに言ってますからね。昔はもっと男女の仲も違っていたんでしょうね」
「だからヴィラ、今年だめならだめでいいんだよ。無理にがんばらなくていいからね」
ラギがヴィラの背中をぽんとたたいて言った。
「はあ・・・・」
「じゃあね」
「・・・・」
ラギを見送ったヴィラは、なんともいえない複雑な表情で廊下を歩いて行ったのだった。
ある者には気が重く、ある者にはうきうきの赤い月がもう少しでやってこようとしていた。
つづく
戻る