第25話


何か悪夢を見た気がし、イシュタールははっと目を覚ました。

いつの間にベッドに入り眠ったのか、まったく記憶にない。肌寒さを感じてふと見ると、部屋の中の窓が開いていた。

薄いカーテンが揺れている。

扉を閉めようとベッドを離れて窓に近づき、イシュタールは窓から外を見てぎょっと立ち止まったのだった。

教会の庭に誰かが立っていた。

黒いフードとマントを羽織った人物が。

赤い二つの瞳がこちらを見ていた。

「お前は・・・・」

「またお会いしましたねえ」

聞き覚えのある声がした。あの時出会った闇の人物だった。

その人物の周りは真っ暗だった。今夜は闇夜のようである。

一瞬身体に震えがきたイシュタールだったが、勇気を振り絞り、部屋の外に移動した。男のすぐ目の前に。

「一体私をどうする気だ。殺したいのならとっととそうしたらどうなんだ」

「殺す？私は誰も殺しはしませんし、誰かを殺したことなどないですよ」

「では目的は何だ？」

「そうですねえ・・・しいて言えば、知ってほしいのですよ。この世界の仕組みをね。神と人間だけではない。我々『闇の者』と呼ばれる者たちも

存在しているということをね。本当は知っているのにあなたがたは気づこうとしない。だからたまに現れるのです」

「それを知らせてどうしようと」

「お仲間にならないかと、いわば勧誘ですよ」

男は片手を胸の位置まであげて、あっさりと言った。

「一族のしがらみなど捨てて、私と来ませんか？」

「ばかばかしい」

「あなたが知っている世界はちっぽけなものですよ。神という卑怯な者達に騙された世界。神はあなた達を守ってなどいないんですよ。

本当は分かっているはずです。神にいくら祈りを捧げても、争いはなくならない。助けてくれることもない。

どれほどの一族が神を呪い滅んで行ったのか。歴史を見れば明らかでしょう。あなた達は神の気まぐれに振り回されるだけの存在

にすぎないですよ」


今日はよくしゃべる・・・こいつは本気で自分を勧誘する気のようだ・・・


イシュタールは心の内でそう思った。

「何を言っても無駄だ。私はお前の仲間になどならない」

「あなたには仲間がいるから、ですか？すでにお仲間はあなたのことをうっとおしく思い始めているようですが。あんな場所に篭り、

神にいくら祈った所で、神がその言葉を聴くことなどないですよ」

「私を仲間にしてどうしようというのだ。それよりも、私以外の者の前に現れていないだろうな？」

「他の者は皆死んでしまいましたよ」

「何？誰が死んだと？」

イシュタールははっと目を見開いた。

「弱すぎる者では耐え切れないようですね。だからあなたに期待しますよ」

「何をばかな・・・」

「今夜はいい夜です。ほら、聞こえるでしょう？仲間の獣達の咆哮が」

「え？」

イシュタールは他に意識を集中した。すると、確かに何かの獣の声が聞こえてきたのである。近くではない。どこか、遠くの山の中

だろう。「ウガー」とか「ガウ」という恐ろしく低い吼え声であった。

「仲間の獣だと？一体どこにいる！？」

仲間の危機にイシュタールの背筋も凍りついた。

「あなたのせいで彼らが現れたと、責められなければいいですがね」

「！？」

男はマントを翻し、姿を消したのだった。


「私のせい？」


いや、それよりも、誰かに知らせなければ・・・・それとも自分が追ったほうがいいのか


今まで思念を閉ざしていたイシュタールだったが、とりあえずジュメに思念を送った。


ージュメ、聞いてくれ。私だ。ジュメ！


ジュメからの返答は来ず、イシュタールはミカエルやフリットに思念を送ってみた。


─ミカエル、聞いてくれ。ミカエル！

─フリット！緊急の用件なんだ！


どちらかの返答も来ず、ハインリヒやヴィラに向けて送ってみたものの、だめだった。


「だめだ。自分で探すしか・・・・」

その時イシュタールは頭がくらくらするのを感じた。

世界が回っている。


こんな時になんてことだ・・・


イシュタールはなんとか踏みとどまろうとしたが立っていられず、その場に倒れてしまったのだった。


気づいた時にはすでに朝日は昇っていた。イシュタールは庭で倒れていたのではなく、教会の中の部屋で倒れていたのだった。

イシュタールはなんともいえない嫌な気分を感じながら起き上がっていた。

そんな時、ジュメがイシュタールの朝食を手に部屋にやってきたのだった。

ジュメはイシュタールの冴えない顔に瞳を曇らせた。

「大丈夫ですか？ご気分でも悪いのですか？」

「昨日、いや、昨晩、何か変わったことはなかったか？」

「昨晩ですか？ありましたよ。西の方に妙な獣が出たですよ」

「え？獣？」

「でかいイノシシみたいな見たこともない獣みたいです。仲間が無事しとめましたよ」

ジュメは朝食のトレイを机に置きつつ言った。

「そ、そうなのか？怪我人とかはいないのか？」

「家畜が襲われた程度だったようです」

「そ、そうか。よかった」

イシュタールはほっと胸をなでおろした。

だが、獣がいた、ということは、昨晩あの闇の者に出会ったということは本当だったということである。

ジュメはなぜ思念に答えなかったのか。聞こえても聞こえない振りをしたのか、それとも自分からの思念は拒否するようにしているのか。

そういうことはイシュタールはしたことはなかったが、しようと思えばできるのかもしれない。

それとも皆が皆ただ深い眠りについていただけなのだろうか。

「その獣というのは、闇の獣なのだろうか？」

イシュタールは、確認するように聞いてみた。

「そのようです」

ジュメははっきりと答えた。

「そうか・・・ではみんな怒っているだろうな」

「え？怒ってる？」

「闇の獣が現れたのは私のせいだろう」

「イシュタール様の？どうしてですか？」

ジュメは首をかしげて聞いた。

「私のせいだ。私が闇の者に出会ってしまったから・・・」

「イシュタール様のせいではないでしょう。あ、そうだ。朗報なんですよ。聖地から神官がやってきたんですよ！」

ジュメは突然明るい顔で言い出した。

「え？神官？」

「そうなんです。きっとここに来てくださいますよ」

「しんかん・・・」

その言葉を言ったイシュタールは、そのまま下に崩れて横に倒れてしまった。

「え？イシュタール様！どうなさったんですか？イシュタール様！」

近寄ってイシュタールに触れようとしたジュメははっと手を離した。

「ああ、もうどうしよう！」

ジュメは誰を呼ぼうか、とりあえずイシュタールをベッドに寝かせなきゃ、とあたふたしていた。


その頃、神官のジーはミカエルの屋敷にいた。

ミカエルが朝、二階の客間に行ってみると、客間の木の扉が閉じたり開いたりしていた。

近づいてみると、ジーが扉をばたばたさせている。

「何をなさっているんですか？」

ミカエルは聞いてみた。

「いいね。これ」

「え？」

ジーは思いっきり扉を開き、手を離した。すると扉がばたんと閉まった。

「なんと勝手に閉まるよ！」

「普通そうですが・・・・」

「これは何かな？」

ジーは扉の外についてある鉄の輪に目を留めた。扉の真ん中の上あたりについているものである。

「これはノックするためのものですよ」

「ノック？」

ミカエルが輪を押すと「カン」と音が鳴った。

「これがノック？」

ジーは輪っかをカンカン鳴らしてみた。

「ノックしたら何が起こるの？」

「中の人が誰か来たと気づきます」

「え・・・あ、そういうことかあ・・・・」

ジーはようやく納得していた。

「・・・・」


ー王、神官様はどうやらかなり浮世離れした不思議な方のようです・・・


ミカエルはラクシュミについそんな思念を送り、ラクシュミの首を傾げさせたのだった。


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