第31話
蛇の目のゆりは気がつくと一本道に立っていた。馬車が通れそうなほどのならされた道である。ゆりはきょろきょろとあたりを見回した。
「え？ええ？ここ・・・」
道の両端は木々が生い茂っている。上を見ると空が見えた。青い空ではない。どんよりとした曇り空だ。
ゆりは首をかしげながら道を歩いた。
えーと・・・私は闇の国とやらにきたのよねえ？ここが闇の国？
闇に閉ざされた世界を想像していたのだが、ここは普通の世界のようだ。だが、自分の国ではないことは確かである。蛇の国とは、空気が違う。
まるでただの他国にきたような感触である。
「うーむむむ・・・」
ゆりはきょろきょろあたりを伺いながら歩いていた。
イシュタールもここにきたのかしら？どこ行ったんだろう・・・
普通に人が住んでもおかしくないよな雰囲気だが、人はいるのだろうか。そう思ってたらどこからか人の声が聞こえてきた。
ゆりが耳をすます。
「あ・・・ああ・・・」
誰かいる？
声は右の木々の間から聞こえてくるようだ。ゆりはそっと近づいて大木に身体を隠しつつ、声の主を探してみた。
「あ・・・ああん・・・ああーいいー！」
げ・・・
声はどうやらあえぎ声のようだった。木にひっついて、裸の女の後ろに男がひっついている。
昼間からこんな場所で・・・
ゆりはじっくり二人を観察することもなく離れて道を歩いていった。
人がいる・・・あれって普通の人なのかしら？それよりもここって本当に闇の世界なんだろうか？
ゆりにはそれすらも疑問だった。
道沿いに歩いていると一頭の馬が横を走り去って行った。馬には人が乗っている。ゆりはあわてて声をかけようとし、どうしたものか躊躇した。
すると馬は止まってくるりと向きを変えて、ゆっくりとこちらに近づいてきた。
黒い馬に乗っているのは一人の男だった。癖がかかった肩にかかる黒髪、かわいい顔立ちの若い男である。体つきは華奢で、体格のよいほうではなかった。
背には黒いマント。上着もズボンも黒だった。黒い瞳は大きく、大人だろうがまだあどけない感じを受ける。
「君、こんなところで何してるの？」
男が馬に乗ったまま話しかけてきた。
「え・・・別に・・・」
ゆりはどきどきして答えた。相手が美形だからどきどきしていたわけではない。この世界のことがなにもわからないからである。
「よかったら乗る？街まで歩くと遠いよ」
「え？本当？いいの？」
「どうぞ」
男は手を差し出してくれて、ゆりはその手を握り、馬の後ろに乗せてもらった。警戒もしていたが、このまま歩いていては夜になってしまいかねない。
「しっかりつかまって」
「はい」
ゆりは男の身体に腕を回してしがみついた。
うーん、ますますよくわからない。ここは本当に闇の国なんだろうか？それにしては、普通すぎるし・・・
まさか闇の国？ってこの人に聞くわけにもねえ・・・・
ここは用心すべきだと思い、ゆりは何も聞けなかった。それにしても、何もかもが想像していたのとは違う。
「君、ずいぶん半端だね」
「え？」
「じゃあいくよ」
男は馬を走らせて一本道を駆け抜けて行った。
一方、蛇の国では、ハインリヒからの思念を聞いたラクシュミが途方にくれた表情をしていた。
まさか、イシュタールの後を追っていくとは・・・
ばかなやつだ、とも思ったが、ゆりが何かしかねないことはラクシュミも予想していた。
行ったのはもう一人のゆりだけなのか。ゆり、こうなったらイシュタールをつれて戻ってこい。必ず戻ってくるんだぞ！
ラクシュミは心の中で祈りつつ、ハインリヒにゆりを戻すように命じたが、ゆりは城に帰るのを拒否しているとの返答が帰ってきた。
二人が帰ってくるまで教会にいるというのだ。
「まったく・・・どちらも逆らいおって・・・」
ラクシュミは城で一人大きなため息をついたのだった。
馬に乗ったまましばらく走って、街の入り口らしき場所に到着した。木製の大きな扉は開かれている。
扉の外には兵士のような格好をした男が４人ほど立っていた。皆胸当てをして腰に剣をさしている。
扉の左右には石でできた高い壁が続いていた。その壁は、ここから見渡せないほど長く続いている。どうやら街全体がその石の壁で囲われているようだ。
ゆりは馬から下ろされた。男は兵士の一人に馬を預けていた。
「こっちおいで。案内してあげるよ」
馬に乗せてくれた男はそのままゆりを街の中へと導いた。門の中をくぐり、ゆりの動揺はさらに大きくなった。
普通・・・普通っぽい・・・
中にはレンガ作りの建物の家などが並び、通りには人々の姿が見える。人々の格好も普通だ。これといって奇妙な所もない。
若者もいれば年寄りもいる。だが子供の姿はない。
もしかして闇の国ではなく、ただの夢でも見ているのではないか、そういう気さえする。
きょろきょろとあたりを見回して、高い城を見上げてゆりの視線は止まった。
馬で走っている最中にもその城は見えていた。
巨大な四角い建物の上に尖がった屋根がついた長細い建物が一つ、その周りに大きな塔が４つほどひっついていた。この街で一番大きな建物である。
城の壁は黒かった。黒い城である。ここからは離れた場所にあったが、街のちょうど真ん中辺りに位置してそうだ。真っ黒な城はどこか異様に見えた。
「あれは王の城だよ」
男がゆりの視線の先を見て言った。
「王？王様？」
「そう。王様」
「あっちに行くと市場があるんだよ」
男が広い通りを指していた。
・・・そういえば、この人はなんで私がここ初めてだって知ってるんだろう？
ゆりは不思議に思った。
「おいでよ」
「あ」
男はゆりの手をとって引っ張った。
広い通りに出ると、通りに沿って左右に出店のようなものが並んでいた。そこで買い物する人達の姿も見える。
「いらっしゃい。安いよ〜」
「おいしいよ〜」
などと店の者達の声も聞こえてくる。見たところ人々も陽気な表情をしている。普通の街の市場となんら変わらない。
ゆりはぎゅっと握られていた手を離した。男はゆりを見て微笑んだ。
「あまりに普通過ぎて驚いたろう？」
男の言葉にゆりはどきりとした。
「我らが国にようこそ」
男は胸に手をそえて優雅に告げた。
「え・・・」
ゆりは後ずさっていた。
「君は向こうから来たばかりなんだろう？見てすぐわかったよ。頭の中はいろいろ妄想しただろうね。
闇の国ってどんなのかしら。きっと闇に覆われた真っ黒な世界なんだわって怯えただろうね。実際はここが闇の国。君がもといた世界となんら変わりのない、
いや、ここには一族なんてものはない。人が好きに生きられる世界。それがここ、闇の世界なんだよ」
男は大げさに両手を広げて説明していた。ゆりはただぼかーんとした顔をしている。
「ここ、闇の国？」
ゆりは下に指を向けて聞いた。
「そうだよ。闇の国」
「嘘お」
「本当だよ」
「だって・・・」
横を黒いフードをかぶった団体が通り過ぎて行った。
「あの人達何？」
「司祭だよ。もうすぐミサの時間だからね」
「ミサって？」
「もちろん、闇の王に祈りをささげるミサさ」
男は穏やかな表情で微笑んでいた。
「闇の・・・王？」
「あの城におわすお方さ」
ゆりは再び城を見上げた。
「この世界って、王様がいるの？」
「正確には王ではなく神だよ」
「神？」
「そう、この世界を支配する神さ。闇の王と呼ばれているが、この世界は別に闇に閉ざされた世界ではない。そんな世界じゃ人は生きられないからね」
「でも、怖い動物とかいるでしょ？」
「そりゃ夜になるといろいろいるよ。だから、夜は門を閉じて皆街の中にこもっている。そうすれば安全なんだよ」
「はあ・・・・」
「最初は戸惑うだろう。皆そうだよ。向こう側ではいろいろ誤解されているからね。闇の世界は汚らわしくて恐ろしい世界だと、君もそう思ってただろう？」
「・・・・」
「それはね、アシュランがそう人間に思わせたからだよ。この世界に人々をおいそれと来させないようにそう仕向けたのさ」
ゆりは口をぽっかり開けていた。
どうやら想像していたことと随分違うようだ。男の言うことが真実ならば、だが。
「この世界って一体何なの？」
「昔昔、アシュランと闇の王が主権をかけて戦った。闇の王は破れて、この世界で自分の国を作ったのさ。アシュランは動物達を人間に変えたが、闇の王にそういう力はなかった。
だから、人間達をひそかにこちらに移動させて住まわせているんだよ。闇の王へ忠誠する者が多ければ多いほど、王のお力は高まるからね」
「だから人さらってるの？」
「勧誘してるんだよ」
「勧誘って、随分ひどい方法で勧誘してるじゃない」
「まあ、それについては改良した方がいいと僕も思ってるけどね。弱い人間はいらないんだ。ほしいのは強い人間だけ。だからテストしなきゃね」
「テスト・・・でも、なんかまがまがしい感じだったわ。黒いもやもやが増えたり・・・」
「それも、アシュランの策略だよ。この世界への嫌悪感を増やすことが、あいつの目的なんだよ」
「・・・・」
くろもやがアシュランのせい？
ゆりは首をかしげていた。
市場の奥でふいに騒ぎが起こった。男同士が殴り合っているようだ。周りにいた人々は見ているだけだ。
「止めないの？」
ゆりは男に聞いた。
「好きにすればいい。別に殺し合いにはならないさ」
男はちらりとそちらに目を向けただけだった。
「まあ、とういうわけでね、この世界に来た連中は、別に普通に暮らしている。慣れればいい所さ。君も、闇の王が好きになるよ」
「・・・いろいろ説明してくれてありがとう。じゃあこれからは、一人で街をぶらぶらするわね♪」
ゆりは笑顔で言って、くるりときびすを返した。
この世界がどうだとかいうことはこの際横に置いといて、イシュタールを探さねばならない。そしてさっさと逃げなければ。
すると、周りにいた人たちがゆりの行く手を阻むように集まってきた。
「え・・・何？」
「君ってせっかちだね。まだ話は終わってないんだよ」
後ろで男が言っていた。
「君は半端すぎる。まだ全然こちらに染まっていないしね。君みたいな子が来るのは珍しい。僕が見つけたことだし、僕が仲間にしてあげるよ」
ゆりは振り向いて、「どういうこと？」と聞いた。
「この世界の人間と交われば、完全に僕らの仲間になれるよ」
男はにこにこして言っていた。
「ま、交わる？」
ゆりはうわずった声で言って後ずさり、後ろにいた人にぶつかった。ぶつかった男はにこにこ微笑んでいる。
「こりゃ幸運だ。ゲイル様に相手しただけるなんて、よかったな」
「うらやましい！」
「いいわねー」
男も女も微笑んでゆりにやんや言っている。
「いやー・・・ごめんなさい。私・・・実はすっごい面食いで、超、超、超美形な人が好きなんですう」
ゆりは無理に笑顔を作って男に言った。
「というわけで、またの機会に♪」
ゆりは人垣を押しのけていこうとしたものの、人々はひっついてゆりを行かせなかった。
「ちょっと、どいてったら」
「超、超、超美形かあ、君っておもしろいね。僕だって超、超、超美形だよ？」
「あなたはステキだけどまだちょっとねえ・・・・」
とかいいつつゆりはどこからか逃げようとしていたが、誰も通してくれない。
女性達から「すてき〜」「きゃー！」とかいう黄色い声が上がっていた。
ゆりは男に顔を向けて飛び上がらんばかりにびっくりしていた。
先ほどの男の姿が変わっていた。背中のマントはなくなり、変わりに大きな黒い翼があった。そしてその顔も、さきほどよりも美しくかわっている。
異様なほどに整った美しい顔に。その顔は、見知った顔に似ていた。
「ほらね、超が100つくくらい美形だろう？」
男は両手を広げて微笑んだ。
「あれ？さっきの人どこ行ったの？」
ゆりは引きつった顔で聞いた。
「僕が変身してたの。これが本当の僕だよ。喜びたまえ」
黒いクーリーフンでたー！！！
ゆりは心の中で絶叫していた。
その男はクーリーフンに良く似ていたのである。
ゆりは男に威圧されたかのように口を開けたままのけぞっていたのだった。
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