第22話
「私がいた時代では、そういう輩のことは『通り物』と呼ばれていました」
王の間にてハインリヒが静かに切り出した。この場にはラクシュミ、ザメハ、フリットもいた。部屋には重苦しい空気が漂っていた。
「私も噂を聞いたことはありますが、実際に出会ったこともないですし、実際に出会った者から話を聞いたこともありません」
「イシュタールはどうなるのでしょうか」
フリットが悲痛な表情で聞いた。
「とりあえずできるだけのことはした。聖地に伝鳥も飛ばしたが・・・」
伝鳥、とは普通の生きている鳥のことではない。魔法の鳥のことである。聖地まで飛ばすのはかなり高度な魔法技術がいる。
「あ、神官ならば闇の者も退治できるのではないですか？」
ザメハがはっと目を見開き言った。神官、その言葉は彼らにとってはあまりなじみのある言葉ではないが、2年前、その神官に
彼らは会っていた。小柄な女性でとてもそういう輩を相手にしているとは思えなかったが。
「彼女ならばイシュタールを救うこともできるのでしょうか」
フリットの瞳にも希望の色がともっていた。あの時、神官リティアの仕事は邪教徒狩りだと言っていた。今回は闇の者そのもの、
神官の力が通じる相手なのかどうかはフリットにもわからない。
「聖地からなんらかの反応があればいいが・・・」
もしかしたら今も、この国のどこかに闇の輩がいるのかもしれない。そう思うとぞっとするのだった。
「今のところイシュタール以外に出会った者は本当にいないのだろうか？」
「町の者にもいろいろ訪ねていますがそういう者はいないようです。ただ、最近夜が不気味に感じた、という子供達がちらほらいた
ほどで・・・」
「引き続き調査してくれ」
「「わかりました」」
フリットとハインリヒが答えた。
「さて、ゆりや子供達にはなんと説明するべきだろうなあ・・・それも頭が痛い」
「王妃のことです。本当のことを言えばイシュタールを救おうとやっきになられるでしょうなあ」
とザメハ。
「今まではうまく行ったが、これからもそういくとは限らない。どうしたものか・・・・」
ラクシュミは悩んでいるようだった。
フリットとハインリヒが王の間を出た。
「ミカエルは？」
とハインリヒが聞いた。
「イシュタールの所です。私もイシュタールに会いに行きたいと思っているんですが、なんと言葉をかけていいのかわからないんですよ」
フリットは寂しげな瞳を向けていた。
「イシュタールが今どういう気持ちでいるのかと思うと・・・」
番兵から少し離れた所で、ハインリヒは足を止めた。
「彼の心が闇に侵されないことを祈るのみですよ」
「そうですね、では、我らは各街の調査に行きましょう」
二人は城から消えた。
闇の者か・・昔いろいろな噂話を聞いたものだったが・・・
実際にイシュタールのように闇の者に出会った者という者に会ったことはないが、一族の者で精神的に病んだ者がいて、もしかしたら
そうだったのかもしれない、という噂話なら聞いたことがあった。直接関わったことがなかったので噂としかわからないし、
それが本当に闇の者のせいかどうかはわかりはしないのだ。
イシュタールのように自分で申告する者とてそうはいなかったのかもしれない。
解決策があることを祈ろう・・・
ハインリヒは沈んだ表情で遠くの町に飛んで行ったのだった。
陽が上り、そして、沈む。世界が闇に覆われる。毎日がその繰り返しなのだが、これほどまでに夜の闇を恐ろしく感じることは今までなかった。
月が煌々と輝き、星は瞬いているというのに、今は、夜が怖い。
いや、怖いのは眠りに落ちることだ。
眠るまい、そう思っていても、いつかは眠ってしまう。
そして、よどんだ闇の世界へと迷い込むのだ。
いつまで続くのか
いつになれば、終わるのか・・・・
いっそのことあの時殺されていたらこんなにも思い悩むことはなかったのに、いや、人を苦しませることこそ、
闇の者達の狙いなのかもしれない。苦しませ、闇の存在を人々の心に植えつける。それが狙いなのではないだろうか。
「邪教徒とは・・・もしや闇に触れた者の成れの果てなのでは？」
イシュタールはふとそんなことを思ったのだった。
では自分も、そうなる可能性があるということだ。
眠りたくない。何をしたわけでもないのに体がひどくだるい・・・
どうかこんな目にあうのは私だけであるように・・・
イシュタールは自分のことよりも仲間達のことを祈らずにはいられなかった。
その夜、フリットの屋敷では、フリットの前に沈んだ表情のミカエルが座っていた。
今宵も二人とも酒を飲む、という気分ではなかった。
「イシュタールはどんな様子だった？」
フリットが聞いた。
ミカエルはため息をついた。
「自分が情けない。イシュタールをどう励ませばいいのか、言葉をかけることができなかった。あいつは、自分よりも周りの方が大変そうだ、と
笑ってさえいた。内心は怖いだろうに」
「そうか・・・イシュタールらしいな」
「触れた者も闇に侵されるというのは本当のことなのだろうか？」
「さあ、そういう話だが・・・」
「イシュタールは『皆の気持ちはわかっている。ここにはもう来るな』と。だが・・・何かしてやりたい。何か・・・」
ミカエルは唇をかみ締めた。
「私だって同じ気持ちだ。今日もいろいろな町を回ってきたんだが、ミンサの町でおかしな男が一人いたことがわかった。一人暮らしの
中年の男なのだが、最近様子がおかしくて妙なことを話していたそうだ。『化け物に襲われる夢を見る』と。昨日、その男は近くの川に
浮かんでいた。同じ町の者が発見したようだが」
「自殺か？」
「たぶんな。ミンサの町はテウの町からわりと近い所にある。もしかしたら、その男も闇の輩と接触してしまったのかもしれない。
これは推測に過ぎないがな」
「そうか・・・牧師によれば、闇に触れると大半の者は精神に変調をきたすそうだ。それほど、人間にとっては耐え難いことなのだろう」
こればかりは当事者にしかわかるまい。
友としてどう接すればいいのか、沈鬱な表情を浮かべたまま、しばらく黙り込んだ二人だった。
朝、目を覚ましたラクシュミは、ベッドの横にゆりが座っているのを見た。
「・・・どうしたんだ？」
ラクシュミは薄目を開けたまま聞いた。
「おはようございます。王様」
黒目のゆりはラクシュミににこやかに挨拶した。
「ああ、おはよう・・・」
昨晩も、ここにゆりはいなかった。ということはさっき来たということだ。
「どうしても気になることがあって・・・イシュタールなんだけど、具合が悪いそうだけど、どういう状態なの？」
その質問にラクシュミは再び目を閉じたくなった。
「昨日、手紙をもらったんだけど、代筆だったし、どうにも気になって・・・」
昨日イシュタールから手紙の返事が来たのだが、『具合が悪くてしばらく城にあがることはできません』と書いてあった。
しかしそれは代筆だった。さらにゆりには気になることがあった。ついさっきも、誰かに呼ばれて目を覚ましたのだ。
『王妃！』と、
二度目ともなれば気のせいではない。誰かが自分を呼んでいるのではないかと思えてしょうがないのである。
「王様・・・ねえ、王様ってば教えてよー」
ゆりは目を閉じたラクシュミを揺り動かした。
ラクシュミとしても、ゆりにずっと黙っているわけにはいかないだろうな、とは思っていた。
だができれば黙っておきたいというのが本音だろう。
ラクシュミは仕方なし、といった風に身体を起こした。
「疲れている時にごめんなさい」
「この世に神と対極にいる存在がいることを知っているか？」
ラクシュミは髪をかきあげてゆりに質問した。
「え？神と対極・・・魔物？」
「そういう闇の存在がこの世にはいる。だがそう数は多くはないし普段出会うことも少ないのだが、運の悪いことにイシュタールは
その者に遭遇してしまった」
「・・・」
ゆりはぽかんと口を開けていた。
「闇に触れてしまうと、その者に接触しただけで、他の者も闇に侵されるといわれている」
「イシュタールはどうなるの？」
「さあ」
「敵ってそのことだったの？闇の物って倒せるの？」
「わからない。イシュタールが何もできなかったくらいだからな」
「今イシュタールはどういう状態なの？」
「今はまだ元気だが、この先どうなるのかわからない。だが会おうなどと考えるんじゃないぞ。イシュタールもそんなことは望まない」
「今一人っきりなの？」
「彼女達が日に何度か訪れている」
「闇って一体なんなの？」
ゆりにはまったくぴんときていなかった。
「神様の対極って、邪悪な力がある存在なの？
「まあ、そうだろう」
「イシュタールはどうなるの？」
ゆりは同じ質問を繰り返した。
「今、聖地に問い合わせをしている。もしかしたら、最近は何か解決策があるかもしれない」
ラクシュミはとてもじゃないがイシュタールが死ぬかもしれない、などと言えなかった。
「ハザーク様ならちょっとは知ってるんじゃない？」
「聞いてみたが、ハザークはそちらはあまり聞いたことがないと言っていた」
「そうなの？ハザーク様も知らないなんて・・・今回のことはそんなに稀なことなのかしら？」
ゆりは釈然としない顔で王の寝室を出て行った。あんな説明で納得できるはずもない。
誰か・・・・他に詳しい人に教えてもらわないと・・・王様は何か隠してるっぽいし・・・・
闇に触れたってどういうことなのか、それさえもよくわからないし・・・
詳しい人・・・と言って真っ先に思い浮かべた顔があった。
あの人以上に詳しい人はいないに違いないわ。人じゃないけど・・・・
浮かんだ顔は軍神ハロルドだった。だがガーベラにならなければハロルドに会うことはできない。
とりあえずハインリヒに聞いてみよう！
ゆりは城の中にあるハインリヒの部屋を訪れた。
扉をノックしたが返答がない。
「ハインリヒ〜いないの？」
扉を開けて中をのぞいてもいなかった。
もう仕事に行ったのだろうか、そう思ったが念のために奥の寝室をのぞいてみると、ハインリヒはまだ寝ていた。
「ハインリヒ、朝よ。起きて」
ゆりは容赦なく頬をぺちぺちたたいた。するとハインリヒは片目を開けて、ゆりの手をひっぱって抱き寄せた。
「ちょっちょっとこらー！」
「最近ご無沙汰だったから我慢ができなくなったんですね？」
「ちがーう！聞きたいことがあって・・・むにゅみゅ」
無理やりキスされたのでゆりは話すことができなくなっていた。
「うぐー！！！」
ハインリヒの背中をぼかすかたたき、ようやく唇が離された。
「違うって言ってるでしょ！」
「そんな格好でどこが違うんです」
「あ」
ゆりは自分が寝間着のままだったことに気づいた。
「違ってもいいから愛し合いましょう」
「そ、そういう理由できたんじゃないんだってば」
ゆりはめくられようとするスカートを必死に下ろしていた。
「イシュタールのこと聞きにきたの」
ゆりは乱れた髪で言った。
「なんだ、つまらないなあ」
「真面目な話よ。王様からざっと聞いたんだけどわけがわからない。イシュタールが闇に触れたとかなんとか。この先いったいどうなるのよ」
「さあ、私に聞かれても・・・」
ハインリヒは面倒くさそうに目を閉じていた。
「なんでこんなことになったの？外では何が起こってるの？」
「王から説明されたんでしょう？私が付け加えることはないですよ」
「闇と戦うことはできないの？」
「それができるのは神官くらいでしょう。イシュタール殿は、まあ運が悪かったとしか」
「そんな言葉で片付けないで」
ゆりは顔を寄せて言った。
「偉い牧師さんはなんて言ってるの？」
「王妃、心配するのはいいですが、あまりやつらのことを考えてはいけません」
ハインリヒは間近でゆりを見つめて言った。
「だって、気になるじゃない」
「考えすぎると呼び寄せることになるかもしれないですよ？今の所、我々には『会わない』、という対処法しかしかないんです」
「それって、会ったら最後ってこと？」
「そうです。イシュタール殿も逃げることはできなかった。王妃ができるのは、イシュタール殿が救われるようにと祈ることだけです」
「助かる方法があるんでしょ？」
「わかりません」
ハインリヒはちょっと困った表情で言った。
「何かあるでしょ。何か。じゃないと、国中の人が出会ったらどうなるわけ？イシュタールだけじゃなく、他にも出会った人いないの？」
「幸運なことに、出会うのはそう大人数ではないんですよ。いつの世も。だから噂話としてしか伝わらない。あまり派手にすることはあいつらも
きっと困るんでしょう。ひそかに活動するものなんですよ」
「・・・・じゃあ、質問を変えるわ。闇に触れたらどうなるの？」
「たいていの人間が精神に変調をきたすようですね」
「どうして？」
「あいつらの世界に触れてしまうからのようです」
「じゃあその先は？」
「・・・」
さすがのハインリヒも言いにくそうだった。
「解決できないなら死ぬってこと？それってどれくらいでそうなるの？」
「牧師が聞いた話では20日から30日が山でしょうとのことですよ」
「・・・・イシュタールが闇に触れたのっていつ？」
「今月の５日のことです。今日で４日目ですね」
「４日目・・・」
一体イシュタールは今どういう状態なのか、ゆりには想像もできなかった。
きっとひどく辛いに違いないのに・・・
「彼に会おうとしてはいけませんよ。彼も決して望まないでしょう」
「わかってるわよ・・・でも、何もできないなんて・・・」
「皆何かしたいと思ってますよ。王妃だけじゃない」
「わかってる。教えてくれてありがとう」
ゆりは涙をぬぐって部屋を去って行った。
ハインリヒはその後姿を見送っていた。
救いは、本当にないのだろうか？
朝、支度をして王の間にいたラクシュミの元に、待望の知らせが届いた。それは聖地からの伝鳥だった。
こちらからの伝鳥は、無事聖地に届いたようだ。
光る鳥はすぐに手紙に姿を変えた。ラクシュミは急いでその手紙を開いた。
手紙には、こちらの知らせに聖地がすぐに動く、との言葉がつづられていた。闇の物の出現は聖地にとっても由々しき事態のようだ。
手紙にはこんな言葉もあった。
『闇の者は人間の弱みに付け込んで、あらゆる手段でその者を誘惑してくるでしょう。強い精神を保ち続けることができれば、
闇から逃れることもできます。たいていの人間には困難なことですが、闇に屈しないことです。神々を信じることです』
「強い精神力で逃げることができるのか・・・」
救われることもあると知り、ラクシュミはちょっとほっとしていた。
イシュタールは戦士である。一般市民よりは強い精神力を持っているに違いない。
「がんばれ、イシュタール、がんばってくれ」
イシュタールは今思念も閉ざしているため、ラクシュミはイシュタールに手紙を書いて届けさせたのだった。
その頃ゆりは自分の寝室にいた。服を着替えていたのだが、再び寝間着をきている。侍女のミラがベッドの横の棚の上で眠り香を
たいていた。陶器の入れ物から紫色の煙があがると、部屋の中に、昔寺で嗅いだような懐かしさを覚える香りが充満してきた。
「王妃様、無事成功することを祈ってます」
共に寝室にいたミラが力をこめて告げた。ミラには事情を説明していた。
「うん。がんばってくる」
ゆりは眠る人間とは思えないほど強い瞳でミラと視線を交わし、目を閉じたのだった。
闇のことは闇退治のプロに聞くしかない。
ガーベラになってハロルドに話を聞くのが一番だと思ったゆえだった。
ガーベラ、どうか身体を貸して！
どうか、どうか・・・・
祈りながら眠りにつこうとしたのだが、興奮しすぎたせいかなかなか眠りにつけなかった。
羊が一匹羊が二匹・・・羊が・・・・・３６５匹・・・
「だめだ、眠れない」
眠り香をたいてもなかなか眠れない。
「だめだわ。ちょっと身体が疲れたら眠れるかもしれない。仕方がないわね」
ゆりは起き上がるともう一度服を着替え、ラギの部屋を訪ねて散歩に誘った。ラギは読書中だった。
「散歩ってどこを散歩するの？」
今日は雨だった。庭園は無理である。
「城の中に決まってるじゃない。たまにはお母さんにつきあってよ」
「えーこんな時にそんなのんきな気分になれないよー」
ラギはあからさまに嫌そうな顔つきだった。
「こんな時だからよ！たまに城の中を散歩したら面白い発見があるかもよ？」
「ないよ」
「いいからきなさい」
ゆりはだるそうなラギを強引に連れ出して、城の中を上に下に歩き回ったのだった。
その間ラギにいろいろ質問されたのだが、ゆりは何も知らないを言い通していた。
「みんな僕が見ると目をそらすんだよなあ」
「そう、あ・・・ああ！」
ゆりが突然おなかを押さえた。
「え？何？どうしたの？」
ラギはあわててゆりに近寄った。
「赤ちゃんが動いた！」
「え？もう？本当？」
「嘘でした」
「えー！！」
唖然として立ち尽くしたラギに、ゆりは何食わぬ顔で「ほら、早く」などとせかしていた。
（相変わらずよくわからない人だ・・・妊婦だから、じゃないよなー・・・妊婦に関係なくよくわからない）
ラギはぶつぶつ言いながらゆりと並んで歩いていた。王の間の前を二度目に通り過ぎた時は、さすがに番兵達が不思議そうな
顔をしていたが、ゆりはおかまいなしににこりと微笑んでいた。
一時間ほど歩き回った後、ゆりは「疲れた」と言って立ち止まった。
「これなら寝れるかも」
「え？寝る？」
「ありがとう。じゃあねー」
ゆりはラギをおいてさっさと行ってしまった。
「・・・この散歩は一体なんだったんだろう？」
ラギは首を傾げつつ、ゆりが去った方向をとぼとぼと歩いて行ったのだった。
すすむ
戻る