第４６話
「ゆり、本当にすまない」
夜空には丸い赤い月が浮かんでいた。その月の元、世界中で愛の営みが為されていたが、ここ蛇の国の王の城の寝室では、
ばかでかいベッドの上で美しい王は王妃に謝っていた。
寝室は真っ暗だ。だが、目が慣れたゆりの目にはラクシュミの姿もおぼろげに見える。今ラクシュミは変化していなかった。
つまり、外見上はいつも通りなのだ。それでもいつもよりは、その視線にも愛があふれているはずだ、とゆりは思っていた。
「今回はどうも無理そうだ」
「いいのよ。王様」
ゆりはベッドの上で怒るどころか恐縮していた。
「私が悪かったの。王様のせいじゃないよ」
「本当にそう思ってるか？」
「うん。本当に思ってる」
「じゃあ全然変化しなくても許してくれるか？」
「うん」
「本当に怒ってないな？」
ラクシュミは確かめるように聞いていた。
「うん。王様ったら、私はそんなことくらいで怒ったりしないよ」
ゆりは笑っていたが、ラクシュミの方は思い当たる節があるのか、ちょっと首をひねっていた。
ラクシュミにとっては「そんなこと」でもゆりにとっては時にそれが大問題になる場合がある。今までそれを思い知らされていたために、
今は慎重にゆりに接していた。
『今まで毎年がんばったんだからもういいだろ！』などと威圧的に言おうものなら、二人のゆりが怒りまくるのはさすがに
ラクシュミも予想がついている。ゆりが切れると城を巻き込んでの騒動に発展しかねないため、それだけは避けたいと
ラクシュミは思っていた。情けないと言われようがこれは自分のためだ。これだけ謝っておけば怒ることはないだろう。
「王様と１０日ひっついていられるだけで私はうれしいよ」
ゆりはラクシュミの腕に自分の腕を回して言った。
「そうか」
「私大丈夫だからね」
今回の赤い月はラクシュミは全くその気がないようだった。しかも変化できそうにないとまで告白されてゆりはちょっと落ち込んだが、
どうやら原因は自分にあるようだ。赤い月前、ゆりはうなぎを食べまくったせいか夜ラクシュミを求めまくり、ラクシュミも結構付き合ってくれた。
いや、ラクシュミにすれば、ゆりの目つきが怖かったため無理にがんばったのだが、それも影響してか、赤い月に全く興奮できないでいた。
変化なしでゆりに手を出したそうでもなかった。つまり、そういう気はゼロらしい。こういうことは精力の薄い蛇の一族的には
珍しいことではない。
「私思うんだけどね、こっちのうなぎって、あっちのうなぎと成分が違うんじゃないのかな？あんなに興奮しちゃうなんて」
１０日以上も食べまくっての結論のようだ。
「ゆり、うなぎを食べるなとは言わない。一年で一匹程度にしてくれ」
ラクシュミはやんわりと言った。
「はい」
「・・・じゃあ寝るか」
「うん」
ラクシュミは上を向いて目を閉じた。
あれ？腕枕とかなしなのかな？
あの時のラクシュミはたいていゆりを抱きしめて寝ていたのだが、今はそれもない。
もしかして・・・まるっきり普段の王様なのかな・・・・嘘、そんな・・・・！
ゆりはさすがにショックだった。だがこれ以上なんだかんだ言うのも気が引ける。
まあ最初の夜だし・・・ちょっと様子を見てみよう・・・
ゆりはラクシュミには何も言わず、寝ることにした。
さてその頃、女戦士のセリアは、というと、一人寂しく屋敷で酒を飲んでいた。部屋の隅では数匹の蛇がからまりあっている。
セリアはちらりと蛇達に目を落とし、テーブルに頬杖をついてはーと息を吐いた。
母親のカーラは病室だ。部屋にはキース将軍がやってきているので、二人の邪魔をするわけにもいかない。
カーラには「今年もエルバート君と過ごすの？」と聞かれたが、セリアは「今年はそういう気分じゃなくて」と答えていた。
実際エルバートに赤い月の話はされなかった。誘ってきたのはエルバート以外の男だけだ。
「なーにが絶対来年も一緒だよ、だ。ほんといい加減だよねー」
セリアは酒を飲んで杯を空にした。その言葉のせいで他の男と過ごさなかったせいでもないが、なんとなくむしゃくしゃするのは
誘ってほしかったせいなのだろうか。
考えてみたがわからない。
そういえば・・・・とセリアは女友達との会話を思い出していた。
「エルバートさんってセリアの単独彼氏なの？誘った女の子いるみたいだけど。どうなの？」
友人にそう聞かれたセリアは「さあ」と答えた。
「さあって？今年も一緒じゃないの？」
「さあねえ・・・」
「さあねえって・・・気に入ってたんなら自分のものにしとかないと。他の女の子にとられちゃうよ？それとも今年はハー様いっとく？」
「いかないわよ」
セリアはすぐさま答えていた。
赤い月の男は怖い。
あのおとなしいエルバートでさえああなったのだ。更に謎の多いハインリヒが相手ならどう変化してしまうのか、考えると恐ろしい。
そうセリアは思っていた。
赤い月の男は普段とは別だ、というのは昨年学んだことだった。
自分自身、赤い月に興奮すると別人になってしまっていた、と言ってももいいほどだ。今思えば昨年の自分はかなり大胆だった。
もしかしてエルバートさん他の女性といるのかも・・・まあいいけどさ・・・
と思いつつ、セリアはちょっと面白くなさそうな顔をしている。
他の人に「小鳥ちゃん」とか言ってるのかな？それもなあ・・・
赤い月のせいかどうもいらいらして落ち着かなかった。部屋の隅ではまだ蛇がからまってだんごができている。
「うー」
低くうなっていたら屋敷のベルが鳴った。
誰だろう。男かな？もういいや、無視！
無視を決め込んでいると、すっと目の前に男の姿が現れた。
「あ・・・・」
「今晩は。待たせてごめんね」
水色の長い髪の男は微笑を浮かべていた。
セリアはぽかんと目の前に現れたエルバートを見上げていた。
「どうしたんですか？」
「もちろん、君との逢瀬に来たんだよ。待っててくれたんだろう？」
エルバートは当然のように言って横に腰を下ろしていた。
「全然。だって約束してないじゃないですか」
「したよ。去年の赤い月に」
「あれは・・・あの場限りのことかと・・・」
「君の蛇紋に誓ったじゃないか」
「普段は全然そういうそぶりもないくせに」
セリアはちょっとすねたように言った。
「普段の僕は君に話しかけるだけで精一杯なんだよ」
エルバートは横からひっついてセリアの肩に腕を回していた。
もうすでにいつものエルバートとは雰囲気が違う。普段ならば、こんな風に接近してじっとセリアを見つめてくることはなかった。
「でもうれしいよ。ちゃんと待っててくれて」
「別に待ってたわけじゃないですよ」
「またまた、照れちゃって」
「照れてないです。っていうか、すでに別人ですね。エルバートさん」
エルバートの目つきは妖しくなっていた。普段ならば絶対見られない目つきである。普段のエルバートのどこにこんな男が潜んでいるのかと
聞きたくなる。
「今日はそんな気ないです」
セリアはどきどきしながらも言ってのけた。
「ふーん、そうなの？じゃあその気にさせてあげるね」
エルバートは顔を寄せてセリアに口づけようとし、セリアは思いっきり横によけていた。エルバートは手に力を込めて引き戻そうとし、
避けようとするセリアと迫るエルバートでしばらく攻防が続いていた。
「君はかわいい子ウサギちゃん」
「は？」
「この前森でウサギの子供を見たんだよ。白くてふかふかしてて、君を連想した。子ウサギは蛇に食べられちゃったけど、
君は僕が食べてあげるね」
エルバートは力を抜いたセリアに口づけた。
セリアは反射的に抵抗してエルバートの唇にかみついた。
エルバートが顔を離した時、下唇の一部が赤くなっていた。
「あ・・・ご、ごめんなさい・・・」
セリアは自分がとった行動に驚いていた。本気で嫌だった、というよりは、つい反射的にやってしまったのだ。
エルバートは自分の唇を指で触れていた。指に血が少しにじんでいる。
「ごめんなさい。その・・・・」
「そうか、あんまり遅すぎたから怒ってるんだね」
エルバートは静かな口調で言った。
「え、いえ、別に・・・」
「ごめんね。こうなるまで時間がかかるんだ」
エルバートはセリアの頬をなでて立ち上がった。そして背中を向けたエルバートにセリアははっとした。
「い、行くんですか？」
「うん。行くよ」
「・・・・」
まさかあっさり去って行くとは思わなかったので、セリアはどうしていいやらわからなくなった。
このまま行かれてしまったら、寂しくなってしまいそうだ。立ち上がり、手を出したが、その手を引っ込め、やっぱり出した。
「い、行かないでください・・・」
「じゃあここでする？」
エルバートは顔を向けてあっけらかんと聞いた。
「え？」
「ここですると身体が痛くなっちゃうよ」
「・・・・行くってどこへ？」
「君の寝室」
「は・・・・てっきり帰るのかと・・・・」
セリアの顔が引きつっていた。
「ここでする方がいいの？」
エルバートはセリアの反応はかまわずそう聞き、
「寝室で・・・」
セリアはついそう答えたのだった。
赤い月は不思議だ・・・・なぜ普段優しいあの人が、こんな勝手で不思議な男になってしまうのだろうか？
それともみんなそれなりに変化しているのだろうか？
ベッドに乗るなり、エルバートはセリアの服を脱がしていた。すでに水色の瞳孔は細まり、表情も変わっていた。
情欲にかられた瞳は男そのものだった。
じっと見つめられると身体の奥がかっと熱くなってきた。
「かわいい子ウサギちゃん」
去年は小鳥だなんだと言われたが、今年はうさぎのようだ。
「綺麗だよ。君の蛇の瞳・・・」
その言葉でセリアは自分も変化したことを知った。
「一杯愛し合おう」
「・・・・」
「返事は？」
「はあ」
「はあ？うれしい〜ってかわいく言って」
「うれしい・・・・」
ぽつりと言うと両方のほっぺを軽く引っ張られた。
「うれしい〜♪エルバートさんうれしい〜一杯抱いて〜ん♪はい、かわいらしくどうぞ」
「うれしい〜・・・」
セリアはちょっと引きつりながらもかわいげに言ってみた。エルバートは続きを待っているかのようにセリアを見つめている。
「言わないと続きないよ？」
「え・・・」
すでに変化していたセリアは、続きがしたくて仕方なくなっていた。
「うれしい〜エルバートさんうれしい〜一杯抱いて〜ん♪」
かわいらしく言うとエルバートはにやっとした。
「うん、燃えてきた！」
エルバートはセリアに覆い被さった。
エルバートさん、去年より変な人になってないですか？
そう思ったが、「好きだよ」とささやかれ、まあいいかと開き直った。
身体に触れられてどんどん次を望む自分がいる。
一年ぶりに会った男は去年よりも少し慣れた感じで身体を重ねてきたのだった。
朝、日差しで明るい城の食堂では、子供達がゆりの顔を見て不思議そうな顔をしていた。
「どうしたの？」
と聞いたのはラギだった。
「何が？」
ゆりは何食わぬ顔で椅子に座っている。
侍女があわててゆりの食事を運んできていた。
「だって、いつもは来ないからさ」
最初の赤い月の翌日の朝は、ゆりはラクシュミと二人っきりで寝室で仲良く食事をするのが常だった。それなのに今日はゆりはここにいる。
「そーだっけ？」
ゆりはすっとぼけたように言ってテーブルの上にあるパンにかぶりついていた。
赤い月で幸せ絶頂という感じではない。どちらかというとヤケ食いに近い食べ方だ。どうも様子が変だ。
ー聞かない方がいいみたいだね
シスがアナスターシャとラギに思念を飛ばし、二人はうなずいていた。
そう、『あの時の王様』はついに朝になっても現れることはなく、「おはよう。それじゃまた後でな」とラクシュミはそう言って
つれなく去って行ったのだった。朝の口づけもなしにである。
こ・・・今夜こそ・・・今夜こそは・・・・変化なしでもいいから、せめて熱いキスしまくりくらいは・・・・
夜を期待したゆりだったが、その夜も、次の夜も、ラクシュミは普段と変わらず、朝も昼も似たようなものだった。
いつもの赤い月の間ならば、昼間子供らが前にいようがいるまいが二人でべったりべたべた、時には口づけさえするくらいなのだが、
今回は並んで座っていてもゆりとラクシュミの間には隙間があるくらいだった。
子供達がラクシュミに「今年はいつもと違いますね」と聞いたほどだ。ラクシュミ自身は「そうか？」と自分でもよくわかっていないようだった。
まるっきりいつもと一緒じゃん！
なんでこう極端なのよ！！
精力がまるでないと甘いモードにも変身できないのだろうか。今ならば、昼間ゆりが男と話をしても何も言われないかもしれない。
『あの時の王様』なら殺されかねないというのに。
王様・・・あの時の王様ー！！出てきてー！！
叫んでも祈ってもあの時のラクシュミはどこにも出てこなかった。きっと心の奥底に封印されてしまっているのだろう。
こうなったらあの時の王様を想像しよう！
ゆりは仕方ないので想像力で補うことにした。
『ゆり・・・お前はなんてかわいいんだ。こいつめ』
『王様ったら・・・』
『その唇、まるで花びらのようだ。そのかわいい唇に一杯口づけしてやるぞ』
『うれしい〜』
「む・・・むなしい・・・」
しばらく妄想したゆりはゆりはあまりのむなしさにがくっとうなだれた。
王様・・・お願いだから最後の１日くらいは出てきて！お願い！！
心の内で拝んでいたゆりだったが、最後の夜も、ラクシュミは普通に寝てしまった。
二人の間には一人分の隙間もあったほどだ。いつもならば考えられない。
赤い月の間ラクシュミがゆりに冷たくしたわけではなかった。ただ、普通に優しかっただけだ。
王様・・・・あの時の王様・・・・王様ー！！しくしくしくしく
ゆりは涙があふれるのを止められなかった。いつもならばこの夜は、別れを惜しむ涙であったのだが。
悲しいよー王様ー！！！
朝起きた時、ラクシュミはゆりの顔を見て驚いた。
「ど、どうしたんだ！？」
「え？何が？」
ゆりは泣きはらした目をこすっていた。まぶたが腫れぼったくなっている。ゆりは悲しさのあまり全然眠れなかった。
「私、何か変？」
「何もないならいいんだが・・・」
ラクシュミはこわばった顔で何かあったかな？と考えたが、何もわからなかった。
「怒ってるのか？」
「ううん、怒ってないよ。今日もがんばってね」
ゆりは笑みさえ浮かべてラクシュミを見送った。
ラクシュミが首をかしげながらも部屋を出て行くと、ゆりの表情ががらりと変わった。
「このこのおおお！！」
ゆりは枕をベッドにたたきつけて怒りを発散させていた。
「うなぎが憎い！！！うなぎのばかー！！」
怒りの持って行き場が他に見あたらなかったため、ゆりは枕を何度もたたきつけてうなぎに悪態をついていた。
うなぎにすれば食べられたあげくに、言いがかり的な文句までつけられ、踏んだり蹴ったりである。
「うなぎなんか嫌いだー！！！！」
ゆりのあまりの殺伐とした雰囲気に、この日は侍女も子供達でさえも話しかけることができなかった。
そしてあれほど喜んだうなぎも、二度と食卓にあがることはなかったのだった。
赤い月が終われば気温は上昇する。森も新緑で彩られて綺麗だ。
色とりどりの花が咲きみだれる庭園にはひらひらと蝶が飛んでいた。
「ちょうちょかわいいね」
「かわいいねえ」
ナナミはあちこち飛んでいる蝶を眺めて喜び、ラギは変わった蝶はいないか探していた。庭園は今もっとも華やかな時期である。
日差しはぽかぽか、蛇も伸びてひなたぼっこしている。
「ラギにーこれ何？」
ナナミが葉っぱの上の虫を指して聞いた。小さい虫で赤い背中に黒い点々がある。
「これはテントウムシって虫だよ」
「これ友達？」
赤い虫の横に黄色い似たようなのもいた。
「仲間だね」
「ふーん」
二人で顔を寄せて虫を眺めていたら、「こんにちは」と声をかけられた。黒い短髪の男、ミルキダスが近くに立っていた。
ミルキダスは武器は持たず、黒の上下であまり飾りのない地味な上着を着ていた。耳にはいつものごとく赤いピアスが輝いている。
「こんにちは、ミルキダス」
二人が挨拶を返した。テントウムシが飛んで行ったのでナナミは違う虫を探しに行った。
「あの・・・王妃、何かあったんですか？」
ミルキダスがちょっと躊躇するように小声で聞いた。
二人は東屋に目を向けた。そこにはずっと前からゆりがいる。ゆりは一人で東屋でオカリナを吹いていた。華やかな庭園の風景には
不似合いな、哀愁の漂う曲がずっとそこから流れている。
「もう一人のお母さんに聞いたら、『何もなかったから悲しいの』だって。今年はお父さん、甘い王様に変身しなかったみたい」
「え？そうなんですか？」
「まあそういうこともあると思うけどね。初めてだったからショック受けてるみたい」
「なんと・・・かわいそうに・・・」
近くを王の侍女が二人通り過ぎた。こちらに挨拶し、花を摘み、ちらちらとゆりの様子を眺めながら去って行った。
「裏ではネタにされてるんだろうなあ」
ラギがぽつりと言った。
「え？ネタ？」
「王様の侍女らにさ、お母さんってわかりやすすぎるよね」
「素直な所が王妃のかわいらしい所ですよ」
とミルキダス。
「まあミルキダス、ちょっとお母さんの気を紛らわせてあげてよ」
ラギはミルキダスの背中をぽんとたたいた。
「え・・・・・」
そういうことはミルキダスのもっとも不得意な事であるが、ミルキダスは頭をかきつつ、とりあえず東屋に近づいた。
ミルキダスに気づいたゆりは手を止めた。
「あらミルキダス、今日は休みなの？」
「はい、あの、す、素敵な曲ですね」
ミルキダスはぎこちない笑顔で言った。
「なんという曲ですか？」
「この曲？コンドルは飛んで行くって曲なの。私の世界の曲なの」
「え、そ、そうなんですか・・・素敵な曲ですね。コンドルってなんですか？」
他にほめ言葉がどうやら見つからないようだ。
「コンドルっていうのはでかい鷲みたいな鳥のことよ。こっちにいるかどうか知らないけど」
「そうなんですか」
ミルキダスはゆりの近くに座り、「鷲といえばこの前ゼッドがでかいペリカンを捕まえてきましてねー」などと強引に話をつなげていた。
赤い月が終わり、戦士らもちょっとまったり気分だった。赤い月を堪能できた者は浮かれ気味に、そうでない者はちょっと沈みがちである。
今年の赤い月は幸せだった、とでもいうかのように、エルバートはご機嫌だった。
寮のみんなにも朝からかわれたくらいだ。
仕事の間の休憩時間に入り、カーライルが「赤い月、楽しかったようだな」と声をかけた。
「はい、楽しかったです！」
と珍しくエルバートはカーライルにのろけていた。
ー休みの日はセリアさんといろいろお話もしたんです。本当にセリアさんってかわいくて寛大で、素敵な人です
ーそうか、お前もようやく恋というものがわかってきたか。異性と赤い月に普通に話ができるようになったとは・・・・
カーライルはエルバートの成長ぶりに感心していた。結局は一緒に過ごすことができたようだ。
ーちなみに夜のことは覚えてるのか？
ー全然覚えてないです。でもセリアさんはちっとも怒ることはなく、覚えてなくてもいいんですよって・・・なんて優しいんでしょうか
ー確かに寛大だな。だが昼間は甘い話をしてくどいたんだな？
ー昼間は至って真面目な話をしました。カーライル様に教えていただいた話をすると、とても興味深く聞いてましたよ
ー・・・赤い月にはもっと甘い話をしろ
カーライルは呆れていた。
ーそういえばセリアさんはチョコレートケーキが好きみたいです。そういう話もしました
ーそっちの甘いじゃない！恋人らしい会話のことだ
ー夜のことは全然覚えてないんですけど、いろいろ話ができてうれしかったです
ーよかったな・・・
カーライルは力なく答えた。
どうやらエルバートなりに恋愛しているらしい。
あの子呆れてるんじゃないか？
と思ったカーライルだったが、
もしや夜は頼りがいのあるいい男に変身しているのかも？
そうも思えてきた。それならば怒らないのもうなずける。
ーまあうまく行ってるならそれにこしたことはない
休憩所にミカエルがやってきた。エルバートは立ち上がり、「こんにちは、ミカエル様」と笑顔で声をかけた。
あまりの笑顔にミカエルはちょっと頬を引きつらせている。
「ああ、エルバート、カーラさんがいる病院から伝言預かってきたぞ。手が空いたら来てほしいそうだ」
「私ですか？」
「またお願いしたいって言ってたぞ」
「また？なんでしょうか？」
エルバートは首をかしげていた。
「じゃあ伝えたからな」
ミカエルはご機嫌なエルバートが癪に障ったのか、さっさと消えた。
「あ、もしかしてカーライル様病院で何かされました？」
そうとしか考えられなかった。
ー私だ。この前特技を披露したらえらく喜ばれてしまった・・・またそれか・・・
「特技。催眠術ですか？」
ーいーや、別の特技だ
「カーライル様はいろんな特技をお持ちですね。さすがすごい方です」
エルバートは尊敬の念を込めて告げた。今ではエルバートはカーライルのことを「師」と仰ぎ、尊敬していた。
「今日は仕事終わるの早いですからどうぞ身体使ってください」
ーああ、あそこの医者は人使いが荒いなあ・・・・
カーライルは面倒そうだ。
「一体何の特技なんですか？」
ー秘密だ
カーライルはそれ以上教えてくれなかった。
途中から声を出していたため同じ休憩所にいた仲間が変な目を向けていたが、まったく気づいていない。
「ああ、今日は仕事が楽しいなあ。早く仕事しよう！」
エルバートはうきうきしながら仕事に戻っていった。
その頃、ミルキダスが去った庭園では、再びゆりの哀愁漂うオカリナの曲が響いていたのだった。
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