第28話

「お兄さん、今日もそうじ？」

朝、神官ジーに会ったロイが聞いた。ここはミカエルの屋敷である。ジーは今晩もミカエルの屋敷で寝泊りしていた。本人いわく、すっかり

ここが気に入ったらしい。

「今日は違うよ。えーと、く、訓練。ねえ、どこか広い場所でふたりきりになりたいんだ」

「外がいいですか」

一緒にいたミカエルが聞いた。

「うん」

「では闘技場を使ってください。誰も入れないようにしますから」

「とーぎじょう」

「ご案内しますよ。あのー今日の訓練私、見ていてもいいですか？」

「だめ」

ジーにはっきり言われてしまい、ミカエルは残念そうに「そうですか。わかりました」と了承した。

「なんか僕嫌な予感がするんだけど・・・」

ロイは珍しくちょっとしり込みしている。

「さ、いこう」

ジーが促して、ミカエルは二人を闘技場に案内した。


今朝も、ミカエルの屋敷で出された朝食を、ジーはまったく手をつけなかった。いや、手にとって眺めてみてはいたし、パンをちぎってもいたの

だが、口には運んだ様子がないのだ。昨晩の夕食もそうだった。まさか毒の心配でもしているわけでもあるまい。

（普通の人間ではないのでは？）

ミカエルではなくても簡単に推理してしまうことだった。

だが、本人にそれを聞くことがいいことだとは思えなかった。今重要なのは、ジーがこの重大事をどうにかしてくれることで、ジーの正体が

どうなのかは、二の次なのだ。はっきり言えば、助けてくれるなら誰だっていいのである。だからミカエルは聞きたい気持ちを抑えていた。


誰もいない闘技場はなんだかがらんとして寂しかった。

ロイは闘技場の真ん中にいたのだが、客席を見上げながら、（ここってこんなにでかかったかな？）と思っていた。

「では私はこれで」

ミカエルが消えて、この場所にはジーとロイの二人きりになった。

空を見上げると、青い空に大きな雲が３つ浮いている。季節は秋である。ひゅーひゅーと少し冷たい風が吹いていた。

ジーはロイに昨日と同じ短剣を渡した。

「それじゃ、それで僕を殺しなさい」

ジーが言った言葉にロイはあんぐりと口を開けた。

ロイがしばらく動かなかったので、ジーは「どうしたの？」と聞いていた。

「どうしたのって、それは僕が聞きたいよ。お兄さん今なんていったの？」

「殺してって言ったよ」

どうやら聞き間違いではないようだ。

「なんで殺さなきゃならないのさ。僕は敵以外は殺したくないよ」

「うーんと、殺す気でってことだよ」

ジーは言い換えた。

「殺す気で？」

「そのつもりでこいってことだよ」

ジーは両手で来いとジェスチャーしている。

「いやーやだなあ。なんかお兄さん危なっかしいから本当に殺しちゃったらどうするの？」

ロイは目の前の若い男に短剣を抜く気にはどうしてもなれなかった。

「はっはっは、じゃあ僕からいくよー」

ジーは自分が腰につけていた長い剣を右手ですっと抜いた。

「え？ちょっと、これとそれじゃ違いすぎるよ！反則だよ！」

ロイがあわてて抗議した。確かに二つの武器の攻撃力は歴然である。

「しょうがないよ。君これもてないんだから」

ジーが片手で持っている剣だが、ロイは昨日持とうとしてももてなかった。両手でなんとか少し持ち上がったが、振るうまではできなかったのだ。

「だけどさー・・・」

ジーは何も言わずに走りよってきて剣を横に振り、「うわ！」とロイはあわてて空を飛んでいた。

「飛ぶのなーし！」

「えー！！」

「おりなさーい」

「やだー！」

「訓練にならないでしょ！」

「ううう・・・・」

ロイがしょうがなく地上に降りたが、かなり不服げな目をしている。

「わかったよ。僕剣もたない。これできなさい」

「素手で戦うの？」

「おう！」

ジーは剣を鞘にしまって地面の上においた。

攻撃するのは気が進まなかったが、あれだけ自信満々なので大丈夫だろうとロイは短剣でジーにかかっていった。

「えいや！」

ロイは攻撃したものの、ジーはさっと身体をかわしてロイの右手首を右手で捕まえていた。

「いてててて」

「遅い遅い」

ジーは手を離した。

「とう！とうとうとうとう！」

ロイは掛け声と共に短刀を振るっている。が、それのどれもちっともジーにはあたっていなかった。

ロイは頭を使い、瞬間移動でジーの背中側に移動して切りつけた。

「とう！」

ジーはすばやく身体を翻し、ロイの右手を捕まえていた。

「いててて」

「あのさ、君、声いらないよ」

「え？声？」

「とうとかえいやとか、なしで」

「あ、そうか。わかった」

ロイは何度も短刀でジーにかかっていったのだが、短刀の刃がジーの身体を傷つけることはなかった。

「疲れたー」

しまいにはロイは疲れきり、地面に座り込んでしまった。

「お兄さん素早すぎるよ」

「ははは。がんばれ」

「僕ちょっとおしっこしてくる！」

「あ、そう」

ロイは急いで移動して行った。


闘技場のトイレで用を足したロイは再び闘技場の中に戻った。

「ねえ、お兄さん、お腹すいたよ。もうお昼だよ。ご飯食べようよ」

ロイのお腹はグーグー鳴っていた。腹時計が昼だと告げている。

「ご飯？まあしょうがないかあ」

「城に行こうよ。にーとねーに見せてあげたい」

「城？城には行きたくないんだ」

「どうして？」

「どうしても」

「ミカエルの屋敷がいいの？」

「うん」

「わかった。じゃあ行こう」

「君いけるの？」

「いけるよ」

「午後もここ？」

「いや、午後は昨日と同じで掃除」

「はーい」

ロイは低く返事をして、ジーと共にミカエルの屋敷に戻ったのだった。



教会にいたイシュタールは、部屋で腕立て伏せなどのトレーニングをしていた。

周りに迷惑をかけて申し訳ないという気持ちから、このまま闇に屈してなるものか、という前向きな気持ちに心が変わっていたのだった。

身体がどれほど闇色に染まろうと、心だけは染まるまい。

心の中ではそう決意していた。


決して負けない─


腕たてふせをしていたイシュタールだったが、じゅうたんが突如として真っ黒になり、イシュタールはその闇に落ちていった。

「うわわわわ！」

その感覚は一瞬で、気がつくとイシュタールはじゅうたんの上に伏していたのだった。


幻覚だ・・・・すべては幻覚なのだ。惑わされてはならない・・・・


心の奥に沸き起こる不安を、イシュタールは必死に抑えていたのだった。


その頃、教会の中の祈りの間に、ジュメが座っていた。

「アシュラン様、どうか救いの手を差し伸べてください」

そう心の中で何度祈ったか知れない。

ジュメの横に誰か来る気配がした。横を見ると、そこにいたのはユリウスだった。

「ジュメ、大丈夫か？」

「ユリウス様・・・・」

「あんまり寝てないんだろう？顔色が悪いぞ。イシュタール殿のことは聞いた。大変なことが起こったんだな」

「・・・私は、自分が自分で嫌になります。イシュタール様はがんばっていらっしゃるのに、私は、心の中でどこか恐ろしいと感じてしまっている

んです・・・」

ジュメは泣きそうな顔で言っていた。

「仕方がない。誰だって、恐ろしいと感じてしまうものだ。ジュメが薄情なわけじゃない」

「いえ、薄情ですよ。やはり」

ユリウスはジュメの手を握り締めていた。

「助かる可能性は、あるはずだ。ジュメ。きっと元に戻る」

「はい」

ユリウスは涙を流すジュメの背中をなでた。

ユリウスとて、イシュタールに会って何と言っていいやらわからなかった。慰める言葉も見つからないのだ。だが、無理に慰める必要も

ないだろう。

「ジュメ、今日はもう帰れ。私がイシュタール殿の相手をするから」

「え、そんな、いいですよ」

「今日だけでも、そんな顔見せたってイシュタール殿も気を遣うだろう」

「はい・・・ではお言葉に甘えて・・・・」


ちょうど昼の鐘の音が鳴り響いた。

ユリウスはイシュタールがいる部屋を聞いて、食事を運びに行った。部屋の扉をノックして中に入ると、中には誰もいなかった。

「あれ？」

ユリウスは机の上に食事のトレイを置いて窓から外を見た。すると、近くの草の上にイシュタールが胡坐を描いて座っていた。

「あ、いた。何してるんです？」

ユリウスが聞くと、イシュタールが顔を向けた。

「太陽の光に当たりたくて」

「食事ですよ」

「ジュメは？」

「たまには交代ですよ」

イシュタールは部屋の中に瞬間移動で入ってきた。イシュタールにはジュメのほかに二人彼女がいるのだが、やはり恐ろしくて来れない

らしかった。無理もない、とユリウスは思った。イシュタールが部屋に入ったとたん、空気が重苦しく感じられる。

やはりそうなのか、とユリウスはイシュタールに会ってそう思ってしまった。

「・・・ありがとう。他に何か？」

「食事をどうぞ。全部食べたかどうか見届けます」

「え・・・・だが・・・・ここにいるのは怖くないのか？」

「怖いですよ」

ユリウスははっきり告げていた。

「なので抱きつくのは遠慮します」

「ははは、ユリウスは案外面白いな」

イシュタールは椅子にすわり、素直に食事を食べていた。

「私のこと、どのくらいの人が知ってるんだろうか」

「上の方の人達だけでしょう。私はジュメが気になって、ロナウド将軍にじかに聞いてしまいました」

「そうか」

「あの、一つ聞いていいですかね。あれ、なんですか？」

ユリウスはベッドの横の壁をさした。そこには赤い花柄の男物のパンツが飾ってあった。

「あれって、イシュタール殿のですよね？」

「いやっていうか、まあそうなんだが・・・」

イシュタールはちょっと困ったように頭をかいていた。

「ロイ様にいただいたので飾ってるんだ」

「パンツははくものですよ。いただいたのなら、はかねば」

「まあ、そうだが・・・・」

「ぷぷぷ・・・・はははははは」

ユリウスはあのパンツをはいたイシュタールを想像し、笑い出してしまった。

「・・・ここで大笑いしたのは君だけだ」

イシュタールはちょっと渋い表情で言っていた。

「でしょうね」

ユリウスは一人でげらげら笑っている。不謹慎だという考えはどうやらないらしい。

イシュタールの食事が終わると、

「全部食べましたね。それでは私はこれで」

ユリウスはトレイをもってさっさと出て行った。


そして夕方、再びユリウスが夕食を持ってきた。

「これ、私から贈り物です」

ユリウスは食事を置いてイシュタールに紙の包みを渡した。

「贈り物？」

イシュタールは中の物を出して、沈黙していた。それはパンツだった。青いパンツで黒い文字が横に入っていた。

その文字は「きめるぜ！」と書いてあった。

「きめるぜって何を決めるんだ？」

「次の赤い月にはいてください。そんなパンツがあるなんて知りませんでしたよ。ははは」

ユリウスはまたもや笑っている。

「今晩はいてくださってもいいですが」

「遠慮したい」

「私考えたら、男の人に初めて贈り物しましたよ」

「ジェナサイトにやってくれ」

「嫌ですよ。それにサイズ合いませんから。ふふふ」

「・・・・」

イシュタールは今までユリウスのことをなんとも思っていなかったが、初めて変な女だと思っていた。

「んじゃ、食事食べてください。さめないうちに」

「・・・」

イシュタールはもくもくと食事を食べだした。自分を楽しませようとわざとやったのだろうか、と思ったので、イシュタールはあまり文句も

言えなかった。ここで暗い顔をされるよりはいいかもされない。

「他にも面白いパンツあったんで、今度買ってきますね」

「いや、いい」

「そういわずに。贈り物選ぶって楽しいんですね」

「ジェナサイトに買えばいいのに・・・」

イシュタールはぶつぶつ言っていた。イシュタールが食事を食べ終わると、ユリウスはさっさと部屋から出て行った。「またきますね」と

最後まで陽気である。

イシュタールはこれ以上変なパンツが増えたら困るので、ロイからもらったパンツを壁からはずしたのだった。





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