第５３話
しばらく外気に触れて、黒目のゆりはようやく正常な判断を取り戻していた。
寿司にあんなに夢中になるなんて・・・恥ずかしい・・・穴があったら入りたい・・・・
自分でも自分の馬鹿さ加減に呆れていた。
それにしてもまさかここに寿司屋があるなんて・・・あまりのミスマッチに頭の中が飛んだわ
昔一度だけ、家族で回らない寿司屋に行ったことがあったなあ・・・
ゆりは遠い彼方にある記憶を引っ張り出した。父親はそんなに高給ではなかったため、普段はくるくる寿司がせいぜいだった。
ある時家族で海沿いの観光地に旅行に行き、その旅先で寿司屋に行った思い出がある。その時の寿司がとてもおいしかったので
その時のことはずっと覚えていた。
まさか本当にこの世界に板前が連れてこられたわけはない。
自分の脳内のイメージが具現化されてできたもの、と考えるべきだろう。味噌汁の匂いも、寿司の色も形も、自分の記憶していたもののようだ。
「恐るべし神の試練・・・」
ゆりはつい口にだしていた。
「何か言った？」
前を上っている蛇の目のゆりが顔を向けた。
「神様ってやっぱりすごいなって思ったの。次はなんだろう。物欲、食欲、と来たから・・・次は色欲、わかった！次の部屋にはいい男が
うじゃうじゃいるに違いないわ」
黒目のゆりはこれしかないとばかりに断言した。
「あーなるほど・・・いい男うじゃうじゃね、それはちょっと楽しそうかもね」
先を上るゆりは疲れた表情でけだるげに言った。自分も似たような顔をしているんだろうな、と黒目のゆりは思った。
なにせこうして階段を上っている事が、二人のゆりにとっては苦痛だった。脚はだるいし太ももも痛い。最初の方に比べて確実にペースも
落ちている。この階段地獄だけでも体力がない二人にとっては十分試練だ。何か楽しい事でも考えないとくじけそうだ。
もちろん最終的な目的はドルイドと会うことだ。
「次は楽勝だわ。いい男には免疫あるし」
先ほどの汚名挽回とばかりに黒目のゆりは意気込んでいた。
「そーだね」
随分階段を上り続けているが、塔の頂上はまだまだ先だった。二人は朝から飲まず食わずで塔を上り続けている。
どちらののどもからからだった。
今日だけがんばればいいんだ。だからがんばろう！！
二人はだるい身体を押して階段を上り、ついに３つめの扉が見えてきたのだった。
その頃、現実世界のゆりは、ずっと眠りについたままだった。
朝侍女が寝室にやってくると、ゆりの枕元には『決して起こさないでください』と書かれた書き置きがあった。
侍女は驚いてゆりの口元に手をあてたが、普通に呼吸をしているし、ちゃんと心臓も動いていた。
ただ眠っているだけのようだ。
それを聞いたラクシュミは不思議に思ったが、書き置きがあるくらいだからほっておけと指示を出した。
だがどうにもおかしいので、子供達や侍女はひっきりなしにゆりの様子を見に寝室にやってきている。
「母様神の国にずっといるのかなあ？」
ゆりの寝室から出たシスが言った。
「さあねえ、神の国は偶然行けるだけで自分から望んで行けないって言ってたけどね」
一緒にいたラギも首をかしげている。
「書き置きがあるってのが謎だよねえ」
「うん」
「母様ー！！！！」
部屋に大きな声と共にロイがやってきた。
「わっだめだよ。ロイ」
ラギがあわててロイの口に手を当てようとしたが、ロイはするりと逃げた。
「なんでえ？まだ寝てるの？起こそうよ」
「だめだめ。寝室には近づかないように！」
「行くー！」
「だめ！」
二人は寝室に行こうとするロイを捕まえて、強制的に連れて行った。
子供達もラクシュミも、まさか二人のゆりがばかでかい塔を上りながらひーひー言っているなんて思いもよらないことだった。
二人のゆりは塔の内部に入り、扉を開けた。
いい男が部屋に一杯いる事を期待したゆり達だったが、部屋の中には男が一人いるだけだった。
屋敷の客間のような重厚な趣の部屋の青いソファに、脚を組んで座っている男が一人だけいる。
短い黒髪で背が高く、かなり整った風貌をしている男だった。深い緑色の長めの上着にズボン、黒いブーツ、そして、
襟元には白いレースの飾りが見え、レースは緑の宝石がついた飾りで留められていた。
この部屋もさほど広くはない。一組のソファに木製の楕円のテーブル、棚に大きな暖炉などがあった。部屋の隅に銀の鎧も飾られている。
床には花の模様の渋めのじゅうたんがひかれている。部屋の中は明るかった。壁に一つだけ小窓があって、そこから光が
入り込んでいる。
二人が注目したのは、部屋の様子よりもその男の顔だった。近づくとどこかで見た顔によく似ている。
いや、そっくりだ。
「あれ？ミカエルじゃない」
緑色の大きなソファに座っていたのはどう見てもミカエルだった。
ミカエルは二人に顔を向けた。
「いらっしゃいお二人さん、疲れたでしょう、どうぞ座ってください」
ミカエルは立ち上がり、二人に自分の前にあるでかいソファを示した。
「なんだ、いい男うじゃうじゃじゃなかった」
黒目のゆりはつまんなそうに言った。
「まあいい男には変わりないけど・・・」
蛇の目のゆりもつまんなそうだ。
「ミカエル、格好いいね。緑系も似合ってるよ」
「そうね。そういう服装も似合うよ。それじゃあね」
二人のゆりはミカエルの言葉は無視して、さっさと部屋の奥に見える扉まで行き、丸いドアノブを回した。だがいくら回しても回らない。
押しても引いても扉はびくともしない。
「あれ？だめだわ」
「どれ」
黒目のゆりが変わってみても無理だった。
「この扉はカギがないと開かないんですよ」
ミカエルは二人に何やらを見せた。右手にもっているのは金色のカギだった。
「ミカエル貸して！」
蛇の目のゆりはミカエルに近づいて手を出した。
「だめですよ。欲しかったら、私にちょっと付き合ってください。それから私はミカエルじゃないですよ」
「じゃあだれ？」
黒目のゆりが聞いた。声もミカエルにそっくりだ。どう見てもミカエルである。
「名前はありません。あなた方の親しい男の姿を借りてるだけです」
「えー？」
「それよりものどが渇いているでしょう。お水飲んでもいいですよ」
ミカエルもどきは壁沿いの棚の上にある水差しを右手に取り、銀色の杯に水を注いで二人に杯を差し出した。
「罠だ。飲んだら最後なんでしょ？」
黒目のゆりが言った。
「いえ、これはただの親切心ですよ。試練は別ですから水飲むくらいいいですよ。その代わり、食べ物はあげませんがね」
二人のゆりは目を合わせていた。どうしたものかと思案しているようだ。水はのどから手が出るほど欲しい。
「あやしいなあ・・・・」
「別に飲みたくなかったら飲まなくてもいいですよ」
ミカエルもどきは杯を棚においた。
「あっ待って！もらいます！」
黒目のゆりは棚から杯を取った。
「大丈夫かな？」
蛇の目のゆりは心配したが、黒目のゆりはすでにごくごく水を飲んでいたので、自分も水を飲むことにした。
「もっと、もっと水・・・」
「私も！」
結局二人は水差しの水を全て飲み干した。ただの水がこんなにもおいしいものだとは。
「あー生き返った。ありがとう、ミカエルによく似た人、カギください」
黒目のゆりはにっこり笑って手を出した。
「私は水を飲ませるためにここにいるわけじゃないんですよ。私が知りたいのはあなたたちの愛です。さあ、ドルイドという男への愛を
私に語ってください。感動したらカギをあげます」
ミカエルもどきはにっこり笑いつつ元のソファに座り、両手を組んだ。
（なんだか面倒そうだな・・・）と二人のゆりは同時に思ったのだった。
愛といわれても何を言えばいいのか二人が思案していると、ミカエルもどきが口を開いた。
「早くした方がいいですよ。ここでの時間は外での２倍の速さで流れますから」
二人のゆりは仰天した。
「え？じゃあここに一時間いたら外では２時間過ぎてるってこと！？」
「そうですよ」
「うーん、わかったわ。じゃあ私が話す！」
黒目のゆりはソファに腰を下ろしてドルイドとのことを語りだした。蛇の目のゆりも横に座り、それを聞きながら太ももを揉み解している。
青いソファは布製なのだがふんわりとした弾力でとても座り心地がよいものだった。ずっと座っているとお尻から根っこがはえそうだ。
「・・・・・それでね・・・てっきり幸せでいると思ったのに・・・・いきなりドルイドが亡くなったって聞いて・・・悲しくて悲しくて・・・」
ドルイドとの出会いから仲良くなったことを語っていたゆりは、ついに最近のことを語りだし、涙がぼろぼろ流れていた。
ミカエルもどきが花柄のハンカチを差し出した。ゆりは「ありがとう」と言ってハンカチを受け取り、涙を拭いた。
「病気だったなんて全然知らなくてすごくショックで・・・あんなに若いのに亡くなってしまったなんて、ドルイドはどれだけ悲しかっただろうとか
想像するだけでもうだめ・・・・」
ゆりはハンカチがぐっしょりするほど泣き続け、それを黙って聞いていたミカエルもどきは、
「じゃあ次あなた語ってください」
と次に蛇の目のゆりに言ったのだった。
「え？私も？」
すっかり靴まで脱いでくつろいでいた蛇の目のゆりは驚いていた。
「どうぞ」
「・・・・私は、こちらと同じよ」
蛇の目のゆりは横にいた黒目のゆりの腕に触れた。
「本当ですか？あなたの方が、ドルイドに対して深い想いがあるように感じられますが・・・」
ミカエルもどきがどきりとするような事を言い出した。
「確かに・・・私以上にドルイドに会いたがってるような気が私もしてた」
ハンカチで目元を押さえていた黒目のゆりまで言い出して、蛇の目のゆりの顔は引きつっていた。
蛇の目のゆりはここでドルイドとのことを詳しく語ることはできなかった。
なぜなら、それは黒目のゆりが知らないことだからだ。ここでのことを現実に戻ったゆりが覚えているかどうかは不明だが、
二人の関係は、黒目のゆりが蛇の目のゆりがたまに表に表れているのに気づいていないということで成り立っている。
「それはその・・・・私にとってもドルイドは大事な恋人だし・・・だからもう一度会いたい。会いたいのよ！」
ゆりは手を握り締めて主張した。
「それじゃあ感動しませんよ。大体まったく同じなら、二人いるはずがない。そうじゃないですか？」
「え・・・そんなこと言われても・・・・」
「どういうこと？」
黒目のゆりはわからずに首を傾げていた。
「あなたはあなたの想いを語ってください」
「私の想いは一緒だってば！カギちょうだいよ」
「嫌です」
ミカエルもどきは横に顔を背けた。
「ミカエル−！！」
ミカエルではないと分かっていても腹が立って仕方がない。
「なんだか分からないけど、言ったら？」
黒目のゆりまで促していた。
くそーどうすれば・・・・
ここで長時間足止めを食らうわけにはいかない。蛇の目のゆりは考え抜いたあげく、話すことにした。
「ちょっと、耳ふさいでて」
横のゆりに言うと、ゆりは「え−？なんで？」と不服そうだった。
「聞かれたくないの。耳ふさぎなさいって」
「わかりましたよ」
黒目のゆりは両手を両方の耳にあてた。
「私が最初ドルイドに出会ったのは夜の噴水だったわ。最初は儀式に興味なさそうだったからまあいいか、って思っていたんだけどね、
前の巫女といろいろあったみたいで巫女嫌いになってたみたい。でも、いろいろ話している内にドルイドのことがちょっとづつ
わかってきて、気になっちゃって・・・・親しくなりたいって思った。ドルイドの屋敷に行って初めて一緒にお酒飲んだんだけど、
ドルイドが初めて私に冗談めいたことを言って・・・・打ち解けた証拠みたいなものだった。あれでドルイドのことがもっと
かわいくなったんだなあ・・・」
蛇の目のゆりは照れた様子で懐かしく当時のことを思い出していた。ふいに横を見ると、黒目のゆりは真面目な顔でじっとこちらを見ている。
（あの目は聞いてるっぽいじゃん！全く聞くなって言ったのに・・・・）
話を途中でやめるわけにも行かず、蛇の目のゆりは覚悟を決めて話し出した。
「初めて口づけした時は純粋にうれしかったな。紺色の肌の蛇もすごく素敵だった。つかの間の恋人だけど、私はドルイドと出会って
本当にうれしかったと思っている。ドルイドも私達に出会えてよかったって言ってくれたし。ドルイドってあまり女性に対しては積極的じゃ
なさそうだから、新しい恋人がすぐにはできないだろうなって思ってたけど、その内に新しい恋人ができて、子供ができるんだろうなって
思ってた。それなのに・・・それなのに亡くなっちゃって・・・・」
涙がぽろりと流れた所で黒目のゆりがハンカチを渡した。いつの間にやら耳から手は外している。
「私達はそれぞれドルイドが好きだった。あのはにかむような笑みがもう二度と見られないなんて信じたくない。
お互いに一番愛している相手じゃなかったけど、それでも愛は確かにあったから・・・」
じっと黙って聞いていたミカエルもどきはうなずいた。
「なるほど・・・あなた方の想いは分かりました。ですが、ドルイドはどうなんでしょうね。お互いに一番ではないのなら、最後に会いたいのも
あなた方ではないのかもしれない。それならば、最後の時を共に過ごしたい相手と過ごさせてあげたらどうですか？」
「え？そういうこともできるの？」
黒目のゆりは瞬いていた。
「できますよ。あなた方が塔の一番上まで上りきったなら、あなた方がドルイドと会うのではなく、ドルイドが一番会いたい者と会わせてあげる
ということに変更することもできますよ」
「それって・・・私ら苦労するだけでドルイドには会えないじゃない」
蛇の目のゆりは不満げに眉をひそめていた。
「そうですね」
「ドルイドが私らにもし会いたくなくても、私らが会いたいんだからそれでいいよ」
「でも、ドルイドは女王様と会いたいかもよ」
黒目のゆりが言い出した。
「それなら、女王様と会わせてあげたい気も・・・・」
「女王様は同じ世界にいるんだからきっと会ってるよ。亡くなる前日だって会ったかもしれないじゃない」
「だけど戦が近づいていたから、きっとそんな暇はなかったよ」
「そうかもしれないけど・・・塔だけ上るなんて嫌よ私は！」
たとえ女王様でもこれだけは譲りたくない。
「私だってドルイドに会いたいよ。だけど、それがドルイドのためになるのなら、塔を上るだけでも私はいいよ。ドルイドは、最後に女王様と
会えた方が幸せかもしれない」
「そんなあ・・・」
黒目のゆりの言葉に、蛇の目のゆりは泣きだしていた。黒目のゆりとてドルイドに会いたいのは同じだった。だが、ドルイドの望みを
かなえてあげられるのなら、そうしてあげたいと思ったのだ。
ドルイド・・・
蛇の目のゆりの脳裏に黒衣の男の姿が浮かんでいた。
『幸せになってね・・・』
そう願ったのは自分だった。
最後に女王様とお別れができたなら、ドルイドはその方がうれしいのだろうか？
一番愛する女王様と・・・・
蛇の目のゆりは目を閉じた。
「・・・わかった。そうだね。あなたの方が正しいよ。私達がドルイドを最後に喜ばせてあげることができるなら、それでもいいかな」
蛇の目のゆりは涙を拭いた。
「私達は、ドルイドを喜ばせるために塔を上るよ」
二人のゆりの心は決まった。
「たとえ会えなくても塔を上ると言うのですね。愛とは・・・相手の幸せを願うこと。感動しました。カギをあげましょう」
ミカエルもどきは立ち上がり、カギを渡した。黒目のゆりは両手でカギを受け取った。
「ありがとう」
「後はただひたすら上り続けるだけです。がんばってください」
「どうもありがとう」
二人は再び立ち上がった。
「ミカエルに似た人、さようなら」
二人はミカエルもどきに手を振り、カギを開けて部屋を出て行った。
扉がぱたんと閉まり、ミカエルだった男は姿を変えていた。部屋にいたのは金の癖毛、白い大きな翼を持った美青年、クーリーフンだった。
クーリーフンは最後に渡されたハンカチを手に持っていた。涙でぬれたハンカチは、一輪の輝く大輪の花へと姿を変えた。
「二人ともがんばって」
クーリーフンはその花を手に、その場を去ったのだった。
しばらく休んだおかげで二人のゆりの脚のだるさはちょっとはましになっていた。空腹は相変わらずだが。
空を見ると太陽はすでに真上だ。
「もう昼かあ、あーこの塔一体どこまであるんだー・・・」
塔の天上は見えているのだが、まだまだ遙か上だ。
「大体この塔でかすぎるんだよ。ぐるぐる回るだけで疲れるよ」
この塔はゆるやかな円錐状になっているので下の方よりは塔の周りの階段の数は少ないはずなのだが、身体の疲労のせいか、
少ないと感じられない。
「誰がこの塔作ったんだろうなあ。全く」
蛇の目のゆりはぶつぶつ文句を言っていたが、黒目のゆりは静かだった。ちらりと下を見ると、目があった。
「あのー質問があるんだけど・・・」
下のゆりが言った。
「何？」
「夜の噴水のことなんだけど・・・」
蛇の目のゆりはぎくりとした。
「・・・・さっきのどこから聞いてた？」
「『私が最初出会ったのは夜の噴水』から」
「それって最初からじゃん。聞かないでほしかったのに！」
「だってさあ、耳ふさいでも聞こえたんだもん」
「あんまり気にしなくていいから」
「そう言われても気になるんだけど」
蛇の目のゆりは前を向いて顔をしかめていた。
（さて、なんと説明するべきか・・・）そう迷っていたら下から確信めいた言葉が聞こえてきた。
「あのさあ、もしかして、あなたってたまに私の身体使ってる？」
「・・・・」
「白状しなさい」
「使ってる」
「やっぱりそうなの？」
黒目のゆりはびっくり仰天というほどは驚いてはいなかった。きっと身体が疲労しているせいだろう。
それともこの非現実めいた状況のせいだろうか。
「ってことは？ドルイドだけじゃなくて他の人とも会ってるの？」
「はい」
蛇の目のゆりは前を向いて階段を上がりながら素直に返事をした。
「いつから？」
「かれこれ３０年くらいは・・・」
「えー！？それって私がこっちに来てすぐくらいからってこと？私よく気づかなかったなあ。いてー！！」
最後に悲鳴が聞こえて蛇の目のゆりが下を向くと、黒目のゆりは右脚を押さえていた。
「どうしたの？」
「こむらがえりだわ。いたたたたた」
右ふくらはぎの筋肉が引きつってしまったようだ。黒目のゆりはかなり痛そうに顔をゆがめていた。
「大丈夫？」
「うー・・・・もみほぐせばなんとか・・・」
二人は仕方なくその場に止まり、黒目のゆりは太ももをマッサージした。
「いててて」
蛇の目のゆりは黒目のゆりの横に腰を下ろした。
「ねえ怒ってる？」
「分からない。そんな昔からじゃなあ・・・周りはみんな気づいてる？」
「うん」
「全くなんてこった・・・いたたた・・・・」
黒目のゆりは懸命に太ももをさすっていた。
だめだ。今の状況じゃゆっくり考える余裕もないわ・・・
今もどこか夢じゃないかって気がしてるくらいだもの・・・・
いや、一応は夢の中にいるのかな。私達・・・
脚をさすりながら遠くの景色を眺めると、遠くはもやがかっていて何も見えなかった。
おなかがぐーと鳴った。
「あーおなかがすいたなあ・・・」
黒目のゆりはぼんやりとつぶやき、「まったくだよー」と蛇の目のゆりもうなだれていた。
神の国では、今もガーベラはソファに座り、ずっと二人の様子を手鏡で見ていた。
「がんばれーがんばれー」
はらはらどきどき、ほろりとしながらもガーベラは二人を見守っていた。
するとそこに、「ガーベラいるか？」と言いつつ入ってきた神がいた。
ハロルドだった。
ガーベラはさっと後ろに手鏡を隠した。
「いるわよ。なあに？」
ガーベラは笑顔を向けたが、ハロルドは近づいてきてガーベラの背中側を見た。背中は金色の髪で覆われているので何も見えなかった。
「私今日は忙しいの。ごめんなさい。ハロルド」
「何隠したんだ？」
ハロルドはソファに手を掛けてガーベラの背中に手を伸ばした。
「何も隠してないわよ」
ガーベラは身体の向きを変えている。
「何か隠したじゃないか。見せろ」
「いやよ」
「今度は何あやしいことしてるんだ」
ハロルドに睨まれて、ガーベラは仕方なく手鏡を見せた。ハロルドが受け取ると、鏡には二人の人間の姿が映し出されていた。
黒髪の女性で、二人はよく似ていた。
「この人間は・・・」
「というわけよ。別にあやしくないでしょ。返して」
ガーベラが手を出すと、ハロルドは背中を向けて手鏡に手をかざしていた。すると全体図がすっと引いた。
塔が見える。
「試練の塔、しかも一番小さいやつじゃないか。何やらせてるんだ」
「いいでしょ。返してよ」
ガーベラが手を伸ばすとハロルドは手鏡を上に掲げて下から眺めていた。再び場面は寄り、二人のゆりの顔を映し出した。
どちらも疲れ切っているようだ。
「なんで二人いる」
「いいじゃないの。返してよ」
「なんでだ。なんでこんなことやらせてるんだ」
「うるさいわね。もう！」
ガーベラはしまいには怒っていた。
「割るぞ」
ハロルドは手鏡に拳をあてている。
「うー・・・・わかったわよ。説明するわよ！」
ガーベラはぷんと唇をとがらせてハロルドにいきさつを説明したのだった。
ハロルドは面白くなさそうな顔で聞いていた。
「ふーん・・・それでなんで二人いるんだ？」
「二人で一人だから。二人が混じってガーベラなのよ」
「え？そうなのか」
ハロルドが瞬いた。
「そういうこと、鏡返して」
ガーベラは手鏡を奪い返した。二人のゆりは再び塔を上っていたが、黒目のゆりの方はまだ脚が痛そうだ。
「間に合うかしら」
「無理だな」
ハロルドがあっさり言った。
「間に合うわよ。絶対！」
ハロルドはガーベラの横に腰を下ろして脚を組んだ。
「行かないの？」
「行かない」
「見たいの？」
ガーベラは嫌そうに聞いた。
「お前な、恋人に向かってなんだその顔は」
「べーだ」
ハロルドはガーベラの態度は無視して横から手鏡をのぞき込んでいる。どうやら気になるらしい。
ミカエルもどきと別れてからどれくらいの時間が経ったのか。二人は疲れや空腹と戦いながら、塔を上っていた。
地上は遙か下にある。階段は広いとはいっても、大きな風でも吹いてバランスを崩せば落ちてしまうかもしれない。
怖いので二人はなるべく下を見ないようにしていた。
「も・・・・もうちょっとだ。きっと・・・もうちょっと・・・」
「がんばれー・・・・」
黒目のゆりは右脚をちょっと引きずりながら階段を上がっていた。
心の中ではもう帰りたくて仕方なかった。帰ってご飯を食べて風呂に入り、ゆっくり休みたい。
辛い・・・辛すぎる・・・もうやだよー
だが、それは口には出せない。
あっちもがんばっているんだから私だって・・・
黒目のゆりは同じようにがんばっているもう一人のゆりに励まされていた。それは蛇の目のゆりにとっても同じだった。
たった一人だったなら、くじけてしまっていたかもしれない。
死にそうな顔になっている二人のゆりを見て、ガーベラは
「この塔もうちょっと低くならない？」
とハロルドに聞いていた。
「今更無理だ。大体この塔は、これでも一番小さい塔だぞ。子供向けだ」
「この二人体力ないんだからしょうがないじゃない」
「分かってるんならこんなことやらせなきゃいいじゃないか」
「そーいうわけにもいかないじゃない。死んだ人間にほいほい会わせられるわけないでしょ」
「死んでしまったものは仕方がないとあきらめるべきだ」
「愛ってそーいうことじゃないの！」
なぜか二人は言い争っていた。
その時一人が階段から足を滑らせて、二人は「あ！！」と同時に声を発していた。
大事にはならなかったがもう足ももつれているようだ。
二人は休み休み階段を上っていた。
太陽が西に傾いている。
日が沈むまであと何時間だろうか？
二人のゆりは言葉を発する元気ももうなかった。
「ワンワン！」という犬の鳴き声が聞こえた気がした。
気のせいかな？と思っているとまた聞こえてきた。
「ワンワン！」
今度は結構近かった。
「あ！ワンちゃんだ！」
階段を上ってくる大きな犬がいた。
犬はしっぽを揺らしながら二人の側までやってきた。
「くう〜ん！」
垂れ耳で口の大きい、長めの金色の毛並みの綺麗な犬である。
「この犬神の国にいた犬に似てるなあ」
黒目のゆりは犬の頭をなでた。
「ワンワン」
「あれ？首に何かつけてるよ」
蛇の目のゆりは犬の首に茶色い袋が下がっているのを見た。
「本当だ」
「ワンワン」
犬は鼻先を上にあげている。
「取ってもいいみたい」
黒目のゆりは茶色い袋を開けてみた。中には青い小瓶が二つ入っていた。
「何かなこれ」
「液体みたい。飲んでもいいのかな？」
「ワンワン！」
いいよと言っているかのようだ。
「飲んでみよう」
二人は瓶のコルクを抜いて中の液体を飲み干した。さらりとした水のようなもので何の味もなかった。
「ん？なんか脚のだるさがちょっと和らいだような・・・」
「身体が楽になったかも？」
二人は首をゆらしたり、身体を動かしたりしていた。完全に元の身体には戻ってはいないが、それでもかなり楽だ。
犬はお行儀よく座って待っている。
「そうか、誰かが助けてくれたんだ。どうもありがとう。御礼言っておいてね」
黒目のゆりは小瓶を袋に戻して犬の頭をなでた。蛇の目のゆりも同じようになでた。
犬は役目を終えたとばかりに塔を降りて行った。
「よし、これでがんばれるぞ！」
「うん、頂上も近いしもうちょいだ！」
塔の終わりが近くに見えていた。近く感じるのだが、まだまだぐるぐる回らなければならないようだ。
「行こう！」
二人は先ほどよりは格段に足取りも軽くなり、階段を上りだした。
そして、空が暗くなる頃、ようやく、ようやく塔の頂上まで上りきったのだった。
「すごい、すごいよ！上れた！上れたー！！！！」
階段が終わり頂上にあがった時、黒目のゆりは両手をあげて叫んでいた。
こんなにばかでかい塔を上りきることができたことにゆりは感動していたのだ。
「やった、やったよドルイド・・・」
蛇の目のゆりも感動して泣いていた。
塔の頂上の真ん中には四角い縦長の金色の枠のようなものがあり、その中は白いもやのようなものがかかっていた。
あそこに入れば、何か起こるに違いない。
「まさか日が暮れるまでに上れるなんてね」
「本当だね。これぞ奇跡ってやつだね。愛の力だよ」
二人は泣きながらも笑っていた。
「でも私らドルイドに会えなかったらどうなるんだろう？」
「わかんないけど、でもとにかく入ってみよう」
「そうね」
二人は手を繋ぎ、同時に金の枠の中へ入って行ったのだった。
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