第10話

所変わって神の国では、昼間ガーベラが雲の上の神殿にやってきていた。神殿の中で職人らしき男の妖精達が、道具箱を手に

行き来しているのを見て、ガーベラは妖精に「ねえ」と声をかけてみた。

するとその妖精は顔を真っ赤にして固まってしまった。返事もままならない様子である。妖精の反応としてはこれが普通であろう。

「部屋でも増やすの？」

ガーベラが聞いたが、妖精は石のように反応しなかった。

妖精はガーベラの芳しい香りをじかにかいで、すでに頭がふらふらになっている。会話をするのはもう無理だ。

（まあいいわ）とガーベラは神殿の中を歩いて行った。今日はヒルデリアに用があってやってきたのだ。ヒルデリアが管理している

花畑の花がほしかったからである。ヒルデリアの私室の方に向かい長い廊下を歩いていると、奥に人だかりが見えた。神も数人いる。

口々に「でかい穴だ」「すごい」とかいう声が聞こえる。

「何かあったのかしら？あの部屋はバリアスの部屋ね」

バリアスはガーベラにゆりが入っている時に生んだ3人目のハロルドの子供である。赤ちゃんで生まれたので世話が必要ということで、

ヒルデリアが育てることになったのだった。赤ちゃんで生まれたバリアスは今も赤ちゃんのままで、ハイハイするようになったが

そんなには成長していなかった。

皆に混じってガーベラも同じように部屋の中をのぞいてみた。

部屋の中には5人の職人達と鎧を着けていない普段着のハロルドもいた。バリアスはいない。

「みんな何を見てるの？」

ガーベラは横にいた神に聞いてみた。

「あれですよ。あれ」

「あれって？」

その神が差した指の方向を見ていたら、立って腕を組んでいたハロルドがガーベラに気づいた。

「ガーベラも来たのか」

「何してるの？え？あれ？どうしたのその穴！？」

ガーベラはようやく部屋の中の惨事に気づいた。大理石の太い柱と壁に3つほど穴があいている。その穴は子供の頭ほどの大きさだった。

壁の穴は大人の身長ほどの高さにある。何をどうすればこんな穴が開くのだろうか。

「パティウスとバリアスが遊んでいてこうなった。まったくあのガキは・・・」

ハロルドはいまいましげに言った。

「え？遊んでって何の遊び？」

ガーベラが驚いて言った時、「すごい石頭だ・・・」というつぶやきが聞こえてきた。

「え？まさかこれってバリアスの頭の跡なわけないわよね？」

「そうだ。パティウスがバリアスをほおりなげて穴ができたんだ」」

「大変じゃない！大怪我してるんじゃない？バリアスはどこなの？」

ガーベラはあわてように言った。

「怪我なんてしてない。今も元気で外で遊んでる」

ハロルドは冷静に返した。

「本当？あーよかった。本当に石頭ねえ。ほほほ」

ガーベラはほっとして笑った。

「笑い事じゃないぞ。こんな穴を開けて・・・ヒルデリアもかんかんだ」

「バリアスに怒ったの？」

ガーベラは驚いた。

今バリアスはほとんどヒルデリアが育てている。その溺愛ぶりも想像できるし、バリアスがもしこの神殿を破壊してもヒルデリアは

怒らないだろうと思っていた。

「いや、バリアスを手荒に扱ったんでかんかんになってパティウスを探させてる」

「そっちね」

「元通りにするのは大変なんだ・・・まったく・・・」

ハロルドため息交じりに言い、ちらりとガーベラの耳を見ていた。

「・・・」

「？」

「耳が・・・」

「耳？」

「いや、なんでもない。お前がいると皆集中できない。他に行ってくれ」

「はいはい」

ガーベラはその場を離れ、ハロルドはぼんやりしている職人達に指示を出したのだった。



人間界蛇の国の城の一室では、ミルキダスがラクシュミに会いにやってきた所だったが、その場にはヴィクターもいた。

ゼッドの話が酒の肴にされていただろうことはミルキダスでなくても想像がつく。

ミルキダスは恐縮しつつヴィクターの横に座り、ラクシュミに対面していた。

ミカエルやフリットはここによく来るが、ミルキダスはあまり来ない場所だった。王であるラクシュミと一緒にお酒を飲むなど考えただけで

頭に血がのぼりそうである。今目の前に杯が置かれていたが、手をつける気にもなれなかった。

「今ヴィクターから面白い話を聞いたぞ。ゼッドのことなんだが、木から落ちて手を折ったんだってな」

ラクシュミが穏やかな表情で聞いた。

「は・・はい」

「それですぐに治ったっていうのは本当か？」

「は・・・はあ・・・その・・・もしかしたら本当は折れてなかったのかもしれないです。あんなに早く治るわけないですし」

ミルキダスは微妙に首をかしげつつ言った。

「そうなのか？」

「医者の間違いでしょう」

「え？それだけの話なのか？」

横のヴィクターが聞いた。

「はいその・・・たぶん・・・」

「たぶん？ってなんだ？」

「確かに落ちた時には手は変な方向に曲がっていたようなんで折れたな、と思ったんですが・・・医者もこれは折れた、といってましたし」

「ほお」

「でも今朝は普通に手を動かしてますんで、やはり折れてなかったのかな、と」

「ふうん？」

ラクシュミも腑に落ちないようだった。そこでヴィクターがぎくりとするようなことを言い出した。

「王が治されたのではないんですか？」

「私が？いや」

ラクシュミはあっさり否定した。

「ゼッドのこともさっき知ったぞ」

「ではシス様とか」

「シスにそこまでの治癒の力はあったかな？まだないと思うが。アナスターシャも無理だろう」

「では王妃が何かされたのでは？」

「ゆりが？」

皆の頭の中に、不思議なことイコールゆりの仕業、という方程式が浮かんでいた。確かに今まで不思議なことがあるとたいていゆりが

からんでいたが、今回はどうだろう。

「私はゼッドのことは王妃に言ってませんが・・・」

「ゆりも別に何も言ってなかったけどな」

「せっかくだからゆりを呼んでみよう」とラクシュミがゆりを呼び、ミルキダスはさらに冷や汗をかいていた。

だがこの場に来て話を聞いたゆりは「ゼッド大丈夫なの？」と驚いていた。どうやらゆりの仕業でもなさそうだ。

ゆりは「手が折れてもう治ったの？虎の一族の子供みたいね。子供って治りが早いんだね」などと的が外れたことを言っていた。

「いや、普通こんなに早くは治らないぞ」

ラクシュミが告げた。

「そうなの？じゃあどうして治ったの？シスが魔法で治してあげたんじゃない？」

皆が考えそうなことをゆりも考えたが、ラクシュミが思念でシスに聞いたところ、シスでもなかった。

「不思議だな・・・」

「そんな、王の頭を煩わすようなことではないですので・・・」

ミルキダスはとにかく恐縮しているようだ。

「じゃあ折れてなかったんじゃない？とにかく元気になってよかったわね」

ゆりは明るく言ったが、結局ゼッドの件は皆消化不良のままだった。


夕方、食堂でもゆりは子供達とその話題で盛り上がった。話題には蛇の目のゆりも加わっている。

「実は折れてなかったんじゃない？」というのがおおむねの意見だった。ロイ一人が「わかった、ライオネル様が治してくれたんじゃない？」

と、虎の国での記憶を思い出して言っていた。あの時治療したのはライオネルではなかったが、ロイにとってはそうなっているようだ。

だがライオネルとゼッドの接点はないのですぐに却下されていた。


あくる日、ゼッドのことは新聞の片隅に小さな事件として載せられた。ゼッドは不服がっていたが、ミルキダスが大きく載せないでくれと

頼んだせいもあるだろう。一部の話題に上ったりもしたが、数日もすれば、みんなそのことは大して気にしなかった。


７の月も終わるころ、ミルキダスがゆりの元をたずねてきて「あっ！」と声をあげた。

「王妃・・・元に戻られたんですね！」

その声にはうれしさも混じっていた。ゆりの耳は丸い耳に戻っている。変身が終わったのだ。

「そうなの。さっき変わったばっかりなの」

「そうですか。なんだか懐かしいようなほっとしたような気がします・・・」

長年慣れ親しんだ姿にミルキダスの目がうるっときていた。

「なんだか耳の聞こえが悪くなって・・・それが気になる・・・」

変身中は周りの音が実によく聞こえただけに今は感覚がおかしかった。

「王もハザーク様も喜ばれたでしょう」

「うん。懐かしそうな顔してたかも」

ラクシュミとのラブラブはすんでのところで間に合っていた。蛇紋を見ても以前ほどの感激はなかったが、「ほう」とちょっと感嘆した程度だった。

元に戻ったらもう蛇紋は出ないのか、それが気になるところではある。


「やはりその姿が王妃ですよ」

「子供達にも言われたよ。所であれからゼッドはどうなの？あのこと新聞に載ったね」

「はあ・・・あの事件はなかったかのように元気です。相変わらずさっぱりわからないままですが・・・」

ミルキダスは頭をかいていた。

「そうなんだ」

「皆さんに気にしてもらって、説明できないのが困ったものなんですが・・・」

その時ノックの音がして、出るとエルバートが立っていた。

「王妃、今下で戻られたって聞きまして・・・」

「そうなの。さっき戻ったの」

「なんだか懐かしいですね」

「そう？」

「あー！！！」

横から声をあげて近づいてきたのはシャナーンだった。

「なんで君が先にきてるんだ！ああ、王妃・・・よかった。いつもの王妃に戻られたんですね・・・」

シャナーンはゆりの顔を見るととたんにうるっとしていた。

「偶然聞いてきただけだよ」

「王妃・・・・」

横のエルバートは完全に無視し、シャナーンは目を細めてゆりを見ていた。

「シャナーンってば・・・」

ミルキダスは遠慮がちに「私はこれで・・・」と去って行った。


この日はゆりは会う人みんなに「懐かしい」と言われていた。ミシェイラだけは「マーミミナイ」とか「ミミヘン」とか言っていた。

「ミシェイラったら前のママに戻っただけなのに」

と説明しても「うんにゃ」と言うのだった。

「マーミミさがして」

「え・・・・いや、どっか行ったわけじゃないんだけど・・・」

「さがすの！」

「今だってミミあるでしょ。ほらほら」

ゆりが丸い耳を示してもミシェイラは納得しないようだった。

「ナイ、どっかいった！」

ミシェイラが今の姿に慣れるまでにまた時間がかかりそうである。



一方ゼッドは、自分の手の怪我が治ってしばらくすると、ゼッド自身も怪我したのは夢だったのかもしれない、などと思い始めていた。

何度聞かれても治った理由もわからないので、そう錯覚してしまうのも無理はない。

周りもそう錯覚しはじめていた。



ある夜のこと、ゼッドは森にいた。明るい昼の森である。寝た後のことなのだからこれは夢なのだ。

夢の中、ゼッドは横にいる女性と話をしていた。

「おばさん、前僕の傷治してくれたでしょ？でも僕そのこと全然覚えていなかったからみんなに不思議がられたんだよ」

「そうかい」

と女性は答えた。女性はゼッドにとってはおばさん、と呼ぶくらいの年齢だった。自分の母親よりもちょっと上のようにも見え、

若い女性ではなかった。だが「おばさん」と呼ぶのはちょっと失礼かな？と思えるほど、結構綺麗な女性でもあった。

だが、ものすごく美女、というわけでもない。腰くらいまでの軽くウエーブがかかった髪で、黒い瞳、濃い緑色の地味なドレスを着ていた。

明るく親しみやすい、という顔立ちではなく、いつも笑顔というわけではなかった。自分の母親のようなおっとり系でもない。

だが怖いわけでもない。話しかけるとそれなりの返答もしてくれた。

ゼッドの印象では学校の先生、のような賢そうな女性だった。

ゼッドがこの女性に合うのはこれで３度目だった。

ここがどこなのかもよくわからない。ただ安全そうなところだ、とだけは思っていた。危険そうな動物は見当たらない。

３度とも、似たような場所だったが、まったく同じ場所ではないようだった。

今日は周りに木々ははえているが、人が歩くのに遜色はない小道があった。道をぶらぶら歩いていたら女性が向こうからやってきたのだ。

この世界でその女性以外の人間にはまだ出会ってはいない。



女性は布をかぶせたかごを持っていた。

ゼッドの視線を感じて女性は布を剥ぎ取った。かごの中にはおいしそうな桃と葡萄が入っていた。

「食べるかい？」

「うん！食べる！」

ゼッドは目を輝かせて大きな桃を手に取った。

そして皮をむいでかぶりついた。

「おいしーい！」

ゼッドのうれしそうな顔に女性は目を細めていた。

「僕おきたら傷が全然なかったからびっくりしたんだよ。ここの記憶もなかったから何があったんだかわからなかった。お父さん達も

びっくりしてたよ」

「そう」

「僕は実際におばさんと会ってるよね。これは夢じゃないんだよね？」

「さあねえ、まあ夢でいいんじゃないのかね？」

「えー？」

ゼッドは前回のことを思い出していた。ここにいるとちゃんと思い出せる。ゼッドの怪我を見た女性が、何かを持ってきてくれたのだ。

ゼッドはそれを飲んだ。飲んだところで記憶は切れている。

「じゃあまた怪我したら治してくれる？」

ゼッドは無邪気に聞いた。

「さあ、こうして会えなかったら治しようもないね。それに木から落ちて死ぬこともあるよ。気をつけなさい」

「はあい。みんなに散々言われたよ。あ！馬だ！乗りたいな！」

反省の色もなく、ゼッドは側にやってきた白馬に目を輝かせていた。鬣の長い綺麗な白馬である。

「馬に乗ったことあるの？」

「ないよ！乗っていい？」

もはや果物よりも馬の方がいいらしい。

「しょうがないね。少しだけだよ」

「うん」

ゼッドは女性に馬の背中に乗せてもらい、馬に乗ってとことこ歩いた。




その少し離れた空を飛んでいたのはペガサスだった。ペガサスにはハロルドが乗っていたのだが、地上一体に結界が張られていることに

気づいた。

「ん？この結界は・・・・」

強力な者が張った結界である。ハロルドには張ったのが誰かわかり、そのまま通り過ぎた。

すると小さな雲に寝転んで乗っているアシュランに出くわした。アシュランはペガサスの近くにやってきた。何か言いたげである。

ハロルドが何か言おうとすると、

「ヒルデリアがいたろう」

とアシュランのほうから切り出してきた。

「ヒルデリア？」

「結界張ってたろ？」

「ああ・・・」

先ほどの結界はヒルデリアのものだった。結界を張っているということは、誰かに見られたくないということなのだ。

アシュランならちょっと怪しむところだが、ヒルデリアの結界だったから通り過ぎたのだった。

「中で何をしているか知ってるのか？」

「ああ、知ってる。人間の男と仲良くしているのだ」

「ヒルデリアが？まさか」

ハロルドははははと笑っていた。だがアシュランの表情はふざけているようでもなかった。

「なんで人間の男がここに来れる」

「子供だからな。偶然これたんだろう。時に我々でさえ驚く偶然がおきるもんだ」

「子供？」

「昔、ヒルデリアが気にして世話していた人間がいた。その人間と魂が同じだ。人間にその時の記憶はないだろうが、

ヒルデリアは覚えていたんだろう・・・・二度目からはヒルデリアが呼んだのかもしれないが・・・・」

「そうなのか。それはヒルデリアもうれしいだろうな・・・」

神々には誰しも、気にかける人間の一人や二人いるものだ。ヒルデリアにそういう人間がいても不思議ではない。

そういう話を本人に聞いたことはなかったが。

「だから邪魔するなよ」

アシュランはそういうとすーと通り過ぎて行った。

「私が邪魔するわけないだろう」

ハロルドはヒルデリアのことよりも、、アシュランがヒルデリアのことをちゃんと気にしているのだな、とそっちの方を意外に感じていた。

結界の外でそっと見守るなんて普通の夫らしいではないか。


気にしている人間か・・・・

そういえばなぜ姿が変わったのだろう・・・


ハロルドはゆりの変化をいまだ気にしつつも飛翔して行った。



地上ではゼッドが白馬に軽く走ってもらっていた。しっかり鬣をつかんでいるがどうも危なっかしい。

「馬って思っていたよりも高いねー」

「この馬はおとなしいけど、他の馬は危ないからね。勝手に乗ってはいけないよ」

黒髪の女性は声をかけていた。先ほどから注意ばかりを口にしている。

「うん。おばさんてばお母さんみたいだねー」

ゼッドは冗談交じりに言っていた。女性はその言葉にぴくりと眉を動かしていたが、やがて何事もなかったかのような顔に戻ったのだった。




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