第５４話

ベッドにいてもこの日はとうてい眠ることなどできなかった。

時はもう６の月の２日。夜が明ければ戦が始まるのだ。

目を閉じても仲間の顔ばかりが浮かぶ。


皆が無事に帰ってくるように・・・そんなことを願っていると、心臓がどくんと跳ね上がった。

「うっ！」

ドルイドは突然の出来事に胸を押さえて上体を折り曲げた。


大きい！今度はだめかもしれない・・・


「う・・・うう・・・」

今までの発作と違っていた。

胸の痛みと共に、次第に息も苦しくなっていた。


身体の蛇はもうほとんど消えていた。

死を予感していたドルイドは、これで死ぬかもしれないと感じていた。


―母・・・さん・・・・


ドルイドは懸命に同じ屋敷にいる母親に思念を送った。

母親はあわてて瞬間移動で寝室にやってきた。

「ドルイド！しっかりして・・・今薬を―ドルイド！！！」

意識が薄れゆく瞬間、ドルイドは顔面蒼白の母親の横に白い翼を背に持った金髪の男を目にしたのだった。



「あれ？」

気がつくとドルイドは普通に起き上がっていた。だがベッドの上に倒れている自分と、自分に近寄ろうとする母親が見える。

まるで時が止まっているかのように母親はぴたりと止まっていた。そして、目の前には金色の癖毛の美しい男がいた。

その男は動いている。

「神・・・・」

そこにいたのは人間ではありえない美しい男だった。身体全体が金色に輝き、金色に輝く衣を上は右半身にまとい、

腰から下は膝の上まで覆っていた。


私は・・・・霊体？


ベッドにいる自分が本体ならば、そうなるようだ。

「実はある人に頼まれたんですよ。あなたが亡くなる前に、一番会いたい人に会わせてあげてほしいと」

愛の神クーリーフンは穏やかに微笑んでドルイドに告げたのだった。

中性的な優しい声だった。

「ある人？」

「誰に会いたいですか？」

そう聞かれてドルイドは瞬いた。

「やはり私は死んだんですか？」

まだ、そこが確認できていなかった。

「そうですね。亡くなりました」

クーリーフンは哀惜の念もなく告げたので、ドルイドはかえって冷静に受け止めていた。


やはり死んだのか。でも今日までもってよかった・・・・


そんなことを思っていた。戦までもつようにと祈っていた。

皆が自分の死を知るのは戦の後になるだろう。それだけでもほっとしていた。


「それで誰に会いたいですか？完全に魂が消え去る前に、元気な姿で少しの間だけその人に会わせてあげますよ」

「誰でもいいんですか？」

「ええ。数人はなしです。一人だけ」

「誰でもいいんですか？未来の人でも？」

ドルイドの脳裏に浮かんだのは二人の女だった。どちらも黒い髪をしていた。

「いいですとも。これ、贈り物ですよ」

クーリーフンは柔和なほほえみを浮かべてドルイドに一輪の花を渡した。きらきらと輝く花を手にし、

ドルイドはある女性の名を呼んだ。

「ゆり様―」

ドルイドの身体は光り輝いて、どこかへと消えたのだった。



二人のゆりは手を繋いで金色に輝く枠の中へと入ったのだが、気づけばゆりは一人っきりになっていた。

「あ、あれ？」

きょろきょろと周りを見ても、もう一人の自分がいない。

（私は中にいるわ）

声が聞こえてきた。

「そうなんだ。よかった。うわっすごい格好」

ゆりは丈の長い真っ白なドレスを着ていた。白いパンプスのような靴も履いているし、頭に触ってみると、髪型も違っていた。

アップにされていて花のような飾りもついている。

神様のサービスだろうか。ドレスには袖がなく、上半身には胸元に一つ、腰から下は白い花の飾りが一杯ついていた。

まるで花嫁衣装のようだ。

上を見ると星空が見えた。今は夜。そしてこの場所は―

(過去のお城の庭園だわ！噴水へと抜ける道！！)

ゆりは女王様のお城には目もくれず、いちもくさんに噴水へと走り出した。


そして、大きな噴水の前にたたずむドルイドを発見したのだった。

「ドルイドー！！！」

「ゆり様！？」

ドルイドは驚いて駆け寄ってきた。

「ドルイド！会いたかった！」

ゆりは両手を広げて走った。

「ゆり様！まさか本当に会えるなんて！」

ドルイドは胸に飛び込んできたゆりをしっかりと抱き留めていた。

「ドルイド・・・ドルイド・・・」

ゆりは涙を流し続け、実は化粧もされていたのだが、その化粧もすっかり台無しになっていた。

「ゆり様・・・」

ドルイドはポケットから白いハンカチを出して涙を拭いていた。するとゆりの左目が変わり、

「ドルイドー！！！」

ゆりは再びドルイドに抱きついた。

「ゆり様・・・」

ドルイドも目を潤ませていた。


ドルイドに・・・ドルイドに会えた・・・


ゆりはうれしくてたまらなかった。


会えないかもしれないと思っていた。もう、ドルイドの笑顔を見ることはできないだろうと。

誰もいない夜の噴水の夢を見るのが嫌だった。

ようやく、ここでドルイドに会うことができた。


散々泣いたゆりはようやく冷静さを取り戻していた。

「ドルイド・・・あれ？あの・・・そのう・・・」

目の前に立っているドルイドは一体いつのドルイドなのか、ゆりには分からなかった。

ドルイドはじっくり見ると夜だというのに騎士の服でめかしこんでいる。黒系で詰め襟の上着で背には黒いマント、

外は黒だが、内側は銀色だった。

マントを留める肩の飾りには金色のチェーンがぶら下がっている。襟の部分にも銀色の蛇の刺繍がキラキラ輝いている。

ブーツは黒だが黒いズボンにも横の方に銀色の蛇の刺繍があった。前に見たよりも派手だった。

「その・・・」

言葉に困ったのか蛇の目のゆりは隠れてしまった。

黒目のゆりも、ドルイドと見つめ合ったまま、何を話していいやら分からなかった。

目の前にいるドルイドはどっから見ても健康そうだ。もしかしたら普通に生きているドルイドじゃないのかと思えてきた。

「素敵なドレスですね」

ドルイドがゆりを見つめていった。

「ありがとう、ドルイドも素敵ね」

ドルイドは自分の服を見ていた。そして何かに気づいて顔をあげた。

「あ、そうだ、こちらにきてください」

ドルイドはゆりを促して、噴水の横手に連れて行った。暗闇で見えにくかったので、ドルイドは魔法で明かりをつけた。

すると台座に乗っている石像の姿が見えた。

ゆりはその石像を見上げてぽかんと口を開けていた。石像は優しく微笑んでいたが、女神像ほど美しくはない。

「あの・・・・これは・・・・」

「ゆり様の石像ですよ」

「え？やっぱり私なの？！なんでまた・・・・」

まさか過去の世界で石像にされているとは思いもよらず、ゆりはこの状況も忘れてしばし固まっていた。

「脚はもうちょっと長くしてくれてもいいのになあ・・・他の女神像とかなりの差が・・・」

「そんなことないですよ。この石像とても好きなんです」

「本当？恥ずかしいなあ」

ゆりは照れていた。

「座りましょう」

「うん」

二人は近くにあったベンチに腰を下ろした。


静かな夜だった。噴水の水の音だけが聞こえてくる。

これがただの恋人達の逢瀬の夜だったなら、どんなによかったことだろう。


「ゆり様は、私が亡くなったのを、ご存じなんですね？」

ドルイドの言葉に、ゆりははっと目を見開いて、また涙を流していた。

やはり、ドルイドは亡くなったのだ。この姿は普通の姿ではないのだ。

「やはりそうでしたか。では、やはり神様に頼み事をしたのも―」

「だって、亡くなるなんて思ってなかったでしょ？女王様に会いたいって言わなかったの？」

ドルイドが自分達を選んでくれた。それがうれしい反面、なんだか女王様に申し訳ない気もしていた。

「陛下にはもう十分よくしていただきました。私のことで心を砕いていただくのが申し訳ないほどに。

心の中でお別れはもう済ませていました。ゆり様にとても会いたかったですよ。ちゃんと御礼を言いたかったんです」

ドルイドは死をまるで感じさせない穏やかな表情をしていた。

「御礼？」

「私には子供がいませんでしたから、何も残さずに死ぬことが本当なら辛いと感じたでしょう。

ですが、私の肌の蛇の子供達のことを思うと、辛い気分が消えていったんです。ゆり様の近くで日々成長される

シス様やシャナーン殿、遠い未来では、私の子供達が二人元気で生きている。次第にそんな風に思えてきたんです。

そう思うだけで明るい気持ちになれました。ずっと二人の肌に私の子供の蛇がいると思うと本当にうれしくて・・・うれしくて・・・」

ゆりは目の前が涙でうるんでドルイドの顔をまともに見ることもできなかった。

「ゆり様と出会わなかったら、とてもあんな安らかな気持ちで日々を過ごすことはできなかったでしょう」

ゆりは両手でドルイドの手を握りしめた。

子蛇達がこんなにもドルイドの心の支えになっていたとは、ゆりは思ってもいなかった。

過去に行ってよかった。過去でドルイドと仲良くなってよかったと、心の底から思っていた。

「ドルイド・・・」

「ゆり様・・ありがとうございます」

ドルイドはゆりの両手を握りかえした。

「暖かい・・・あなたの手、こんなにも暖かいのに・・・」

この姿が仮の姿だとは、ゆりは信じられなかった。


ドルイドは目を細めて、涙を流し続けるゆりを見つめていた。


人も少なく、一族の力も衰退した遠い未来・・・だがその遠い未来を思う時、私はいつも明るい気持ちになるのです

その未来には春の女神のように人々を暖かい気持ちにさせるあなたがいる

あなたの周りにはいつも愛と明るさで満ちている


あなたは私に新しい愛を教えてくれた

そして死を克服する勇気を与えてくれた


死は、終わりではない

私が死んだ後も、私の魂の一部は未来で生き続ける

あなたの側で、生き続ける


尊い身分でありながら、私のためにこんなにも泣いてくださるあなた方が、私は本当に好きですよ



「口づけしてもいいですか？」

「もちろん」

ドルイドはゆりを抱き寄せて顔を寄せた。

優しい口づけに、二人の心はしばし、一緒に儀式をした頃へと飛んだのだった。

「好きだよ。ドルイド」

蛇の目に変わったゆりは、ドルイドの首に両手を回して自分から口づけた。

「私もとても好きです」

「ずっとずっと好きだよ」

ゆりはドルイドの生の感触を確かめるかのように頬を寄せていた。


二人を邪魔する者は誰もいない。

丸い月と、あまたの星々が、二人を見守っていた。




「う・・・うう・・・よかった。よかったわねえ」

その光景を見ながらガーベラは涙を流し、そして手鏡をテーブルに伏せて置いた。

後はもう恋人達の時間である。

「感動したわ」

ガーベラはそこらにあった布をたぐり寄せて涙を拭いていた。涙のシミは花の模様に変わっていた。

横でハロルドは頬杖をつきながら「あほらしい」と言っていた。

「今ので感動しないなんて・・・わかった。涙をこらえてるのね？」

「こらえてない。大体、試練全然間に合ってなかったじゃないか。お前私が来なかったらどうする気だったんだ」

ハロルドが横目で聞いた。ハロルドは途中この場を去っていた。そして再び戻ってきたのだ。

「うーん、愛の力でいけると思ったんだけど・・・」

「愛の力でなんでも解決しないぞ」

二人のゆりはてっきり日が暮れるまでに塔の頂上まで上ったと思っていたが、実は日は暮れていた。

西の空は雲で覆われていたし空は真っ暗ではなかったので二人は気づかなかったのだ。

明るかったのはハロルドが力でそう見せたおかげだった。

犬で助け船を出したり、日が沈んでいないとみせかけたりと、ハロルドは裏で結構動いていた。

日が暮れれば二人はドルイドに会いに行くことはできないはずだったが、そこはそれ、ちょっとくらいは大目に見てもいいだろうと

ガーベラが思ったからだった。

神は人間ががんばっている姿を見るのが好きなのだ。そのがんばりが最後に報われなければ、見ているこちらとしても面白くない。


「でもまあ、がんばって塔は上ったんだし、いいじゃない」

「私はお前の適当さに文句言ってるだけだ」

ハロルドは面白くなさそうに言っていた。

「それしても二人がドルイドに会えてよかったー」

ガーベラはハロルドの言葉は無視して喜んでいた。



ゆりとドルイドは別れの言葉を重ねるよりも、寄り添って昔話などをしていた。

ドルイドに初めて金色の蛇をあげた時のことや、夜の泉に連れて行ってもらったことなどを。

いつまでこうしていられるのか。考えたくはないが、考えると悲しくなる。

このままドルイドを連れて未来に行きたい気分だ。


「アナスターシャ様にお会いできないのが残念でしたね。せっかく今度過去にいらっしゃるというのに」

「そうね。アナスターシャもだけど、シスも成長してるよ。最近男の子らしくなりたいって髪短くしちゃったの」

「そうなんですか。お会いしたいですね。もう一度、子蛇を見せていただきたいです」

「会えるよ」

「え？」

「ドルイドが願っていれば、きっと紺色の蛇が導いてくれるよ。シスやシャナーンの子蛇に会えるよ」

ゆりの予言めいた言葉にドルイドは瞬いていた。

「そうですか？」

「うん！」

ゆりは大きくうなずいた。

「そういえば・・・ゆり様はどうやって私の死を知ったんですか？」

ドルイドはようやくその疑問に気づいた。

「え・・・えっと・・・それは秘密。愛の力とだけ言っておきましょう」

「はあ」

「ドルイドの紺色の蛇ちゃんも愛の力でドルイドを導いて」

ゆりは服の上からドルイドのおなかあたりをなでていた。

ドルイドはきょとんとしていたが、やがて微笑んだ。こんな状況でも笑いがこみ上げてくる。


空が明るくなってきた。

「そろそろお別れですね」

二人の姿も薄くなっていた。

「ドルイド・・・・別れたくないよ」

ゆりは必死でドルイドの手を握りしめた。

「ゆり様、こんなに晴れ晴れとした気持ちで逝く事ができるなんて、私は幸せです。ありがとうございます」

「ドルイド・・・私も、あなたに会えて本当によかった。本当によかったよ！ドルイド！！」

「ゆり様」

ドルイドの微笑みを最後に見て、ゆりの意識は飛んだ。



気づけばベッドの上だった。

「あ！王妃様！王妃様がお目覚めです！！」

侍女の驚く声が聞こえてきた。

身体はひどくだるく、意識はもうろうとしていたが、それでもあれはただの夢ではないと感じていた。


最後に笑ってくれたんだね・・・ドルイド・・・私こそありがとう。ありがとう・・・

私は、これからもずっとあなたの子蛇を見守るからね

あなたの分も、見守るからね


ドルイドの心からの笑みを見たおかげで、ゆりの心も晴れ晴れとしていた。

ドルイドと完全に別れたわけではない。ドルイドの心の一部はこの未来にいる。

他のみんなの心と一緒に。


ゆりは涙を拭いて、あわてて部屋にやってきた子供達に、ドルイドとの話を説明して聞かせたのだった。



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