第４７話
「へーすごいじゃないか、意外な特技があるものだな・・・」
あまりの意外っぷりに報告を受けたラクシュミは目を見開いていた。今は夕暮れ時である。窓の外は赤く染まっている。
大きな長椅子では大きなクッションを枕に寝そべったラクシュミ、テーブルを挟んでミカエルが座っていた。
「昨日もまた頼んだそうですよ。医師も感心する腕前だそうで」
「そりゃすごいな」
話題は水蛇様ことカーライルだった。この前エルバートが呼ばれたわけを、ミカエルは今日病院で聞いてきたのだ。
「おかげで妊婦に大人気ですよ。あの水蛇様は」
ラクシュミは「ははは」と笑っていた。
「面白い蛇様だな。もしかしてハザークにもできたりして・・・」
「どうでしょうかね、所で王、今年の赤い月はどうでした？」
ミカエルは急に話題を変えた。
「今年は残念な結果に終わった」
「そうですか。例年ならばこの時期幸せ絶頂の王妃が、今年は違うのでおや？と思ったんですよ」
ミカエルはここに来る前ちょっとゆりに会ってきたのだった。
「なんか黄昏れた表情で変な歌を歌ってましたよ。牛が売られていくとかなんとか」
ミカエルが聞いたのは『ドナドナ』だった。市場へ売られていくかわいそうな子牛の歌である。
「まあたまにはしょうがないだろう。私だって嫌がらせで無理だったわけじゃない。所でカーラの様子はどうだ？」
ラクシュミはさっさと話題を変えた。
「赤い月の間はわりと元気だったようですよ」
「そうか」
「といってもまだまだ先は長いですからね。安定期といっても油断はできません」
「そうだな・・・」
二人ともしんみりしてしまった。
その頃ハザークの部屋にはカーライルがやってきていた。もちろんエルバートごとである。
「外が綺麗だぞ」
カーライルがそういうと、ハザークの侍女は窓から外をのぞいた。
「あら、本当ですね。綺麗な夕焼け」
空は真っ赤に染まっている。鳥の群れが飛んで行くのが見えた。
ハザークは興味がないのか長椅子から動く気がないようだ。
カーライルは土産だと言って、袋に入ったお酒を違う侍女に手渡した。
「ありがとうございます」
「昨日働いた御礼にもらったんだ」
「働かれたんですか？」
「ああ、働いてしまった」
「死んだ後も働くとは物好きだな」
ハザークが言った。
カーライルは落ち着かない様子で部屋の中をきょろきょろ見回している。
「ちょっと来ない間にかなり変わってるな」
「そうか？」
「そうかって・・・なんだこのおもちゃの山」
部屋の中には至る所に赤ん坊が遊ぶようなおもちゃが散乱している。
「すみません、今片付けますね」
侍女がぬいぐるみや人形を拾って大きな箱に入れていた。長椅子の上のおもちゃがなくなった所でカーライルは腰を下ろした。
最初にこの部屋に来た時よりも、部屋の中はだいぶ変わっている。
部屋の隅にはクーリーフンの等身大二分の一の石像が置かれたままで、更に棚の上には陶器製のクーリーフンもいた。
更に子供のラクガキのようなものもいくつか飾ってある。そして部屋の隅にでんと置かれている木の箱である。
大人が一人縮こまって入りそうなほどのでかさだった。
「さっきまで子供がいたからな」
ハザークが言った。カーライルだってまさかハザークがおもちゃで遊んでいたとは思ってはいない。
「歩くようになったか？」
名前を言わなくても誰のことかは明白だった。金色の髪がちょんちょんとついているミシェイラのことだ。
「ああ、だいぶ」
と言いつつハザークはちょっと幸せそうな表情を浮かべている。
「最近ではおもちゃでよく遊ぶようになったのだ」
「そうか」
それでこれだけおもちゃを集めたらしい。あのラクガキは上の子が描いたんだろうな、とカーライルは推理した。
黄色い蛇が描かれている。ハザークのつもりのようだ。
ハザークの人生で今が一番子供に好かれているかもしれない。
「とってもかわいいんですよ」
侍女は二人とも笑顔だ。
「そうだろうなあ」
おもちゃが全て箱に収まり、ようやく部屋の中は落ち着いてきた。もう一人の侍女はお酒の用意をしている。
「・・・何で働いたか聞いてくれないか？」
誰も聞いてくれなかったのでカーライルは自分で催促していた。
「聞かなくてもわかる。水泳でも教えたんだろ？」
ハザークがまるでそれしかないとでもいうかのように言った。確かにカーライルは水蛇だが、人化してわざわざ
泳ぐことはない。
「違う。妊婦の逆子を治してきた。実は私の得意技なのだ」
「ニンプノサカゴ？」
ハザークはぴんとこなかったのか、どう反応していいやらわからないようだった。
「カーライル様にそのような特技があるとは知りませんでしたわ」
侍女の方が先に反応した。侍女はカーライルにお酒が入った杯を渡した。
「ありがとう。まあ普段は使わないからな」
「素敵ですわ」
「そうか？」
侍女に言われて、カーライルはまんざらではないような顔になっている。
ハザークの方はやっぱりよくわかっていないようだ。
「ハザーク、逆子、知ってるか？」
「腹の中で赤ん坊が回るやつだろ？どうやって治すんだ？」
「ちょっとこつがいるんだ。腹に手をあててだな、こう、くるっと」
カーライルは手を回しながら解説していたが、ハザークは不思議そうに片方の眉をあげている。
「逆子のままだと産む時に大変なんだ」
「ほー」
「どうしてそういうことになったのですか？」
侍女が聞いた。
「数人の女性と話をしていて、その中に逆子の妊婦がいたのでつい治してやったら、今度は頼まれたのだ」
「結構楽しそうにやってるな」
ハザークはそっちに感心を向けていた。カーライルは人と関わることをそう面倒だとは思わないタチらしい。
「せっかくだからこの時代の女性と話がしたくなってな。お前は侍女貸してくれんし・・・」
カーライルが恨めしげに言うと侍女はくすりと笑っていた。
「正体をばらしたらみんな興味深げに見てたな。まあお前はあまり人前にはでないからなあ」
カーライルが生きていた時代でも人化した蛇は珍しい方だった。今ならば珍しいを通り越しておとぎ話の登場人物のレベルだ。
「我も人の身体のことはいろいろ学んだが、そんなことまでできないぞ。昔医者だったのか？」
身体を起こしたハザークが酒を飲んで聞いた。
「いや、昔女性の出産にかなり興味があっていろいろ学んだのだ。学んでいる内に逆子を治すのだけはすっかりうまくなった。
人と人化した蛇との間の子供を宿した女性は皆大変だった。私の子供を生んだ女性もかなり苦しんだからな。
少しでも手助けをしたかった、私は実は妊婦に弱いのかもしれない。頼まれると嫌とは言えないのだ」
「妊婦好きか？」
「妊婦が好みというわけではない。昔は腕の良い魔法医師がたくさんいたんだがなあ・・・・妊婦の子供を
他の女性の腹に移動させる、なんてこともできたんだぞ。昔は」
「まあ・・・そのようなことが・・・」
侍女達は驚いていた。
「バカ王の長男もそれで生まれたんだ」
「バカ王・・・？」
侍女二人が首をかしげた。
「ああ。あいつか」
ハザークにはわかったようだ。
ひとしきり話をしすると、すっかり日は暮れていた。ハザークはそう話す方ではないので、カーライルが話題を提供し、
ハザークが相づちを返す、いつもこんな感じだ。だが、そういう会話もハザークにとっていいものに違いない、
とカーライルは思っていた。過去も、思い出すこともなければ忘れてしまう。記憶が膨大すぎるハザークにとっては特にそうだろう。
カーライルが寮の前に移動すると、寮の外にいた男達が近寄ってきた。
「エルバート、カーラ様の具合が急に悪くなったらしいぞ！」
でていたのはカーライルだったが、戦士らはエルバートだと思って話しかけてきた。
「さっきキース将軍があわてて病院に向かったんだ」
「カーラ嬢が？また倒れたのか？」
カーライルの言葉に一瞬「？」という反応をした戦士らだったが、「ああ」とうなずいた。
「心配だよな・・・」
そのまま病院に飛んだカーライルは、カーラの病室の前の廊下にしゃがみ込んでいる男を発見した。
そこにいたのはミルキダスだったが、中身はセルジュだとカーライルにはすぐわかった。身体を借りているようだ。
セルジュは泣いていた。
セルジュは気配を感じて顔をあげ、カーライルに気づいた。
「状態が良くないと聞いたが・・・」
「さっき急に倒れて昏睡状態になってしまったんです」
「そうなのか・・・」
「ここの所安定しているようだったのに。かわいそうに・・・」
セルジュの様子から、カーラの具合がかなり悪いということがわかった。
病室のドアが開いて看護婦が一人走って行った。中から女性の泣く声が聞こえてきた。セリアだ。
ミカエルとキース将軍の姿も見えた。皆悲痛な表情を浮かべている。
ベッドにいるカーラの気の力はかなり薄くなっていた。
どうやら本当にまずいな・・・
カーライルでさえ見てすぐに思ったほどだった。
「お母さん・・・お母さん・・・」
セリアのすすり泣く声が聞こえてきた。
「ミカエル様、王様が決断されました。すぐにカーラさんを城に運びましょう」
病室にいた医師が告げていた。
「わかった。私が運ぼう」
動こうとしたミカエルの腕をセリアがつかんだ。顔中涙で濡れている。
何か訴えるような視線を向けている。
「セリアさん、他にもう方法はないのです！このままでは両方死んでしまいます！」
医師が苦しげに告げるとセリアははっと手を離した。
「私がー」
キースが先にカーラを抱き上げて移動し、ミカエルも続いた。
セリアは激しく泣き出してどこかに移動してしまった。
「セリアちゃん！」
病室の外にいたセルジュはセリアを追いかけて行ってしまい、病室の中には看護婦と医師の二人だけになった。
「なあ、城に連れて行ってどうするんだ？」
カーライルは二人に聞いてみた。
二人はこちらに顔を向けたが、沈んだ表情のまま口を開こうとしなかった。
「王が何かするのか？」
「王様がカーラさんに魔法をかけるんです。今を逃せばもう、どちらも助かりませんから」
看護婦の方が答えた。
「どんな魔法なんだ？」
「今のままの状態で眠らせる魔法ですよ。王様も初めてなのでうまくいくかどうかはわからないとおっしゃられてましたが・・・
薬でももうもちません。流産させるか、この方法しか・・・・」
「眠らせて赤ん坊は育つのか？」
「そうなるようにする、とはおっしゃられてました」
「赤ん坊がでかくなったら取り出すのか。ならあの子はなんであんなに泣いてたんだ？」
「カーラさんの命の保障はまったくできないからですよ。王様も魔法をずっとかけ続けなければならないですし、２年以上も
かけ続けて赤ん坊が育たなかったら・・・・たとえ育ったとしても母胎は危険な状態のままです。赤ん坊を取り出して元気のまま
いられるとは限りません」
「そうか・・・」
王にも賭けであるらしい。王といっても昏睡状態になった妊婦を元気にする魔法などは使えないようだ。
「誰にとっても辛いことだな・・・」
カーライルはそうつぶやいた。
城の中の一室で、カーラは眠らされた。
ラクシュミの魔法のベールに包まれて。
顔色が蒼白なのが痛々しい。
ラクシュミはカーラの手を握りしめていた。
この部屋に運ばれて、カーラは意識を取り戻した。そしてラクシュミを見上げて、何か言いかけるように口を開いた。
「大丈夫だ」
ラクシュミは優しく声をかけて手を握り、魔法をかけたのだった。
ラクシュミはカーラの手をそっとベッドの上においた。
「申し訳ありません。王にこんな負担を・・・・」
消え入るような声で言ったのはキースだった。
結界を作りながら、カーラの魔法をかけ続ける。ラクシュミが自ら望んだとはいえ、その負担を考えるとキースは申し訳ない
気持ちで一杯だった。
しかも、子供が無事産まれるかどうかは全くの賭けなのだ。
全てが徒労に終わる可能性だってある。
カーラが倒れてその話になったとき、キースは「子供はあきらめましょう」と告げたのだった。
だが、ラクシュミはこうすることを選んだ。
「大丈夫だこのくらい。そう心配するな。シスやアナスターシャも最近では手伝ってくれているからな」
ラクシュミは安心させるように言った。
「王・・・・ですが・・・やはり子供はあきらめた方が良いのではないですか？流産してもカーラが無事ならばそれで・・・」
今はすんでの所で赤ん坊は踏みとどまっている。魔法がなければすぐにでも危険な状態になるだろう。
流産させて無事かどうかもわからない。だが、カーラが助かる可能性はこの方が高いのではないだろうか。
「嫌だ」
ラクシュミははっきり告げた。
「王・・・・」
「将軍、自分を責めないでください。カーラさんはこうなっても後悔なんてしてないですよ。子供が産まれるのをあんなにも
楽しみにしていたんですから」
ミカエルが声を掛けた。
「しかし・・・」
「私の望みは、カーラの望みでもあるはずだ」
ラクシュミはそう言い切った。
キースは手で顔を覆っていた。
その部屋の外にやってきたセリアとセルジュは、部屋の前にいる男に気づいた。
エルバートだった。
セルジュは「よかった、後は任せるよ」そう言って消えた。
エルバートが近づくと、セリアは顔を両手でごしごしこすっていた。
「大丈夫？」
「はい、私すっかり取り乱しちゃって・・・・」
「当然だよ。誰だってそうなるよ」
エルバートは優しく言った。カーライルに事情を聞いたのもついさっきだ。エルバートだってカーラのことが心配でたまらなかった。
娘ならばなおさらだろう。
「お母さんが無事なら子供はあきらめた方がいいんじゃないかと私は思ったんだけど・・・私間違ってるのかしら」
セリアはぽつりと言った。
「どうだろう。カーラさんならどう思うだろうね」
「お母さんなら・・・命と引き替えにしてでも産みたいっていうわ。きっと・・・・」
母ならば・・・それが当然のことなのだろうか。セリアにはまだよくわからない。
「ごめんね。私には気の利いた事は言えない。ただ、君が悲しんでいたら、カーラさんも辛いと思う。王は、カーラさんの
望みをかなえたいからきっとこうしたんだよ」
エルバートは優しくいたわるように告げた。
「わかってます。王様にも本当に申し訳なくて・・・」
セリアの瞳から涙がこぼれ落ちた。
「カーラさんもがんばってる。セリアさんも、がんばろう」
エルバートがそう声をかけると、セリアはうなずいた。
夜が明けた。
朝、侍女にカーラの一件を聞いたゆりはびっくり仰天していた。
カーラが眠らされた部屋は二階の右端にあった。その部屋の扉をこっそり開けると、ベッドの横にフレイにザメハ、
ラクシュミがいた。ラクシュミは足元までの白いローブ姿だった。朝起きてここに来たようだ。
カーラ用に急遽整えられたのだろう。ベッドは部屋の真ん中にどんとおいてあった。天蓋付きのベッドで布はベッドの柱に
くくられていた。
ラクシュミがゆりに気づいたので「おはよう、みんな」とゆりは声をかけた。
「おはよう」
「「おはようございます。王妃」」
フレイとザメハは頭を下げた。
「あ、あの・・・カーラは大丈夫？」
ゆりはベッドに近づいて聞いた。
カーラは青い透明な膜のようなもので覆われていた。
「大丈夫だ。お前は心配しなくていい。じゃあ私は行く」
ラクシュミはゆりの肩に手を乗せて言い、消えた。
「あのー・・・」
ゆりはいろいろ聞きたかったが、何から聞いたらいいのかわからず二人を見た。二人ともちょっと暗い表情を浮かべている。
カーラが横で寝ているのにここで状態を聞くのもはばかられた。
「王妃、王はしばらく大変です。夜がおろそかになっても、どうか怒らないでくだされ」
ザメハはゆりを見つめてそう言った。
「え・・・・」
ゆりの顔が引きつった。
「あの・・・私はそんな・・・」
「王妃はそこまで我がままではないですよ」
フレイが言った。
「そうよ。事情があれば我が儘なんて言わないわよ。そこまでおばかさんじゃないわよ」
ゆりは拳を握りしめて主張した。そんな風に思われたら心外である。
「私よりもカーラのことよ。このままずっと魔法かけて大丈夫なの？」
「正直わかりません。王にとっても初めてのことですから・・・」
フレイが告げた。
「わしらもこういうことは経験がありませんし・・・王はがんばるつもりでおられますから、王のことも心配ですが・・・」
二人は息を吐いていた。長生きしている二人も知らないとは、これは相当稀な処置のようだ。
ゆりの左目が蛇の目に変わった。
ゆりはベッドにいるカーラを見た。
「先が長いから大変だね。真面目なキース将軍も気にしてそうだね・・・」
「「そうでしょうなあ・・・」」
二人は同時につぶやいていた。
気にするなと言われても無茶な話だ。
子供を為すのは一族の存続のため、そして王の負担を軽くしたいがため、それなのに王に負担をかけさせることになってしまった。
キースもやりきれない気持ちでいるだろう。
王様本当に大丈夫なのかな？無理してるんじゃないのかなあ・・・
ゆりはそれが気がかりだった。
「やっぱり聞いてくるわ」
ゆりはそう言って部屋から消えた。
ラクシュミは朝食を食べている最中だった。そこにゆりが現れた。
王の朝食といってもそんなに豪華でもない。いろいろな種類のパンが盛られたカゴとサラダにハム、そしてお酒。
並んでいるのはそれくらいだった。ラクシュミはそんなに食べる方ではないので、それらにもちょっと手を付ける程度だろう。
「王様、突然ごめんなさい。でも、みんな言いにくいだろうから私が言う。２年以上も魔法をかけ続けるなんてできるの？
王様の方が参っちゃうよ」
ゆりの訴えに、ラクシュミは酒を一口飲んでから口を開いた。
「結界のようにずっとかけてるわけではない。毎朝魔法をかけ直すだけだ」
「それでも大変でしょ？王様はただでさえ・・・」
「私にはあきらめることはできない。強い子供は望んでできるわけではない。キースとカーラの子供だ。
将来必ず強い子供に育つはずだ」
「そうかもしれないけど！」
ならどうしろというのか、ゆりにもわからなかった。ただ、ラクシュミのことが心配だった。
子供達が大きくなっているとはいえ、この国はいまだ王の体調で左右されるほど危うい所にいる。
「そんなに負担にはならない。大丈夫だ」
「わかったわ」
ゆりは消えた。これ以上言葉も見つからない。
確かに、キースとカーラの子供ならば、強い子供になる可能性は高い。たとえ飛び抜けて強くならなくても、たった一人の子供でも、
蛇の一族にとっては貴重な子供だ。だが、臨月まで魔法を維持し続けるのは相当大変なんじゃないだろうか。
王様の覚悟は立派だけど・・・・いや、私も応援するしかないよね
部屋に戻ったゆりはあれやこれやと考えたが、他にいい方法も見あたらなかった。
月が変わり、５の月に入った。
一月経っても城の一室でカーラは眠り続けている。おなかの子供も今の所無事なようだった。
毎日カーラの様子を見に行くのがゆりの日課になっていた。
その部屋には毎日様々な人が様子を見に来ていた。皆が花を持ってくるので部屋中花で飾られている。
外は今最も華やかな季節である。窓からも明るい日射しが入り込んでいる。
この日もカーラの様子を見に来たゆりはセリアとエルバートに出会っていた。ゆりは二人に昔話を暴露していた。
「昔さ、王様に魔法かけられて１０日眠らされたことがあったのよね。その時は目覚めてからすっごい激怒してねー
今となれば笑い話なんだけどね」
笑って話すとセリアもちょっと笑っていた。先は長いのだ。カーラも横で暗い顔ばかりされていてもいやだろう。
今は笑ってる位の方がいい。
「あ、そういえば二人今年はどうだったの？一緒に過ごしたの？」
そう聞くと二人とも目をきょろきょろさせていた。やがてエルバートが「はい」と認めた。
「そうなんだ。もう立派に恋人ね」
エルバートは照れているのか頭をかいている。
「若いねー初々しいねー」
「私は未だ情けないことばかりですよ。どうも困ったもので・・・もっと頼りがいのある男になりたいんですが」
「まあまあ１００歳くらいになれば落ち着いた男になるんじゃない？ね、セリア」
「え・・・はあ・・・」
セリアはちょっと困ったような顔をしていた。
「でもエルって優しいし、他の人と比べて全然頼りにならないわけじゃないし」
「いえいえ、私なんて何かあるとすぐ胃をやられますので・・・精神的に弱い証拠ですよ」
「まあ人ってのは完璧過ぎても面白味がないからね。今日はセルジュはどうしてるのかな？もしかしていたりして？」
ゆりは部屋の中をきょろきょろ見回していた。
「いえ、いらっしゃらないですよ」
エルバートが言った。
「最近はキース将軍の方を心配なさっているようです。あれから、将軍もかなり気にしておられるようですから」
「そうだね。しばらく仕事休んだ方がいいって言われたけど辞退したって聞いたよ」
「私もキース将軍を責める気なんて全然ないんですけど、私にもすまないって何度もおっしゃられて・・・」
セリアの表情が陰っていた。
「そう。まあ気持ちはわかるけどね・・・」
ゆりの視線が壁にかかっている額に入ったお守りに向けられた。以前ゆりが贈ったものだ。
病室にあった大量のお守りもこの部屋に移動させられている。お守りの他にヒルデリアの絵画も飾られていた。
川辺で白鳥と戯れるヒルデリアを描いたものだ。
みんなの願いが届けばいいけれど・・・
ヒルデリアは出産関係の女神だ。神の国に行って頼めないだろうか、とも思ったが、最近はなかなか神の国に行けなかった。
「それでは私は午後の仕事に戻ります。王妃様、いつもありがとうございます」
セリアはゆりに笑顔を向けた。
「私は何も。仕事がんばって」
「はい」
「私もこれで」
二人は去って行った。
ゆりはしばらくベッドの側でカーラを見つめていた。カーラの様子はこの一月全く変わらない。
ラクシュミの様子もあまり変わらないようだ。ゆりも夜迷惑をかけてはいけないと自分の寝室で寝ていたし、ラクシュミとは
挨拶をして会話を交わす程度だった。魔法のことに関しては口にしないようにしている。
シスに探りを入れてみたが、ラクシュミもしんどいとは言わないらしい。いつもより辛いのか、周りからはわからない。
ただ、周りはみんな心配している。ゆりの所に来る恋人達もそうだ。
だが、自分まで暗くなってもしょうがない。今は城の中の雰囲気を暗くしないのが自分の努めだとゆりは思っていた。
だから部屋の外ではなるべく不安な顔はしないようにしている。
もう５の月かあ・・・先はまだまだだね
赤ちゃんがんばって
そうだ、来月には過去の時代では戦だっけ
今年は心配することが一杯だ・・・
ぼんやりカーラを見つめていたら扉が開いて誰かが入ってきた。看護婦かと思って顔を向けたらキースが立っていた。
「あ、王妃・・・こんにちは」
「こんにちは」
仕事の合間に様子を見に来たのか、キースは戦士服に黒いマントをつけていた。
「じゃあ私行くね」
キースのことは気になったものの、自分があれこれ言うのもどうかと思い、ここは去ることにした。
キースは軽く頭を下げた。
部屋からでて、扉の外でゆりは立ち止まった。
キースは以前に比べてやせたような気がした。頬が少しこけていた。心配で眠れない日が続いているのかもしれない。
『休んでくださいと言ってるんですが・・・かたくなに拒否されまして・・・』
最近フリットが困ったように言っていたのをゆりは思い出した。せめて自分の仕事はこなしたいという思いが強いようだ。
あれでもつのかなあ・・・・
部屋に戻るかどうするか、しばらくゆりは悩んでいた。
部屋の中では、キースはゆりが座っていた椅子に座り、しばらくぼんやりした表情でカーラの顔を見つめていた。
やがて意を決したかのように立ち上がり、カーラの身体にかかっている布団をはぐった。
そしてカーラの身体の下に両手を差し入れて身体を持ち上げたのだった。
「何してるの？ショーグン♪」
明るい声にキースははっと振り向いた。後ろには蛇の目のゆりが立っていた。
「王妃・・・・」
「恋しさのあまり抱き上げた・・・てな感じには見えないけど・・・それより私に気づかないなんて、よっぽど疲れてるのね」
「王妃、見逃してください。カーラは連れて行きます」
キースは切羽詰まった表情で言った。
「どこへ？」
「結界の外にー」
「だめ、戻して」
「すみません」
飛ぼうとしたキースのマントは小さな手で捕まれていた。
「だめだよ。将軍」
「シス様・・・」
横にいたのはシスだった。ゆりが思念で呼んだのだ。シスはすぐにやってきた。
さすがにシスまで現れたのでは、とキースは観念してカーラの身体を元に戻した。
「すみません・・・」
「最近謝ってばかりだね」
ゆりが困ったように言った。キースはうなだれている。
「私達はさ、今できることをするしかないんだよ。将軍にできることは、元気でいつ何が起きてもいいようにしていることでしょ？
そんな精神状態で敵に遭ったらどうするの？カーラのことはもう王様に任せなさいって」
「そうだよ。きっと、父様は将軍の子供のこと自分の子供のように思っているんだよ。だから将軍は自分を責めなくてもいいんだよ」
シスまでキースをどうにかしたいと必死だった。キースは辛そうな表情で二人を見ていたが、やがて涙が流れた。
「カーラと恋人同士になったことは素晴らしいことなんだよ。悪いことじゃなかったんだから。悪い事だって思ったらカーラが
かわいそうよ」
「はい・・・」
「あんまりセルジュにも心配かけないでね。きっと泣いてるよ」
キースは周りを見回していた。
「将軍のすぐ左横にいるような気がする」
シスが言った。
「私もそう思う」
ゆりまで言い出すと、キースは目をぱちくりさせて何もない空間を見つめていた。表情は先ほどと違っていた。
瞳にも精気が戻ったかのようだ。
（もう大丈夫そうだね）とシスとゆりは目配せしたのだった。
夜、ランプの明かりをつけてゆりはベッドの上で軽くストレッチしていた。
白いネグリジェ姿で両足を広げて上体を曲げていたら、ふいにラクシュミの姿が見えてあわてて脚を閉じた。
「わっびっくりした」
「何してるんだ？」
ラクシュミが立ったまま聞いた。茶色い襟の大きなガウン姿だった。ビロードのように光沢がある生地である。
「体操よ。どうしたの？何か・・・いいことでもあった？」
すっきりした顔をしているのは風呂上がりだからだろうか？何か言いたそうだ。
「実はさっき面白いことがあった」
ラクシュミはベッドに腰を下ろして話しだした。
ゆりは横で正座した。
風呂に入る前、カーライルがやってきて浴室でマッサージをしてやる、と言い出したらしい。
ゆりはカーライルが入ったエルバートを思い浮かべて（え？水蛇様が！？）と驚いていた。
ラクシュミは当然辞退した。自分の身体に他人がべたべた触るのはどうも好かないからだ。
するとそれを見越したカーライルは「身体には触らない。まあ試しにどうだ。面白いぞ」と言うので、試すことにしてみたらしい。
二人は共に浴室に向かった。ラクシュミは裸だがカーライルは服を着たままだった。
ラクシュミが湯の中に身体を沈めると、カーライルは何か薬草の束のようなものを入れてお湯の中に片手を突っ込んだ。
するとぶくぶくとお湯の中に大量の泡が発生し、ラクシュミの身体を囲んだのだった。背中、腰、足の裏までも。
それはラクシュミが今まで経験したことのない気持ち良さだった。やがて薬草の匂いがしてきて身体も心もはかなりリラックスした
というわけだった。あんまり気持ちよかったのでちょっと寝てしまったほどだ。
それってジャグジー？カーライル様すごっ！！
ゆりはかなり羨ましかった。ジャグジー風呂なんて夢だったからだ。
「すごいねえ。王様よかったね！」
「なんだか肩が軽くなった気分だ。あの蛇様はいろいろ特技があるな。面白い」
「でもどうして突然来たの？」
「さあ、何か私に同情してるっぽかったぞ。女にしかしてやったことはないんだが・・・とか言ってた」
「そうなんだ。結構いいところあるのねえ」
「あちこちで心配されてるんだな、ということに気づいた」
ラクシュミは苦笑していた。
「みんな王様が好きだから」
「希望があると人は強くなれる。カーラは、辛い状態でも子供の事を気にしていた。私も、最後まであきらめない」
城に運ばれてきた時、カーラはラクシュミに思念を送っていた。
ー子供を・・・
母というものは自分がどんな状態でも自分の子供のことを気に掛けるものなのだ。
一瞬、カーラが自分の母親と重なった。自分の母も、こんな気持ちだったのだろうかと。
ゆりはラクシュミの横顔を見つめていた。整った顔立ちだが、今胸がどきどきするのはそのせいではないだろう。
この人が自分の夫だと思うと誇らしかった。
「私も、最後まで応援するよ」
ゆりは笑顔で言った。
「私もね」
ゆりの左目がちょっとだけ変わった。ラクシュミはゆりに微笑んだ。
その夜交わした口づけは軽く唇をあわせただけだったが、まるで赤い月のように胸が高まってどうしようもない、
そんな口づけとなったのだった。
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