第61話
「ええ？王妃様がご懐妊なさったんですか？！」
ミカエルからゆりが妊娠したという知らせを受けたセリアは、椅子から飛び上がらんばかりに喜んでいた。
「やった！これで気を差し上げることができるんですね？」
「え？気？何言ってるんだ。妊娠中のお前が気をあげられるわけないだろう」
ミカエルの冷静な言葉にセリアはがーんと口を開けていた。
「え・・・・そ、そんな・・・私の夢が・・・」
「夢？」
女のセリアがゆりに気をあげたい、という願望がミカエルには理解できないようだ。
「とにかくだめ。ところでどうだ？食欲の方は、ちょっとは落ち着いたか？」
「はあ・・・働いて気を紛らわすことにしました」
「そうか、別に王妃に会いたかったら会いに行っていいんだぞ。不安なことでもあったら相談したらいい」
「はい」
ミカエルは部屋から去って行き、一人残ったセリアはやがて「うがー！」と絶叫した。
「しまったー！！同時に妊娠したら気を差し上げられないとは！！なんてこと！！」
セリアは相当ゆりに気をあげる時がくるのを楽しみにしていたようだ。叫んだ後はしばらくうなだれて、「だめだわ。ショックが大きすぎて何か
甘い物でも食べないと浮上できないわ。でもお菓子は禁止されてしまったし、屋敷の中にも何もないし・・・」と考えを巡らせて、
やはりエルバートに何か持ってきてほしいと思念を送ったのだった。
こうして残念ながら、今回はセリアはゆりに気をあげることはできなかったのだった。
「なんだか今回の妊娠は感慨深いなあ・・・６人目かあ・・・」
部屋でゆりのつぶやきを聞いた侍女は、「いえ、７人目ですよ」と訂正していた。
「あ、そうか。７人か。7人？すごいわー7人も子供生むなんて７．７．ラッキーセブンね」
まさかこんなにも子供を生むことになろうとは、自分でもびっくりである。子供を生む時は大変なあまりにもういいと思うのだが、一年も経てば
忘れてしまうのだから女はすごい。
「楽しみでございますね。今度はどのような御子様がお生まれになるのでしょうねえ」
「うーん、どうなんだろうねえ。謎だわ。メメントは食べなきゃだめなのかなあ？」
赤い月以外でできた子供だが、力があるのかないのかはまだわからない。ゆりがうーんとうなっていると扉がノックされて、ロイとイシュタールが
部屋に入ってきた。
「はい、かー様、あげるよ」
ロイは布袋をゆりに差し出した。布袋はなんだかうにゃうにゃ動いている。
「何かしら？」
ゆりは後ろのイシュタールを見ていた。
「メメントですよ。ロイ様がさっそく捕りに行くと言われて」
「そうなの？ありがとうロイ」
「えへへへ！開けて！じっくり見て！」
「あんまりじっくり見たくない。とにかくありがとう。イシュタールに渡しといて」
「うん。食べてねー」
ロイはイシュタールに袋を渡して部屋を出て行った。
「あれ？こんなこと前にあったような気がするわ！デジャヴ？」
ゆりははっと思い首をかしげた。
「ありましたよ。以前にもロイ様が獲ってきましたよ」
「そうだったわね」
布袋の中から小さく「ウギャウニャ」などという声が聞こえてきた。中身はあんまり見たくない。
「イシュタール、これ調理場に持っていってくれる？」
「はい、王妃もしばらくがんばってくださいね」
「うん」
イシュタールはメメントと共に去り、ゆりは息を吐いた。
「うーん、最初の時はあれを喜々として食べたなんて・・・未だに信じられないわ・・・」
アナスターシャを妊娠した時はかなり切羽詰まっていたために、メメントでもなんでも食べたが、今となれば遠い昔のことのように感じられる。
「メメントに変わる果物とかあればいいのになあ・・・・」
切実にそう思うゆりだった。
再び始まったゆりの妊娠生活は、まったりと過ぎて行った。ミシェイラの時のように気が欲しくてしょうがない、というようなことはまだなく、
一日置きに恋人達が一人やってきては気をもらう毎日である。
男達の関心事は儀式が起きるのかどうかだったが、今の所ゆりにもさっぱりわからなかった。たとえ赤ん坊に何の力もなかったとしても、
案外あっけらかんと周りは受け入れそうだ。
「ハザーク様は男か女、どっちだと思います？」
ある日ハザークの部屋にやってきていた子供達が聞いていた。子供達は勢揃いしている。
「さあなあ・・・まあどっちでも」
「ミシェイラはどっちだと思う？」
アナスターシャがハザークの膝の上にいたミシェイラに聞いてみた。
「うーん、ヘビ！」
「ヘビの子は出てこないよ」
シスとラギは笑っていた。
「私はねえ、妹だと思う」
ナナミが言った。
「僕は弟がいい」
とロイ。
「妹よ！」
「弟！」
「なによ」
「なんだよ」
「そこまでそこまで」
二人がこづきあいをしだしてラギが制していた。2人はあっかんべーをしあっている。この双子、最近では寄ると喧嘩ばかりだ。
子供達はそれぞれどっちがいいと話しだした。
うーん、なんだか部屋が狭く感じる・・・
ハザークはぼんやりしながらそう思っていた。子供が6人もいるとなんと部屋が狭く感じることか。しかも全員王の子供なのだ。
ちょっと前までは王族といえば悲壮な顔のラクシュミしかいなかったというのになんということだろうか。
もう１０年もすればもっと狭く感じるのだろうなあ・・・
その頃にはもう1人どころかもう2人増えているのかもしれない。そう想像してありえるな、と思ったハザークだった。
もう20年も経てばどうなるか・・・
その頃のことも想像してみたハザークだったが、怖かったので想像するのをやめたのだった。
何事もなくこの年は終わり、新たな年が始まった。この冬は寒かった。お城の周りにも数日１０センチほど雪が積もったほどである。
庭園ではゆりが子供達と雪だるまを作ったりもしたが、一族の者達はあまり寒さに強くはないので、この冬は皆厚着で寒さを乗り切っていた。
暖かい羊の毛の服もよく売れていることだろう。
妊娠中のセリアも暖かい服を着込んで仕事に励んでいた。仕事に励み、食欲と戦っていた。
この日の場所は屋内の訓練所で、中では30人ほどの子供達が宙に浮き、部屋の中を飛ぶボール球をよけていた。
セリアは今日は子供達の訓練の教官というわけである。
「寒くなるとどうして人って甘い物が欲しくなるんでしょうか？ユリウスさんはそう思いません？」
セリアは子供達に目を向けながらもたまたま一緒にいたユリウスにそう聞いてみたが、ユリウスは「私は別に」と
そっけない返答を返してきた。
「そうですかあ？私なんかあのボールがケーキに見えてしょうがないんですが」
「え？あれが？」
オレンジ色の大きめのボールである。果物には見えるかもしれないが、どう見てもケーキには見えない。
「どうやら赤ん坊は相当甘党のようだなあ」
ユリウスが笑って告げた。
「そうかもしれません。実はセルジュ様ってケーキとか甘い物が大好きだったらしいんですよ。『キース将軍がきっとそのせいだ。すまん』
っておっしゃってました」
「ははは、まあ元気そうでいいじゃないか」
「元気は元気なんですがね。ユリウス様はいいですねえ。王妃様に気もあげられるし・・・」
どうやらセリアはまだそのことを残念に思っているようだ。
「ちょうど昨日もさしあげた所だ。王妃も元気そうだった」
「なんてうらやましい！うー」
宙を飛ぶボールのスピードがあがり、子供達があわあわ言いながら逃げ惑っていた。ボールを動かしていたのはセリアのようだ。
「そんなのもよけられないようじゃだめよ。ほら、心の目でよけなさい」
セリアは腰に手をあてて無茶なことを言っていた。その時「妊婦こえー」という声がぼそっと聞こえてきた。
「今の言ったのだれ？出てきなさーい！サルミン？それともユージン？」
セリアはきっと睨んで側にいる男の子達を見ていた。
そして目をそらせた方の側に飛んで頭をごんとたたいていた。
「だってセリアさん目つき変わってますもん。怖いもん」
「そんなことないわよ。優しいお姉さんよ」
セリアは無理に笑みを作ってみせたが、男の子の顔は引きつっていた。
「やっぱこえーいてててて」
セリアに耳を引っ張られて男の子は声をあげていた。
そんなセリアを見ながらユリウスは、（私にもあんな頃があったなあ。懐かしい・・・）と1人懐かしがっていたのだった。
（うーん、どうにもいらいらしてしまってだめだわ・・・）
妊娠によるいらいらなのか食欲が満たされないいらいらなのか自分でもよくわからない。もっとおおらかな気持ちになりたいものだ。
セリアは訓練後廊下を歩いていてジュノーに呼び止められた。
「あ、いたいたセリア、これ君にあげるよ」
と差し出されたのは紙袋だった。
「なんですか？」
開けてみると中に入っていたのは毛糸で編まれた物だった。太い幅で輪っかになっている。色はオレンジ色だった。かなり派手だ。
「これは・・・？」
「腹巻きだよ。今寒いからさ、妊婦には腹巻きがいいらしいよ」
「そうですか。私も母に言われたんですけど腹巻きはどうも・・・」
「あ、そう」
「せっかくなのにすみません」
セリアは丁寧に腹巻きを袋に戻してジュノーに渡した。
「いいんだよ。じゃあ他の人にあげようかな。王妃が君もどうかって言ったから・・・」
「え？」
セリアは王妃の部分で耳をぴくりと動かした。
「王妃？」
「王妃にもあげたんだよ。同じの―」
セリアががしっと紙袋をつかんだのでジュノーはびっくりした。
「いります。絶対いります！ください！」
「？ど、どうしうたの？急に・・・・まあいいけど・・・」
ジュノーが手を離すと、セリアは紙袋を胸に抱いた。
「お・・王妃様とおそろい・・・」
「そうだよ。暖かくするにはこういう色がいいんだよ」
「そうですかー素敵ですわ。今の私には何よりの贈り物です。ありがとうございます。ジュノー様！」
「いや、喜んでくれたのならよかった」
「やったー！王妃様とおそろい〜♪」
スキップしながら去って行ったセリアを見て、ジュノーは（やっぱり変わった子だ・・・）と思ったのだった。
腹巻きはお腹を温めるだけではなく、なんと心を穏やかにする効果もあった。王妃様と同じ腹巻きをしている、と思うだけで、セリアは
幸せな気分になれたのだった。
ゆりの所にはセリアからの丁寧なお礼状まで届いていた。
「セリアってかわいい♪あの腹巻きはジュノーが買ったんだけど・・・まあいいか」
横でゆりに気をあげていたハインリヒがセリアの手紙を読んでいた。今気をもらっているのは蛇の目のゆりの方だった。
「腹巻きに王妃様の真心を感じました、か。腹巻き？王妃もしてるんですか？」
「うん。王様には絶対見せたくないけどね。なんならハインリヒもおそろいで腹巻きしない？」
「しません」
ハインリヒは即座に答えていた。素敵な騎士様が腹巻きをしていたら、女性ファンはちょっとがっかりするかもしれない。
「ま、セリアは元気に妊婦してるからよかった。カーラも元気そうだしね。カレンも元気なんでしょ？」
「元気ですよ。ずっと子供の名前考えているんですが、結構難しいですね。男の子なら格好いい名前を、女の子ならかわいらしい名前をと
考えているんですが・・・」
「名前ねえ・・・この子は今度は誰が決めるんだろうなあ？」
双子の名前は子供達が、ミシェイラの名前はハザークが決めた。今度は誰が決めることになるのだろうか。
「ものすごく格好いい名前・・・サンジェルマンってどうです？」
「脇役っぽい名前ね」
「だめだな。カ、カ、カ、いやマ・・・ル・・・」
ハインリヒは1人でぶつぶつつぶやいていた。
名前かあ・・・男の子なら・・・ドルイドってつけたいなあ・・・
蛇の目のゆりは密かにそう思っていた。ドルイドへの思いはどちらのゆりの心の中にも今も残っている。
ただの思い出にはしたくはない。ドルイドとの関係は、まだ続いている。
ハインリヒの子供は男か女、どっちなんだろうなあ・・・
自分達が過去に行かなければ生まれなかった子供である。そう思うとゆりは不思議な気持ちになったのだった。
寒さは２の月になっても続いた。
「王妃暖めてください！」とゆりの部屋にはミカエルがやってきた。
ミカエルはゆりの肌を抱きしめるだけで「癒される・・・・」と寝そうになっていた。
「こらー寝るなー」
ゆりがミカエルの頬をぺちぺちたたくと、目を覚ましたミカエルは「じゃあ迫ります」と上に乗ってきた。
「ミカエルってばもう・・・王様が怖れてたよ。３の月に入っても寒かったらみんな交わる元気がないかもしれないって」
「私は王妃と交わる元気はあるんですが、他の女を抱く元気はないなあ」
「はいはい。え？真面目に？」
ゆりは目をまん丸くしていた。性欲の強いミカエルがそんなことを言っていたら、他の男達はだめということではないか。
「普通寒かったら引っ付きたくなると思うのになあ」
「あんまり寒いと眠くなりそうですからね」
確かにミカエルの顔は眠そうだった。目が半分閉じそうだ。
「王妃、神の国に行けたら温泉にばかり入ってないで春の女神を連れてきてください。きっと暖かくなりますよ」
「春の女神？その前になんで昨日温泉に入ったのを知ってるの？」
昨晩は神の国で確かに火の神殿の温泉に入ってきた所だった。寒いとどうにも温泉に入りたくなってしまう。
「そんなことだろうと思いました。王妃の方から熱烈に何かしてくださらないと眠くなりそうです」
「どうぞ眠って下さい」
「いけず」
ミカエルはゆりを抱きしめたまま本当に眠ってしまった。
赤い月までにきっと暖かくなるでしょう・・・
ゆりは気楽にそう思っていたが、３の月の一日になんと大雪が降った。城の周りは真っ白である。ゆりがこの世界にきてこれだけ雪が降った
のは初めてだった。２０センチは積もっているだろう。
「やったー！雪合戦しようよ！ねえ！」
ロイは大喜びで上の兄弟達を雪合戦に誘い、庭園で遊んでいたが、大人達にとっては困ったことだった。赤い月に向けて、いまいち盛り上がる
ことができないのだ。寒いから異性と暖め合おうという発想はあまりないようだ。
「きゃっほーきゃっほー！！」
ロイは雪の上に倒れて大喜びしていた。
「今年は春の女神の到来が遅いようだな」
ハインリヒの魔法で暖められた休憩室ではラクシュミが愚痴っていた。
「まあたまにはこんなこともありますよ。私が子供の頃にもありましたよ」
ハインリヒが言った。
「春の女神って1人であちこち回ってるの？」
ゆりが疑問に思って聞いた。ゆりも一緒にあったまっていたのだ。その上部屋の中には蛇がいっぱいいた。冬眠しなかった蛇が集まっている
ようだ。
「春の女神は3人くらいいるぞ。ちなみにダーナとアリアスの娘達だ。光の女神でもある」
「へーそうなの」
「お前って奴は・・・・神の国に行けてるわりには知らないことが多いな」
ラクシュミはちょっと呆れていた。
「王妃は男の神にしか興味がないですもんね」
ハインリヒがずばりと言った。
「そんなことないわよ」
「男の神よりも温泉の方が好きなんだぞ」
ラクシュミがそうハインリヒに説明していた。
「ひど・・・寒くなると温泉に入りたくなるのは人情だから仕方ないの。大丈夫、赤い月は10日からだからそれまでにはなんとか暖かく
なるわよ」
「だといいなあ・・・」
ラクシュミは眠いのかうつろな目をしていた。
ゆりがハザークの様子を見に行くと、ハザークは布団の中で丸まって眠っていた。
まあ季節的なものはしょうがないわよね・・・・
相手は自然なのだ。たまに荒れるのも仕方がないことだと思っていたゆりだったが、その晩神の国に行けたので、一応春の女神を
捜してみた。クーリーフンに聞くと、やはりこの時期は神の国から人間界に降りているらしい。
ということは、春の女神達は、今はまだ別の国にいるのだろうか。
「今年は寒いから赤い月が盛り上がりそうになくて困ってるのよね。どうすればいいと思う？」
ゆりはクーリーフンに相談してみた。
「赤い月？さあねえ」
クーリーフンは目をぱちぱちさせている。
「相談されても困るわよね。ごめんなさい。気にしないで」
「あ、そうだ。春の女神じゃなくて愛の妖精ならいるよ。赤い月前に国に遊びにいってみようか」
クーリーフンは思いついて言った。
「愛の妖精？愛かあ・・・いいかも。お願いします」
赤い月とは愛が盛り上がって性欲も盛り上がるものだ。愛の妖精がきてくれれば、良いことが起きるかもしれない。
ゆりの脳裏に金色のふわふわした髪の色っぽい女の子の顔が浮かんでいた。最近は見ていないが神の国で元気にいるようだ。
「クーリーフンありがとう！」
ゆりはちゅっとクーリーフンの頬にキスして別れた。そしてやっぱり温泉に入りに行ったのだった。
「シャリィはいまどこだろうなあ？」
愛の妖精シャリィはゆりがガーベラになっているときに生まれた妖精だった。リンゴをかじっているときに歯が取れて、その歯が妖精に
なったのだ。シャリィは気まぐれで毎日ガーベラの神殿に帰ってくるわけでもないので、クーリーフンも場所の把握はしていなかった。
その数日後、シャリィを探して回った所、シャリィはジンラの酒蔵にいた。
「あらら、シャリィったら・・・」
シャリィは明らかに酔っぱらって眠りこけていたのだった。
「シャリィ、僕と人間界に行ってほしいんだけど」
身体をゆさぶると、シャリィは目を開けた。
「人間界に一緒に行ってくれる？」
シャリィはこくりとうなずいて投げキッスした。至近距離だったためあわててよけたクーリーフンだったが、ピンクのハートは
ちょっとゆがんでいた。
「酔ってるせいかな？・・・大丈夫かな？でももうあっちも時間がないからなあ。いいか」
クーリーフンは酔っぱらっているシャリィを連れて人間界に降りて行った。
シャリィは愛の妖精、神様であるクーリーフンの方が力がありそうなものだが、クーリーフン自身が愛をばらまく気はないようだ。
第一姿を見せないと女性達は愛を感じない。今回はあくまでそれとなく手助けしたいらしい。
(手助けになるのかどうかわからないけど・・・まあちょっとは何らかの変化はあるだろう）
実はクーリーフンはシャリィを連れて人間界に降りるのは初めてだった。人間にどういう影響があるのかよくわからない。
２人は蛇の国の街にやってきた。通りを行き交う人々は寒そうに上着を押さえていた。雪は降ってはいないが冷たい風がビュービュー
吹いている。
「シャリィ、適当にハートを飛ばしてあげておくれ」
シャリィは男の顔を見て、好みの男にだけハートを飛ばしていた。ハートをくらった男は何事もなかったように歩いていく。ハートはやっぱり
ちょっとゆがんでいる。
「うーん、効果があるのかないのか・・・・僕にも謎だ・・・」
シャリィはクーリーフンにあちこち場所を移動させてもらい、やがて城にやってきた。
「ここは別にいいような気がするけどなあ・・・・」
庭園に降り立ったクーリーフンは「くー！！！！」という女の子の声を聞いた。
「クークークー！」
小さい子供がぴょんと飛びついてきたのでクーリーフンは反射的に受け止めていた。どうやら瞬間移動してきたようだ。
「あれ？見たことあるなあ」
「クークー！！」
ミシェイラはハザークの部屋の窓から外を見ていて、めざとくクーリーフンを発見し、飛んできたのだった。
あこがれのクーリーフンに会えたミシェイラはとてもうれしそうだった。後からやってきたハザークの侍女にはクーリーフンは見えなかった。
「ミシェイラ様、そちらにクー様が？」
ミシェイラは宙でばたばたしていたので侍女は誰かいることに気づいたようだ。
「クー様？僕のことか」
「クークークー！！！」
「あれ？シャリィどこ行ったんだろう？」
クーリーフンがミシェイラに気を取られている内に、シャリィはどこかに行ってしまっていた。
その頃、ゆりは部屋にやってきたミルキダスを見て不思議そうな顔をしていた。ミルキダスが背中に女の子をおんぶしていたからだった。
「今日も寒いですね。王妃」
「そ、そうだねえ。ミルキダス・・・」
ゆりがじっくりみると、女の子は一方的にミルキダスの背中にくっついているようだ。幽霊でもないらしい。
あれ？愛の妖精じゃない？
ゆりはかわいらしい女の顔を見てようやく気づいた。目を合わせると、妖精がじっとこちらを見てきた。
「王妃？」
ミルキダスが自分の後ろを見ている。やっぱりミルキダスには見えていないようだ。
「なんでもないわよ。どうぞ、部屋に」
妖精は背中からハートを飛ばし、ミルキダスは物の見事にハートを食らっていた。
「うわわ！」
「王妃？」
「いえ、別に・・・あ、ちょっと！」
妖精はミルキダスから離れてどこかに行ってしまった。
「ミルキダス、大丈夫？」
ゆりは心配してミルキダスを見た。
「何がですか？」
「何もないならいいんだけど・・・・」
ゆりは妖精を追いかけるかどうか迷っていた。
「王妃・・・今日は私の詩を聞いてください！」
ミルキダスはゆりの手を取り、突然言い出した。
「え？詩？」
「あなたに会えて、私は幸運でした。あなたはいつも優しく、私に微笑んでくれる・・・私の心にはいつもあなたへの愛があるのです」
ミルキダスはいつになく熱っぽい目で語っていた。
ゆりはぽかんとしている。
「王妃〜♪あなたは王妃〜♪」
今度はミルキダスが歌い出し、ゆりはますますぽかんとした。
さっきの影響？むちゃくちゃ面白い。いや、喜んでていいのかな？
ゆりは笑いそうになるのをこらえていた。
「私の〜ただ1人の王妃〜♪」
「だ、だめだ。あの子探さないと！」
ゆりは笑いそうだったのでシャリィを探すことにした。
「王妃！捨てないでください！」
「捨てないよ。ミルキダスも来て！」
「はい！どこへでも！」
ミルキダスはゆりの手を握りしめて共に廊下に出た。
だめだ・・・ミルキダスが変すぎる・・・愛の妖精のハートくらったからかな？愛が増しちゃったとか？
階段を下りて２階に降りると、シャナーンに出くわした。
「シャナーン、妖精みなかった？」
ゆりはつい聞いていたが、妖精はゆりか無邪気な小さい子供にしか見えないのだ。
「妖精？いえ・・・」
シャナーンがささっとゆりに近づいて、ゆりをぎゅっと抱きしめた。
「え？どうしたの？シャナーン」
「愛してます王妃」
シャナーンの両手がミルキダスによってはがされて、ミルキダスはゆりをさっと抱きしめた。
「ミルキダス様、何をなさるんです」
「私の王妃」
「私のですよ」
今度はシャナーンがミルキダスの手を離そうとしていた。なんと珍しいシチュエーションだろうか。
ゆりはあっけにとられていたが、このままでは被害者がもっと増えるかもしれない。
「妖精探さなきゃ！」
ゆりは2人から離れて廊下を走っていった。
「王妃！」
「王妃！」
ゆりの後ろからは2人がどつきあいながら続いていた。
面白すぎる。いや、喜んでる場合じゃないわ！
「クーリーフンは一緒に来てないのかなあ？もー！！」
一番奥の部屋の扉を開けてみると、中にはイシュタール他数人の戦士がいた。
会議でもしていたようだ。ゆりはイシュタールの横にいるシャリィも発見した。
「あっ！いた！待ちなさい妖精！」
シャリィはハートを飛ばしまくり、そのハートは男達に吸い込まれていた。
「わー！！！やめてー！！！！みんなよけてよけて！！」
ゆりは両手を振って叫んでいたが、男達には妖精もハートも見えていなかった。イシュタールは３発もハートを食らっている。
「きゃー！」
「王妃・・・」
「好きです王妃・・・」
男達が一斉にゆりを見つめて近づいてきた。
「皆さんやめてください！」
ミルキダスとシャナーンはゆりの前に立ち男達を遠ざけた。
「王妃に近寄らないでください」
「王妃、逃げて！」
「王妃、こっちです！」
イシュタールに手を引かれてゆりは逃げようとして飛ばされた。
飛ばされた先は塔の上だった。
「ようやく２人きりですね」
イシュタールはゆりを抱きしめて言った。やっぱりハートを食らった影響のようだ。
「今日は私の歌を聴いてください」
今度は歌！？
イシュタールはゆりを離し、低い声で歌い出した。
「我が〜愛は〜ここに〜ある〜♪」
ぷ・・・・ぷぷぷぷ・・・だめだ。笑っちゃいけないと思っても笑ってしまう・・・
ゆりは口をぎゅっと閉じて笑うのをこらえていた。
こちらのゆりは瞬間移動はできなにので、仕方なくイシュタールの愛の歌を聴いていた。
この状況は面白すぎるが、このままだとまずいことになりそうだ。
王様がハートくらったらどうなるんだろう・・・見てみたい！でも他の女の子好きになったら困る！相手が侍女だったら最悪じゃない！
「イシュタール！王の間に飛ばして！」
「王妃・・・私の歌はつまらないんですね・・・・」
イシュタールが悲しげに言っていじけだした。
「歌は後で聞くからお願い！！」
「はあ・・・・」
王の間の外に飛ばしてもらったゆりは、王の間の中に入って行った。中にはラクシュミがいたが、その横にシャリィもいた。
なんとシャリィがハートを飛ばそうとしているではないか。
「だめだめ！だめー！！！」
いびつなハートは飛んで行った。
「きゃー！！」
ゆりが絶叫した時、ラクシュミは足元の蛇をとろうと前にかがみ、ハートはその横にいたフリットに吸い込まれた。
頭をあげたラクシュミは怪訝な顔をしていた。
「どうしたんだ？」
「いえ・・・なんでも・・・」
「ああ、絶世の美女がそこに！」
フリットが目を輝かせて言い出して、ラクシュミは「？」という顔をした。
シャリィはこちらにやってきて、ゆりに手を振って部屋を出た。
「失礼しました」
ゆりは頭を下げて王の間を出た。後で絶対怒られそうだ。
シャリィの後を追っていき、城の前でようやくクーリーフンに出会ったのだった。
「クーリーフン！」
クーリーフンはミシェイラをだっこしていた。
「あの子のハートをくらった男達がみんな変になっちゃったわよ！？」
「え？そうなの？酔ってたせいかな？とりあえず違う街にいくから。はい」
クーリーフンはゆりにミシェイラを渡した。
「クー！」
「さようなら」
「クーリーフン！ちょっと！この後始末はどうするのよう！」
クーリーフンはシャリィを連れてさっさと飛んで行ってしまった。ゆりがくるりと後ろを向くと、後ろにはミルキダス、シャナーン、イシュタール、
フリットの他に５人の男達がいた。
「王妃好きです」
「私の王妃！」
「いえ、私の！」
「私の」
「私も恋人になりたいです！」
男達は口々に言い合い、「一体これをどうすれば・・・・」とゆりは途方に暮れたのだった。
「クー・・・ちゅき・・・」
腕の中ではミシェイラが悲しげに言っていた。
その後、ゆりの部屋では「王妃への愛の歌を競う大会」が開かれていた。参加者はもちろん、シャリィのハートをくらってゆりに愛を感じた
男達である。
男達は大まじめで歌を歌い、ゆりも仕方なく聞いていたが、横にいた侍女達はひそかに笑っていた。そして部屋の様子を伺いにきた連中も
笑っていた。廊下ではフリットの歌を聴いたミカエルの笑い声が響いていた。
「なんだありゃー」
「ミカエルは何もなかったんだね」
同じく様子を伺いに来たラギが聞いていた。
「私は何も・・・・それにしてもおかしい。王妃もよく笑わないなあ」
ミカエルはゆりの様子を見ていたが、ゆりは笑うどころではなかった。ラクシュミにどうやって言い訳しようか考えていたのだった。
案の定、夕方ラクシュミのお呼び出しがあった。
「ゆり、赤い月前に男達のお前に対する愛を増してどうするんだ？」
ラクシュミの言い分は最もである。
「どうもすいません。まさかこんなことになっちゃうとは・・・街の様子はどう？なんか変わったことありました？」
「街の方は陽気な男がいっぱいいたらしい」
「ちょっとは盛り上がってきたかな？」
ラクシュミに睨まれて、ゆりはもう一度「ごめんなさい」と謝っていたのだった。
「クーいた。くーいたの。クーいた」
ミシェイラはうれしそうに会う人みんなに言っていた。よっぽどうれしかったのか興奮しまくっているようだ。
「いいなあ。私もクーがみたかったよー」
夕食の時間、ナナミがうらやましそうに言っていた。
「僕もみたかったなあ。クー」
「私だって見たかった！クー」
ロイに続いてアナスターシャまで言い出した。
ミシェイラ以外はクーリーフンに会えなかったようだ。
「それでなんでクーリーフンがきたの？」
ラギがゆりに聞いた。
「さあ、わからない」
とゆりははぐらかした。ラクシュミには説明したが、子供達に説明するのも面倒だった。
「わが〜愛は〜ここに〜あ〜る〜♪」
アナスターシャが歌い出してゆりは睨んでいた。
「まねするんじゃありません」
「だっておかしかったんだもん。ねえ」
アナスターシャがシスに同意を求めると、シスは笑うのをこらえていた。どうやら先ほど部屋の前にみんないたようだ。
「それでなんでみんなああなったの？」
ラギがまた聞いてきたが、ゆりは「さっぱりわからない」とまたはぐらかせたのだった。
どうかハートの効果が短いように！！
ゆりはそう願っていた。長引くともっとラクシュミに睨まれるだろう。
ゆりの願いが通じたのか、次の日には男達は元に戻っていた。そして前日の記憶はすっかり消えていたのだった。
周りからいろいろなことを言われて首をかしげた男達だったが、ゆりは「クーリーフンと一緒に愛の妖精がいたからその影響かしら？」
と曖昧に答えていた。自分から頼んだとはどうもいいにくい。
「我が〜愛は〜ここに〜ある〜♪」
「だから歌わないでってば」
ゆりはアナスターシャに怒っていた。
アナスターシャはあれから食事の時間になると歌い出すのだった。
「イシュタールに歌っちゃだめよ」
「もう歌っちゃった」
「なにー？！」
「嘘」
「もー」
ゆりがほっとするとシスが、「ロイがフリットに歌ってたよ」と言い出した。
「なんですってー！」
「愛を〜あ、なーた〜にささげる〜ちゃらら〜♪」
ロイが歌い出し、ゆりの顔は引きつっていた。フリットが一度歌った歌をロイは覚えていたらしい。ちなみにフリットの歌はポップな感じで
なかなかよかった。あの時順番をつけるとしたらフリットが一番だったが、それじゃ他のみんながかわいそうなので、「私はみんなの歌に
感動したわ。順番なんて付けられないわ」と言って、順位はつけなかった。
「あなたがい〜る〜だけで〜♪」
「バババン」
「伴奏つけんでいい！なんで覚えてるの。忘れなさいよ。もう」
「格好いい歌だねってほめたんだよ。フリットも喜んだよ。喜んで何も言わずに去って行ったよ」
「それは全然喜んでなーい！」
結局愛の妖精が蛇の国に降りてきた効果はあったのかなかったのか、ゆりにはよくわからなかった。
ここに来て気温は上がってきたが、赤い月前日だというのにゆりも全くそういうモードに入りきれない。
「今年はどうなるんだろう・・・だめだわ。みんなの歌が頭の中でリフレインしているわ！」
子供達には歌わないようにと怒ったゆりだったが、１人部屋にいるとついあの時のことがよぎり、笑ってしまうのだった。
王様の歌も聞きたかったなあ・・・王様ならどういう感じで歌ったんだろうなあ・・・
などと性懲りもなく思いつつ、赤い月を迎えたのだった。
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