第17話

蛇に化ける、ということがあり、10日ほどが過ぎた。ゆりはしばらくおとなしくしていようと心に誓っていた。これ以上変なことでもあれば

さすがにまずい、と自分でも思ったからだろう。

ここの所夏日で、気温の高い日が続いていた。昼間は庭園にも出ず、お城の中にこもっている。

こういう日は扇風機やクーラーが懐かしい。侍女が扇子で扇いでくれるが、それでも汗が出てくる。城の中でさえこれほど暑いのだ。

外は相当の暑さだろう。ロイは連日湖で泳いでいる。うらやましい限りだ。

エルバートがたずねてきたのはこんな暑い日のことだった。

エルバートもさすがに暑いのか、長い髪を後ろでひとつに束ねていた。水色系の衣服は見るからに涼しげである。

「あら、エルバート」

「こんにちは王妃、暑い日が続きますが、体調は大丈夫ですか？」

「なんとかね」

ゆりは部屋の中にエルバートを招き入れた。二人が座ると、ゆりの侍女が両脇から二人を扇いだ。

体質の差なのか、ゆり意外の者達はあまり汗をだらだら流すことはない。

子供達の中ではラギがゆりに似て汗をかきやすい。

「セリアはどう？ばててない？」

「実はばててます。あのセリアさんが最近食欲がないというので心配で・・・セリアさんも王妃のことを案じてました」

「そう。私もさすがに食欲がわかないわ。夜も寝苦しいし」

ここの所寝苦しい夜が続いていた。自分の寝室で寝ているが、ベッドに入っては夜中までごろごろしている。

「王妃も大変ですね。がんばってください」

エルバートにねぎらうように言われて、ゆりは「はい」と答えていた。エルバートがこの場にいるだけで温度が2度ほど下がったかのようだ。

その時エルバートの目つきがすっと鋭くなったが、ゆりは（やっぱきた）とあまり驚くこともなかった。


「時に王妃・・・蛇になってたそうだが・・・・」

先ほどよりも声のトーンも下がっていた。エルバートの中に入っているカーライルは、自分でも疑うように聞いてきた。

そのことについては別にひた隠しにしていたわけでもないので、誰かから聞いたのだろう。

「なってましたよ」

ゆりは驚きもせず平常心で答えた。

「なんでなってた」

「これも人生経験と蛇になってました」

ゆりの受け答えにカーライルは意表をつかれたような顔をしていた。

「・・・今の冗談だろう？」

「本気です」

「・・・そうか。まあいい。詳しく聞くのもばからしい気がしてきた。これをやろう」

カーライルは白い布の袋を机の上においた。開いてみると、小さい布袋が10個ほど入っていた。いい匂いがする。

スーと鼻を通るミントのような匂いだ。

「ポプリですか？」

「ハーブが入ってる。風呂に入れるといい。暑苦しい夜でもよく眠れるだろう」

「へーありがとうございます」

ゆりも似たような物はいろいろもっているが、ここは素直にお礼を言った。カーライルはハザークも知らないようなこともよく知っている。

当時好奇心が旺盛だったせいだろう。好きな女性には尽くすタイプだろう、とゆりは思っていた。

ラギがカーライルに何度かご教授を願ったが、そこまで親切にする気はないのか、頼んでも出てきてくれないと言っていた。

「これって妊婦専用なんです？王様にあげてもいいですか？」

「ああ。王にも効果があるだろう」

「王様も喜びます」

「・・・さっきのことだが・・・なんで蛇になったんだ？」

「人生経験を積むためです」

ゆりがはっきり言い張ったので、カーライルはそれ以上何も聞かずに部屋を去って行ったのだった。


その夜、ゆりはラクシュミにも勧めてカーライルにもらったハーブの袋を浴槽に入れてみた。

すると身体がリラックスして、なんともいい気分になれたのだった。

それはラクシュミも同じだったらしい。似たような匂いのものはいろいろ持っているのにどこが違うのだろう。ハーブの配合に差があるの

だろうか。

その夜はゆりはしばらくぶりにラクシュミの横で寝ることができた。ラクシュミのちょっとした嫌がらせはもう終わっている。

「今夜はよく眠れそうだ。・・・水蛇様はお前の恋人でもないのに親切だな」

ラクシュミは相当気持ちよかったのか機嫌がよさそうだった。

「いろいろな女の人に配ってるのかもね」

「あの水蛇様は人好きだからな。ハザークもあれくらい人好きだったら人生変わってただろうな」

「そうね。恋人がいっぱいいたかもね」

人好き、というよりも女好きのハザークを想像し、ゆりはちょっとおかしくなった。


その夜は暑いながらも二人ともすんなりと眠ることができた。


そしてゆりは夢を見た。

神の世界ではない。元いた自分の世界の夢である。


久々にみたような・・・と思ったが、この夜はちょっと違っていた。


高いビル群、道路を行きかう車、歩道を歩く人々。誰も自分に気づくことはないようだ。

どうも自分はこの世界に存在していない。それは周りの人たちが自分を通り過ぎていくことでわかる。

時刻は昼間だった。空は真っ青だ。

いつの時代なのかはわからない。自分がいた時と同じなのか、あれから時間が経った世界なのか。


「元の世界をのぞいているだけ？かな？」

「ここはなんだ？」

と後ろで声がしてゆりは仰天した。

「うわっ！王様！」

後ろになんとラクシュミが立っている。寝たときのガウン姿で。そういえば自分もそうだった。真っ白ですそにひらひらがついたネグリジェを

着ている。

「びっくりしたー！」

「ここはなんなんだ？」

ラクシュミは周りを眺めていた。ラクシュミの姿も自分と同じである。この世界に存在はしてはいないようだ。

「ここ？その・・・私が元いた世界がここ」

「へえ、ここが？」

ラクシュミは頬にかかる銀の髪をかきあげて、上を眺めた。

高くそびえる建物郡を眺めて、忙しそうに通りを行きかう人々を眺めていた。

（この世界、王様の目にはどう映っているんだろう？）ゆりはそれが気になった。

「若い女もいっぱいいるな」

「え」

（もしかしてあっちの女の方がよかった、とか思ってる？）とゆりはちょっとどきどきした。

「すごい所だな。空が狭い気がする」

「確かにそうね。向こうにはこんなばかでかい建物ないものね」

「ほとんど人間だけだな」

「・・・・」

都会の真ん中に蛇がいるはずもない。せいぜい犬か猫に鳥が飛んでいるくらいのものだ。

「我々はこの世界では生きていけないだろうな」

少し眺めただけで、ラクシュミにはそう感じられたようだ。

「そうね。向こうとは違いすぎるものね。空気悪そうだしね。でもどこもこうじゃないのよ。この世界だって自然はたくさんあるし」

悪いところではない、とゆりは言いたかった。だが、自分にとってはよい所ではあったが、ラクシュミにとってはそうではないだろう。

「みんな耳がお前と同じだ」

「そうね」

「同じ生き物がいるんだろう？」

「うん。蛇もいるよ。どこかに」

「案外二つの世界は近いところにあるのかもな」

「え？」

バリバリバリと空を引き裂くような激しい音が聞こえてきた。空を見るとヘリコプターが飛んでいた。

もちろんラクシュミにはそれが何かはわかりはしないだろう。

だがゆりはうれしげに説明する気にもなれなかった。この世界は便利は便利だが、向こうの世界にはない悩みを抱えている。


「王様、もう帰ろう」

「ああ」

それきり、夢は終わってしまった。



朝起きたとき、ゆりは夢の内容を覚えていた。目覚めたラクシュミに夢のことを聞いてみると、「夢？いや、みてない」と

そう言った。

「そうなの」

ゆりはなんだかほっとした。

「どんな夢を見たんだ？」

ラクシュミが逆に聞くと、ゆりは「いいのいいの。なんでもない」と言って寝室を出て行ってしまった。


「・・・・・」

ラクシュミはしばらく何か考え込んでいた。

実は夢のことは覚えていた。

言うとゆりが懐かしがって帰りたくなるかもしれないと思い、言わなかっただけだ。

魔法はないというが、その代わり、こちらにはないいろいろな物があった。

それがうらやましいともなんとも思うことはなかったが。



あの世界を作ったのは向こうの神なのか？それとももっと上の存在か？


ラクシュミはそんなことを疑問に思った。二つの世界を作り、実験的に違う世界を作ったとすれば、同じ生き物がいる、というのも

納得がいくのではないか。


なぜあんな夢をみたのだろうか。それも疑問だった。

ゆりが懐かしく思っていたせいか。それとも赤ん坊のせいなのか。


ラクシュミは肩肘をついてゆりが去ったドアを見つめていた。


最近はゆりが異界の人間だということもすっかり忘れていたな

あれからずいぶんと時が経って、子供を何人も産んだというのに一向に落ち着かないがな

一生あのまんまかもな・・・


ラクシュミはそんなことを思いつつ、つい失笑していたのだった。



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