第４０話
外は秋晴れのような爽やかな天気だった。街の樹木も黄色に色づき木の葉が舞っている。大通りには『新酒』と書かれた札が
あちこちにぶらさがっていた。「今年の酒はなかなかいい」と人々の興味も酒のことばかりなのだが、
今年の一族の話題はもう一つあった。
カーラが妊娠したという話題で持ちきりだったのだ。本人はここだけの話にしたかったのだが、すっかり噂は広まっていた。
それも仕方がないだろう。カーラの妊娠はなんと街の新聞に載ってしまったからだ。妊娠が発覚して１０日目の出来事だった。
年齢のせいで子供をあきらめている女性達に勇気を与える出来事として載っていたのだ。
実際に微妙な年齢の女性達の励みにはなったようだ。もしカーラが無事出産を成し遂げたならば、まるで王族が増えたかのような
お祝いがあちこちの酒場で行われるに違いない。
そういうわけでカーラの元にお見舞いにくる人も後を絶たないので、半分以上は医者に励ましを言付けては帰っている有様だった。
そして今日も、病室に二人訪れていた。カーラはベッドの上で座っている。
「よかった、元気そうで。まさか、同世代のあなたが妊娠するなんて私も驚いたわ」
この日病室に来ていたのはフリットと母親のロアンナだった。
「まさか同世代のあなたが・・・・」
同じ言葉を繰り返したので、思いあまってカーラが言った。
「ロアンナさん、同世代じゃないですわよ。私よりもロアンナさんの方が、一つ世代上、ですから」
「そんなことないわよ。同世代よ」
ロアンナは言い張っている。
「違いますって」
「・・・・」
二人は見つめ合いながら微妙な空気をかもしだしていた。それを見たフリットはやれやれと思っている。
二人はカーラの妊娠のことはとっくに知っていたが、ある朝カーラの記事を読んでいたロアンナが、なにげに「私もまだ産めるかも」
と言いだしたので、向かいに座っていたフリットはぶっと紅茶を吹き出したのだった。
ロアンナに「失礼な」と責められ、「じゃあがんばってください」と面倒なのでそう返すと、「冗談よ」とロアンナは不機嫌そうに言っていた。
女性も２００歳が近づけば見た目はまだ若くても体力の衰えを感じる頃だ。かといってあまり気遣うとむっとされるのだから、難しい。
「でも驚きましたよ。お相手がキース将軍だとは。お似合いですよ」
フリットが空気をかえるために言った。
「それは私も驚いたわ。お花入れ替えてもいいかしら？」
ロアンナは綺麗なお花をもってきていた。
「いいですよ。お願いします」
「じゃあ行ってくるわ」
とロアンナは花瓶と花を手に病室を出て行った。
「いろいろ大変ですね」
フリットが気遣うように告げた。
「そうね。周りの方が騒いで大変よ」
「ですね。キース将軍も仕事に身が入らないでしょうしね」
「・・・実はね、私は若い頃、ロアンナさんに嫌がらせをしたことがあるの」
突然カーラは真面目な声で告白しだした。
「え？嫌がらせ？」
フリットは瞬いていた。
「あれは私が７０歳くらいになった頃だったかしら。その頃私も結構もてたけど、ロアンナさんももててた。今とは雰囲気も違っていて
颯爽としたかっこいい女性で、みんなあこがれていたわ。先代の王様もそりゃ気に入っててねー王妃様達の次にロアンナさんのことを
気に入ってたくらいよ。先代の王様はどうも淡い髪の色の女性が好きだったらしくて、私はあんまり気に入られなかった。
嫉妬した私はある日ー」
ノックの音と共にロアンナが帰ってきたので、カーラは口を止めてしまった。
「ありがとう、きれいだわ」
カーラは花瓶のお花を見て御礼を言っていた。元の元気なお花はそのまま挿してあった。新しいお花が追加されている。
「このお花、先代の王様がお好きだったのよねー」
薄いピンク色の花が縦に並んでいて、高貴な感じのする花だった。ロアンナは元の棚に花瓶を置いた。
「セルシアの花ね。私も好きよ」
一番いいところで話が途切れてしまったので、フリットは一人もんもんとしていた。
「何か話していたの？」
雰囲気を察したのかロアンナが聞いた。
「若い頃のロアンナさんのお話ですよ。もてもてですごかったわよって言ってたの」
「あらまあ」
ロアンナはちょっとうれしそうだ。
「フリットはその頃のロアンナさんのこと覚えてる？」
カーラはフリットに聞いた。
「あまり覚えてないですねえ」
フリットがつれなく言ったのでロアンナは横目でじろりと見ていた。
「お母さんは忙しい人でしたからね。いつも忙しそうだったのは覚えてますけど」
「そうね、忙しかったわ。いろいろと」
「あの頃は強い女性も１０人以上いたのにね。ぱったり少なくなってしまって」
カーラがしみじみと言った。
「そうね。じゃあそろそろ行くわ。あなたも疲れるでしょうから。何か相談でもあったら遠慮なく言ってちょうだい」
「ありがとう。さようなら」
「それじゃあ」と言って二人は出て行った。
嫉妬した私はあの日・・・・嫉妬した私はあの日・・・気になる・・・
仕方なくフリットも出て行ったものの、カーラの話の続きが気になって仕方がなかった。
「あの頃は大変だったけど楽しかったわねえ・・・・」
カーラは若い頃のことを懐かしく思い出していた。
あの元気はつらつとした頃に妊娠したかったものだ、とカーラは考えていた。その場合相手はキースではなくなってしまうが。
本当に仕事どころじゃないだろうに・・・・
キースはうれしいというよりも気がかりな毎日のようだ。ラクシュミに報告したときも、お互いなんといっていいやらわからないといった
感じだったらしい。
その時ノックの音と共に看護婦が入ってきた。
「エルバートさんがいらしてますけど、どうします？」
「エルバート君？入れていいですよ」
エルバートは緊張の面持ちでやってきた。
「こんにちはカーラ様、この度は・・・・」
「いいわよ。かたっくるしいこと言わなくても、こっちへどうぞ」
「はい」
エルバートは病室を眺めた。
ベッドの横の棚には籐のかごが置かれていた。大量のお守りがあふれんばかりに入れられている。
お守りのことはセリアに聞いていたのでエルバートはもってこなかった。
壁にはお守りが一つだけ小さい額に入れられていた。
エルバートはカーラの後ろの壁を気にしつつ、ベッドの横にある丸い椅子に腰を下ろした。
「これ王妃様からいただいてね、セリアが飾っていったのよ」
カーラが説明した。
「そうなんですか。これどうぞ」
エルバートが渡したのは緑色の葉っぱがついた枝の束だった。葉は乾燥していて花束のようにレースで結ばれている。
鼻に近づけるとすーとした爽やかないい匂いがした。
「あら、いい匂い」
「葉を紅茶に数秒入れて飲んでもいいらしいです」
「よさそう。モクシの葉よね？」
「そうですよ。妊婦さんに贈ることがあると聞いたので」
「そういえば昔はそうだったみたいね。エルバート君若いのによく知ってるわね」
エルバートは照れたように頭をかいていた。もちろんカーライルから教えてもらったのだった。
エルバートはにこにこしながらも、ちらちらとベッドの後ろを見ていた。
「うーん、エルバート君の顔って癒されるわ。ずっと見ていたいわ」
カーラはエルバートの顔をまじまじと眺めていた。
「そうですか？」
「うん。川の流れのように爽やかな感じ」
「そんなこともないですが・・・」
「私昔水色の髪ってあこがれていたのよねー昔水色に染めた事あるのよ。周りの反応はいまいちだったけど」
「カーラ様の黒髪ステキですよ」
「様なんていいわよ。さんで」
「はい、ではカーラさんで」
「うん」
カーラはエルバートがちらちら自分の後ろを見ていたので「そんなにお守りが気になる？」と聞いた。
「いえ、なんでもないんです。私はそれじゃこの変で」
「もう行くの？せっかくだからセリアとのいきさつでも聞きたいわー」
「いえー恥ずかしいですから」
「そういわずに」
ひっきりなしのお見舞いも煩わしいが、若い男がいろいろ訪ねてくるのはそれはそれで気分転換と言えないこともない。
「これ気に入っちゃったわ。いい匂い」
カーラはモクシの葉の匂いをかいでいた。
心が落ち着く匂いだ。確かに妊婦にはよさそうだ。そういえばこの葉っぱで作られたお茶を売っているのを見かけたことがあったと
カーラは思い出していた。
エルバートはどうにもカーラの後ろが気になって仕方がなかった。
そこに誰かがいたからだ。だがカーラは気づいていないようだ。
普通の人間ではない。透けているから霊体ということなのだろう。黒髪、黒い瞳の男が立っている。戦士のような服装だった。
前髪は目にちょっとかかる程度で右側でわけている。横は短く、後ろも襟足が軽く首にかかる程度だった。
襟の大きい黒系の上着にズボン、腰には皮のベルトがしてあり剣を一本さしている。
その男はエルバートがちらちら見ていたので、とうとうこっちを向いて『お？見える？』というような顔をした。
やあ、という感じで手を振っている。屈強の戦士という感じではなく、すらっとした身軽そうな男だ。背はエルバートよりも
高そうだった。
どうしましょう。手振った方がいいんでしょうか・・・・
エルバートは困ってしまった。見た所かなり若い男のようだ。自分と同じくらいだろう。
残念ながらエルバートの知らない人だった。この場合同族なので別に怖れることはないのだが、
男は何やら身振り手振りで話そうとしている。
ー何か言いたがってます。どうしましょう・・・・
エルバートはちょっと困った様子でカーライルに相談した。
ー聞いてやるか無視するか、どっちかだな
エルバートの性格からして無視はできない。
男は自分の胸をたたいた。
私は・・・・
そしてカーラを指した。
カーラさんの親戚？そうに違いない！
今度は自分のおなかが膨らんだかのような仕草をしている。
そうか、カーラさんの親戚がカーラさんの妊娠を心配して見守っている。これですね！
エルバートが納得したようににこっと微笑むと男も微笑んだ。くったくのない笑顔だ。
そりゃご先祖様も心配ですよね
エルバートは一人うなずいている。男も一緒にうなずいていた。どうやら互いに思いは通じたようだ。
「エルバート君どうかしたの？」
カーラに聞かれてエルバートははっと男から目を離した。
「いえ、なんでもありません」
「そう？一人でにやにやしてるからどうしたのかと思ったわ」
「すいません。ではそろそろ行きますね。また来てもいいですか？」
「うんいいわよ」
エルバートはカーラと謎の男に頭を下げて病室を出た。
「？」
カーラは不思議そうに横を見ていたが何も見えなかった。
「エルバート君って・・・ちょっと変な人？」
カーラはそうつぶやいていた。
病室の前でエルバートは腕を組んで考えていた。
ー本人に言わなくていいんでしょうか？
ーいきなり言って驚かせるのもどうかな。まあ別にいいんじゃないか？
カーライルはそう答えた。妊婦に刺激を与えるのはよくないとの考えのようだ。
ーそうですか・・・・ですよね
気づいていないのだからそのままの方がいいかもしれない、エルバートもそう思った。
午後、カーラは看護婦一人に強制的に付き添われ、病院から抜け出して街をぶらついて買い物をした。病院にいるからといって
寝てばかりでは体力がなくなってしまうため、たまには運動もしなければならない。
街の人がみんな自分に対してなんだか優しい目を向けているような気がして、カーラは気になった。
店で買い物をするとおまけしすぎでしょ、ってくらいおまけもしてくれる。看護婦には「気のせいですよ」
と言われたが、絶対気のせいじゃないだろう。グレープフルーツを２個買ったのに４個も入れてくれるなんてどう考えてもおかしい。
すっかり有名人になってしまったみたいね・・・・
そう自覚したカーラだった。
カーラが病室に戻るとフリットがまたやってきていた。
「すいません。話の続きがどうも気になってしまって」
フリットがそう言うとカーラは笑っていた。
「嫉妬した私はあの日・・・どうしたんですか？」
「嫉妬した私はあの日・・・・ロアンナさんのロッカーに大量のー」
その時ノックの音がして看護婦が顔を見せた。街につきそってくれた看護婦とは別の人だった。
「お変わりないですか？」
「ないです」
「そうですか」
カーラの言葉を聞いて看護婦は去って行った。
「た、大量の？」
「そんなに気になる？」
「気になります。大量のー？」
「ロアンナさんのロッカーに大量のー」
再びノックがして今度は医者が顔を見せた。
「お変わりないですか？」
「ないです」
なぜかフリットが振り向いて答えていた。
医者は「そうですか」と言って扉を閉めた。
「大量のサムアキプイを入れた」
「サムアキプイってなんですか？」
いろいろ想像していたフリットは拍子抜けした顔をしていた。
「知らないの？あれ、黒くてぬめっとしてて、沼とかによくいるじゃない。どじょうに足があるようなやつ」
「ああ、サンショウウオの仲間ですか」
「とにかくあれを入れた。１０匹くらい。ロッカー開けた時ロアンナさんは『フンギャー！』って言ったわ。今でも覚えてる」
カーラはその時のことを思い出したのかにやっと笑っていた。
「そりゃ言うでしょうね」
（ロイ様並のいたずらだな）とフリットは思った。
「しかも買ったばかりの靴にも入ってたから怒りまくってたわ。ふふっ」
「ふふって・・・言っちゃ悪いですがしょうもないいたずらですね」
フリットはちょっと呆れていた。
「私は陰険じゃないからそれくらいしか思いつかなかったわ」
「はあ・・・・」
ロアンナからすれば十分陰険ないたずらかもしれない。
「実はあれは私がやったとはロアンナさんには言ってないから、帰ったら伝えてほしいの。ごめんなさいって」
「今更いいじゃないですか。言わなくても」
「いや、私はこの先何があるかわからないから後悔ない人生を送らなくては・・・」
「はあ、まあ伝えますが・・・大丈夫ですよ。そんな心配なさらなくても」
根拠がない言葉だったが、他にどう言っていいやらフリットもわからなかった。
だがこうして側にいてもカーラはとても１７０を越えてるようには見えない。
案外すんなり出産するのではないだろうかとフリットは思った。
「とにかく伝えてね。それからロッカにーカエル入れたのは私じゃないからって言っておいて」
「わかりました」
フリットは『あの日ー』からの謎が解けてすっきりしたような、しないような微妙な顔で病室を出て行った。
実は病室にいる間、謎の霊体はフリットの肩をぽんぽんたたいたりもしていたのだが、フリットは全く気づかなかった。
エルバートに男が見えたのはカーライルがいるせいなのかもしれない。
その夜、フリットがロアンナにそのことを話すと、ロアンナは驚いていた。
「あれ以来サムアキプイを見ると虫ずが走るのよ。全くくだらないことして！」
「お母さんに嫉妬していたらしいですよ」
「そう、若い頃の私は結構いい女だったからね。今もいい女だけど。さてはブーツに魚入れたのも彼女ね！？」
「それは違うでしょう。一体どれだけいたずらされたんですか。もしかしてみんなに嫌われていたんじゃないでしょうね」
フリットはそっちを疑っていた。
「違うわよ。まあ若い頃の私は赤い月前にはみんなに誘われまくって大変だったからね。実は今も誘われてるけど」
ロアンナは髪に触れながら言った。
「ええ！？」
フリットはびっくり仰天してのけぞった。
「わざとらしく驚かないでよ」
「一体誰がそんな恐ろしいことを？」
「何が恐ろしいのよ！ジェダンなんか毎年季節の挨拶のように誘ってくるわよ。断ってるけど」
「ジェダン様ですか・・・」
どうやらジェダンはカーラの他にロアンナにも声をかけていたようだ。ジェダンは一族の中でも変わり種で、見かけはそう
ハンサムでもなくちょっと腹も出ているのだが、一族の中での格の高さはヴィクターと同レベルだった。
この国の経済を裏で仕切っているのがジェダンだったからだ。経済が上手く回らなければその国は発展しない。
それ故だった。フリットもジェダンのことは大変尊敬している。
「ジェダンは頭はすごく良いんだけど力はそうでもないから、若い頃から相手にしなかったからね。今じゃ誘ってくれるのは
ジェダンくらいだけど」
「よかったですね。誘ってくださる方がいて」
「ジェダンに誘われなくなったら私も女として終わりかもね」
ロアンナはちょっとさみしそうに言っていた。
「大丈夫ですよ。死ぬまで誘ってくださいますよ」
フリットは慰めるようにロアンナの肩に手をあてたが、その手はぎゅっとつねられたのだった。
やはり妙齢の女性にその手の話題は禁物のようだ。
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