第26話

得体の知れない闇の獣に接した戦士達の間で嫌な空気が漂っていた。この世界にはいろいろな獣がいるし、彼らの大敵龍という生き物ほど

恐ろしい物ではなかったはずなのだが、やはりそれは人間の生まれ持つ本能というものだろう。

龍はこちらの世界の生物であり、闇の獣達は、やはり違う世界の生物なのだ。

昨晩獣を焼いた北の大地は朝になりようやく匂いはうっすらとしていた。だが、なんとも不快な嫌な気は漂い続けている。

戦士達には思念が使えたので、『このことはあまり言いふらさないように』と上からお達しが出たにもかかわらず、大部分の者達がそのことを

知り、噂しだしたので、ヴィクターら上の者達は頭を抱える事態に陥っていた。


いてもたってもいられず、ヴィクターもミカエルの屋敷にやってきていた。

屋敷には神官ジーはいたが、ミカエルはいなかった。ジーは食事中、とのことだったのだが、のんびり待っている気になれなかったヴィクターは

食堂に入って行った。

「おはようございます。神官様。食事中すいません。どうしてもすぐお話を伺いたくて」

側にやってきたヴィクターは、パンを掲げていたｼﾞｰを見て不思議そうな顔をした。

「何をなさっているので？」

「やわいね」

ジーはパンを指でふにふに押していた。見るとテーブルの上の食べ物はほとんど手をつけられてなかった。ちなみにポタージュにパンが二つ、

ガラスの器にサラダが綺麗な彩りで盛られている。

「今からお食事でしたか」

「いえ、もう終わったよ」

ジーはパンを皿に戻した。

「何も食べられてませんが」

「楽しかったヨ」

「はあ」

「楽しい」

ジーはお酒の瓶を手に持って眺めていた。この国では子供はお酒を飲むのは普通だが、ジーはどうなのか。それよりもジーが大人かどうかも

ヴィクターには判断つきかねた。

「あのー神官様はどちらのご出身なんですか？」

「しゅっしん？」

「どこで育ったんですか？」

「聖地の方だヨ」

「聖地生まれなんですか。親が神官とか」

「うんそのようなかんじ」

「なるほど」

それならば若くして神官というのも納得できる。小さい頃からそういう修行をしていたのならば。

「あ、そうそう、昨晩出た獣なんですがね。またああいう獣が出たりすることもあるんでしょうか。なにせ初めてのことなので皆不安に思ってまして」

「うーん、ないと思うけどね。絶対ないともいえないね」

「そうですか。とりあえずイシュタールに会ってください」

その時食堂の扉が開き、ミカエルがやってきた。

ヴィクターが目をぱちくりさせたのはミカエルにではなかった。ミカエルの横にいる子供にである。

「つれてきましたよ。こちら、ロイ様です」

ミカエルはジーに紹介したものの、ロイを見たジーの目は、きょとんとしていた。


城では蛇の目のゆりが王の格好に着替えたラクシュミに詰め寄っていた所だった。

「王様お願いだから一目イシュタールに合わせて」

「だめだ」

「ちゃんと側で励ましてあげたいのよ」

「イシュタールも会いたくないだろう」

「そんなことないわよ！私に会いたいに決まってるじゃない！」

ゆりは拳を握り締めて言っていた。

「こういう時に助け合ってこその恋人よ！」

夫に言う言葉とも思えないが、言ってしまうところがこちらのゆりらしい。

「お前にまで何かあったらどうするんだ？お前は妊婦なんだぞ。そして忘れてるだろうが王妃だ」

「別に忘れてないわよ」

「昨晩偉い神官が来たんだ。だから神官がいろいろしてくれるまで待ってくれ」

「神官？」

ゆりの目が真ん丸くなった。

「リティアさんきたの？」

「いや、別の神官だ。男だ」

「会いたい！」

ゆりが間髪入れずにそういうとラクシュミは睨んでいた。

「いえ、そういう意味じゃなくて、ただ話を聞きたいだけで・・・」

ゆりはぼそぼそと言い訳した。

「城にはこないそうだ。偉い人に会うのは恥ずかしいからとか言ってた」

「えー？会えないの？」

「お前も今は神官の邪魔をするな」

「うー・・・」

ゆりはうなりつつも部屋を出て行った。


一人になった所でラクシュミは、「ロイに用とはなんだろう？」と一人首をかしげていた。


一方神官ジーは椅子から立ち上がりロイをじろじろと眺めて、「違うよ」と言った。

「違うよ。この子じゃないよ」

「いえ、この子ですよ。王様の子供で、黒髪の男の子」

「えー？」

状況がわからないヴィクターは二人の間を見回している。ロイも「何のこと？」と聞いていた。

「他の子だよー」

「この子ですって」

「一体僕に何の用？」

ロイまで聞き出した。ロイの身長はジーの胸元ほどだった。

（ロイ様、敬語使いなさいって言ったでしょ）

ミカエルはこっそりつぶやいていた。聖地の神官は彼らにとってはそれほど偉い存在なのである。

「何の用ざます？」

ヴィクターでさえぶっと吹きそうだったが、ジーはきょとんとした顔でロイを見つめたままだった。

「ざますはおかしいでしょ」

「敬語じゃん」

「それでロイ様にどういう御用なんですか？」

ミカエルがやれやれと思いつつ聞いた。

「もうはっきり聞くよ。君、神の加護ある？」

一瞬「ん？」と思った３人だったが、ミカエルとヴィクターは「あ」、とつぶやいた。

「あるよ！」

ロイがはじけたように言い、「ええ？」とジーは驚いていた。

「本当？見せて！」

「いいよ！」

ロイは右腕のシャツの袖のボタンをはずして袖をめくった。

そしてシャツが上までめくられた時、ロイの右腕に茶色いあざがはっきりと見えた。まるで獣の足の肉球の痕のような形に、それをのぞきこんだ

ジーの目が極限まで見開かれたのだった。

「あれ・・・・・・」

「あのーもしかしてロイ様がハロルド様の加護を受けたことをご存知なんですか？」

ミカエルが遠慮がちに聞いた。その言葉にジーははっと振り向いた。

「そう、それだよ！でもないよ。どこ行ったの？」

「ライオネル様が消しました」

「え・・・・・ライオネル様が？どうして？」

「ロイ様が自分の力を過信するようになってしまって、ライオネル様が成長するまでこれは消しておくと」

「そ・・・そうなの？」

「これ、ライオネル様の加護だよ！」

引きつった顔のジーの前で、ロイは誇らしげに言っていたのだった。


ジーは頭をかき、うーんと考え込んでしまった。ミカエルとヴィクターはその様子に不安になった。

「何かまずいことになってます？ひょっとして」

ヴィクターが恐る恐る聞くと、「うーん」とうなっていたジーは、「確かに加護かもね。まあいいかあ」とうなずいた。

「まあいいや。君は僕の助手になりなさい」

「「助手？」」

「何するの？楽しい？」

ロイはわくわく顔だった。

「あんまり楽しくないよ。でもやってよ」

「いいよ。城にいるの飽きたし」

ロイはあっさり承諾した。

「んじゃ僕支度するから。まっててね」

食堂を出て行こうとしたジーをヴィクターはあわてて止めていた。

「ちょ、ちょっと待ってください。ロイ様に何をさせる気なんですか？」

「一応これでも王子なんですが」

ミカエルが付け加えると、さすがにロイも、「僕はどっからみても王子じゃん」などと偉そうに言っていた。


「この国のためだよ。普通の子供より強いんでしょ？」

「あったりまえさ！」

「じゃあ、まあいいさ」

「「ちっともよくないですが」」

二人の不安をよそに、ジーはさっさと食堂を出て行き、ロイも喜んでついて行った。


「どうしましょう」

ミカエルがヴィクターに聞いた。

「うーん・・・王は神官の思うとおりにさせろ、との仰せだ。まあまかせよう」

ヴィクターはラクシュミと思念を交わし、言った。

「なんだかとてつもなく不安なんですが」

ミカエルは頬を両手で押さえていた。

その時「いくぞー」というロイの声が聞こえてきた。もうジーの支度が終わったようだ。二人は並んで屋敷を出て行こうとしていた。

「あ、イシュタールにあってくださいよ！」

ミカエルはあわてて後を追ったのだった。



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