第５１話

日が暮れて、太陽の神アリアスが光り輝く馬車で西の空を走る頃、ディランはようやくドルイドの屋敷を訪れていた。

ドルイドの訃報を聞いたのは朝だったが、ディランはこの日は戦の後処理に追われていた。レイアスやフークスに言われても

その場を去ろうとはせず、夕方になりようやく、その時には多くの騎士らに促されて、ディランは重い足取りを屋敷へと向けたのだっ

た。ディランが来る頃にはすでに多くの弔問客が訪れて去った後だった。その中にはドルイドを慕っていた多くの若い騎士らもいた。

第４騎士としてドルイドがもっとも華々しく活躍していた頃、ドルイドは騎士候補生らの指導もしていた。ドルイドは上位の騎士に

なってからも偉ぶる所がなく、他の騎士らのように自己主張もあまりしない男だった。地味な存在だと自分では思っていたかも

しれないが、きらびやかな騎士らに混じると、黒衣の姿はかえって存在感を増していたかもしれない。

誠実で高い魔力と知能の持ち主だっただけに、その早すぎる死は皆に惜しまれていた。


ディランの顔を見ると、寝室にいた者達は遠慮して皆外に出て行った。

ディランは緑の騎士の服を着ていたが、化粧はしていない。宝石もマントも付けてはいなかった。

いつもは綺麗に整えられている髪も、今は少し乱れていた。

別人ではないだろうか？そのわずかな望みも、この部屋に来て消え去っていた。

ドルイドは一番上等の黒い騎士の服で身を包み、ベッドの上で眠りについていた。胸のあたりまで紺色の蛇が描かれた

黒いマントがかけられている。ディランはベッドの側にあった椅子にすとんと腰を下ろし、しばらくぼんやりとドルイドを見つめていた。

ドルイドは眠っているかのようだった。二度と目覚めないとはとうてい思えない。

穏やかな表情をしていた。


『落ち着いたら戦の話を聞かせてくれ』

『ああ、笑って話せればいいんだが・・・それじゃあな』


これがドルイドとの最後の会話だった。


まさかこんなにもあっけなく逝ってしまうとは―


ディランは何か言おうと口を開いたものの、何も言うことができなかった。悲しいのに涙も出てこない。

訃報を聞いたのは朝だったが、今この時まで一体何をしていたのか、思い出そうにも思い出せなかった。

記憶がすっぽり抜けている。

誰かが部屋に入って来る気配がした。

そちらに顔を向けることもできずにいると、肩に手を当てられた。

「顔色が悪いわよ。大丈夫？ディラン」

女性の声だった。

「ラミュールさん・・・」

そこにいたのはすらりとした黒髪の中年の女性、ドルイドの母ラミュールだった。緑一色のドレスを着ていたが、化粧も飾りもなにも

つけてはいなかった。長い髪を後ろに綺麗にまとめていたが、少しやつれて見えた。

ドルイドの妹も若くに亡くなっていた。この広い屋敷にたった一人残された悲しみは計り知れないだろう。


「疲れているんでしょう？戦が終わってすぐだものね」

「いえ・・・」

ディランは席を立った。自分の方が辛いだろうに労られたことが申し訳なかった。


「ごめんなさいね。こんな時に」

「そんな・・・あの・・・ドルイドは・・く・・・苦しんだんでしょうか？」

ディランは表情をゆがめて聞いた。

「最後の発作が起きた時はきっと苦しかったでしょうね。でも、長い間ではなかったから・・・」

「そうですか・・・」

「座ってディラン」

ラミュールはディランを座らせて、自分も横に腰を下ろした。

「あなたのお母様も昼間いらしてくださったわ。私のことをとても心配してくださって」

「こんなに急にこんなことになるとは・・・」

「この子は、近い内にこうなることを分かっていました」

「分かっていたんですか？」

ディランはラミュールを見た。

「ええ。戦までもってほしいと願っていました」

「・・・・」

ディランの視線が焦点も合わずにあたりをさまよった。


親しい間柄だったというのに、ドルイドのことを何も知らなかった自分が残念でならなかった。

死が間近に迫り、どれほどドルイドが恐怖と絶望を感じていたか。


友よ・・・・

君はなぜ私に話してくれなかったのだ・・・


いや、自分は戦のことで頭が一杯だった

だからドルイドは何も言えなかったのだ

身体の状態が良くないことは気づいていたのに・・・


「私はドルイドに何もすることができませんでした」

「ドルイドだって同じように思っていましたよ。あなたの手伝いをすることができないと。ドルイドは、死が近いと知っていましたが、

絶望してはいませんでしたよ。いつか、うれしそうに話してくれました。自分の蛇の子供を持つ男が二人、未来では元気で

暮らしている。その二人が自分の子供のように感じられると。だから、子供ができずにいなくなることも辛くはないと。

ゆり様との出会いがドルイドに希望を与えてくれました」

ディランの頬を涙が流れていた。

「ドルイドがそんなことを・・・？」

ラミュールは涙を流しながらも、少し微笑んだ。

「私も、そう思うことにします。この子の子供達が遠い未来では元気で暮らしている。そう思うだけで、生きていることが

少しは楽しくなりますから」

ディランは視線を伏せていた。涙はぼろぼろと流れている。

「亡くなったらあなたに渡して欲しいと頼まれていました」

ラミュールはディランの膝の上に封筒を置いて部屋を去って行った。


ディランは奮える手で封を開いて手紙を読んだ。そこには綺麗な文字で、ドルイドらしい言葉が淡々と綴られていた。

手紙の内容からも、死に対する絶望などは微塵も感じられなかった。


人は、死を前にこんなにも冷静でいられるのだろうか？


子蛇が生きる希望だったとドルイドの母は語っていた。

ドルイドが亡くなっても、ドルイドの子蛇は遠い未来で元気に存在している。


ドルイドの生きた証がそこに―


ディランは涙を流しながらドルイドの安らかな寝顔を見つめていた。


「ゆり様、あなたのおかげです。あなたのおかげでドルイドは・・・」


あなたの蛇が生んでくださった子蛇が、こんなにもドルイドを勇気づけてくださったのです

ありがとうございます。本当に、ありがとうございます・・・・


その夜は、ディランの瞳が乾くことはなかった。




ドルイドのそれほどの思いを、ゆりはまだ知らない。

ドルイドが亡くなったことをゆりが知り、１０日ほどが過ぎた。ゆりの気がひどく乱れている事に気づいたラギが心配して

「大丈夫？」と聞くと、ゆりは「大丈夫よ」と答えたものの、「もう一人のお母さん」と話しかけても、ゆりは変わらなかった。

「何？」と黒目のゆりが聞いてきたのでラギははぐらかした。

お母さんに何か起きている。ラギはその時そう悟った。


ラギの知らせを受けてフレイがゆりを診にやってきた。

「実は、ここの所歩くのも億劫なほど身体が重くて・・・」

とゆりはフレイに白状した。

フレイが診察した所、ゆりはどこがどう悪い、ということはなかった。

「あまり眠れないからそのせいかも」

「そうですか・・・」

フレイはゆりに軽い睡眠薬を渡して、ゆりはその夜迷ったが薬を飲んで眠ることにした。


その夜は薬がよく効いたせいか早めに眠りについた。

すると夢を見た。夢の中、何もない白い空間にもう一人の自分がうずくまっていた。最近はいつもこうだ。

もう一人の自分は、深い悲しみの中にいる。黒目のゆりは横に座り、いろいろ話しかけるのだが、蛇の目のゆりの悲しみは

癒えることはなかった。

最初にドルイドと仲良くなったのは蛇の目のゆりが先だった。ドルイドに対しての想いも、こちらのゆりの方がより深かったのだ。

悲しみは日に日に増していた。こんなことなら会える努力をするべきだったと、二人はそろって思っていた。

身体が重いのも、蛇の目のゆりの悲しみが原因だった。


「いろいろ思い出しているともっと悲しくなるの」

蛇の目のゆりはそう言った。

「そうだね。私もドルイドからもらった手紙とか読み返して泣いちゃったし・・・」

「ドルイドに会いたいな・・・」

それはもうかなわぬ望みなのだろうか。


二人で並んで座っていると、突然目の前に光りの塊が出現し、二人は目を細めて視界を手で遮った。

「どうかしたの？」

光の塊はそう二人に聞いたのだった。

「わっ！！」

「ガ、ガーベラ！？」

二人は目も口も大きく開いてのけぞっていた。そこにいたのは黄金の巻き毛の麗しい女神ガーベラであった。

「深い悲しみを感じてきたの。どうかしたの？」

女神は愛らしい花びらのような唇で、二人に問うたのだった。

二人はこんな時でもガーベラの美しい姿に思わずうっとりしてしまった。こうしてガーベラの姿を見るのは久しぶりだった。

豊満な胸もくびれた腰も相変わらずである。

二人のゆりは立ち上がった。近づくと花のようないい匂いがした。

「あの・・・好きだった人が亡くなっちゃって・・・」

黒目のゆりが言った。

「え？王様？」

ガーベラが驚いた顔をした。

「ううん、王様は元気、別の人。しばらく会ってなくて、お別れも言えないままに亡くなっちゃったの。だから悲しくて・・・」

「そうなの。その人のこと、愛してた？」

ガーベラが聞いた。なんて素敵な声なんだろうと二人のゆりは思った。

「・・・・愛・・・一番愛しているのは王様だけど・・・」

「ドルイドのことだって愛してた。愛しいと思ってた。だから幸せになってほしかったの！」

蛇の目のゆりが泣きながら言った。

「うんうん、そうだね」

黒目のゆりが同意した。

「その人はどうかしら。最後にあなたたちのことを想い、会いたがっていたかしら？」

ガーベラの問いに、黒目のゆりはそうだとは言えなかった。なにせドルイドの最後の言葉にも自分の名前がでてこなかったほどだ。

「自信ないの？」

二人のゆりの心を読んだかのようにガーベラが聞いた。

「はあ・・・あの・・・ドルイドにとって私達は一番ってわけじゃないし・・・」

二人のゆりが目を合わせて戸惑っていると、「情けない！」とガーベラが一喝した。

「それでよく私に入ってるわね。確かに愛し合った間柄なんでしょう？相手も自分を愛していたはずだと自信を持って」

「はあ・・・・」

黒目のゆりは曖昧に返事した。蛇の目のゆりに至っては返事もしなかった。するとガーベラは面白くなさそうに横目で二人を見た。

「せっかくその人に会わせてあげようと思ったのに、もういいわよーだ」

ガーベラはぷんと横を向いて去っていこうとした。

「ええ！」

「ちょっと待って！！」

二人のゆりはあわててガーベラの前に回り込んだ。

「本当？」

「ドルイドに会わせてくれるの？」

「どーしようかなー」

ガーベラは子供のように上を向いて腰をひねっていた。

「お願い！ドルイドに会わせて！」

「お願いします！ガーベラ様！！」

二人は懸命にお願いした。するとガーベラは二人に視線を向けた。

「まあいいわ。亡くなった人を生き返らせることは無理だけど、私は愛の名がついた女神。愛しい人に一時だけ会わせてあげる。

思いの丈をぶつけて来なさい」

ガーベラは微笑んだ。

「ありがとう。ガーベラ」

「ありがとう」

二人のゆりは心の底から感謝した。

「ドルイドに会える！！」

「うれしい！！」

二人は喜びのあまり涙さえ浮かべている。二人はもう今すぐにもドルイドに会える気でいた。

「といっても・・・いくらあなた方のことをかわいいと思っているからといっても、ほいほい会わせてあげるわけにはいかないわ。

あなたたちには神の試練を受けてもらうわ。それを乗り越えたらドルイドに会わせてあげる」

二人の笑みが引きつった。

「し・・・試練？」

「それってどんな？」

「そりゃ、神の試練ってくらいだからそこそこ大変よ。二人とも、体力に自信はあるかしら？」

ガーベラは腰に両手をあてて聞いた。

「た・・・体力ですか？」


あんまり自信がありません


黒目のゆりはそう思ったが、蛇の目のゆりは「やるわ！ドルイドに会うためならなんだって！！」と燃えていた。

他に方法はもうないのだからやるしかない。

「そうこなくちゃ！じゃあ行きましょう！」

ガーベラは二人をどこかに連れて行った。


果たして神の試練とはどのようなものなのか？

二人は無事ドルイドに会えるのか？

次回につづく


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